IS<インフィニット・ストラトス> ~あの鳥のように…~    作:金髪のグゥレイトゥ!

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第60話「居場所」

消灯時間になる少し前。わたくしは一人談話室で自動販売機で買った紅茶の入った紙コップを持ってソファーに腰を下ろし、何をする訳でも無く唯々時間が過ぎて行くのを感じていました。

生徒同士の交流場として設けられいつもは生徒達で賑わっているこの部屋も、今日はわたくし一人だけという寂しい風景を見せています。

 

「っ………なんですの、この味は?」

 

紙コップに注がれた紅茶に口に含むと、その味にわたくしは渋い表情を歪める。

美味しくない。これは気分の問題では無く純粋に味の質の問題。やはり気が向かないと言って自分で淹れずに自動販売機で買ったのがいけなかったのでしょうか…。

 

「はぁ…………あら?」

 

紅茶を飲むのを止めて紙コップをテーブルに置くと、ふと自分に向けられている視線に気が付く。何かと思いその視線を探せば入口の陰から此方の覗いている女子生徒の姿を見つけました。

遠巻きに何かを聞きたそうにわたくしの様子を窺っている女子生徒にわたくしは全てを察すると、ただ黙って首を左右に振るとそれを見た女子生徒達は悲しそうに去って行ってしまう。その後ろ姿を見てわたくしは「あっ……」と声を溢し手を伸ばしましたが、呼び止めたところで如何するのだとその手を胸元へ降ろしぎゅっと握りしめた。

 

「何をしているんでしょう。わたくしは…」

 

親友の大事だと言うのにわたくしはあの子から逃げていた。今一番しなくてはいけない事はあの子の傍に居てあげることなのに、わたくしは失うのを恐れて傍に居てあげるどころか、衰弱して弱っていくあの子から逃げていたのです。

情けない。あの夜、あの子を抱きしめたのは嘘だったのか…。わたくしはなんて最低な人間なのでしょう。きっと本音さんもわたくしの事を軽蔑することでしょう。あれだけ友達だの何だの言っておいて、今している事と言ったらあの子の顔を見るのを恐れて震えているだけなのですから。ですが…。

 

あの日、物言わぬ冷たい肉の塊となった両親の姿がフラッシュバックする。

 

あの時、ミコトさんを抱きしめた時。その小さい身体はとても冷たかった。まるで死人みたいに、あの人達と同じみたいに…。怖い。また失うのが怖い。大切な人を失うのが怖い。一度失う恐怖を知ったしまったわたくしには大切な人を失うことが怖くて堪らない。またあんな想いをするのかと思うと身体の震えが止まらなくなってしまう。

本当は今すぐにでもあの子のもとに行きたい。抱きしめてあげたい。でも、それが出来ない…。

 

「わたくしはっ……」

 

あの子がどのような存在か薄々ですが気付いていたつもりでした。別れは必ず訪れる。それが嫌なら関わるべきではないと言うのを承知の上で今まであの子と接してきた。覚悟はしていたつもりだった。でも、実際に衰弱していくあの子の姿を見てわたくしはあの子と接するのを恐怖していた。失うのならこれ以上近づくべきではないと…。

 

唇を噛んで自分の愚かさに耐えられなくなり顔を伏せる。

イギリスの代表候補生?何を馬鹿馬鹿しい…!わたくしはただの臆病で卑怯者な人間です。こんな事をしていて後で後悔するのは目に見えていることでしょうに現実から目を逸らして…!

 

「あれれ?暗い顔してどうしたのかな?」

「え…?」

 

突然背後から声を掛けられ振り返ると、そこには自分の半身と化しているカメラを片手に持った黛先輩が空いた手を持ち上げてにこやかに笑って立っていました。

 

「やっほ、オルコットさん」

「黛先輩?どうして2年生の黛先輩が一年の学生寮に居るんですの?」

 

この場に少々合わない人物にわたくしは訝しげに表情を浮かべて訊ねます。

ミコトさんの御見舞いかと思いましたが、面会謝絶と全生徒に言われている筈なのでそれは考えにくいでしょう。だとすれば考えられるのは一つ。この学生寮に来たのは彼女が所属する新聞部の人間として…。

 

「……取材ですか?」

 

流石にこの状況でそれは不謹慎ではないかとキッと黛先輩を睨みつける。睨みつけられた本人は怯みはしませんでしたが苦笑を浮かべ弁明をします。

 

「そんな怖い顔しないでよ。私は新聞部として全校生徒が求めている事を調べてるだけ………私も含めてね」

 

明るい口調でそう話す黛先輩でしたが、最後の方は彼女の感情が隠れること無く零れていました。

眼鏡のレンズ越しに見える彼女の瞳を見れば、真剣な眼差しが自身に向けられているのに気が付きます。余計な詮索は禁じられている筈だと言うのに、罰を受ける危険を冒してまで真実を追求しそれを伝いえようとするその覚悟にわたくしは感心すら覚える。彼女も戦っているのでしょう。この暗い雰囲気を落とす学園を元に戻そうと必死に…。

 

「新聞記者も大変ですのね」

「そりゃもう!毎日ネタを探して学園中を駆け回らなきゃいけないもの!」

 

そう大袈裟に振る舞う先輩を見てクスリを笑みを溢す。あれから一日しか経っていないと言うのに久々に笑えた気がしました。

 

「ですが申し訳ありません。わたくしが教えられるのは何も…」

「そっか……うん、まぁ仕方ないよ。それに寧ろ私より困ってるのはオルコットさんの方みたいだし」

「………」

 

黛先輩の言葉に顔を逸らす。やはり先程の醜態を見られていましたか…。

 

「貴女達

にはたぶん私には知らない何かを抱えてるんだと思う。だから気安く慰めの言葉をかけるのは私には出来ない。何も知らないのにこっちの自己満足な言葉を押し付けるのは無責任だからね」

 

正直それはとても助かった。今こうして苦しんでいるのは全てわたくしの弱さが原因であって他の誰の責でも無い。ここで黛先輩に慰めの言葉を掛けられたのなら、わたくしは自身の罪の重圧に心が折れていたかもしれません。

 

「まっ、精々お互いがんばりましょってことで!私は私のやれることをするよ!」

「やれること、ですか?」

「この暗い学園の雰囲気を吹き飛ばす明るいニュースを届ける事かな?まあ、今のところそんなネタは無いんだけど」

 

彼女はまいったねと苦笑を溢しカメラで自身の頭を小突く。

 

「そんな訳だから何か良いネタがあれば教えてよ。その変わり私も何か手伝えることがあるのなら手伝うからさ。それじゃね♪」

「………」

 

やれることをする…。

 

「まっ、待って……!」

 

気付けば勝手に口が動いて去ろうとする彼女を呼び止めていた。

今自分がやれること、すべきこと。そんなの答えは明白です。けれど、その答えに至る度に何度も何度も頭の中で、あの光景が、あの冷たさがザザザッと砂嵐の音を立てながら脳内に蘇る。

 

怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖イコワイコワイコワイコワイコワイコワイ……。

 

だ…けど……。

 

怖い。とても怖い…でも…!

 

ここで逃げたら…!

 

「うん?何かしら?」

「な、ら……ひとつ…前借で質問してもよろしくて…?」

 

此方を振り返る黛先輩に震える声で問う。

踏み出さなければいけない、あの子がわたくしに接してきたように。越えなくてはいけない、あの悲しみの記憶を。でなければわたくしは本当に一生後悔して生きることになる。後悔に苛まれ俯いて未来を見る事が出来なくなってしまうから。

 

「およ?なになに?」

「ミコトさんが…このIS学園に来た頃の話を聞かせては頂けないでしょうか?」

「ミコトちゃんが学園に来た頃の話?それはまた懐かし…くもないか、まだ一年も経って無いものね」

 

そう言って何処か遠くを眺める黛先輩の横顔。その日々を懐かしんでいるかの様でした。

 

「でも、なんで突然そんなこと聞いてきたの?」

「わたくしはあの子の事…ミコトさんの事を何も知りませんでした。相手の事を知らなければ手を差し伸べるどころか歩み寄ることすらできないと言うのに…」

 

なんて傲慢で自惚れた人間なのでしょう。そんなことは分かりきっていた筈なのに…。

あの子の事を知ろうとする事で、自分が抱いている疑念が確信になっていくのを心の何処かで恐れて目を背けていたのかもしれません。失うくらいなら、と…。本当になんて愚かな人間なのでしょう。わたくしは…。

 

「ですから、わたくしは知りたいのです。ミコトさんの事を、ミコトさんを助けたいから…!」

「ふむ、今回の件に関わって無い私には何が起こっているのか分からないけれど、オルコットさんが本気だってことは分かった……うん、良いよ。先生に言うなって言われてるんだけど、別に生徒に話しては駄目って言われてる訳でもないし話したげる」

「あ、ありがとうございます!」

「あははっ、そんなお礼を言われる程のことはしてないよぉ」

 

頭を下げてお礼をするわたくしに困った様に苦笑を浮かべ、んー…と口元に人差し指を当てて何処から話したものかと思考し、考えが纏まったのかうんと頷きました。

 

「うん、ミコトちゃんの来た時の話となるとやっぱりアレかな?IS襲来事件」

 

何だか物騒な言葉が出て来ましたわ…。

 

自分の予想を斜め上をいく単語に、わたくしは話が始まって早々表情を引き攣らせます。流石はミコトさんと言うべきか、あの子は学園にやって来た時から自由だったようです。

 

「12月の始め頃。学園のグラウンドに何処の国の物か分からない所属不明のISが墜落してきたの」

「! それが…」

「そう、ミコトちゃん」

 

…墜落。あれだけの技量を持ったミコトさんが乗るイカロス・フテロが墜落?よほどの事が無い限り有り得ないとわたくしは黛先輩の言葉を疑います。では、一体何があったの言うのでしょう?いいえ、そもそも彼女は何処から飛んできて何故そんな形でIS学園にやって来たのか。考えれば考えるほど謎は深まるばかりでした。

 

「そんな派手な登場をしたこともあって、ミコトちゃんはIS学園に来てすぐに一躍有名人になったの。勿論私たち新聞部も取材を試みたわよ?まあ事態が落ち着くまで無理だったけど」

 

そうでしょうね。この人から見れば鴨が葱を背負って飛び込んできた様なものでしょうし、噂話が大好きなこの女子高では噂が広まるのはあっという間だったでしょう。

 

「まあその話は置いておいて。その時の学園は色々と騒然としてね。外部の人間には絶対に話すなって学園からの情報規制とかは厳しかったよ。あまりにしつこく言い聞かせてくるもんだから、聞いてるこっちがまいっちゃうくらいに。それだけミコトちゃんの背景にはヤバイものがあるんだと思う」

「………」

 

一切の詮索を禁じる。わたくし達も織斑先生からそう厳しく言い聞かされていました。そしてその理由を聞くことすらも許されてはいません。

 

「それで裏で何があったのかは知らないけど、ミコトちゃんは学生寮で暮らす様になったの。でも……」

 

急に言葉を濁らせる黛先輩にわたくしは眉を顰めます。

 

「? どうかしましたの?」

「ええっとね…ミコトちゃん今は生徒用の部屋を使ってるけど、当時は寮監の先生の部屋に住んでいたの」

 

恐らく正式に生徒として認められたのは今年の春からで、それまでは外部の人間という扱いだったのでしょう。寮監の先生の部屋に住まわせたのも、目の届くところで監視するという意味も含まれていたのかもしれません。

 

