Steins;Gate 観測者の仮想世界   作:アズマオウ

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アズマオウです。

ハワイからの投稿です(笑)
今回は紅莉栖による3人称です。最後に岡部の一人称かな。

では、どうぞ。今回は一応絡ませてあります。

一度改稿しました。


紅莉栖の調査

「こんにちは、ちょっと話いいかしら?」

 

 牧瀬紅莉栖は、とある人物に声をかけた。その人物は振り向くと、無邪気な笑みを浮かべた。

 

「ドウカシタカナ? お客サンカ?」

 

 顔には髭のようなものがついていて、目はくりっと大きく、体躯は小さいその人物を見た紅莉栖はそうよと返す。

 

「あなたに教えてもらいたいことがあるの。情報屋のアルゴさん」

 

 紅莉栖は目の前の人物の名前を呼ぶ。情報屋のアルゴはニヤッと嬉しそうに口角を吊り上げ、独特のイントネーションを持つ喋り方で話す。

 

「ウェルカムダヨ! 価格は情報によるケド」

 

 紅莉栖はそれに同意して頭を降った。そして、口を開いた。

 

「SAOで、熱は出るのかしら?」

 

 フレーズが口から飛び出し、音の振動と共にアルゴの鼓膜へと直撃しーーー鼓膜などないがーーー脳に伝達されたその瞬間、アルゴは笑いを引っ込め、は? と呆けたような顔をしていた。

 

 

 何故紅莉栖がその問いを出したのか?

 それは昨日の夜まで遡る。

 昨日の夜、紅莉栖は岡部と軽い雑談をしていた。その休憩中岡部は熱を出し、激しい呻き声と共に倒れてしまった。すぐに紅莉栖はまゆりや橋田に連絡して岡部を寝かせたのだが、一向に良くなる様子はなく、一日たった今でもまだ意識を回復していない。その後のギルドホームは、静まり返ってしまい、居心地の悪いものになっていった。

 岡部が倒れた夜、紅莉栖は一晩中考えた。あの岡部の頭痛と熱と呻き声は、いったいどうしたら起こるのだろうか、と。でも、答えは浮かばなかった。何故なら、そもそも“起こり得ない現象”だからだ。

 紅莉栖は一度、フルダイブ技術に関する批判論文を書いたことがある。具体的な内容としては、高出力の電磁波を搭載するマシンでは、使用者を監禁できてしまう可能性も無きにしもあらずというものだが、補足として、痛覚や熱感覚などの自由な操作性によって拷問も可能になってしまうと書いた。つまり、熱などの感覚もやろうと思えば操作できるのだが、反論を返した茅場は、この世界では一切の痛覚や、熱などの病気症状などを感知することはできないように設定した。だから熱感覚を味わうことなど出来ない。絶対にだ。仮に現実世界で熱を感じたとしても、即ログアウトになるはずだ。これは、ナーヴギア肯定論者が証明したことなので間違いはない。だが岡部はまだアバターは消滅していない上に、息すらしている。つまりまだ、意識が回復できていないだけで、通常通りゲームの中にいるのだ。

 そういうわけだから、どう考えても答えは出るはずがなかった。こうなったら出てくる解の可能性は3つに絞られてくる。

 

1.ただの偶然、見間違い。

2.熱感覚は本当に存在する。

3.もしかしたら未知なる現象が起こっているかもしれない。

 

 1の可能性はほぼ0にちかい。何故ならこの目で見たからだ。岡部の演技だとは思えないし、もししていたとしても長年幼馴染みとして一緒にいるまゆりに見破られるはず。

 2は0にちかい、と言い切りたいが、正直不確かだ。理論的には証明できても、もしかしたら茅場が病気感覚も再現している可能性はある。検証の余地はありそうだ。

 3は分からない。検証しようにも難しい。だから一先ず後回しだ。出来ることからやらなくては……。

 そう思い、実行に移した。本当に病気感覚は存在するのか、それを知っている人物を探して聞き出せばいい。実際候補はいる。まずはラボきっての物知りである橋田に聞いてみた。しかし、橋田は分からんお、さーせんとだけしか言わなかった。

