IS ~THE BLUE DESTINY~   作:ライスバーガー

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第68話 MEN OF DESTINY

休憩時間に突如として一年一組の教室に現れた生徒会長、更識 楯無の言葉に従いその日の放課後に一夏は生徒会室を訪れていた。

 

「おりむ~を連れて来ましたぁ~」

 

独特の間延びした喋り方と分かるようで分からないあだ名で一夏を呼ぶのは広いIS学園で迷子にならないよう先導役を引き受けた布仏 本音だ。

ノックと本音の声に応じて「どうぞ」と短い返事を確認して一般の教室が横開きなのに対しやや重厚な開き戸の扉が開かれる。

一夏が率直に目の前に飛び込んだ生徒会室に対する感想は眩しいと言うもの。決して照明が強いわけではなく、頭上に輝くのは他の教室と同じ蛍光管で眩しい程ではない。

学び舎としての雰囲気が抜け落ちた印象の部屋の最奥には部屋の主である生徒会長である楯無が閉じた扇子で口元を隠し不敵な笑みを浮かべている。

楯無の背後には大きな窓があり、夕日が差し込んでいるが光源はそこでもない。視界に飛び込んだ光源は部屋全体だ。

一言で表せば生徒会室は応接間を画像検索すれば出てきそうな雰囲気の部屋と言えば良いのだろうか。

部屋の中央には重厚な長方形の机が置かれ左右を囲むように柔らかみのある一見ソファーと見間違いそうな椅子が二つずつ。

奥側には部屋の主である楯無の机、校長や学園長と言うよりも企業の社長と言った方が良い黒檀の机が鎮座している。

教室と比べると明らかに豪奢で職員室とも違う。どちらかと言えば初見で圧倒されたIS学園の寮に近い。

一夏が眩しいと感じ面食らったのは部屋の雰囲気と僅かな光でさえも逃さずに反射させ光沢を演出している磨き抜かれた部屋全体だ。

 

「いらっしゃい、織斑君。入口でボケっとしてどうしたの? あぁ、部屋が綺麗で驚いた? 虚ちゃんが綺麗好きだからね。取り敢えず入って頂戴」

「あ、はい」

 

取り乱すまではいかなかったが硬直した理由を言い当てられ一瞬静止していた一夏は本音に背を押され生徒会室に足を踏み入れる。この場合は生徒会室に詰め込まれたと言うのが正しいのかもしれない。

 

「さてと、まずはご飯にする? お風呂が先? それとも私? まさか布仏をまとめてだなんて言うマニアックなプレイがお好み? やん、織斑君ったら」

「え、えぇ!?」

 

それが冗談で下ネタの類である事はすぐに一夏にも分かったが、何分相手は良く話をした事のない相手だ。

本音に至っては同じクラスでそれなりに面識はあり、蒼い死神が最初に乱入してきた際に白式にエネルギーを補給するなど浅からぬ繋がりもあるが、仲が良いと言えるレベルなのかは微妙なラインだ。

にんまりと楽しそうに笑う楯無はこう言う人なのだろうと内心で納得できてもすぐに返答出来る程に一夏は人間が出来ていない。

結局の所、返答に詰まった一夏に助け舟を出したのは楯無の隣で沈黙を保っていた虚だ。「んんっ!」と短く咳払いをして一連のやり取りを無かったことにしてみせる。

面白くなさそうな楯無の視線をジト目で返しそれ以上の追求を許さない辺りはこの二人の仲の良さを物語っている。

 

「ようこそいらっしゃいました、織斑 一夏君。どうぞ、お座り下さい。本音はお茶の用意をして頂戴」

「ほいほーい」

 

虚に促され一夏は形容するにはふっかふか以外に感想が思いつかない柔らかい椅子に腰掛け、位置的に一夏の背中に隠れていた本音が生徒会室の内部で繋がり隣接している給湯室へ足を運ぶ。

元気に両手を振りながら歩く本音の姿は一年一組のマスコットの座を射止めている彼女らしいが、思わず一夏が怪訝な表情になってしまったのは相変わらず二~三サイズは上の制服を着てぶかぶかの袖を気に留めていない本音の姿を見た故だろう。

この場において唯一の知り合いと言っていい本音の足取りを目で追いながら「あの格好で給仕?」と一夏が内心で考えていた事は上級生に呼び出されたれた現実からの軽い逃避と言えた。

