霧雨魔梨沙の幻想郷   作:茶蕎麦

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第二十八話

 

 

 

 上白沢慧音は、今回の異変に対して、過分とすらいえるほどの対策を講じている。

 不完全な月の下、不完全な力のままに、しかし慧音は人里を守るためにと奔走した。今回の異変の恐ろしさを主要な里の人間に説き、彼女は一夜だけならと人里を【なかったこと】にすることに賛同させられている。

 なかったことにする、それは白沢(はくたく)と人間のハーフである慧音が持つ歴史を食べる程度の能力に依るもであり、大概の存在には人里はないように見えて、襲うどころか触れさせることすら出来なくなっている筈だった。

 

「……それも、妖怪の賢者殿には通じていませんか」

「あら。……そうね、私だけでなく【本来の歴史】を知っているそれなりの妖怪には効き目が薄いでしょうね」

「むっ、何、あんたが里を消した下手人?」

 

 里が見当たらないと騒ぐ霊夢の隣で、道士服を着込んだ紫が落ち着いて【あるはずのないもの】を見ていたその姿。それを見た慧音は、迷いの竹林という、その名の通り妖精や地形のせいで人が入ればまず迷ってしまう場所へ向かう方から飛び出した。

 近寄って来る、少し衣服の乱れたその姿と言葉を認めた紫と霊夢の反応は大いに違う。紫は納得とともに安堵し、霊夢は疑問とともに敵愾心をむき出しにした。

 そんな二人の差異を眼にしながらも、慧音は真っ直ぐ紫のみを望む。それは、彼女が博麗の巫女を無視している訳でもなく、ただ妖怪の賢者という里を保護する一の存在に対して真っ先に事情を理解して貰わなければならないと、そう思ったからだ。

 

「ご察しの通り、僭越ながら、此度の異変から里を守るために、能力によって一時里を隠させて貰いました。しかし……スカーレット嬢にも見抜かれていた様子だったのはそういうことですか。私では敵わないような相手に効かないのでは……」

「まあ、だからといって無意味ではないでしょう。私が不在になるこの夜とはいえ、人里という妖怪にとって最も大事な場所を襲おうとするのは中小妖怪がいいところ。貴女とその能力で充分対処できる。それを知らないレミリアは、気になって様子を見に来たのでしょう」

「……何、つまりコイツは里を失くした訳じゃなくて、保護しているってわけなの?」

 

 今回も何時もどおりに問答無用に相手を落とそうとした霊夢であったが、しかしその相手は紫相手に下出に出て、どうにも互いに知己であるような様子も見せている。

 それに会話をよくよく聞いてみれば、目に見えない人里をまるであるかのように語り、そして青くて変な帽子を被った目の前の人間のようでちょっと違いそうな存在が、里を能力で守っているということも理解できた。

 それが分かった上で、手を出すのはただの阿呆である。霊夢は向けていた御札を仕舞い、返事を待った。

 

「その通りさ、博麗霊夢。簡単に言えば、私は人里を無かったように見せるための能力を持っている。それでこの不吉な夜に妖怪から人間を守ろうとしているのさ」

「ふーん。でも、あんた、それだけの力があるの? 紫は認めているみたいだけれど」

「あら、気づかない? 彼女、慧音は既にレミリアと弾幕ごっこをやった後よ」

 

 言われ、霊夢は目を細めて慧音の全体を眺め見る。月光の下よく見てみれば、長く美しい青いメッシュの入った銀髪は所々煤けており、また衣服にも異常が見受けられた。

 

「そういえば、服が破れたりしているわね。そんな前衛的なデザインの洋服を選ぶような性格には見えないし、やられたのね。でも、どうして様子を見に来たっていうレミリアとあんたが戦ったの?」

「スカーレット嬢が里を襲うようなポーズを見せたから、戦わざるを得なかった。しかし、今思えば私の力量を見極めようとしたのだろう。一応、矛を交えたけれども、この通り。無様に負けてしまったよ」

