IS ~THE BLUE DESTINY~   作:ライスバーガー

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第71話 シンデレラ・4

ISは安全。神話とも呼べる安全性のうたわれ方はエネルギーシールドや絶対防御に基付くISの絶対的なシステムの上に成り立つ理論。

が、ISそのものはともかく世界で一番安全な学園とも呼ばれていたIS学園は既に襲撃を許してしまっており、安全神話は崩れ去ったと言って良い。

ISの安全性とIS学園の安全性は似て非なるものであるが、やはり同義で語られるべき内容だ。

例えばスポーツの観点から見た場合に絶対に安全と言えるものが果たしてあるのだろうか。

球技でボールの当たり所が悪くて障害を起こす可能性は無いと言えるか、陸上競技で蓄積した疲労が原因で脚が砕ける可能性は無いだろうか。格闘技であれば事故の比率は更に上昇する。

自動車、飛行機等の移動手段にしてもそうだ。万全を喫したからと言って確実な安全を保証出来るはずがない。

絶対防御があろうとも高速度で高高度を飛び回り銃を打ち合うISを安全と呼ぶのは果たして正しいのだろうか。

その答えを持つ者がいないからこそ、少々厳しいと言われてもIS学園は遊びたい盛りの学生の夏の一部を消費し強化合宿とまで言われる程の臨海学校を取り組み、授業の一環として定期的に実際の試合と同等のイベントを組み込み生徒達の意識統一を図っている。

しかし、生徒達、特に一年生はまだ子供と言って差し支えない。今年のIS学園に不穏な空気が渦巻いていると言っても緩んだ空気を即座に引き締めるのは難しい。

毎年恒例と言っても良いこの時期だからこそ夏休み明けの比較的早い段階で学園祭は執り行われる。学生達が遊びを中心に考える事で心身共にゆとりを作り、残る二学期、三学期の授業に備える為。言ってみればこの期間だけは学生が余裕を持てる。

その事を良く知る織斑 千冬は視界に広がる光景に納得を実感せずにいられなかった。

 

IS学園、学園祭当日。

時々空砲が鳴り響き、色取り取りの風船が上空を舞い、視線を上げれば航空ショーさながらのカラースモークで空に模様を描くISが飛び交っている。

喧騒とも取れる大音量の騒ぎ声に年頃の娘達の黄色い声色が飛び交っている様は女子率が圧倒的である事を伺わせるに十分だ。

チャイナドレス姿で肉まんを歩き売りするクラスがあれば大正浪漫風の和服姿で和菓子喫茶を営むクラスもある。かと思えば大き目の教室を使い舞踏会を嗜むクラスがあったりと学生の領分を越えたクオリティで繰り広げられている。その殆どが国籍を問わず容姿端麗な女性主体だと言うのだから圧巻の一言だ。

更にこの日だけはチケット制ではあるが、外部から客が招かれており、学生以外も学園敷地内への立ち入りが許可されている。

マスコミ各社やIS関連の企業、政府機関、生徒の身内や友人、何処の伝手で手に入れたのか目を滾らせた男達が学園内外を闊歩している。

外部に情報を漏らさない為にも普段は完全に閉ざされているIS学園の門が解放されている意味を改めて語る必要はないだろう。

世界中の優秀な人材が集うIS学園の祭りであるのだから世界中の人間が集う日にもなる。この日だけは特別なのだ。

無論、警備は普段以上に厳重で学園駐在とも呼べる女性で構成された警備員も増員して対処されておりナンパ目的の男達が学生に対し手を触れる所か伸ばす事さえ許されていない。

と言っても警備の影響で物々しい雰囲気になっていないのは学園全体が明るく、楽しい雰囲気に包まれているからに他ならない。良くも悪くもIS学園は雲の上の存在でなくてはならない。安全神話が瓦解しようともそれは変わらない。

 

「ほら、兄ぃ急いで」

「待て、待てって! もっと色々見ながらで良いだろ、折角のIS学園なんだぞ!」

「私だって色々見て回りたいけどまずはチケットのお礼を言いに行くのが筋でしょ!」

「だからって引っ張るなって!」

 