 紅莉栖にとってはそれしか候補がいなかった。そこで、橋田にこうも聞いた。他に物知りはいないかと。すると……。

 

『いるお。鼠のアルゴって奴だお。トップクラスの情報屋だからなんか知ってるかもしれんよ。ただし、プライバシーは平気でばらすから気を付けるべき』

 

 それに賭けるしかない。プライバシーなど平気で差し出す。紅莉栖は橋田から居場所などを聞き出し、アルゴがよくいる第50層へと向かって、今に至る。

 

 アルゴは呆けた顔で紅莉栖を見た。言っていることが信じられないようで、もう一度聞き返してきた。

 

「もう一回いってクレ」

「SAOに熱は出るのかしら? って言ったのよ」

 

 紅莉栖は声の調子を全く変えずにもう一度言う。アルゴは聞き間違いではないなと認め、咳払いをする。

 

「オホン……えーっとダナ、その、SAOには熱とかはないンダ……それは、常識だと思うンダナー」

 

 周知の理を述べたアルゴの言っていることは正しい。でも、それを覆しかねない現象が起こっているのだ。

 

「もちろん知っているわ。でもね、奇妙な現象が起こったのよ」

「ホホウ?」

 

 アルゴが興味ありげな感じを出した。橋田から言われたのだが、アルゴは情報に対する執着はすさまじいらしい。だから、もし教えてくれなかったらこういった言葉で釣ればいい。そう言われた。

 紅莉栖はアルゴに昨晩起こったことを説明した。一応岡部の苦しそうな寝顔等は証拠写真として取っておいてあるので、全くの嘘ではないと証明できたはずだ。

 案の定、アルゴは最初は疑いをかけていたが、証拠写真を見て、ようやくこちらの言うことを信じてもらえた。

 

「なるほどナ……ちょっと信じがたいけど、ホントなんダナ」

「わかってもらえて嬉しいわ。で、そういった情報はあるのかしら?」

 

 紅莉栖の問いにアルゴは肩を落とし、首を横に振った。

 

「残念ナガラ、俺っちは何も分からないよ。そもそも初耳ナンダ。こっちが情報料を払いたいくらいダヨ。ごめんナ」

 

 やはりだめか。もう一度振り出しに戻ってしまった。紅莉栖はそうですかと、がっかりした口調で返し、踵を返そうとしたのだが。

 

「あ、でもアイツなら何か知ってるかも知れないナ」

 

 アルゴに呼び止められた。しかも、餌つきで。紅莉栖は、アルゴの言うアイツが気になった。

 

「あいつって……誰のこと? よければ教えてもらってもいいかしら?」

「じゃあ500コルな。仮にも個人名を教えるんダカラ」

 

 紅莉栖としたことがうっかりしていた。アルゴは生業として情報屋を営んでいるため、お金を請求するのは当たり前だが、それをすっかり忘れていた。紅莉栖はたどたどしく応じてお金を支払った。

 

「毎度あり~。で、そいつの名前を教えてやるヨ」

 

 アルゴは若干ニヤついた表情で、紅莉栖を見た。紅莉栖は、耳を澄まして、その名前を聞く。

 

「血盟騎士団の団長、ヒースクリフだ」

 

 

 

***

 

「話はアルゴ君から聞いているよ、クリス君」

 

 第50層のとあるレストランの席にて紅莉栖とヒースクリフは会合した。穏やかで、どこか超然としている物腰だった。顔に無駄な肉は一切なく、切れ目の双眸には一種の冷徹さが宿る。こういう目をできる人物は相当いない。よほど自分に自信を持っている、あるいは隔絶していると確信している人物でないと出来ない。紅莉栖もそう言った人種と関わりを持っているため、分かる。

