IS ~THE BLUE DESTINY~   作:ライスバーガー

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第65話 重力の井戸の底で

国家に属す属さないに関わらず歴史の裏側には常に暗躍する組織が存在している。

間諜、密偵、工作員、スパイ、呼び名は多々あれど裏に生きる組織、人間は時として表舞台の人間以上に世界に影響を及ぼしている。

日本に古くから存在する更識家もその一つ。対暗部用暗部と言う肩書を持つ秘匿部隊。

日本政府と密接な繋がりを持ちながらも世界中に目と耳を持ち、現当主の兼ね合いで最近はロシアにも手足を確保した今を生きる忍びの一族。

住宅街の一角に堂々と大きな純和風の屋敷を構えており表向きは地主として構えていながらも裏の顔を持つ歴史ある家。

 

鈍い音が響いたのはそんな更識の屋敷の奥深く、周囲を竹林に囲まれた道場の中。

板張りの壁に薄緑色の畳が敷き詰められた大きな道場の床に背中から叩き落とされたのは現当主の妹、更識 簪。

 

「諦める?」

「ま、まだまだ」

 

両膝に力を込めて何度目か分からない気合いを入れ直して立ち上がった簪の正面で迎え撃つ姿勢を取っているのは簪を投げ飛ばした張本人にして更識の現当主、更識 楯無。

肩幅に足を開き重心を下げて膝に体重を乗せる。両手は軽く開いた無手の状態、殴るにも掴むにも捌くにも使えるフリースタイル。

 

「やっ!」

 

踏み込んだ簪がお互いに道着姿の楯無の襟元を狙い右手を伸ばすが、その手は楯無の手で弾かれ逆に半歩の間合いを詰め寄られて襟元を狙い返される。

先程はこのやり取りで簡単に宙を舞う結果となった簪だが、今度は更に前に攻め込み、身を屈め伸びる楯無の手を掻い潜り下から持ち上げるように左手を伸ばす。

左肩から手の先までを一本の槍とした掌底で楯無の顎を撃ち砕かんと痛烈な一撃が放たれる。

 

「あま~い」

 

バックステップ、密接した距離での組手から一気に距離を作られ研ぎ澄まされた一撃を避けられた簪のバランスは一瞬だけ崩れてしまうが、流石と言うべき身体能力と反射神経を持って身を捻り態勢を立て直す。

避けられた事を今更驚きはしない、両者の実力に差がある事は改めて告げるまでもない事実なのだから。

互いの距離は数歩、踏み込めば届く範囲だが、それは反対に踏み込まれれば届く距離を意味する。簪の僅かな逡巡を楯無は不敵な笑みで返す。

 

「この距離なら攻撃する前に踏み込む必要がある。お互いに迂闊には攻め込めない、そう思ってるでしょ」

「……当たり前」

「残念、それは常人での話よ」

「え?」

 

常人の範疇とは一概にして計れず、簪の対人戦闘能力を言うならば常人に該当するとは言い難い。

ISがなくとも更識の名を持つ以上は成人男性数人に囲まれた程度であれば自力で脱する実力は有している。相手が武器を持っていたり有段者であれば話は別だが戦闘の素人に負ける程にやわではない。

が、その簪の思考を楯無は常人と言い放った。

楯無を相手にする以上、簪に一切の油断はなく、足元から自由にした両手と視線、視界に収まる全てを注視していた。

僅かな挙動さえ見逃すまいとしていたにも関わらず、瞬きの一拍の一瞬で楯無は簪の目の前に瞬動していた。

 

「っ!?」

 

気が付いた時には肺の中の空気を全て吐き出す程の衝撃が背中から全身に響き渡っていた。

一瞬で間合いを詰めた楯無の放った足払いと掌の突き出しでひっくり返されたのだと認識したのは覗き込む楯無の顔を見てからだ。

 

「大丈夫、簪ちゃん?」

「だ、大丈夫」

 

補足するなら先程の楯無の挙動は無拍子と呼ばれるもの。いかなる武術にも必ず存在する型や前置きを一切無視した純粋な足運び。

構えが無い武術も存在はするが、それは構えが無いと言う型に他ならず、相手の間合いも自分の間合いも関係ない動作と言うものは通常はありえないのだ。

呼吸や瞬きと言った一泊の間合いを制する奥義の一種。達人の域に足を踏み入れた者にのみ許された生身での瞬時加速、いや、どちらかと言えば一零停止に近いかもしれない。

 

「んふふ、さっきの掌底はなかなか鋭かったわよ?」

 

