IS ~THE BLUE DESTINY~   作:ライスバーガー

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今回はいつもと少し違います。


第84話 いつか空に届いて

織斑 一夏の朝は早い。

決まった時間と言う訳ではないが朝日が昇る少し前には目を覚ます。

次に行う行為は大凡半年を共に過ごし、見慣れた部屋のベッドに座り込み尾てい骨に感じるふくよかな感触を堪能しつつ呆然と虚空を眺める。

 

──ピピピ。

 

時間にして目覚めてから十分足らず、ベッドに備え付けられた目覚まし時計が鳴り響く。

カッと勢い良く目を見開いたのは自分の身体に起きろと命令を伝達する為の演出だろう。

肩甲骨と背骨を鳴らし全身を伸ばしつつ起き上がる。こうして織斑 一夏の一日は始まりを告げる。

 

まず最初に冷たい水で顔を洗い、頬を両手で叩きまだ残る眠気を弾き飛ばす。歯を磨き、寝癖を直して身支度を整える。

寮生活を行う前、新聞配達のバイトを行っていた期間もあり、一夏に取って早起きは障害になりえない。

それでも眠いものは眠い、若さの勢いに任せた所で無理矢理身体を支配するのは至難の業、冷水による洗礼から得る効果は学生なら経験はあるだろう確かなもの。

次に手をかけるのは寝る前に準備しておいた白い道着、袖を通す姿に淀みはない。

一人部屋故に返事はないが、その辺りの礼節は姉に叩き込まれた賜物か、挨拶と共に部屋を出る。

 

女子率九十九%の環境を幸運と呼ぶか不幸と呼ぶかは判断が難しい所だろう。

一応は寮の中でも他の部屋から少し距離がある部屋を用意されているが、出入りは当然ながら女子の部屋の前を通り抜ける必要がある。

ならば一夏の部屋を出入り口付近にすればいいのではないかと思わなくもないが、そうなれば女子が男子の部屋の前を必ず通る必要が出てくるジレンマが生まれる。

少なくとも容姿に関して美人と形容して差し支えない姉と二人で生活していたとは言え、一夏に取ってもIS学園の寮住まいは緊張を覚えずにいられない。

各国よりすぐりの生徒達が暮らす以上は下着姿や裸同然のタンクトップ一枚を羽織った姿で飛び出してくる生徒は流石にいないが、扉一枚挟んだ向こうで同学年の女子が寝息を立てている現実に気恥ずかしさを覚えずにはいられない。

早朝の時間帯であれば遭遇率は極めて低いが可能性はゼロではない。廊下を歩くのにさえ細心の注意を払う必要があると言うのも難儀なものだ。

学生寮を抜ければ霞がかった朝の空気が胸を満たす。軽い屈伸運動で身体を解し、軽やかに走り出す。向かう場所は学園敷地内に佇む剣道場だ。

 

準備運動を兼ねた床掃除は床が汚れている訳ではなく心の問題だと姉や剣の道においての姉弟子に言われた事がある。

元々綺麗にされている事もあり、短い時間で掃除を終え、光を反射する板張りの床を満足げに見下ろした一夏は手にした木刀を正眼に構える。

握りを確かめ振り上げる。大上段に掲げた木刀を振り下ろし、足を運び、重心を移動させ、腰周りを意識する。剣の軌跡、頭で描いた理想のフォーム、自分の幻影を重ねて一心不乱に刃を叩き込む。

剣の道から離れていた一夏に取って、素振りはかつての記憶を掘り起こす儀式であり、新しい自分へ足を踏み出す通過儀礼。

風切り音と空気を破砕する音が道場に響く中、何度も何度も繰り返される挙動は寸分の狂いを許さず、張り詰めた空気を作り上げ経験を積み重ねていく。

その姿を美しいと思うか、無駄な努力と嘲笑うかは人による所だが、少なくともこの学園に一夏の努力を笑う者はいないと信じたい。

 

