霧雨魔梨沙の幻想郷   作:茶蕎麦

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第五話

 

 

 

 紅く大きな満月の下、紅魔館の屋外には落下していく吸血鬼とそれを見送りながら肩で息を吐く紅白巫女の姿があった。

 墜ちる中途で飛膜によって風を受けふわりと向きを変えテラスに足を付けて顔をあげた吸血鬼はレミリア・スカーレット。彼女は運命を操る程度の能力を持った今回の紅霧異変の主犯である。

 そして宙から降り立ち、その前で腰に手を当てながら偉そうにして、小さな吸血鬼と向き合っているのは異変解決に来た人間の片割れ、博麗霊夢だった。

 

「ふぅ。レミリア、だったかしら。弾幕ごっこは私の勝ち。これで異変はお終いね」

「ええ、負けを認めましょう、博麗の巫女。私は霧で幻想郷を覆うのを諦める。約束するわ」

「むっ、レミリア。私にもちゃんとした名前があるのよ」

「ふふふ。分かっているわ、霊夢。今夜は楽しかったわよ」

「……ふん」

 

 優雅に笑うレミリアに、霊夢は顔を背けた。それは刺々しくしている自分が何となく気恥ずかしくなったからである。

 短い時間に幾度と無く攻撃を交わした相手であるが、それでも疲れとボロボロにされた衣服以上の恨みはない。

 むしろ、向うはどうしてか霊夢にとって好意的ですらある。そんな相手に対してまで気を張っているのは少し馬鹿らしいと霊夢も思う。

 これも経験不足のせいかと、そう感じながら、そういえばと霊夢は思い出した。

 

「あー、魔梨沙のこと忘れていたわ。何してるのかしらね、アイツ」

「あら、そういえばもう一匹人間が居るはずだったわね。確か魔法使いなら同じ魔法使いであるパチュリーに止められる筈だったけれど」

「どうしてそんなことが分かるのよ」

「能力の応用、と言えばいいかしら。黒白の魔法使いなら、きっと無事よ」

「……レミリア、貴女は何を言っているの? 確かに魔法使いだけれど魔梨沙はどちらかと言えば紫色よ。それに別に私は魔梨沙の心配なんてしていないわ。最低でも魔梨沙は、レミリア、貴女よりも私よりも弾幕ごっこが上手いもの」

「……おかしいわね。どういうことかしら。私はそんな存在を知らない――――っ!」

 

 人間一匹。とはいえ自分が把握出来ている筈の運命が違っている。

 これはどういうことかとレミリアが訝しげに眉をひそめたその直ぐ後に、地の底から響くような震動が襲いかかった。

 何かと、考えるまでもない。今まで何度かあった妹の癇癪の余波、それを感じた経験と酷似していたのだから。これも今回の異変のために撚りあげて限界まで明確化させた運命の中になかったこと。思わずレミリアも慌ててしまう。

 

「咲夜!」

「――はい!」

「わっ」

 

 レミリアの呼び声に応えて、完全で瀟洒な従者、時を操るメイド長十六夜咲夜が銀髪を揺らして現れた。

 先ほど自分が倒したはずの相手が突如として目の前に出現したことに、霊夢は驚く。

 

「フランドールの様子を見てきて。そしていつもの様に気取られず直ぐに戻って私に知らせなさい!」

「畏まりました!」

「なに、何なのよこれ!」

 

 そして、再び目の前で消えるメイド。足元に感じる揺れと同じく、タネが解らず不明である。それが、霊夢を不安にさせた。

 そんな自分より事態に対応できていない霊夢を見て、妹に対する心配で頭がいっぱいであったレミリアにも、余裕が出る。思わず広げてしまった羽を畳みながら、レミリアは霊夢に諭すように説明を始めた。

 

「大丈夫よ、これは妹が暴れているだけ。そう、それだけの筈。咲夜には、さっきのメイドにはその調査に行かせたのよ。あの子は、そういうことに重宝する能力を持っているから……」

