霧雨魔梨沙の幻想郷   作:茶蕎麦

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日常③
第二十五話


 

 

 霧雨魔梨沙の家は、純和風の造りである。人里の大工に作らせたのだから、そうなるのも当たり前なのかもしれないが、和風建築に魔女が住むというのはミスマッチではあった。

 一人で住むのだからと、二階建てにすることにすら難色を示した魔梨沙だったが、それでも貰った代金の分と里に平和をもたらしてくれている礼という名目で大工たちが発奮したその家は何処を取っても見事な代物だ。

 思わず、出迎えるために家から出てきた魔梨沙に向って、萃香は褒める言葉を口にした。

 

「いやあ、いい家じゃないか」

「でも、一人じゃちょっと広すぎてねー」

 

 魔梨沙は立派だけど大きい分掃除が面倒、等と口にするが、これから一角を間借りする予定の萃香にとってはこの上ない好物件である。

 金はないが、能力はある萃香にとって、家賃代わりの掃除なんて朝飯前のこと。萃香は、これはいい木を使っているなーと、玄関柱に触れながら、愉快な人間を肴に酒を呑んでばかりの生活を夢見ていた。

 しかし、そんな夢想も続きはしない。魔梨沙の言葉で、萃香は奇妙な現実に帰る。

 

「あ、そうだ。ここは、神社と人里の中間くらいにあるでしょ?」

「そういやそうだね」

「近いからか、あたしに妖怪退治の依頼をするために、結構人が来るのよ。居ない時のためにポストが置いてあるけれど、それでも顔を合わせて話した方がいいって表で待っている人も多くて、相談事が重なった場合には列が出来ることもままあるわ」

「ああ、玄関先にあったあの赤いのがポストで、軒下に長い腰掛けがあったのはそのためか。じゃあ、私はそういう時に里人を脅かさないよう隠れていればいいんだね?」

「あ、それは平気よ。堂々としていていいわー。家に鬼を住まわすって既に言っておいたから」

「なんだって?」

 

 家の中に入り、自分の顔が映りそうなくらいに綺麗に磨かれた板張りの廊下を歩きながら話していると、なんだか話がおかしくなって来たために、萃香は話を聞き返した。

 

「いや、萃香が住むっていうことは里の代表とかの了承済みのことなのよ。だから、気にしないで普通に過ごしていいし、出来れば人が来た時にお茶を運んだりして欲しいって言いたかったんだけど」

「あ、いや、別に茶坊主みたいなことをするのくらいは構わないけれどさ。鬼を家に置くっていうこと、問題にはならなかったのかい?」

 

 いや、尋ねるまでもなく普通は問題になるに決まっていた。実力者が住んでいる上ここは人里に近いが故に、妖怪に追われた際等有事の逃げ場的な役割を担わされているだろうことを、萃香は見抜いている。

 公共の建物に近い安全のシンボル的なものだから立派に仕立てたと邪推したくはないが、上質な材木等をふんだんに使われた軽い地震程度で壊れなさそうな頑丈な家造りを見れば、そういう意味もあるだろうことは想像に難くはない。

 そんな場所に妖怪を、それも太古から人の天敵である鬼を住まわせるなど、本末転倒、あり得ないことである。

 

「そうね、最初は反対意見ばかりでうるさかったわー。けれども約束しちゃったし、あたしも頑張ったのよ?」

「魔梨沙の約束を守ること、正直なことは美徳と思うけどさ。鬼を受け入れるかどうかなんて問題、そりゃあ賛成は少ないだろう。相当ごたついたんじゃないかい?」

「むしろ、鬼みたいな大妖怪、私が目を光らせていなければ危ないでしょー、って言っておいたわ。確かに、年寄り共には睨まれたけれど、それも何時ものことよ」

 

 うふふと笑う魔梨沙。人間のことを気にしない彼女に、しかし萃香は気が気でない。

 鬼退治と称して卑怯なことをされたことのある萃香はよく知っている。人間は、裏切るもので騙すもの。もちろん全てが全てそうではないことは知っているが、集まると上等な頭が悪く働きやすいとは感じている。

