ステルス・ブレット   作:トーマフ・イーシャ

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平凡な日常

「待て!ちょっと待てよ!夜バージョンのティナと話して喋っていただけだよ!」

「何が『夜バージョンのティナ』よ変態!最ッ低!信じられない!まだティナちゃん十歳なのよ!」

 朝。比企谷八幡は隣の部屋から響いてくる大声で目を覚ましました。

「ふぅぁぁ……うるせえな……」

「あ、お兄ちゃん。起きたんだったら布団片付けてテーブル出しといて~。もうすぐご飯出来るから~」

 布団の中での呟きに、キッチンで学生服の上にエプロンをつけた比企谷小町がお玉を振りながら反応します。

「お、おう……」

 布団から体を起こそうとすると、服をグッと引っ張られる感触があります。横を見ると、隣の布団で寝ている鶴見留美が寝たまま服の袖を掴んでいました。

「ん、んん……はちま……」

「…………あと二時間」

 八幡はこの無垢なる誘惑に抗うことは出来ませんでした。決して、八幡がロリコンだからではありません。ルミルミという天使に抗う人間などこの世には存在しないのです。

 そして、微睡みと隣から伝わる温かみに身を委ね、再び八幡の意識は彼方へと……。

「起きろーー!!!」

 ガバァ!と布団が取り上げられてしまいました。哀しいかな、天使の誘惑も、何年もグータラ二人の面倒を見てきた小町の主婦スキルの高さには勝てませんでした。

「ほら、お兄ちゃんも留美ちゃんもさっさと起きる!」

「……分かったよ」

「う、うん……」

 仁王立ちする小町の剣幕には逆らえませんでした。いそいそと布団を畳み、テーブルを用意して朝食の用意をします。

 ご飯と、モヤシの味噌汁にキュウリのお漬物。そしてモヤシの炒め物。いつもの美味しく胃に優しい朝食です。三人はサラッと食べてしまいました。

 ご飯を食べ終えた留美は東京エリア第39区第3仮設小学校へと、八幡は自転車の荷台に小町を乗せ、家を出ます。

 

 今日も平常運転で一日が始まりました。

 

 八幡が教室の扉を開けると、クラスのみんなは一瞬黙ります。少し前に教室で女生徒と銃を突き付け合い、最後には窓どころか壁ごと吹っ飛ばしたのがまだ尾を引いているのでしょう。雪ノ下陽乃の手回しも人々の記憶と感情まではどうしようもありません。

 以前はマリオット・インジェクションを使うまでもなくクラスでの存在感が皆無で誰にも見えていなかったですが、今では誰からも忌避される存在という大進歩を遂げました。

 八幡は自分の椅子に座ると、すぐに机に突っ伏してしまいました。そんな彼に視線を送る人はいても話しかける人は誰もいません。

「おはよ、八幡」

「…………俺と一緒の墓に入ってくれ」

「え?それって、どういう……?」

「……すまん、寝ぼけてた」

 いえ、一人いました。性別という概念を超越し、人の身でありながら天使の領域へと踏み込んだ者。戸塚彩加です。

 その後、彩加は八幡と楽しそうに一言二言話すと、八幡のそばから去っていきました。八幡はその後ろ姿を微笑ましいものを見るかのような目で見つめます。

「やっはろー!」

 誰かが八幡に不躾な声を掛けましたが、さっきまで彩加に視線を送っていた八幡は一瞬で机に突っ伏してしまいました。誰かが投げた言葉に対する返答は、どこにもありません。

次に八幡が目を覚ましたのは、昼休み開始10分前でした。教壇に立つ国語教師がこちらを睨んでいる気がしましたが気のせいでしょう。

 

 

 

「では、授業はここまで。次は算数ですからね」

 青空の下で、松崎はその言葉で授業を締めくくり、教壇をおりました。

「でな、留美よ。さっきの話の続きなのだがな。あれだけ妾が蓮太郎を誘惑しておるのに、何故妾を抱かんのだろうか?」

休み時間に入るや否や留美に小学生とは思えないトークを披露するのは、同僚で隣人でクラスメイトというよく分からない属性の組み合わせの藍原延珠。

 どうやら年不相応に捻じ曲がった恋愛相談をしているようです。しかし相手はあの留美。そんなこと、恋人どころか友達さえロクに出来なかった彼女が知る由もありません。

「やはり妾から押し倒すのは正直気が乗らんのだ。妾だって女の子。初めては蓮太郎の方から妾を求めて欲しいのだ。妾は何時だってwelcomeだというのに」

welcomeの発音が妙に流暢なのがイラっとします。

「延珠さんにお兄さんは渡しません……」

 澄んだ声が延珠のトークに割り込んできました。

 声の主はついさっきの授業までうつらうつらしていたのに、今は壊れかけの壁の上で腕を組んで仁王立ちしています。口元のよだれのあとさえなければ威厳のあるお姿なのですが。