 隔絶しているのは事実だ。目の前に座り、セットのサラダを静かに咀嚼している目の前の男性プレイヤーは、大手攻略ギルド《血盟騎士団》の団長であり、且つ、現在は最強プレイヤーの地位を独占しているからだ。彼は《神聖剣》という、たった一人しか習得できないスキルの所持者であり、HPゲージがイエローに陥ったことがないという。しかも逃げ回っているわけではなく、最前線にて岡部の親友ーーー岡部のそれにしては勿体なさすぎるーーーディアベルとともにリーダーを努めているのだから驚きだ。

 また、その横には血盟騎士団副団長に就任したアスナがいた。アスナとは一度第一層にて共闘し、現在時たま攻略に参加している今でもそこそこ話す仲にはなっている。アスナもあれからずいぶん成長し、閃光のごとき速さで敵を仕留めることから、《閃光》とか、《攻略の鬼》等とも呼ばれている。ただ、岡部とは馬が合わないようで毎度毎度岡部と口論を交わしている。しかも岡部は質が悪く、煽りに煽ってくる。スルーしようとするが、進行妨害までする始末なので、アスナも不憫である。紅莉栖の場合はあしらいかたを知っているからいいが、知らない人間からすれば、邪気眼中二病のウザイ奴でしかない。

 紅莉栖はにこっと二人に笑いかけ、お手数お掛けしますと一言添えた。

 

「なに、構わない。アインクラッドにおいて不可思議な現象が起こっているとなると、血盟騎士団の団長としてしっかりと把握しておかなくてはならないからな。ああ、それとアスナ君もつれてきた。相席しても構わないだろうか」

「ええ、女性がいた方が気楽なので」

「それでは本題に入ろうか。それで……本当に起きたのか? 熱が出たというのは?」

「ええ本当よ。なんなら写真を見る?」

 

 紅莉栖はアイテム欄にある写真を取り出そうとしたがヒースクリフは制した。

 

「いや、確認したかっただけで疑っているわけではないよ。ーーーでは、まず単刀直入に言おう。こればかりはあり得ない現象だ。だから誰も知らないであろう。少なくとも……茅場晶彦以外にはね」

「やはり……そうよね」

 

 紅莉栖は瞼を落とし、ため息をつく。頼みの綱があっさりと降伏した。これではもう、駄目かもしれない。

 ヒースクリフはそんな紅莉栖を見て慌ててフォローを入れた。

 

「そう落ち込まなくてもいい。答えは見つかっていないだけで、考えることはできるはずだ」

「一晩中考えた。でも、全く分からなかった」

 

 ふむと、ヒースクリフは唸る。暫し目を閉じて、ゆっくりと再び目を開けると口を開く。

 

「なるほどな……ではとりあえずもう一度考え直すとしようか。まずはSAO世界における感覚についてさらっておこう」

「そうね。確か、ナーヴギアの構造は身体中の全ての神経をシャットアウトし、ナーヴギアから直接脳に感覚信号を送っているのよね?」

 

 紅莉栖の言葉にヒースクリフは黙って頷く。どうやら、彼はナーヴギアに、あるいは脳科学に少し興味があるのかもしれない。紅莉栖は、言いがたい興奮を覚え始め、若干テンションをあげて言葉を続けた。

 

「そうとなるとまず、病気感覚は直接脳に送られている、と考えるしかないってことになる。でも今私たちはナーヴギアを着用しているため、どう考えてもナーヴギアからでしか情報を受けることが出来ない。ということは、岡部は……いえ、キョウマはナーヴギアから熱情報を受け取ったということになるわね」

 

 岡部のことを、中二病ネームであるキョウマと呼ぶのは癪だったが、彼の本名を晒すわけにもいかないので仕方なくそう呼んだ。

 

