霧雨魔梨沙の幻想郷   作:茶蕎麦

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第三十八話

 

 

 

 魔梨沙が夢幻館から戻り、自宅で傷ついた身体を薬草と休息で回復させていた、その頃。

 幻想郷の空遥か高く。何故か一部破られたまま未だに直されていない幽明結界の前にて、多量の幽霊が溢れていた。

 その中心にて、踊っている少女が一人。彼女の着物の薄青は風になびく桜色の髪を美しくみせている。周囲の霊は彼女の所作一つ一つを無視することは出来ずに、頭を垂れるように周囲を巡っていた。

 天にて舞い、幽玄をこの世に表している、そんな人物は、西行寺幽々子その人である。普段ろくに動かぬ運動不足な彼女はしかし、異変時の今には大いに動かざるを得ないようだった

 

「うーん。こっちが本当の能力ではないから、全てを操るというのは難しいわー」

 

 生前に生者を死に誘うまでに発展した、その下敷きである死霊を操る程度の能力を用いて、幽々子は周囲の霊を繰る。扇を一振り、すると沢山の霊が尾を引いて清流泳ぐ川魚の群れのように宙を流れた。

 やがて、数多の霊は中途にて半分ずつに分かれて幽明結界の先に幻想郷の地へとそれぞれ向かっていく。上下に流れていく薄青色は、尾により表わされる流れによって宙に浮かぶ滝にすら思えた。

 舞いながらも真剣な幽々子の瞳によって二つの流れを形作る一つ一つの霊は確と種類ごとに分化していく。どうやら選別されて居場所を振り分けられているような、そんな様子。

 常人に二種類の霊の違いは分からないが、幽冥楼閣の亡霊少女として数多の霊魂に触れている幽々子には明確に判別できるのだろう。そう、裁きを受けているものとそうでないものの違いなど、日頃から片方ばかりでもよく見ていなければ分からない。

 

「本来拠り所になるはずの花が全て能力に支配されていて行き場がなくなってしまったとはいえ、はるばる冥界にまで居場所を探しに来てしまうなんて。外の子たちの安定志向振りにも困ったものだわー」

 

 それにしても、白玉楼のそこかしこに混じっていたのを残さずここまで引き連れて来るのは大変だったわー、とげんなりした様子で幽々子は続けて独り言ちた。

 そう、今現在幻想郷の天を埋め、空高く冥界にまで溢れだして既存のものと混じっていたのは、此度生じた大結界の緩みに乗じて幻想郷に這入って来たのであろう、外の世界の魂達。

 死を予知することすらできずに死んでしまった沢山の無念の魂は、三途の川にて並んで大人しくは出来なくて、身体代わりに魂の質を表す相性のいい植物、花に憑依することも無理であれば、幽霊として幻想郷を彷徨う以外なかった。

 

「それにしても、外では何が起きているのか……いけないわ。これはただの未練ね」

 

 頭を振って幽々子は続けるのを止めたが、愛国者でもある彼女が自国に起った危機を憂うのは当然のことだろう。

 多くが無念の内に亡くなったということは、外では何か大勢が死に至るような、地震に戦争、何らかの事態が起こったに違いないのだ。悼ましいその事実に、のほほんとして見える幽々子とて思うところがないわけでもなかった。

 しかし、それが既に袂を分かった外の世界のことであるからには、関わる資格も術もなく。だからまあ、六十年に一度起きるこの大量の死に対しては深く入らずに、幻想郷の住人らしくはるばる来たった霊を受け入れることにした。

 地へと向かう幽霊達の殆どに下されるだろう無情な裁きの行方を知りながら、しかし残酷にも幽々子は笑って手を振り見送る。そう、彼女は冷然として彼らの断罪を望む。

 

「幽々子様ー。人魂灯を持ってきました!」

「あら、妖夢ったら丁度いい頃合いに来てくれたわー。少し経ったら火を点けるから、そうしたら私が幻想郷に還した幽霊達を、もう冥界に行かないように出来るだけ一箇所に集めておいてねー」

 

