八幡side
午後八時。病院のベッドの上にて俺は目を覚ます。あたりを見回すと、ナノマテリアルが埋め込まれた学生服と、枕の横に手紙を見つける。その手紙の中には、
『午後八時から雪ノ下家が襲撃される』
その一文のみが書かれている。行かなくては。留美が戦っている。雪ノ下が狙われている。行かなくてはならない。
手術衣を脱ぎ捨て、制服を着て、駆け出す。体の随所が痛む。体がふらついてうまく歩くことができない。それでも、俺は止まれない。病室を出て、駆け出す。
夏世side
爆発音。崩れる部屋の壁。
一か所に留まれば逃げ場をなくして殺される。しかし、銃機で武装した集団から部屋を出て移動するには屋敷の長い廊下は非常に不向きだ。そこで私は部屋から出ずに部屋を移動している。爆発物で部屋の壁を壊しながら移動しているのだ。
私が威嚇射撃で敵を怯ませつつ、陽乃さんが爆発物を仕掛けて壁を壊す。雪ノ下さんと三人で何とか逃げることが出来ている。
「ぐわああ!!!」
男の声。壊れた壁の奥には瓦礫の下敷きになっている男。襲撃部隊の人間のようだ。どうやら隣の部屋に潜んでいたところを爆弾で吹き飛ばしてしまったらしい。全身を瓦礫に叩かれたことによる打撲によって気を失っているようだ。
私はおもむろにその男に近づき、フェイスマスクをはぎ取る。そこには、つい最近見覚えのある顔があった。
「まさか……そんな!」
「気付いちゃった?」
留美side
振り被ってナイフを投げる。ナイフはプロモーターの顔面に突き立つ……前にイニシエーターが飛んでいくナイフの持ち手をつかみ取ってそのまま投げ返してくる。投げ返されたナイフは私の膝を浅く切り裂いて地面に突き刺さる。思わず地面に倒れてしまう。
すでに私は全身に殴られたことによる打撲によってボロボロ。体のあちこちから出血し、骨も治癒力で補いきれないくらいあちこちが折れている。
傷を負っているのはあちらも同じだが、二人ということもあって私より損耗が激しくない。プロモーターのシールドはひびだらけ、イニシエーターの籠手もショットガンを至近距離で浴び続けたことによりべこべこにへこんでいる。どちらも肩で息をして体のところどころから血が出ているが、戦闘はまだまだ続行可能だろう。
こちらは全身を負傷。弾薬も心もとない。このままでは、死ぬ。でも、ただでは死なない。少なくとも一人くらい、道連れにしてやる。私は全神経を集中させる。生き残るためではない。殺すために。
と、感じる。後ろに誰かいる。空気が振動し、触覚がそれを読み取る。夏世ではない、男の人。
私は地面に転がったままM92Fを抜いてそこを感じた場所へと向ける。しかし誰もいない。いよいよおかしくなってきたみたい。誰もいないのに、誰かがいるように感じる……。
え?
つい数日前まで当たり前だったのに、今こうして感じるのがすごく懐かしく、すごく嬉しい。涙がこぼれそうになる。でも、必死に堪える。文字通り、必死に。襲撃者に気取られれば、今度こそ殺されるから。
私を地面のシミにしようとイニシエーターが地面に植えられていた木を引っこ抜いて投げ飛ばしてくる。私は転がって回避し、その勢いで跳ねるようにして再び立ち上がる。フラフラになりながらも倒れない。絶対に、倒れない。
「ねえ、依頼者は誰?」
時間を稼ぐ。少しでも稼いでみせる。
「依頼者?そんなの、あたしたちが素直に話すと思ってんの?」
「川崎……京華、だっけ。京華は、知らないの?」
「知ってたら何?」
「教えてよ。誰から依頼を受けたの?」
「教えな~い」
うざ。
「あんた、京華に何するつもり?」
「あなたは黙ってて。京華、教えて」
「じゃあね~、えっとね~、殺し合って勝ったら教えてあげる!」
