西方十勇士+α   作:紺南

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二十五話

結局、放課後になるまで大友から連絡はなかった。

こちらから幾度となくメールを打ち、電話をしたのにもかかわらずである。

この分では工藤に話を聞くことは出来そうにない。

もはや大和に選択肢は残されていなかった。

 

帰り際のショートホームルームが終わり、各々が堅苦しい勉強からの解放を喜んでいる中、大和は一人、梁山泊の動向をうかがっていた。

 

大和のクラスに居る三人の梁山泊。

最近すっかり感覚が麻痺してしまっているが、見れば見るほどレベルの高さを実感する。

 

岳人が鼻を伸ばし、モロが見惚れ、ヨンパチがシャッターを連打するぐらいだ。

この一年ですっかり見慣れてしまった光景でもある。

 

三人の中で一番話かけやすそうなのは、見たところ林冲か史進だ。

史進の方が武士娘たちに気安い返答をしている分、輪をかけて話しかけやすいかもしれない。

林冲は素っ気ないところはあるが、話しければ返事をしてくれるし、案外ノリも良い。

どことなく壁を感じるのは、単純にこういうコミュニティに慣れてないだけなのだろう。

 

話を聞くなら早い方がいい。

梁山泊がどこに住んでいるのか分からない。一度見失ってしまえば、今日中に話を聞くのが難しくなる。

しかし工藤の言葉が脳裏をよぎって、大和は中々腰を浮かせることができないでいた。

 

『林冲……一番は楊志かな』

 

楊志。よりにもよって。

そんな気持ち。

 

大和が知っている梁山泊の中でも一番声をかけにくいのが彼女だ。

その性格は一目見ただけでは神秘的とか不思議系に分類されて、何をしていても表情はほとんど変わらず、話し方は淡々としている。

 

正直とっつきにくい。

実際、彼女に果敢にアタックした男子がいたが、ほとんど相手にしてもらえず返り討ちにあっていた。

 

話しかけるだけで結構勇気がいる。

そんな彼女に彼女ら自身の目的を聞くのは躊躇された。

けれど、もし工藤を信じるなら林冲ではいけない理由があるはずで、他の名前すら出なかった三人はそもそも論外であるという可能性もある。

 

行くべきか行かざるべきか。

いや、行かねばならないのだが誰に行くべきか。

 

こうしている間にも刻一刻と時間は過ぎていく。

話しかけるなら今この瞬間を置いて他にない。

大和は覚悟を決めて立ち上がった。

 

いま、梁山泊の三人は剣華の席に集まっている。

漏れ聞える声によると、他の二人と合流しようとしているらしい。

 

「校門で?」

 

「公孫勝は私たちが行かないと……」

 

「あいつほんっと動かないからな。武松に連れて来させれば?」

 

そんな話。

聞きながら、大和はゆっくりと四人に近づく。

ドキドキと心臓の音が耳にうるさい。

落ち着け落ち着けと自分を叱咤した。

 

大和が緊張を和らげるために人知れず深呼吸をしていると、何を察知したのかは定かではないが、剣華が大和を振り向いた。

 

振り向いた剣華は内心思う。「おや? なんか来てる」

 

剣華自身、大和が深刻な顔で近づいてくるから見ただけなのだが、考え事や心配事など不安渦巻く大和にとってはそうとは受け取れなかった。

自然と大和は足を止める。じっと二人は見つめあった。

 

タラッと大和の頬を汗が伝る。

 

その全てを見透かすような瞳に射竦められる。

自分の胸の内を知っているような眼に、大和は本当に身を貫かれているような、空恐ろしい気持ちになった。

剣華は「何してるんだろ?」とじぃっと大和を見つめた。はっきり逆効果だった。

 

そんな二人の様子に史進が気付いた。

呆れたように苦笑する。

その苦笑に釣られて「ん?」と林冲が横を見た。

 

