西方十勇士+α   作:紺南

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三十五話

すでに昼を過ぎて小学生ならば下校を始めている頃だった。

人気の少ない道を二つの影が走っている。

一つは金色の影。名をステイシー・コナー。その手には銃器を抱えて、すれ違う人が思わず振り返る異様さだ。

もう一つは黒い影。冷たい印象を受けるその人は名前を李静初(リージンチュー)と言う。

二人はメイド服に身を包んで、頂点を越えた太陽の下を一目散に駆けていた。

川神学園の校門前に不審な人物がいると報告を受けたためである。

 

「ったく、ファックだぜ」

 

「口が悪いですよステイシー」

 

本来ならば真っ先に駆けつけるべきクローン計画の現場責任者である桐山鯉は、間の悪いことに板垣竜兵を更生させるべく街に出ていた。

到着するのに時間がかかると連絡を受けた二人は、安全最優先ということで駆り出されたのだ。

すでに走り始めて数分が経つが、そのことに未だステイシーは納得がいかない。

 

「桐山のやつ、くそめんどいことさせやがって」

 

「仕方がありません。実際、彼が向かうよりも私たちの方が早い。桐山が到着するまでに何かあれば目も当てられない」

 

理にかなったリーの説明を受けてもステイシーは納得しない。

いつもならもっと素直に受け入れるのだが、今は単純に桐山鯉と言う人間が気に入らないと言う理由一つで子供のように聞き分けが悪くなっていた。

元々アメリカで不良娘をしていただけのことはあり、理屈よりも感情を優先させる点がスイテシーの欠点だった。

逆に感情表現が下手くそな点がリーの欠点であり、二人合わせれば丁度いいと上司のゾズマが皮肉を言った回数は数えきれない。

 

「学園にはヒュームの爺もいるだろ」

 

「今日はクラウ爺がいらっしゃらないのです。紋様の身が最優先。不審者がいるからこそ、ヒューム様は動けません」

 

「ちっ。普段偉そうなこと言ってるくせに……」

 

ぶつぶつと文句を垂れるステイシー。

リー自身も慣れたもので一々相手はせずに軽くあしらい、精々そのブロンドを視界の端に留めておくぐらいだ。

元々傭兵だったステイシーを九鬼に引き抜いたのはヒュームである。だから、なんだかんだ目を付けられしごかれまくっている分、ヒュームへの当たりが強い。

こうやって、かの零番に対して陰口をたたくクソ度胸も認められているのだろう。どこで聞かれているか分からないと言うのにその勇気は称賛に値する。

 

「着きますよ」

 

「わかってる」

 

校門を視界に収め、リーの一言でステイシーは切り替えた。

スッと細められた目が校門の前で佇む影を捉える。

短く問うた。

 

「あれか」

 

「そのようです」

 

ステイシーが両手に持つ銃器のコッキングレバーを引く。

リーも身体中に隠した暗器をいつでも抜けるように準備した。

一目見て分かったのだ。その不審者の危険度が。

 

「そこのお前」

 

「ん?」

 

銃を突き付けながら、いささか緊張をはらんだステイシーの声。

すぐ隣のリーも油断なく不審者を見据えている。

 

不審者は本を読んでいた。容姿は明らかに日本人ではない。銀髪で眼鏡をかけている。

しかし特筆すべきはその髪色ではなく目だった。

一般人とはかけ離れた瞳は見たものすべてに恐怖を抱かせる。

目が合うだけで背筋が凍る。リーは元暗殺者でステイシー元傭兵だった。しかしこの威圧感は経験したことがない。

数々の修羅場を潜った二人ですら、背中を冷たい物が伝るの抑えれなかった。

 

――――あれが龍眼。

 

事前に知っていなければどれだけ取り乱したか。

二人の胸中は一致した。

 

「なんだ。九鬼のメイド部隊か。物騒だな。そんな物を抱えて」

 

「何言ってやがる。ここがどこだかわかってんのか」

 

「……川神学園と書いてある」

 

正門の銘板に目を向ける不審者は、その片手間に呼んでいた本を腰のポーチにしまう。

一連の動きを注視していたリーがステイシーの後を継いだ。

 

「ここで何をしているのか、それをお聞きしているのですが?」

 