そう言い残して凄まじい勢いで走ってきて籠手を振り被る。ダメ。意識はしっかり認識してるのに、体が動かない。私、負けちゃった。ごめんね、八幡。
「任せろ」
横には誰もいないのに、耳元で小さな、けど強さを感じる声が聞こえた気がした。
目の前に籠手が私の顔を潰そうと眼前にまで迫ってきて、
止まった。
まるで静止画のようにピタリと止まっている。イニシエーターも何が起こったか分からないかのように首をかしげている。
「待たせたな」
もう、遅れて登場とか留美的にポイント低いよ……。でも、来てくれたのはすっごくポイント高いかも。
八幡side
午後九時。雪ノ下家、庭。
天童式捕縄術二の型五番、『威死絈龍(いしばくりゅう)』
天童式武術の一つである、天童式捕縄術は糸や縄を使用して対象を縛り、捕らえるために作られた武術。一瞬で足や両手を縛るための「一の型」、対象の動きを完全に封じるための「二の型」、拷問などその他の縛り方の「三の型」で構成される。
かつて俺は天童の道場でこれを身に着けるため鍛錬した。しばらくして道場は破門されたが、俺は独学で鍛錬を続けた。
この『威糸絈龍(いしばくりゅう)』は、あらかじめ糸を空間中に設置し、縛る対象の人間がそこを通過することによって全身を絡めとる技だ。今、無様に腕を突き出して固まっている川崎京華は、全身を複雑に俺のバラニウムコートワイヤーが絡み合った状態だ。例え腕力特化のイニシエーターでも動くことは出来ないだろう。いや、不用意に動けない、か。
俺はグローブのモーターを動かし、ワイヤーを少しだけ巻き取る。
「うあああッ!」
川崎京華は、苦しそうにうめき声を出す。ワイヤーが縮まり、皮膚を切り裂き、血が垂れていく。俺がワイヤーを強く引っ張れば、ワイヤーは体の内部まで食い込み、バラバラに引き裂くだろう。これこそが俺が破門された理由だ。通常、捕縄術というのは太い縄で縛って捕らえることを目的として行使する。縛った縄を引っ張れば締め付けられるだけだが、ガストレアを葬るために作られたワイヤーで巻き付け引っ張ればどうなるかは容易に想像出来るだろう。当然、破門する理由も。
「やめろおッ!」
「川崎沙希、だったか。俺がワイヤーを操作すれば、こいつはサイコロケーキになるぞ」
「何が目的だ!どこにいる!」
「とりあえず銃を収めてもらおうか。そして襲撃は諦めろ。そうすれば、京華は解放しよう」
「この……なめるなぁ!」
川崎は胸ポケットから大量の小麦粉を取り出し、上空に投げる。小麦粉は空中でばら撒かれ、雪のように庭中に降り注ぐ。
なめているのはどっちだ。俺がこんな手に二度も通じると思うなよ。
俺は付近のスプリンクラーを撃ち抜く。スプリンクラーから大量の水が撒き散らされる。空中に漂っていた小麦粉は水に溶けて消えていく。
「でも、そんなことをすれば、あんたの体には水滴がつくから、丸見えでしょ。状況は変わらない。あたしたちの勝ちだ!」
「ならお前は俺のスペックを読み違えたな」
「何!?」
確かに今は体の表面に水滴がついて俺の体が少しずつ浮き彫りになっていく。
『環境の変化を検出。計測中……』
システムアナウンスが俺だけに聞こえる。ナノマテリアルが受け取った光をデータ化する。俺の頭の上のアンテナが水飛沫の向きと光の向きを計測する。
『計測終了。照度三ルクス、気温二六度。環境状況、夜、水飛沫。ナノマテリアル設定変更中……』
空間がうねる。光が捻じ曲げられていく。
『設定変更終了』
俺は体に水滴が付着しているにも関わらず、まるで体に水滴が付着していないかのように、まるでそこに何も存在しないかのように光を曲げる。水滴がナノマテリアルによって弾かれ、あるいは受け流されているように光が反射される。
川崎沙希が再び消えた俺に驚愕している。俺がスプリンクラーの水を浴びても姿を現さないことがそこまでおかしなことか?