「無様、ねぇ……どこがよ。レミリアと遊んでそれくらいしかダメージを受けていないなんて、むしろ上等なものじゃない」

 

 レミリアのお気に入りである霊夢は、異変にお遊びに色々と付き合わされた経験から、彼女のことをよく知っている。邪気に溢れた子供のようであり、しかし守るかどうかはともかく節度を知っていて、大局を見つめられるような存在。

 そんなレミリアは、子供が羽虫の羽根を千切るに罪悪感なんて持たないように、向かってくる弱者に容赦がないところがある。だが、敗者であっても、力を認めたものに対しては、驚くほどに好意的だ。

 大事な玩具をわざと傷つけるような子供はいない。レミリアの性格を思うに、慧音は彼女に一目置かれるようなものを持っていて、そのために大事にされたということなのだろう。

 今はただの人間っぽいのに中々やるものね、と霊夢は思った。

 

「最低限備えをしておきたいために、出来れば私はここで争うということは避けたい。それに、スカーレット嬢にも教えたが、私はこの月の異変の主犯らしき人物に心当たりがある。ここは私に任せて賢者殿と博麗の巫女には、安心して先に向かって欲しい」

「先ほど出てきた方角からして、十中八九心当たりとは迷いの竹林に居るのでしょうけれど、どうして人里の守護者たる貴女がそんな人気のない場所に潜む者を知っているのかしら?」

「……賢者殿の問いとはいえ、それは少し答えにくいですね。密に語るには私が秘密にしておきたい個人のことも喋る必要が出てしまう。出来れば、それは偶然によるもの、ということで納得して欲しい」

「そう……」

「っ!」

 

 短い紫の返事が終わるか終わらないかの瞬間に、慧音の全身を途方も無いほどの重圧が襲う。

 紫は術一つ行わず、ただ片目を瞑り、一つの目を持って慧音を睥睨しているだけ。しかし、それだけのことで巻き起こるのは、怖気を催させる程の強い圧迫感。

 今回の異変を円満に解決したいがための、紫の追求。本気の威を受けた慧音はまるで蛇に睨まれた蛙のよう。格の違い、それは通常の存在同士であれば、こうして如実に現れるもの。

 けれども、その身に負う凄まじき重圧が刻々と増す中で、しかし慧音は最後まで音を上げることはなかった。

 

「ふぅ。まあ、取り敢えずはそれでいいでしょう。――それでは上白沢慧音。一時的にではありますが、今夜貴女に人里を任せます。必死に守りぬくように」

「……勿論。この一命を賭してでも、守護してみせます」

「まあ、スペルカードルールがあるんだから、あんたもそんなに気負わなくてもいいと思うけれど」

「それを守らないような者こそ、人里を襲うのよ。……あら、予想よりも速い到着ね」

「何? ……って、あれは!」

 

 紫が察し、霊夢が見つけたのは、高速に移動する、紫色の飛翔物体。それは、流れ星のように真っ直ぐ来て、大いに風を伴いながら、二人の前で停止する。

 現れたその人物は深く被っていた紫の三角帽を持ち上げて、その際に紅の髪が跳ね上がって視界の端に散らばるのを面白がった。

 見たこともない親よりも、親代わりの人間よりも、馴染みの深いその姿を目に入れた、霊夢は思わず大きな声でその名を呼ぶ。

 

「魔梨沙!」

「ふぅ。追いついた。さあ、夜を止めている妖怪と……その手伝いをしている人間退治よー」

 

 そして、霊夢は知らずに距離を取っている誰彼の中で、一番に親しい相手魔梨沙に、星の杖を向けられる。

 霊夢には、悪戯っぽく笑んでいる魔梨沙のその言葉が、少しの間信じられなかった。

 

 

 

 

 

 