「別に可笑しな話ではないですわよね?学園の対応は正しいと思うのですけど」

「うん。それは別に問題無いの。問題が起こったのはその寮監の先生の部屋でのことなのよ」

「先生の部屋で?何があったのです?」

「私は寮が違ったから実際にそれを見た訳じゃないんだけど。学園に来てからひと月くらいミコトちゃんは夜泣き…と言えばいいのかな?それが酷かったらしいの。夜中に突然泣きだしてはミコトちゃんのお母さんの名前を何度も呼んでたらしいんだ」

「クリスさん…ですわね?」

「あ、やっぱりミコトちゃんから聞かされてたんだ」

 

当然です。ミコトさんと親しい人なら必ず一度は耳にしていることでしょう。それだけ彼女の口から頻繁にクリスさんの名が出ては嬉しそうに語っていたのだから。そして、今回の事件の中心に居るのもまた彼女だ。

 

「家に帰りたい。クリスに会いたいって………どういう事情で此処にやって来たのかはわからないけど、親元から離れて心細かったのかしら。山田先生も苦労したみたい」

「山田先生が担当だったんですの?」

「うん。正確には織斑先生なんだけど、ほら…織斑先生じゃ、ね?」

「ああ、はい…」

 

山田先生に押し付けましたわね。まあ精神年齢が子供に等しいミコトさんの面倒をみるのは織斑先生じゃ無理があるかもしれませんけれど…。

 

「そんなこともあって、最初はミコトちゃんは皆にあまりよく思われて無かったの。特に3年生は年末で進路とかでピリピリしてたし、安眠を妨害されちゃ堪ったもんじゃないから」

「まぁ……」

 

今の先輩方のミコトさんへの甘やかしぶりからは想像もつきませんわね。

 

「でもまあ、ミコトちゃんのあの性格と生徒会の協力もあって生徒達と打ち解けることが出来たんだけどね」

「生徒会……確かその頃から楯無先輩が生徒会長を務めていらしたんですのよね?」

「うん、そうだよ。前会長を圧倒的な力の差で蹴散らして今の座に就いたの。当時はやっぱり1年生の癖にって先輩達に快く思われて無かったみたいだけど、あの性格と実力で全校生徒を認めさせて今も生徒会長を務めてる」

「………そうですか」

 

やはり生徒会長は何かを知っている?いえ、仮にそうだとしても彼女は真実を教えてはくれないでしょう。彼女はわたくしたちに隠している事が多すぎる。ミコトさんの事を訊ねたところで惚けられてしまうのが目に見えています。

結局、新たに分かったことはミコトさんが学園に住むようになった経緯と、クリスさんと言う母親の存在はミコトさんとって掛け替えの無い存在だと言う事を再確認しただけですか…。

 

それはそうですわよね…。

 

現状を打開するための手掛かりなんて都合の良いものなんてある訳が無い。母親を亡くした苦しみはわたくしだって理解出来ます。そして、その代わりなんて居ないことも十分に。わたくしもそうでしたから…。

両親の葬儀の後、わたくしを養子として引き取ろうと言い寄って来る大人達は母の遺した遺産が目当ての亡者ばかりで、誰一人として両親の代わりになるような人は居ませんでした。いいえ、仮に人格者が居たとしてもわたくしはその人を親と認める事は出来なかったでしょう。何故ならわたくしとって両親はあの二人しか居なのだから。ですが、わたくしには両親の遺してくれた物がある。両親と過ごした家も。それがあったからこそわたくしはそれを守ろうと生きて来れた。けれどミコトさんは愛する母と帰る場所を同時に失ってしまった…。なら、彼女は何を拠り所にして生きればいいのでしょう?どうすればその絶望の底から引き上げて差し上げることが出来るのでしょうか?大切な人の代わりなんて居ないのはわたくし自身が知っていると言うのに…。

 

―――クリ…ス……死んだ…って……もう、会え…な……帰る場所……ないって……。

 

「帰る…場所……」

 

如何してかは解りません。けれど、あの夜にミコトさんが呟いていたあの言葉がふと蘇り、わたくしの口から零れていました。

 

「え?なに?」

「あ、いえ!何でもありませんわ!?」

 

訊ねてくる黛先輩の声にハッとして自分の口を手で覆い隠し、ふるふると首を左右に振って誤魔化す。つい無意識で口に出してしまいましたが、あの夜のあの場所に居なかった彼女にあの事を話す訳にはいきません。例えそれが僅かな情報であっても、話してしまえば黛先輩もわたくしも学園から、つまりIS委員会から罰せられてしまうのですから。

ですが、それよりも気になるのは胸のあたりに感じるこのモヤモヤとした感覚。何かが引っ掛かっているのです。それが何なのかはわかりませんが、違う、そうではないとミコトさんと過ごしてきたわたくしが訴えかけてくるのです。

 

何ですの?このもどかしい気持ちは?喉まで出かけていますのに出てこない。この気持ちの悪さは何…?

 

「えっと、どうしたの?体調が悪いなら休んだほうが良いよ?」

「だ、大丈夫ですわ。ご心配なさらないで…」

 

胸を抑えて苦しそうに表情を歪ませるわたくしを見て、黛先輩は心配そうに身体を支えようとしてくれましたが、わたくしはそれを大丈夫だと手で制します。けれど、わたくしの胸に纏わりつく不快感は未だに晴れません。それどころかその不快感は逆に増すばかり。単なる気疲れによるものかもしれない。そう思い込もうとしましたが、それをまるでエラーを延々と繰り返すコンピューターのように、わたくしの思考も拒絶し続けるのです。

これはもう気のせいで済ませて良いものではない。明らかにわたくしは何か思い違いをしている。ですが、それが何なのかわたくしには……。

 

その時、胸元に掛かっていた『あの花』がきらりと輝いた。そして―――。

 

―――……もう、会え…な……帰る場所……ないって……。

 

またあの言葉が頭の中で響いたその時、わたくしは漸く理解しました。この違和感が何なのかを、そして自分が大きな勘違いをしていたことを。

 

「そう…そうですわ……」

 

本当に自分はなんて愚かなのだろうとつくづく思う。わたくしは最初から何もかも間違っていた。

何を見てきたのですか。何を聞いてきたのですか。今までの日々は何だったのですか。分からないなんて無いはずなのに…。

 

「本当に……わたくしは……本当にっ…!」

 

今までの自分の行いと勘違いに、はしたなく整えられた自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。

 

「ほ、本当に大丈夫?」

 

黛先輩が何か言っているようですがわたくしの耳には届いておらず、ただ只管に自分に対して罵倒を繰り返すのに夢中だったからです。そんなわたくしに黛先輩はやれやれとため息を吐くと…。

 

「ていっ」

「アイタッ!?」

 

わたくしのおでこを叩きました。

 

「な、何をしますのっ!?」

「それはこっちの台詞。いきなり目の前に奇行に走られたら頭が如何にかしちゃったんじゃないかと心配するじゃないの」

「う゛っ……すみません…」

 

ちょっと怒り顔な黛先輩に、ヒリヒリと痛むおでこを摩りながら自分の醜態を思い出し謝罪します。

 

「それで?その様子だと何か気づいたのかな?」

「……はい」

 

わたくしが落ち着きを取り戻すのを確認してから黛先輩はそう尋ねてきます。わたくしはその問いに真剣な面持ちで頷くと、瞳を閉じあの子の顔を思い浮かべる。

 

あの子が恐れているのは孤独になる事。

 

あの子を絶望の底から救い出す方法があるとするのなら、それは……。

 

「わたくしはこれで失礼しますわ。わたくしは行かなくては……」

 

こんな所にいる場合ではない。あの子に会いたい。あの子に触れたい。あの子の声が聞きたい。今すぐにあの子の基に向かいたかった。もう、逃げないと決めたから…。

 

「ふふ、そっか♪私の提供した情報が明るいニュースのネタになる事を祈ってるよ♪」

「……敵いませんわね」

 

一体何処まで見通されていたのかは定かではありませんが、わたくしは恐らくこれからもこの人には敵わないのだろうと思いながら談話室を後にするのでした。部屋を出る際に彼女が漏らした声援に気づくこと無く…。

 

 

 

 

「………うん。やっとらしくなったじゃない。がんばれ、セシリアママ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第60話「居場所」

 

 

 

 

 

 

 

 

――――Side 織斑一夏

 

 

「なぁお願いだ千冬姉!一体何がどうなってるのか教えてくれよっ!千冬姉なら何か知ってるんだろっ!?」

 

下校時間から随分と経ち人気が無くなった校舎の廊下に俺の声が反響する。

 

「諄い……何度言わせれば分かる。オリヴィアに関する情報は一切教えられん。もうとうに下校時間は過ぎている。さっさと寮に戻れ」

 

もはや何度目かも分からないその問いに、千冬姉はうんざりとした顔で冷たく突っ撥ねてくる。人の目が無くなれば直ぐに俺に問い詰められるのを何度も繰り返されれば対応も御座なりになるのは分かるが、それ以外にも千冬姉を苛立たせているものがあるようだ。無論、それが何なのか原因を考えるまでも無いが…。

しかし、だからと言って此処で素直に千冬姉の言うことに従う訳にはいかない。千冬姉にもそれだけの理由があるんだろうけど、俺にはそれを考慮するだけの余裕が無かった。

 

「それで……そんな理由で納得出来ると思ってるのかよっ!?ミコトのあんな姿を見てそれで納得するほうがどうかしてるっ!」

「…………」

 

相手は姉であり教師でもあると言うのにも構わず俺は千冬姉の肩を指が食い込む程に強く掴む。本来なら拳の制裁が飛んできても可笑しくない蛮行で俺自身殴られるのを覚悟で手を出したが、千冬姉はそうはせず無言で俺の怒りを受け止め怒りに満ちたその瞳を目を逸らさず真っ向から受け止めていた。その時、俺は千冬姉の目を、その瞳の奥に宿している感情を見てしまう。そして俺はそこで漸く悟る。千冬姉だってこんなこと納得出来てないのだと…。

IS学園に属する教師というの立場上私情を挟むのは許されない。世界のトップとも言えるIS委員会の運営する学園。そしてその教員となれば与えられる情報もその責任も計り知れない。それを漏らしてしまえば自身にも周辺にも危害が及んでしまう。故に己を押し殺さなければならない。例えそれがどんなに胸糞が悪く納得出来ないものでも納得しなければならない。それが組織の…千冬姉の言う大人の世界という物なのだろう。

 

だけど…!

 

ミコトの衰弱した姿が脳裏に蘇る。

千冬姉の背負う義務。それはとても重要なものなんだろう。だけど、だからと言ってこのまま何をすればいいのか分からずに時間を無駄に浪費してミコトをあのままにしておけと言うのか?分かっている。これは餓鬼の我儘だ。大人の事情を理解しない餓鬼の我儘だ。だけど、それでも…!