 貴重な力を持った存在故村八分とはいかないだろうが、気に入った存在が自分のせいで何か不利益を被るのではないかというのは、少し捻くれているがどちらかと言えば誠実な萃香にとって、とても嫌なことだった。

 

「何かあったら私に言いなよ。力づくで解決できることだって、結構あるんだ」

「皆一応納得済みだから大丈夫よ。稗田の家の阿求ちゃんが、鬼は裏切りを嫌うって、皆に説明してくれたしね。そう、彼女の援護射撃が無かったら、流石に許しが出なかったかもしれないから、萃香も感謝しておいてねー」

「ああ、分かった。稗田……どっかで聞いたことがあるなぁ。まあいいや、そいつのことは覚えておくよ」

 

 魔理沙の人里での立ち位置が気になり始めた萃香であったが、自分が出張るのは最終手段で、人里で適当に散ってそこらの情報を探ろうと、そう考える。

 その行動が油揚げを買いに来ていた八雲の式にバレて、説教をされる事態になるのであるが、そんなことも知らず、自分の内心も分からずに、ただ萃香は魔梨沙のことを思っていた。

 

 部屋はそれなりに多くあったが、魔法道具の倉庫になってしまっているものもあったのでそれほど余っている訳でもなく、取り敢えず萃香には一階の日当たりの良いお座敷を与えられることが決まる。

 フランドールが来た時のため、ということで魔梨沙が人里の玩具屋に香霖堂にて買ってきたけん玉やバトルエンピツ的な玩具が部屋の片隅に纏めて置いてあったりしたが、他に物のない綺麗なもので、片付けるのにそう時間はかからなかった。

 魔梨沙はお昼ごはんを作ってくるわと居なくなり、萃香は借りた座敷に寝っ転がり酒を呑み始めたが、心地よい酔いにそよ風によって、次第に彼女のまぶたは重くなる。

 そして、好きそうだからということで、お肉を中心としたお昼を作ったと呼びに来た時。既に萃香は寝こけており、魔梨沙は彼女をそうっとしておくことを選んだ。

 

 

 

 

 

 

 眠った萃香をそのままにしておき、彼女の分には蝿帳を被せて、魔梨沙はお昼ごはんを頂いた。そうしてから、しばし暇を持て余すようになる。

 本当は、今日は予定を事前に消化して萃香のために空けた日であった。しかし、遊んだり話したりしようとしていた当人は、夢の中。

 修行でもしようかと、魔梨沙は思い、そしてそういえば萃香との戦いで駄目にしてから新調した箒の乗り心地を試していないことに気づく。

 自分で羽根を作って飛ぶのもいいけれど、やっぱり魔法使いといえば箒よね、と玄関に立てかけておいた庭箒を手にして、外に出た。

 

 梅雨明けしてから少し経った現在、本来ならば蒸し暑くて仕方ない、といった気候のはずであるが、今日においては違うようだ。

 青い木々がサラサラと音を立てて、風にたなびく。ゆったりとした風が、魔梨沙の頬を撫でて、涼を感じさせた。気持ちが良くて、ついつい魔梨沙も伸びをして感想を口にする。

 

「今日はいい風ねー。絶好の飛行日和だわ」

「その通りですね。実に気持ちいいものでした」

「あら、文じゃない」

「どうもこんにちは。射命丸文です、霧雨魔梨沙さん」

「こんにちは。何か用かしら。今日はどうしたの?」

 

 そんな中、大いに風を纏って眼の前に降り立って来たのは、頭襟に高下駄風の靴が特徴的な烏天狗、射命丸文。唯でさえ速度に優れた天狗の中でも幻想郷最速を誇るのが彼女である。

 しかし、そんな力ある妖怪の一面だけでなく文は主に妖怪向けの新聞記者としての面もある。敬語を喋っているのは、記者としてやっている時の癖であり、それを聞いた魔梨沙は自分から何かを聴きたいのだと察した。

 とはいえ、最近色々あったことで、疑問とされる心当たりが多すぎるために質問内容を予想することは出来ずに、ただ彼女は返事を待つ。

 

「いえ、今日はただ近くを通ったから【妖怪に最も近い人間】のところに顔を出そうかと思ったのですが、何やら懐かしい匂いがしまして、これは何かあったのではないかなーと伺ってみた次第です」