 

「わ~、お姉ちゃ~ん! 袖にお湯が! 熱い、あっつい!」

「…………んんっ!」

 

案の定と言うべきか給湯室から響いた妹の声に眉間を指で抑えつつ再度咳払いで空気を濁した虚は悲鳴を無視できずに妹を手伝うべく給湯室へ足を運ぶ事になる。

ちなみにだが本音が大きい制服を着ている理由は本人曰く「すぐに大きくなるから~」だそうだが、別に布仏家が金銭的に困っており在学仲の制服を一つにしろと親から強要されているわけではない。

更に注釈を入れるなら本音の身体はぐんぐん成長している真っ最中だ。身長や体重ではなく主に胸部に特化している辺りは友人から嫉妬と羨望を受ける要因になっているが、その辺の乙女的会話は普段から一夏は聞き流すように心掛けている。

これも女の園で生きるための術だと言い聞かせている一夏の精神力を称えるべきか、それでも男かと憤るべきかは非常に難しい判断だ。弾辺りの耳に入ろうものなら問答無用で殴られていると思われるが、それを追求すべきではなかろう。

 

「ごめんなさいね、騒がしくって」

 

楯無の心に全く響かない謝罪に「主に貴方のせいだ」と喉からでかかった言葉を辛うじて飲み込んだ一夏は「は、はぁ」と何ともコミュニケーション不全な返事をするのがやっとだった。

 

 

 

程なくして湯呑に熱い緑茶が注がれ、羊羹や甘納豆と言ったお茶請けまでもが机の上に用意される。

普段は紅茶主体の生徒会ではあるが今日は本音が和菓子を所望した関係で和風テイストになっていた。

 

「さ、召し上がれ?」

 

一夏の隣に本音、対面に楯無が座り、その横に虚が背筋を伸ばして座っている。

先ほどは少々情けない返事をしてしまった一夏ではあるが、基本的にコミュニケーション能力は高い。

転校してきたばかりの鈴音と国の垣根を越えて打ち解け、そこに時間を有さなかった事からもそれは明らかだ。

が、目の前でにこにこしている楯無が進めるお茶は触れてはならない禁断の果実、或いは今から行われる話に対する口止めの根回しに思えてならなかった。

 

「そんなに警戒しなくて良いのに、まぁ緊張するのも無理ないかしらね?」

 

誰にでもなく同意を求めた楯無の意を汲んでか虚が頷き率先してお茶を口に運ぶ。

そんな事を態々しなくともお茶菓子が用意された段階から本音は客人を気にも止めずに嬉々とした表情で爪楊枝を手に羊羹を頬張っていた。

一夏とて別に薬が盛られていると疑っているわけではないのだが、郷に入っては郷に従えを如実に感じ取ってしまった以上は若干諦めた表情を浮かべて爪楊枝に刺さっている黒光りする羊羹を味わう選択をするしかなかった。

 

美女と称して差し支えない面々に囲まれてのお茶会ではあるが、正直な一夏の感想は居心地が悪いというもの。

時折虚から送られる品定めのような視線は姉と比較される事が当たり前の一夏からしてみれば「またか」程度のもので気にするに値しない視線であったが、対面の楯無の笑みの奥にある感情を伺い知る事は出来なかった。

千冬と言う絵に書いたスーパーヒーローの弟である一夏の人生は常に姉との比較が前提だった。

その上で虚のように「この子が織斑 千冬の弟」的な視線は正直慣れたものだ。実際には虚は暗部としての面から一夏以上に一夏を知っているのだが、少なくとも表面は一生徒を装っている。

視線に一夏と千冬を比較してしまう内容が含まれてしまうのは少なからずISに関わる人間であればごく自然と言える。

本心を巧妙に隠しているのは楯無で笑ってはいるが内面がまるで読めない。嫉妬や羨望、憎しみに至るまで様々な視線を一身に受けてきた一夏でさえ知らない視線だ。

最も、それ以上に表裏があるのかさえ分からないのは、一夏の隣で全力の笑顔で甘納豆を頬に詰め込む本音なのだが、その辺は一夏も楯無も虚も慣れたもので気にしてない。

 

「さてと、改めて本題に入るけどいいかしら?」

 

