霧雨魔梨沙の幻想郷   作:茶蕎麦

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第十九話

 

 

 

 その姿を最初に発見したのは、当然のことながら、門番をしている紅美鈴であった。穏行もしていない人影を見逃すほど彼女は暢気ではなく、むしろ門番として優秀な方である。

 しかし、美鈴は焦らず、むしろ迎えるために門から一歩前へと進んだ。空を飛んで、何やら傍に大きな霊魂を携えた人影なんていうものは幻想郷広しといえどもそう多くあるものではない。

 それが、魂魄妖夢という宴会で出会った知り合い、というよりも一時とはいえ武について語りあった若き友人と美鈴は捉えている半分人間であると知っている。だから、遊びに来てくれたのかと美鈴は笑みを浮かべて彼女を歓迎しようと考えていた。

 

「ん? 何か変ね……」

 

 しかし、美鈴は服のはためきが近くに見えるその前にその経験から妖夢の発している剣呑な気配に気づいて眉を寄せる。彼女が紅魔館の中の誰かへ何がしかの敵意を持っていることは瞬時に察せた。

 宙からふわりと降りてきた妖夢は、嫌に真っ直ぐな迷いない目をしている。

 まさか、昨日の宴会でお嬢様が散々にからかったその仕返しに来たわけじゃないわよね、と美鈴は思うが、どんな理由にせよ中に入れる前にそのフランドールを刺激しかねない程の強い意気を引っ込めて貰わないと、と美鈴は対話を試みた。

 

「こんにちは、妖夢。貴女が紅魔館に来訪するのは初めてね。今日は何しに来たの?」

「美鈴……こんにちは。そうね……私はレミリアを斬りに来たわ」

「穏やかではないわね……」

 

 単刀直入過ぎる、妖夢のあまりに物騒な物言いに、美鈴は二の句が継げられなくなる。冗談のような物言いであるが、彼女の瞳は変わらずまさしく真剣である。

 二人の間に何があったのか、ついに溜まっていたものが爆発してしまったのかと、思わず一瞬頭を抱えようとすら考えたが、そんな隙を見せるのは良くないと美鈴は顔を真っ直ぐ前に向けて拳を構えた。

 酒を交わした情もあるが、疑いようもなく敵であると認識したからには容赦しない。そんな風に、門番の紅美鈴は出来ていた。

 

「待って。私は異変を解決しに来たのよ」

「お嬢様を斬ることが、どうして起きもしていない異変の解決に繋がるというの?」

「美鈴だって、気づいているのでしょう? この幻想郷を覆いかねないほどの巨大な妖気を」

「ああ、これ自体は妖【気】ではないわよ。何かが核にあって、そこから妖気が出ている状態ね。……そうねえ、例えばこれは妖気を発するものが眼に見えないほど細分化して漂っていると考えることが出来るわ。妖霧みたいね」

 

 気を使う程度の能力。使えるのであればそれをよく知っている、ということが全てに通じるわけでもないが、こと美鈴に関していうのであればそれで当っていた。

 美鈴は、魔梨沙を静かに怒らしている今回の異変の主が、煙のようなものであり、つまり自分では手を出せないものと早々に察している。

 しかし、斬ることに固執するがあまり自分の見目した経験を信じられなくなってしまっている妖夢には、そんな美鈴の確信めいた断言を信じることが出来なかった。

 

「むぅ。そうなのかもしれない。でも、そうじゃないのかもしれない。やっぱり、斬らないと分からないわ」

「呆れた。斬らないと分からないからって、お嬢様を狙ったというの?」

「そういうことよ。似たような異変を起したことのあるレミリアが妖気と似た気配を持っている魔梨沙の次に怪しいもの。だから弾幕ごっこで斬って、本質を見極めようと思ったのよ」

「弾幕ごっこ……なんだ、遊びで撫で斬りして本音を出させて判別しようとしていたのね」

「違うわ。格闘ありの弾幕ごっこっていうのが有りみたいだから、本質だけを斬って真実を知ろうとしているのよ」

「本質だけ……そんな魔法みたいな腕前を妖夢は持っているというの。その特別な刀も関係しているのかしら。でも、それでももし、斬るものを違えて相手を殺してしまったらとか考えたりはしないの?」

「間違えてしまうかどうかも、斬ってみなければ分からないわ」

「……そう」

 

 内心は再び頭を抱えたい気分で一杯であるが、美鈴はなんとか妖夢の言葉を飲み込む。彼女が語るその内容は、お腹の中身が黒いか白いか確かめるために開腹したいです、と言っているのと大差ない。