「懐かしい……ああ、萃香のことかしら。あまり喧伝するようなことでもないけれど、もう人里では周知されているみたいだし言っておいてもいいわね。そうね、あたしは今日から鬼と一緒に住むことになったの」

「ええと……鬼、ですか? いや、確かに紛らわしい貴女の匂いではなく本物のそれも強者の匂いがぷんぷんしていますが、吸血鬼ではなく、本物の鬼、ですか?」

「そうよー。文って確か長生きだから、伊吹萃香っていう名前も知っているんじゃない?」

「……酒呑童子、鬼の中でも最強の部類の方の名前じゃないですか。幻想郷にまだ居たのですか……というよりも、どうしてそれほどのお方が山でなくこんな小さな家に住むことになったのか。聴きたいことは山ほど出来ましたよ」

「お手柔らかにお願いねー」

 

 両肩にがっしりと置かれた手に、逃げられないことを察した魔梨沙は、ありのまま全てを話すことを選んだ。

 これでも文とは旧知の仲。魅魔との修行中に、独り立ちして以降も取材されたことは多くある。最近のものだと、プリズムリバー三姉妹ファン初の大集会という題名の記事で幽々子と共に話を聞かれたことがあった。

 そのため魔梨沙は警戒しないで言葉を選ばず喋っていたが、文は記者として独特の視点を持っていることを忘れていたために、深読みされたり曲解されたりした内容が彼女の手帳、文花帖に書き込まれていることに気付けない。

 後に出来た記事の見出しは、霧雨邸鬼に占拠される、というもので萃香が深謀をもって下ったと考察されている辺り、萃香も魔梨沙も苦笑いの内容だった。

 

 

 記者の興奮が中々覚めない取材の最中で、魔梨沙が弾幕ごっこで鬼退治をしたという話に至った辺りになって、急に文の表情は複雑な物になる。

 変貌に驚いた魔梨沙の前で、文は頭を振ってから尋ねるのを止め、自ら話し始めた。

 

「鬼退治ですか……そういえば貴女でしたね。霧雨店の悪評を広めた木っ端天狗を懲らしめたという魔法使いは」

「余りにうざったかったからやっつけたんだけれど、懲らしめられたのは偶々よー。あたしが撃った魔弾の先に丁度居たからあんなに速い相手を倒せたんだわ」

 

 文は、胡乱な表情をする。それも当然、彼女は魔梨沙が件の天狗を仕留めたところを目撃していた。

 目にも留まらぬ筈の速度の敵を、その鋭い瞳で追いかけて、逃走経路に魔弾の網を作り上げ、そうして逃げられなくなった相手に巨大な星をぶつけた一連の動きは作為的なもの。

 あれは、実力で上から叩きのめした、それ以外にないものだった。

 

「やれやれ。謙遜ですね、それは。本当は天狗をやっつけられたことを誇りにしている。アレが小僧であるから問題になりませんでしたが、本当は天狗に対するということは大変なことなのですよ?」

「知っているわー。でも、あたしが大変なのより恩人が大変であるほうが問題じゃない」

「なるほど泣かせる人間らしい美学ですね。まあ、私にも気持ちが分からないでもないですよ。しかし、そのために天狗を引き回し見世物にするなんて大胆に過ぎる」

 

 勿論、幻想郷に来て随分と経っているため、魔梨沙が天狗という集団の恐ろしさを知らないわけではない。だが眼の前に恩人達を馬鹿にする噂を立てた存在が挑発してきたら、自分の身の危険なんて無視して怒るもの当然。

 天狗の間でも暗黙の了解であった、霧雨魔梨沙には関わらないということを敢えて破った血気盛んな若い天狗に対して、魔梨沙はスペルカードルールも用いずに早々と墜とし、そして人里まで引きずっていった。

 最初のうちは暴れる元気もあったその若き天狗も、沈黙のまま魔力で引き上げられた剛力によって一里も引っ張られ続けていれば、罵詈雑言も尽きてその間息も切らず歩む人間に恐怖すら覚え始める。