 幽々子が黙って眼下の波打つ幾多の尾びれを望んでいると、幽明結界の隙間から馴染みの少女が現れた。

 二刀を帯びて鉄色の髪をたなびかせながら幽々子に寄っていく少女は魂魄妖夢。彼女は真昼に行灯を片手に宙を行く。

 幽々子が人魂灯とやらを持ってきた妖夢を大いに歓迎した理由。それは、その灯には全体では能力でも操りきれない量の幽霊を、一定の範囲に限れども灯りに向けて集める力があるからだ。

 そして、また妖夢は半霊を持つ、幽霊の一。誰彼の能力に頼らずとも、彼女なら人と同じく同種集う幽霊の性質を用いて先導したりコミュニケートしたりすることすら可能だった。

 そんな道具と半人半霊が一緒に働けば、きっと、幻想郷中に溢れた幽霊を一つどころに留めておくことが出来るだろう。幽々子は目論見の成就を確信し、扇を口元に持っていく。

 

「分かりました……集めさせるのは無名の丘辺りが相応しいでしょうか。行ってきますね。幽々子様は、この後はどうなさいますか?」

「今日はもう、十分に働いたもの。もう手隙の私は、ちょっとお花と遊んでくるわー」

「はぁ、そうですか。まあ、こうして見ると幻想郷の花も一様に咲いているみたいですし、じっくり見て回るだけで面白いのかもしれませんね」

 

 一人納得した妖夢はそれでは、と無数の色で煩すぎる地へと降りていく。あっという間に小さくなったその姿を見届けてから、幽々子は口を開いた。

 

「妖夢の言う通り、花見もいいわね。でも、ただ愛でるというだけでは勿体無いわ」

 

 手折るのもまた、花の楽しみの一つ。そう続けて幽々子は確かに笑んだ。

 

 

 

「いやあ、ここ以外はどこもかしこも騒がしくて仕方ないね。人里も山も、今回の異変で大わらわだ」

 

 霧雨邸の屋根の上。それなりに傾斜のある不安定な場所に靄は萃まり、やがて小さな妖怪の体を成す。

 現れたのは大妖怪、鬼。足元の建物に住処を移したことを知られて久しい伊吹萃香は、寝室にて寝息を立て始めた魔梨沙の邪魔にならないように、小ぶりの声で独りごちる。

 お祭り事が大好きな性分である萃香は、多種多様に花見を楽しめ人が何事かと動きまわる今回の異変を、きざはしから喜び楽しんでいた一人だ。

 目新しくはないが、再生すら思わせる賑わい振りは、古い妖怪であるからこそ面白く思えるものかもしれない。天狗たちの動きがあまり活発でないことは萃香には不思議にすら感じられる。

 勿論、長生きな萃香は定期的に同様の事が起こるのだということを直に紫から聞くことで知っていた。だが、事細かに思い出せる前回と比べても、どこか新鮮味を覚えるのはどうしてか。

 

「うん? そういや、前とはちょっと違うかな」

 

 妖怪にとって、百年くらいは長いものではない。しかし、六十年というのは特別な忘却の時間。誰もかもが過去の記憶を不確かにしていく中で、しかし彼女は上手く纏まらない筈の記憶を【萃め】て覚えていた。

 だから、些細な違いに気づいて驚くことが可能なのだ。そして大きな差異は、数多天に流れていた。

 

「そうだ。幽霊が多過ぎる」

 

 グビリと紫色の瓢箪をあおってから、萃香は空に答えを見つける。そう、たとえ三途の死神が彼岸へ渡すのをサボっていたりして溢れた霊によって辺り全体が開花しているにしては、空を薄青く埋める魂はあまりにも多すぎた。

 丁度六十年前の今日に自身が紫に質問をしたその内容を、萃香は記憶を萃めて凝らして思い出す。

 まず、どうしてこんなに四季折々の花が咲くような事態になったのかという質問をした。その答えは確か、結界を越えてやってきた外の世界の無縁の幽霊が死んだと思いたくないから自分に合った花に憑依して咲かしたため、だったと萃香は思う。

 どうしてそれが花なのか、幽霊が入り込むなんて結界は大丈夫なのか、等と疑問に思うがまあそのことも六十年前に一度尋ねて答えに納得した覚えはあるために再び誰かに訊く気にはなれない。