俺は肩を掴んでいた手を放し、プライドなんて何の役にも立たないものを捨てて地面に膝をつき額を地面にこすりつけた。

 

「頼む…!頼むよ千冬姉…!お願いだ…!」

「っ……一夏、お前…」

 

俺の行動に辛そうに表情を歪める。

実の弟が目の前で自分に土下座をしている。きっとそれは辛いものだろう。自分がもし逆の立場なら尊敬する姉が目の前で土下座なんてしたら、そしてその原因が自分だとしたら、俺は俺が許せなくて殺してしまいたくなるだろう。俺がやっている事は最低の行為だ。でも、それを分かった上でもう俺にはこれしか方法は無かった。こんな姉不孝なやり方しか…。

 

「強くなれば守れると思ってた!力さえあればって……でも、それは間違ってたんだ…!」

 

いつも、いつも俺は周りに守られてばかりいた。誘拐事件の時には千冬姉に、クラス対抗戦の時にはミコトに、臨海学校の時は皆戦っていたのに俺だけが倒れてて…。

だからもう守られてばかりは嫌だ。今度は俺が皆を守るんだって頑張って訓練をした。楯無先輩の厳しい特訓も頑張ってきた。でも結果はこれだ。何も守れちゃいない。守れると思いあがっていた。

 

「相手のことを知らなきゃ守れない……守れないんだ!あいつは俺のことを理解していままでずっと支えてきてくれたのに、守っててくれたのに!俺は!何一つミコトのことを知らない…!」

 

滲む視界にぽつりぽつりと涙が地面に零れ落ちるのが見える。自分の情けなさが只管に悔しくて、許せなかった…。

それでも、俺は何度も何度も頭を地面に擦り付けて千冬姉に乞うた。しかし……。

 

「例え頭を下げられようと、お前に教えれる事は何一つない」

「………っ」

 

告げられたのは残酷な言葉。いや、この結果は分かりきっていた事だった。あの千冬姉が公私混同などする筈が無い。もしかしたらと言う有もしない可能性に縋ってはみたが現実はやはり非情で俺は拳を握りしめ唇を噛んだ。

 

「……と言うのは、このような事態になってしまっては流石に無理があるか」

「っ!? それって…!?」

 

諦めや呆れを含んだその言葉に、俺は表情を輝かせて顔を上げた。

 

「しかし、私が教えられるのは真偽だけだ。それ以外は教えられん」

 

そう言って辺りを見回して人の目が無いことを確認し千冬姉は語り始めた。

 

「オリヴィアの母親が死んだと言う話だが……これは事実だ」

「そう、なのか……」

 

ミコトの母親の死なんて偽りならどれだけ良かったか…。そんな甘えが無かったと言えば嘘になる。しかし現実は何処までも残酷だった。分かってたさ。偽りなら千冬姉がそれを伝えない理由なんて無いことくらい。

 

「もう少しで一年前になるか…奴の母親が死んだのは」

「い、一年前!?それってどういう事だよ!?ミコトがIS学園に来たのもそれくらい前だろ!?何で今になって――ー」

「真偽だけだと言った筈だ。これ以上のことは教えられん」

 

明かされた驚きの事実に更に詳しく説明を求めたがそれ以上のことは教えては貰えなかった。

どういう事だ?ミコトの親御さんはミコトがIS学園に来るほぼ同じ時期に亡くなった?どうして今まで知らされてなかった?何故ミコトはそのことを知らない?一体何があったんだ…!?

 

「ま、待ってくれよ!?他にも聞きたいことがあるんだっ!?」

「駄目だ。先ほどの情報もお前が頭を下げたことに免じて教えはしたが、これ以上のことはお前達は知る必要が無い」

「そんな!?そんなの今までと何も変わらないじゃないかっ!?全然変わってないっ!」

 

ただミコトの母親であるクリスさんの生死がはっきりとしただけ。それ以上の進展は一切ないじゃないか…!

 

「変わらない、か……。一夏、お前は相手のことを知らなきゃ守れないと言ったな?」

「ああ言ったさ!それが何か可笑しいのかよ!?」

 

ミコトの事を知ってやれたら、もしかしたらこんな事態は避けられたかもしれないんだ。過ぎてしまったことは如何しようも無いしても、ミコトの悲しみを和らげることだって出来たかもしれないんだ。

しかし、千冬姉はそんな俺の言葉を聞いて小さく息を吐き目を細めて俺を射抜き非情な言葉を叩きつけてくる。

 

「そうか……ならば言ってやろう。知っていたところでお前には守れない。その結果が今の現状だ」

「なっ―――!?」

 

何て事を言い出すんだと俺は表情を怒りに歪めるが、千冬姉はそれを気にする様子もなく言葉をつづける。

 

「事情を知っていればオリヴィアを救えると?己惚れるなよ小僧。その言葉ボーデヴィッヒの前の言えるのか?」

「ラウラの?………っ!?」

 

ミコトがあんな事になって随分と冷静さが欠けてしまっていたのか、千冬姉に言われて自分の発言の愚かしさに漸く気づく。ミコトの素性を知る者は俺の友人の中にも居る。そう、ラウラだ。

俺は事情を知っていれば守れたと言った。なら、事情を知っていながら今回の事態を回避出来なかったラウラは如何なる?俺たちの中で一番悔いているのはラウラなんじゃないのか?そんなラウラの前で今の言葉を言ったりなんかしたらアイツはどれだけ傷つくと思ってるんだ。それを俺は知ったように…。

 

「理解したか。なら良い。此処でそれでも知りたいとほざいたら顔面に一発お見舞いしてやろうかと思ったが」

 

そうされても仕方ないとはいえ、ピリピリしているのもあってかいつも以上に物騒だ。

言うつもりはなかったが、その結果の悲惨な光景を想像して言わなくて良かったとゴクリと唾を飲む。

 

「ボーデヴィッヒはオリヴィアの素性を知った上で自分からオリヴィアの警護をしていた。その結果、この様な事態を招いてしまった。それが奴にとってどれ程の苦痛か友人であるお前ならよく理解しているだろう」

「………」

 

俺は黙って頷く。

あの夜からのラウラ表情はずっと険しく、看病をする際にミコトの姿を見ては拳を肉に爪が食い込む程強く握りしめ肩を震わしているのを俺は見ている。それなのに俺は…。

 

「……まぁ、奴だけでは無いがな」

「え?」

 

ボソリと呟かれた言葉に俺は怪訝そうにするが、千冬姉は「気にするな」とはぐらかされてしまう。

 

「分かっただろう?知っていたところで今回の件は回避できなかった。お前達が気に病むことではない。これは前にも言っただろう」

「だけど……!」

 

あの夜、俺があの場にミコトを一人置き去りにしなければこんな事には為らなかったんだ。それを気にするななんて出来るはずもない。何と言われようとこの事実は変わらないんだ。

 

「過ぎた事を悔いて現状が進展するのか?」

「それ、は……」

 

答えは『NO』だ。

 

「これも前にも言ったはずだぞ。これからの事を考えろ、とな」

「これからの事って……俺には何をすればいいのか…」

 

そんな俺を見て千冬姉はやれやれと溜息を吐く。

 

「馬鹿者が、お前が頭で考えて行動するタマか。いつもの様に先の事を考えず突っ走ればいい」

 

酷い言われ様である。確かに考えるよりも先に行動するタイプかもしれないけど…。

 

「一夏。勘違いしているようだから教えてやる。お前がオリヴィアにしてやることは守ってやることじゃない」

「え……?」

 

今までの俺の決意を否定する言葉だったが、千冬姉のどこか優しい声に俺は怒る気にはなれずそのまま耳を傾ける。

 

「お前がオリヴィアにしてやれることは教えてやることだ」

「教えてやること?それってどういう……?」

「さてな。だが、これはお前達にしかしてやれないことだ。『友達』であるお前達しかな………そのネックレス似合ってるじゃないか。ではな、早く寮に戻れよ」

 

最後にそう言い残し千冬姉は去って行ってしまった。

誰もいなくなった廊下でポツンと立ち尽くし、俺は胸元へと視線を落とす。そこには窓から差し込む月の光で銀色に輝くネックレスが首にかかっていた。

 

「ネックレス…」

 

ネックレスを手に取って月に翳す。本来なら沢山の花を咲かせているそれは、今は花ひとつ咲かせていない茎だけの棒だ。このペアリングネックレスは他のペアリングネックレスを持った皆が揃った時に満開の花を咲かせる。

 

「――――ぁ」

 

―――それ、今は花咲いてない。でも…。

 

―――今は花咲いてなくても、皆が揃ったとき、この花、咲く。

 

「………っ!!」

 

気が付けば俺は走り出していた。目的地は言うまでもない、ミコトの許へ。

 

「そう言うことかよ…っ!畜生っ!」

 

何で気付けなかった?俺はミコトの何だ?友達だろう!?どうしてあんなに傍にいて、あれだけ一緒に居たのに気付けないでいた?

これは俺の勝手な妄想だ。思い込みだ。この行動でミコトを救えるとは妄想の何うものでも無い。だけど、俺にはこれくらいしか思い浮かばない。千冬姉の言う通り俺は突っ走る事しか出来ないんだから。

 

―――クリ…ス……死んだ…って……もう、会え…な……帰る場所……ないって……。

 

「帰る場所なら此処にあるだろ!……馬鹿野郎っ!!」

 

それはミコトに向けた言葉なのか、それとも自分自身になのか。多分どちらもなんだろう。

俺は暗い廊下を駆け抜ける。この言葉を勘違いをしている少女に伝えるために…。

 

 

 

 

 

――――Side 織斑千冬

 

 

駆けて行く弟を廊下の曲がり角で隠れて見送る。

 

「やっと動いたか。遅すぎるぞ、馬鹿者め」

 

遠く小さくなって行く弟の背中を見てフッと笑みを零す。

あの愚弟に何が如何すればかなんて頭の良い事を考えれるはずが無い。なら、自分が如何したいのかで行動するしかアレには出来ないのだ。

 

「……さて、続けて私は山田君の相手をするか」

 

教師の立場でミコトを溺愛してるなだけあって餓鬼共より苦労しそうだ。今回ばかりは酒に溺れて愚痴を吐くなんて手段は選べないからな。

 

「歯痒いな。何も出来ないとは…」

 

IS学園の教師として中立な立場でなければならない、それは分かっている。生徒を守るのは教師の義務だがオリヴィアは特例だ、それも分かっている。

委員会の老人共にとってオリヴィアの存在は目の上の瘤だ。直接手を下さないにしても早く死んでくれる事に越したことはないだろうと、オリヴィアの警備を固めるなんて考えを思考するはずもない。更識はIS学園の生徒は全て警護対象と強引に通してはいるが、それも理事長の後ろ盾があってこそだ。私たち教師にはそれは通用しない。

 

「何が教師だ…糞が」

 

事実を知っていても如何しようも出来ない。力があっても守れない。こんなものが教師と呼べるのだろうか…?自分の生徒があんな目に遭ってると言うのに…。

 

「何が最強だ。笑わせる…」

 

運命は変わらない。物語の結末≪プロット≫は最初から決まっている。それを書き換えることなんて出来ない。でも、それでも…。

 

「どうか最後を迎える時が来るまでは幸福であって欲しいと願うのは餓鬼の我儘、か…」

 

 

 

 

 

 

 

―――Side 篠ノ之箒

 

 

「………」

 

放課後の道場。私は一人そこにいた。

窓から見える外はもう暗く。自分以外居ない道場の真ん中で座してただ黙想し、時間が流れるのに身を任せていた。

 

「あれ?まだ明かりが点いてる。誰かいるの……って!?し、篠ノ之さん?まだ上がってなかったの!?その、そろそろ道場の戸締りもしないといけないんだけど…」

 

しかし、その静寂も来訪者によって破られてしまう。もう随分前に練習時間も終わって誰も居ないはずの道場に明かりが点いているのを不思議に思った部長が道場にやって来たんだ。

 

「……すみません。少し一人になりたいので……戸締りは私がしておきますから、もう暫く使わせていただけないでしょうか?」

「……うん、分かった。先生には私が伝えておくわ。………あまり思いつめない様にね?」

 

