西方十勇士+α   作:紺南

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三十六話

人里離れた森の中。

鳥が囀り、風が吹いては草木がざわめく。

人の手が加えられていない地面は傾斜が多く、倒木や折れた枝などで人の通れる道などない。鬱蒼と生えている木々が光を通さず、辺りからは常に湿った臭いがする。

 

耳をすませば、夏頃あれだけ盛んに鳴いていた蝉の声はどこからも聞こえず、代わりにコオロギの涼やかな音色が聞こえてきた。

木々の葉にはわずかに紅く色づいているものが見られ、季節の移り変わりを予感させる。

 

そんな大自然の中、おおよそ人の気配など感じられない場所から、場違いにもほどがある肉を打つ音が響いていた。

 

木々の開けた場所で、赤いジャージを着た剣華が燕に滅多打ちにされている。

嵐のように降り注ぐ拳を両腕で必死に防いでいたが、たまに防御をすり抜けられ、一発貰う。

それは百代に比べれば威力こそないが、何発も食らうなら重い軽いは関係の無い話。

一発一発がどれだけ弱くても急所に当たれば耐えられるはずもない。

 

「せいやっ!」

 

威勢の良い掛け声と共に側頭部に向けて蹴りが放たれた。

ガードした左腕がビリビリと痺れ、しばらくの間使い物にならなくなる。

「しまった……」と、剣華は内心で纏わせる気の分量を間違ったことに焦る。

気を節制できるような相手ではないととっくの昔に知っていたのに、何たる失態か。

 

剣華が己の無様に動揺している間も燕の猛攻は止まらない。

反撃を警戒して一旦離れていた距離が、瞬きの間に詰まっている。

顔面に打たれた正拳突きを剣華は紙一重で躱す。

ぴっと頬を掠った感触に冷や汗をかく。

 

なんとか反撃の機会を得ようと目を凝らすも、燕は巧みな連撃でその隙を見つけさせてくれなかった。

個別に見れば一つ一つの攻撃は脅威ではない。しかしこれがいつまでも続くとその危険性はぐんと上がる。

ただただ攻撃を防ぐだけの自分が、サンドバッグになってしまった気分になる。

このままズタボロにされるまで殴られ続けるのだろうか。流石にそんな悲惨な未来は御免こうむる。

 

「隙が無いなら気合で何とかしろ」と無茶苦茶な言葉を思い出す。

その助言に従って、溜まっている闘気を無理やり捻りだし、剣戟に変えて発散。

剣華を中心にして無差別な攻撃は、かまいたちでも通ったような切れ込みを周囲に刻んだ。

 

「ちょっ!?」

 

燕は慌てて退いた。

だが無差別故に全ての軌道は読み切れなかった。いくつか掠って小さな切り傷が出来る。

 

その傷を見て、剣華の胸がちくりと痛んだ。

……まあ、あの程度なら唾をつけておけば治る。今度はこっちの番。

 

剣華が反撃する。まずは手刀で。

3~4メートル離れた場所から縦に振り下ろされた攻撃を燕は横に躱す。間髪入れずに土ぼこりが舞い、直前まで自分の居た地面が深く刻まれているのに慄いた。

あのままあそこにいれば真っ二つだった。危ない危ない。

 

追撃は横薙ぎの手刀。

大振りだから躱しやすい。目いっぱい身体を反らす。空気が切り裂かれる音を耳元に感じ、メキメキと木が倒れる音を聞いた。

 

――――やっぱり、距離を置いたら分が悪いねん。

 

状況判断は的確だった。遠距離ではノータイムで即死攻撃が相次いで襲ってくる。

大振りで躱しやすいとはいえ、そんな危険な橋を渡る意味はない。

勝つためには、というか万が一にも死なないためには近づくしかない。

 

燕はすぐさま攻めへと転じたが、剣華はそれを読んでいた。

気の放出。先ほどの線での無差別攻撃とは違い、今度は面で。

ドゴォッと空気の塊をぶつけられたような衝撃。

 

「むっ!」

 

直前で察知できたおかげで両腕をクロスさせてダメージを軽減していた。

その攻撃自体、威力はそもそも小さいようだ。だがわずかな間でも足は確実に止まる。

倒すのではなく、足止め用の小技だ。

 

――――んん、小癪っ!

 

今の一瞬で、剣華と燕の距離は離れていた。

させじと詰めにかかる燕。また同じ攻撃をしてきても、今度は見切れる。ギリギリで躱せる自信があった。

 

だが予想とは裏腹に、剣華は掌を開いたまま両腕を広げる。

迎え入れるような姿勢。しかしその両手の指先にとんでもない量の闘気が溜まっていた。

 

燕の脳裏に浮かぶ。いつか、川神学園で工藤相手に使った荒業。

世界最強ヒューム・ヘルシングが相殺してもなお、校舎まで衝撃波が届いたあれ。

 

――――か、躱せるかな……?