「知人を待っている」

 

「知人とは?」

 

「見ず知らずの人間に、そこまで言う必要があるのか?」

 

せせら笑うような調子に短気なステイシーが「んだとぉ?」と気炎を上げる。

一歩踏み出したところで、リーの押しとどめる視線を受け、なんとかこらえた。

 

「ご存知かとは思うのですが、この学園には英雄のクローンが通っています。何かと狙われることのある子たちです。素性不明な不審者を野放しには出来ません」

 

「そうか。ご苦労なことだな」

 

「舐めてんのか? お前」

 

ついにステイシーが我慢の限界を迎えたようで、不審者に向けてがなった。

 

「お前曹一族の史文恭だろ。調べはついてんだぞ!」

 

「なんだそこまで知っているのか。なら話は早い」

 

史文恭は親指で学園を指さしながら、

 

「梁山泊の知り合いを待っている。話がしたくてな」

 

「では、義経たちが目的ではないと?」

 

「クローンを狙えなどと雇われた覚えはないな」

 

「けっ。それ証明できんのかよ」

 

吐き捨てたステイシーに史文恭は挑発するように笑った。

 

「ではどうする? 拘束でもするか? 何の罪も犯していない一般人にそんなことが出来るか?」

 

「てめえは傭兵だろうがっ」

 

「今はプライベートだ。武器の一つ持っていないが?」

 

「そのようですね」

 

どうしたものか。

依然としてキレまくっているステイシーは置いておき、リーは現状の把握に勤しんでいた。

 

曹一族の目的は既に判明している。直江大和だ。

曹一族が強引な手法でもって直江大和を我が物にしようとしていることは、すでに従者部隊全体に共有されていた。

しかしながらそれを理由に曹一族を拘束できるわけではない。証拠がないからだ。

言質すらない現状では、それは飽くまで憶測でしかなく、それを理由に曹一族を拘束することはできない。

他の理由を探したところでやはり拘束は出来ない。

なにせ曹一族はまだ川神市で何もしていない。誰に危害を加えたわけでも、誰の権利を侵害したわけでもない。ただ根を張っているだけだ。

 

今対面している史文恭も手に武器はなく、他の曹一族が動いている気配もない。

一人でここにいるだけ。その理由も同業者であり知人である梁山泊に会い来たと納得できるものである。

 

この状況で九鬼が出来ることは何もない。

九鬼は正義の味方ではない。国や警察ほどの強権を持っている訳でもない。

あくまで一企業。他人の権利を侵害する権利などあろうはずがない。

 

打つ手なし。さて困った。

不審者を前に成すすべがないとは。嫌がらせに警察でも呼んでみるか?

 

悩むリー。その横ではステイシーがヒートアップを重ねている。

感情赴くままにがなり散らすステイシーがリーほど深く現状を認識しているはずもなく、いつ発砲してもおかしくないほど乗せられてしまっている。

純粋な武力はともかく、口の上手さはあちらが数段上のようだ。

今ステイシーに発砲されると面倒になる。かと言ってすごすごと退却できるわけもない。

 

……他に手段はないだろう。

後手に回っていることを自覚しながら、リーは史文恭に言った。

 

「しかし、あなたが傭兵であることに変わりない。念のため監視させていただきます」

 

「好きにすると良い」

 

史文恭は読みかけの本を取り出して読み始めた。

リーはステイシーの首根っこを掴み少し離れた場所で史文恭を見張ることにする。

 

「おい、リー! なんだって監視なんだよ! ぶちのめさせろっ!」

 

「物騒なことを言わないでください。学園の敷地内に入ったわけでもない彼女を攻撃するわけにはいかないでしょう」

 

「そんなん知るかぁ!!」

 

もうすぐ桐山も来る。

時間が経てば経つほどこちらは防備を固め、史文恭は行動を起こしづらくなる。

まさか万全の体制の中で行動するほど愚かではないはずだ。

 

こうして観察しても、その腹に一物あるとは思えない。

恐らく梁山泊を訪ねてきたというのは本当なのだろう。

とは言え、こちらも万が一に備え警戒を怠るわけにはいかない。

ステイシーを宥めながらというのは中々に骨の折れる仕事ではあるが、やってできないことはないだろう。

以前はステイシーの他にやたら手のかかる後輩がいた。その時のことを思えば何の問題もない。

 