 それが、痛くもなければ危険も後遺症もないからと、自身の腕前を疑わず軽々と行おうとする妖夢の軽率さには、呆れを通り越して空恐ろしさすら感じる。

 きっと【何か】あったのだろうと美鈴は思うが、まあ何にせよこんな辻斬りを通らせる訳にはいかない。

 拳を構え直した美鈴は、妖夢に向って、言う。

 

「それじゃあ、真剣でも格闘ありの弾幕ごっことやらでもスペルカードルールを放棄しても構わないから、かかって来なさい。私を倒さないと、何も斬れないわよ」

「スペルカードルールは守るわ。私は五枚、用意している」

「そう。私は一枚も用意していないけれど、通る気なら構わずに来なさい!」

「むっ……」

 

 そして、美鈴は鬼気を溢れさせて、妖夢を威嚇する。その迫力に思わず、妖夢は一歩下がった。しかし、恐れずに彼女は楼観剣のみを抜刀する。二刀流、とはいえ白楼剣は軽々と抜ける代物ではないのだ。

 直ぐに、戦いは始まる、と思いきや話はそう簡単に進まない。実戦経験の少ない妖夢でも分かる、美鈴のさして特別でない構えの、しかし隙の無さはまるで堅牢な壁のようである。

 じり、と妖夢は足の指の力だけで少しずつ近寄っていくが、むしろ寄れば寄るだけ打ち込むより捌かれて反撃される姿ばかりが想像できてしまう。美鈴が格闘戦で妖夢の上を行くのは明らかだ。

 

 剣道三倍段という言葉がある。それは、得物を持った剣道家に徒手空拳の流派では三倍もの段位の差がなければ相手にならないという剣を重く見る考え方だ。

 それも当然の判断だろう。拳には急所に当てる以外に必殺の方法は中々ないが、刀には多く血を流させる腱を斬るなど相手を無力化するやり方が多くある。それに加えて、攻撃力にリーチの差が明白だ。素人目に見ても、剣を持った者の方が強そうに見える。

 とはいえ、徒手空拳の身軽さは、剣を持つものにとっても脅威であり、リーチの長さは至近での取り回しの難しさも意味していて、また打蹴投組の全てを使える者の引き出しを探るのは困難だ。実力に差があれば、確かに空手の者にも勝機はあるのだろう。

 そして、妖夢と美鈴に三倍段といえるくらいの実力に差があるかといえば、才能よりも経験によるもので大きな違いを認めざるをえない。

 

 紅美鈴は昔からずっと、弱点も得意もない自分にできる事はこれしかないと、人から見出した武を真似し磨き鍛え続けていた。

 美鈴はその拳に頼りながら生きるために数多の妖怪と戦い、次に守るために迫り来る人妖と争い、数えきれない年月全てを生き延びてきた存在である。故に彼女は達人と呼ばれるような者達と比べても、頭ひとつ抜けた武勇を持っていた。

 そして、妖夢は八雲紫が見誤るほどに斬ることに関しての才を持っているが、美鈴も自分を無才としているにしてはあまりに鋭い才能を持っている。

 だから、妖夢の鍛えてきた四十年程の月日では太刀打ちできるものではない。ましてやその大半の鍛錬が師の存在もなく行われたもので、剣術を扱う程度の能力はあっても斬ること以外に未熟な状態であっては尚更のことであった。

 

「……これじゃあ、斬れない」

 

 接近戦で勝てる道理がない。ならば、霊力を用いて剣に力を纏わせてリーチを大きくしたり、半霊を人型にして二人で挑んだり、目にも留まらぬ速さで斬りかかればいいかと思えば、そう上手くはいかないであろうことも分かる。

 次に続かなければどんなに工夫を凝らしても奇手はそれ止まりだ。驚かすだけでは駄目で、百戦錬磨の美鈴相手ではそれすらも難しいだろう。

 ならば、どうすればいいか。それは魔梨沙や霊夢から聞いていた。

 

「美鈴貴女は弾幕ごっこが苦手、そう聞いているわ。本当かどうかは斬るまで分からないけれど、確かめさせてもらう!」

「くっ、やっぱりそう来ちゃうかー」

 