目の前を流れていく多種多様の国籍の人の流れを静かに見据えながら千冬は一先ず無事に今日が迎えられた事に安堵している。

世界最強、IS学園教師、織斑 一夏の姉、篠ノ之 束の親友、彼女の持つ肩書きは彼女の行動をあらゆる意味で縛り付けている。

夏休み後半に起こったミサイル襲撃を乗り越えたと言っても、その背後関係は未だ明るみになっていない。表向きはIS学園の教師としてミサイル事件以降の対処に勤めていた千冬だが、当然ながら国際IS委員会により事後報告の招集を受けている。

が、千冬はその場で束が裏で手を貸してくれた事について一切触れず、援軍に現れた蒼い死神と紅椿については持てる戦力で迎え撃ったが取り逃がしたと報告するに留めた。

実際にはIS学園のシステムを復旧させ学園を救った最大の功労者は束と言えるのだが、その事実を公表すれば束を表舞台に引きずり出す理由になってしまう。

紅椿が出てきた段階で無縁と言い張るのは難しいが、束が姿を隠している以上は千冬がそれを無碍に扱うはずがない。

最も、千冬が束の存在を報告しなかったのは証拠が一切ないのだから嘘をついた訳ではない。唯一の手掛かりがIS学園のコンピュータに修正が施されていく際に兎のアイコンが踊っていただけなのだ。それを束が手を貸した確証と言い張るには少々弱い。

しかし、経緯はどうあれあのミサイル襲撃時に引き起こされた世界的電波妨害からも国際IS委員会や各国は姿の見えぬ敵に対し脅威の認識を改め、二度目を防ぐ為にも細心の注意が払われるようになっている。

それは千冬も同様であり、今日を無事に迎えられた事は素直に喜べるものだが、外来が出入り出来る今日の危険性も十分に分かっている。

千冬が学園祭開幕時から正面ゲートでチラシを配る生徒達の手伝いを申し出て見張りを兼任しているのにはそういった背景があった。

いつもと変わらぬスーツ姿でお世辞にも笑顔とは言えない表情で煌びやかな装飾の施されたゲート横に立つ千冬は客観的に客寄せに相応しいとは言えないが、彼女の名前はそのまま広告塔の肩書きにもなる。

IS学園の入口に世界最強の称号を持つ織斑 千冬が立っている。これほど相応しい立ち位置もないと言えるだろう。

とは言うが、千冬の隣には生徒達が急拵えで仕上げた手製の看板「触るな危険、サイン、写真撮影お断り」が鎮座しており愛嬌も何もない状況にはなっている。

看板の有無は別としても千冬程の有名人であろうがIS学園が解放されるイベントとなれば千冬すら飾りに一つに過ぎない。

流れる人の中には千冬に気付き騒ぎ立てる者もいるが、無愛想な千冬の顔と屈強な女警備員が睨みを利かせるだけで大半は大人しく素通りを余儀なくされていた。

 

「織斑先生ー、そろそろアリーナで生徒会主催のイベント始まっちゃうよ? 織斑君が出るんだよね? いかなくて良いのー?」

 

生徒の一人、デモンストレーション用に設定され武装解除してある打鉄を纏った生徒の一人が歩み寄ってくる。

飛ばずに歩くISを見るだけで一般人から歓声が上がり、打鉄が片手を上げて応える構図が自然に出来上がるのも学園祭ならではの光景だろう。

本音を言うならこの生徒の言葉通り、千冬は今日は一夏から離れるべきではないと分かっている。蒼い死神に危険性はないと今になっては千冬は言い切れるが、その他の要因を考えれば今日は危険だ。

が、千冬の内心はともかくとして立場的に他の生徒の安全も考えねばならない。一夏だけを特別視する訳にもいかず、するつもりも千冬にはない。

だからこそと言うべきか、学園祭の期間、一夏を生徒会が預かる結果を千冬は喜ばしく考えていた。一夏の傍らに学園内において世界最強に次ぐ実力者である学園最強がいる。それだけで並大抵の腕では一夏に接近する事は不可能だ。

楯無とて千冬から見ればまだまだ若輩の域を出ておらず、心配でないと言えば嘘になるが「更識」としての人員も動員していると考えれば千冬一人が張り付くよりは安全性が高いかもしれない。

 

「構わん、それより力加減を誤るなよ。客の頭を握り潰しでもしたら洒落にならんからな」

「わ、分かってますよ。怖いこと言わないで下さい」

 

