西方十勇士+α   作:紺南

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二十三話

橘剣華が元梁山泊の一員で、その名を『大刀』関勝と言う。

そのことをルーは昼食を取りに訪れた学食で生徒たちに聞いた。

聞いた瞬間には卵焼き定食をテーブルの上に放り出し、学園長室に駆け込んでいた。

「総代!!」と今しがた聞いたことを鉄心に伝える。

 

無言で聞いていた鉄心はエロ本を引き出しにしまいながら言った。

 

「なんじゃ。血相変えて駆け込んで来たと思ったらそんなことか。そんなんとうの昔に知っとるわい」

 

「はイぃ!?」

 

全く何も知らなかったルーは声を裏返して叫んでしまう。

よもやそんな大事なことを何も知らされていないとは。

鉄心を問い質す口調には聊か異常に熱がこもってしまった。

 

「わたし聞いてませんヨ、総代!」

 

「昔のことじゃし言う必要なくね?」

 

「少なくとも今、学園中でその話題が持ち切りですヨ!!」

 

「おお、若者は噂が好きじゃからのう。儂が若い頃もそうじゃった。そう、あれは血生臭い戦場ですら――――」

 

「総代の話は長いので結構でス!」

 

「せっかちじゃのう。折角人が人生の何たるかを言って聞かせようとしたのに」

 

「今はそれよりも大事な話をしてるんでス!」

 

そんな調子でようやくルーの語気が落ち着いたころ、鉄心は昔の事を思い出しつつツラツラ話し始める。

 

「一年ぐらい前じゃ。突然"あの子"に連れられて剣華ちゃんが儂の所へやってきた。聞けば相談があると言う。まあそれが戸籍の相談だったんじゃが」

 

「戸籍……ですカ?」

 

「うむ。剣華ちゃんは中国で生まれ育った。中国の梁山泊で。物心つく前から闇稼業に身をやつしていたあの子は戸籍も国籍も持っておらんかったのじゃ。可哀そうな話じゃろ? 丁度その頃闇を抜けた剣華ちゃんは学校に行きたがってのう。しかし戸籍の無い人間が学校に通うのは難しかろうと言う事で、儂はちょっと……ちちんぷいぷいしてあの子に戸籍を――――」

 

「総代……まさか……」

 

「と言うのはさすがに冗談じゃ」

 

してやったりと呑気に茶を啜る鉄心を、ルーは今まさに犯罪を目の当たりにしたと言う目で見た。

 

「本当ですカ?」と物問いた気な瞳が鉄心を貫く。

 

「前途洋々の若者に道を踏み外すような真似させるわけないじゃろ」と鉄心は真顔でのたまう。

 

普段からの信用の無さは、いくら真剣な雰囲気を取り繕ったところで早々取り戻せるはずもなかった。

 

「戸籍が無くとも学校には通えるからのう。私立ならなおさらじゃ。だから儂はあの子に川神学園への入学を勧めた。無論、ある程度の学力がある前提じゃが」

 

「なるほど……。だから総代は色々ご存知だったんですネ。しかし、結局は天神館に入学したんでしょウ?」

 

「そうじゃ。儂としてはウェルカムだったのじゃがの。最後は鍋島にとられてしもうた」

 

至極残念そうに鉄心は呟いた。

もし剣華が川神学園に入学すれば工藤が引っ付いてくるかもしれなかった。

それを考えると鍋島も必死だったのだろう。

 

「しかし以前に断っておきながらどうして今になっテ……」

 

「それはあの子とその友人たちの問題じゃ。儂らは見守るしかなかろう」

 

何やら他にも色々知っているらしき鉄心はただそれだけを言って、懐から新しいグラビアを取り出し読み始めた。

 

昼休みとは言え学び舎で煩悩に塗れる学園長。

その教育者らしからぬ様を見てルーは溜息を吐く。

 

クローンに始まり九鬼の暴力執事や松永燕、果ては梁山泊とあまりに立て続いたイベントにルーの疲労も相当蓄積していた。

しかしだからこそ教育者たる自分がしっかりせねばと一念発起する様子を鉄心は雑誌の影からこっそり覗いている。

 

(まだまだ若いのう)

 

齢百を超える生き字引は、齢四十を迎えるルーをそう評した。

人生適当でいいのよ、と長い月日を生きたがゆえの達観は、生粋の生真面目堅物が身に着けるにはまだもう少しかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