「ふむ、被害者の名前はキョウマ君だったのか。彼は貴重な攻略組プレイヤーだからな、余計真剣にやらねばなるまいな」

 

 ヒースクリフはちらりとアスナの方を見るが、どこかアスナは複雑そうだった。というか、嫌そうな顔をしていた。当然かもしれない。この間の攻略会議の時は、アスナの仕切りに怒りを抱いた岡部がギャーギャーわめいて論戦になり、岡部がしょうもないスラングや悪口を喚き立ててアスナを退場させてしまった。あの時は確かにアスナの自分勝手なペースに紅莉栖は僅かながら不満を持っていたが、岡部も悪いとは感じた。

 ただ、アスナもどうにか意思力セービングを発動して、すぐにいつも通りの可愛らしい容姿へと戻った。言い忘れていたが、彼女はすでにフードをはずしている。

 

「キョウマはともかく、不可思議な現象が起こっているのはどうにかしたいですよね、団長」

 

 呼び捨てか……岡部相当嫌われているなあ……。

 内心紅莉栖は少し怖かった。日頃の恨みを、一応関係者である紅莉栖にぶつけられるのではと思ったからだ。ただ流石は副団長、そんなことは一切しなかった。

 首肯で同意の意を示したヒースクリフは紅莉栖の発言に対し、微笑みながら付け加えた。

 

「だが、実際は痛覚や病気などは一切搭載されていない。現実世界にて病気を起こした際にはすぐさまアバターが停止になる。しかし、強力な電磁波が放出されているため、不快感を感じることは一切ない。ましてや、今回のケースのように、頭痛など痛覚を起こす症状も通常ではあり得ない話だ」

 

 ヒースクリフ言うことは全くの正論だ。だから困っている。だから岡部の身に起きた謎を解明できないでいる。紅莉栖は黙って首を縦に降ると、ヒースクリフは指を2本たてて見せた。

 

「可能性としては2つある。一つ目は私たち人類のまだ知らない現象が起こっている。二つ目は本当に脳に熱感覚や痛覚を送られている。このどちらかであろう」

「痛覚や熱感覚とかが実装された、とかは?」

 

 紅莉栖の質問に対し、ヒースクリフははっきりと首を横に振る。

 

「それは断じてあり得ない。例えば、このサラダの卓上スパイスをたくさんかけてみる。すると現実世界ではどうなる?」

 

 3人分のサラダにそれぞれかけられている、黒い粒をまじまじと紅莉栖は見た。現実で言う黒胡椒にそっくりだ。

 

「辛くなる、わよね?」

「そうだろう。しかし、SAOにおいては辛くは感じず、喉が乾くなるだけだ。何故なら、辛いという感覚も痛覚だからだ。熱々のスープを飲んでも、熱くないのは熱という痛覚をシャットアウトしているからだ。現在私はたくさんスパイスをかけたが、辛くもなんとも感じない」

 

 確かに、スパイスをかけても全然辛くない。この時点で、痛覚は実装されていないことは明らかだ。となれば、ヒースクリフの示した二つの可能性に絞られてくる。

 

「先ず、一つ目はおいておこう。二つ目から検証だ。脳に直接感覚を送りつけている、という線だ」

「でも団長、それは難しいんじゃないでしょうか? だって私たちはナーヴギア以外には脳にデータを送ってもらえないんですよ?」

 

 ヒースクリフの言葉にアスナは反論した。それに対しヒースクリフはそれもそうだと一応肯定の意は示したが、返す言葉は十分にあるようで口を再び開く。

 

「しかし一旦その前提から離れてみるべきだ。ナーヴギア以外にも彼の脳に影響を与えている何かがあると仮定しておこう。その何かをXと置くが、そのXはナーヴギアのように脳に感覚を送りつけることが可能になるシステムを搭載している。だが、そんなものがあったかな……」

「現状では難しいわね……」

 