心中を察してくれたのか部長はそう気遣う言葉を残して道場を去り、扉が閉まる音が道場に響いた後、再び静寂がこの場を支配する。

 

「………」

 

しんっ………。

 

肌寒い秋の夜。普段なら虫の鳴き声がこの夜の時間も今日に限っては静寂に包まれている。まるで虫たちも学園の空気に影響されて哀しんでいるかのように…。

あの夜から一日。事態は進展せず悪化の一方。学園全体の空気は凄まじいほどに悪く、生徒達の不満も増すばかりだ。初日でこれだ更に状況が悪化し始めるのはそう遠くない未来の事だろう。それ程のミコトの影響力。誰もの心にもミコトの存在があり、誰もがミコトを想っていた。

 

「………」

 

私が最初ミコトに抱いた印象は『怪しい奴』だった。

ISが世界を中心とも言えるこの時代。『最強』と瓜二つの人間が目の前に現れればそう思わずにはいられないに決まっている。どうせ非人道的な研究で生み出された産物。知人が関わっているのではと言う可能性もあって不快にしか思えなかった。想い人の姉の遺伝子から生み出されたクローンではないか…と。

 

しかし、それも直ぐに無くなった。ミコトと話している内に、疑うという感情がいつの間にか何処かへと消えて行ってしまっていたからだ。織斑千冬に似たナニかではなく、ミコト・オリヴィアとして接していた。

心地良いとは少し違う。だけど、ありのままの自分を見てくれて、接してくれるミコトに対して自分も同じように接していた。自然体とでも言うのだろうか?自然に接していて、いつの間にか自然に『友達』になっていた。転々と引っ越しばかりを繰り返しろくに友達も作れず作ろうともしない私に、一夏の次に心から友と呼べる存在となった。そして、気付けば私の周りは沢山の友達が出来ていた。

 

返しきれない沢山のモノをくれた人…。

 

けれど、自分はあまりにも無力で、恩を返すことも、守ることも、一緒に戦うことさえ出来なかった。

悔しかった。何も出来ないのが。だから力を望んだ。忌み嫌う姉に頼ってでも力が欲しかった。皆と並び立つ力が欲しかった。圧倒的な性能を誇る力を手にした時には心が躍った。

 

しかし……。

 

「……情けない」

 

もう流されまいと決めた筈なのに今の自分は何をしているのか。強くありたいと願った自分は何処に行ったのか。結局、私は変わっていない。変われていない。ただ流されて、自分の力と思っていたものは所詮はあの姉から与えられたものだった。今の私は道に迷い人の波の中で泣いて立ち尽くす迷い子と何も変わらない弱い存在だ。

そう、迷っている。私はどうしたら良いのか。救いたい。言葉にするのは簡単だが……何を?ミコトを立ち直らせる……どうやって?今まで他人任せだった自分が他人を助ける?己惚れにも程があった。

 

「……フッ!!」

 

迷いを払うように竹刀を振る。それと同時に空気を斬る音が道場全体に響き渡り溶けて消えていく。

 

「………はぁっ!」

 

もう一度、竹刀を振るう。そして振り切ればまた振り上げて振り下ろす。一振り一振りに力を込めて振り上げては振り下ろす。何度も、何度も何度も何度も何度も何度も…。幼い頃からこうしてきた。ひたすら竹刀を振り続けていた。前までは一夏への繋がりを手放さないために懸命に振り続けて、今もまた何かに縋る様に竹刀を振り続けている。

 

「はぁっ!せぇいっ!やぁっ!!」

 

振るえば振るうほど素振りの型も次第に雑になって行く。ただ我武者羅に力任せに竹刀を振るう。型の為っていない素振りは体力をすぐに消耗させ、そして遂には腕が竹刀を持つのを耐え切れなくなり、竹刀はカタンッ!と音を立てて私の手から零れ落ちた。

 

「………っ!…はぁ……はぁ……っ!!」

 

がくりと膝をつき感覚の無くなった腕をだらんとさせて頭から地面に倒れこむ。地面にぶつかって発生した頭への衝撃に視界が一瞬暗転したが、ひんやりと冷たい床の感触が頬に触れだんだんと意識が晴れていく。そして、視界の端に地面に転がった竹刀が入り私は唇を噛む。

こんなこと幾らしたって何も変わらない。今自分がしていることはただの逃げだ。現実から目を逸らしてる。以前と同じように…。

 

「私……は…っ!」

 

何が出来る?こんな私に何が出来るというんだ!?私は与えられてばかりの人間だ。そんな人間に如何して他人を救える?誰でもいい教えてくれ。私は如何したら良いんだ!?

 

「助け……たい…助けたいんだ……!!」

 

擦れた声が道場に響く。

あの心地良い場所をくれたあの少女を助けたい。あの少女の笑顔を取り戻したい。何度も何度もそう願う。子供が親に欲しいものを買って貰う為に泣いて縋る様に…。

 

そして、その時だった。

ただ求めて泣くだけの私の目の前にあるモノが転がり落ちてきたのは…。

 

「………これは…?」

 

花のネックレス。あの誕生日の夜ミコトがあの場にいた皆に配ったペアリングネックレス。それが私の目の前で銀色に輝いていた。それはまるで私の助けを求める声に応えて現れたかのようだった。

 

―――皆がいっしょの時に、綺麗に咲くの。

 

転がっているネックレスを手に取るとあの時ミコトが言っていた言葉を思い出す。

 

「はっ、ははは……」

 

嗚呼、そうか……。

 

「……やはり、私は求めてばかりだったのだな」

 

何も理解しようとせず、見えているもの見ようともせずに、こうしてまた私は答えを求めて、そして、こうして答えを貰っている。

 

あの子だって、私に求めていたんだ…。

 

一夏の誕生日プレゼントを皆で分け合う。それはきっとそういう事を意味していたんだ。

 

「………行こう」

 

私は立ち上がり歩き出す。もう迷わない。もう立ち止まらない。やるべきことは解ったから。きっと、これが何も出来ない私に唯一……いや、『私達』にしか出来ないことだから…。

 

 

 

 

 

 

――――side 凰鈴音

 

 

「なぁにやってんだろ。アタシ……」

 

枕を抱えてゴロンとベッドに寝転び天井を眺めて溜息混じりに愚痴を零した。 

友達があんな事とになってる時にこんなぐーたらしてて、それに加えてメンバーの雰囲気を悪くする行為。らしくない。本当に自分らしくない行為だ。かっこ悪いったらありゃしない。普段のアタシが今の自分を見たら砲撃をぶちかましてしまいたくなるほどだ。それ位に今のアタシはカッコ悪い。

 

「はぁ……」

 

寝返りをうって枕に顔を埋めた。その途端、暗闇に覆われた視界にはあの子の姿が浮かび上がる。

嗚呼、まただ…。何をしていても何処に居ても目を閉じるとミコトの姿が付き纏う。それは現実から目を背けて逃げているアタシを何処までも追いかけて来るのだ。

 

「嫌になるわね、ほんと…」

 

何がとは口には出さない。そんなの自分自身が一番分かっているから。

 

「ただいま~……って、鈴帰ってたんだ」

 

重苦しい空気が部屋に漂っていたところにルームメイトのティナが売店のビニール袋を手に帰って来る。

 

「ねえ、アンタ、ミコトちゃんのところに行かなくていいの?」

 

ティナはきっとミコトの面会が許されている数少ない人間なのにこんなところに居ていいのかと言いたいんだろう。

……うん。ティナの言うことは正しい。こんなところで意味も無く時間を無駄に浪費してる暇があったらとっととミコトの所に行くべきだ。でも、アタシはそうしない。ただティナの言葉を無視して枕に顔を埋めるだけだ。

 

「………」

「無視ですか。ま、アンタがそれで良いんなら私は構わないけど」

 

そう言うとティナはそれ以上何も言おうとはせずに、自分のベッドに腰掛けてビニール袋からポテトチップスの袋を取り出してファッション雑誌を片手に食べ始める。いつも思うのだが体重を気にしてる癖にどうしていつもお菓子を食べてるんだろう?まあ本人も流石に分かってるだろうし、今は誰かと話したい気分じゃないので何も言わないでおく。

 

「………」

「………」

 

パリッ…。

 

「………」

「………っ」

 

パリッ…。

 

「………」

「……~~~っ」

 

アタシとティナは会話を交わす事は無かった。時折響くポテトを齧る音だけがこの部屋で聴こえる唯一の音だ。アタシはその音がやけに大きく聴こえて少し苛立ちながらもその音を聞きながら時間は過ぎていく。それから暫くして残った滓をガサガサと音を立てて口の中に流し込むのをアタシは聴いて、やっと静かになる。そう思ったがそうはならなかった。今まで一言も喋らなかったティナが読んでいたファッション雑誌を閉じてアタシに話しかけてきたからだ。

 

「あのさ、そんなに気になるなら会いに行けばいいじゃない」

「……アタシは何も言ってないし」

「口に出さなくても分かるっての、アンタいつも馬鹿みたいに五月蠅いくせに今日は不機嫌オーラ振り撒いて黙ってるじゃないの。それで気にしてないってのは無理があるわよ」

「………」

 

誰が馬鹿だと怒鳴りたくなったが自分らしくない行動をとってるのはアタシ自身自覚しているので何も言えなかった。そして黙りこくったアタシにティナの言葉はまだ続く。

 

「大体アンタのキャラじゃないでしょそれ。何ウジウジしてんのよ鈴らしくもない」

 

その言葉がアタシの癇に障った。

 

「っ……アタシらしいって何よ?騒いでるのがアタシらしいって言いたいわけ?」

 

枕に埋めていた頭を起こしてキッとティナを睨み付ける。たかだが一年行くかどうかの付き合いしかない人間にアタシの何が分かるというんだ。何も事情を知らないくせに偉そうなこと言うな!

 

「少なくとも辛気臭い空気を撒き散らすような辛気臭い子じゃなかった筈ね。嫌なことがあれば直ぐに物に当たってたし……主に織斑君とか」

「……辛気臭いのはアタシだけじゃないわ」

「そうね。学園中何処も辛気臭くて気が滅入って仕方がないったらありゃしない。だから自分の部屋だけはそんな空気は勘弁してほしいの」

 

なっ……!?

 

突き放した冷たい物言いに私は目を丸くして耳を疑った。ティナもミコトとは交流がある。仲も良かったはずだ。アタシがこの部屋に居るのもあって、よくミコトがこの部屋に遊びに来てはティナに餌付けされているのをこの目で見ている。なのに何でそんなことが言えるのか…。

 

「ティナはミコトの事は何とも思わないの?心配じゃないっての!?」

「もちろん心配よ。私だってミコトちゃんは大好きだし。でも私が心配して落ち込んだところで何になるの?哀しんでいれば先生たちが同情してくれて面会を許可してくれるの?あり得ないわね。ここはIS学園なんだから」

「そ…れは……」

 

ティナはアメリカからわざわざ日本にあるIS学園に入学してきた生徒だ。海外から入学してくる生徒は大抵IS適性が平均以上の生徒が多く、そういう生徒は国がIS学園の入学を進めてくるのだ。優秀な人材の育成と確保が目的のため、国が援助などして唾をつけているのはよく聞く話だ。ティナもきっとそうなのだろう。そしてそう言う生徒は社会の汚い部分を嫌でも目にすることになるしある程度は理解している。ティナの言うここはIS学園何だからと言うのは、自分が知るべきことじゃないことが起きているのだと理解しての発言なんだろう。

 

「むしろ逆にこっちが聞きたいわね。鈴こそ何してるのよ?面会する権限を持っているのにこんなところで不貞腐れてる場合じゃないでしょ?」

「何も知らないくせに知ったようなこと言わないでよ…」

 

何の事情も知らないで上から目線の物言いは、アタシを更に不機嫌にさせるには十分すぎるものだった。

ティナの言葉は余りにも楽観的で聞いていて不愉快だ。ミコトのあの状態を見た人間としてはそう感じられずにはいられない。ミコトのあの姿を見てはたしてティナは同じ台詞を言えるだろうか?

