霧雨魔梨沙の幻想郷   作:茶蕎麦

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第二十二話

 

 

 日は地平に沈みかけ、地は紅の力ない陽光に溢れている、そんな時間になって斜光よりなお紅の洋館からふわりと出かける影が二つ。

 その内の一人、地下にて書を嗜むばかりいたためか、最近動かない大図書館という嬉しくもない二つ名を頂戴してしまったパチュリー・ノーレッジにはこんな弱い光彩であっても眩しいかのように目を細めて遠くを望む。

 いや、隣に控える従者紅美鈴は、実際は光で目が痛いという訳ではないと気がついている。

 何しろパチュリーの鋭く向けられた視線の先は、どこか古臭い妖気が幻想郷を覆いかねないほど発生している中心であり、これから酒宴に向かう予定の場所である博麗神社であったのだから。

 

「また今日は一段と妖気が濃いわね……そろそろ鬱陶しくなってきたわ」

「どうしますか? いっそのこと、魔梨沙達に任せずに私達でこの妙な妖怪退治をしてしまいます?」

「半霊の剣士に負けた貴女に背中を任せるというのは不安だし面倒だけれど、確かに幾つか方策はあるから、そうしてみるのも悪くはないわね」

 

 考えこむパチュリーを困ったような笑顔で見詰める美鈴。自分はもう気にしてはいないのだが、それでも得意を駆使した門番が負けたということは彼女にとっては大きなマイナスであったようであり、以前よりも多少扱いが悪くなったことを感じていた。

 しかし、机上に論理を積み重ねることで、確かな実力と自信を持った魔女のことを美鈴は嫌っていなく、むしろこの少し捻くれた少女のことを好いてすらいる。

 パチュリーなりの叱咤激励を受けて、もっと精進しなければと思いつつ、彼女が自分の言を受けて事を起こすのであれば、この小さな背中を命がけで守らなければと考えていた。

 だがしかし、そんな決意も無駄であったようで、暇をつぶす用にと持って来た魔導書に目を落としたパチュリーの表情はのんびりとしたものに戻っている。

 

「まあ、レミィがああ言うからには、今日は私が何をしなくともこの異変は終わるのでしょう。私達の出る幕はないわね」

「そうですか……ただ、フランお嬢様にお留守番を任せることになってしまったのは残念です」

「仕方がないわよ。今回の相手は少し大きすぎる。縮こまるか狂喜するかどうかは分からないけれど、まだ安定しているとは言い難いフランドールを、下手をしたらレミィよりも強い妖怪にいきなり会わせていい結果が得られるとは限らない」

「ですねえ。大海の水は少しばかり塩辛い。まだ、井の外が広いということを知るのは早過ぎるかもしれませんね」

 

 紅と紫の長く美しい後ろ髪を引かれながらも、止まることなく空を往く。元より速度を出すことが苦手な美鈴と、出来るなら常にゆっくりしたいパチュリーの、空を飛ぶスピードは苦もなく合った。

 慌てることなく神社へと向かう二つの影は次第に暗くなる。地平に沈んだ太陽の代わりに、天に満月がその様を強く見せようとするそんな時刻になってきていた。

 そんな中で、向かう神社で大きな魔法の発動を感じたパチュリーは、何事かとその中心に目を向け、そしてその魔法が及ぼし始めた影響を敏感に感じ取った美鈴は周囲に目を配らした。

 

「急に、妖気が晴れて来ましたね」

「……驚いたわ。私の考えた中で一番非効率的で成功率の低いやり方をわざわざ選ぶ者がいるなんて。それも……強引すぎるけれど、こんなにも見事に」

 

 あっけにとられたパチュリーは、能力を用いて疎になろうとしているモノを無理矢理に力業で萃めてしまった、その下手人に興味を持つ。

 魔法を使ったのが、基となる魔力で判断するに魔梨沙でないことは確かであるが、それでもどこかやり方に似た部分を感じ、そうして察する。

 

「魅魔、とやらの仕業かしら」

「よく魔梨沙が自慢していた亡霊の仕業ですか?」

「恐らくは、ね」

 