 

迷いが行動に表れる。

足元が揺れて進路がぶれる。

躱すか詰めるかどっちつかずになった。

 

刹那の間、二人は見つめあう。

剣華は無表情。何を思っているのか分からない。まさか殺そうとしている訳ではあるまい。

 

走る燕。溜める剣華。

剣華の顔を凝視して燕は悟った。

 

――――あの顔はやる……!

 

瞬間、思いっきりスライディング。

それを追うようにして、剣華は自分の身体を抱き締めるように腕を閉じた。

指がなぞった軌跡。その延長線上の物がスパスパ斬れていく。

岩、木、地面。

ありとあらゆるものが斬られ、獣の爪痕に似た傷跡は、地面の底はるか奥深くまで続いていた。

燕は身体を地面に寝かせた体勢で、背後の惨状に頬を引きつらせていた。

 

使えるなら使えとは言った。

剣華の手札と実力を測るための模擬戦である。出し惜しみなどされては意味がない。

とは言え、想像していたよりもちょっと洒落になっていないのも確かだった。

 

こんなものを学園で放つとか。

とてもじゃないが対人様の技じゃない。

必ず殺してやると根深い殺意を感じる。

 

――――これは……ちょっと、まずいねん。

 

剣華の技の中では一番威力が高いのがこの技らしいが、さすがにこんなものを大会では使えない。

使おうとした瞬間、審判団に袋叩きにされる。ぼっこぼこにされた上で念入りにぼっこぼこにされる。致し方ない。封印やむなしである。

 

燕が予想以上の威力を目の当たりにし冷や汗をかく目の前で、どさっと剣華が膝から崩れ落ちる。

直前まで鉄面皮よろしく無表情だったというのに、今は顔色は青白く、肩で息をして額には幾筋もの汗が伝っていた。

 

コスパ度外視の必殺技。どれだけ気を溜めていようと連続では打てない。

使ったらそこで戦闘不能。分かりやすいが、使いどころは限られている。

 

「取りあえず、大会でこの技は使わないでね。反則取られて終わっちゃいそうだから」

 

「……わかった」

 

顔を真っ青にした剣華はその場に蹲ってしまう。

「おえ……」と微かに嗚咽が聞こえる。燕は聞かなかったことにした。

 

二人は、ここ数日川神から離れてこうした模擬戦闘を繰り返していた。

剣華の実力を知るためと言う建前があり、本当のところ、工藤の情報を集めるのに難儀していると言う事情があったが、それはまだ剣華には気づかれていない。

 

あれだけ大見栄切った手前、燕にも体裁がある。まさか映像一つ碌に手に入らないなどとは易々言えない。

天神館の誰かにコネでもあったら話は早かったのだが、残念ながら川神学園に来るまでは京都の学校に通っていた燕にそう言う便利なものはなかった。

 

――――大和くんにお願いしてみよっかな。

 

普段ちょっかいを掛けている可愛い後輩を思い浮かべる。

反応が可愛くて弄りがいのある、けどたまに頼りになる後輩。

百代を刺激するためと言うだけでもなく、今では本気でお気に入りになってしまった。

話をする理由が出来たというだけでなんだか嬉しい。そんなものなくてもちょっかいはかけるけど。

 

燕がそんなことを考えている間も剣華は蹲ったままだった。

大事ないと分かっていても、ピクリとも動かないと少し心配になる。

 

「大丈夫? 剣華ちゃん」

 

「……」

 

顔を上げた剣華の顔色は少し良くなっていた。

周囲に漂う闘気を吸収しているおかげで回復も早い。

長期戦に有利な異能だ。しかしルールに縛られた大会でその真価を発揮するのは難しいかもしれない。

リングから出たら失格とか、戦わずに逃げ回ってはダメとか、そんなルールがあるに決まっている。時間稼ぎに死んだふりなんて以ての外だ。

 

「どうすればいいんだろうね……」

 

何度も何度も戦っている内に、剣華はムラが大きいタイプなんだと分かってきた。

程よく闘気が溜まってるときは、動きは俊敏で技にキレがある。

溜まりすぎている場合は速度と技のキレはさらに上がるが、攻撃は単調で直截的。

逆に全然溜まってなければキレも速度も何もかもが低調。

しかも精神状態も微妙に関係してくるようだ。

策を練るにあたって、まずはそこを考慮しなければいけない。

 

「そう言えば、曹一族の人が来たって聞いたけど、剣華ちゃん平気なの?」

 

「私には関係ない。平気」

 

すっかり回復した剣華はそっけなく答えて、その場でごろんと横になった。

空を見つめたまま動かなくなる。

汚れるのも構わず寝っ転がれるのはさすが野生児だねと燕は妙なところで感心した。

 