 しかし、そんな多くの回答を知れた過去の記憶をひっくり返しても、どうして周期的に起こる異変であるはずなのに、今回は霊の数が飛び抜けているのかは解らなかった。

 今回は余程人死が多かったのか、結界の緩みが大きいのか、或いは、と考えを巡らしながら萃香は能力を発揮する。

 菊を一輪その手に萃めて、その香りを楽しんでから、萃香は目を凝らし、そこに在るはずのものが無いことを発見した。そして、辺りを見回してから全ての花に無いことを確認する。

 

「どの花にも霊が宿っていないね。花はただ四季関係なく咲いただけだ。何かの能力で……っていうことは今回の異変はあの花の妖怪の仕業かなぁ」

「貴女もその結論に至りましたか!」

「ん? あんたは確か射命丸、だったっけ?」

「はい。清く正しい射命丸文です」

「どこから聞いていたのか、全く、天狗は耳が早いもんだね」

 

 風が一つ。萃香にはさして大きく感じられなかったそれに乗って知覚外から瞬間移動の如くの速さで現れたのは、鴉天狗のジャーナリスト射命丸文である。

 宴会で一度酒を交わした程度の仲の相手の突然の訪問を萃香は面倒臭がる。しかし、あからさまなそんな様子も睡眠中の魔梨沙のことも全く気にしないで、文は大きめな声で会話を続けた。

 

「先から風に聞いていました。流石は鬼の四天王といったところでしょうか。私以外の天狗の殆どはこの真実に気付いていませんよ。検証力が足りないというか、はたまた記憶力の低下を嘆くべきか……」

「あんたらほど気付き易い位置にいるのは他に無いのにね。他の天狗どもは物の整理が苦手なのか、或いは過去の資料を振り返るのを面倒臭がる物臭ばかりなのか。まあ、きっと変化に鈍感なだけだろうけど」

「そうですねー。今回と前回の異変の違いなんて、写真を見比べれば一目瞭然なのに、検証する者の少ないこと。嘆かわしいことです」

「ま、私だって能力が無ければ気付かないままさ。しかし……」

 

 文と適当な話をしながら、萃香は幽香の姿を思い浮かべる。最後に会ったのは随分と昔とはいえ抜群に強かった、その力を想起して口元を獰猛に歪めながら。

 そんな鬼の気を惹かせる程の大妖怪が、こんな自然現象と紛らわしい異変を起こした理由はなんだろうと萃香は思った。

 

「そんな違いが分かる方を、彼女は求めているのでしょうね」

「そうだねえ……」

 

 きっと異変の度に暴れるような小物が目的ではないだろう。狙いは、前回の異変に生まれていなかった人妖か、もしくは六十年前との違いを覚えていられる大妖怪か。

 魔梨沙に霊夢を除けば後者の可能性が高いということは、強者との戦いを好む幽香の性格から想像できた。そして、その範疇に自分がピタリと収まっているということも分かっている。

 異変解決の人間の片割れは今お休み中。なら、その隙間に自分が遊んでも構うまいと萃香は思う。

 

「よしっ、呼ばれているなら、行ってみよう」

「そうですか……いってらっしゃい」

 

 ふわりと浮かび上がって、右左にゆらゆらと揺れながらも萃香は真っ直ぐ飛んで行く。その小さな姿を、ファインダー越しに赤い瞳が見つめている。

 取材のためにと、何時ものように煩くつきまとうことなく、文は萃香を見送った。そう、楽しそうにしている鬼の邪魔をすることなど、とても天狗には出来やしないのである。

 ただパシャリと、文は萃香の勇姿を写真に留めた。

 

 

 

 歪に生えに生えて迷妄を誘う竹林。普段ならば青緑色で占められた迷いの竹林には、今や六十年に一度咲くと言われる珍しき竹の花が惜しげもなく咲き誇って、老竹色に乱れをもたらしている。

 そんな竹の間を驚き飛び跳ねずに、焦り飛び回っている兎は鈴仙・優曇華院・イナバ。

 昔から彼女は迷いの森に鎮座する永遠亭を居にしていたが、最近外の人里等と医を持って交流を持ち始めた亭の代表として働いており、昨日は泊まりで病人の看護に当っていた。

 そのため、人家にて色鮮やかな外の異変に驚かされた鈴仙は里内で聞き取り自分なりに調査をして、結論を持たないまま情報を保持し、安心できる答えを欲して、自宅と言える永遠亭に師匠永琳を求めて急いで帰る途中なのである。

 