 一度は気にした魔梨沙の師匠。その姿を過小に空想したことはない。だが、流石に優れた魔法使いの様を思うにも限度というものがあった。

 単純な術式で起した成果に必要な莫大な力を想像すると、魅魔の魔力は自分どころか種族として非常に高いものを持つレミリアよりも強いとすら考えられる。

 美鈴がフランドールをたとえた井の中の蛙ではないが、自分や魔梨沙が星だとするとあれは月ではないかと、予想の遥か上を行くその力を見せつけられたパチュリーは、そっとため息を付いた。

 

「はぁ。なるほど力を欲する魔梨沙が師事を願うだけはあるのね」

 

 しかし、眩いほどの力を持っているからこそ普段は魔梨沙に対して身を引いているような部分があるのだろうとパチュリーは推理する。

 魔梨沙はアレに届きたいと思っているに違いない。だが、何も考えずに人が月を目指せば、届かず墜ちるのが当たり前。そう、それくらい魅魔の力は天の上を行っている。

 レミリアに願われたパチュリーが考え悩み、咲夜が部品を取り揃えても、月に届く乗り物は未だできていない。同じように、魅魔を目指して登る道は果てしなく険しいもの。それこそ、その位置にたどり着くというのは人間の独力では不可能だ。

 だから、魅魔は近くにいるだけで、魔梨沙が死ぬまで彼女の力を求める心を刺激し続けることになるだろう。魔梨沙に種族魔法使いになろうという気がなければ、心かき乱すその姿は人間には限りある大切な日常の邪魔とすらなる。

 故に、普段は隠れているのではないかと、パチュリーは大体合っている推察を終えた。

 

「私は彼女に学びたいとは思わないけれど、思っていたよりも弟子思いの師みたいね」

「そうですか。魔梨沙の拳法の師父を自称している私としては、一度くらいは杯を交わしてみたいと思っていたので、今回は機会としては丁度よさそうですね」

「そうかしら。話の中心となる人物がその場になければ、盛り上がりに欠けてしまうのではない?」

「あれ、さっきまで居た魔梨沙が……居ないですね」

「流石に目がいいわね。これだけ距離があると私では空間に手が加えられたことを感ぜられただけだったわ。今日も、あいつは無茶をするのね。今回は否応なしに、みたいだけれど」

 

 博麗神社までは未だ遠い道中にて、しかし魔女と門番はその場で目的地にて魔梨沙が噂に名高い境界の妖怪に何かされたことを理解する。

 そして、パチュリーは、大亡霊によって萃められて、大妖怪によって魔梨沙と共に隔離された何者かの末路を思い、口を歪めた。

 パチュリーの脳裏には戦いボロボロになった魔梨沙の姿があろうとも、負けて悔しがる姿はない。しばらく自分たちを悩ませてくれた謎の妖怪なんて、魔梨沙にやられてしまえばいのだと、そう考える。

 

「帰ってくるのが楽しみね」

「あはは……どう、なるのでしょうかね」

 

 隣の美鈴はそんな考えを察し苦笑いしながらも、少しだけ魔梨沙のことを心配していた。

 

 

 

 

 

 

 スキマから落ちた魔梨沙は両足で神社が映った奇妙な地面に降り立って、萃香は酔気にかまけて受け身もとらずに尻から地に落ち僅かに身体を弾ませる。

 瓢箪を片手にお尻をペタンと地面に付けたその様子は、その身の幼さを際立たせるが、けっこうな落下の衝撃も意に介さずその場に座する姿は異様でもあった。

 魔梨沙の赤い瞳に映った相手の姿の特徴的な部分は、頭に生える大きな角二つに、両手の枷にそこから伸びる鎖。そして、全体的に思っていたよりも小さな存在であったが、その身に溢れる妖気は想像以上のものである。

 未だに魔梨沙は幻想郷の常識に染まりきっていなく魅魔に紫が喋っていた話から考えても、なるほどこれはアレだと、軽々とその種族名を口にした。

 