一夏の様子を見に行く気はないと言い放った千冬の注意にパフォーマンスとして打鉄に乗っている生徒が引き攣った笑みを浮かべる。

ここまで来る途中で万全の注意を払っているとは言え迷子の誘導を始め、小さな子供の頭を撫で、腕に乗せる等のサービスを行っているのだから脅しにも近い言葉に引き攣るのも当然なのだが、当然ではあるからこそ注意はし過ぎて困る事はない。

 

「そろそろか……」

 

アリーナ方向を見上げた千冬の視線に呼応するように一際大きく空砲が鳴り響き、桃色の煙の花が咲く。

織斑 一夏が参加しアリーナで行われる生徒会主催の演劇、シンデレラの開幕の合図だ。

 

 

 

 

生徒会主催の演劇内容が発表されたのは当日の朝、学園内の電光掲示板や古典的なビラ、或いはメール連絡を含め瞬く間にソレは広まった。

舞台は客席を埋め尽くしたアリーナ。演者は全部で五人、一夏以外はその場で生徒達から有志を集う形式。名をシンデレラ・4と銘打った参加型の演劇。

外来からの客を含めて生徒達が注目をしないはずがなく、アリーナ入口で発表された詳しい内容と言うかルールは以下の通りである。

 

一、四人一組での参加、制限時間十分の間に逃げ回る白式を捕まえれば勝利。(何処でも良いので五秒以上触れていれば捕まえた事とする)

二、使用するISは生徒会が用意したラファール・リヴァイヴのみ。(エネルギー量は極少)

三、ラファール・リヴァイヴで使用可能な武装はアサルトライフル一丁のみ(装弾数三十発)それ以外の攻撃は禁止。

四、白式側からの攻撃は一切禁止。

五、空戦技術(瞬時加速、一零停止等)の使用は禁止。

六、参加は一人一回に限る。

七、商品は勝利した段階で残っていた人数で山分けとする。

八、アリーナがリングだ。

 

商品、ホテル テレシア提携のスイーツ食券「極」八枚綴り。

 

この商品で生徒達が沸かないはずがない。一学期に行われたクラス代表戦の商品学食スイーツ半年フリーパスも大人気の商品だが「極」は更にレア度が高く、存在するかどうか怪しいレベルのお宝だ。

ホテル テレシアの最上階に位置するスーツ、ドレス着用が義務づけられた一流レストランの極上スイーツ引換券。お嬢様と呼ばれる部類の人間や代表候補生であっても簡単に手が届く代物ではない。

しかも八枚綴りである。単純に考えれば一人二枚の計算だ。各クラスの出し物を考慮すれば参加出来る人間は限られるが、年頃の娘達が超がつく高級スイーツ相手となれば目の色を変えるのも頷ける。

 

「あの、会長、今更ですけどこれシンデレラ関係ないですよね?」

「IS学園で行うから多少の演出は必要よ。織斑くんが王子様で商品の「極」が所謂ガラスの靴ね、それを欲するお姫様が王子様からガラスの靴を奪い取る為に頑張るってお話よ」

「それ俺の知ってるシンデレラじゃない!」

「細かい事はいいのよ、それより始めるわよ? 準備は良い?」

「……はぁ、取り敢えず頑張ってみます」

「うん、いってらっしゃい」

 

アリーナ控え室にて内容を再確認していた一夏が楯無に促され白式を纏い上空に舞い上がると同時に全周囲を観客に囲まれた客席から歓声が上がる。

 

「ぐ、こんな状況で鬼ごっこするのか」

≪織斑君、聞こえる?≫

「聞こえますけど」

≪一応訂正するけど、鬼ごっこじゃなくてシンデレラ。余裕があったら観客を楽しませるよう派手目に動いてね? それと観客を盛り上げる為にダリルとフォルテに前座として模擬戦してもらったからボルテージは最高潮のはずよ≫

「余計な事をっ」

≪何か言ったかしら?≫

「いえ、何でもありません」

≪ふふふ、心配しなくても白式の性能なら簡単に負けたりしないわよ。頑張れ男の子≫

 

プツリと通信が切れ聞こえの良い楯無の声が遠のき思わず脱力しそうになった一夏だが向けられる大多数の視線を前に姿勢を正す。

 

「とにかくやるしかないか」

 