 美鈴の弾幕の虹色の美しさは評判であるが、その難易度の緩さも口の端からついでに登ることでそれなりに知られている。

 色とりどり様々に気を使うことは得意でも、それを宙に避けられないと錯覚させられるくらいに浮かべるには出力が足りない、といったところなのだろうか。

 妖夢は浮かび、力を込めて宙空を幾度も斬り、力が残った宙の切り口から白い鱗状の霊弾を多く発させて、地の美鈴を踊らせる。そして、続けるは半霊が発する青い大玉弾幕。たまらず、地べたを駆け回っていた美鈴も、空を飛び逃げ出した。

 青白く、どこかおどろおどろしくなった空に、負けじと美鈴は花を咲かせる。七色の米粒弾は、フラクタルな図形を生み出しながら、妖夢へと迫っていく。

 周囲に広がっていく七色はまるで向い来る虹のよう。なるほどこれは美しい弾幕だと妖夢も思うが、しかし密度がイマイチであるとも考えながら、彼女は悠々と避けていく。そしてもう一つ美鈴の弱点を妖夢は看破した。

 

「美鈴、貴女は空中での姿勢制御がなっていないのね」

「ここに来るまでずっと地に足を付けて生きていたせいね。どうにも妖夢みたいにふわふわ浮かびながら生きるのはやり難いわ」

「私がずっと浮いているのは半分だけ! でも、本当に美鈴は弾幕ごっこが苦手なんだ……」

 

 境界によって、外の世界は実体の世界そして幻の世界と分けられた幻想郷は、常識の縛りが緩く、元より常識はずれの妖怪や奇妙な人間などは気軽に重力から解き放たれることが可能である。

 しかし、比較的に来てからの時間が浅く、おまけにスペルカードルールが出来る前まで得意の武術を活かために地で戦うことが多かったために美鈴は飛ぶこと自体に慣れていない。

 だから、直近の弾幕に対しては見事な体捌きを見せるが、宙での移動は落ち着かないのだ。故に、直に自分に向けられた幅広の弾幕を完全に避けるのは難しく、大玉の影から出てきた白い鱗弾の行列をその身に掠めて美鈴は困り顔を作る。

 

「何時もと同じくジリ貧ね。でも、今回はルールが違う。このまま一矢報いることもなく負けるわけにはいかない!」

 

 そして、美鈴は宣言するつもりもないスペルカードなんていうポケットの中の紙切れなんてくしゃくしゃに握り潰してから、武という一枚のカードのみを持ってして、彼女は宙にて反撃に転じる。

 避けられないなら、相手まで退かしながら真っ直ぐ進んで行けばいい。そんな発想を現実にする美鈴の体術は非常に優れていた。虹色に視覚化するほど気を篭められた彼女の拳に足は、最小限の動作でもって、多く霊力の篭った妖夢の弾幕を逸らしていく。

 グレイズした際に起るはずのバチバチという力のせめぎ合う音すら鳴らさないほど滑らかに、なんと美鈴は彼女の身長ほどもある青い大玉弾幕すら無音で真横へと流していった。多いだけの白色など、円かに飛ばされ届く気配すらない。

 何も通じないのかとすら錯覚させられる、そんな無体なまでの圧倒的な技術。それを前にして、しかし全く諦めていないのか妖夢の青い目は美鈴の瞳の灰色がかった青色を確りと見つめていた。

 

「案の定、無理に近寄ってきたわね……そしてやはり単なる弾幕なら通用しない。でも、これならどう……いくわ。獄神剣「業風神閃斬」!」

「……なっ!」

 

 それは弾幕の突如の変貌。鱗弾に効き目がないからと妖夢は闇雲に大玉弾幕を放っているのかと思いきや、それは違った。一瞬、両者の時が遅くなったかのような緊張が走る。

 妖夢が動いたと思えば数多くの大玉に切れ目が走り、そしてそれらは斬られることで変化したのか赤や紫色の様々な破片となって美鈴に降り注いでいく。

 くるくると、上空から速度も不規則に落ちていくそれらは、遠目に見れば美しい宝石のシャワーのようであるが、しかし、それはルビーやアメジストよりも危険な力の塊である。

 その数の多さ、形のバラつきに対応するにはいかに美鈴といえども直ぐにはいかない。しかしその暇を待たず半霊は弾幕を生成し続けるし、ある程度纏まったら妖夢は一息に四閃の軌跡をもって弾幕をみじん切りにし続ける。

 苛烈な攻めと強固な守りの勝負。しかしそれは攻め続ける妖夢に軍配が上がったようだ。バチ、と防御を僅かに仕損じた音が耳に入った妖夢は、隙を逃さずそこでもう一枚のスペルカードを見せつけた。

 宣言の言葉も相手に届いているか否か分からないほどのその速度。余人には視認出来ないほどのスピードをもってして、妖夢は宙を駈ける。

 