口の中の甘みをお茶で流し込んだ一夏の視線を正面から受けて楯無が不敵に笑う。その口元にはいつもの白扇子が閉じた状態で添えられている。

 

「そう身構えなくて良いわよ、学園祭の出し物についての相談、と言うか決定事項を伝えるだけだもの」

「休憩時間にそんな事を言ってましたけど、俺は大したこと出来ませんよ? 力仕事なら男手を頼って貰っても構いませんけど」

 

これは一夏の謙遜でも社交辞令でもない。ISの挙動に関してと言う意味でなく生徒会の催す内容にクラス代表とは言え一生徒として半人前の自分に何が出来ると言うのか、と言う一夏の偽らず本心だ。

自分の立場を客観的にきちんと見る事が出来ている一夏の姿勢を楯無は好ましく思いながらも表情にブレはない。

 

「心配しなくても良いわよ、簡単な仕事を手伝ってもらうだけだから」

 

にんまりとした笑みがニチャリと歪む。この笑みに一夏は心当たりがある。

嫌な予感に本能が警鐘を鳴らしているが既に手遅れだと理解しているからこそ諦める。

一夏は知らない事だが、この場にいる三人は暗部に連なるものであり仮に力任せであったとしても簡単に突破出来る包囲網ではない。

楯無の目配せに頷き虚が机の上にA4サイズの用紙で構成された企画書を見やすい配置に並べていく。

 

「…………えっ!?」

 

視線で順を追っていき、全容を理解する。

そこに記されていたのは学園祭において生徒会主催で行われる演劇の項目。但し、一応は演劇とされているがとてもではないが賛同しかねる内容に一夏は大きく目を見張り絶句という抗議を行うしか出来なかった。

 

 

 

 

「本当に良いんですか?」

「あら、不服かしら?」

 

生徒会長と策略のお茶会とライトノベルの表題になりそうな放課後ティータイムが終了したのも束の間、一夏は楯無と陽が暮れたアリーナにいた。

既にアリーナの使用時間は終了しているが「生徒会長権限で」この一言で全て片付けてしまった辺りに楯無の影響力の大きさが伺い知れる。

ドーム状のアリーナの中央に白式とミステリアス・レイディを展開した状態で両者は対峙しているが武装は展開していない。

通常は競技としてアリーナで試合を行う場合に夜間戦闘はないのだが、ISはあらゆる自然災害に対する救援活動での使用が許可されている。

一年生の間はないものの、二年生からは夜間での活動も視野に入れた授業が組み込まれ、夜間飛行もIS乗りの必要なスキルに含まれる。アリーナの四方に大型照明が取り付けられているのはその為だ。

全部で四つある照明のうち二人を照らしているのは一つだけ、光量は十分とは言えず昼間に比べれば格段に視野は狭くなっているが二人の視線を阻むには至らず、夜の学園に年頃の男女が二人きりと抽出すれば如何わしく思えなくもないが、当の二人にそんな意識はない。

ISスーツ姿である以上は完全に意識するなと言うのは難しいが、一夏に不埒な思考を浮かべている余裕は無かった。

 

「不服なんて事はありませんけど……」

 

不服かと問われれば否だと一夏とて分かっている。アリーナに一夏を連れてきたのは楯無であり、目的は特別訓練だ。

一夏の先生役としては鈴音を筆頭に一年生の代表候補生達がいるが学園最強の称号を持つ人物が特別に時間を作ってくれるとなれば乗らない手はない。

 

「先に言っておくけど、別に暇だから付き合うとかそういう訳じゃないわよ?」

「だったら何で、そりゃ俺としては助かりますけど特別扱いされるのは好きじゃないんで」

「ふーん、織斑君は自分が特別じゃないと思ってる?」

「……いえ」

 

肯定できるはずがない。千冬の弟と言う特殊な立場に加えて唯一の男性IS搭乗者だ。

しかし、自分が特別だと簡単に認めてしまえば待っているのは自惚れと自虐の日々と言う未来だと剣を極めんとする男は分かっている。

 

「物分りの良い子は好きよ。でも、そうね、納得できるかは別として答えが欲しいなら理由は二つかしらね」

「二つ?」

「そうよ、一つは貴方が弱いから」

 