「やっぱり、竹の花がこんなに永遠亭の近くまで一様に咲くなんて、ありえない……この辺りはまだ永遠の魔法の影響が残っている筈だから、余程の力が加えられなければ変化なんて起き得ないというのに」

 

 咲くはずのない花が開くという異常は、何処まで向かおうとも鈴仙の瞳の端についてまわる。最初は花が咲く程度など、と心のざわめきを無視していたが、こうも続くとそうも言っていられなくなった。

 大規模な異変、それも永遠は解いたとはいえ、強大な力を持つ元月人二人の影響下にある場まにまで影響を及ぼすほどのものともあれば、その下手人の力は鈴仙の想像のつくものではなくて危機感を覚える。

 そうでなくとも、不在の間に永琳や輝夜の二人に何らかの危害が加えられたために、安定が乱れているということだって考えられた。

 だから、鈴仙は焦って飛行し、頬肘などを竹の葉によって傷つけられながら、痛みも礼儀も無視して挨拶もなしに永遠亭内に突貫するように帰還した。

 

「お師匠様、輝夜様! ご無事ですか?」

「っ、はぁ……」

「お師匠様!」

 

 長暮異変に際して広げられて異界と繋がっていた屋敷内も、今は住みやすい大きさに整えられている。だから、さして大声でなくても住民には届くのであろうが、焦燥を募らせた鈴仙には声量を絞るなんていうことは出来なかった。

 故に、帰宅を予期してわざわざ迎えに来ていた永琳が耳を抑えるはめになるのである。しかし、ペットのおいたなんて一々咎めていられないと、溜息一つ吐いてから歪んだ眉根は正された。

 

「全く。心配しすぎよ、鈴仙。ただいまは?」

「あ、はい。ただいま帰りました」

「おかえりなさい」

 

 永琳は落ち着かせるのが先決と、ゆったりと挨拶を交わす。すると、鈴仙の狂気の瞳にも落ち着きが見えてきた。

 

「す、すみません。どうにも里の人間達の動揺にあてられてしまって……それに、異変が永遠亭付近まで影響していることにまた驚いて……」

「まあ、私達のことを想ってのことだから、小言を口にすることはしない。代わりに私は貴女に助言をあげましょう。そう、この異変は見ての通りに花が咲くばかりのものだから、危険は薄いわ。まず安心して一息つきなさい」

「そう、ですか。……私は影響力の強さ、そればかりに目が行って視野狭窄に陥っていたのかもしれません」

「まあ、臆病な貴女なら、怯えるのも仕方がないとは思うけれど。でも、これくらいの力なら驚くほどのものではないわ」

 

 詠唱もなく永琳が掌に魔法陣のようなものを創ってから、腕を一振り。それだけで周囲の空間から過剰な木気が消え去り、無数の花は枯れ落ちた。

 竹の花が朽ちて土に紛れて消え去るのを認めてから、鈴仙はようやく眼前の存在が自身では計り知れない所に居るということを再確認する。そして、頭を垂れた。

 

「……流石はお師匠様。頼もしい限りです」

「さあ、昨日は働いて今日は気を揉んで、とあれば流石に疲れたでしょう。鈴仙、奥で一休みしなさい……因みにこれは、命令よ」

「はい。分かりました。有難うございます、お師匠様!」

 

 確かに気を取り直したのか、静かに廊下の先へと消える鈴仙。忙しなく兎耳を揺らすその姿を見送ってから、永琳は安心しきった彼女の笑顔を思い、再び辺りを見回す。

 

「鈴仙には、ああ言ったけれど、確かにこの木行を操る力は度を越しているところがあるわね……」

 

 そうして、永琳が見上げるは花を落とした竹が、再び花を付け始める様子。未だに能力に縛られている若竹は、無理に枯らそうとも際限なく花を咲かせるようだ。その異様には、さしもの永琳ですらも驚きを隠せないものがある。

 これだけ強力に生物を縛り、更には鈴仙の様子から最低でも人里までは射程に容れているほど広範囲な能力。

 想像するに、恐らくこの能力の持ち主は花に縁を持った存在であるのだろうが、だとしてもあり得ないと首を振りたくなるくらいに強力でもあるだろう。

 

「魔梨沙が口にしていた花の妖怪、風見幽香。好戦的というのと異界の主という情報だけでは少し不安ね……」

 