と一夏がやる気を見せている傍らでアリーナの内側に自ら足を運び入れた楯無はミステリアス・レイディを展開し待機している。

残念ながら楯無の瞳が上空の白式を面白いものを見るように歪んでいる事に一夏は気付けていなかった。

 

≪レディース&ジェントルマン、本日はIS学園生徒会主催のシンデレラに足をお運び頂き誠にありがとうございます。実況は私、黛 薫子がお送り致します。それでは皆様、大変お待たせ致しました、最初の挑戦者の入場です!≫

 

一夏個人に送られていた楯無の通信とは違いアリーナ全体に響き渡った新聞部、薫子の声が観客に熱気と言う燃料を投下する。

 

「うわ、エネルギー少なっ」

「特別ルールにしてもこれは酷いと思うな」

「ふん、この程度のハンデがなくては面白みがないからだろう」

「……私、興味ないのに」

 

「簪ちゃーん、頑張ってーっ! 私の為にも絶対商品ゲットだよー!」

 

エネルギー量が極少のラファール・リヴァイヴを装着してアリーナに入ってきた四人を見て「うげ」とリアルに口に出した一夏の顔色が見る見る青くなるのは最早仕方がない。

何せ声の主は順番に鈴音、ティナ、ラウラ、簪、応援として声を大にしているのが本音と言う一年生でも最強クラスのメンバーだ。

 

「ちょ、ちょっとタンマ! 会長、あのメンバーはずるくないですか!?」

≪ずるくなーい。正規の手続きで参加頂いております。それと問題ないと思うけど、わざと負けたりしたらどうなるか分かってるわよね?≫

「わ、分かってます。全力でやりますよ」

≪宜しい≫

 

無理矢理気味だがやる気を奮い立たせる一夏に満足気な声色で楯無が返す。

公表はされていないが、この演劇の裏側には一夏に対してだけ隠しルールが適用されている。敗北した回数分だけ生徒会の労働を手伝う契約になっているのだ。

世話になっている相手に対し、ただ男手が必要と言うのであれば性格的に一夏が断るはずもないが、相手が更識 楯無であれば労働力と称して何をさせられるか分かったものではなく、一夏の腰が引けるのも無理はない。

 

「悪いわね一夏、面白そうだったから参加してみたわ」

「織斑君には悪いけど商品は()が頂くから」

「何度も言うが私はお前をボコボコにするのを躊躇わんぞ」

「……私は無理矢理参加させられただけだから」

 

順番に声を発するものの、何れも優れた腕前を有するIS乗り達を前に一夏の顔色が治る気配はない。

 

≪それでは参りましょう。四人のお姫様は王子様を捕まえる事が出来るのでしょうか、その名もシンデレラフォー! レディー…… ゴーッ!!≫

 

薫子の掛け声と共に一夏が一気に上昇、四機から間合いを計りに掛かる。

ルール二で指し示されている通りラファール・リヴァイヴのエネルギー量は少なく無駄遣いは出来ない。十分の制限時間を考えれば数の利があるにしても絶妙だ。

が、開始早々鳴り響いた数発の銃撃音がシンデレラ・4の恐ろしさを物語る。

 

「え?」

 

一夏が呆けた声を上げ唖然としたのは自分に対する射撃ではなかったからだ。

 

「な、なんで、何してんのよ! ティナ!!」

 

背後からティナが鈴音を撃った。元々エネルギー量が少なかったラファール・リヴァイヴは数発の銃弾を浴びただけでエネルギーが枯渇して動けなくなり鈴音の敗北が決定する。

 

「あははは、油断してる鈴が悪いのよ」

 

何が起こったか分からない。そう思ったのは一夏や観客だけではなくラウラも同様だ。

同じく一瞬呆けた簪が誰より早く思考をリセットしアリーナの隅で悪そうな笑みを浮かべている姉を確認する。

 

「姉さん、流石にこれは性格が悪すぎる」

「何だ、どうい事だ…… あ、そうか! そういう事か!」

 

遅れてラウラが状況を認識する。

この演劇と言う名のゲームの本当に恐ろしい所は商品であるガラスの靴を持っているのは王子である一夏一人であるが、勝者が四人とは限らない点だ。

ルール四で定められている通り一夏側からの攻撃は禁止されているにも関わらず、ルール七では商品は勝者での山分けとなっている。

エネルギー切れでの敗北は当然あるが、この演劇では共演者と協力する選択肢も、共演者を蹴散らし商品の独占を狙う選択肢も与えられているのだ。

 