「暴れているだけって……異変とは関係ないの?」

「異変にあてられたのかもしれないけれど、これは貴女と関係ないわ。身内で何とかするべきことよ」

「そう……」

 

 身内、という言葉で思わず霊夢は魔梨沙のことを思った。先ほどレミリアが語ったことは的外れであったようだが、この館には他にも敵となる相手が居るようで、その最たるものが地下の妹とやらなのだろう。

 ならば、そちらの方に魔梨沙が挑んでいるということはないだろうか。自分の方に来なかったということは、任せてくれたというのはそういうことでは、と霊夢が考えた時。

 

「あらあら。何やら話がおかしな方向に向ってきてしまいましたわね」

 

 ぞっとするほどの妖気が霊夢の背後から急に沸き起こった。勢い良く振り返り、札を突きつける霊夢と、目つきを鋭くしてその一挙一動を見逃すまいとするレミリア。

 そんな二人の視線を受けながら涼しい顔をして、リボンで両端が結ばれたおぞましいスキマの上に座っているのは、境界の妖怪八雲紫。妖怪の賢者とも呼ばれる大妖怪である。

 

「どういうことよ、紫」

「さて、博麗の巫女が、スペルカードルールの下、今回の異変を解決した……これはいいでしょう。しかし、一方異変解決に来たもう一人の人間に対し、異変の首謀者の妹がルールを守らずに争っている……これはあまりいいとはいえませんわ」

「何だと?」

「お嬢様……どうやらそちらの方の仰るとおり、フランドール様と侵入者が弾幕ごっこをしているようです」

 

 霊夢とレミリアが紫の言葉に訝しげに応じていると、そこに額に汗をかきながら咲夜が現れて、補足した。

 

「馬鹿な、封印が……いやそれよりも、フランはスペルカードルールを知らない。教えていない。なら、今フランがやっている弾幕ごっこは……」

「相手が屈服するまで力いっぱい弾幕を展開させ続ける、そんな随分と簡単で粗野なお遊びのようですわね」

 

 指の先で宙を一撫で。すると紫の目の前にスキマが開き、そこで現在の戦いが中継される。紅だらけの中で、辛うじて紫色が垣間見える程度の光景。それに、霊夢とレミリアは息を呑む。

 

「待って。それって、魔梨沙がレミリアみたいにバカみたいな力と回復力があるやつの全力を相手しているってこと? そんなの、勝ち目がないじゃない」

「私としては外野の勝ち負けは気になりませんが、不慮の事故というわけでもないのにスペルカードルールの施行された中で死人が出ることは望ましく思えません。それがルールを守らない故の暴走であったとしても、こんなに早く前例が生れてはそこから綻んでいってしまう」

「拙いわね……」

 

 強い妖怪同士の決闘が幻想郷を揺るがすような事態になることを防ぐためだけではなく、人間と妖怪が対等に戦えるルールとしても通じると作成されたのが、スペルカードルール。

その中で、ルールを守らない妖怪の弾幕とはいえ人が死んだと聞けば、人間側が萎縮してスペルカードルールでの決闘を持ちかけなくなってしまうかもしれない。

 それは拙いことだがそれ以前に、霊夢にとっては今現在魔梨沙がそんな死線を潜っているというのが拙かった。あれでも身内なのである。死なれたら目覚めが悪い、というよりもそんなのは嫌だった。

 

「レミリア、地下まで案内して!」

「ええ、分かったわ。咲夜、貴女は先に!」

「はい!」

「それでは、私はここでもう少し様子を見ることに致しますわ」

 

 そうして霊夢、レミリア、咲夜の三者は三様に事態への思いを持って地下へと向かう。一人としてその手助けを必要としなかった、胡散臭い妖怪をテラスに置き去りにして。

 