 幻想郷に花が満ちるのは、三精、四季、五行をかけたものと同数である六十年に一度に起きる自然現象に酷似している。だが、そうではないとは霊に溢れすぎた空を見上げれば一目瞭然。

 しかし、それが六十年という特別な期間によって普通は忘れ去られてしまうのだ。だからこのように幽香が能力によって自然を歪めているのは、些細な違いですら記憶できる一定以上の実力者を釣ろうとしているためではないか、とまで永琳は察知している。

 勿論、自分が獲物の一つであることまで察しているが、そんなことはどうでも良かった。そう、【あの夜】から変わったが故に、一つの心配が胸を過ぎってしまうのである。

 

「魔梨沙でも、本当に大丈夫かしら」

 

 不死不滅の存在である自分なんて、どうでもいい。しかし、ただの人でありながら異変解決を楽しむ友人のことは心配だ。何しろアレは、喜んで危険に飛び込む悪癖があるのだから。

 そも、親しんでからこの方、永琳は魔梨沙を気に病んでばかりいた。前世の記憶から考案したという無茶苦茶なトレーニングに、自らを顧みない無私のような働き。

 常日頃から無理を続け、死に親しみ続けている魔梨沙の生活を聞き、永琳は久方ぶりに頭を押さえて、苦言をこれでもかと呈した。

 それでも一向に無理はしないと頷かない魔梨沙に、永琳は呆れるばかり。仕方なく引いて、指先一つでも残せていれば生き返らせてあげられるからちゃんと帰ってきなさいよ、とは言ったが、彼女がどこまでその言葉を大事にしているかは分からない。

 正直なところ、永琳はずっと不安だ。だって、目に付く所に無理やり縛り付けたり、蓬莱の薬をこっそり投与したりしたくなってしまうくらいには、魔梨沙を気に入っているのだから。

 

「……割れ物ではないと言われたけれど、それでも失くしたくはないのよ」

 

 遠ざかって久しかった死の恐ろしさ。それを今更感じて、怯える自分は滑稽だとは思うが、永琳は笑わない。

 死を感じることは、地上の民として暮らすための、大きな一歩。そして、それに抗おうとすることすら、自然なことであると分かっている。

 策謀など、無用。無理して上等な頭で考える必要もない。心に聞けばいいのだ。そうすれば簡単に答えは出るのだから。

 一度しか命のない者に任せるよりも、無限にコンティニュー出来る自分が矢面に立てばいい。そう、決断するには、心に根付いた友情が大きく作用している。

 

「先に異界に向ったとすれば、まだ魔梨沙が元凶とぶつかり合うには猶予がある。そうね、今回くらいは、その間に私が異変を解決してあげましょう」

 

 そして、衝動に任せ、すぐに帰るからと永琳は、輝夜に黙ってふらりと家を出た。

 

 

「うふふ。美味しいわね、このお菓子」

「あの……本当に、お師匠様を呼ばないでよろしかったのでしょうか?」

「いいのいいの。どうせ、永琳も勝手にしているんだから」

 

 永琳のそんな思いを知ってか知らずか、輝夜は鈴仙が人里で減らした薬の代わりに多く持ってきていた里人手製の和菓子を二人分頬張って喜ぶ。

 後はイナバ達の分ねと笑う輝夜は、意外と過保護な永琳が、魔梨沙のために動くであろうことを知っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「信じられないわね……」

「現実は何時だって貴女の目の前に広がっているわよ。ほら、再確認したらどう?」

「私にはその目が疑わしいとすら思えるわ」

 

 メイドと妖怪の二者が空を飛び、弾幕を幽霊だらけの空に散らばらせているのは、太陽の畑。その名の由来とされる、太陽を象徴する植物向日葵が春の陽射しの中で咲き誇っている。

 そんな黄色い絨毯を眼下に置いた宙にてメイド、十六夜咲夜は大いに困惑していた。それは、妖怪、それも極めつけの大妖怪風見幽香に自分の弾幕が全く通用しないがために。

 今も間断なく投じられた青い柄のナイフ群が、あまりにゆったりとした動きで回避される。それは、魔梨沙という回避力の極限の存在を見知っていても、驚きを隠せない程のものだ。