「貴女は、吸血鬼とかじゃなくて、純粋な鬼ねー」

「おー。人間の中にも私達を覚えてくれていたのも居るんだねえ」

「えー。だって、鬼って英雄に退治されるものだってお伽話の中では有名よ?」

「うん? ……なーんだ、がっかりだよ。アンタが特別なだけか」

 

 ぱんぱんと、土埃を追い出すために衣服を叩き立ち上がりながら、渋い面をして萃香は魔梨沙に落胆の色を見せつける。

 そう、幻想郷では最早鬼という存在は忘れ去られた種族である。限られた誰彼の知識や形骸化した儀式には残っているが、まさかそれが幻想郷の地に再び現れると土着の人間は誰も思いもしていなかった。

 しかし、魔梨沙は別である。幻想郷で得た魔梨沙の知識にも、鬼は大結界騒動が起きた頃から姿を消しているというものがあったが、彼女には前世で得ていた絵本での知識があったために、まあふらりと現れることもあるのではないかとも考えていた。

 そんな特別性を、萃香は確かに見抜いている。

 

「鬼は外、しなくちゃねー。あ、でも本当にあんなお外に出しちゃったら可哀想かな」

「あんたは珍しい、外の世界の人間だったか。いやあ、ただの人間ではないことは分かっていたけれどねえ」

「あたしは魔法が使えるだけのただの人よ?」

「なに。勘だけどあんたも私と同じ、誕生を祝福されなかったクチだろう? 最初から優れていたか、劣っていたかどうかまでは分からないが、生まれたことから間違っていて、そうして捻くれて、鬼になる……あんたはその手前で踏み出さず残った人間だね」

「生まれたことが、間違い……」

 

 魔梨沙が思い出すのは、無力でただ殴られるだけだった自分。痛みに我を忘れるその際に、何度どうして幸せな記憶を持って生まれてきてしまったのかと、これさえ無ければ絶望すらせずに暴力に順応できたのにと、何度思ったことか。

 そして落ち着いてから、魅魔に魂が二つくっついていると言われて、まともに転生せず憑依するような形となった自分のせいで、幸せになったかもしれない赤ん坊の道を外させてしまったのではないかと苦悩した。

 あの時の鎖は切れて、ここにはない。しかし、心の中には残って、今もじゃりじゃりと音を立てている。その響きが、魔梨沙の口調を落ち込ませた。

 

「ああ――――あたしがぶたれたのは、あいつに似ていると愚痴を零す父親に年齢不相応な言葉を向けてからだった。髪を引っ張られるようになったのは、知らないはずの言葉で父親を罵ってからだったかもしれない」

「鬼子、とはいえ全部が全部鬼になるとは限らないが……よくそれで鬼にもならずに人間でいられたもんだ。人は世を恨んで鬼ともなる。しかしあんたは【異常に】理性が強かったのかね。魔の者にはなったが、鬼にはならなかった」

「恨みで変わってしまっても妖怪にはならず、人のままで力を、それも鬼と紙一重の近さの魔力を得たあたしが魔道に踏み出したのは、当たり前かー」

「鬼の魔力は純粋で変化に富んでいる。それこそ、代償を払えば大概の願いを叶えてしまうくらいね。まあ、違うんだからそこまで上手く行かなくとも魔法使いというのはあんたの天職だったろうね」

 

 最後に魔力を沢山篭めればちょっと使うには便利な道具の出来上がり、となるからってそういうのが得意な仲間が色々と面白いものを作っていたこともあったなあ、と萃香は紫の瓢箪から酒を一口飲んでからそう回顧する。

 ギリギリ人として残った魔梨沙を見て親近感が湧くのは、力の波動が限りなく鬼に近いためにそんな過去の仲間を思い出すからだろうか。

 自分の代わりに酒宴を開かせる役割を任せて困らせたのは、地の下に残してきた仲間を振り回している時と同じような感じがして、中々楽しかったなあと萃香は思う。

 