天を向く目は一点を見つめ動かない。

イメージトレーニングでもしているんだろうか。

もしそうなら是非とも私も加わりたい。あの頭の中には工藤の動きが細部までインプットされているに違いないのだから。

あーあ、早く記憶のクラウド化されないかなあ。

 

燕は到底無理なことを思う。現実逃避の一環だった。

 

工藤の戦い方がまるで分からない現状、出来るのは剣華の実力の底上げだけ。

しかしそれだけでは勝てないだろうとは思っている。

燕の目から見ても、彼我の実力差が圧倒的なのだ。

 

学園で見せた無茶苦茶な行動から、工藤が壁越えであることは間違いない。

剣華も弱くはないのだが、如何せん異能の暴走が足を引っ張っている。それがなければ壁を越えていそうなのに。

 

今出来ることは少ない。

だから少しでもこの時間を無駄にしないために、まずは燕自身が剣華の人と成りから戦い方、長所や短所まで理解しなければいけない。

その上で光明を見出す。ないのなら作る。策を練る。勝つための策を。

 

こうしている間に今まで繰り広げた模擬戦を思い出してみる。

剣華の癖や偏り。弱点。

自分なら突くだろう部分を列挙。修正。

 

それ自体も必要なことではあるのだが如何せん優先順位は低い。

ただ弱点をなくすだけでは勝てやしないのだから。

 

弱点をなくしても負けづらくなるだけで、勝ちやすくはならない。

勝ちやすくするためには長所を伸ばす必要がある。強みをより強くし、隙をついて打ち倒す。そうしなければ格上には勝てない。取れる方法はなんでも使わなければいけない。手段を選んではいられない。自分がそうするように、剣華にもそうしてもらわなければいけいない。

 

無意識の内に力が籠る。当初考えていたよりも、燕はこの一件を重く考え始めていた。

最初は工藤に先を越されないための協力関係だった。

だが、いつの間にか剣華に自分を重ねていた。そして工藤を百代に重ねている。

そうすることで一つのシミュレーションが形作られていた。

つまるところ、いつか自分が百代と戦う時のためのリハーサルである。

 

燕は紋白から依頼を受けている。川神百代に勝てと言う無理難題を。

難題だと分かっていてそれでも受けた。それはひとえに家族のためであった。家名を上げることで、父に愛想をつかした母が帰って来ると信じていた。以前のように家族団欒を三人で過ごしたい。年頃の少女らしい理由だった。

 

そのために燕は川神学園にやってきた。

他の誰でもない父が作った平蜘蛛を使い、自分が武神を倒したとなればこれ以上ない功名である。松永の名は世界の裏側まで轟くであろう。

何が何でも成さねばならぬ。そのための前哨戦。燕はこの一戦をそう捉えていた。

 

前哨戦だと考えると思った以上に熱が入る。

鍛え上げた集中力がいかんなく発揮され、剣華の動きが一挙手一投足思い出せた。

 

剣華の動きを思い出すにあたり、以前から気にかかっていたことがある。

今も思い出してみて、やはり違和感があった。

例えば直前の模擬戦で使った闘気をぶつけるだけの技。

 

意図は分かる。足を止めさせるための技だ。

しかしそれを剣華が使うというのが燕には解せなかった。

 

剣華の武人としての趣向は百代寄りだ。

搦め手よりも直接的な戦い方を好む。距離を置きたいなら、相手の動きを止めるのではなく、自分がより速く動くみたいな感じで。

今まで剣華が使った技を見ても、ああいうただ次に繋げるための攻撃は異彩を放っている。

性格に合っていない。人を観察することに一家言ある燕としては看過できない違和感だった。

 

――――たぶん誰かの戦い方を真似してるんだよね……。

 

その誰かとは十中八九工藤だろう。

雛鳥が親鳥の動きを真似するように。剣華は工藤の技や動きをコピーしている。

 

剣華自身は決して頭を使って戦うタイプではないから、状況によってぱっと思いついた技を使っているのだろう。

それがたまたま工藤の技と言うだけで、本人はその自覚がないのかもしれない。

無意識の内にそうなるまで、一体どれだけ戦ったのだろうか。

そして一度たりとも勝てていない。

 

「……」

 

燕は携帯を操作しメールを打った。

直江大和へ、『お姉さんからのお願い。ご褒美もあるよん』と銘打って。

ボタンを押しながら「そーしんっ」と甘ったるい声を溢したが、その目は一切笑っていない。

 

「さ、もう一本やろっか」

 

「……」

 

携帯を置いて立ち上がる。

時間が惜しい。今のままでは勝てる確率ははっきり言って高くない。

逸る燕とは裏腹に剣華はのろのろと立ち上がる。

 

距離を置き、構えて睨みあう二人。

ビリビリと空気が震え、ハラリと一枚木の葉が舞った。

直後、「いくよっ」と威勢のいい掛け声が辺りに響く。

 

剣華と燕は、こうして若獅子戦に向け着実に準備を進めていた。


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