 

「ええ、何も知らない。だから私には何も出来ない。けど、鈴は違―――」

「―――うるさいっ」

 

ティナが喋るのを手元にあった枕を掴み取りティナに乱暴に投げ付けて止めさせる。が、それをティナはひょいっと難なく避けてみせた。

 

「ちょっと、危ないじゃない」

 

自分の横を通り過ぎて壁にぶつかり落ちる枕を見て、いきなり何をするんだと不満そうな表情を浮かべるティナの態度は、アタシを更に苛立たせてアタシは声を荒げた。

 

「うるさいうるさいうるさいっ!だから!何も知らないくせに勝手なこと言ってんじゃないわよっ!」

 

結局、ティナは正論を言っているように見えて自分は傍観者の立場でものを言っているだけだ。そんな人間の言葉なんてどれ程の重みがある?当事者からしたら不愉快極まりなく、喧嘩を売られているようにしかアタシには聞こえなかった。

 

「ティナが言ってるのってアタシに勝手な要望を押し付けてるだけじゃないっ!やめてよそういうのっ!」

「………そっ、悪かったわね。確かに貴女の言うとおりだわ。御免なさい。これ以上何も言わないわ」

「…えっ」

 

言い返してくるかと思いきや、すんなり引き下がりベッドに寝転がって雑誌を読むのを再開するティナにアタシは拍子抜けしてしまう。

さっきまであれ程ミコトについてしつこく言ってきていたのに、急な態度変わり様は一体何の心境の変化があったのか?思わずアタシはそれを聞きたくなったのだが、ティナの意識はもうアタシにではなく雑誌の方に向けられており会話が続けられる雰囲気では無くなっていた。

 

………なんなのよ。

 

散々好き勝手に言った挙句、言いたいことを言って満足したら雑誌を読み耽る。その自由気ままで自分勝手な行動に本当に訳が分からず、アタシの思考は掻き乱されていく。

 

なんだってのよっ…!

 

結局ティナは何がしたかったのか、ただ溜まった鬱憤をアタシにぶつけただけ?だとしたらとんでもなく性格の悪い人間だが、この一年近くルームメイトとして一緒に居てティナはいい加減なところはあるが、人を貶したり傷つけたりするような子じゃないのはよく知っている。だからこそティナの行動が理解できない。何だ?何がしたい?あれだけのことを言っておいて唯の気まぐれ程度のノリだったとでも言うの?

 

「あっ、この新作かわいい」

「………」

 

アタシが悩んでるのを他所に、暢気に季節の新作をチェックしているティナの後ろ姿が憎らしい。かと言ってアタシにそれに文句を言う資格はない。さっきまでの口論はティナの謝罪で終わったのだから。此処で文句など言えばそれこそアタシの自己中心的で嫌な奴になってしまう。喧嘩は謝った者勝ちと言うのはよく言ったものだ。この状況はまさにそれである。何を言いたくてもこの雰囲気に封殺されてアタシに発言権なんてものはありはしないんだ。

 

「~~~っ!」

 

行き場の無い怒りが拳となって枕に突き刺さり、部屋にはぼふんっ!と力強くも情けない音が響いた。

 

 

 

 

ひとしきり枕にぶつけた後、時間は半時が過ぎようとしていた。

そこにタイミングを見計らっていたのか、殴る手を止めたアタシを確認したティナが読み終えた雑誌を閉じ身体を起こしてこちらに向きなおり口を開く。

 

「はぁ…感情をぶつけるなら枕じゃなくて他にぶつけるものがあるでしょうに」

「あん!?」

 

突然そんなことを言ってきたティナにアタシは眼を付けるが、ティナはそれを気にした様子もなく話を続ける。

 

「それだけ物に当たるってことは、それだけ溜め込んでるものが自分の中にあるってことでしょ?吐き出しちゃえばいいじゃない」

「はあっ?ワケ分かんないし。また説教するつもりなの?やめてよね、そういうの…」

 

また説教が始まるのか…。もううんざりだと顔を顰める。

そもそも、もうこれ以上は何も言わないと言ったのは誰だったか。前言を撤回するのは些か早すぎやしない?

 

「はいはい、悪かったわね。黙ってます」

「………」

 

まただ。踏み込んでくるかと思えば離れていく。まるで一定の距離を保って様子をうかがわれているみたいだ。あまり気分の良いものじゃない。何より相手の手の上で良いようにされるのが気に喰わない。

 

「何よ……言いたいことがあるなら言いなさいよっ!」

「アンタが言うなって言ったんじゃないの…」

 

アタシの逆ギレにティナは呆れた表情を浮かべる。自分でも自分の発言は矛盾しているのは分かっている。頭では分かってはいるのだ。でも感情はそれを許さない。明らかに非があるのはこっちで自分勝手なのは分かってはいても、感情をぶつけずにはいられない。

そして、そんなアタシを見たティナは冷ややかな目でアタシを見てこう呟く…。

 

「……結局、八つ当たりがしたいだけなんじゃない」

「っ!?ち、ちが――――」

「自分じゃ何も出来ない。それが気に入らなくて周りに当たる……違わないわよね?」

「………っ」

 

ティナの指摘に苦虫が噛み潰したかのように顔を歪める。反論の余地なんて無い。今までのアタシの行動は正にそれなのだから…。

そんなアタシを見てティナは、また呆れた顔をして深くため息を吐いて、もう一度あの言葉を口にする。

 

「ホント、鈴らしくもない」

「アタシだってらしくないってことぐらい分かってるわよっ!でもしょうがないでしょっ!?」

 

アタシらしくない。そんなことはアタシ自身が分かっている。だけど……!

 

「何がしょうがないのか、今何が起こってるのか、私には分からないし知る術も無いけどさ……結局、やるかやらないかじゃないの?」

「………」

 

ティナの言葉にただ黙って耳を傾ける。アタシ自身もうどうしたら良いのか分からなかったから…。

 

「どんな結果になるにせよ、行動しないと何も変わらない」

 

それは分かり切ったことだった。何事も行動しなければ始まらない。停止した状態だと前に進まない。考えなくても分かることだ。分かる事なのに……。

 

アタシはそれをしなかった…。

 

怖くなったんだと思う。現実を見せつけられたのが。今までの日常が失われるのが怖くなって、足がすくんで、動けなくなったんだ。現実は止まる事無く進んでいるっていうのに、アタシは現実から目を逸らして立ち止まっていたんだ。

 

「しっかりしてよ………貴方達しか助けられる人はいないのよ?」

 

さっきまでとは違う縋る様な言葉。きっとこれがティナの本心なんだと思う。

 

「押し付けてるのは分かってるわよ。勝手なのも分かってるわよ。でも仕方がないじゃない…」

 

ティナの声は震えていた。よく見れば瞳には涙が滲んでいて、さっきまでの強気な面影はありはしなかった。

行動したくても出来ない。その権限がティナ……ううん、他の生徒達には無い。あるのはアタシ達だけ。ミコトを託すことが出来るのはアタシ達だけなんだ。そんな事分かり切ってたはずなのに…。

 

馬鹿だ。アタシは…。

 

「だああああああああああああっ!もうっ!!」

「ひゃあっ!?ちょっ、いきなり何!?」

 

突然叫び出したアタシにティアは驚いて悲鳴を上げる。

 

「考えるのやめやめ!時間の無駄もあったもんじゃないわ!考える前に行動する!それがアタシってもんでしょ!」

 

本当にらしくない。考えなくても分かるじゃない。悩んでる暇があるなら行動しろってのよバカ!本当に今までくよくよ悩んでた自分をぶん殴りたくてたまらないわ!

気に入らないならぶっ飛ばす!それがアタシじゃないの!ミコトが寝込んでベッドから出てこないって言うんなら叩き起こしてやるわよ!

 

「いや、急に態度変わり過ぎでしょ…」

「そんな昔の事なんて忘れたわ!」

「えぇー……」

 

ティナが変な顔をしてるけど気にしない。

 

「それじゃあアタシ行ってくる!ティナ!色々ありがとねっ!」

「は?……って、ちょっと今から!?もうすぐ消灯よ!?」

 

ティナがアタシを止めようとするがアタシは止まらない。ポケットに手を突っ込んである物を掴み取ると、握りしめた手を広げ掌に転がるソレを見てニカッと笑みを浮かべて部屋を飛び出した。

 

「待ってなさい!先にアンタが欲しいって言ったんだからね!嫌がっても押し付けてやるんだから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

――――Side シャルロット・デュノア

 

 

放課後。今日一日の学生としての生活が終わり心身共に疲れ果てた身体を引き摺って自分の部屋へと戻ろうとしていた僕は、部屋の前で待ち伏せていたと思われる女子生徒に呼び止められ足止めを喰らっていた。

 

「ごめん。ミコトについては話せないんだ。ごめんね……」

 

もう何人目になるのかも分らなくなるほどに繰り返されたこのやり取り。ただの興味本位ならまだ良かった。だけど自分に訪ねて来る人達は誰も真剣にミコトを心配する人たちばかりで、その人たちに何も教えてあげられないのがとても申し訳なく、ミコトの事を訊ねられる度に僕の精神は擦り減っていた。

 

「ほんとにごめんっ…!」

「あっ…待ってよ、デュノアさん!」

 

僕は問い詰めてきた女子生徒に一方的に謝って話を終わらせると、呼ばれる声から逃げる様に自分の部屋の中へ飛び込みドアを閉めて鍵を掛けた。

どんどんとドアを叩く振動が背中に伝わって来る。ドアに身体を預けてへたりと地面に座り込むと、ドア越しから聞こえてくる自分の名を呼ぶ声を遮断するために両耳を手で塞いだ…。

 

 

 

 

あれから数分が経過して、外に居た生徒も諦めてくれたのかさっきまで聞こえていた自分の名前を呼ぶ声ももう僕の耳には聞こえてこなくなっていた。それに安堵の溜息を吐くと両膝を抱えて小さく体を丸めて顔を伏せる。

 

「もう、やだ……」

 

ぽつりと零れる弱音。朝から続く質問責めに僕は肉体的にも精神的にも追い詰められていた。

何処に逃げても彼女達はミコトの情報を求めて追いかけてくる。こちらの都合なんてお構い無しに…。ラウラみたいに群がって来る生徒達を脅迫じみた言葉や睨むだけで追い払えればこんな思いもする事は無かったのかもしれないが、僕には彼女みたいに強気にはなれない。僕を付き纏ってくる彼女達も純粋にミコトが心配なだけであって悪気があってやってるわけじゃないのだから。それが僕を苦しめている要因の一つなのだけど…。

ミコトが倒れて一日。一日目でこれだ。これからこんな日々が続くのだろうか?どれくらい?ううん、もしかしたら今よりもっと酷くなるかも知れない。これからどうなるんだろう?考えただけで身体が震えだして怖くて堪らなかった。

 

「ミコト……」

 

