西方十勇士+α   作:紺南

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三十二話

燕とルーが相対するのを、剣華は稽古場の端で眺めていた。

どちらともに徒手空拳。ルーの一本足で立つ独特な構えは一見して川神流とは思えない。いっそ中国拳法と言われれば納得できてしまうような風変わりようだ。

対する燕は、腰を落として左腕を突き出し、右腕を腋の下に引くオーソドックスな構えだった。

燕に武術の師匠は居らず、ほとんど独学だと聞いていたが、その構えを見るに相当研究したのではないだろうか。少なくとも努力は惜しまなかったようだ。

 

二人の様子を剣華は膝を抱えながら見、そのすぐ横には鉄心が立っている。鉄心は朗らかに微笑みながら二人の戦いを見物していた。

 

剣華がちらと鉄心を横目に見上げる。

武神。最強。川神院。学園長。

様々な単語が脳裏に浮かび、明瞭な言葉にならず消えて行った。

くしゃみが出そうで出ない時のような、微妙な気持ちで視線を元に戻す。

 

二人の戦いが始まった。

燕の洗練された技の数々を、ルーは貫禄の感じられる身のこなしで捌く。燕がいささか苦しそうな表情を浮かべているのに比べ、ルーは飄々としていた。

経験の差か、どこか稽古染みた雰囲気がある。いや、事実稽古なのだろう。燕がどうだか分からないが、ルーはそのつもりのようだ。

 

「……学園長」

 

「なんじゃ?」

 

声をかけても鉄心は二人から視線を外さない。

剣華も倣って同じようにした。

 

「若獅子戦があるって聞いた……聞きました」

 

「おお、耳が早いのう。そうじゃ。正式な告知はまだじゃが、12月25日に行う。ちょっとしたクリスマスプレゼントじゃな」

 

「そう、ですか」

 

「武人にとってはこれ以上ない贈り物じゃ。儂、さながらサンタさん」

 

満更でもなさそうな表情を剣華は無視した。

 

「出場資格ってある……んですか?」

 

「全世界から25歳以下の選手を集う。もちろんお主も資格があるぞい。どうするんじゃ?」

 

剣華は頭上を見上げる。

多少の緊張を帯びた面持で口を開いた。

 

「出たい」

 

「うむ。ならば出なさい」

 

「……いいの?」

 

「構わんよ」

 

あまりにあっさり許可されたものだから、剣華は思わず聞き返した。しかし返事は変わらなかった。

 

「構わん構わん。ただし、出るからにはルールに従って貰うぞい。あくまで大会じゃから人死には無しじゃ。若い芽を潰しとうない。故意でも偶然でも、審判が危険と判断した時はすぐに止める。その場合、殺しそうになった方が失格ということになるかのう」

 

鉄心は目を眇めて剣華を見る。

その目は力強く問いかけていた。

 

『出来るか?』

 

剣華は頷く。

つまり、剣華が異能を暴走させた時点で失格ということだ。

暴走しないのであれば好きにしろと言っている。

甘い処置だ。剣華は重ねて訊ねた。

 

「でも、九鬼の誰か……義経とかが出場するんじゃ……?」

 

「うむ。あるやもしれん」

 

厳かに頷く鉄心。「しかし」と顎鬚を撫でながら続ける。

 

「大事なのは、これが大会だと言うことじゃ。出場する人間の肩書が、試合の結果や出場資格に影響することはない。公平で公正がモットーの大会じゃからのう。裏の人間……それこそ暗殺者が出場したいと言うなら、喜んで迎えようぞ」

 

「……どう考えても危ない」

 

「ほっほっほ。何も危ないことなどない。安心しなさい。儂がおるんじゃから」

 

剣華は鉄心に疑うような目を向ける。

この老人が強いと言うのは知っている。初めてこの人と会った時、工藤から「俺より強い」と紹介されたのを覚えている。その時は畏怖の目で見たかもしれない。自分のことだからよくわからないが。