 天狗装束を着た存在を引き摺りながら、目抜き通りを歩む魔梨沙は注目された。そして霧雨店の前で天狗にごめんなさいをさせた魔梨沙のことは、人里の者達の語り草に。それは人里に来ていた人外の口の端にも上り幻想郷中に伝わるものであった。

 

「あの天狗、そういえばどうなったのかしら」

「元々悪戯ばかりする問題児でしたからこれ幸いと山を追い出されて、今は麓に小屋を建てて暮らしています。貴女に復讐することを考えていないか期待して話を聴いてみたのですが、怯えて震えるばかり。全く、鼻の折れた天狗ほど情けないものはありませんね」

 

 体面を大事にする天狗は、面汚しを許さなかった。

 そして、同じく組織の面子に傷をつけた魔梨沙においても許してはいないのだが、非がどちらにあるのかは明らかであり、手を出すのは更に恥を上塗りするだけということで、天狗たちは静観し続けている。

 もっとも、それは能力から暗に殺すのも難しい魔梨沙と敵対した際に想定される被害が余りに割にあわないものであるから、ということもあるのだが。

 そんな天狗社会のしがらみも知らずに、自分が倒した天狗の末路を聞いた、強者魔梨沙の感想は、一つだけだった。

 

「そっか。まあ、弱いんだから仕方ないわねー」

「確かに……そうですが」

 

 自分もその言葉は当然とは思うが、あまりに人間らしくない返答であったために、文は話を続ける気を削がれた。

 

「……それでは私が話を逸らしてしまいましたが、先の話の続きをどうぞ」

 

 可哀想、という返答が欲しかったわけではないけれども、自業に悩んだりする姿を観察するつもりがこうも揺らがなくては、そこらの妖怪相手に会話しているのと大差ない。この話題は失敗だったと、文は話を戻す。

 少しずつ師匠に似てきているわねと思いつつ、再び筆に文の手は伸び、そうして、魔梨沙の語る口は回り始めた。

 

 

「えーと、こんなところかしら」

 

 帳面の文字が伸びていくことしばらく。やがて、涼やかな風が治まってきてから、取材は終わった。

 鮮やかな緑を眺めながら伸びをする魔梨沙を、文は感情のない目で見詰める。

 

「ありがとうございました……それでは、今日の取材のお礼として、一言警告を」

 

 文花帖を閉じてから、目を瞑って、少し。再び開かれた目には強い光が感じ取れた。

 既に、文の表情は険しいものに変っている。それは、普段のにこやかな記者のものではなく、山の天狗としての顔だった。

 

「貴女が天狗の関わらない場所で活躍するのは構わない。ただ、山に入るのだけは止めなさい。私達に攻撃の口実を与えることになるわ。貴女の真似する流れる星こそ、我らが天狗。本来ならば、物真似程度では敵わない差があることを理解することね」

 

 言葉の途中から、文の能力によって周囲に舞い起こっていた風は、強さを増して、あっという間に暴風の域に達する。そうして、警告が終わる、その瞬間に文はその風に乗って飛んでいった。

 その姿は、あっという間に青空の彼方へ溶けていく。辺りには優しくない風が吹き散らかり、魔梨沙の頬を叩くようにそれは通り過ぎて行った。

 吹き飛びそうになった帽子を押さえながら、魔梨沙はその力に怯えることなく一言口にする。

 

「文は優しいわねー」

 

 世の中ギブアンドテイクとはいえ、欲していない相手にも与えるとは律儀なことだ。そして、記者として培った視点なのかもしれないが、格下の存在にまで目をかけるような妖怪は、珍しい存在であると魔梨沙は思っている。

 とはいえ、お世辞にも性格がいいとはいえない文を優しいと形容するような者は珍しい。本人が聞くことがあれば、きっと愉快に顔を歪めることだろう。

 しかし、頓珍漢な言葉は風にバラバラにされて、届かなかった。故に、ただ感想は魔梨沙の豊かな胸に収まり、そして文の言葉になるだけ従おうと思わせている。

 

 だが、その忠告が長く活きることはなく、何年か後に二人は対峙することとなるのであるが、しかし、そんなことも予想もしていない今。魔梨沙は、箒をギュッと握って文と同じように空を飛ぼうと試みていた。

 

 

 

 


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