 そうです。この子、ティナ・スプラウトだって蓮太郎ラブなのです。横で最愛のお兄さんを寝取られる話をされていては、おちおち寝ることも出来ません。

「延珠さんは胸がありませんから抱いたらゴツゴツしていたいじゃないですか。その点私の胸は誰かさんと違って柔らかいですから」

「嘘だ!見た所妾と同じくらいのハズだ!妾が直接確かめてやるのだ!」

「あ、ちょっと延珠さん、ま、待ってくださ……ひゃん!」

 自身の女の武器を誇示することは、容易に他の者のヘイトを上昇させ、反逆される。親の仇を見るような顔で一心不乱に薄い胸を揉む延珠を見た留美は、また一つ大人になりました。

 ほぼ更地の教室の中心で大立ち回りを繰り広げる二人を見ていたクラスのみんなは、一様に自分の胸に手を押し当てます。皆、先日教鞭を振るっていた牛みたいなオパーイの先生を思い浮かべたのでしょう。落胆のため息は少なくありませんでした。

 留美もその一人でした。ペタペタという感触が伝わってきました。

 だけど、彼女は知っています。以前、護衛任務と言って八幡に近づいてきた、あの忌まわしい女。牛先生と同じ高校生でありながらあの女のそれとは対極でした。

 手が届かない相手を見上げるのではなく、劣る人間を見下ろして安堵する。なんと醜いことでしょう。

 留美は自身を嫌悪しました。こんなことを考えてしまうだなんて。自分が醜いのか、オパーイの魔力が狂わせたのか。

 自己嫌悪に陥る留美に、乳繰り合いから殴り合いになりつつある延珠とティナ。自身の胸に手を当てて溜息をつくクラスメイト。クラスは混乱と混沌に包まれました。

「では、時間になったので授業を始めますよ」

『はーい』

 生徒たちは席に着き、授業が始まりました。

 やっぱり小学生は真面目で元気が一番です。

 

 

 

「アタシがアンタのアジュバントに?構わないよ」

 昼休み。遅れて投稿してきた川崎沙希を、八幡は自身が所属する雪ノ下陽乃アジュバントに勧誘しました。なぜか里見蓮太郎たちを陽乃たちのアジュバントに所属するさせることを強く陽乃自身が拒絶したため、八幡の数少ない民警の知り合いに当たっているのでした。

「勧誘しておいてなんだがいいのか?俺とお前はついこの前まで殺しあっていたんだぞ?」

「別に前の仕事の関係を引っ張る必要もないでしょ。お互い仕事だったんだし、終わったらそれまででしょ。それに、アタシらに他のエリアに逃げる金もないし、あの子たちがシェルター行きのチケットが当たるとも思わない。だったら、戦うしかないでしょ」

「……そうか。助かる」

 沙希さん、男前です。

 沙希が承諾したことを確認すると、八幡はその場を後にします。ぼっちは用事ついでに世間話だなんて小洒落たことはしません。用が終われば立ち去るのみです。

沙希も、立ち去る八幡を見送ることもせず自分で作ったお弁当をつつきます。

避けられる人。気付かれない人。嫌われる人。笑われる人。

そんな一人と一人が合わさろうとも、所詮は一人と一人。二人にはならないのです。

これもまた、いつも通りの光景です。

 

 

 

 幅広の歩道橋で、盲目の少女は今日も歌います。なぜなら、そうしないと少女とその妹は飢え死にするからです。

「薄汚いガストレアが」

「ヘラヘラしやがって、気持ちわりぃ」

 どこからか、そんな声が聞こえてきました。少女は目が見えないので誰が言ったのか知ることは出来ません。それでも、笑顔で歌い続けます。ここでこうしている以外に、生きる当てなんてないんですから。

 少女は日銭を稼ぐために歌いますが、ここ最近、どうもうまくいきません。投げ込まれる小銭はほぼ0の状態が続き、かわりに殴られたり汚い言葉を投げられることが増えました。

「おい、お前……」

 少女の前に立つ誰かが声を掛けてきました。お金を恵んでくれるとありがたいのですが、殴られるかもしれません。少女は笑顔で答えます。

「はい」

 そうして一言二言話をしていると、少女の鉄蜂に何かが放り込まれて、金属音がなりました。少女は無言で礼をします。それがアルミ缶のプルタブだとは少女は気付いています。もう、小銭とプルタブが出す音の違いが分かるくらい少女は物乞いを続けているのですから。

 それでも、少女は無言で笑いながら礼をします。もしかしたら、少女は怒り方も悲しみ方も分からないのかもしれません。

 先ほどまで少女の前に立って話していた誰かは、近頃は物騒だから物乞いはやめるようにいい、少女に数枚の札を握らせました。少女は喜びと感謝を伝えるために歌います。

 恵んでくれた誰かが立ち去った後も、少女の奏でる祝福の歌声は大気へと浸透していきました。そしてその歌声はきっと、祝福を呼び寄せるのでしょう。それが少女にとっては不幸であっても。