 紅莉栖は唸る。何故とヒースクリフが目線で問いかける。

 

「だって、ナーヴギア以外にそういったマシンはないもの。それに……仮に岡部の脳みそに直接電極を指すにしてもあれはヘッドギア型だから指せない。ただ、マシンが新たに開発されたと考えてもいいかもだけど」

 

 紅莉栖の論述に、ヒースクリフは苦笑した。

 

「脳に電極とか、怖いことをいうな。君は科学者か?」

 

 そんなまさかと答えようとした。だが、紅莉栖は息を詰まらせた。彼は冗談で言ったようには、思えなかったからだ。彼の顔には確信に満ちていた。錯覚などではない。疑問や謎の答えを切り開いた科学者の目だから、間違いない。紅莉栖が脳科学について詳しいことを見破っているのか。いや、もしかしたら……紅莉栖の本名すらも、見抜いているのか。背中に冷たいものが走る。正体を明かしたくはないが、恐らくばれている。

 

「まさか、ただちょっと脳の勉強をしてただけよ」

 

 ……正直に言わないことにした。確信に近い推測だが、大っぴらにする必要性は皆無だ。目の前の聖騎士はじっと鋭い目付きで紅莉栖を見つめたが、やがていつも通りの穏やかで冷淡な表情に戻し、それはすまなかったと詫びた。

 

「いや、あまりに詳しいのでつい、な。では、話を戻そう。新しいマシンが出来たと仮定するが、それは十分に可能なのか?」

「分からない……ただ、ナーヴギアの技術を流用して、というのならば可能かもしれないわね」

「なるほど……チューブ型とかにして彼の脳に直接感覚を送りつけることができれば、今回のケースは十分に有りうるものにはなりそうだ。ひとまずはそれで仮定しよう」

 

 そうねと紅莉栖は打ち切った。ここでいくら論じても結論が出るのは難しいのでそういうことにしておく。しかし、ここで疑問が浮かび上がってくる。

 

「でも……そうだとしたら誰かが故意にキョウマの脳に送りつけたってことになる。となれば、誰が何のためにしたのかが気になるわね」

 

 そうだなと、ヒースクリフは顔をしかめる。普段は無表情のはずなのに、若干感情を表した。何か関係することでもあるのだろうか……?

 紅莉栖が探りをいれるような目線を送った直後、NPCウェイターがメインの肉料理を運んできた。一先ずそこで中断し、それぞれの料理を食べる。味はまあまあだが、フェイリスさんや漆原さんの作るそれの方が美味しい。

 数十分後全員が食べ終わり、ヒースクリフはナフキンで口を丁寧に拭きながら口を開く。

 

「ともかく、目的も人物も分からない……正直見当がつかないな。こればかりはどうしようもない」

 

 やはりそうか。実は紅莉栖も同じ結論に達していた。痛みや熱感覚の謎はわかったーーーということにしておいたーーーが、WHO、WHYが全く分からない。それもそうだ。こちらが持っている情報は岡部が痛みで発狂したことだけなのだから。

 紅莉栖は立ち上がり、お礼をいった。

 

「今日はありがとう。感謝しています。お代は私が一括で払うわ。それじゃあここで」

「いや、こちらこそ楽しかったよ。またこのように話せたらいいと思うね。では」

 

 ヒースクリフは紳士的な笑みと共にドアを出る紅莉栖を見送った。ドアがしまり、二人が残されると、ヒースクリフは笑った。

 

「どうしたんですか、団長?」

 

 口数が少なかったアスナがヒースクリフに問う。それに対しヒースクリフはにやっと口角を上げた。

 

「君は気づいていたかな? あのクリスという人間がどういう人間か」

 

 ヒースクリフの言葉にアスナは首をかしげ、分かりませんと答えた。それもそうかとヒースクリフは漏らし、アスナに言った。

 

「彼女は恐らく牧瀬紅莉栖だ。天才とも呼ばれる女性科学者だ。聞いたことはあるかな?」

 