あれから何年経っただろうか。学園に転入して、幾ばくかの月日が流れ、抱いた印象はエロ爺で固定された。

百代が何度も「エロ爺」と呼んでいたのもある。風呂を借りたとき、脱衣所のすぐ外で頬を染めて立っていたこともあった。剣華と百代の入浴に聞き耳を立てていたらしい。それはどう考えてもエロ爺だった。

 

鉄心は目じりを下げて燕を見ている。一挙手一投足観察するように。

大きく動くたびにスカートの下のスパッツがチラと見えた。

鉄心の目に下心を感じるのは、そういう固定観念があるからだろうか。

 

「……私は、勝ちたい」

 

「出場する選手は、誰も彼もが優勝を目指しておる。生半可ではないぞ」

 

「優勝なんかどうでもいい」

 

意図せず強い口調だった。

拳を握りしめて床を睨む。歯を噛みしめる。

発する闘気が揺れる。蜃気楼のようにゆらゆらと。

 

「私は工藤に勝ちたい。他のやつはどうでもいい。あいつに、勝たないといけない」

 

「ふむ……それで?」

 

先を促す言葉に、剣華は一瞬戸惑った。

 

「勝つ。勝って、それで――――」

 

言葉は続かなかった。

喉元まで出かかった。しかし冷や水を浴びせられたようだった。胸に抱いていた熱い思いが、急速に萎んでいく。

勝った先を想像して、そこにある自分の姿を思い出して、握りしめた拳から力が抜けていく。

 

「……」

 

「なるほど」

 

何も言わない剣華を見て、鉄心は一人頷いた。

一瞬前までの好々爺は、今は学び舎の学長としての顔を見せていた。

 

「なぜ勝ちたいんじゃ」

 

「なぜって……」

 

「勝ってどうするんじゃ」

 

その質問の答えを、すぐには言葉に出来なかった。

息を整えてつばを飲み込む。とても喉が渇いてることに、いま気がついた。

 

「勝たないと、いけないから」

 

「なぜ?」

 

「……勝つことに意味がある。それが私の生きる術だから」

 

「ならば、勝ったその先には何があるんじゃ」

 

二度目の閉口だった。

なんとか絞り出した声は震えていた。

 

「勝った先は……また勝たないといけない」

 

「勝って、勝って。その先には?」

 

「勝ち続ける。それしか、ない。それ以外に道はない」

 

「なるほどのう……」

 

鉄心は二度三度と頷く。自分の中で何か納得のいく物が見つかったようだ。

話す二人の目の前では、戦いは佳境に差し掛かっている。二人の意識は一瞬それを捉えて、すぐに横にいる人間に戻された。

 

「ようわかった。不憫なものじゃ」

 

「……私は、不憫なんかじゃ――――」

 

剣華の反論を、鉄心は遮った。

 

「お主に限った事ではないが、あまり考えすぎてはならんぞ。毒じゃ。悩むぐらいなら、気の向くまま突っ走るのが一番じゃよ。若いうちはのう」

 

「……」

 

「さて、終わったようじゃ」

 

稽古場の真ん中で、ルーと燕が礼をしていた。

全身から汗を噴き出している燕が肩で息をして剣華たちの元へ歩いてくる。

 

「どうじゃ、ルー」

 

「凄い才能ですヨ。今一歩決定打には欠けますが、技の豊富さと緻密さは頭一つ抜けていまス」

 

「ほっほっ。そうじゃろうとも。稽古でなければお主も危うかったのう」

 

べた褒めな二人をよそに、燕はドサッと無造作に剣華の横に腰かけた。

稽古が終わったばかりだからか何だか剣呑な雰囲気を感じる。剣華は少し横に身体をずらした。

 

「……」

 

「……」

 

妙な空気が流れた。

チラチラと燕の横顔を伺う剣華。燕は汗を拭っている。

 