「人鬼「未来永劫斬」! 」

 

 それは、天狗も認められないほどの瞬間に全てを終える技。最速で突撃を繰り返し、何度も斬りかかるというただそれだけのものであるが、それこそ全速力で振るわれた妖夢の剣速は最早美鈴の目に留まらぬ境地に至っている。

 それでも何度、棟や刃紋近くに手をあてて美鈴は刀を逸らすことが出来ただろう。それは、妖夢にも予想外の回数であったが、直ぐに限界が訪れる。

 

「斬った!」

「やられた、わね……」

 

 ただの一太刀。それが入り、美鈴に冷たい感触を味あわせた。しかし、驚愕すべきことに、美鈴の身体には刀傷が見当らない。この戦闘の中でまたしても、妖夢は他の何一つ斬ることはなく、鋭く本質のみを斬り裂いたのである。

 宙でグラリと美鈴の身体は傾ぐ。妖夢は肩で息をしながら、抱きしめるかのようにその身を受け止めた。いや、本当に妖夢はこの戦闘相手をきつく抱きしめたいとすら思っていた。

 それだけ、斬って理解した以上に、戦ってみて美鈴という妖怪そのものの強さとその真っ直ぐさを認められて、それが愛おしくてたまらなくなったのである。

 しかし、そんな寝込みを襲うような無作法は妖夢には出来なかった。宙から地に降り立った妖夢はそっと、壊れ物を扱うように優しく門柱にもたれかかせて、美鈴を寝かせる。

 

「やっと終った……っく」

 

 そしてようやく一息ついた妖夢だったが、襲ってきたあまりの疲労感に彼女の身体はどっと落ち込みそうになり、それを留めるために必死になった。

 妖夢は攻めるばかりで怪我一つしていないが、集中を続けた美鈴との戦いで体力と何より緊張した内面が大いに削られている。

 片膝をつき、深く息を吸い、それでも足りないと宙に救いを求め、妖夢は顔を上げ一息つく。

 

「ふぅ……ん? なっ!」

 

 それから少し経って、何やら唐突に天からパチパチという音がしたかと思うと、今度は凄まじい勢いで何者かが降ってきた。

 

「ふふ。こんにちは」

「レミリア!」

 

 妖夢は紺碧の目を張る。現れたそれは、ここ紅魔館に来た理由の全て。日傘を持った、小さなその影は紅霧異変の主犯にして紅魔館の主、レミリア・スカーレットであった。

 レミリアは至極嬉しそうな、まるで蕩けそうな表情をして、身を捩って傘を弄りながら言う。

 

「全て見ていたわ。中々見ることの出来ないような、素晴らしいショーだったわね」

 

 レミリアの紅い宝玉のような瞳には、戦いの全てが映っていた。美鈴の善戦に、妖夢の刀の鋭さに、その全てが彼女には蠱惑的に見えている。

 だから、嬉々が溢れて止められない。当然のように、小さいレミリアのその身に秘められた全ての力はつられて爆発的にその場に広まる。それはまるで、魔梨沙を笑ませたフランドールの如き力の奔流。

 ただ、それを受けた妖夢の反応は魔梨沙と違う。とてもその力の前で素直に笑うことは出来ずに、諦めに笑むことすら無理で、ただ表情を凍らせることしか出来なかった。

 

 これを、斬る。それは、なんの冗談だと、妖夢は一瞬でも思ってしまった。

 

 しかし、そんなことは認められない。斬ることは真実に至る道。なら、この大敵を斬ることにだって、きっと意味がある。

 

「くっ……」

「確か、貴女は私を斬ると豪語していたわね。……いいでしょう」

 

 未だ戦意の残った妖夢の立ち上がる姿を見届けたレミリアはそう言ってから、フランドールにも貸してあげた特別な日傘を投げ捨てる。じゅう、と彼女の身体は日に焼かれていく。ふつふつと、レミリアの身体から紅い靄が溢れだす。

 日光の下の吸血鬼。このままでは遠からず灰になるのが運命である。

 

「さあ、妖夢。私が日に焼かれて塵になる前に、見事私を斬り倒してみせなさい!」

 

 しかし、レミリアは胸を張って、そう言い放った。

 

 

 

 

 

 

「もぐもぐ。うーん。この店のお団子はやっぱり美味しいわー」

 

 その時。珍しく二日酔いでダウンしなかった魔梨沙は、人里の茶屋で団子を買い、口いっぱいに頬張っていた。

 

 

 

 


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