IS ~THE BLUE DESTINY~ 作:ライスバーガー
薄暗い部屋の中に強い鉄分の匂いが充満している。
光が十分に届き視覚能力が満足に発揮出来ているならば起こっている惨状は目も当てられない光景だ。
伸びた背筋の延長上、高い踵のハイヒールが踏み付けた大理石の床はピチャリと音を立て、僅かに蒸気だった湿気が不快感を助長させている。
「何故だ、何が目的だ」
年老いた男の声に震えはなく、自らの命が風前の灯火と理解していながらも座った姿勢のままの態度は崩していない。
単純な度胸ではなく裏付けされた経験が老人の態度を作り上げている。
同室にいた十名以上いた同胞達の中には抵抗を試みた者もいたが、今は何れも物言わぬ肉塊に成り果てているのだから結果は言うまでもないだろう。
「お前にはコードネームだけでなく幹部としての立場、エムシリーズの管理にゴーレムやバーサーカーの運用と申し分ない実績に報酬を手にしているではないか。まだ足りないと申すか」
「えぇ、足りないわね」
近寄った最後の一歩、両者の距離は腕一つ分の長さにまで縮まる。
一方的に死を与え絶対者として部屋に君臨している人物、口元に散った返り血を拭いもしない女は薄暗くて分からないが胸元の大きく開いた優美な深紅のドレスを身に着けている。
自分のものではない大量の血液で染まったドレス姿の女の名はスコール。床に転がっている死体の数々は体格も性別、人種でさえも異なる亡国機業幹部の老人達。
最後の一人となったのは頭部が薄くなりでっぷりと脂の乗った腹が目立つ老人だ。
年老いて尚も衰える事のない眼光と野望は変わっていないが小さく息を吐き出すだけで抵抗する様子は見せず、席についたまま最後の時を受け入れている。
「こんな事をしても支持は得られんぞ」
「そうかしら? 歴史を作るのはいつだって勝者よ、私は勝者になりたいの」
「修羅の道を行くか。ならば私は敗者として地獄で君を待つとしよう」
「修羅ではなく勝者の道よ、でもそうね、その時が来たらお酌をしてあげるわ」
「楽しみにしていよう」
消音器の取り付けられた拳銃から空気と弾丸が吐き出される。近接距離から放たれ老人の側頭部を撃ち砕き、抵抗させぬまま死を押し付ける。
少し眺めの瞬きを一回行ったのは死者に対する哀悼の意であり、自分が手を下した相手対する最後の礼儀だ。
表情を変えぬまま振り向いたスコールがひらひらと手を振る相手は部屋の出入り口に腕を組んだ姿勢のまま待機していたエムである。
「終わったか」
「えぇ、これで世界は大きく動く」
「……確かにそうだろうが、良かったのか?」
「何がかしら?」
「ソイツが言っていただろう、支持が得られなければ組織は成り立たないのではないか?」
「そうね、それも間違いではないわ」
ニチャリと表情が変わる。
淡々と人間を殺す為の兵器となっていたスコールが浮かべる表情は寒気を覚える程に歪んだものだ。
薄暗い部屋から姿を現したオータムは全身を血で染めており、美しい白い肌にも付着した赤が生々しい塗装を描き、少しだけ癖を帯びた金髪が血の色をより一層映えさせている。
惨劇の姫君たる容姿に僅かにエムが眉を寄せるのも仕方がない。
「恐怖で束縛しても兵士から得られるのは一時の力だけで忠義にはなりえないわ」
「では……」
「でもね、裏付けされた報酬があれば話は別よ」
ゆっくりと息を吐き出すスコールは高級に違いないシルクのハンカチで惜しげもなく頬の血を拭いながら続ける。
血濡れた風貌が良く似合う状況でありながらも立ち上がる色香は失われておらず、放たれる死の匂いすらも美しさを引き立てる材料に成り下がっている。
「これまで亡国機業は歴史の裏に潜む武器商人として暗躍を続けてきたわ。主な目的はお金を得る事、いかにも老人達が好きそうよね。でも、これからは違う。青き清浄なる世界を破壊する為に生きている人間達の拠り所になるの」
「拠り所とはまた都合のいい言葉を使うものだな」
「否定はしないけど、これで条件はクリアされたわよ」
「世界を取る…… か」
「えぇ、篠ノ之 束の首を手土産に、ね」