2-Sに武松。1-Sに公孫勝。

2-Fに林冲、史進、楊志。

 

計5人の梁山泊が川神学園に編入した。

 

そのことを、剣華は林冲の口から今聞いたばかりだ。

二人は他に史進と楊志を引き連れて、屋上のベンチで昼食を共にしていた。

 

「その弁当お前が作ったのか?」

 

「うん」

 

史進が剣華の弁当箱を覗き込みながら怪訝そうに問う。

青い弁当箱にぎっしりと冷凍食品などが詰めこまれているその弁当は、とてもじゃないが剣華の昔を知る史進には想像できない物だった。

 

「へえ。わっちはてっきり、誰かに作らせてるのかと思ったぜ」

 

その言いように、剣華はむっと気を悪くした。

失礼な。これは私が作ってるんだ。

そんな感じに抗弁した。

 

「へいへい。ああー、しっかしあの関勝が料理ねえ? 似合わねえなあ。すっかり剣鈍ってるんじゃないのかあ?」

 

「……さあ」

 

分かりやすい挑発だった。

それに乗るのもやぶさかではなかったが、今は腹ごしらえの方が大事だと剣華は弁当をかっ込む。

 

目論見が崩れ「ちぇっ」と舌打ちした史進の横で興味深げに弁当を見る楊志。

 

「これはこれは味気ない弁当だねえ。こっちは林冲の作ったキャラ弁ってやつだよぉ。よかったら関勝もどう?」

 

楊志の目には悪戯心が浮かんでいた。

その眼を見て言わんとするところを悟った剣華。

 

「いただきます」

 

「あっ!」

 

すかさず林冲の弁当からウインナーを一つかすめ取る。

取ったのは赤いタコさんウインナーである。

 

「ウインナー……」としょんぼりする林冲を、楊志はにんまりと見て、剣華はウインナーの美味さに舌鼓を打っていた。

 

そんな四人の様子を扉の向こうから盗み見する二人。

2-Fの甘粕真与と小笠原千花である。

 

他にも様子を見たがっていたクラスメイトも居たのだが、今はクラスで大和のモテイベント発生のためそっちに注意を割かれていた。

 

「橘さん、大丈夫そうですね」

 

「うん。なんか拍子抜けって感じだけどね」

 

最初の自己紹介時、剣呑な雰囲気で半ば剣華を睨んでいた林冲は今はおかずをとられて涙目になっている。

すわ喧嘩勃発かと警戒していた分、その親し気な態度には気が抜けてしまった。

 

「でも、ホントなんですね。橘さんが梁山泊って言う場所で傭兵をしていたと言うのは」

 

「…………」

 

平和な世界に生きていると、どうしても想像しづらいことだが、剣華は確かに人を殺したことがあるし、殺人を稼業とする者たちがこの世界にはたくさんいる。

 

彼女と自分たちの違いと言えば、それこそ生まれ育った環境以外にないが、それでも同年代の、一見何の変哲もない女の子が人を殺したことがあると言う現実はそうそう受け止めることは出来ない。

 

真与と千花は何を言っていいか分からず、互いの顔を見て沈黙した。

人殺しは悪いことだと教えられて、しかし剣華を悪人だとは思えなかった。

心の中で生じる矛盾を、二人は飲み込むことができずに、ただ耳を澄ますことしかできない。

 

そんな彼女たちの思いは露しらず、扉の向こうで弁当箱を片付けた林冲は真剣な表情で切り出した。

 

「関勝。さっきも言ったが、梁山泊に戻ってこないか。みんなお前のことを待ってる」

 

直ぐには答えず、剣華は史進を見て楊志を見た。

二人とも仕方ないなあと言わんばかりに微笑を浮かべている。

その笑みが自分ではなく林冲に向けられていることに、いくら鈍い剣華でも気づいていた。

 

「林冲。私の今の名前は――――」

 

「知っている。しかし、私にとってお前は関勝だ。あの日からずっと関勝以外の何物でもない。だってお前は仲間だから」

 

剣華は空を見上げた。

この数年で、何か困ったことがあるときに空を見上げる癖が彼女にはついていた。

それは事あるごとに空を見上げていた誰かの影響だったかもしれない。

 

剣華は林冲たちを正面から見据えた。

 

「正直に答えて。頭領は私のことを何と言っているの?」

 