傍らで、楊志がふと思い出したように「そう言えば……」と呟く。

 

「今日は用事があるから、再会イベントは私ぬきでやってね」

 

「用事?」

 

何の前触れもなく突然言った楊志に、林冲が疑問を呈する。

 

「用事とは?」

 

「そりゃあ、もちろん。あれだよぉ」

 

「どれ?」

 

ふひひと下品に笑う。

 

「わたしの趣味、忘れたとは言わせないよぉ、林冲?」

 

「ま、まさか……?」

 

「……そう。あれってそれさあ! パンツのことだよ!!」

 

その趣味を誇りこそすれ隠すことなどない。

間違った誇りを掲げて胸を張る楊志。

全てを察した林冲は顔を青くして制止した。

青面獣顔負けの真っ青具合だった。

 

「ま、まてやめろ! 円滑な任務遂行のためにも校内で問題を起こすのは……!!」

 

「大丈夫。安心して。今日は下見だけだから」

 

「ちっとも安心できない!?」

 

林冲が必死に食い止めようとしても、ヒエラルキーの低さから楊志の暴走を止めることができない。

言葉を尽くせば尽くすほど、「じゃあ林冲のパンツくれるの?」と可笑しな方向に話はシフトする。

もうどうやっても林冲は勝てないのだ。そういう関係が出来上がっている。

 

「ううぅ……。パンツあげれば止めてくれるの?」

 

「考えとく」

 

眼に涙を浮かべて、林冲はキョロキョロと当たりを見回した。

すぐ近くに大和が立っていた。

 

「うっ……」と呻いた林冲。

剣華が大和の目を塞ぎ「急いで」と急かす。

 

「助かる……」

 

「え、な、なにっ?」

 

大和は剣華の掌の温度を感じながら声を上げた。

何も答えてくれない剣華。暗闇の向こうで、僅かに聞こえた衣擦れの音。

「まさか……!?」大和の胸の鼓動が別の意味で高鳴る。

これを落ち着けるなんてとんでもない。

逸る気持ちだけを我慢する。

 

爆発の時を今か今かと待ち詫びていた。

 

「ご開帳」

 

解放されて最初に目に飛び込んだのは、剣華のいつも通りの表情だ。

視線を横についっと逸らすと、頬を染めた林冲が黒い下着を手に持っていた。

横目に大和を気にして、恥じらう姿は可憐の一言では収まらない。

 

――――うおおおおおおぉぉぉぉ!!!!

 

その雄たけびを抑えるのに苦労した。

寸でのところで何とか我慢できた。

 

「うひょおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」

 

代わりに楊志が叫んだ。

彼女は我慢など知らない。

歓喜の声は、もちろん廊下まで届くほど大きい。

 

林冲が人差し指を立てて静かにとジャスチャーした。

思う存分叫び満足した楊志が我に返って

 

「まあ今日は林冲のパンツはいらないや。それよりも下見だね、下見」

 

「ええぇ!? せっかく脱いだのにっ!?」

 

教室にほとんど人が残っていないからと大胆なことをするものだ。

大和は林冲の黒い下着を目に焼き付ける。

 

「じゃあ、脱いだんなら一応貰っておこう」

 

目にも止まらぬ速さで林冲の手からパンツを強奪する。

楊志は顔をパンツに押し付け思いっきり匂いを嗅いだ。深呼吸だ。

 

林冲は恥部の匂いを嗅がれる恥ずかしさのあまり顔を覆った。

 

「すーっ、はーっ……。いいよ林冲。これだよ。これが林冲の匂いだ」

 

「……もう、殺してくれ」

 

パンツに顔を埋めて深呼吸を繰り返す楊志。

全てを諦めた林冲が傭兵にあるまじき言葉をつぶやく。

 

堪能した楊志は澄んだ瞳をしていた。

本来足が出る場所から覗く瞳に満足の二文字が浮かんでいる。

 