 少々口が軽くなるくらいに、親しげな鬼の姿を見て、魔梨沙は復讐心を鈍らせる。だが、それでも残った胸の奥のムカつきとか苛まれた頭痛の思い出とかが、魔梨沙に一歩を踏み出す力を与えた。

 

「でも、妖怪の貴女と違って、あたしは人の側。だから、これからするのは、妖怪退治。それも、酔っぱらいの鬼退治よー!」

「あんたに出来るかねえ? 私には中途半端な力を振るっている未熟者にしか見えないが、まあそれでも人として見たらかなりのものとは思うさ」

 

 言葉の途中にふわりと身体を浮かせたかと思うと、萃香はそのまま空高くに飛んで行く。そして、魔梨沙から見て天蓋近くに辿り着いたかと思うと、そこまで昇っていた満月に【触れる】。

 

「でも、それだけの力じゃあ鬼には足りない。さあ、哀れな鬼子よ、鬼に敗れて再び己が無力を思い知るがいい!」

 

 そして、萃香はいとも容易く天蓋に映る月を叩き割った。まるで、その程度に憧れるものなど大したものではないといわんばかりに。

 粉々に砕けた月からは、光が溢れて落ちていく。魔梨沙は光のシャワーを浴びながら、しかし無法な力を持つ者を恐れることなく、むしろ笑んで喜ぶ。

 

「うふふ。悪いことした子をたしなめるのに、力らはそんなに要らないわー」

 

 弾幕ごっこ出来るくらいの力があれば、それで相手を屈服させられるのだからと口にしながら、その瞳に力への憧憬を隠すことない魔梨沙は余裕を崩さなかった。

 

 

 

 

 

 

「中々やるねえ。私が幾ら初心者とはいえ、あんたらがやっていた殴り合い込みの弾幕ごっこでなら圧倒できると思っていたんだけれど、こりゃあとんだ計算外だ」

「当たると危険なちょっとLunaticな弾幕とはいえ、飛んでくる岩くらい避けられなければ話にならないわー」

「近寄ってちょくちょく拳をくらわせようとしても、ちっとも当たらないねえ」

「一発でも当たれば殆ど終わりの威力だもの。もう少し常識的に弱めてほしいわー」

「最大限手加減してこれさ、っと」

 

 しばらく魔梨沙が近寄ってくる萃香の一撃必殺な攻撃を避けながら星の杖から弾幕を放っていると、全く当たらないことにしびれを切らしたのか、萃香は何処で手に入れたのかスペルカードらしきものを取り出し、符の壱「投擲の天岩戸 -Lunatic-」と宣言をする。

 宙に浮かぶ萃香の片手に能力で萃まってくる岩の数々は、黒々と集いに集い、大質量となってから投じられた。正しく鬼の豪腕に拠るもので、避けたその後ろで地面が砕け抉れる音が何度も響く。

 こんなもの、当たればひとたまりもなく、本当にスペルカードルールを理解しているのか魔梨沙も疑問に思ったが、まあ弾幕の体をなしてはいるために受けて立つことに問題はない。

 問題はその後。投じた後に避けた際の隙を狙って近寄って来て、至近で振り回される拳のなんと危険なことか。

 幾ら美鈴に手ほどきを受けたといっても、魔梨沙では唸りを上げるその細腕に篭められた圧倒的な力を手で受けたり逸らせたりすることは出来ない。

 傍から見れば魔梨沙が悠々と全ての攻撃を避けているように思えるが、しかしそれは全ての攻撃が必殺に過ぎていて一撃で天秤が傾いてしまうから、渋々そうしているに過ぎなかった。

 何しろ、威力が高い筈の魔梨沙の弾幕を受けながらも殆ど意に介さずに、近寄ってくる化け物相手だ。これなら遠慮する必要はないかと、魔梨沙はその顎先を箒の柄を使ってかち上げた。

 

「ぐぇ。やるなあ。こんな技じゃ駄目だ」

 

 急所をやられて流石に堪えたのか、萃香は示していたスペルカードをくしゃりと握りつぶした。そして、懐から二枚目を取り出す。

 