「言ったはずよ、商品は()が貰うってね!」

 

ティナの視線は一夏だけでなく、次の標的とも言えるラウラと簪に向けられているが、それよりも早くラウラと簪が目で会話し二人の弾丸がティナを撃ち抜き行動不能にする。

 

「あーっ! 何すんのよ!」

「お前が言うな!」「貴方が言わないで」

 

ここで生きてくるのがルール六だ。参加は一人一回であるなら人選には注意が必要だ。強い味方を作れば商品が手に入る可能性は高くなるが、裏切られれば強大な敵になる。

 

「簪よ、我々は協力して織斑を捕まえるぞ」

「…………了解」

「待て、何だか間が長かったぞ」

「気のせいだと思う」

 

今度こそ本当に空を駆け始めた三機のISがアリーナへ舞い上がる。テレビ等で競技としてのISを見る機会があっても生でISを見る機会の少ない来賓から一際大きな歓声が響き渡る。

 

「流石に一回戦からこんな面子が集まるとは思ってなかったけど、おかげで面白さが引き立ったわね」

 

追いかけるラファールと逃げ回る白式を視界に収めながら楯無がほくそ笑む。

実際には演劇と言う名の鬼ごっこであるに違いないが、この演劇には一つの目的がある。

無論、学生参加型で生のISを来賓に披露する目的もあるのだが、楯無の本当の狙いは一夏に対する視線を一箇所に集める事だ。

卒業後の一夏を狙う研究施設や企業が断りもなく一夏に接触するチャンスを奪い、機体性能差があろうとも四対一で負けていない一夏の雄姿を見ればISに関わる者は一夏の努力を垣間見るだろう。

同時に一夏に対するテロ紛いの災害を封じる意味も持つ。過去にあった誘拐事件と状況こそ違うが、唯一の男性IS搭乗者の称号を持つ今の方が誘拐する理由は強い。

そしてもう一つ、可能性は低いと睨んでいるが蒼い死神が襲撃した場合に備える為だ。

千冬同様に今となっては篠ノ之 束や蒼い死神が完全な敵とは楯無も考えていないが、襲撃の経緯がある以上は備えないわけにはいかない。

内心では簪の仇として蒼い死神に対する憎しみを忘れていないが、姉としての心境と生徒会長としての心境を合わせれば最優先は安全性だ。

もし一夏が襲撃されるとしても人通りの多い学園内を闊歩している場合に襲われでもすれば対処が遅れてしまうが、アリーナであれば楯無が即座に対応出来る。

万一に備えアリーナの観客席には更識の人員を配置しており、最悪戦闘になった場合でも迅速な避難誘導が出来るよう手配はしている。

 

「さて、平穏無事に終われば良いけど……」

 

その願いが叶わない予感が楯無の胸中を渦巻いている事は言うまでもないだろう。

 

 

 

 

アリーナが歓声に包まれている頃、正面ゲートでは入場が落ち着き多少の余裕が生まれていた。

チケット整理や迷子案内等で四苦八苦する生徒の手伝いをしていた千冬もゲートを背に一息をついている所だ。

流石に目に見えて怪しい人物には出会わなかったが、千冬の目とて全ての来賓をチェック出来たわけではない。

荷物に危険物を紛れ込ませている人間や変装した犯罪者が入り込んでいる可能性は否定できないのだが、現状でこれ以上打てる手がないのも事実。

本来であれば持ち物検査や身元調査まで行うのが理想なのだが、そこまでしてはIS学園と言っても学園祭の域を越えてしまう。

 

「折角の祭りだ、ビールでも用意しておくべきだったかな」

 

予め用意していた缶コーヒーをポケットから取り出し煽るように一気に飲み干す。

 

「それは流石にどうかと思うな」

「そうだ…… なっ!?」

 

風切り音が鳴る程の勢いで振り返った千冬の視界に飛び込んで来る人物がいる。

飾り気のない野球帽こそ被っているが長い髪は隠し切れず風に靡き、学園祭と言う舞台に違和感なく溶け込んでいるエプロンドレスの女性。

 

「えへへ、来ちゃった!」

 

風雲急を告げる学園祭はまだ始まったばかりだ。


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