「私達を退治するって、どういうことよ。紫はともかく、私が意味もなく時を止めさせると思う?」

「思わないわー。きっと理由があるって考えているし、恐らくは目的不明だけれども影響絶大な今回の異変を絶対に完遂させないために天を止めたんじゃないかって想像してる」

「なら、魔梨沙、どうして君は二人を退治するなんて言うんだ。異変を見逃せないのは君も一緒だろう」

「それはその通りよー、先生」

 

 偽り月の眩しい夜の中、しかし闇に近い紫色をした魔梨沙の姿は少し闇に溶けているように、慧音には見えている。しかし、頭を振って魔梨沙の笑顔から邪なものを受け取らんとした。

 色々と危ういと思う部分があるが、慧音にとって、魔梨沙は心強い味方だ。そも、妖怪が起こした様々な問題を退治することで解決して、人里に多大な貢献を上げてきた、そんな人間を敵と思うはずがない。

 全面的に信頼しているがため、鬼と共に住むということを反対される魔梨沙に、それとなく助け舟を出したことだってある。

 だから、今回もフランドールの時のように、不通があって、魔梨沙が強情になっているのではと思っていた。

 

 しかし、それは違う。魔梨沙の内心の歪さを慧音は侮っていた。

 

「その杖はどうして……」

「だって、この明けぬ夜も異変でしょう? そこに悪意も善意も関係ないわ。等しく、愛しい【あたしの幻想郷】の邪魔なだけ」

「なっ!」

 

 慧音は、大きく開かれた赤い目の奥から、狂的なまでの信念を窺い知る。

 何にも動じない感情の揺蕩い。それは、慧音の歴史を食べる程度の能力に対するようなものであった。もし過程を消されても、感情は残る。慧音は、自身にはどうしようもないものを覗いて、動揺した。

 そう、魔梨沙は自身を助けてくれた幻想郷というものに対して、深い感謝の念を抱いている。どんな理屈を持ってこようとも、それを害するものは許さない。幼き頃からそのために、よく魔梨沙は動いていた。

 

「はぁ。魔梨沙はそういう奴よね」

 

 驚き続く言葉を発せないでいる慧音の横で、霊夢は溜息を漏らす。異変が二つあるなら、両方解決してしまえばいいという短絡的思考は、むしろ魔梨沙にとっては当たり前だと彼女は知っている。

 それだけの自信があるだろうし、何しろ魔梨沙は幼き年頃から霊夢に黙って異変解決に赴き、誰彼の予想を覆して数々の危機を解決してきた存在。

 霊夢はそこに力を求める心があったとは知らないが、間違いなく幻想郷というものに対する愛があると分かっている。

 故に、対することになるのは、不満があるが仕様がないことだと霊夢は思っていた。霊夢はお祓い棒を構え、横に陰陽玉を浮かせて、臨戦態勢を取る。

 

「……これで、いいのでしょうか」

「まあ、仕方がないわね。魔梨沙が言っていることは、一部以外間違っていない。出来れば霊夢に経験を積ませたかったけれど、より強いものが異変解決に乗り出すというのも悪くはないでしょう」

「やはり、博麗の巫女では魔梨沙に敵わない、と」

「弾幕ごっこでは間違いなく。だから、早く奥義を捉えて欲しいのだけれど、時期尚早なのかしらね」

 

 そして、宙にて一触即発、相対する二人を他所に、関われない外野は既に勝敗予想を済ませていた。魔梨沙の実績をよく知る慧音に、霊夢の修行不足をよく知る紫は、共に紅白の墜落を幻想し、紫の飛翔を予感する。

 静かな夜にて、そんな二人の言葉は、これから戦おうとする二人の耳にまでもよく響いた。

 

「うふふ。味方にまで好き勝手言われているわねー、霊夢」

「別に紫なんて味方でもなんでもないわよ。道中の雑魚散らしにだって一度も手を貸してくれなかった、ぐうたらの言うことなんて興味ないわ」

「でも奥義かー。あたしもちょっと見てみたいわー」

「どうせ、真似したいだけでしょう。でも、そうね――――実は七割方完成している私の奥義、弾幕風にして見せてあげてもいいわよ」

「本当?」

 