そこまで考え、ふと思い出す。

 

……そう言えば、今こうして曹一族を警戒しているのも、彼が失敗したせいでしたね。

 

彼が九鬼を離れ三年ほどが過ぎているというのに、相も変わらず苦労をかけられている。なんとも手のかかる後輩だ。

苦労と言う言葉とは裏腹に懐かしさを覚え、リーは思わず微笑んだ。

それをステイシーに見咎められ「何笑ってんだ」とネチっと突かれてしまった。

 

「何でもありませんよ」

 

遠くでチャイムの音が響く。

間もなく生徒が下校してくる。正念場だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

校門前にいる異質な組み合わせは、下校する生徒たちの目をこれでもかと惹いた。

片やメイド姿の美女コンビ。片や美人だけど目がおっかな過ぎる人。

さしもの川神学園の生徒ですら、この組み合わせに声を掛けようという恐れしらずはいなかった。

 

「……来たか」

 

自分に向けられる視線などお構いなしに本に集中していた史文恭は、遠くから見覚えのある一団がやってきたのを見ると本をしまい校門の正面へと移動した。

リーとステイシーもそれに合わせて立ち位置を変える。

 

ゆっくりと歩いている一団は史文恭を見つけると進むのを止め、まさかと言う顔で史文恭を凝視した。

 

「史文恭っ!?」

 

叫びにも近い声を上げたのは林冲だった。

間髪入れず炎を身に纏う武松と武器を構える楊志と史進。

公孫勝が武松の背中に退避して、大和が梁山泊メンバーの豹変っぷりに着いて行けず目を白黒させる。

突然の臨戦態勢の中で、剣華だけは何をするでもなく静かに史文恭を見ていた。

 

「久しぶりだな林冲。少し髪が伸びたか?」

 

「史文恭……なぜお前がここに居る?」

 

「少し用があってな。ついでにお前たちの顔を見ておこうと思ったのさ」

 

「ふざけるな! どの口で言っている!?」

 

林冲たちの敵意を受けて、史文恭はふっと笑いながら歩を進める。

 

「おいおいつれないことを言うなよ。私とお前の仲じゃないか」

 

悠々と進むその足は学園の敷地の境目ギリギリで止まった。

「ちっ」とステイシーが舌を打つ。もう少しで大義名分出来たのによと心の底から悔しそうだった。

 

「どうするリン。わっちら全員がかりなら確実に仕留めきれるぜ」

 

「ま、あんまりお勧めしないけどねえ」

 

喧嘩っ早い史進は既にやる気だ。

続けて言った楊志はここでの戦闘の危険性をほのめかしている。

 

九鬼の監視下で、なおかつ川神学園。

史文恭を排除できるメリットは大きいが、その分リスクも巨大。

ここでやる価値が果たしてあるのかどうか。

林冲は表情を歪ませ判断に迷っていた。助けを求め、ちらと剣華を見る。剣華は何も言わなかった。

 

「相変わらず血の気の多い奴らだ……。こんな所で事を荒立てる気はない。ただ挨拶に来ただけなのでな」

 

その目が林冲を外れて大和を捉える。

事の成り行きを静観していた大和は、いざその視線を身に受けて身を縮こまらせた。

 

なんだあの目……。

 

常人とは明らかに違うその目は、発せられる目力だけで射殺されそうなほど恐ろしかった。

漫画的な表現で言えば人を殺してそうな目。

傭兵なのだからそう言う経験もあるのだろうが、しかし剣華や林冲たちと比べてあまりにも異色だった。

 

「初めまして直江大和。曹一族の師範代史文恭だ。お見知りおきを」

 

「……初めまして。直江大和です」

 

つっかえることもないスムーズな返答に史文恭は意外と言う顔をした。

 

「あまり動じないな。この目が怖くないのか?」

 

自分で自分の目を指さす史文恭。

まじまじと直視して、大和はごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「正直むっちゃ怖いですけど、姉さんに比べたら100倍マシです」

 

「ほう。なるほど。確かにこんな目は彼の武神とは比べるべくもない」

 

くっくっくと喉の奥で笑い、「いい度胸だ。その素質、見極める価値はありそうだな」

 