助け求める様に少女の名前をつぶやく。あの子はいつも僕が困っている時にその小さな手を差し伸べて手を握ってくれた。言葉にしなくてもまるで見通しているかのように僕が一番求めている言葉をかけてくれた。だけど、その彼女は今ここに来てくれる事は無い。傍に居て欲しい時に居てくれるその笑顔は失われてしまったから…。

あの子は僕が助けを求めても助けに来てはくれない。あの子は語りかけても何も応えない。あの子は瞳に生気を宿さない物言わぬ抜け殻になってしまった。

 

「ぐすっ、ミコトぉ……」

 

鼻を啜りもう一度あの子の名を呼ぶ。

如何してこんな事になってしまったのだろう?昨日までは何も変わらない日常だったのに。昨晩はあんなに楽しい時間を過ごしていたというのに…。如何して?何で?何度問うても答えは出てこない。ただ分かるのはあの幸せな日々はもう失われてしまったと言うことだけ…。

 

やだ。いやだよ…。

 

目の前で失われていく日常を、壊れていく周りを見るのがとてつもなく怖かった。

ミコトと言う一片が欠けた環境はまるで、全体を支える最も重要な部分を抜き取られ音を立てて崩れ落ちる積木細工。今まであったもの、築き上げてきたものが崩れていく。崩れ始めたらもう如何しようもなく、僕はそれをただ眺めている事しか出来ない。そして最後に残るのは変わり果てた瓦礫だけ…。

 

「――――ひっ!?」

 

ミコトや一夏、皆との絆が砕け散るビジョンが浮かび短く悲鳴を漏らす。

壊れる?今の環境が?なら僕はどうなるの?皆がバラバラになったら、この場所がなくなったら、僕は何処に居ればいいの?国には帰れない。今の僕には此処しか居場所なんてないのに…。

 

「怖い…怖いよ……」

 

一夏に本当は女だってばれた時はこんなこと思わなかった。どうせ父に良いように利用される人生なんだって、こんな結果になるのも分かりきってたことなんだって諦めていたから。でも今は違う。あの温もりを知ってしまったから…。

 

一人は怖い。一人は嫌だ。助けて。誰か助けて…。

 

……。

 

………?

 

「ぁ……れ…?」

 

感じた違和感に肩を抱き震えて顔を伏せていた状態から顔を上げる。

何だろう?何か大事な事を忘れてる。何かが引っ掛かってる。今までに僕は何を思った?何を考えた?その中の何がこの違和感を感じさせるの?分からない。分からない……。

 

ズキッ…!

 

「………痛っ!?」

 

右手に奔る痛み。その痛みの原因は何だと視線を落とせば、どうやら何かを強く握りしめていたらしく、それが掌に食い込んで肉を切り少し血が出てしまっていた。そして、その握っていたものを見て僕は目を見開く。

 

―――クリ…ス……死んだ…って……もう、会え…な……帰る場所……ないって……。

 

「………ぁ」

 

その正体は、いつの間にか右手に強く握り締めていたあの夜ミコトがくれた花のネックレス。それが視界に入り、血がついてしまったそれがあの時のミコトの泣き顔と重なって見えてしまって……。気付けば、先ほどまでの震えが止まっていた。

 

―――あとは、シャルルの決めること。

 

―――シャルル、友達。私はさよならしたくない。

 

―――ん。友達は、助け合うものだから。一夏が言ってた。

 

あの時、あの言葉にどれだけ救われただろう。どれだけ勇気づけられただろう。

思えば僕は人に助けられてばかりだ。こうしてここに居られるのも一夏やミコトが此処に居ても良いよって言ってくれたから。僕に居場所をくれたから。だから僕はこうして此処に居られた。その優しさに甘え過ぎて、助けられるのが当たり前の様に勘違いをしていたんだ。だから今もこうして誰かに助けてもらおうとしている。本当に助けてほしいのは僕じゃないのに。助けるべき人がいるのに…。

嗚呼、そうだ。僕は最初から助けられてばかりで、いつも自分から何をする訳でも無く状況に流されているだけだった。それに慣れてしまって自分で歩くことを忘れてしまっていた。

 

「こんなことじゃ、ダメ……だよね」

 

そう呟いて僕はゆっくりと立ち上がる。

 

―――シャルル、友達。私はさよならしたくない。

 

……うん。僕もさよならなんてしたくないよ。

 

―――ん。友達は、助け合うものだから。一夏が言ってた。

 

助けてもらってばかりじゃダメ。今度は僕がミコトを助けてあげる番。ミコトの居場所を作ってあげる番。あの時、ミコトが僕にしてくれたことを今度は僕がするんだ!

掛けられていた鍵を外しドアを開くと廊下へ出て駆け出した。行先は……そんなの、言うまでもないよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

――――Side 更識簪

 

 

明かりの点いていない暗い部屋。空中投影のディスプレイの明かりだけがその部屋を薄く照らし、カタカタとキーボードの打つ音が部屋に響く。

キーボードの打つ速度に合わせて切り替わっていく文字列と画面。それらに目を走らせ、奥へさらに奥へと自分が欲している情報を求めて、厳重なデータベースの防壁に引っ掛からぬよう隙間を掻い潜り進んでいく。もう少し、もう少しでプロテクトを突破できる。その時―――パッと部屋に照明の光が照らされた。

 

「何をしてるのかな?簪ちゃん」

 

普段の明るさを感じさせない冷たい声が私の背後から聞こえてくる。その声にゆっくりと振り返ると、そこにはやはり照明のスイッチに手を添え、真剣な表情を浮かべた姉さんが立っていた。

 

「IS学園のデータベースに不正にアクセスされた痕跡が発見されたんだけれど……これ、簪ちゃんの仕業よね?」

「………」

 

苦虫を噛み潰した様に表情を歪める。痕跡が残らない様に巧く隠したつもりだったのだけれど、どうやら騙しきれなかったらしい。

そんな私の反応に、先ほどの質問の答えを肯定と見做した姉さんは、頭が痛むのかこめかみ手で押さえつつ深くため息を吐き私を睨んだ。

 

「学園内部からのアクセス経由だからまさかと思ったけど……あのね、簪ちゃん。いくら私の妹だからと言っても『楯無』としてこれは見過ごせない。如何してこんなことしたの?」

 

如何してこんな事をしたのかと姉さんは問う。如何して?そんなこと姉さんなら言わなくても分かってるくせに…。

最早時間の無駄とも言えるその問いに私は顔を顰めると、視線をディスプレイへと戻し作業を再開するため手をキーボードへ伸ばすと、その手を駆け寄ってきた姉さんに掴まれそのまま床へ身体を押さえつけられてしまう。

 

「ぐぅっ……!」

「止めなさい、と言っているの」

 

乱暴に床へ抑えつけられる強い力に小さく呻き声を漏らす。

拘束から逃げ出そうとしても押さえつけられた体はピクリとも動かない。何とか動かせる首だけを捻らせて見上げた先に見えたものは、感情の籠っていない瞳でこちらを見下ろす姉さんの顔。見るものを凍りつかせてしまう様な冷たい瞳。その瞳は私を妹してではなく『楯無』の敵として映していた…。

 

「もう一度問うわ。何でこんなことをしたの?」

 

その言葉の圧力から「次は無い」と言うのが容易に伝わって来る。返答を拒否しようものならきっと姉さんは『楯無』として私を罰するだろう。問答無用で拘束しなかったのは姉妹としての温情か…。教員を連れて来ずに単独で此処へやって来たのもたぶんそれが理由。だけどそれもここまで、私がこうして考えている間にも、私を拘束する手はじわじわと力が強くなっていく。本気で私を排除するつもりだ。

 

「………言わなくても分かるでしょ。姉さんなら」

 

苦し紛れの反抗。本来ならこの時点で抵抗の意志ありと見なされてアウトなのだが、私の返答に姉さんは呆れたような溜息の後、手の力を緩めて拘束から私を解放する。

 

「やっぱりミコトちゃんの情報を探っていたのね?」

「………」

 

そう問われたが私は掴まれていた手首を摩るだけで何も答えない。分かりっている事をいちいち口にするなんて無駄にしか思えなかったから。そんな私の態度に姉さんはもう一度溜息を吐く。

 

「……何を不貞腐れてるの?」

「っ!? ふ、不貞腐れてなんか……!」

 

見透かされた。そう思いドキッと心臓が跳ね上がる。

慌てて否定するも姉さんは「……そう」と短く零しただけで、さして興味も無いと言いたげに深く追及される事は無かった。けれど、追及されなかったというだけで話はまだ終わってはいない。その冷たい瞳はまだ私を捉えたままだ。

 

「どちらにしても簪ちゃんのしていることは間違ってるけどね。法的にもだけど―――――友達としても、ね」

「―――――」

 

何を言われたのか理解出来ず、止まった思考がだんだんとそれを理解し始めると、冷めていた感情がみるみると熱を帯―――爆発した。

その爆発した感情が普段ではとても出すことの無い荒げた声となり、部屋中に響いて部屋全体をビリビリと震わせる。

 

「友達として間違ってる…?何が間違ってるっていうのっ!?」

「何もかもよ、分からないの?」

 

姉さんはそう言うと、扇子で口元を隠し冷ややかな目で私を見つめてくるだけで何も教えてはくれない。

分からないのか、ですって?友達として間違っているなんて酷いことを言っておいて、その理由すら教えてはくれないのは余りにも勝手すぎる。

 

「だから何が――――」

「今、一番に何をするべきか、何をしないといけないのか、如何してそれが分からないの?貴女はこんな所で何してるのよ!」

「あ……ぅ…」

 

学園最強である生徒会長の、そして更織家当主の気迫に圧されてたじろき何も言えなくなる。先程までの反抗的な私はもういない。今ここに居るのは蛇に睨まれた蛙も同然な臆病な存在でしかなかった…。

 

「ミコトちゃんの情報を知ることが今貴女がすべき事なの?仮に知ったとして貴女はその得た情報で何をしようと言うのかしら?」

「それは…!ミコトを助―――」

 

ぱんっ…!