同じ動作を繰り返す事二十分、基本的に朝練を行っていない剣道部員達が道場に姿を見せる。

交わされる短い挨拶はこれが日常的なものであると証明しており、誰にも滝のような汗を流す一夏を侮蔑する様子は一切ない。

床に出来た汗の溜まりを嫌な顔せず女部員の一人が拭き取り、皆が当たり前のように一夏の周囲に集まる。

ただしそれはたった一人の男を囲んでの誘惑合戦や会話を楽しむと言った装いではない。

数人の剣道部員が一夏に剣道の防具を手渡し装着を手伝い、木刀を預かり代わりに竹刀を渡す。周囲の部員達も各々が竹刀を手にしているが防具を身につけているのは一夏だけだ。

主将と二三言葉を交わした後、二人の部員が左右から一夏に切り掛る。

繰り出される二つの刃を避け、弾き、捌き、防ぐ。本来の剣道の動作の一切を無視して只管防備に徹する。時に跳ね、時にしゃがみ、すぐに体勢を立て直す。

一対多の乱取りは一夏に取ってIS学園の最初の敵であり師であり友と呼べる人物(セシリア・オルコット)と戦う前段階での特訓以来、可能な限り続けているものだ。

あの時は一対六が最大であったが、あれから半年、今行われているのは更に昇華された内容だ。

二人、四人、六人、八人、徐々に増やされ最大で八人の女剣士が前後左右から一夏を休まず攻め立てる。

放たれる面、胴、小手と様々な乱撃が飛び交う。全てを避ける事は不可能で幾つもの斬撃が防具の上からとは言えたった一人を打ち付ける刃の波は止まらない。

特定の性癖を持つ人物であればご褒美かもしれないが、世間一般的に見ればシゴキ、或いはイジメと取られてもおかしくない光景。

最初は部員達も乗り気とは言えなかったが、頭を下げて頼み込まれた事と目に見えて成長する一夏の様子を見ればこの訓練の意味を見出さずにいられなかった。

常に全方位に気を配り、足運びと反転動作を繰り返し、忙しなく動き回る視線は八人の刃の行方、足から手への力運び、視線の動きを追い続けている。

ビット攻撃を避ける為に始めた訓練は日常の一部になり、白式と一夏の成長を加速させていた。

参加せずに見守っている主将が腕を組み、時計と部員、一夏の様子を伺っているが、やがて片手を上げて大きく息を吸い込む。

 

乱取り開始十分、静止を告げる声が発せられる。

この時間をたった十分と呼ぶべきか地獄の時間を呼ぶべきか各々の判断に任せるとするが、道場の現状を言ってしまえば主将の合図を切っ掛けに倒れ込んだ人数が八人、立っていたのは一人だけだった。

倒れ込んだ剣道部員達は竹刀を手放し大の字に床に転がり、胸元から腹部にかけては上下運動を繰り返している。一様に大きく口を開き酸素を求め喘いでいた。

唯一立っていた一夏も肩で激しく息をしながらも呼吸の妨げになっている面を脱ぎ捨てる。

一夏の為にも剣道部員達の為にも補足しておくが、一夏からは一切攻撃をしていない。八人が倒れ込んだのは十分間の猛攻の結果。

短時間に行う完全集中状態での運動量は馬鹿に出来るものではなく、蓄えられていたスタミナを一気に食い潰していた。

一対多、刀一本の間合いで行う乱取りが効率的な訓練かと言われれば返答に戸惑う所だが、間違いなく一夏は強くなっていた。

 

滴る汗を拭い、剣道場を後にする。朝の日課はこれにておしまい。

この訓練を始めた当初は終わってからの掃除も一夏が買って出ていたが、朝一での掃除をしてもらっているのだからと今では剣道部員達が後片付けを担当している。

そこに乙女の汗で汚れた床を掃除させる気恥ずかしさが影響したかは本人達のみぞ知る事なので割愛する。

 

次に向かう先は自室のシャワーだ。

IS学園の寮には大浴場が備わっているが朝は用意されておらず、そもそも唯一の男性である一夏には入浴が許可されていない。

それでは可哀想だと時間調整を行う話も浮上しているが、今の所は実っていない。

当の本人である一夏からすれば全身を伸ばしゆっくり出来る大浴場は魅力的であり、日本人としても入浴の時間を得たいとは思っているが立場上難しいと理解しており、シャワー生活に文句をつけるつもりはなかった。