それはエムに取っても願ってもない展開。
正確に言うなれば篠ノ之 束ではなく織斑 千冬こそが目的であるのだが、束と敵対するのであれば千冬と敵対するのも同意であろう。だからこそエムはスコールに付き従うのだ。
散って逝った多くの生命の成れの果て、戦乙女の残りカスとして自らの生まれの不幸を呪い、生まれ落ちた意味を見出す為に。
「まぁ、何であれ決着をつけると言うなら望むところだ」
「そうね、最高の舞台を用意してあげる」
「期待している」
目的が異なっていようと歩むべき道は同じである。エムの望みは命を賭けた戦いの先にあるのだから。
後日、一握りの離反者こそ出したものの大半はスコールの予想通り組織に残留する。
世界の裏側に潜み、銃器から重機、ガス兵器から戦闘機に至るまで多岐に渡る武器を商品として取り扱ってきた者達がいた。
古株の老人達を中心に利益を貪ってきた武器商人であり亡国機業と呼ばれる組織はその日を境に大きな変貌を遂げる。
取り扱ってきた武器を手に、世界暗転を企む武装テロリスト集団として革新を迎える。
通常兵器を単機で凌駕する兵器であるISの登場は亡国機業に取っても大きな転機を促した。通常兵器だけでなくISも取り扱うべき商品に組み込むべきだと商人が考えるのは当たり前の流れだ。
しかし、ISは数に限りがあり、簡単に手に入るものではなかった。
代わりに亡国機業が目につけたものこそ、ISにより職を失った人間達である。
ISにより生きる意味を失った者達は決して少なくない。必ずしも兵士とは呼べない成り損ないであったとしてもその身に宿る恨み辛みは本物だ。
各々理由があり、何故亡霊にその身を落としたかは定かではないが、今の世界に満足せず、破壊する事に躊躇いを覚えない者達は決起の時を迎える。
欧州連合やデュノア社に拾われた元傭兵のような面々は己の意思だけでなく運が良かった部分が少なからず存在する。
もしかしたら、少しでも何かが違えば、ほんの些細な切っ掛け次第で英雄になっていたかもしれない可能性を秘めた者達による反逆が始まる。
◆
山奥にひっそりと佇む長い石階段を登り切った先に張り詰めた神聖な空気と共に厳かに鎮座しているのが篠ノ之神社である。
夏祭りや正月と人で賑わう時期もあるが日常的な参拝者は多くはない。元々神事を執り行う事を中心とした場所であり、所謂龍脈の交わる地とも呼ばれ信仰の対象にされる場合もある土地だ。
残念ながら現在は神主を初め篠ノ之家の人間は住んでおらず、箒や束から叔母にあたる人物が手入れを引き受けている為清潔感は保たれているがそれだけだ。
日に何人か健康の為に階段登りを日課としている人が姿を見せる程度で、人の気配は最低限だ。
しかし、いつの日か再びこの地に篠ノ之が戻って来ると信じている人がいるのも事実である。
そんな篠ノ之神社の裏手、深い山と静かな森の合間、人が踏み入らない天然の結界の内側に世界中が動向を注視している人物達がいる。
陽が沈み数時間が経過し山々が寝静まった頃合い、外に光が漏れないよう設計された特殊な場所は実家のすぐ裏手に作られた篠ノ之束の隠れ家である。
空中に投影されているディスプレイの総数は十を越えており、様々な言語で表示されている内容を流し読みしている人物こそが天災の名で呼ばれる束だ。
「…………」
無言のまま視線だけ動かしていた束が小さく息を吐き、背もたれに全身を投げ出す。
「コーヒーを淹れましたが如何ですか?」
「およ、ありがと箒ちゃん、貰うよー」
トレイに二つのコーヒーを乗せて持ってきた箒が束が自分のスペースとしているソファーの隣に腰を下ろす。
二つのコーヒーは何れも砂糖は少な目だがたっぷりのミルクが混ぜられている。
イメージ的に箒はお茶派で本人も否定はしないが、あえて言うなら何となく夜に提供するならコーヒーだったと言う所だろう。
ミルクの配分が多い事が抜群のスタイルに関係しているかは謎である。
「姉さん、その、IS学園には何かあるんですよね?」