「ん? なあに?」

 

「いや、別に……なんでも……」

 

普段笑顔ばかり浮かべている燕が真剣な表情をしているだけなのだが、なんだかそれが怖い。

その内心を誤魔化す返事に、燕は「ふーん」とどうでもよさそうな相槌を打った後、猫のような目をして距離を詰めてきた。

 

「ね、ね。どうだった? 私、強かったかな?」

 

「強い」

 

素直な答えに、にんまりと燕は笑った。

 

「じゃあ、強さの秘訣、知りたい?」

 

「教えて」

 

即答する。頭の片隅に変な既視感があったが、そんなこと気にする剣華ではなかった。

それで「よしきた」と燕がどこからともなく取り出したのはやっぱり納豆。

右手に小粒。右手に大粒。準備は整っていた。

 

「これが私の強さの秘訣。栄養満点松永納豆。これ食べたら剣華ちゃんもきっと強くなれるよ。小粒と大粒どっちがお好み?」

 

「……小」

 

「はい小粒」

 

掌に置かれた納豆を見て溜息を吐く。期待させるだけ期待させてこれである。

本当にこれを食べるだけで強くなれるなら、とっくに世界最強になっているだろう。

今まで何度かこんなことがあった気がした。ひょっとして自分はちょろいのかと少し思わなくもない。

燕は剣華のじとっとした睨みなど素知らぬ顔で受け流し、鼻唄なんかを唄い始める。

 

「ねばねば~」

 

聞き覚えのあるリズムだった。どうも持ち歌らしい。

いつだか昼休みのラジオにゲストで呼ばれた時に流していたのを思い出す。清々しいほどの宣伝っぷりだった。

 

ルーが燕にスポーツドリンクを手渡し、一気に半分ほど飲みこんだ。

一息ついた後、ペットボトルを振り中の液体が揺れるのを見つめている。

 

「ね、剣華ちゃん」

 

「なに?」

 

「工藤君ってさ、多分強いよね」

 

「まあ……」

 

言葉にするのも癪で、肯定するのはもはや怒りすら覚えることだったが、認めざるを得ない事実だった。

 

「モモちゃんとどっちが強いかな」

 

「……わからない」

 

「そっか」

 

再びペットボトルを傾ける。

「ま、どっちの方が強くても」そんな呟きが聞こえ、剣華は燕をじっと見た。

 

「剣華ちゃんは若獅子戦出るの?」

 

「出る」

 

脈絡のない問いに即答した。

もはや剣華の腹は決まっていた。

工藤がその先で待っていると言うならば出ないわけにはいかない。

 

「ふーん。ちなみに私は出ないよ」

 

「そう」

 

興味なく頷く。

誰が出場しようとしまいと、剣華にとってさほど重要なことではなかった。

 

「出ないけど、だからと言って諦めたわけでもないんだよねえ」

 

「……?」

 

ニヤッと厭らしい笑顔を浮かべる燕に、剣華はタジタジと距離を置こうとする。

それを許さず、ぐいっと顔を近づける燕は子供のように目を輝かせていた。

 

「ねえ剣華ちゃん。私に協力させてくれないかな?」

 

「なにを」

 

「工藤君を倒したいんだよね?」

 

つばを飲み込んだ。

その通りだ。しかしそのことを燕に話したことはない。若獅子戦に出る理由がそこにあるなど一切喋ってはいない。そもそも、この女は若獅子戦のことをどこで知ったのだろう。

 

湧き上がる疑問や恐れを胸の奥を押し隠し、お前には関係の無い話だと気丈な態度で拒絶する。しかし燕は全く意に介さない。

 

「今のままだと、工藤君には勝てない」

 

「……」

 

「大会まであと二か月ちょっと。それまでに工藤君より強くならないといけない」

 