「符の弐「坤軸の大鬼 -Lunatic-」。へへへ。これは面白いスペルカードだぞー」

「へぇ。どんなのかしら。あたしの上まで飛んできて……うわ、でっかくなっちゃった!」

「ほら、どーん……って外れちゃったかー」

「確かに珍しいやり方だけれど、直線的なのは変わらないから、ちょっと当たってあげることは出来ないわー」

 

 今度のスペルカードは、どう見積もっても子供程度の身長でしかない萃香が巨大化して天を支えるほどの大鬼という名に相応しいくらいになって、そうして空から飛び降りてくるというもの。

 その密と疎を操る程度の能力によって、巨体の実体はスカスカの身体であり当たっても大した被害はないだろうが、それでもインパクトは抜群である。流石の魔梨沙も驚き慌てて、その攻撃範囲外に避けた。

 

「びっくりしたけど、これには設置技が有効ねー」

「あいたっ! 随分と、ふざけてくれるじゃないかー」

 

 しかし、自身を弾幕に見立てて空から真っ直ぐに降ってくるばかりのこのスペルカードは、萃香の意に反してどうにも見掛け倒し的な部分が否めずに、慣れた魔梨沙は落ちてくるその位置に合わせて丸いビットを置いて転ばせるような真似まで始め出す。

 なめられているということに気付いた萃香はムッとし、今回のスペルカードはお気に入りなのかキチンと仕舞ってから、新しいスペルカードを取り出した。

 

「えーい、難しいのはここからだよ。符の参「追儺返しブラックホール -Lunatic-」!」

「えっ、ブラックホール知ってるの……ってうわあ!」

 

 疑問を解決するより先に、相手から何やら投じられた、それを避けるのは当たり前のことである。しかし、避けた力の固まりが後ろで炸裂して、ブラックホールのように成り強い引力を発揮させるとは魔梨沙も思わなかった。

 膝を落とし、つま先で地を噛むようにして耐えねば後方に吹き飛ばされそうである。実際に、抑えきれず吹き飛ばされた魔女帽子は引きこまれたその他の瓦礫の中に巻き込まれてグチャグチャになっていた。

 まるで手に掴まれているかのように髪が後ろに流されているそんな中でも、魔梨沙は必死に引力に寄せられて来る石や岩等を見事な体捌きで避けている。

 しかし、不自由な動きの中では躱すのに難く、グレイズの耳に音が煩わしい程に響いていく。魔梨沙といえども、その能力の恐るべき一端を発揮した萃香が、靴底が地に埋まるほど地面を踏んで駆けて来るのを邪魔することまで手が回らなかった。

 

「やっと、ちょこまか動く、厄介な足が止まったね!」

「くっ、儀符「オーレリーズ……」

「遅いよっ!」

 

 魔梨沙のか細いその身を守るように展開された、四色のビットは、全てが腕の一振りによって鎧袖一触に粉々に砕かれる。完全に魔力が篭められる前であった、とはいえ魔梨沙の一番の防御を破るその力は正に規格外のもの。

 至近の距離に入られて、そうしてその豪腕から来る一撃を避けることは最早叶わない。

 顎に向けられたのは、右手によるアッパーカット。魔梨沙は右拳に箒を振り下ろしたが折られ、しかしその犠牲により顔に迫った、その小さな手を僅か掠らせるまでに留めることに成功した。

 間一髪、ではあるが鬼の力は、ただ皮膚の一枚を持っていくだけでは済ませない。打ち上げられる拳と一緒に、魔梨沙は宙を舞った。

 

「あー……加減しようと思っていたけど、ちょっと興と力が乗りすぎていたね、死んでたらごめんよ」

 