 何しろ、ナイフは上下左右に散らばらせており、かつ大量である。その上、近くで異変に暴れる妖精達が弾幕を放ち、幽霊が回避路を塞いで邪魔さえしていた。

 いかに避けるのが上手であろうとも、普通は辺りを注視しつつ動きを都度変えながら挑まなければいけない筈なのだ。

 

「貴女の目は確かじゃないかしら。うふふ……確かに瑕のない綺麗な青色よ」

「くっ!」

 

 しかし、ただ一輪の幽香という花は美麗な様態のまま不変。咲夜の瞳を覗き込める程に近づき、そして攻撃すらせずに離れていく。

 咲夜が苛立ちに任せて張った弾幕なんて、僅かな身動ぎによって明後日の方へと飛んで行くようにすら映った。

 ナイフの直線は、幽香の曲線と衝突することがない。ひらりひらりと、全てを避ける。

 その様は正しく花鳥風月。怒濤の攻撃の中で唯一の美しき自然体。

 

「魔梨沙とは全く違う避け方……けれどもきっと同じ位階の回避力」

「ふぅん……魔梨沙、ね」

 

 それは、線で縫って弾の美しさを楽しむような動きではない。僅かにそよぎながら届かぬ力全てを無為に帰す、そんな動作。

 しかし、その最低限の回避の何と恐ろしいことか。影響及ばぬ全ての弾幕は切って捨てられているがために、何もかもが届かないのではと錯覚させられる。それが続けば錯覚は確信へと徐々に変化していく。

 相手が手を抜き、弾幕を発してすらいないという事態すら、そんな胸中の変化を助長していた。明確な力の差は、恐れすら生み出す。それに必死に抵抗するためにナイフを投じながら、無力を感じ続けることで鈍っていく様はさぞ愉快に映るだろう。

 そして、幽香は変わらずに、ずっと酷薄に笑んでいた。

 

「そういえば魔梨沙が言っていたわね。時を止めることの出来るメイドさんが居るって」

「全く魔梨沙ったら口が軽い。個人情報が筒抜けじゃない」

「あの子ったら、嫌に私を信用しているのよね。まあ、それはいいわ」

 

 しかし、ここにて俯き幽香は笑みを消す。そして、今度向けるは無表情。美しい、その顔が常のように喜色に歪んでいないということが、どうしてだか咲夜には非常に恐ろしいと思えた。

 

 

「なら、やっぱり貴女は時間を操る【程度】の能力を持っているだけの只の人間でしかないのね。ちょっとおかしなメイド風情に歯向かわれるだなんて、私も随分と、舐められたもの」

「っ!」

 

 

 幽香のほんの少しの苛立ちが、多量の妖気とともに溢れ、咲夜の胸を鷲掴みにする。僅かに発せられた怒気の奥底に感ぜられたのは、純粋で圧倒的な、力。

 それが最強であるとういう自負。実践にて磨かれすぎたプライド。それらが、遊戯のルール内でのあるとはいえ多少特異な人間なんかで届くものと勘違いされたことで、怒りとともに顕になった。

 

「魔梨沙に負けたことで、皆に勘違いをさせてしまったのかしら。一敗したところで、私は幻想郷最強よ?」

 

 そう、最強であるのならば、土が付こうがどう枷を付けられようとも最強なのだ。それを、知っているのは幽香本人ばかりなのが不満といえばそうである。

 さて、周囲がそれほど無知であるのならば、ここで魅せつけるのも一興かと、幽香は思った。今回起こした異変は、台頭してきた強者を楽しむためのものであったが、奇妙な弱者を踏みにじることで力を示す結果に繋がってもまあ悪く無いだろう。

 別に、雑魚が戯れてきても構わない。ただ、届くかもしれないと無遠慮にもベタベタと触れられるのは、幽香にとっても我慢ならないことであったのだ。

 

「貴女程度の相手なら、わざわざ弾幕を創るまでもない。私の花を操る【程度】の能力で十分に対処出来る」

「勝手に見誤っていなさい。貴女が言うところの時間を操る【程度】の能力。その真価、魅せつけてあげるわ!」

 

