剣華が向かった先は屋上だった。
川神学園の屋上は、一般の学校とは違い立ち入りを制限されていない。
そのため教師生徒の区別なくだれでも自由に出入りすることが出来た。
昼ご飯を屋上のベンチでとったり、黄昏たくなった時には夕陽を見ながらおかしなことを口走ったり。
大和自身も天気のいい日なんかは貯水タンクの上で昼寝に洒落込むこともある。
それぐらいフリーな屋上だった。
剣華が開いた扉の先は夕日に照らされていい感じの雰囲気の屋上。
与一がいたら魑魅魍魎がどうの言うだろう景色の中、工藤はいた。
彼はベンチに腰掛けて、黒髪ロングの生徒と何やら会話している様子だった。
「あの人相変わらず試練試練とやかましいの?」
「やかましくしているつもりはないけれど、理解され難いのは確かね。でもそれもみんな人のためにやってることなの。お父様は人が大好きだから」
「一言目に試練で二言目には君のため。胡散臭い宗教家みたいだなあ」
工藤の言い草に少女はにっこりと微笑む。
尊敬する父を悪し様に言われたので、表情と裏腹に結構怒っている。
ああいうのが一番怖いんだと百代は「おおぉ……」と怯む。
その情けない声で少女は三人に気づいた。
「あら、百代?」
「やあ、アキちゃん」
彼女の名前は最上旭。3-S所属で評議会議長と言う肩書を持っている。
百代と旭は学年が同じなので付き合いがあった。
入学して早々美人センサーと言う名の直感に従って百代がナンパしたのだ。
今ではいい友人である。
「それに直江大和と……ああ、噂の橘剣華ね」
「こんにちは最上先輩」
評議会議長ともあろう者と大和が知り合いでないはずがない。
大和は礼儀正しく挨拶し、剣華は軽く頭を下げた。
先ほどと違う意味でにっこりほほ笑む旭。
その視線は剣華に向けられている。
「朝の騒動は見ていたわ。学園長から話も聞いた。随分難儀な体質の様ね」
「…………まあ」
剣華は横目に細目で視線を合わせようとしない。
朝のことをぶり返されて体面が悪いのと、何となく最上旭と言う人間は剣華にとって苦手なタイプの様な気がした。
それをどう勘違いしたのか、旭は続ける。
「ふふっ。安心していいわ。あなたのことを処罰しようとは思ってないから」
「……え、処罰できるの?」
「ええ。評議会は強い権力を持ってるのよ。その議長ともなれば、生徒一人の問題行動を罰することはわけないわ」
「知らなかったの?」と小首をかしげる旭。
剣華の顔色がサーと青くなり、工藤をえらい勢いで睨みつけた。
工藤は「俺も今知った」と弁明。そんなの関係あるかと剣華の怒りは治まらない。
宥めるように旭が言った。
「大丈夫よ。あなたに罰を与えたりしないわ。だって、与えるとしたら実行犯より主犯でしょう?」
意味ありげな流し目は、「あ、鳥だー」と空を仰ぐ工藤に向けられる。
何となく状況を悟った剣華は胸をなでおろす。
頑張れと言う意味を込めて工藤の肩を二度叩いた。
「あの……最上先輩」
「何かしら?」
「工藤先輩と知り合いだったんですか?」
会話が一段落したとこで、大和が知りたかったことを尋ねる。
もし工藤と旭が知り合いだったら、工藤の交遊関係は予想以上に広いことになる。
仲良くしておいて損はないと思ったのだ。
そんな大和の打算は露ほども知らず、旭は「いいえ」と素直に答えた。
「彼と会うのは今日が初めてよ。父が彼の事を知っていて、よく話を聞くものだから挨拶しておこうと思ったの」
「そうなんですか」
大和の期待値が理不尽に少し下がった。
百代が思い出したように言う。
「アキちゃんのお父さんって九鬼で働いてるんだっけ?」
「ええ。自慢の父よ」
大和の期待値が勝手に上がる。
「工藤先輩、九鬼の人と関わりあるんですか?」
「んー。あー、あるよ」
話す間も、頑なに空を見続ける工藤。
まるでそうしていれば嫌なことが勝手に去ってくれると言わんばかりだ。
「金髪の不良老人とかね」
続く言葉に、剣華以外のその場の人間には1-S所属のあの方が思い出された。
蹴り技で大人げなく攻撃してくるあのお方である。
あれと……。