 牧瀬紅莉栖という名前を聞いた瞬間、アスナははっと息を吸い込み、ボリュームをわずかに大きくして、知っていますと叫んだ。

 

「母が学者で、よく“サイエンス誌”を定期講読しているんです」

「なるほどな……実は私もなんだ。アスナ君の家はかなりのお金持ちだな。サイエンス誌は結構高いものだ」

「団長こそお金持ちですよね」

 

 アスナの返しにふふっと微笑むだけだった。

 

「牧瀬紅莉栖の論文を読んだかな? あれはなかなか素晴らしいものだ」

「読みました! 面白かったですよね」

「うむ、時々中二病という特殊な病気に関する論文を発表したりとかな。それと傑作なのはーーー」

 

 レストラン内にて、牧瀬紅莉栖についての話が、二人の最強クラスプレイヤーの間で繰り広げられていることは、また別のお話である。

 

 

 

***

 

 

 光が、見えた。柔らかく、真っ白な光が。俺を蝕み続けた茨地獄に、光が差していく。光は棘を灼いていき、痛覚を消していく。傷だらけの体から嘘のように治り始め、楽になっていく。視界から茨が次々と消えていき、その先にあったのはーーー。

 

「……りん……かりん……、おかりん……オカリン!」

「ぅ……ぅうん……」

 

 声が聞こえる。親の次にたくさん聞いた声だ。俺はゆっくりと瞼を上げた。途端に眩しい光が入り込み、思わず目を閉じる。もう一度開けると、そこには……心配そうな顔をしているまゆりの顔があった。

 

「オカリン……やっと起きたんだね……」

「……まゆりよ……俺はどのくらい寝ていたんだ……?」

 

 まゆりは頬をわずかに膨らませながら答えた。

 

「丸一日と13時間、だよ……。でもオカリンが起きてよかったよ……」

 

 まゆりははにかんだ笑みを浮かべている。でも目には涙が浮かんでいる。ああ、これは怒られるな。俺は覚悟しながら、まゆりの頭に手を置いた。

 

「すまなかったな、まゆり……心配かけた」

 

 俺がそういうとーーー。

 

 ぎゅっ。

 

 体に柔らかい感触が押しつけられる。まゆりのふくよかな胸の感触が伝わり、どぎまぎする。まゆりは俺に飛び付いて、叫んだ。

 

「ホントだよ!! まゆしぃは……心配だったよ! ーーーオカリンが、このまま死んじゃうんじゃないかって……思ったんだからね!!」

 

 まゆりは泣きながら俺に怒っていた。俺はすまんと耳元で囁きながら、まゆりを力強く抱き締めた。今ここにいるのは俺とまゆりだけだ。だからこういうことができる。お互いもういい若者なのに、こういった恋人じみたことをして何とも思わないというのは不思議なものだという。でも、俺たちはそれでいいと思う。お互い、暖かい気持ちになれるのなら。

 余計な感慨を抱きつつ、俺は泣いているまゆりを離した。まゆりは、溢れ出る涙を拭い切り、しばらく下を向いていた。何をしているのだろうかと思ったが、すぐにまゆりはいつも通りの、明るく、幸せにさせてくれる天使のような笑顔を浮かべた。もう、大丈夫だ。まゆりは、いつも通りだ。俺は微笑みながら再びベッドに横になった。

 

「オカリンまた寝るの?」

 

 まゆりはにこやかに聞いてくる。さっきまで感情を露にしていたのに。案外まゆりという人物は大物かもしれない。

 

「寝るのではない。少し、考え事をしたいだけだ」

「ふーん、そっかー。じゃあまゆしぃがいたら邪魔になっちゃうからここから出るねー」

「分かった……色々すまないな」

 