未だに視界が明滅する簪に手を差し伸ばし微笑み顔で抱き起す。

 

「今日はここまでにしておきましょうか」

「も、もう一本だけお願いします」

 

頭を左右に振り意識をクリアにした簪が再度闘志を見せる。

 

「もぅ、仕方ないわねぇ」

 

満更でもない様子で表情を引き締めた楯無が数歩距離を取り構えを取る。

未だにぎこちなさは取れず殴り合っている状況ではあるが、姉妹が会話出来ている現状に楯無は嬉しさを噛みしめていた。そういう意味では蒼い死神に感謝しても良いのかもしれない。

 

二人が組手を初めてから既に二時間が経過しており、時刻は深夜二時を回っている。

夏休みが終わろうとしているこの時期で実家において更識姉妹が何故組手に及んでいるのかは少しばかり時間を遡る必要がある。

 

 

 

 

陽が暮れ夕飯も終わり一般的な一日の業務としては大方が終わりを告げた頃、純和風の象徴とも言うべき襖と障子に囲まれた和室の中央に楯無は立っている。

口元を無地の黒扇子で隠し、視線を何もない部屋の中心に固定してただ立っているだけにも関わらず、位置的な意味ではなく、空気的な意味で彼女が場の中心、部屋全体を支配しているのだと感じ取れる。

 

「…………」

 

意識していても聞き取れない程に小さな蚊の鳴くような声で囁かれているのは襖や柱の向こう、天井裏に控えている同胞の声。

楯無の視界には映ってはいないが彼女を中心に六人の黒装束が膝をつき控え、主である更識家現当主の楯無に報告を行っているのだ。

 

「大方は予想通りだけど、蒼い死神の行方は分からないままか。ミサイルの方は何か情報はあった?」

 

引き続き囁かれる言葉に耳を傾けながら楯無は表情を変えずに自分の予想と告げられる報告内容を頭の中で照らし合わせていく。

夏休み終盤に入り更識姉妹は揃って学園に戻っていたが、IS学園未曾有の危機であるミサイル襲撃と言う異常事態があり実家に再度足を運んでいた。言うまでもなく裏の顔である暗部としての情報を確認する為だ。

ミサイルがIS学園を襲撃すると言う前代未聞の出来事に対し学園に被害が出ないよう更識の人員に手を回してはいたが、結果的に人員の必要はない程に被害は軽く、大きな損傷は出なかった。

学園が守られたこと自体は称賛するべきだが、原因に到達出来ていない状況を暗部としては歯がゆく思わざる得ない。

 

「そう、引き続き情報収集に務めて頂戴、散れ」

 

音もなく六人の気配が遠のく様子を暫し沈黙したまま楯無は見守る。

 

「亡国機業、間違いなく絡んでると思うんだけどね」

 

更識の暗部は優秀で既に幾つかのミサイルの発射元に関しては突き止めているが、完全な把握には至っていない。

ミサイルの出自に関して楯無は亡国機業を仮想してはいたが、学園の守衛に人員を回した影響も少なからずあり人手不足は否めなかった。

暗部衆はあくまで対人と情報収集に関してのスペシャリストであり、当たり前だが逃げるISを追う手段は持っていない。蒼い死神の行方を追えなかった事を責めるのは難しい。

情報と言う観点からISやミサイルを追う手段は幾らでもあるのだが、現状としては実を成しているとは言い難いのだ。

何事にも時間は必要であり、襲撃された翌日と言う事を踏まえればそれも当たり前だ。非常時に備えて暗部の人間を学園や政府に配備している現状では入って来る情報は限りなく少ない。

 

「さてと……」

 

扇子を閉じ外に通じる障子を左右に開け放った楯無が背を伸ばす、木張りの廊下を挟み目の前に広がる小さな庭園にある池に反射する月が優しい光を帯びている。

流石に古くとも歴史ある屋敷と言うべきか手入れの行き届いた庭園は見事の一言だが、生憎と夜景を堪能するだけの時間は無い。

 

「お姉ちゃんに何か用事?」

 

視線の先、月明かりの落ちる廊下の奥から姿を見せる簪に向けられた楯無の視線は柔らかいものだ。簪とて暗部としての立場は理解しており、暗部衆が去った上で姉の部屋を訪れているのは言うまでもない。

 

「……気付いてたの?」

「そりゃそうよ、お姉ちゃんだもの。簪ちゃんの事なら何でも知ってるわ」

「だったら、私が来た理由も分かる?」

「そうね、予想は出来てるわ」

「……なら、話は早い」

「でも、直接聞きたいかな」

「…………」

 