何となく、不憫に思ってしまう。
そんな中空気の読めない子が工藤の袖を引っ張った。
「あの人は?」
「どれ?」
「おでこにバッテンある人」
「……え、どれのこと――――あー……。九鬼帝か……」
その言葉で大和の期待値は限界突破した。
工藤のことを仲良くして恩を売るべき人材と認識した。
「でもあの人と知り合いでも全然嬉しくないんだよ。この前とか深海まで――――」
「工藤先輩、連絡先交換できますか?」
「いいよ」
話を遮ってのお願いだったが、簡単に応じてくれた。
大和の電話帳に一人追加される。
「なんかあったら電話していいよ。困った事とか」
「手におえないことがあったら連絡します」
「はいよー」そう気の抜けた返事の工藤は、「さて」と前置く。
ベンチの上で身体の向きを変え、百代に向き直った。
面倒くさそうに言う。
「話は昼に終わったはずだ。去れ」
「まあそう固いこと言うなよー」
何故か剣華に背後から抱き着く百代。
脅す様に低語する。
「この可愛い子ちゃんがどうなってもいいのか?」
「好きにしろ」
「やったー!」
本領発揮。
百代は剣華にちょっかいを掛けはじめた。
受ける剣華の表情は迷惑そうに眉が顰められている。
それでも抵抗せずに成すがままなのはどういう了見だろうかと大和は二人の組合いをガン見する。
力負けした剣華がベンチに押し倒されたところで、旭が腕時計を確認した。
「あら、もうこんな時間。用事があるから私は行くわね。――――あなたの罰についてはまた今度話しましょう」
「敷地内のごみ拾いくらいで勘弁してくれ」
「それはあなた次第よ」
まだ少し怒ってるようで、旭はそう言い残して屋上を去って行った。
それを見送る工藤は、片目を瞑って何事か考えている。
ひっそり「便利な技だなあ」と呟いた。
「直江君」
「はい?」
声を掛けられても、一挙一動を見逃さぬよう大和は視線を移さない。
「やっぱり面白い学校だね、ここは」
肩をすくめるだけで返事はしない。
ただ、内心ではしっかりと同意していた。
「ねえさん、落ち着いた?」
「満足」
言葉通り、満足そうにやりきった顔の百代。
その後ろで頬を染めた剣華が鼻息荒く立ちあがっていた。
流石の彼女も終盤は本気の抵抗を示していたが、それを最後まで貫き通すことは出来なかった。
少々乱れた制服に色気を感じられる。
大和がごくりと喉を鳴らした。
「じゃ、ほれ」
工藤が剣華に放る。
チャリンと金属音。鍵だった。
「…………?」
「家の鍵」
「家……」
「この前行ったろ」
「行った……」
そんなの知らないと、剣華の表情は雄弁に語っている。
思い出そうと額に皺を寄せて考え込む。
一分ほどの沈黙ののち、すっぱりと言いきった。
「覚えてない」
「うん」
工藤が立ち上がる。
「じゃ、行くか」
「家?」
「うん」
二人の会話に百代が食いついた。
「剣華ちゃんもしかして一人暮らしか?」
「そうだよ。こいつ今日から一人暮らし」
なぜか工藤が答える。
本人に一人暮らしの自覚がないため仕方がない。
剣華は今更ながらに事実を直視してプルプル震えていた。
「ごはん……」
「今日は作るけど明日からは自分で作るように」
「やだ……」
その顔は捨てられた子犬の様である。
精神年齢が一気に幼年にまで落ち込んでしまったようだ。
ちょっとだけ罪悪感。
「…………なんか悪いことしてるみたいだな」
「やーい、なーかせた!」
「泣いてないし武人泣かせに言われたくないんだよ」
「私だってそんなに泣かせてないぞ。三人に一人ぐらいだ」
武神と言われるだけあって、彼女は結構えげつないのだ。
もはや存在がチートとは的を射た言葉である。
「直江君、買い物していきたいんだけどいい店教えてくれない?」
「いいですよ。家はどのあたりですか?」
「近いよ。すぐそこ」
この辺りなら商店街だな。
そう考えながら、剣華と工藤の今までの言動を分析し気に入りそうな店をピックアップする。
いまいちわからない工藤はさて置いて、剣華は紹介しがいがありそうである。
服飾には興味がなさそうだから、ペットショップとか美味しい和菓子屋とかだろうか。