 ふらりふらりと避けに避けたその終着点。太陽の畑の端も端。雑草ばかりで向日葵一輪咲いていない不毛の地にて、僅かに浮かびながら幽香と咲夜は相対す。

 セミロングな緑と銀の長髪は、交わした言葉の終わりに静と動に分かたれる。動いたのは、咲夜。それをただ受け止めているのは、幽香だった。

 

「時符「プライベートヴィジョン」!」

 

 止まった時の中にて、咲夜は四方八方を動いて回る。相手の周囲に巡らすは、赤い柄をした銀のナイフ。本来それは二重に囲んで広がり難しい回避を促すスペルカードであるが、その程度で幽香に当てることなど無理であることは自明。

 ならば、数を増やして欺瞞しよう。それだけでなく、三重に五重に、そうして更には色を足して尚美しく。

 咲かすは、赤青が入り混じった銀の花。その未来像は、咲夜が時を動かすまで彼女のものである。

 咲夜が自身を立脚させている、この【程度】と言われた能力。それを十全に発揮することが出来るならば、不可能弾幕なんてきっと簡単に出来てしまうことだろう。

 しかし、一応の回避路は創っていた。もっともそれを通るには、一目散に逃げることを選ばなければならない。そんな無様を、果たして幽香は許せるだろうか。

 

 咲夜は唾を一つ飲み込む。そして、時は動き出す。

 

「あら。これは確かに避けられないわね。私も力を使いましょう」

「えっ」

 

 辺りの無理を認めた幽香が手を振るなり、キン、という音が当たりに響いた。それは、雑草から急成長した花が下からナイフを突き上げた音である。

 大量の目眩ましのものではなく当てるための本命、要所に配置されたナイフの全てが能力によって何もない筈のところから咲いた花によって散らされた。

 

 もう後は、避けずともいい。ただ、花を咲かせ、その場に居るだけで、幽香は咲夜の渾身の弾幕を打ち破った。

 

 もし、これがナイフでなく、妖弾、霊弾のように、特殊な力の篭められたものであれば生える花など逆に弾かれて終わっただろう。

 しかし、現実は無情であった。それが能力以外の特別を持っていない、人間の限界であるといえばそうである。

 が、それ以前に草木が銀のナイフを逆に刈り取った、そんな事態はここ幻想郷では中々起こり得ることではない。パチュリーに才能はなけれども対する場合にと魔法などの属性の相性を教わっている咲夜の衝撃は如何ほどか。

 

「木行、それも花程度で金行の銀のナイフに打ち克つ、ですって……」

「金剋木。しかし、五行の不利も、私には関係がない。そもそも、貴女では力が足りなさ過ぎるわ」

 

 幽香は、相手の圧倒的な有利をすら、覆す程の力を持つ。それは明らかだ。しかし、見せた力は、全体の一端でしかない。それだけで、弱者を寄せ付けないほど、その力を利かすことも出来るという事実。

 もし、仮に幽香が本気の力を十分に活かしたらどうなるか。きっと、スペルカードルールの上でも遊戯にすら成り得ないだろう。

 だから、十分に手加減して遊ばれたのだ。咲夜は久方ぶりに、自分の無謀を悟る。

 

「……そもそも相手になっていなかったのね。私の負けだわ」

 

 幽香は笑って、月見草を手折った。

 

 

 

 幽霊のせいで薄曇りな空の下、しかし透けてくる陽光を浴び、向日葵達は輝いていた。

 地に足をつけ大いに咲き誇る全てを満足気に望みながら、風見幽香は日傘を一回しして、微笑む。

 もう、先ほどのお遊びも去っていったメイドの姿も、記憶に残ってすらいない。自分の力で歪に咲いたものとはいえ、美しい花々を愛でることに、既に意識は向かっていた。

 全てに親しみが湧き、気はそこに寄りかかる。だから、なのだろう。近くに来るまでその魅力的な力を見逃していたのは。

 ふと、見上げて望んだのは、紅白の巫女姿。偉そうに腰に手をあてふんぞり返っているその少女は噂を見聞きし、知っていたが、初めて出会う。

 思わぬ、しかし望んだ邂逅。だから、口の端を持ち上げ、幽香は黙しながらも大いに歓迎した。

 

「あんたが、風見幽香ね」

 

 此度は、霧雨魔梨沙よりも先に、博麗霊夢が異変の元凶に辿り着いた。

 

 

 

 

 




 ちょっと、魔梨沙はお休みです。

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