「ふう……。じゃあ私は行くねえ。――――止めてくれるな」

 

パンツを頭から被った変態スタイルで楊志は教室から出て行こうとする。

その前に立ち塞がる史進。

 

「止めねえけど、それだけは止めろ」

 

指さすのは頭にかぶっているパンツだ。

こんな姿を見られれば、梁山泊についてあらぬ噂が立ってしまう。

変態だとかなんだとか。

いや、まあ事実なのだが。

 

「はいはい」

 

物わかりよく楊志はパンツを脱ぎ、大事そうに畳んでポケットにしまった。

「ううぅ……」と無念そうに林冲がパンツの行方を見ていた。

 

「じゃあ私は行くよ」

 

スキップを踏みながら楊志は教室を出て行った。

あとに残された面々は疲労の溜息を吐く。

 

「行ってしまった……」嘆く林冲を背にして、剣華が大和の袖を掴んだ。

 

「何か用?」

 

あっ……。

 

「ごめん、橘さんじゃなくて……」

 

「え?」

 

「急ぐからっ!」

 

ようやく当初の目的を思い出した大和は慌てて楊志の後を追う。

剣華は訳が分からず目を白黒させている。

林冲と史進が走り去る大和の背中を見つめていた。

直前までのふざけた空気は雲散している。

傭兵らしい冷酷無比な表情で、二人は大和を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教室を出た直後、楊志の背中はどこにもなかった。

早くも見失ってしまった。嘆く暇はない。

まだ遠くには行っていないはずだ。

下見すると言っていた。何の下見かもはや言われなくても分かっている。

 

――――運動部だ!

 

ならば部室や女子更衣室へ行くのが正解だろうと、それらが立ち並ぶ方向へ駆けだした。

 

走って廊下を進むうちに生徒の姿は疎らになっていく。

進んでも進んでも、一向に楊志の姿は見えてこない。

 

……間違ったか?

 

その疑念に捕らわれかけ、曲がり角を曲がった時、窓からグラウンドを眺める楊志を見つけた。

 

「はあっ、はあ……」

 

呼吸を整えながら楊志に近づく。

最初に何と言おうとしていたのか、もう忘れてしまった。

じっと黄昏る様に彼方を見つめる楊志。

腐っても美少女だ。様になっていた。

 

何か言わないといけないという気持ちとずっと彼女を見ていたいという気持ち。

相反する気持ちが大和の胸中を満たした。

 

唾を飲み込んで楊志の傍らに立ったとき、いち早く口を開いたのは楊志の方だった。

 

「ここは可愛い子が多いねぇ」

 

遠くグラウンドで運動する陸上部やサッカー部、野球部。

大和の目では性別を判断するので精いっぱいだったが、楊志の目にはくっきりと顔立ちまで映っているらしい。

 

その一人一人値踏みするように目は絶えず動いている。

やがて満足した楊志が大和を見た。

グラウンドを見ていたのと同じ、値踏みするような眼だ。

 

「それで、何の用かな?」

 

「……話があるんだ」

 

大和の中で、自分は推し量られているのだと言う確信にも似た気持ちが沸き起こる。

工藤に聞いたからだけではない、この目を見ると自然とそう思ってしまう。

人を探る様な目。何か裏がある。そう思わせる目だ。

 

「君たちは俺に興味があるって言ってただろ?」

 

「ああ、言ったねえ。林冲が」

 

その言い方はまるで、私は興味ないよと言っているようだ。

 

「昼休みに武松と公孫勝も来たんだ。公孫勝が言ってた。『うちら、直江大和に興味あるから』って」

 

楊志の眉が微かに動いた気がする。

あくまで気がするだけで、本当に動いたかは分からない。

 

京と言う無表情の権化と長年接した経験をもってしても、楊志の感情の変化を読み取ることができない。

腹の探り合いは得策ではない。直球で勝負するしかない。

 

「興味って具体的にどんな興味?」

 