口元を結び視線を廊下に落とす簪の表情は暗いものだが、瞳に宿る光には明確な意思が見て取れる。

つい昨日の出来事だ。IS学園を襲うミサイルを迎撃する緊急ミッションに引き続き蒼い死神と二度目の邂逅。

結果を改めて思い返すだけでも屈辱に顔が歪む。何もする事が出来ず、一夏ですら斬り合ったと言うのに、実力で勝る簪は手を出す事さえ出来ずに蒼い死神の放つ赤い瞳の威圧感に呑まれ戦意を保てず、恐怖に心が呑まれ意識を手放した。

実戦を知る人間からすれば無理もないと言える事で、むしろ実戦経験の無い者が蒼い死神相手に良く持ったとも言える。簪の敗北を責める者は誰もいないが、簪自身がそれを許せずにいた。

 

「家の都合を全部姉さんに押し付けてる私が言うのは我儘だって分かってる、だけど……」

 

閉じた扇子で口元を隠した楯無は妹の言葉を遮る事無く紡ぎ出される続く声を待っている。

 

「強くなりたい、です」

 

上げられた視線が一瞬交わり、すぐに簪は視線を下げてしまう。

いつからか姉との会話もなくなり、姉に自分の都合で頼み事をする事がどれだけ自分勝手か簪には良く分かっているからだ。

罵倒されても蔑まれても仕方がないと理解した上で簪は自らの望みを口にする。

敗北の言い訳でも、現状を打破する方法でもなく、ただ純粋に自らの願いを、最も信頼出来る人間に告げるのだ。

 

「んふふ、お姉ちゃんが簪ちゃんの頼みを断るとでも思ってたの?」

「でも! 私は……」

「簪ちゃんが望むなら、それでいいの。私が協力を惜しむ理由は何もないわ」

 

重荷になる程の一方的な愛の先にあった姉妹の間のわだかまりもまた無理のないもので溝が埋まったとは言えないが、楯無は簪の願いを無碍にするはずがない。

重力の底に落ち込んでしまった妹を引き上げるのは姉の役目だ。千冬が一夏を見守るように、束が箒を導くように、楯無も簪の手を引き背を叩く。

 

「言っておくけど、私は厳しいわよ?」

 

そして、始まったのが深夜の組手。

 

 

 

 

踏み込んだ簪の手を楯無が捌き、時に握った拳での殴打、時に襟元を狙った掴み、時に振り上げられる蹴り技と戦闘スタイルに決まりはない。無差別級の異種格闘技とも言うべき総合戦闘スタイルは更識ならではと言えなくもない。

IS乗りとして手っ取り早い訓練は実機を用いるに他ならないが、イメージが大きく影響するISにおいて生身での組手は決して無駄にならない。

簪に足りないのは場数だ。銃弾飛び交う戦場の経験もそうだが、姉妹仲や家柄の影響で人付き合いも得意とは言えない性格が災いし、ISによる戦闘に限らず簪には圧倒的に経験が不足している。

蒼い死神と相対した際に心が折れたのは経験がなかったからに他ならない。楯無と戦ったからと言って同じような恐怖を感じるわけではなく恐怖に対抗する術を学べるわけではないが、戦う術を知ると言う事はそれだけ対応出来る幅を広げると言う事だ。

何よりも拳を交える回数が増えればそれは直接的な自信に繋がる。一夏が剣道を主体にISの戦闘力を高めているのも同じようなものだ。

 

再度補足しておくが、簪は弱くはない。前述したように成人男性程度であれば生身で圧倒出来る。

楯無が簪の代わりに家柄の全てを引き受けている為、暗部としての活動は無いに等しいが、幼少時より更識としての戦闘スキルは叩き込まれている。

無手での打撃術に柔術、レスリングのような突進系の掴み技に総合格闘技の極め技、武具を用いての剣術や薙刀術、棒術や暗器の使い方に至るまで基本的な修練は積んでいる。

一般的な女子高生と言う括りに簪を含んでいいとは思えないが、それだけの腕を持つ簪の攻撃を笑みを崩さぬまま華麗にいなし翻弄する楯無は武道の達人と呼ぶ他ない。

 

「ほらほら、動きが散漫になって来てるわよ」

 

簪の放った拳を無造作に払いながら長時間の及ぶ組手で疲れの見え始めた簪の足を狙う。

 

「何度も同じ手にっ!」

 