どうしてもと言うのであれば学園に許可を取り銭湯にでも足を運べば済む話だ。最も、そんな事をすれば護衛が付くことは目に見えており、心安らぐかと言えば素直に頷くのは難しいだろう。

そもそも朝風呂に時間をかけるつもりもないのだ。軽く汗を流すのは圧倒的女子率を誇る学園生活を汗臭いままではいけないと考えているからだ。

これが男子校であったならもっと乱雑な生活になっていた可能性は否めない。

 

シャワーが終われば次は朝食。学食と言っても世界各国から生徒が集まっているIS学園の品揃えはいかなる時も多国籍に対応している。それは朝食であっても変わらない。

それでもいつも通りと言うべきか和食を好む一夏の朝食は炊き立ての白いご飯に味噌汁と焼き魚、ノリと卵焼きがついた如何にもな一式。

まだ時間的に早いと言う事と朝食を取らない生徒がいる事からも、朝の食堂は比較的人が少ないのだが、今日は既に鈴音が陣取りマーボー丼を頬張っていた。別段許可を取る間柄でもないので何も言わず隣の席を選ぶのもいつもの光景だ。

ルームメイトのティナは鈴音と朝食を共にするとお腹が減りすぎると言う良くわからない理由で同席をしていないが、朝から豆板醤の香りが漂えば無理もないのかもしれない。

尚、朝食用にかなりニンニクの使用量は少なくされているが、匂いが完全になくなるわけではない。鈴音の朝の戦いはこれから第二ラウンドに突入すると言っても過言ではないのだ。

では、第一ラウンドとは何時なのかと言えば、早朝から精を出すのは何も一夏や剣道部員達だけではないからだ。

学園敷地内のランニングを朝の日課としている鈴音は一夏のシゴキ、もとい乱取りの訓練には参加していない。

剣の道は剣の道のプロに任せた方が良いとの判断からだ。少し寂しいと思っていると言うのは本人の胸の内だけに留めておくべきだろう。

他に一夏の知り合いと言う意味ではラウラも朝から鍛錬を欠かしておらず、日本と言う敷地にある学園設備の中では異端な部類に入る射撃場にて硝煙の匂いを全身に貼り付けている。

セシリアやシャルロット、簪も汗を流す日はあるのだが、毎日と言う訳ではなくこの時間での遭遇率は低めと言えた。

 

さて、ここまで一夏の朝の風景をお届けしたが、一日と言う時間で見た場合ではまだほんの始まりに過ぎない。当然ながら学生としての本分はこれから始まるのだ。

IS学園の授業には実技や航空関連、領空や領土の問題に踏み込んだ内容も含まれるが、年齢的に高校生である子供達が過ごす学校である以上は一般教養も当然ながら学習内容に含まれる。

そうでなくとも女尊男卑の世の中だ、常識を学ぶ機会を失ってしまえば男女差別が一層際立った子供達を世に排出する事になってしまう。

世の中には女性利権を訴える団体も存在はするが、IS学園の生徒達が団体に飲み込まれてしまえば、それこそ世界の経済は破綻の一途を辿る事になるだろう。

と、世界情勢に対する余談はそれくらいにして、一夏の授業の様子を一言で描写するなら至って真面目で面白みの欠片すらないものだ。

一夏は自分の知識が圧倒的に不足している事を自覚している。

IS学園に通うと決まってからネットや雑誌から拾える情報は取得したが、学園に通う生徒達とは根本的に詰め込んでいる内容が雲泥の差だ。

地盤に致命的な差がある以上は座学として一夏が劣るのは致し方ないとも言える。

だからこそ特にISに関係する授業は聞き漏らさないよう取り組んでいるのだが、それでもわからない単語が溢れ出るのがISと言うオーバーテクノロジーだ。

かと言って授業を中断して質問をぶつける真似はせず、わからない箇所はまとめて後で山田先生や姉である千冬、或いはセシリアやシャルロットに知恵を拝借するのが常だ。

一夏の授業態度は概ね好評であり、何故かラウラに母と仮認定されてしまっているセシリアの母性がくすぐられたかどうかは定かではない。

 