俺のマリオネット・インジェクションは対ガストレア用に作られた。コンセプトは隠密。ガストレアの軍勢に気付かれることなく忍び込み、偵察や脅威となるガストレアの暗殺をすることを目的に作られたものだ。当然野外が主だ。雨や雪、泥が付着する可能性もある。こうやって水飛沫が飛んでくることも。その程度、設計段階で潰しておくべき課題だろ。
マリオネット・インジェクションはナノマテリアルと俺の頭上の髪の毛型アンテナから周囲の環境情報を常に取得し、変化に対応して自動で設定を変更する機能がある。細かい変化なら何も言わずにやってくれるが、今回のような大きな変化があると、システムアナウンスとともに再演算、設定変更を行うのだ。
川崎沙希があっちこっちにデザートイーグルを乱射している。だが俺とは見当違いの場所に空しく着弾する。俺は背川崎沙希の後から回り込み、
「天童式捕縄術一の型五番、『白雷陣』」
一瞬で川崎沙希の両手両足を後ろで一つに縛り付ける。川崎沙希は今、海老反りの状態で地面に転がっている。いくら動こうとしても地面をもだえることしか出来ない。ただ、ワイヤーが食い込んで血を流すだけだ。
「これ以上動いたら、両手両足がなくなると思え」
「クッ」
「留美、終わったぞ……?」
留美のほうを振り返る。最初、留美がどうしてそんなことをしているのか分からなかった。留美は、動けなくなっている川崎京華にM92Fを向けている。おい、そいつはもう動けないだろ。戦闘は終了したんだ。
川崎京華はワイヤーに縛られたまま、ピクリとも動かない。グローブと繋がっている川崎京華を縛るワイヤーから、振動が伝わってこない。体中が血で赤く染まっている。心なしか、四肢から力が抜けているように見える。まさか……。
「京華ああああああああああああああああああああ!!!」
川崎京華の異変にいち早く気付いた川崎沙希が悲鳴をあげる。
「留美やめろ必要ない!」
「どうして?この人たちは八幡を殺そうとしたんだよ?だったら、殺さないと。こいつも殺して、そこのプロモーターも殺して、バカな護衛対象もあとで殺さないと」
バカだ。俺が油断して病院に運び込まれる失態を犯したせいで、留美に負担をかけてしまった。留美も、小町も、千寿も、家族みんな守ると誓ったはずなのに。
「留美!」
俺は留美に抱き着く。留美が手から銃を落とす。
「俺は生きてる。間違いなく生きてる。大丈夫だ。大丈夫なんだ」
「八幡、八幡…………うわああああああああああん!!!」
留美が泣きついてくる。俺はただただ頭をなでるしか出来なかった。俺が弱いから、留美を泣かせてしまった。もっと、強くならなければならない。
川崎沙希、捕縛によって行動不能状態、川崎京華、意識不明。敵の排除を確認。オールクリア。
「……そうだ夏世!」
「千寿も来てるのか?」
「うん、今はあの護衛対象と一緒にいるはず」
留美は携帯を取り出して夏世に電話をかける。コールがこっちまで聞こえてくる。だが、コールが続くだけで電話に出る気配はない。
「夏世……まさか」
一〇コールくらいしたころ、電話が繋がる。
「夏世!よかった……こっちは終わったから一度合流……夏世?」
電話口からは誰の声も聞こえない。いや、ほんとに夏世なのか?
「夏世……?夏世、なの?」
『ひゃっはろー!』
ひどく場違いで知らない声が聞こえてくる。変声機が使われているため誰かは分からない。
「まさか……雪ノ下陽乃なの?」
『さて、私は誰でしょう?』
思わず俺は留美から携帯を奪い取ってしまう。
「おい、テメェは誰だ」
『あなた、比企谷くんね。比企谷くんもクイズに参加する?』
「千寿はどうした」
『寝てるよ。小学生にはこんな時間まで起きてるのはつらいでしょ?』
「ふざけるな。お前ら今どこにいる」
『えっと、屋敷が崩壊してるからよく分かんない』
なんだ?こいつ、何が目的なんだ?
『八幡さん、いるんですか!?』
「夏世!」
「千寿!そっちの状況はどうなっている!」
『あらあら、麻酔の量が足りなかったみたいね』
『雪ノ下雪乃の暗殺依頼者は彼女です!屋敷を襲撃した襲撃部隊の男と昼間に屋敷を護衛していた男は同一人物でした。つまり、雪ノ下陽乃が護衛組織の人間に見せかけて屋敷に配備し、私たちのトラップの設置を手伝うふりをしてトラップの位置を把握および解除をさせたんです』
手に力が入る。携帯を握りつぶしそうになる。
『雪ノ下雪乃さんがまだどこかへ逃げています!急いで保護を「パァン!」』
「夏世!?夏世!」
『安心して。殺してないよ。これは麻酔銃だから。もっとも、普通の人間なら間違いなく致死量なんだけどね』
「……どういうつもりだ。そいつを人質に雪ノ下と交換するのか?」
『雪乃ちゃん?どうでもいいよ?』
……は?