更に一歩と踏み込もうとした足を引き強引に姿勢を引っ張った簪が間合いを作り一息を吐くが、無拍子を警戒している簪の思考を読み切っている楯無が放つのは下段から上段にスイッチする変則的な蹴り。

正面からの不規則な攻撃に咄嗟に交えた両手で防御態勢を敷き防ぐものの、押し込まれた簪の口から「ぷはっ」と呼吸が吐き出され態勢を崩す。間髪入れずに頭上から手刀が叩き落とされ、思わず簪は防御に回していた両手で頭を庇ってしまう。

 

「ダメよ、先を見据えないそんな防御じゃ」

 

手刀を受け止める事には成功するが、両手を頭上に掲げてしまった事で生まれた腹部の空間を楯無の貫手が穿つ。

 

「っ!!?」

 

鳩尾に入った痛撃が声にならない悲鳴を生み出し膝から簪が崩れ落ちる。

勝敗は当に決している。無慈悲とも呼べる容赦なき攻撃の嵐に沈む簪の姿に楯無が心を痛めていないはずがないのだが、足掻く妹の想いが分からない姉ではない。

簪ならば敗北の先に見えて来るものがあると信じて徹底的に打ちのめすと楯無は既に心を決めている。敗北の数を重ね、戦いの場数を増やし経験を積む、それが今の簪に何よりも必要な事だから。

 

「簪ちゃん、貴女の目指す力はその程度?」

 

ヒーローを求めた少女は力の前に儚くも散る宿命。遠く夢見た世界に伸ばした手は何ものにも届く事無く空を切る。

織斑 千冬に憧れた、更識 楯無に羨望した、織斑 一夏に嫉妬した、蒼い死神に恐怖した。

何れも夢見たヒーローとは違う、少女が夢中になり熱中し心待ちにした憧れは遥か理想の先にある。思い描いた英雄像は所詮想像の世界の産物だ、そんな事は簪にだって分かっている。

だからと言って、捨て去るわけにはいかない。過去にするわけにはいかないのだ。塞ぎ込んでいた自分に光を与えてくれ、傍らに寄り添ってくれたヒーローと呼ばれる存在は簪に取って切っても切れないものなのだから。

幼い頃からヒーローものが好きだった。家柄を理解して尚も光を渇望する少女の望みは変わらなかった。

 

「まだっ、終われない!」

 

ダンと音を立てて崩れ落ちる足を前に踏み出し辛うじて踏み止まる。

目指す力を否定された言葉を否定する、ここで終わりだと、認めるわけにはいかない。幾多の戦場を駆け抜けた戦士達の幻影を、自分自身の青春を否定させるわけにはいかない。

 

「私は、ヒーローになるんだ」

 

織斑 千冬も更識 楯無も織斑 一夏も蒼い死神も、更識 簪に取ってヒーローにはなり得ない。

ならば、自分自身で目指すしかないのだと。

 

「なら、立ちなさい。地面に這いつくばっていては成層圏の先にある夢には届かないわよ」

 

この世界に神なんていない。

簪が否定した世界に対する思いを今更修正する気はない。しかし、彼女は人間だけが持つ可能性に手を伸ばした。

自らが前へ進む為に、恐怖に全身が縛られた屈辱を晴らす為に、その魂は地上で泣き崩れる事を認めず、遥かなる天井の先を目指す。

 

「私は、もう、負けないっ!」

 

単純な実力の話ではなく、気持ちにおいて負けを許さないと言う誓い。地に伏せようとも立ち上がり立ち向かう勇気を胸に決意を発する。

その言葉を最後に、気力だけで繋ぎ止めていた簪の意識は途切れる。蓄積された疲労から来る限界はとっくに越えていたのだから無理もない。最後に踏ん張った足から再び崩れ落ちる全身を楯無が優しく抱き留める。

 

「大丈夫、貴女は強くなるわ。私の自慢の妹だもの」

 

優しくも暖かい抱擁を送る楯無の視線は柔らかい姉のものであり、真剣な更識の長のものであり、後輩を見守る先輩のもの。

何度敗北を繰り返しても、その命ある限り抗うべく籠の鳥であった少女は自ら檻を打ち破る。

飼い主と称するには語弊があるが、簪が羽ばたく様を見届けるのはやはり楯無でなくてはならないと感じさせる程に美しい微笑みと共に夜は更けていく。

 

 

 

そして、IS学園二学期の幕は開く。

激動と波乱、様々な悪意と思惑に満ちた時が訪れる。




根暗じゃなくても良いじゃない、簪に熱血属性が付与されました。

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