 魔梨沙は口元を大いに歪め、喜色を露わにする。まさか、奥義というものを少女といえる霊夢が使えるとは思わず。

 恐らくは、自身がしていた魔力を高める修行の間に、霊夢も似たようなことをしていたのだろうと魔梨沙は考える。

 もっとも、やっていたことが、能力の奥を引き出す、という魔梨沙にとってはとうにやり尽くしていた基本であったことは、この場では紫しか分かっていなかった。

 

 だが、また紫だけは霊夢の空を飛ぶ程度の能力の真髄に気づいている。扇子のもとに笑顔を隠し、紫は霊夢を視界の中央に置く。

 

「あら、それが本当ならばもしかしたらが、あり得るかもしれないわね。私は霊夢の勝ちに賭けるわ。それで霊夢が負けたら、私も今回の異変から全面的に手を引くことにしましょう」

「……ふぅん。連戦を覚悟していたんだけれど、あたしが勝ったら、素直に止めた夜を戻してくれるのね?」

「そうね。もし霊夢が負けたら、【私】は夜を弄るのを止めるわ」

「そうしたら、後は咲夜と……幽々子とアリスねー。後者は他が時を止めた力を利用しているように【見える】し、まあ咲夜を倒したら、この永くなり始めた夜も解けるかしら」

「随分とその目も進化したものね」

「夜空を見つめると、時計に七色に朧。そんなような力が絡んで夜を留めていると分かるわー」

 

 赤い瞳に映る世界は、様々な力が視覚化されて溢れている。常人なら狂気に陥ってしまうような風景の中で、しかし魔梨沙は常を失わない。もっとも、それは魔梨沙の常態こそが異常であるというだけかもしれないが。

 閉じて開いて、魔梨沙はその視線を何やら黙して力を高めている霊夢に向けて焦点を合わせる。しかし、よく利く魔梨沙の瞳であっても、どこか霊夢はブレて見えた。

 

「あれ? 何だか力が分かり難く……霊夢?」

「あんたよく私に天賦の才があるって言ってたわよね。採用させてもらったわ。行くわよ……「夢想天生」……」

「……完全に、見えなくなったわねー」

 

 そして、魔梨沙は霊夢を見失う。

 いや、それは本当にその姿が目に映らなくなったわけではない。それは霊夢の空を飛ぶ程度の能力によって、魔梨沙の能力が届かなくなったために、その霊力にその他の力が失せたように見受けられたのだ。

 しかしそれだけではなく、魔梨沙以外の誰彼の瞳にも霊夢の姿が薄れているようにも見える。

 そして、霊夢は己から全てを切り離すかのように、黒い瞳を閉じる。そのまま夢想に揺蕩っているかのように左右にふよふよ浮かぶ霊夢は、周囲に八つの陰陽玉を出現させた。

 

 弾幕を展開するのは構わない。しかし、その前に僅かにでもダメージを与えておかねば危険と感じた魔梨沙は左右の宝玉に、星の杖にと力を篭めて、解き放った。

 

「っ、やっぱり当たらない、わねー」

 

 塵のような白色を引き連れる紫の流星は、群れとなって霊夢に迫り、しかしそのまま霊夢の像に影響を与えることなく通り過ぎていく。

 魔力だけでなく、実体はどうかと、後を負わすように飛ばしていたビットも、霊夢をすり抜け返ってきた。

 

 これこそが、霊夢の天生、即ち天賦である。空を飛ぶということは、全てから浮くこと。

 それは時にフランドールや紫が行うように、身体、当たり判定を何らかの方法で隠しているという訳ではない。そう、霊夢は宙に浮き、その場でこの世の全てから距離を取っているのだ。

 その結果、この世の全ては霊夢に届くことがなくなってしまう。その割に、夢想に浸っている霊夢が放つ攻撃は届くのであるから、どうしようもない。

 無敵、という言葉が思わず魔梨沙の脳裏に浮かんでしまうくらいに究極の奥義である。

 