史文恭の放ったその一言で周囲の緊張感が増した。

 

「史文恭。お前の好きにはさせない。直江大和は私が守る」

 

「ああ。お前ならそう言うと思っていた。だが、決めるのは直江大和だ」

 

「なんだと?」

 

疑問を抱く林冲を無視し、史文恭は大和に問いかける。

 

「直江大和。曹一族に来る気はないか?」

 

「なっ!?」

 

まさかあの史文恭が強硬な手段ではなく真っ当な勧誘で来るとは思ってもみず、林冲は呆気にとられた。

 

「女、金、名誉。我らなら全て与えられるぞ。特に女は選び放題だ。今代の曹一族はほとんどが女。それも代替わりしたばかりだから若い者ばかり。年下から年上まで揃っている。どうだ? 魅力的だろう?」

 

まさかそんな手段で来ようとは。

林冲が大和を振り返る。

史文恭の甘言で明らかに心動かされた大和は「選び放題……」と深刻な表情で呟いた。

このまま史文恭に言わせていては取られかねないと、慌てて林冲も言葉をかけた。

 

「な、直江大和! 梁山泊も女ばかりだ。少なくとも108星は全員女で、もし梁山泊に来てくれるのなら、みんながお前を歓迎する」

 

「くっ……!」

 

握った拳が震えている。歯を噛みしめ、誘惑に耐えている。

なんだか知らないが、このまま押せば行けそうな気がした。

 

「もし梁山泊に来てくれるなら、お前には108星のコンディション管理をしてもらうことになると思う。誰かひとりをひいきしたりはダメだから……は、ハーレムみたいな感じになるかもしれない」

 

「ハーレムっ!?」

 

それはまさに男の夢。

一夫一婦制の日本では夢見ることしか許されないユートピア。

まさか夢でしか見たことがないそこに手が届くというのか……。

 

がしがしと頭を掻く。

大和とて日本男児。夢に恋い焦がれないはずがない。

 

しかし、これが罠であることも分かっていた。

どれだけ心魅かれる提案であろうと、一時の性欲に突き動かされて将来を決めるのは愚かな選択だと理性で判断する。

震える声を絞り出し断腸の思いで言った。

 

「い、行かない……」

 

「ほう? いいのか? 酒池肉林だぞ?」

 

「しゅ……!?」

 

本当に血の涙を流しているんじゃないかと思った。

握りしめた拳から血が流れている。

大和の中の悪魔が囁く。

 

――――you やっちゃいなYO

 

くうぅ……!!

悪魔よ、俺はお前の甘言には惑わされないっ!

 

「俺は行きません!!」

 

決死の思いで放った言葉は校庭に響き渡った。

ここに至るまで、当然のことながら注目を集めていたのだが、大和の宣言にがやがやと噂する声は加速する。

 

「ど、どっちに?」

 

「曹一族にも梁山泊にも、俺は行きません!!」

 

林冲が残念そうな顔をする。もう少し押せば落とせる気がしていただけに、一度掴んだ宝が掌からこぼれ落ちた気分だった。

しかし曹一族にもいかないというのだから、一先ずは現状維持である。

最悪曹一族の手に渡らなければそれでいい。

 

「ふっ。そう言うのなら仕方がない。ここは大人しく引き下がろう。脈がないというわけではなさそうだしな」

 

史文恭が肩をすくめる。大和の反応は確かな手応えがあった。ここで無理に勧誘し心証を悪くする意味はない。なにより今はあまり急ぐ必要がないのだ。いずれ時機は来る。

 

何事もなく終わりそうな雰囲気に、史進が「ちぇ」と残念そうな顔をした。

ギョロッと史文恭の目が大和から外れて史進を飛び越え、隣にいた剣華を捉える。

 

「貴様が『大刀』・関勝か?」

 

「……」

 

無言を貫く剣華を、史文恭は興味深く眺める。

その問いかけはあくまで念のための確認であったから、わざわざ答えてもらう必要もなかった。

 

「先代の関勝には世話になった。秘蔵の後継ぎだと言うから楽しみにしていたのだがな。こっちの世界に戻ってこないのか?」

 

「……あなたには関係ない」

 

「ふっ……。そうか」

 