「お前は雪ノ下を殺すためにこんな大規模なことをしたんじゃないのか?」
『あんな頭の悪い子、どうでもいいかな。私が欲しかったものは、ここにあるんだから』
「まて、どういうことだ。何が目的だ」
『一から全部説明させる気?それは甘いんじゃないかな?まあ雪乃ちゃんを守り切ったご褒美に説明くらいしてあげるね。私としては、雪乃ちゃんがどうなろうとしったことじゃないんだよね』
「雪ノ下はあんたの妹じゃないのか?」
『雪乃ちゃんは優秀ではあるのだけど、私に比べたら劣るのよね。なら、いらないじゃない。お爺さんが死んだら、私が引き継げばいいんだから。それに雪乃ちゃんみたいなイニシエーター差別者が私の血族だと思われるのは困るのよね。今後、私が表に出るときに。そういう意味では死んでくれたほうが都合がよかったし、実際殺すつもり動いてたけどね』
「なら、あんたの目的は……?」
『まだ分からないの?ここにあるって言ってるのに』
「……まさか」
『そう、千寿夏世。この子は雪乃ちゃんなんかよりよっぽど優秀で可愛いわ。前々から目をつけてたんだけど蛭子テロ事件の依頼のときに死んじゃったって聞いて、すごく残念だったの。けど、目撃証言があったわ。あなたのアパートに居候してるってね』
「だから俺と雇った別の民警をぶつけて動けないところを回収しようってか」
『やっと合格ラインってところかな。雪乃ちゃんにあなたを雇わせるように仕向けて、あなたとあなたのイニシエーターを別の場所でドンパチさせている間に別動隊があなたのアパートにいる夏世ちゃんを回収させる予定だった。想定外だったのは比企谷くんが簡単に病院送りになって、代わりに夏世ちゃんが出てきたことくらいかな。でも、この勝負、私の勝ちみたいね』
「……そんなに千寿を求めるのは何故だ」
『この子は飛び切り頭が回る優秀な子よ。前の筋肉達磨とペアを組んでいたのは残念だったわ。いくら戦闘能力が高くても、そんなのはあちこちに転がってるけど、この子みたいに高い知能を持つのは貴重なのよ。みんなそれが分かっていないみたい。私がこの子を一番うまく扱えるよ。私というブレインを補佐出来る人間は彼女だけね』
「妹さんはずいぶんとイニシエーター差別者なのに、あんたはそうでもないんだな」
『妹さんが誰なのは突っ込まないであげるね。まあ、それが優秀かどうか見ないで差別するのは愚の骨頂かな?優秀な人間は性別年齢関係なく尊ばれるべきだし、そうでない人間なんて人間じゃないでしょ』
こいつも伊熊将監と同じイニシエーターを道具と見ている……いや、こいつはすべての人間を優秀な道具か使えない道具かという見方しかしていない。ある意味そこらのイニシエーター差別者やガストレアを地球を浄化する神の使いとか言い出す信者より数倍たちが悪いな。
『心配しなくても、夏世ちゃんの身の安全は約束するよ。それじゃあね、バイバイ。どこかで会えたら、またね』
通話が終了した。携帯からはツー、ツーという冷たく無機質な音が響いている。俺は留美に携帯を返す。
「八幡?夏世は?夏世は無事なの?」
留美が問いかける。もう千寿は連れていかれただろう。きっと、この屋敷にはもういない。俺が病院送りにされなければこんなことにならなかった。千寿に出てきてもらう必要もなかった。俺のせいだ。今更どんな顔して留美に謝ればいいのだろうか。
「済まない」
俺は、俯き、ただ謝ることしか出来なかった。家族を守ることすら出来なくて、何が自治エリアだ。可笑しくて、下らなくて、夢見がちで、笑えない冗談だ。
――強くならなければ。もっと、もっと。
・鶴見留美、ガストレアウィルスによる体内浸食率三八.五%。
・予測生存可能日数消費まで、残り九二〇日