東西交流戦二日目。
天神館二年生と川神学園二年生の対決は、当初は天神館側が優勢だったものの、時が経つに連れ川神学園が盛り返し、ついには大将の首を求めてクリス率いる部隊が敵本陣に襲撃するまでに形勢は逆転した。
「もうここまで攻め込まれたか……」
「御大将、ここは某が引き受けます。その間にお逃げください」
「馬鹿を言うな。お前は俺と共に来い。あの女の足止めは別の者にやらせる」
言って、石田は橘剣華に声をかける。
「橘、先日この俺を足蹴にした罪をここで償え。俺が安全な場所に移動するまでの囮となってな」
剣華は眉をひそめひどく嫌そうな顔をしたが、ここで戦っておかないともう戦えないだろうと考え、石田の言葉には応えず、クリスの前に舞い降りた。
「む。まずはお前が相手か」
クリスは油断なく細剣を構え、剣華を観察する。
確か交流戦の前日に鍋島館長が連れてきた優秀な生徒の一人で、マルギッテが気をつけるようにと自分に注意を促した人物だ。
先日の紹介の時、石田を相手に喧嘩を始めた人物でもある。
あの時に受けた印象通り、どこかピリピリとした空気が剣華から発せられていた。おまけに自分を見つめる眼光はひどく鋭い。
相当な手練れだと改めて理解する。
だがどれほど相手の実力が高かろうと、そんな物は関係ない。自分の目的は大将の首ただ一つ。
ここで臆し、警戒して戦いが長引いてしまうと大将に逃げられてしまうだろう。
短期決戦で終わらせる。
クリスは細剣を持ち直し名乗りを上げた。
「我が名はクリスティアーネ・フリードリヒ。いざ参る!」
己の出せる最高速度で接敵。そして突く。
胸に向けて放たれたそれを剣華は体を横にずらすことで躱す。
「はっ!」
クリスも最初から当たるとは思っていない。躱されてもすぐに次の突きを放つ。
しかし剣華も先ほどと同じようにそれを躱した。
突き、躱し。突き、躱し。突き躱す。
それが十回ほど繰り返されたところでクリスが一度距離を取った。
「ふぅ……」
少し上がった息を整える。
深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
まさか受け止めるでもなく、あの距離で全て躱されるとは考えなかった。
思っていたよりもずっと強いのかもしれない。少なくとも自分よりもずっと。
クリスが呼吸を整えている間、剣華は攻めるような行動は起こさず、クリスの動向を観察していた。
一秒、二秒と間が空き、不意に剣華が言葉を放つ。
「これで、終わり?」
「ぐっ」
クリスは馬鹿にされたと思ったのだろう。
剣華の言葉が自分を見下していると、この程度の力量なのかと挑発されたと受け止めた。
それに乗らないクリスではない。
「まだまだぁ!!」
先ほどと同じように接近。突きを放つ。
まるで数分前に遡ったようなそれに、剣華は「またなの」と気分を害した。
この程度の相手に十勇士は壊滅したのかと、味方の力量すら見下し始めていた。
油断から意識が微かに目の前のクリスから離れる。
そして己の頬を掠った細剣によって、強制的に意識はまたクリスへと舞い戻った。
目で捉え切れない刺突が殺到する。
「はぁ!!」
躱しきることは困難になり、時に手で捌き、時に受けながら剣華は防御一辺倒に陥った。
クリスの持つ細剣は本物ではない。けれども当たれば痛い。
剣華の身体には青あざが目立ち始めた。
間合いを取らなければ――――。
そう思い、そうしようとしても、クリスは執拗に追跡する。
一歩離れれば一歩半近づき、三歩離れれば四歩近づく。蛇の様な執念で必殺の距離を保とうとする。
なるほど。これが川神学園。これが東の武士娘達。
最初から相手にとって不足はなかったのだ。
力量を見誤り、余裕だと勘違いし、今こうして天神館は負けかけている。
なんと愚かなことだろうか。なんと間抜けなことだろうか。
己の火力に頼りすぎ、油断したところを自滅させられたものがいるらしい。
戦力を見誤り、油断して待機していたら追い詰められたものがいるらしい。
一人で十分だと、単独で敵本陣に特攻してやられたものがいるらしい。3人ぐらい。
変態と出会って、生理的嫌悪から成すすべなくやられたものがいるらしい。可哀そう。
そんな愚か者たちに、私はなりたくない。
負けられない。負けたくない。
今日も負けた。あいつに負けた。憎たらしいあいつに。もう、負けられない。
負けられないと思えば思う程殺意が湧く。動力源。原動力。
少しの間の、一時的な発作。これならきっと負けはしない。
「ふふっ」
剣華の口から笑いが零れる。
クリスがそれを聞きとった。
自暴自棄にでもなったのかと、相手の様子をうかがう。
剣華の目とクリスの目が合った。
青い眼と黒い眼。