真面目と言うのは美徳であると同時に特徴と呼ぶには少々弱いとも言える。

何せ特筆すべき点が見当たらないのだから取り立てて騒ぎ立てる事件は起こらない。

一夏にしてみれば一所懸命に現状を受け入れているだけなのだから、責められる覚えはそもそもないのだが、この状況でハーレムを構築せずに良く頑張っていると褒め称えるべきかもしれない。

 

結局の所、一夏の日常を語る上で避けて通れないのは朝の日課と放課後の特訓と言う点に落ち着くのだ。

放課後、IS学園に数あるアリーナの一つを代表候補生と一夏が用いて行う特訓は現役軍人が参加している事も加味され教師や上級生達からも注目を集めている。

アリーナの数に限りがある以上は毎日必ず行える訳ではないが、見えない圧力(生徒会長権限)が働いているのか比較的使用率が高いのは内緒の事実。

行われる内容は日によって異なるが、基本とも言える鬼ごっこから銃器の取り扱い、一対多や多対多、混成での模擬戦等様々だが、何れも一夏の撃墜記録が伸びている事は言うまでもない。

が、ラウラや簪と言った一年生最強クラスの実力者が一夏の上達を認めているのも事実だと記さねばならないだろう。

無論、代表候補生達も親切心だけで付き合っている訳ではなく、自らが切磋琢磨する事も忘れていない。

一夏を中心に引き起こされる連鎖反応は間違いなく全体的な実力を押し上げている。

 

早朝の鍛錬に始まり放課後の特訓まで、一夏の一日は青春を呼ぶには些か血生臭く激動と呼んで差し支えない。

アリーナにクレーターの大きさの新記録を作ったからといって、攻撃の手が緩まるとは限らない。

何せ彼女達の中には堂々と一夏が嫌いと公言している者達がいるのだ。強くならざるえないのだから環境としては申し分ないと言える。

 

若干駆け足気味に綴ってきた一夏の一日ではあるが残す夜パートで特筆すべき点は就寝前の一点のみだ。

夕食や入浴といった締めの過程が終わればベッドの上に座り込んで大きな深呼吸を繰り返す。楯無に教わって以来欠かさずに繰り返してきたイメージトレーニング。

胡座の姿勢で精神を集中させ頭の中を空っぽにする。思い描くのは戦うべき相手の姿。

それはセシリアであり、ラウラでありと毎回違う姿で現れるが、何れにしても挑むべき相手は常に格上。

山田先生、千冬、楯無、銀の福音、蒼い死神、実際に刃を交えた相手、映像や資料から知った強者の姿、これまで培った全ての経験を幻影に重ねて全力で打ち込む自分をイメージする。

学園祭で味わったイメージトレーニングの弊害は避けて通れぬ道であるとしても、鈴音が肯定してくれた攻撃しない勇気を受け入れる。強くなる為に、強くある為の努力を止めない。

妄想と言ってしまえばそれまでだが、ISにおいて一瞬でイメージを組み上げる事は無駄ではない。

イメージするのは挑み続ける自分の姿。最速で最強の一撃を頭の中で思い描く。

かつて世界最強を手にし、今でもその地位を不動のものとしている姉の愛剣を引き継いだ者として、夜さえ白く染め上げる刃の担い手として、勝利を追い求める為の前進を止めはしない。

 

と、ここまで一夏の日常を記してきたが、彼は決して日々を楽しんでいない訳ではない。

休憩時間に鈴音と昔を懐かしみ雑談をしたり、各国の生徒達と各々の国について談笑したり、男女の関係上気まずい場面もあるが、概ね平和を謳歌している。

それでも一夏が努力を怠らないのは、姉の影響と、死神の姿を忘れることが出来ないからだ。

忘れるつもりが毛頭ないのは言うまでもないが、楽しい日々の影に潜む狂気に彼は、いや、彼等は気付いている。

巻き込まれるだけで終わらない為に、IS学園を生きる者達は日々を積み重ねていく。




台詞なしでお送りした一夏君の一日でした。
話的には進んでいませんが、いかにして一夏が強くなっているのかと言う意味での日常回。
次回からはいつも通りに戻ります。

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