――――月虹艦隊によるトラック島攻略作戦より時系列を遡ること約1週間前、日本海軍の中では新たなる動きが起こっていた。
それは、予てより議論され続けていた『艦娘』との連携によって第三次深海大戦をどう戦い抜くかについてであった。
大本営は、2月に入り正式に『艦娘』を『平行世界において第二次世界大戦を経験した艦艇の転生体』であることを認め、吹雪達を初めとした艦娘達に深海棲艦との戦いに参入することを要請。待遇を客将と同等とし、人が生きる上で必要な権利を艦娘にも適応することを保証した。また、『日艦地位協定』と称し、幾つかの約束事が日本海軍と艦娘の間で取り交わされた。
その代表的なものとして、やはり一番重要となるのが『艦娘』の意思表明を確認することである。保護された吹雪達については、本人達から直接戦いへの参戦の決意表明がなされていたが、それが必ずしも『艦娘』の総意と一致するとは限らないのである。なかには、悲劇的な最後を遂げたことにより戦いに対するトラウマ、PTSD状態に陥ってしまっている『艦娘』も存在するかもしれない。
こうした事から、海軍は深海棲艦と直接戦うか、後方支援に徹するということで間接的に戦ってもらうかを必ず問うというワンクッションを置くことを取り決めた。
次に、指揮系統についてである。基本的に大本営の意向を艦娘に伝え行動してもらうわけになるのだが、これではもし万が一大本営でクーデターなど著しく人事が入れ替わることがあり、過激な思想に支配されるようなことがあれば、『艦娘』がどのように酷い扱いをされるかわかったものではない。また、『艦娘』も人の身であることから、時には精神的な気持ちの浮き沈みもあり、メンタルケアが求められることも多々あるかと考えられた。
そこでこちらに関しても、大本営の意向を考慮しつつ『艦娘』のメンタルケアを請け負える『適任者』……専任の『提督』というワンクッションを置くことが取り決められた。
加えて、深海棲艦との戦いの意義についての確認も行われた。
何も人類は最初から深海棲艦と戦う気があったわけではない。開戦当初は、まず真っ先に意思疎通が可能であるかを模索し、人類側に求めている要求の内容を確認しようと試みたのである。しかし、あらゆる言語、暗号を用いても深海棲艦は反応すらせず、一方的な殺戮と略奪が行われた。
その結果が、各国の制海権喪失と各国の鎖国化であった。
こうした現状を踏まえ海軍が出した方針は、『艦娘』に失われた制海権と土地の奪還を任せ、その間に人類は深海棲艦の実態に迫るというものである。
相手の数が有限であるのならば、いずれは艦娘の活躍によりその数が0になり深海棲艦は根絶されることになるだろう。だが、無限に増殖していく存在であった場合は、いくら艦娘が戦いを繰り返そうとも第三次深海大戦は決して終わりを見せることはない。そうなれば、人類は戦いに疲弊し今度こそ滅んでしまうことだろう。
そうならない為にも人類は、艦娘と連携し深海棲艦の起源(ルーツ)を探るとともに、それを『封印』することが求められた。
「……我々に残された時間はもはや少ない。あとは『艦娘』の協力で何処まで足掻けるかだ」
大本営にて海軍全体を取り纏める総長である男……高野磯八(たかの いそはち)元帥は、3月下旬には全ての改修工事が終わるであろう横須賀鎮守府のある方角を窓から見つめ一人呟きを漏らした。
彼は軍内部でも慎重派の一派に属しており、『艦娘』が出現するまでは深海棲艦への対策会議に日夜追われ疲弊していた。また、自己犠牲(特攻)や明らかに環境に害のある新型兵器による深海棲艦殲滅を唱える過激派を抑えこむのにも苦労しており、その一派に詰め寄られるなど日常茶飯事であった。
だが、『艦娘』の登場をきっかけとして過激派は内部分裂を起こし混乱へと陥り、彼に構うどころではなくなった。