一瞬だけ一夏は眉間に皺を寄せ抗議の視線を作るが、言われても仕方のない立場だと理解して表情を改める。

 

「学園祭に付き合わせる以上はある程度強くないと困るって言うのもあるけど、どちらかと言えば生徒会長としての責務と言ったほうが良いかしら。一生徒とは言え織斑君が弱いままだと困るのよ。色々な意味でね」

「どういう意味ですか?」

「色々は色々よ」

 

楯無の笑はそれ以上の追求は許さないと物語っている。何を考えているのか読み取ることの出来ないと一夏が評する笑顔の隠れ蓑だ。

 

「二つ目は純粋な好奇心よ」

「好奇心……」

「そ、興味本位と言い換えてもいいわ」

 

ひとつめ同様に追求を許さない笑みを浮かべた楯無は言葉では言い切っているが具体的な理由は何一つ答えていない。

勿論回答の裏には一夏の就職先の情報や今後蒼い死神と退治する可能性、その場に簪がいる場合に備えての保険と様々な打算が含まれているのだが、その都合を伝える段階ではない。

 

「私はね織斑君、貴方の成長にとても期待しているの」

 

射抜く視線は一夏の全身を捉えて満足気に頷いている。一夏の成長、言ってしまえば蒼い死神との戦いの歴史と言っても良いだろう。

授業中の小さな戦いを除けば一夏の戦績は決して輝かしいものではない。

セシリアとのクラス代表選別の模擬戦ではエネルギー切れ、続く蒼い死神との戦いでは飛び出したものの何も出来ずに打ち倒された。

クラス別トーナメントの初戦となるバトルロワイヤルは瞬時加速を見事に使い勝利するが、決勝戦では簪に本物の瞬時加速によって粉砕された。

学年別トーナメントでは鈴音とのタッグで見事な連携を見せたが乱入した蒼い死神を相手に瞬時加速を囮に使う奇策を持って肉薄するものの結果的には翼を砕かれた。

撤退を余儀なくされた銀の福音との戦いでは紅椿の助力の上で勝利の鍵となったが、渦巻く陰謀の一部に触れ、勝利と呼ぶには味気ないものとなった。

そして、三度目の蒼い死神との相対は一瞬で幕を閉じた。

それ以外にも授業中に山田先生に指導されたり、放課後にラウラ達と乱取りを行いボコボコにされたりと多々あるが、戦果だけで考えるなら一夏は華々しいとは言い難いのだが蒼い死神に迫る一撃や千冬を守る動き等、見る者が見れば確実に力をつけてきている。

後は正しく導く手伝いをしてやれば十分に強くなれる可能性を秘めている。身内贔屓を避ける為に千冬は積極的な行動に移せず、導くには経験が不足している一年生には出来ない事。

暗部としての打算、生徒会長としての希望、楯無が直接目にしていない戦いもあるがミサイル襲撃時の一夏の動きを見れば努力が実を結びつつあると容易に想像出来る。

 

「お喋りはここまで、それじゃ始めましょうか。と言っても直接戦うだけが訓練じゃないんだけどね」

「へ?」

「なぁに? お姉さんと組んず解れつの戦いがしたかった?」

「そういうつもりじゃないですけど」

「やる気があるのは結構だけど、織斑君は基本的に考えが固いのよ。ISの訓練で一番簡単で一番充実したものは何だと思う?」

「えっと、素振りとか」

「うーん、間違ってはないけど、一番簡単ではないかな」

「鬼ごっこではどうでしょう」

「うん?」

 

素振りから鬼ごっこに至った一夏の考えを探り楯無が気付いた様子でポンと手を打つ。

 

「あぁ、代表候補生の子達が君に飛び方を教えるのに使ったやつね」

「見てたんですか?」

「いいえ、直接は見てないけど知ってるだけ。でも残念、それも違う」

「えっと……。すいません、わかりません」

「素直で宜しい」

 

音もなくミステリアス・レイディが浮かび上がり一夏に向かいゆっくりと飛来する。

瞬間的に交わる視線が絡み合い楯無の瞳に一夏が映り込む。

 

「答えはね……。イメージよ」

 

羽毛が舞うようにふわりと接近した楯無はたじろぐ一夏の目の前まで唇を接近させる。

浮かんだ驚きは最初だけ、楯無の両手がIS越しに一夏の頬に添えられ優しく包み込む。次に来るのは自分でも驚く程の安心感。

 