「なあ嬢ちゃん。てめぇみたいなガストレアのせいで人生をめちゃくちゃにされた哀れな俺たちにお金を恵んではくれねぇか?」

 例えば。先ほど、不幸そうな面した女連れの男が汚いガキに数枚の札を恵んでいるのを見ていた数人の若いゴロツキの男たちにしてみれば。その歌声は幸運を呼び込んでくれたのかもしれませんね。

 

 

 

 自分以外に誰もいない奉仕部の部室で、雪ノ下雪乃は今日も本を読んでいます。本来なら親の支援がなくなり、かなりの貯蓄があるとは言え有限である貯金を切り崩して生活している雪乃にしてみれば、こんな部活なんてやめてアルバイトでもするべきなのでしょう。

 それでも雪乃がそうしないのは、雪ノ下家の出奔を余儀なくされたことへのささやかな反感か、哀れな子羊を救い、世界を変えたいとまだ本気で思っているからか。それはきっと本人にも分からないのかもしれません。

「やっはろー!」

 奉仕部の扉を開けて入ってきたのは由比ヶ浜結衣でした。クッキーの件依頼、奉仕部に何かと入り浸るようになりました。

「こんにちは由比ヶ浜さん」

「うん!あ、そうそう!今朝のことなんだけどさ、朝、ヒッキーにあいさつしたら、ヒッキー、あたしのこと無視するんだよ!?キモくない?」

 部室に来た途端に八幡のことを話しだす結衣。めんどくさいです。

 その後もダラダラと話し続ける結衣を適当にあしらっているとノックが響きます。

「どうぞ」

「お邪魔します」

 そう言いながら入ってきたのはみんな大好き葉山隼人でした。隼人からの依頼内容は『チェーンメールをどうにかしろ』とのことでした。

 雪乃はこれを承諾しました。幼いころからチェーンメールの被害にあい、そのたびに叩き潰してきた雪乃にとって造作もないことです。結衣は解決方法が分からずうんうんうなっていましたが。

 それにしても、他人を誹謗中傷するチェーンメールに悩んでいるだなんて、世界はなんて平和なんでしょう。

 

 

 

 

「鬼八さん、私たちどこへ向かってるの?」

 夜中。紅露火垂は横を歩く水原鬼八に問います。まあ、火垂なら例えどこに行くと言ってもついていきそうなものですが。

「ああ。仕事の話だ。アジュバントに勧誘されてな。今から向こうのリーダーに会いに行くんだ」

 そうして火垂たちがたどり着いた先は勾田市役所の新ビル建設地です。そこには、

「ひゃっはろー♪」

「……」

 能天気そうでそこの見えない女と目の腐った男がいました。もしかしてこの二人がこれから二人が勧誘されているアジュバントのメンバーなのでしょうか?正直、信用できる気がしません。

 

 

 

 人ほどの大きさもある羽虫の群れ。自身の体よりも大きなハサミを引きずりながら歩く甲殻類のような何か。オオカミと虎という二つの異種の頭を持つオルトロス。

 形も色も大きさも様々なガストレアが一直線にある場所を目指します。ですが、それらがなぜそこへ向かうのか、これから何をするのかを理解して集まっている個体がどれだけいるでしょうか。理由も目的も分からず、あるいは理解出来ずにただただ一直線に向かいます。

 そしてその中心にいるのは、八本の足に触腕と甲羅に、小山ほどもある巨躯を持つガストレア。アレが名前という概念を持つかは分かりませんが、人間からはアルデバランと呼ばれている個体です。

 甲羅の横に空いた穴から放出されたフェロモンは、甲羅の裏の羽によって拡散されていきます。

 そうしてアルデバランのもとへと集結したガストレアは、モノリスが崩壊するのを今か今かと待っています。

「ガアアアアアアアアアアアア!!!!」

 アルデバランはその口しかない頭で高らかに吠えました。それは人間を殺せることへの抑えきれない昂りの表れであり、人間を一人残らず葬るという決意の表れでもあったでしょう。

 

 なぜアルデバランが、いやガストレアが人間を駆逐していくのか。それは、きっと……。

 

 

 

 

 

 モノリスの白化は今日も止まらず、風とともに摩耗していきます。少しずつ白い部分が斑点のように表面化しつつあるそれは、まるでこの世界の残酷な真実を隠していた黒くて暗い闇の中で見える真実を照らす光のようです。

 

 ただ、こうして闇が割けるのを外で今か今かと赤い目をギラギラさせて待っている真実たちは覆い隠してなかったことにされるのが大層不快なようですがね。

 


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