それを機に高野率いる慎重派は勢力を拡大し、『艦娘』との連携を考慮に入れた全く新しい深海棲艦への戦略思想を打ち出すに至ったわけであるが、苦労するのは相変わらずであった。
『―――そう気に病む必要はないと思いますけどねぇ、閣下』
「にゃー」
ふと、高野が後ろを振り向くとそこには、何時の間にやら猫を連れて居座っている幼児よりも小さい体をした水兵を思わせる妖精が存在していた。本来ならば何処から入り込んだと叱咤するところであるのだが、彼女については特別でありその必要はなかった。
「……どういう意味だ」
『―――そのままの意味ですよぉ。彼女達は深海棲艦に対抗するために存在しているのです。ただ足掻く以上の成果をきっと出してくれますよ?』
彼女は自称『艦娘』をこの世界に呼び寄せた張本人を名乗る妖精であり、他に存在している妖精達の上位に位置する立場あった。
一応、区別のために『大本営妖精』などと高野を初めとした慎重派はそう呼んでいるのだが、どうやら本当の名前は別にあるとの事だった。
「しかし、慢心は禁物だ……たとえ、彼女ら『艦娘』が深海棲艦と戦う力を有していたとしてもだ、奴らはそう安々とは勝たせてくれはしないだろう」
能力は別として、深海棲艦は物量で人類よりも優っている立場にあった。故に、戦力で依然として劣っている状態で拾える勝ちは限られている。また、それは艦娘の数が増えたところで容易に解決する問題ではないのであった。
「……結局のところ、我々は質も数も勝る相手にとことん質を極めて立ち向かうしかないのだ。その役割の殆どを彼女達に押しつけてな」
とんだ大罪人だと、高野は自らの不甲斐なさをあざ笑うかのように苦笑してみせる。握り締めた拳からは今にも血が噴き出しそうであった。
『―――でもまあ、《イレギュラー》も発生していることですし、悲観するのはまだ早いのでは?』
妖精が言う《イレギュラー》とは、彼女が関わって呼び寄せたわけではない得体の知れない謎の『艦娘』の存在であった。
慎重派の幾人かが、その関係者らしき人物に会ったことがあると高野は報告を受けていたが、どのような艦種の艦娘がいるのかまでははっきりとはしておらず、全てが謎に包まれていた。
「複数いるとのことだが、吹雪君達のように我々の指揮下に入ろうとしないのは、何か理由でもあるのだろうか……」
『あまり縛られるのは好きじゃない人達なんじゃないですかねぇ。―――それとも、私の管轄外で現れたの関係しているのかも?』
「……何処にいるのかも探れないのか」
『いやぁ、流石に位置まではわかりませんねぇ……参ったもんです』
お手上げだと溜息を付きながら手でジェスチャーすると、彼女は寝転がっていた猫の前足を持って猫をフラフラと前後に揺らし始めた。
高野はその姿を横目に、再び窓の外へと視線を向けた。日はすっかり暮れており、カラスの鳴き声だけが虚しく聞こえている。
(こちらの動向が探られているとなれば、時が来れば何らかのアクションを見せる……そう信じたいものだがな)
願わくば、共同戦線を築き上げたいところであると思いを馳せる高野であったが、相手が新たなる脅威となる可能性を危惧する思いもまた同時に心中へと存在させていたのであった。
―――そして、時系列は巻き戻り、月虹艦隊がトラック島の奪還を果たした日から約一週間後の、2月28日まで時間は飛ぶことになる。
何故ならばこの日、紺碧艦隊が所有する星電改を通して月虹艦隊から日本海軍へ向けての、初となる書面による接触(コンタクト)があったのである。
※
「『―――我々月虹艦隊は現在の世界情勢を鑑みて、深海棲艦の早期排除が必要であるとの判断を下し、独自の方針に従って深海棲艦によって侵略された島国の奪還を行うことを此処に宣言する。また、我々の近隣に位置する国家である日本に対し、月虹艦隊は艦娘を代表して、以下の要求を通告する。