表示されているディスプレイの内容も気にはなるが、箒にはまず確かめねばならない事があった。考えても答えが出ない問題である以上、箒は素直に問い掛ける事にする。
学園祭、キャノンボール・ファスト、二度に渡り侵入を試みた連中がいるのだ、見ぬ振りを決め込むのは難しい。
「そうだねぇ、箒ちゃんはIS学園を不思議に思わないかい? 複数のアリーナがあってそれ以外にも学園全体を覆う防御シールドもある。エネルギーをたくさん使ってるんだけど、その動力は何だと思う?」
質問に質問で返しているが、束のそれは箒の質問の答えに他ならない。
「動力、ですか」
「分からない? まぁ、普通は分からないと思うけど連中が狙ってるのは多分だけどソレだよ。IS学園の最深部に封印されている名実共に最強のISの一角」
そこまで言われ息を呑む。
ブルーや紅椿を除けば最強のISとして君臨するのは伝説の始まりとも言える白騎士であるが、白騎士は白式として生まれ変わった。だとすれば、他に該当するISを箒は一つしか知らない。
「……暮桜」
「ぴんぽんぴんぽーん、大正解! 勿論動力はそれだけじゃないけど、心臓部に使われてるのがちーちゃんが世界最強に登り詰めた愛機にして白騎士の魂を受け継いだ機体、暮桜だよ」
千冬の専用機にして世界最強の代名詞とも呼べる組み合わせ、ブルーの乱入やミサイル襲撃の際に使用しなかった事がそもそも疑問点である。
搭乗者の腕前と経験を考えれば遠距離呼び出しによる展開も不可能ではないだろう。敵対した身でありながら何故使わなかったのかと疑問に思わなくはなかったが、封印されているのであればおかしくはない。
補足しておくならば暮桜はあくまで動力の一つに使われているのであり一機ですべてを補っている訳ではない。IS学園の心臓部は半ばブラックボックスと化しており、その内の一つに過ぎないのだ。
「では、狙われているのは暮桜だと?」
「もしくは単純にデータ狙いって可能性もあるけど、二回も来た所を見ると間違いないんじゃないかなぁ」
「そこまで分かっていて侵入者を見逃したのですか?」
「学園に罠が仕掛けてあるのは分かってたからね。ブルーを出す程じゃなかったでしょ?」
「それはそうですが……」
箒も束も、勿論ユウもだが、キャノンボール・ファストだけでなくIS学園で行われた局地戦闘を把握している。
最悪の場合はブルーで防衛戦に参加する準備も整っていたのだが、結果的に学園長の読みが当たり必要はなくなった。
「それに箒ちゃんだってキャノンボール・ファストを見れて楽しかったでしょ?」
「……否定はしません」
「またまたぁ、いっくんの立ち回りに見惚れてたんじゃないの?」
「そ、そんな事はありません! で、ですが、確かに一夏は凄かったですね」
「白式の性能を上手く活かした戦い方だったね、結果は残念だったけど」
「流石に相手が悪いでしょう、もしあの場に私が居て紅椿を使ったとしても勝てなかったと思います」
「かもしれないね、まぁでも、あの子達の実力を知れたのは大きな収穫だったと思うよ」
二人はキャノンボール・ファストを生中継で観戦していた。
一夏だけでなく代表候補生達の実力も十分に推し量れたのだが、束が浮かべた笑みに箒は「やはり」と表情を引き締める。
前兆はあったが、他人に一切の興味を示さなかった束が今は自分以外を認識している。
我儘で傍若無人で自分勝手、飽きっぽく厚顔無恥、束を現す言葉は多々あるが、何れも褒められたものではない。
だが、その言葉が示す天災の仮面に今はヒビが入っている。
たった一人、異なる世界からやってきたイレギュラーが示した人の可能性が天災を動かしていた。
「姉さん」
「うん?」
すぐ隣で微笑む姉がいる。とてつもなく遠い存在であった人を身近に感じられている。
「何か聞きたい事があるのかい?」
既にコーヒーは半分以上無くなっている。
別段飲み干したから姉妹の会話が途切れる訳ではないが、非常に曖昧なバランスの上に成り立っている二人だからこそ、それが残り時間のように箒には思えてならなかった。
「この画面のデータが何か聞いても良いですか?」