「でも、これくらいの技を破ってこそ本当の力よね」

 

 しかしそんな凄まじい防御の極みを体感しながらも、魔梨沙が諦めることなどない。攻撃の合間に展開された弾幕をまず避けきらねばと、彼女の瞳は周囲に向いた。

 陰陽玉が半自動的に広げている驚くべき量の御札は、既に八匹の紅の蛇のようになっている。それらは鎌首を魔梨沙の方へ向けて、その身が紫に変じたのを合図として一斉に襲い来る。

 自機狙いではあるが、正しく八方から襲い来る長大な弾幕を避けきるのは至難の業だ。魔梨沙といえども、その身に弾幕を掠らせるのを覚悟せざるを得なかった。

 そして、全てを避けきったその直ぐ後、目を移せばふらふらと宙を浮いている霊夢の周りには、もう同形の弾幕が先ほどとまた異なる位置に配置されている。

 その赤色が、霊力の変化によって紫に成り魔梨沙に食らいついてくるのは、直ぐのことだ。連続して、隙間なく弾幕を向かわせるのがこのスペルカードの特徴なのだろう。

 八方、それも毎回てんでバラバラに展開された位置から来たる美しい紫の御札の行列に、魔梨沙の衣服は傷つけられる。しかし、その集中力は健在で途切れることはなかった。

 

「七割の完成度で、コレ……でも、霊夢もそう永く展開し続けることは出来ないでしょうね」

 

 これだけの技を維持するには相当な力が要るだろうし、そもそも【あの】霊夢が全てから上手に距離を取ることを簡単に出来るだろうか。

 怒りながらも他人の都合に付き合ってくれる、そんな霊夢の姿が魔梨沙の眼に浮かんだ。そんな普段を思えば、全位置から距離を取るに霊夢はそれなりに無理をしているのではないかと想像できた。

 事実、あまりの御札の大群で見え難くなりながらも、霊夢の額からは一筋の汗が伝っている。ひょっとすれば、この止まった夜の中、奇しくも時間が解決してくれるのかもしれない。

 

「うふふ。でも、あたしは敢えて真っ向から破るけれどねー」

 

 しかし、それを魔梨沙は認めない。霊夢の周囲をぐるぐると回り、紫色の末端に同色の御札を大いに掠らせながら、その赤い目を光らせる。

 時間による風化。それを待てないのが恋である。そして、魔梨沙は霊夢の力を恋しく思う。

 勝ちの目に届かないならば、蓋をこじ開けてから吹き飛ばしてしまえばいい。そう、弾幕はパワー。

 

「きゃははははっ! 恋符「マスタースパーク」!」

 

 つれない少女に、恋の魔法は炸裂する。杖の先から、爆発的に力は溢れて濁流と化す。

 傍から見れば、勢いを増し続ける弾幕の渦中で、身動きの取れないくらいの大技を放つなど、まるで血迷ったかのように見えるだろう。

 勿論、そんな考えなしの行動ではなく、この一射によって魔梨沙は決めるつもりなのだ。

 

 

 そして当然のように、星を周囲に溢れさせながら真っ直ぐに伸びる太い光線は、霊夢に命中した。

 

 

「なっ」

 

 それが全ての届かぬ位相に存在する霊夢に直撃したのは、いかなるカラクリか。

 驚きの声も、僅かにしか出すことは出来ない。無防備に飛んでいた霊夢は、膨大な魔力が篭められた魔砲を正面から受け、墜落する。

 そして、落ちきる前に、白い手袋をつけた手がスキマから伸び、ボロボロになった霊夢を回収した。

 繋がったスキマからその少し焦げた紅白の姿を捕まえ、守るように抱えた紫は、目を白黒させながらまるで【魔法】みたいに無敵を打ち破った魔梨沙に声をかける。

 