 誰も気づかなかったが、幻想郷を愛する八雲紫が動かないというそのことが、事態の軽さを秘密裏に物語っていた。

 

 人と吸血鬼の戦い。それはどう考えても吸血鬼に軍配が上がるだろう。しかし、それが弾幕ごっこであるのなら、そしてその人間が霧雨魔梨沙であるのならば。そうならば、話は変わってくるのではないか。

 そう、何度もやりあった経験から紫は、魔梨沙の力を知っている。

 

「これで、万が一の保険はしてあげた。最悪はない。後はどれだけの力を見せるかよ、霧雨魔梨沙」

 

 そう言って、紫は魔梨沙の映るスキマを閉ざした。そうしてから、彼女は新たに開いたスキマの中に消えて、そして誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

 部屋の中は退屈である。何より四角くて、空想で丸を作って行くたびに角が余って邪魔になる。しかし、何もないところを壊すことなんて出来ずに、そしてフランドールは部屋を大きな円かにすることまで考えられないためにふてくされる。

 だからベッドに倒れこみ、毛布に顔を埋めれば今度はキュインキュインと狂った音色が耳朶にて響く。

 しばし顔を埋めたままおしりを持ち上げてそのリズムに合わせて腰を揺らすフランドールだったが、不完全な背中の羽根を飾る宝石のような何かがカチリと合わさった音を耳にすることで、自らのはしたない格好を彼女は思い出した。

 

「わー、恥ずかしいー」

 

 ぽふんとベッドに座り直したフランドールは、誰も見ていないというのに赤くなった自分の頬を両手で覆ってこね回し始める。上に下に、顔を隠して。

 

「痛い」

 

 その際犬歯に指が引っかかって、その小さな指先に傷を作った。しかし、痛みに眉を顰めるフランドールの感覚に反して、見てみれば指の傷はふさがり残っているのは紅の丸い血液ばかり。

 ぺろりとそれを舐めとると、後にはただの子供の手が残ってしまう。そう、何もつかめない、子供の手のひらがそこに。

 

「あーあ。つまらないの」

 

 目から離すように手を伸ばし、大きく体を広げて、そのままベッドへとパタり。

 そこで、果たしてフランドールは正気に返った。別に、それまでの彼女が狂気に逸していたわけでもない。ただ、ガチャガチャと壊しているために崩れやすい、これが彼女の素なのであった。

 

 少しひねくれた少女のままに、四百余年も。感傷やら後悔やらが鬱陶しくて、何度もその性格を壊して崩してみたりしたけれども、それでも自然とその性格へ直ってしまい、本質は変わらない。

 だが、性格の急変は他には恐ろしげに映る。周りはフランドールに豹変してほしくない。けれども、彼女自身は変わりたかった。そう、時折狂気にやられて愛する全てを破壊したくなるような自分を捨て去りたいと、フランドールは何時でも思っている。

 しかし、壊れても何時かは直るもの。故に、性格を壊して世界の見方を変えたりするような逃避を繰り返していても、何時かは弱いフランドールに戻る。それはどうしようもないと、彼女の後ろで囁く誰かが嫌いだった。

 

「ちっちゃな手……」

 

 何時からか成長しなくなった体。それは、自分がもう変われないのではないかという不安の象徴のようなものである。

 だから、成長に期待するよりも、壊れて、それが素晴らしい欠片になることをフランドールは望んでしまう。それがおかしいと思えないのは、誰よりも彼女が壊すことが得意であるが故のことであった。

 ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。そんなものがあっては、我慢も稚気も、育たない。嫌になったら壊してしまえばいいと、何時だって心の後ろで誰かが言っている。

 

「ん……またあいつ? それともパチュリーかしら、よいしょ、どーん」

 