 そして、ぐるぐると縦に回転しながら地面に頭から打ち付けられた魔梨沙を見ながら、追撃もせずに萃香はそう零す。

 強いと認めた相手に、本気をだすのは礼儀であると萃香は思っており、そして当然魔梨沙は彼女にとっても強者であった。

 しかし、今回は力比べではなく弾幕ごっこ。勝利だけでなく美しさをも求める戦いの中で、相手を殺す程の力なんてものはナンセンスである。

 口では、鬼退治等と言い合ったが、流石にその方法も忘れた現代人にそれが出来るとも思えず、紫から聞いてそして隠れて見て知ったスペルカードルールを順守して遊んでやろうと思っていたが、ムキになるくらい楽しみすぎたと、萃香も反省した。

 

「ぐっ……う」

 

 だが、萃香の予想に反して、勢い良く地に頭をぶつけ、二度身体を弾ませた魔梨沙は、生きていた。そして、その身を吸い込まれる前に、擬似ブラックホールが消えていたから、再起不能にまでは陥っていない。

 しかし、それは辛うじて、のことである。魔梨沙は死にかけていたし、もう下手すれば動けなくなりそうになっていた。防御の魔法はしていなかったが、身体に巡らせていた大量の魔力によって、全ての衝撃は骨にダメージを与えるほどには到達していない。

 そうであっても、間接や筋の損傷や内臓まで響いた痛みは尋常ではないものがある。様々な修行や実戦でボロボロにされたことはあるが、それにしてもただの暴力によってここまでに至ったのは何時振りか。

 

 そんなこと、よくよく覚えていて忘れることはできないものだ。幼き頃の無力感を、魔梨沙は常日頃から心の鎖につないで引きずっている。

 しかし、もう一つだけ、首元の幻の枷から繋いでいるものがあった。それは、鬼のような親を見て、決してああはなるまいと誓った思い出。そんな過去の内なる宣誓を、魔梨沙は再び握りしめる。

 

 そう【魔】梨沙は鬼ではなくそれに限りなく近い魔の人間。いくら暴力に目を奪われても、その一線だけは絶対に超えることはない。だから、彼女は魔の存在として、一歩前へと踏み出す。

 

「うふふふふ…………きゃははははは!」

 

 詰まり、やっと吐き出された息から繋がれたのは圧倒的な嬉々。そして、高鳴る鼓動に合わせて、魔梨沙の背中から大量の魔力が溢れだす。

 その色は紫を越えて暗くなり、やがてその暗闇には広がることで隙間が出来たのか、光る部分がちらほらと見えていく。しかしそれが、左右で紅い月や青い明星の形になっているのはどういった偶然か。

 そう、魔梨沙の背中から溢れだす魔力が夜空を映す黒い蝙蝠の羽の形をし始めたことの原理は、大体魔梨沙を理解していた筈の萃香ですら理解不能のものであった。

 

「なんだ、これ」

 

 人にして、まるで魔の極みの一種、悪魔のような姿になった魔梨沙の力は見るからに満身創痍であるというのに以前のものを超えている。

 血を流し、赤い髪を更に紅くしながら、まるで生まれたての赤ん坊のように、魔梨沙は暫く声を上げることを止めなかった。

 

「ははは…………悪魔「リトルデビル」」

 

 そして、それが止んだ時に、気を取り戻した魔梨沙は萃香に右掌を向けたと思えば、彼女はそこに一枚のカードを創り上げる。

 魔力によって織り上げられた擬似的なそのスペルカードには、広げられた羽の絵柄が見えた。それを握り消し、魔梨沙は背中の羽によって、飛び上がる。

 

「――――さあて、貴女は私の月を割れるかしら?」

 

 魔梨沙はそう言って、無残な満月が映る天蓋を指さしてから、偽の天が映った左羽の紅き三日月を指さし、口が裂けんばかりの笑顔で萃香を挑発した。

 

「やってやるさ」

 

 そんなの朝飯前さと、まるで不明な将来を語る人間を見たかのように、鬼も笑う。

 

 砕け、何時ものものより随分と大きく広がった満月の下、再び二者は、ぶつかりあった。

 

 

 

 




 旧作をよく知らない方には分からないかもしれませんが、リトルデビルは東方夢時空で魔理沙のBOSSアタックとして出ています。
 一応、完全オリジナルのスペルカードではありません。

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