「そりゃあ当然怒ってるよ。人の話聞かずに消えたんだもの。誰だって怒るよね」

 

「でもまあ、今ならわっちらが庇ってやってもいいぜ。貸しだけどな」

 

「……そう」

 

剣華は眼を閉じ瞑目した。

帰るなら今だと三人は決断を迫っていた。

 

「関勝……」

 

林冲の懇願するような声が聞こえる。

その声に酷く胸が痛んだ。ふとすれば帰りたいと思っている自分がいることに気づく。

天神館でも川神学園でも癒えることの無かった寂しさは、元を辿れば梁山泊への郷愁だった。

 

「私は――――」

 

今頷けばもうこんな思いをせずに済む。

しかしそれでは何も解決しない。

どうして梁山泊を出たのか、出なければ行けなかったのか。

気のコントロールもままならない私に、梁山泊で居場所などない。

頷いてしまえば、結局また同じことを繰り返すだけだ。

 

「――――林冲、史進、楊志、ありがとう。……ごめんなさい」

 

剣華は首を横に振った。

まだ自分にはやることがある。そう言った。

 

史進と楊志は、分かっていたとばかりに溜息を吐いた。

次いでしょうがないなとばかりに笑う。

ただ、林冲だけが傷ついたような、ショックを受けたような顔で剣華にすがりついた。

 

「どうして? なんで?」

 

その瞼には涙が溜まっている。

今にも泣き出しそうな顔。

これを見る度に、剣華は昔を懐かしく思い、同時に申し訳なくも思う。

 

しかし、剣華の言う言葉は決まっていた。

 

「ごめんなさい」

 

「……ッ!!」

 

二度続けられて、いよいよ林冲の頬を一筋涙が伝った。

剣華はほとんど反射で、零れた涙を指で拭った。

 

「林冲」

 

正面から見つめあう。

林冲の瞳からは止めどなく涙が零れている。

 

「私にはやることがある」

 

「……」

 

林冲は何も言わずに聞いていた。

剣華はその先の言葉を口にするのに一瞬躊躇した。

叶うはずのない夢だと心のどこかで諦めていた。ぬるま湯が心地よくて、今の関係に胡坐をかいていたのを認めよう。

しかし、未だにこんな自分を仲間だと言ってくれた彼女たちに言わないことなど出来るはずがなかった。

 

「私はあいつに勝ちたい」

 

それが誰なのか、林冲たちには言わずとも知れた。

剣華が負けた相手など数える程しかいないし、何よりもこれほどの激情はただ一人にしか露わにしていない。

 

林冲は目を見開き、史進は口笛を吹いた。

ただ楊志だけが無言で剣華を見つめていた。

 

「実力差は分かってる。今まで、そもそも相手にもされてない。でも、だからって諦めることは出来ない」

 

もはや剣華は林冲を見ていなかった。

その眼は林冲を飛び越え、ここにはいない誰かを空目していた。

 

「殺すつもりで勝ちに行く。そうじゃないと私は先には進めない。それだけのために私はここにいる」

 

かつて剣華は何も言わずにいなくなった。

言えるはずなどなかった。どれだけ無謀な言葉かは自分が良く分かっている。

 

それを今ようやく言えた。

少し遅かったかもしれないけど、それでもようやく言葉に出来た。

 

覚悟はとっくに出来ていた。

今はそのための武器を磨いている。

 

「勝つ。絶対に」

 

既に数えきれないほど地べたに這いつくばり、十分すぎるほど苦汁をなめた。

負ける度に空を仰ぎ見てきた。

 

いつかは、いつかはと何度思っただろうか。

繰り返すたび、決意は薄っぺらくなっていた。

負ける度に、思いも言葉も少しずつ削り取られていた。

いつの間にか惰性で挑んでいた。

 

もう時間がないのかもしれない。

だからこそ、林冲たちはここにいるのだ。

私がここにいるのと同じように。

 

猶予が定められた。

いい加減結果を出せとそう言われている気がする。

 

勝たなきゃいけない。絶対に何が何でも。

 

「勝たなきゃ……。じゃないと、私は強くなれない……」

 

――――何も守れない。

 

呟いた言葉は虚空に消えた。

林冲たちは何も言わなかった。

 

予鈴の鐘の音が聞こえる。

青い空に、チャイムの音が静かに響く。

 

四人の間を冷えた空気が通り過ぎて行った。


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