「……」

 

楊志の探るような目に厳しさが増した。

 

「それが用事?」

 

「いや、まあどうかな」

 

曖昧に返事をする。

工藤と言う単語は出来る限り出したくなかった。

直前に口止めされていたというのもあるが、何故だか嫌な予感がする。

名を出すなら場所を選べと言う忠告が胸に深く突き刺さっていた。

 

「……私たち全員、直江大和に気があるって言ったら信じる?」

 

「信じない」

 

「だよね」

 

楊志は嘆息した。

 

「知らない方がいいこともある。知るにしても知るべき時って言うのがある。今はそれで満足するべきだね」

 

「……」

 

遠まわしでも何でもなく、明快にはぐらかされた。

これが直球に対する返礼だとしたなら正直好感が持てるが、今はそれどころではない。

 

――――だからもうそれ知っちゃったかもしれないんだよ。

 

内心の叫びは強く握られた拳に現れていた。

この年頃には珍しく、その堪えがたい衝動を言葉にしないだけの自制を大和は持っていた。

周囲の関係を円滑に進め、自分の利益を得るための努力は、こんなところで役に立っている。

 

しかし衝動を耐えるにも限界は近い。

直前に工藤に振り回された分、堪忍袋の緒も短くなっている。

 

「一応言っておくと、興味があるって言うのは嘘じゃない。それだけは本当だよ」

 

聞きたいのはそれじゃない。

そんなことは知りたくもない。

本当に知りたいことがあるのに、楊志は話してくれそうにない。

 

何かを言おうとして押し黙った。

頭の中で工藤の言葉が繰り返される。

『場所を選べ』その言葉の真意を、未だ測りかねていた。

 

黙りこくって考える大和を楊志はじっと見つめている。

 

「話、終わりかな?」

 

「……」

 

また、この目だ。

 

人を測る目。

ずっとこの目で大和を見ている。

あるいは挑発してるのかもしれない。

そうと思うと、彼女の態度にもある程度納得できた。

そんな意図は欠片もなく素である可能性も否定しきれないが。

 

どちらにせよ、今の大和にはあまり重要ではなかった。

堪忍袋の緒はとっくに弾け飛んでいる。

 

――――ああ、いいぜ。やってやるよ。

 

売られた喧嘩は買ってやる。

だてに武神に鍛えられてない。

やられっぱなしで舐められるなんて、武神の舎弟が聞いてあきれる。

 

その意気込みが大和の顔に現れた。

それを見た楊志は少し表情を変え、面白そうに目を細めた。

 

お手並み拝見。

その内心が大和にも手にとる様に伝わった。

 

ただ、まあ……。

楊志の度肝を抜いてやると意気込んだはいいが、大したことはできない。

 

いかに頭脳派の大和と言えど、こうも情報が少なければ出来ることはたかが知れている。

ただ一つ出来ることも、他人の褌で相撲を取っているようで良い気がしない。

ふがいないと思う。

 

だけれど、今はこれしか出来ない。

力不足を嘆くのは後にしよう。それよりも……。

 

大和は気持ちを整えた。

何を言うのか、とっくに決まっている。

そのただ一言を大和は言った。

 

「おれ、盧俊義にはならないから」

 

瞬間、時間が停止したような気がした。

 

何を言ったのか理解できず、ポカンとする楊志。

初めて鉄面皮が剥がれた。

それが見られただけで、大和は胸がすく思いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――唯一の懸念は、禁止ワードをこんなところで言ってしまったことだ。

場所を選べと言われていたのに。

 

……まあ何とかなるよな。

そもそも場所を選べと言っていたのは名前の方だし。

ここひと気ないから大丈夫だろ。

 

分かっているくせに、そんな言い訳染みたことを思い、そっと窓の外を見る。

先ほどまで晴れ広がっていた青い空の向こうに薄く曇天が広がっていた。

 

……雨が降りそうだ。


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