「魔梨沙……貴女、何をやったの? 奥義……霊夢が名づけたところによると夢想天生。不完全とはいえあの状態になった霊夢に手を出せる存在なんてそうは居ない筈なのに」

「うふふ。簡単な話よー。霊夢が厄介な境界の先に浮いていたから、あたしはそれを透過させて全力を通しただけ」

「それは…………なるほど。貴女も博麗の巫女候補であったこと、忘れていたわ」

 

 紫は深慮してから、納得した。魔梨沙が照準を合わせられたその理由。それは、紫の言葉の通りに、魔梨沙が博麗の巫女の素養を持っていることにあった。

 実は、幻想郷のキーパーソンとも言える博麗の巫女に選ばれるのには、さほど特別な素地がある必要はない。なるべく妖怪退治や異変解決出来るだけの能力がある方がいいのだが、それは一番に欲されるものではないのだ。

 何よりも必要なのは、幻想郷と外の世界を分ける、博麗大結界を維持するのに足る存在であるかどうか。常識の結界、それを認識し管理できるだけの才を持つものが、巫女として選出される。

 そして、魔梨沙もその鋭い目から、一度見いだされたこともあった。幻想郷の未来を託すことの出来る子供だと。それくらいに発展途上だった、その【力を見つめる程度の能力】は、巫女としての将来を嘱望されるに相応しいものだった。

 

 魔梨沙は、先代巫女と共に修行したことがあり、また独自に技能を高めたこともあって、博麗の巫女としての能力も最低限持っている。

 霊夢ほどではないが結界に関する力もあれば、その気になれば御札を投げ飛ばして陰陽玉を操ることだって不可能ではない。更には、力の差異によって境界を見定める眼が彼女にはあった。

 故に、魔梨沙は博麗の巫女が外来人を元の世界に送り出すことが出来るのと似たように限定的に【境を無視して送り出すこと】が可能なのだ。

 

 そして何より、魔梨沙はこの世で一番博麗霊夢に好かれている。無理に開けようとも、元々二人の距離はそう遠いものではなかった。揺らいでいる境を一瞬だけ無視するのなんて、簡単なもの。

 だから魔梨沙は、下手に全てから浮くことで【何にも影響されない自分とそれ以外の世界との境界】を作ってしまった、霊夢との間隙を埋めるかのように魔光を迸らせることが出来たのである。

 

 紫は信じていた霊夢の強みが完全でないからとはいえ破られた敗北感、魔梨沙は恋しい技術を破れた満足感に浸ることで一時沈黙が降りた。

 やがて、二人の間に出来た空隙を破るようにして、蚊帳の外であった慧音は声が届く距離まで近寄り口を開く。

 

「私には弾幕ごっこの全てを理解することが出来なかったが、流石は英雄魔梨沙、といったところなのだろうな。……しかし、本当に賢者殿は魔梨沙に全てを任せるつもりなのですか?」

「……そうね、約束は守るわ。――――今宵の異変は霧雨魔梨沙に一任します。刻限は夜が明けるまで。貴女なら、それくらいで解決出来るでしょう?」

「勿論。任されたわー」

「それじゃあ、私は霊夢を寝かせてから方々に顔を出してきますわ。藍を向かわせるより私が出向いたほうが、相手方も納得するでしょう」

 

 そう言い、まずは天狗のところかしらと口に出しながら、紫は霊夢を抱えつつ自身の真下に作ったスキマの中へと入って消えていった。

 スキマの中の光景を、相変わらず綺麗な外の風景が映っているのねと思いながら、魔梨沙は消えていく神隠しの主犯を見送り、そうしてから、近くに来ていた慧音に向き直る。

 

「それで、月の犯人とレミリア達が向かった方は、迷いの竹林のどの辺りかしら」

「……っ。ああ。永くここを離れることは出来ないから、途中までは案内しよう」

 

 そして、魔梨沙が見せたのは止まらない嬉々により形作られる笑顔。

 魔梨沙の三日月のように綺麗に弧を描いた口元に、慧音はどうしてだか不吉なものを感じ、目を離すことが出来なかった。

 

 

 

 


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