どうせだから色々紹介しておこうと思う大和。
頭の中でプランを練る最中、唐突にがしっと肩を抱かれる。顔を上げると百代だった。
「おい弟。なにか企んでるか?」
「何も企んでないよ」
「うそつけ!」
ぐりぐりと頭に拳骨を当てられる。
本気ではないものの、長い付き合いで遠慮がないためそれなりに痛い。
「いてててててっ。姉さん痛いって」
「お前は何も企むなよ。私が先に企んでるんだからな」
「は?」
何言ってるんだこの人。
真意を尋ねて百代を見るが、百代は意味深げにウインクするだけだった。
「姉さんなにを――――」
「さ、いくぞー! 剣華ちゃんのお家にゴー!」
「お前来るのか」
「行くに決まってるだろー。こんな可愛い子ちゃんを独り占めはさせないぞ」
「じゃあお前が今日の晩飯作ってくれ。俺帰るから」
「や、私は料理はあんまり……」
「お前家事全般ダメそうだよな。……ていうか夕飯食べてく?」
百代は答える気がないらしい。
少なくともこの場では。
大和は百代を追及するのを後回しにすることに決めた。
あとで絶対に話してもらおうと決意しながら。
すっかり夜も更けた夜の9時。
あの後、大和たち4人は商店街に向かい、そこでおすすめの店を一通り巡った後、剣華の家で夕食をご馳走になった。
意外にも工藤は料理が上手かった。
本人によれば家事は一通り出来るらしい。昔叩き込まれたと笑いながら言っていた。
殺風景な部屋の中心で黙々と料理を食べていた剣華。
彼女も風間ファミリー武士娘の例にもれず、結構な量を平らげていた。
見ている大和がお腹一杯になってしまう程の食いっぷりは一子を彷彿とさせた。
見た印象は京なのに、中身は一子と言うちぐはぐっぷりがどうにも可笑しくてたまらない一日であった。
「で、姉さん。何を企んでるの」
「お、その話か」
鼻唄なんか歌いそうなほど上機嫌な百代。
思い返せば今日は一日そうだった。何かあったのだろうか。
「決闘の約束取り付けたんだ」
「誰と?」
「工藤と」
「…………」
工藤と百代は交流戦で一度戦っている。
その時は工藤が本気で戦わず、百代にすれば不完全燃焼な戦いだったが、その時の鬱憤を晴らす日にちが決まっていたらしい。
それは上機嫌にもなるだろうと大和は納得した。
「でも条件があるんだよ」
「条件?」
「うん」
なんだろうか。
また本気で戦わないとか?
でもそれじゃあ姉さんが上機嫌になるわけがないし。
少し考える大和。
答えは見つからない。
「条件って何?」
「橘剣華の体質の改善」
「は?」
「それしないと本気で戦わないらしい。昼休みに言ってた」
昼休み。
百代が放課後になってようやく剣華に会いに来た理由がそれだった。
「改善って……そんなの無理じゃない?」
「どうだろうな。やってみないと分からない」
果たして、17年間改善できなかったものを今から改善できるだろうか。
いや、もしかしたら多少改善されてああなのかもしれないが、それにしたって今日で会ったばかりの人間が如何こうできる話ではないだろう。
「それ、頼まれたの?」
「うん……、いや。そういうわけじゃないんだけどな……」
歯切れが悪い。
どういう会話をしてそう言う結論に至ったのか、言って聞かすつもりはないようだ。
「まあ、何にせよ改善されないと戦わないって言うからさ。手伝えよ大和ー」
ぐいっと強引に肩を抱かれる。
そのせいでまた頬に豊満すぎる胸が当たるが、堪能する余裕はない。
どうして自分が手伝わねばいけないのか。
舎弟だからか。
すぐに自己解決した。
百代の我が儘はいつものことで、それに付き合わされるのもいつものことだ。
多分今回は自分だけでなくファミリー全員が付き合わされることになるだろう。
逃げ場などないのだ。
「…………姉さん、言っておくけど無理だと思う」
「やってみないとわからないだろ」
「まあ、そうだけど」
最後の最後に、とんでもないことを聞かされた。
百代の胸の中で吐いたため息は、その日吐いた中で最も大きいものだった。
長宗我部君は工藤君に送られて帰りました