単純な事実の羅列は、剣華の胸中の不安をこれでもかと抉ってくる。

このままでは工藤に勝てない。そんなことは分かっている。だから、何とかしなければならない。

しかし、何とかと言っても一体どうすればいい? どうすれば勝てる? 何年も出来なかったことをたった二か月で。

 

「あ、ごめんね。別に剣華ちゃんの事情に深入りするつもりはないの。ただ、私も工藤君を倒したいだけ」

 

だからそんなに怖い顔しないでと優しく笑いかける顔の裏に、悪どい企みがあることに剣華は気が付いた。

しかし、燕の言葉に小さな魅力を覚えたのも確かだった。

半分逃げの姿勢ながらも気が付けば耳を傾け、話を聞く体勢になっていた。

 

「弟子入りなんて大げさな物じゃなくて――――私もまだまだ未熟だし――――本当にただの協力関係。工藤君の情報を私が分析して、弱点を探る。私そう言うの大得意だから、新しい発見があると思うよ。それに武術に関しても、何か力になれることがあるかもしれない。どっちにせよ腕に覚えのある人と競い合うのが一番上達が早いしね」

 

こと戦いにおいて、剣華は本能のままに叩くタイプであり、頭を使うことは少ない。

今まで、工藤に挑むのに策を練ったことはある。しかし成功した試しがない。それは剣華の考える策が稚拙だったのが一番の理由だろう。

その上で、剣華と正反対に知恵でもって戦う燕の協力が得られれば、これはもう鬼に金棒ではないか。

 

「どうかな? 私たち気が合うんじゃないかな?」

 

「……かもしれない」

 

気、というよりは利害の一致だが、少なくとも二人は協力関係を結ぶ理由はあった。

それによって得られる利益は二人にとって喉から手が出るほど欲しいものである。

剣華は工藤に勝つため。

燕は野望の障害を取り除くため。

二人は手を結んだ。

 

そんな二人の様子を、少し離れた所からルーと鉄心が見ていた。

 

「総代……何やら松永燕が企んでいるようですガ……」

 

「うむ。面白そうな話をしとるのう」

 

「……止めなくていいんですカ?」

 

「別にいけないことしとるわけでもなし。必要ないじゃろ」

 

「そうでしょうカ……」

 

ルーは納得できないと言う表情をしている。確かに、あの二人は何も悪いことなどしていない。

しかし今後のことを考えれば、今の内に一言注意しておきたいと考えている顔だ。万が一にでも二人が道を踏み外しはしないかと心配なのだろう。元々、ルーは剣華のことを人一倍警戒しながらも心配していた。

 

「もしや釈迦堂のようナ……」

 

釈迦堂刑部。かつて川神院師範代でありながら、ルーと考えを異にし最後には破門された男。自分など遥かに越える才能を持ちながらなぜああなってしまったのか。口惜しさに苦い思いが去来する。

鉄心は、ルーのそんな優しさとお節介さを内心で好ましく思いながら首を振った。

 

「ルーや。何も腕っぷしだけが力ではなかろう。頭を使うことも力の内じゃ。武に頼るでなく、智によって目的を達することが出来るなら、それもまた立派な強さというものじゃて」

 

「それは分かりますガ」

 

「何が正しく何が間違っているかなど、押し付けるのは決まり事だけで十分じゃ」

 

何も心配などしていないと、鉄心は柔和な表情を崩さない。

 

「若者を心配する気持ちはわかる。儂らみんな来た道じゃ。守りたくなるじゃろう。しかし、過保護過ぎても人は育たん。お節介は人をダメにする。厳しすぎるぐらいが丁度いいんじゃ。今はただ見守っていようぞ」

 

不承不承ながらも、ルーは頷いて二人を見やった。

未だにコソコソと何か話し込んでいる二人を見て、一抹の不安を覚える。

しかし総代がこういうなら、今しばらく見守っていようと心の不安に蓋をして、二人の元へ歩み寄って行った。

 

 


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