 

「助けるため」と言い掛けた瞬間、頬に走る衝撃にそれは遮られる。

乾いた音が部屋の中に響いたと思うと、遅れてじんじんとした痛みと熱が頬に伝わってきて、そこで自分は頬を叩かれたのだと漸く気付く。痛む頬を手で触れ唖然と姉さんを見る。姉さんは怒っていた。先ほどまでの冷たく無感情な表情ではなく、感情をむき出しにした人間らしい表情で怒り私を睨んでいた。

 

「そんなことで助けられるなら私がとっくに助けてるわよっ!」

「………っ!?」

 

あの人前では勿論身内にも滅多に素の自分を見せることの無い姉さんが自分を曝け出し、しかも声まで荒げている。そんな姉さんを見て私は驚かずにはいられなかった。

 

「私がミコトちゃんを助けたくないとでも思っていたの!?そんなわけないじゃないっ!いい加減不貞腐れるのも現実から目を背けるのもやめなさいっ!!」

「っ!不貞腐れてなんかないって言ってるじゃないっ!」

「不貞腐れてるでしょう!?更識なのに、従者の本音ちゃんは知っているのに、主である自分は何も知らされてないって!それを言い訳にして怯えて何もしない自分を正当化しようとして!」

「ち、ちが…っ!」

「違わない!自分だって間違ってるのは分かってるんでしょう!?なのにこんなことまでして如何して否定出来ると思うのよっ!」

「うぅ…っ」

 

何も言い返せない。姉さんが言うことは何処までも正しかった…。

 

「逃げるのはもうやめなさい!更織だと言いたいのなら!言い訳に使うのは許されないわっ!!」

「っ、だったら………だったら何で教えてくれないのっ!?何で本音には教えて私には教えてくれないのよ!?私には何もわかんなくて、何も出来なくて……なら、それに縋るしか無いじゃないっ!」

 

逆上して言い返すともう一度頬を叩かれ、再び部屋に乾いた音が響く。

 

「如何してそうなるのよ……相手の事を全て知らないと友達にはなれないの?そうじゃないでしょう?傍に居て欲しい時、傍に寄ってあげて、傍で支えてあげるのが友達なんじゃないの?」

 

だんだんと落ち着きを取り戻してきたのか、姉さんの声も叱るのではなく言い聞かせるように変わっていく。

 

「ミコトちゃんが貴女にしてくれたことを思い出して、あの子は貴女に手を差し伸べてくれたわよね?貴女の事何も知らないのに、如何してだと思う?」

「それ…は……」

 

その答えは分かりきっていた。あの子と共に過ごしてきたのならまず思い浮かぶ、あの子ならきっとこう答えるだろうと…。

姉さんも私の考えてる事が分かっているのか、私を見て頷くとその問いの答えを口にした。

 

「友達になりたかったからよ。ごちゃごちゃとした建前とか理屈とか必要ない。友達になりたいから、友達だから助けたいと思った。友達を助けるのに理由なんてこれだけで十分なのよ」

「………」

 

その言葉にミコトと出会った時の事を思い出す。損得勘定と言う言葉に喧嘩を売ったような無茶苦茶な理由で、ミコトは助けを拒む私に『助けさせて』と手を差し伸べてくれた。

あの時のミコトは何を考えていたんだろう?私の様にくよくよと迷ってごちゃごちゃと色々な事を考えたのだろうか?ううん、あの子は悩まなかっただろう。自分のやりたいと思ったことを素直に行える子だから。自分に嘘を吐くことが出来ない子だから。

 

それに比べて私は…。

 

自分の不甲斐なさが情けなくてぎゅっと拳を握りしめる。爪が食い込む程強く。けれど、その拳を姉さんがそっと両手で優しく包み込んでくれた。

 

「難しいことなんて考える必要なんてない。何も出来ないなんて事もない。簪ちゃんにしか……簪ちゃん達にしか出来ない事があるじゃない」

「私にしか出来ないこと……?」

 

姉さんは頷くとポケットから何かを取り出して私にそれを見せる。

 

「それ……」

「うん。ミコトちゃんが一夏君の誕生日パーティで皆にくれたネックレス。簪ちゃんも持ってるわよね?」

「……うん」

 

当たり前だ。あの夜から肌身離さずにずっと持っている。ミコトがくれた大切な物だから…。

 

「これが答えなんじゃないかな」

 

ライラックの花を象ったネックレスが照明の光を反射させてキラリと輝く。まるで姉さんの言葉を肯定するかのように。

姉さんは「行こう」と優しく微笑んで私の手を引いてくれる。結局、また私は誰かの手を借りて漸く歩き出せた。以前までの自分とは違うと思っていたけれど、私は一人では歩けない弱虫でしかなかった。なら、今度こそ変わろう。今は姉さんに手を引かれているけど、今度は私がミコトの手を引いてあげるんだ。だって私はミコトの…。

 

友達だから…。

 

 

 

 

 

――――Side ラウラ・ボーデヴィッヒ

 

 

私はラウラ・ボーデヴィッヒ。誉れ高きドイツ軍人であり、特殊部隊「シュヴァルツェ・ハーゼ」の隊長を務める優れた兵士……などと自分で言っていて笑えてくる。あのような失態を犯しておいて何が優れた兵士だ。友との約束を違え、守るべき友を守れなかったと言うのに…。

 

―――所詮は出来損ないか。

 

……五月蠅い。

 

教官と出会う前、嘗て私に出来損ないと呼んだ者達の声が聞こえる。

幻聴だ。奴らがここに居るはずが無い。それに『出来損ない』と呼ばれたのは過去の話。今は周囲からも実力が認められて部隊の隊長を任されているのだ。しかし、私を嘲笑う声はなおも聞こえて来る。

 

―――出来損ない風情が身の丈以上の物を望むからそうなる。お前に友達など出来るものか。

 

黙れ…!

 

私を嘲笑う奴らの声が頭の中で響いては延々消えることなく、『出来損ない』という烙印が何処までも付き纏っては私を苦しめる。

 

黙れ!私を出来損ないと呼ぶな!私は……私は…!

 

「―――……さん?……デヴィッヒさん!」

「っ!?」

 

自身の名を呼ぶ声にハッとすると、心配そうに私を覗き込む眼鏡をかけた女子生徒。本音の姉である虚の顔が目の前にあった。

 

「ボーデヴィッヒさん?大丈夫?昨日から寝てないみたいだし、見張りなら私がするから貴女は部屋の中で休んだらどう?」

「……いや、大丈夫だ」

 

休むように進めて来る虚の言葉に私は首を横に振って拒否する。

たかが一日寝てない位で堪えるほど軟な鍛え方はしていない。一週間は寝なくても大丈夫なように軍隊で訓練は受けている。それに、ミコトがあんな事になっているというのに警備を放棄して私が休むなどと…。

別に部屋に入ってミコトの弱りきった姿を見るのが怖いのではない。あれは私の罪だ。それから目を背けようなどとはしない。だが、私がミコトの傍にいた所で何もしてやれる事は無い。私は生まれてからずっと軍人として生きてきた戦うこと以外に知らない人間だ。私が出来るのは戦うことだけ、だというのに…。

昨夜の出来事が脳裏を過ぎる。廊下にギリっと音が響き、それが私の奥歯が発した音だと気付いたのは虚に指摘されてからだった。

 

「…やっぱり中で休んでなさい。そんな思い詰めた顔で隣に立っていられてもこっちがまいってしまうわ」

「しかし……」

「駄目よ。これは上級生としての命令。そもそも彼女の警備は教員や生徒会の仕事なんだから」

 

正確に言えば更織家の…だ。現生徒会は一夏を除けば全て更織の家の人間。つまり日本の暗部の人間だ。今回の騒ぎの対処で学園は人手が不足しており、仮にも生徒である筈の生徒会に警備を任せる始末で、今回の件がどれ程の事態なのかが分かる。

 

「それに……」

 

虚はちらりとミコトが居る部屋のドアを見る。

 

「傍に居てあげなさい、友達ならね。あと……妹をお願い」

「……了解」

 

そんな顔と言葉を見せられて聞かされては私も素直に虚の指示に従うしかない。私は虚に一礼してから部屋の中へと入った。

 

「………」

 

音を立てぬよう静かにドアを閉めて部屋の中に入ると中は静まり返っており、二人が暮らしているはずの部屋には時折聞こえて来るすすり泣く声だけが私の耳に聞こえていた。

部屋を見渡し泣く声の主を探す。その泣き声の主……本音は枕のそばに置かれた椅子に腰を掛けて、目を赤く泣き腫らしてミコトを看病し続けていた。その姿に私は罪悪感と胸のあたりに感じるズキリとした痛みに眉を顰めると、彼女の傍へと歩み寄る。

 

「ミコトの容態は?」

「………」

 

本音は無言で首を左右に振る。

そんな彼女からミコトへと視線を移す。ミコトの様子は昨晩から変化は無く、まるで人形の様に光を燈さない瞳は虚空を眺め続けていた。ただ、間違いなく昨晩よりもやつれている様に見える。このまま続けばミコトは…。

 

「私を恨むか?あれだけ偉そうなことを言っておいて約束を破った私を」

「………!」

 

こうなってしまったのは全て私の責任。そんな不甲斐ない私を責めるかと問えば、彼女はもう一度無言で首を振る。今度は先ほどよりも激しく。

いっそ責めてくれれば…。そういう考えが頭を過ぎったが、すぐにそれを頭の中から追い払う。それは甘えだ。それは許されない。自分だけ楽になろうなどと、責める側の気持ちや痛みを思えば考える事すら許されないというのに。

 

「……すまない」

 

無意識に謝罪の言葉が零れた。それがミコトを守れなかったことからのものなのか、それとも自分の弱さに甘えようとしていたことからなのか、どちらによるものなのかは分からない。ただ謝らずにはいられなかった。

 

「ラウっちは悪くない。悪くないよ……」

 

目を赤く腫らした顔をこちらに向けて本音は弱弱しく微笑む。普段の彼女の柔らかな笑顔を知る者としては、その笑みはとても痛ましく見るに堪えなかった。しかし、彼女をそうさせたのは私でこれも私の罪の一つなのだろう。

 

「本音は休め。ミコトは私が看ておく」

「ううん、私はだいじょうぶだから…」

 

大丈夫な訳がない。そんな酷い顔色させてそれではどっちが病人なのか分かったものじゃない。

 

「嘘を言うな。昨日から寝てないのだろう?ミコトは私に任せて…」

「本当にだいじょうぶだから…。少しでもみこちーの傍に居たいの…」

 

私が休むように言っても本音は頑なにそれを拒んで椅子を譲ろうとはしない。強引に退かせようとしてもベッドに噛り付きそうな気迫でしがみ付いて椅子から動かなかった。普段ののっそのっそとした動きをするこの身体から一体何処からそんな力を出しているのだろうか。軍人である私が退かそうとしても退かせないとは…。それだけミコトから離れたくないと言うことなのか。

これは梃子でも動きそうに無いと悟ると、私はやれやれと溜息を吐き本音の隣に別の椅子を運びそれに腰を落とした。

 

「頑固者め」

「あはは、ごめんねー…」

 

苦笑を浮かべて謝って来る本音に私は「構わない」と首を振る。私も彼女と同じ立場ならきっと同じことをしただろう。

それにしても、ミコトの事情を知っているのならその心の負担もかなりのものだろうに、それでも懸命にミコトの傍に居ようとする彼女の想いの強さには驚かされる。いつ終わってしまうかも分からないの恐怖の中で、彼女は今日までミコトの傍で常に笑っていた。ミコトの前で絶対に涙を見せるようなことはしなかった。強い人間だ。私なんかよりもずっとずっと強い人間だ本音は…。

 

「如何して…」

「え?どうしたのー?」

「如何してそこまで強くいられるんだ?如何して笑っていられる?」

「私はぜんぜん強くないよー。それに今だって泣いて顔がくしゃくしゃだしー…」

 

そう言って彼女は赤く腫れた顔をを見られるのが嫌なのか恥ずかしそうに顔を伏せた。

けれど私は「そんな事は無い」とそれを否定する。確かに武力では本音は私に遥かに劣るだろう。しかし本音には私や一夏…いいや、教官よりも強い信念がある様に見えた。それが何なのか私は気になったのだ。

 

「う~ん……みこちーが大好きだからかなー?」

「本音。競うつもりは無いが私達だってミコトへの想いはお前に負けてはいないつもりだ」

 

むぅっと不満そうに訴えると、本音は「ちがう、ちがうよー」と慌てて手を振り、ちらりと本音はミコトを見る。ミコトは私たちがすぐ横で会話をしているというのにそれが耳に入っていない様子で、私が来てからずっと同じように虚空を眺めている。それに本音は悲しそうに見てから私の方へと向き直り語り始めた。

 

「ラウっちはみこちーの事をどこまで知ってるのー?」

 

まさか、此処でその話をするのか…?反応が無いだけで本当に聞こえていない確証もないんだぞ?