 そんな無気力に溺れていると、唐突に封印を何者かが抜けた様子をフランドールは感じた。

 それは果たして何時も同じ時間に来るお姉さんが珍しく時間を違えてきたのだろうか、それとも、魔法の師匠が、教本をどれだけ習熟したのか様子を見に来たのか。

 後者だったら拙いと、思わずフランドールは机の上で山になっていた魔導書を崩して、さも今まで読んでいたかのように装った。

 地下深く、耐震防音性に優れた封印の奥にずっといたフランドールは外で異変が起きていることも、向かってくるのがその正確なカタチを見たこともない人間であることも知らない分らない。

 

「お邪魔しまーす」

「誰?」

 

 だから、強い魔力を放つそれが、見知らぬ霧雨魔梨沙という人間であると知ったその時のフランドールの衝撃はいかほどのものだったか。

 立方形のパーソナルスペースに侵入してきたのは、紫色の衣服と帽子を身に付け、肩口で赤い髪を切りそろえた、まるで絵本で見た魔女のような姿の存在。

 しかしその存在には本物の魔女であるパチュリー以上の脆さが見えて、非常に壊しやすそうだと後ろの誰かとフランドールは揃って思った。

 

 そして、二人は少し疎通の取れ過ぎたチグハグな会話を始める。

 

「ひょっとして、人間?」

「そうよ。私は種族人間の魔法使い、霧雨魔梨沙と言うわ。さて、ひきこもりのシンデレラは、貴女?」

「人間なんて初めて見たわ。私はフランドール。灰かぶりなんかじゃなくて、燃え盛る炎色のフランドール・スカーレット」

「あら、それじゃあ燃え尽きるまでカボチャの馬車はお預けねー」

「そんなのネズミにでも齧らせておけばいいわ。綺麗なドレスもガラスの靴も王子様もいらない。ただ、私には時間切れまで踊ってくれるダンスの相手がいればいい」

「あら偶然ねー。あたし、弾と踊る遊びなら得意なんだけど」

「弾幕ごっこね、私も好きだわ。でも、新しいルールが出来たって聞いたんだけれどそれは知らないの」

「そんなの気にしないでいいわー。ただ思いっきり遊べばいいの。あたしは貴女の踊りを見に来たのだからね」

 

 大丈夫だとウィンクをする魔梨沙に、それを受けて歪な喜色を表し出すフランドール。

 遊べる。目の前の繊細でよく出来たおもちゃで遊ぶことが出来る。それは、常に暇を覚えているフランドールにとって愛するお姉さんと師が一緒にやって来てくれたくらいに嬉しい事。

 フランドールは狂気に任せて、自身に課したこれ以上壊さないという何時も破られるばかりの枷を叩き壊して頭の中の屑籠に捨てる。

 壊れてもいい。力いっぱい遊び尽くしたい。そんな思いがフランドールの内にある妖力と魔力を解き放たせる。

 

 それは、吸血鬼であるという以上にフランドール・スカーレットという妖怪であるからこそ凄まじいほどの量になった。あまりの大きさの妖力と魔力は自然とブレンドされていき、発するフランドールを酔わせて頬を紅く染めていく。

 妖力に魔力、そのどちらともが、魔梨沙の力を凌駕している上に、相乗効果で高め合って底が見えない。こんな力の余波を浴びた人間は最早笑うしかなく、そして実に楽しそうに、魔梨沙は笑んだ。

 それは、フランドールの力が期待を超えているが故のことだった。なるほどこれなら大した破壊を成せるだろうと、真似事でもその片鱗を掴みたいと思った魔梨沙はその力を恋しく思い【直視】する。

 

 互いの口角は、どうしようもなく、釣り上がった。

 

「あはは! どうなってもしらないよ、魔梨沙!」

「きゃはは! 力でどうにかなってしまうくらいのあたしなんて要らないから構わないわ、フランドール!」

 

 狂おしく求めあい笑いあった人間と吸血鬼の魔法使いは、弾かれたように空を飛んで離れ。互いにありったけの弾幕を放った。

 そして、あっという間に紫と白は、紅に染まる。

 

 

 

 


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