 オカ舞いなくリンー、という意味不明な言葉を残してまゆりは部屋から出ていった。俺が考えるに、“オカリン”と“お構い無く”を無理矢理合わせたのだろう。そういえばまゆりはこういった造語を作って使うことをよくしている。例えば“オカえリン”は“オカリン”と“おかえり”を合わせている言葉だ。

 幼馴染みの奇妙な言動に苦笑しつつ、まゆりの後ろ姿を見送ると、俺は天井をにらんだ。

 俺は謎の痛みに襲われた。脳の中を針虫が暴れまわるような激痛と、現実世界における熱に近い倦怠感と気持ち悪さが同時に襲いかかってきたのだ。どのくらいかは分からないが、それがずっと続き、ついには失神してしまった。そして丸一日以上かけて漸く覚醒したのだ。

 

ーーーやれやれ……鳳凰院凶真とあろうものが、情けないな……。

 

 俺ははぁとため息をつく。他のラボメンに申し訳ないことをしてしまった。彼らの時間を俺の体調不良で壊してしまった。あとでみんなの前で謝ろうと俺は決めた。

 さてーーーこの痛みは一体何だったのだろうか? 実際に似たような痛みを経験したことはある。タイムリープの時だ。あの時俺のリーディングシュタイナーが発動し、相当な痛みを伴った。だが、リーディングシュタイナーが発動した際でもあそこまで痛くはなかった。思考もまだ出来ていた。だが今回の痛みはそれすら出来なかった。だから恐らくリーディングシュタイナーではないだろう。

 だったら何なのだろうか。“機関”? まさか、あれは架空の存在だ。ナーヴギア? でもどうやって?

 

「くそっ……」

 

 俺は頭を抱え、小さく唸る。今は痛まない。どうしてと思う気持ちが強く、イライラしてくる。

 その時、がチャッとドアノブがなった。誰が入ってきたのか俺はじっと入り口を見つめる。すると、そこには紅莉栖がいた。

 

「ーーーお目覚めのようね」

「いろいろ迷惑かけてすまん」

「……普通そういうわよね」

 

 紅莉栖はじろりと俺を一瞥してベッドに腰かけた。その後、真剣な声音で俺に言った。

 

「で、あの痛みについて思い当たることは?」

「一切ない。思い当たることなど何もないのだ」

「そう……」

 

 紅莉栖は、やっぱりねとぼそりとつぶやいた。何か知っているのか。

 

「おい、何か知っているのか?」

「知っているというか、岡部の痛みが何なのかということについて、手がかりが見つかっただけだけど」

「俺のためにわざわざか?」

 

 俺は素直に驚いて言った。しかし、紅莉栖は急に顔を赤くして、捲し立て始めた。

 

「ば、ばばばバカなの!? 死ぬの!? 私はただ単純に知りたかっただけ! だからアンタのためじゃないっ、アンタのためじゃないっ! ……っ、大事なことなので二回言いました」

 

 紅莉栖はぜえぜえと息を荒げながら長々と言いまくる。ツンデレ乙、と言ってやりたいがそれはやめておく。とりあえず今は教えてほしいからだ。彼女がつかんだものを。それに、彼女は必死だったのだ。俺のために、頑張ったのだ。俺がとやかく言う資格はない。

 

「紅莉栖、教えてくれ。お前は何が分かった?」

 

 紅莉栖は赤くした顔を元の冷静な表情に戻すと口を開く。

 

「ちょっと長くなりそうだけど……いいかしら?」

「構わない」

 

 じゃあと、紅莉栖は話し始めた。

 俺はさっきからずっと感じる不安感が背筋を滴るのを感じた。そう、何かよからぬことが起こるのではないかと言っている気がする。

 いけない。今は紅莉栖の話に集中せねば。体にまとわりつく悪寒を振り払い、耳目をたてて聞いた。

 

 




さて、ハワイから帰ってきたら頑張ろう、色々と。

では、感想、お気に入りなどお待ちしております。

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