目で「大丈夫なのか?」と問うが本音は私の言葉を待つだけで何を言わない。今更隠したところで意味が無いと言うことなのだろうか。確かに最も避けるべき最悪な展開となってしまっては意味は無いかもしれないが……。ただ『死』と言う直接的なモノは口に出さない方が良いだろう。今のミコトは不安定だ何が引き金になるかは分からない。慎重に言葉を選びながら私は自分の持ってる情報を

 

「軍から与えられた情報はミコトが誰のクローンであるのか、そしてそのクローンを生み出す研究所がどうなったのか。その程度だ」

 

その程度とは言ったが、現状IS学園においてその程度が機密情報として扱われている。少し頭を働かせれば誰でも分かる様な情報が、だ。実際に一夏達もミコトの存在に薄々勘付いていることだろう。

 

「そっかー、私とほとんど同じだねー」

「殆ど?本国の諜報部でも入手していない機密情報があるのか?」

 

まさかミコト自身が運んできた情報か?確かにそれならIS学園以外にそれを知る組織は存在しないだろうが…。

 

「機密情報って大それたものじゃないんだけどねー……でも、とっても重いものだよー」

 

そう言って本音はダボダボの袖からボロボロで薄汚れた封筒を取り出した。中に入っているのは手紙…だろうか?見た目から薄っぺらく、書類が入っているようには思えない。

 

「…それは?」

 

本音は質問には答えず「読んでみて」と封筒を私に渡してくる。私はそれを受け取り封を開けて中を見ると、封筒の中には一枚の手紙らしきものが入っており、私はその手紙を封筒から取り出した。

 

「ラウっちは想いじゃ負けてないって言ったよねー?うん、私もねーそう思ってる。でもね、私の想いは私だけの想いじゃないんだー」

 

本音の言葉を聞きながら私は手紙の内容を確認する。

 

「これは……」

 

そこに書かれていたのは短い一文だけだった。何度も何度も書き直した跡に短い一文だけが書かれており、その文字も何かで濡れて滲んでいた。恐らくこれは涙だろう。この手紙を書いた主は涙を流しながらこの手紙を書いたのだ。この短い一文に沢山の想いを込めて…。手紙にはこう書かれていた。

 

―――この子を、守って…。

 

この手紙を書いた主。これはもしや…。

 

ひとりの人物の名前が頭の中に思い浮かぶ。クリス・オリヴィア。ミコトの母親でありクローン計画に関わった研究員の一人。しかし私はそれ以上の詳細は知らない。諜報部からの報告はゼル・グランと言った主要人物の情報しかなく、一端の研究員の情報までは入手出来なかった。私の知るクリス・オリヴィアはミコトから聞かされた話の中の彼女しか私は知らないのだ。

ただ、彼女がどれだけミコトを想っていたのかはこの手紙を見れば分かる。この一文にどれだけの未練や悔しさが込められているのかも…。

 

「その手紙を読んだとき思ったんだー。あっ、この人はこの女の子の事が大好きなんだって。この想いは消しちゃいけないんだってー」

 

本音は私の手から手紙を取るとその手紙を胸に抱く。

 

「私はねー。もうみこちーの傍に居れなくなったこの人の想いを受け継いでるの。その人が出来なかったことを私がしてあげないといけない……あっ、勘違いしないでねー?これはお嬢様から命令されたからとか義務だからとかじゃなくて、私がそうしたいと思ったからだからー」

「ああ、わかってるさ……しかし、そうか。そういう事だったのか…」

 

本音のミコトを想う強い気持ち。その強さの理由に漸く納得がいった。

自分の命を賭して娘を守ろうとした母親の愛。この世でこれ以上に勝るものがあるだろうか。その想いに私達が敵う筈が無い。

 

「偉そうな事を言ってるのは分かってるんだー。受け継いだって勝手に私がそう思ってるだけだしねー」

「そんなことはないさ」

 

今まで本音を見て来たからこそ言い切れる。本音がミコトをどれだけ大切に想っているのかを。

それに本音とて自分を危険に晒してまでミコトを守っているのだ。私が放った銃弾から身を挺して守った彼女の覚悟を誰が否定できよう。

 

「ううん、そんなことあるよー。だって私は守れなかったから……」

「………」

 

自分がミコトから笑顔を奪ってしまった。本音はそう言って自分を責めまた顔を伏せてしまう。

違う。そんな事は無い。そう言ってあげたかったが本人がそう決めつけてしまっている以上、私が何を言っても無駄なのだろう。

 

「如何してこうなっちゃうんだろうねー…?みこちーは何も悪いことしてないのに…」

「…そうだな」

 

そうだ、ミコトは何も悪くない。全ては人のエゴによって引き起こされたことであり、ミコトはその渦中に飲み込まれたにすぎない。

禁忌によって生み出された命に罪があるというのなら、その命を生み出した者共は一体何なのか。そう、罪を受けるのはそいつらであるべきなのだ。

 

「本当に…どうしてこうなってしまったんだろうな…」

 

誰も答えを返すことの無い呟きを零して私は天井を仰ぐ。

昨日まであった平穏な日常は何の前触れも無く壊れてしまった。もうあの日々が戻って来ることは無いのだろうか…?

 

「ひぐっ……みこちぃ……返事…ひっぐ……してよぉ…」

 

本音はしゃくり泣きながらミコトの名前を呼ぶ。けれどその声はミコトには届かない。いくら呼びかけても、願っても…。

ぽろぽろと本音の瞳から涙が零れ落ちベッドのシーツを濡らす。目の前で友達が泣いているというのにミコトは何も反応を示さない。心の優しいミコトなら目の前で友達が泣いていたらすぐに「だいじょうぶ?」「どこかいたい?」と声を掛けるだろう。だが今のミコトはそれをしない。やはり心が壊れてしまったのか?もう本当に駄目だというのか?

 

「………っ」

 

ミコトがプレゼントしてくれたネックレスを取り出す。皮肉にもプレゼントしてくれた日に平穏な日常は崩壊してしまった。このネックレスの籠った想いを嘲笑うかのように…。

ふと周りを見回す。散ってしまった花は戻らないとでも言いたいのか。ミコトを中心にした輪はバラバラとなり、この場にはいつもあった皆の姿は無い。

 

こんなにも簡単に壊れるものなのか、人の絆と言うのは……。

 

手元に視線を落とすと、手に握っていたネックレスが光を反射させて輝いていた。

 

―――えっとね。今は花咲いてなくても、皆が揃ったとき、この花、咲く。

 

……いや、違う。

 

頭を振り脳裏に過ぎる疑念を振り払う。絆が壊れてしまったわけではない。そんなことは決してない。一夏達はそんな奴らじゃない。突然訪れた日常の崩壊に誰もが戸惑い、迷い、恐れてしまったのだ。現に私もこうして迷っている。今、自分は何をすべきなのか…。この場に皆の姿が無いのはそういうことなのだろう。きっと、皆それぞれに迷っているのだ。自分がすべき事を…。

ミコトを救う。ミコトに生きる希望を与える。それが出来るのはやはり一夏達しかいない。誰かが一人でも欠けてはならない。皆が揃ってやっとミコトを救うことが出来る。確証なんて何処にも無い。だが私にはそう思えてならなかった。このネックレスを見ていると、散り散りになった花達がまた一つになる時あの笑顔もまた蘇る。そんな気がするのだ。そんなものはただの願望かもしれない。しかし、確証は無くとも確信はあった。このネックレスがそれを教えてくれた。花が散ったとしてもやがてまた花を咲かせるのだと。

 

「大丈夫だ。本音」

「ひっく……ラウっちぃ…?」

 

泣く本音の肩にそっと手を置き、相手を落ち着かせるようにゆっくりとそして優しく語り掛けて微笑む。

 

「ミコトは大丈夫。まだ大丈夫だ」

 

いつかは終わりがやって来る。それは決して避けられない運命だ。だが、それは今ではない。こんな終わり方であって良い訳がない。この無垢なる少女の結末がこんな悲劇であって良い筈が無いのだ。例えハッピーエンドが叶わぬとしても…。

 

「でも……みこちぃ…何も言ってくれない…笑って……くれないよぉ…っ」

「………」

 

慰めの言葉をかけても泣き止んではくれない。確証が無ければ何を言葉にしたところで気休めにもならないか…。なら、形がある物を見せるしかない。 

私はこれなら絶対に本音は泣き止んでくれるだろうという確かな自信をもって、手にもっていた物を本音に見せた。

 

「本音。これを…」

 

私がそれを見せた途端、子供の様に泣きじゃくっていた本音がピタリと泣くのを止める。それもその筈だ。確証の無い言葉よりも確かな想いが形となったそれは、本音を泣き止ませるには十分すぎるものだった。あの夜、ミコトが皆にくれたネックレスは。

 

「それ……みこちーがくれた…」

「うむ。私たちの『絆』だ」

 

そして、ミコトの願いそのもの。皆と一緒に居たいという願いが形になった物だ。

 

「ミコトは大丈夫だ。これがある。皆がいる」

 

そうだ。奴等が居る。一夏達が、私達が居る。

悲劇なんかで終わらせはしない。私達はそれを認めない。ミコトが絶望の淵に居るというのなら、私達がそこから引きずり上げてやる。それは一人では無理かもしれない。しかし皆でやればきっと出来るはずだから…。

 

「で、でも…おりむーたち…いないよぉ…?」

 

確かに本音の言う通りこの場に一夏達は居ない。けれどそれは無用な心配だ。一夏達は必ず此処へやって来る。このネックレスがそれを教えてくれる。

 

「やって来るさ。必ず。本音もこれを持っているだろう?」

「あたりまえだよ。みこちーがくれた大切な物だもん…」

 

そう言うとだぼだぼの袖から私と同じ銀色に輝く花のネックレスが顔を覗かせる。

やはりと言うかまあ予測できてはいたが、私と同じで肌身離さずに持っているのを見るとどこか嬉しいものを感じてしまう。嗚呼、やはり想っていることは同じなのだと。

 

「それがあるから大丈夫だ。ミコトが言っていただろう?この花が咲いて欲しい時に……」

「……皆を呼べばいい?」

 

本音の返答に私は微笑んで頷く。

 

「ああ、そうだ。奴等ならきっとここにやって来る。わざわざ呼ばなくてもな……ふふっ」

「え…?」

 

訳が分からぬと首を傾げる本音を余所に私はくすくすと笑みを漏らす。

本当、少しでも疑念を持った自分を馬鹿らしく思う。あのお人好し共なら呼ばなくても自分からやって来るさ。皆ミコトの事が大好きなのだからな。……ほら、言った傍から来た様だぞ?

まるでタイミングを見計らたかのように、部屋の外からどたばたと騒がしい足音がこの部屋へと近づいてくる。この足音の主が誰なのか考えるまでも無い。まったく、大遅刻だぞ馬鹿者共め。

 

『お、織斑君!?それに皆もどうしたの!?』

『すみません!急に押しかけるようなことして悪いんですけど部屋の中に入れて下さい!』

 

「ラウっち。これって…!」

 

虚の驚いた声の後に聴こえてきた一夏の声を聞いた途端、本音は暗かった表情に持ち前の明るい笑顔を取り戻す。

 

「ほら、言った通りだろう?」

 

私はそう笑ってウインクをすると、本音は「うん…うん!」と涙を零しながら何度も頷く。笑顔を浮かべながら。そして…。

 

バンッ!

 

「ミコトっ!!」

 

閉ざされていたドアは勢いよく開かれた。

 

 

 

 

 

 




次回でこの鬱回終了です。この鬱回は…ね。

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