 

 

「目を閉じて」

 

突然の出来事に反応出来ず、耳元で囁かれる言葉に従い、言われるがままに目を閉じる。

 

「いい、織斑君。全身の力を抜いてISに全てを任せなさい。私の声だけに意識を集中して、他のことは考えないで」

 

否定を認めない言葉に一夏は逆らわず、返事の代わりに全身を脱力する。

 

「良い子よ」

 

楯無は一夏の両頬に手を添えたまま後ろに回り込み、耳元に口を近づける。

 

「思い描いて、貴方の目標を、超えるべき壁を、倒すべき敵を」

 

目を閉じた一夏の意識が楯無の言葉に預けられ、言われた言葉が頭の中で幾重にも重なり反響する。光に続き雑音が消え、届くのは耳元で囁かれる楯無の声だけになる。

眠気ではないが、まどろむような錯覚が全身を捉え、楯無に導かれるままに意識だけが沈んでいく。

やがて、一夏が思い描いたものを白式が浮かび上がらせる。

 

「見えるはずよ、貴方の目の前にいるのは誰?」

 

最初は虚ろだった光の粒子が徐々に形を帯び、蒼い雫を纏った金髪の淑女の幻影が一夏の前に現れる。

現れたセシリアの幻想は楯無には見えていない。一夏が心の奥底で思い描いた幻を白式が見せているに過ぎない。

 

「その人は貴方の目標?」

 

間違いではないが、正確には違う。

目の前のセシリアが僅かに微笑み姿を変える。

次に現れたのは赤褐色の甲冑を纏った二人目の幼馴染。甲龍と凰 鈴音。

 

「その人は貴方の敵かしら?」

 

違う。

一夏の否定を白式が受け取り鈴音の姿は宙に消え、新しい幻影が形成される。

次に姿を見せたのは一夏に正面から敵意をぶつける二人。ラウラと簪。

 

「ゆっくりでいいわ。思い描いて、貴方の敵を、倒すべき相手を、超えるべき存在を」

 

繰り返される楯無の言葉にだけ集中された一夏の意識が目の前の幻影を識別する。

仲が良いとは言えないが、心の奥底から恨みを抱く相手ではない。

二人の好敵手は何も言わぬまま一夏の目の前から一瞬で消え失せる。

 

「織斑 千冬は貴方に取って超えるべき壁? 敵?」

 

具体的な名前を出され一夏の表情が僅かに歪む。心の奥底で繋がったISが一夏の想いを汲み上げている。

敬愛すべき姉が何かと問われ、浮かんだ戸惑いに白式が反応して一夏の目の前に打鉄を纏った千冬の幻影を作り出す。

尊敬、憧れ、情愛、様々な感情が渦巻いているが、壁ではない。

千冬はどこまでいっても千冬であり、並び立つ姿を想像こそすれど超える必要性を一夏は感じない。

一夏がゆっくりと呼吸を整えるのを待ってから、楯無は次の相手を口にする。

 

「蒼い死神は貴方の敵?」

 

一夏の答えは決まっている。分からないだ。

 

「蒼い死神は貴方の超えるべき壁?」

 

繰り返される質問の答えも決まっている。肯定だ。

意識した瞬間に一夏の胸の中を熱いものが込み上げて闘士が吹き荒れる。

白式が主に反応し戦う姿勢に移行しようとするが「ダメよ、まだ目を開けないで」押し寄せる恐怖と無意識下で滲み出る一夏の戦いへの渇望を楯無の言葉が押し止める。

 

「落ち着いて、大丈夫」

 

再び鼓膜から脳内に浸透する楯無の声が一夏の意識を深層意識に引きずり込む。

 

「蒼い死神は強いわ、貴方は勝てる?」

 

答えられずに喉が詰まる。

蒼い堅牢な装甲に輝く赤い双眼が目の前で一夏を見詰めている。

 

「貴方の武器は?」

 

知らず知らずのうちに雪片弐型が一夏の手に握られている。

楯無の声にだけ意識を集中させており、白式に駆動命令を一切出していないにも関わらず、一夏は自然体で正眼の構えを取っている。

 

「イメージしなさい、貴方が思い描く蒼い死神に勝つ姿を。それが本当に正しい姿?」

 