「別に構わないよ、これはね、武器の流通データなんだ」
「武器ですか?」
恐らく箒が尋ねれば束は大抵の質問に対し答えを持っている。それこそ有名人のスリーサイズから政治家の給料に至るまで、分からない情報の方が少ないだろう。
しかしながら箒は一定以上踏み込むのを躊躇っている。
先程のIS学園については二度の侵入戦があった事と、束に聞く以外に答えが出ないと分かっていたから止むを得ず問うたのだ。
ブルーを使い何をしようとしているのか、謎に包まれた敵の存在、紅と蒼と白、並び立つ意味。
自分自身が命を賭ける戦場に赴くとしても箒は最後の一線を越えて全てを知る事を許容出来ないでいた。
いつか姉から話してくれるのを待つ、それは姉を信じる決断をした妹の決意だ。
「世の中には色々なルートがあってね、通常兵器、IS用に関わらずね」
「姉さんが調べる必要があるのですか?」
「直接的な意味はないかな、でも知っておくと面白いよ。軍事力が分かるからね。まぁ、それ以外にも忽然と姿を消す戦闘機があったり、本来そこにないはずの武器が降って湧いたり、ね」
空中に映し出されたコンソール上を指が踊り、投影ディスプレイの一部が日本語翻訳に切り替わる。
示されたのは太平洋上から姿を消した輸送艦や一晩にして倉庫から消えたミサイル、紛争地帯に突然現れた国籍不明の武器の数々。
当たり前のように提供される軍事データに箒は声が出ず喉を鳴らすのがやっとだ。
「これはごく一部だけど表には出てない特殊な流通だよ。勿論正規ルートじゃない」
コーヒーで喉を潤し胃を温めながら束は続ける。
「軍にとっては損害で政府は認める分けにはいかない。例え許されざる強奪だったとしても公には出来ない。つまり結果的に得をしてるのは一つの組織だけなんだよ」
ディスプレイの画面のうち四つが一斉に切り替わり、表示されたのは「亡」「国」「機」「業」の四文字。
「違法だろうが何だろうが武器を盗んだり、密売してるだけなら放置で良かったんだけどね。どうやらこいつ等は戦争がしたいらしいよ…… 私とね」
世界で暗躍する組織が個人に喧嘩を売っているのは間違いない。無論、売られた個人は常人の範疇には収まらない存在だ。
多少なりとも予感があったにしても突然出た戦争と言う非日常的な単語に箒が戸惑いを覚えるのも無理はない。
何より、今目の前で束が語っている事は箒が知りたいと願っていた部分の確信に近い問題だ。
亡国機業、それが戦うべき相手なのか、問い掛けるべきか、踏み込んで良いものか、箒の思考が複雑に入り乱れる。
「……箒ちゃんは優しいね」
妹の内心を悟ってか束は優しい声色で隣を向く。
ふわりと追いかけた髪から香る懐かしい匂いに箒は思考の渦から引き戻される。
「聞くべきか聞かざるべきか、自分で考えるべきか、私の意見を求めるべきか、迷ってる。ううん、迷ってくれてるんだよね。もう私は決めちゃったけど、それを妨げる事にならないか、私の代わりに迷ってくれてるんでしょ?」
「……姉さんは残酷ですね、そこまで分かっているならその言葉は内心で留めておくべきです」
「そう言うものなのかな? ごめんね、こんなお姉ちゃんで」
「別に構いません、もう諦めました」
「あ! 何それ、ひっどーい!」
やるべき事を決めたのは束だけではない。篠ノ之 箒も己がなすべき事を心に決めているのだ、姉を信じると。
その上で姉が正しいのかどうかを自分が考える。姉に全てを委ねるのではなく、自分の意思で共に歩む為に。悩み、迷い、考える。それが箒が選んだ戦いだ。
かつては届かず、恨みさえした姉が今は目の前にいるのだから、どちらか片方が背負うのでも拒絶するのでもなく、共に歩むと決めたのだ。
だから今は、これが決戦の予兆だとしても、談笑に花を咲かせ笑い合う。
当たり前の日常が大切である事を保護プログラムに縛られた日々の中で知ったのだから。
姉妹仲を良くして上げたかったんだけど、思った以上にイチャイチャしてる気がしなくもない。
別に良いじゃない、束と箒が仲の良い世界があったって!
キャノンボールの結果や束の内情についてはまた後日。