目が合った。めがあった。狂気の眼が、そこにはあった。
どす黒い、殺意に満ちたその眼は、クリスを見ていた。
剣華は右腕を動かす。緩慢に見えて恐ろしく早い右腕。
クリスも同じく、細剣を横薙ぎに振るった。
右腕と細剣がぶつかり火花が散る。鈍い音を立てて、耐えきれずに折れたのは細剣だった。
折られた剣先が宙を舞う。
折れた? 否。
クリスの持つ細剣。その先の切り口は恐ろしく滑らかなものだった。
折れたのならこうはなるまい。力負けしたのならもっとぼろぼろになるはずだ。
ひび割れ、破片が飛び散り、衝撃が走る。
しかし、手元の細剣にはひび一つ、破片一つなかった。
斬られたのだ。あの右腕に。
高だか肉体が武器を凌駕した。気を纏い、強化された剣をいとも容易く斬った。
そんなこと出来る人物をクリスは一人しか知らない。そして、目の前の人物はその人ではない。
彼女は名乗る。
「まだ、言ってなかった……、私の名前。ちゃんと、挨拶しないと……」
彼女は言う。
「『凶器』橘 剣華」
彼女は宣言する。
「あなたは、殺さない」
物騒な言葉を否定でもって、宣言した。
彼女の目には、すでに殺意がなく、纏う気も普通のものになっていた。
「きょうき……?」
凶器か、狂気か。
なんにせよ、武器を失った以上はこの場を離れなくてはいけない。
一度逃げなくてはいけない。勝てるわけがない。
それは先の一撃で十分に理解していた。
大和に知らせねばならない。
こんなのがいるなんて大和の情報にはなかった。
知っていたら何らかの対策を練っているはずだ。
しかし、度重なるS組との情報交換でも、彼女の名前は一度たりとも出てきていない。
最も警戒すべきは西方十勇士。その認識の元作戦は練られてきた。
予想外だ。これほどの実力を持っているとは。
クリスが離脱しようと腰をかがめ、力を溜める。
溜めるのに掛かった時間は一瞬。剣華がクリスに接敵するのにかかった時間はそれ以上に一瞬。
「殺さない。けれど逃がさないとは言ってない」
左腕が下から上へと薙がれる。
それはクリスには当たっていない。当たっていないが、クリスの身体は吹き飛んだ。
目的は左腕によって発生する衝撃波。
技と言って差し支えない。気で作られたそれ。
先ほどの右腕とは違い鋭さはない。故に命の危険もない。少なくとも即死はしない。
クリスは転がり、動けなくなった。
意識だけははっきりと、しかし身体に走った衝撃は痛みとなって襲い掛かる。
漏れる声は苦悶ばかりとなり、助け一つ呼ぶことが出来ない。
その時点で、クリスの完敗だった。
剣華はクリスのすぐ近くまで寄り、見下ろす。
地に伏せるクリスと無傷に立つ剣華。それは二人の実力差を如実に表していた。
暫し見つめ合った二人の繋がりは、剣華が視線を外したことで途切れる。
剣華の目の先にはクリスが率いていた川神学園の生徒たちがいた。
それらは交流戦に名乗りを上げるだけあって、一般人よりかは遥かに実力のある生徒たちであったが、中でも抜きんでていたクリスがあっさりと敗れたことで動揺が波のように広がっていた。
既に統制は取れていない。群であれば時間稼ぎぐらいは出来ただろうに、有象無象の個となってしまっては全滅も時間の問題だった。
剣華が一歩歩むたびに絶望が襲い、一人また一人と背中を向け逃げ出した。
それは剣華にとって都合の良いことであるので、逃げ出した生徒はそのまま放っておかれることとなる。
問題は、実力の差を知りながら、毅然とした態度で剣華に刃を向ける者たちだ。
腐っても武人なら、勝ち目のない戦であっても決して諦めることはない。
勝利に貪欲。戦の中、ほんの僅かな勝機が見えようものなら、それに食らいつき死ぬまで離れない。
そういう輩が、今この場では一番厄介だ。
そして、そんな厄介な者どもが見えるだけで十人近くいる。
その光景に笑うべきか残念がるべきか。
とりあえず、それについての結論は全て片付けてから出すこととしよう。
「おいで。優しく痛ぶってあげる」
図らずも、すでに表情にその答えが出ていたことに、その時の剣華は気づいていなかった。
交流戦が終わり、天神館の生徒たちは翌日の朝には九州へと帰ることになっていた。
翌朝、何だかんだあっても戦いの中でそれなりに互いのことを理解した川神学園の生徒たちは、見送りに駅まで来てくれていた。
「よう、負け組」
「……なんだこのゴリラは」
「はっはっは。そう怒るなよ負け組。俺様、お前のあの見事な負けっぷりを見て、今度から偉そうなこと言うのは控えることにしたんだ。お前のおかげだぜ、石田」
「ほう。どうやら死に急いでいるようだな」
岳人は嬉々として十勇士を煽る。
耐性のない総大将が真っ先に反応してメンチを切り合った。