この時の一夏は一種の催眠状態と言っても良い。

本人が意識しているわけではないが、楯無の声に従い全身の力を抜きISに身を委ねた結果。

楯無が言葉で誘導した内容を一夏が想像し、ISが搭乗者に幻影として見せている。

 

次の瞬間、ほぼ無意識の一夏の想像、妄想と言い換えても良い幻影に変化が訪れる。

目の前の蒼い死神の姿はそのままに、一夏の肩に手を添え並び立つ者達のイメージ。

一夏の隣に鈴音が並び、セシリアとシャルロットが微笑みを浮かべ、ラウラが仕方がないと呆れ顔になりながらも付き合ってくれている。

 

「……あ」

 

思わず漏れた一夏の声と共に一気に全身が覚醒する。

ハッキリと意識を取り戻した一夏は両足で踏ん張り、いつの間にか寄り添っていた楯無から慌てて身を剥がす。

 

「あれ? 俺、眠って……。いや、違う、今のは」

「んふふ、慣れてくると一人で自然に出来るようになるわよ?」

「でも、今のは!」

 

夢と呼ぶには現実味が強すぎて、都合の良い妄想と呼ぶには余りにも不鮮明。

 

「分からない? 言ったでしょ、一番簡単で一番充実した訓練だって」

 

一夏の頭上に浮かんでいる疑問符を無視して楯無はゆっくり離れて微笑みを浮かべる。

今の僅かな時間に行われた内容は楯無が主導で一夏と白式を強制的に結びつけたようなもの。

ISの持つ自我に近い何かが主人の心の奥底にある幻想の蓋を開いたに過ぎない。

優れたIS乗りであれば誰もが可能にするイメージトレーニングの一環。

 

「勿論、素振りも大切よ。でも、その上で今のようにイメージを重ねて訓練なさい。貴方が目指すべき剣の道がもっと具体的に見えてくるはずよ」

 

楯無の助言は曖昧であるが的を得ていると一夏は思う。

生身での訓練は無駄にならず、当然ながら必要だ。しかし、生身で強いからと言ってISに乗って強くなるわけではない。

 

「剣道、中国拳法、軍隊式格闘術、企業エージェント、クレー射撃に乗馬、銃器の扱いに戦場の経験、何れも生身で得られるものはISを動かす上で間違いなく糧になる。けれど、肉体がいかに優れた能力を持っていてもISがそれに応えてくれないと意味を成さない。肉体能力だけで良いならISは軍人やスポーツマンに配れば良いものね。肉体と精神、人間とISの同調、織斑君なら分かるはずよ」

 

いつの間にかミステリアス・レイディを解除した楯無に一夏は頷きを返す。

白式が一夏に応えてくれたと実感したのは一度や二度ではない。

蒼い死神や銀の福音との戦いにおいて今はまだ一夏のレベルが白式に追いついていないが、白式が一夏の闘志に応じてくれたからこそ戦い抜いてこれた。

人間とISが一つになると言う意味、銀の福音に落とされた箒が手にした境地を何となくだが理解出来る。

 

「なら頑張りなさい。私は応援は出来るけど直接的に手を貸せるのはこれくらいよ。基本的に私は簪ちゃんの味方だしね。貴方と簪ちゃんが戦う時は全力で簪ちゃんの応援をするからそのつもりでね」

 

パチリと音がしそうな軽快なウインクを送り楯無はそれ以上何も言わずにアリーナを後にする。

生徒会長としての責務、個人的な興味から楯無は一夏を特別視しているが立場上直接的に手を貸すのは難しい。あくまで先輩としての助言、指導の範囲に過ぎない。

もし、一夏の特殊な立場、このままいけば間違いなく待ち受ける悲運を運命と呼ぶならば、道を切り開けるのは自分自身しかない。

異なる世界で蒼の宿命に翻弄された者達がいるように、それが人為的に作られたものであっても一夏自身が強くなるしか道はない。

残された一夏は聞こえない白式の声に耳を傾けながら、落とした視線の先で拳を強く握り締める。




一夏君が頑張る話の前段階?
イメージトレーニングの下りは少々唐突だったかなと思ったりもしましたが、突っ切りました。
ちなみに6話でセシリアも同じようなイメージトレーニングを行っております。

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