愉快そうな顔で「またな」と踵を返す史文恭。

10歩と歩かぬうちにその姿がサッと消える。

 

「追跡する」

 

武松が史進と楊志を連れて史文恭を追いかけた。

曹一族の隠れ家を突き止める目論見だった。

 

「なんだぁ? なんか意外と面白そうな流れだな」

 

「面白そうかはともかく、少なくともこの場での衝突は回避できたようで何よりです。曹一族は性急にことを進めるつもりはないようですね。まあ、何はともあれ報告を」

 

一連の会話を傍観していたリーとステイシーはそう言って、史文恭と同様に何処かへ消えてしまった。

場の人数が減り、妙に寂しい風が吹いている。

 

「あれが曹一族か……。俺の心をここまで揺さぶるなんて、恐ろしい敵だ」

 

大和が額の汗を拭い、史文恭の脅威を実感する横で公孫勝がジトっとした目で睨む。

 

「こんなこと言ってるけどさ、こいつ結構チョロイんじゃないの?」

 

「……そんな気がしてきた」

 

昔の鬼畜ゲーの方が難しそうだと公孫勝なりの評価が下され、林冲も多少先が見えてきたとほっと胸をなでおろす。

如何に任務とは言え、無期限の護衛任務は出来る限り避けたいのが本音だった。

大和自身こんな感じなら近々結論が出るかもしれない。

もし任務が早く終わってくれるなら、その時は関勝の件に集中できる。

 

林冲はこの任務を通じて何が何でも剣華を連れ帰るつもりだった。

剣華の思いは聞いている。成し遂げるまで帰らないというのなら成し遂げてもらうしかない。そのための協力は一切惜しまない。

 

剣華が梁山泊を離れてから、林冲は剣華のことを考え続けてきた。いつか戻ってくると信じその時を待ち続けた。

離れ離れなんて嫌だった。大事な大事な友達だから。帰ってきてほしい。何でもする。どんなことでも。

その覚悟が林冲にはあった。

 

しかし当の剣華は林冲の心の内など知りもせず、二人の会話はまるで無視して史文恭が去った方向をじっと見つめていた。

その顔はいつもの無表情ではあったが、纏う雰囲気がいつもと違った。

それに気づいた林冲が遠慮がちに声をかける。

 

「関勝……平気か?」

 

「問題ない。先に帰る」

 

林冲は無意識のうちに手を伸ばしていた。

引き止めようとしてか、それとも励まそうとでも思ったのか。

何か言おうとして口を開きかけた。しかし、剣華の気持ちをを思えば思うほど、林冲はかつての友であるルオのことを思い出してしまった。自分を庇い一人で逝ってしまった少女のことを。

 

ルオが死んだ時のことを思い出すと、未だに言い知れない喪失感と共に胸が引き裂かれたような痛みに襲われる。大切な人を失った痛みは何年経っても和らぐことはない。

きっと、剣華も同じような痛みを味わっているに違いない。

結局、林冲は何も言うことができず、遠ざかる背中を見送ることしかできなかった。

 

呑気な声が聞こえてくる。

 

「ゲームしたいぃ……」

 

「何のゲームやってんの?」

 

「モンハン」

 

「俺もやってるぜ」

 

背中で交わされる緊張感の欠片もない会話。

ゲームの内容で盛り上がる二人。すでに打ち解け始めている。

少し驚き、まあ公孫勝ならと納得もする。

梁山泊の中で一番ちょろいのが公孫勝だ。頭を撫でるだけで懐いてくるちょろさ。

いくらなんでもこれで盧俊義の素質ありということにはならないだろう。

 

予想外の九鬼家の横やり。

曹一族の対応の変化。

これに工藤と言う不確定要素まで加わる。

 

頭の痛くなる問題がてんてこ盛りで、現場の裁量を越えてしまっている。早く本部に指示を仰がねばならない。

個人的には史文恭と関勝が接触してしまったことが気がかりだが、関勝は強い。あの様子ならとりあえず平気だろう。まずは任務に専念せねば

 

剣華の背中を一瞥して、林冲は帰途へとつく。

梁山泊が拠点として借りている駅前のホテルまで。

少し不安だったから大和も一緒に来てもらうことにして。

 


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