島が仲介に入り、面白そうだと横から工藤が石田を挑発する。
「御大将……」
「まあ、あれだけ啖呵を切って、結局負けたんだ。諦めて受け入れようぜ、石田三郎改め負け犬小三郎」
「いいだろう。このゴリラは放っておいてまずは貴様だ。日頃の鬱憤を思い知るがいぃ!!」
ついに剣を抜いた石田。
襲い来る石田に対し、工藤は猫騙しで応戦する。
ビュンビュンと風を切る刃。パンッパンッと破裂する猫騙し。
勝負は伯仲した。してしまった。
それを周りの人間が――――川神、天神館の区別なく――――引き攣った表情で見つめ、それぞれ感想を溢す。
「わ、なにあれすごいわね」
「むむむ。常に相手の間合いに居ながら全て躱しているのか……。京、あれ見えるか?」
「見える。けどやろうとは思わない。無謀と言うか命知らずと言うか」
きちんと状況を見ることの出来る人間からは呆れられ、とある一名からはキラキラ光る熱いまなざしが送られる。
その目線に寒気を感じて身震いする工藤。
「さ、先輩もあんまり遊んでる時間ないよ」
綺麗な真剣白刃取りが決まったところを見計らって、ハルが止めに入った。
腕時計を見ると、言う通り出発の時間が近づいている。
さすがの石田も一旦矛を収める。工藤は「もう少しだなあ」と不完全燃焼気味だった。
他方、それほど離れていない場所で、川神学園のとあるハゲ頭が敏感に反応を示していた。
「な、なんだあれは……。なぜ俺の魂が鼓動を鳴らしている。尼子晴……。男じゃなかったのか――――!!??」
「わぉ。ハゲがいつにも増して気持ち悪いのだ」
「準のそれは今に始まった事じゃないでしょう」
そんなロリコニアの名誉国民は置いておいて、話はハルの近くへ戻る。
「……なんだろう。悪寒がするんだけど」
「凄い傑物がいるみたいだな。秘密ばらしたら愛でられるぞ」
「ぞっとする……」
話は戻る。
「んっと、じゃあまあ。川神学園の生徒の皆さん、ありがとうございました。今回は中々為になる行事だったと――――」
大人ぶって締めに入る工藤。
その微妙に慣れない口調に、天神館の生徒たちはからかい混じりに揶揄する。
「おい、貴様毒でも飲んだか」
「ここに、この私が認める最高に美しい水があるが?」
「もし本気でやばいなら俺様が担いで館長の所まで運ぼう」
「何の病気か調べないといけないな。任せてくれ、すぐにネットで調べる」
「しばき倒すぞおどれら」
どうにも締まらない空気が流れ、もうどうでもいいやと締めは石田に譲ることにした。
「ふん。いいか貴様ら。次に見える時、それが貴様らの命日だ。すでに俺達からは慢心が消え、己の腕を磨く決意に固く――――」
「ほほーん? 相手さん、あんなこと言ってますぜ軍師殿」
「ああ、どうやら実力の差をまだ理解できないみたいだな。馬鹿な奴らだ。――――姉さんお願いします!」
「ご指名いただきましたモモです。さあ、逆指名と行こうか工藤」
「もはや笑えばいいのかこれは」
猛獣から逃れるため、工藤は駅の中へ逃げようとする。
が、音速で腕を掴まれ迫られた。呪詛の様に「戦え戦え」言っている姿は酷く恐ろしい。ゾンビかお前は。
「ええい! 意味不明な加速を見せるな! そのうち相手してやるから諦めろよ!」
「その内やるなら今からでもいいじゃないか。いまやろう。すぐやろう」
「時間ねえんだよド阿呆!!」
出発時刻直前まで続く押し問答。
いつの間にか十勇士たちは駅構内に姿を消しており、残っているのは工藤だけになった。
「おおい時間が!? いい加減離せ闘気を纏うな切符が無駄になる!!」
「お前なら跳んで帰れるんじゃないか?」
「え。絶対やだよそれ。めんどいじゃん」
互いに気を使っての力比べ。
諸事情あり、あんまり本気出せない工藤と、余裕ありありの百代は、それでも五分五分の様そうを呈し非常に盛り上がりもしたが、やっている間も着々とタイムリミットは迫る。それと同時に武神の笑顔は深くなっていく。
そこでようやく川神学園側から助け船が入った。
「姉さん、さすがにまずいから」
「そうだぜモモ先輩。大人しくその腕離しとけって」
キャップはともかく、直江大和の言う事は聞くらしい。
口をすぼめながらでも素直に離してくれた。あれが噂の舎弟だろうか。
出来るなら最初からやっとけや。蹴りいれてくれる。
と、時計を覗き込んだモロが慌てて叫ぶ。
「ちょっ、あと一分ないよ!?」
「おっと。やっべ」
蹴りを中断し、間髪なく新幹線へ向かって全力疾走する工藤。
余裕なく汗をたらし、必死の形相での疾走は酷く無様で、「あいつ、全然気使わないんだもんなあ」と百代が退屈そうに呟いた。
ちなみに、念のため追いかけた大和いわく、ちゃんと間に合ったらしい。