一、我々月虹艦隊に対する一切の攻撃を禁じ、作戦行動に対して妨害を行わないこと。
二、本艦隊を友軍とし、補給等が必要である場合これを迅速に行うこと。
また、貴軍の艦娘に補給等が必要になった場合、本艦隊は同じように迅速な対応を行うものとする。
三、我々の機密に関わることに対し一切の詮索を行わないこと。但し、我々が開示してもよいとする情報については諸手続きを行った後に公開するものとする。
四、貴軍が保護している艦娘に対し倫理に反した行為が行われた場合、速やかに我々に対しその身柄を引き渡すこと。
五、深海棲艦の排除が完了するまではトラック諸島群を我々の保有地として認めること。
また、同存在の完全なる排除が確認された場合、艦娘を一般社会に溶け込めるよう取り計らうか、貴国が保有する土地の幾つかを割譲し艦娘が保有する土地として認めること。
六、貴軍に属している艦娘に我々月虹艦隊に関する質問を行わないこと。
……etc
以上の要求を貴国が飲まれる場合、我が艦隊は日本国を信頼に値する同盟国と判断し、国土防衛、技術提供などを初めとした支援活動を行うことを約束する。
―――月虹艦隊代表 航空母艦 建御雷』………とのことです」
慎重派の集まりである『日輪会』に属する幹部の一人が読み上げた月虹艦隊からの書面は、要約すれば条件付きの同盟の申し入れであり、侵略されていたはずのトラック島が深海棲艦から解放された事を意味していた。
またこの事実は、人類が関わっていないとはいえ艦娘によって制海権奪還が可能であるという希望を高野らに与えていた。
「月虹艦隊なる存在が提示した条件の幾つかの項目は、既に地位協定にて成立しているものが含まれています……それ以外については政府の承認さえ降りれば十分飲める内容でしょう」
「同盟が成立した際の支援内容も我が国にとっては非常に有益なものです」
幹部からは相次いで月虹艦隊からの要求を飲むべきだという声が上がった。だが、高野は次第に大きくなっていく声を制し、落ち着いて事を考えるべきだと語った。
「確かに、条件を満たした場合の見返りは破格なものだろう。……しかし、妙なのは月虹艦隊なる組織が頑なに我々の保護した艦娘達と距離をとろうとしている点だ」
幹部の一人が述べていた通り、要求の内容には先日成立したばかりの事が複数含まれていた。
素直に要求通りの待遇を受けたいのであれば、同じように保護されればよいはずであるのに、何故合流を拒否した上で同待遇を要求するのか考えて見ればおかしいのである。
「……『妖精』によれば、この建御雷を名乗る航空母艦の艦娘は、この世界に呼び寄せた覚えのない完全な《イレギュラー》的存在であるとのことだ」
「ですがその、《イレギュラー》だとしても同じ『艦娘』なのでしょう?」
呼称で言えば保護しているしていないに関わらず、『艦娘』と呼ばれていることから同じだと言えるだろう。
……が、言葉では言い表せない決定的な違いが高野にはあるように思えていた。
「では逆に聞くが、例えば北海道に住んでいる日本人と沖縄に住んでいる日本人は、果たして同じと言えるだろうか」
「種族で言えば同じ日本人ではありますが……」
「……そうだ、種族的には同じ日本人であるだろう。ところが、厳密に言えば住む環境に大きな差が存在している。平均気温、都道府県の面積、気候……数えればきりがないほどの違いが実は存在しているのだ」
「つまり、我々が保護した『艦娘』とトラック島にいる『艦娘』には、出自が異なっているなど違いがあるということですか?」
「……あくまでこれは仮定であるが、私はそう睨んでいる」
再びざわめきが空間を支配し、幹部達には僅かだが動揺が走った。
「具体的な違いについては流石に我々が知る由はないが、二つの勢力に属する『艦娘』の間に決定的な差、隔たりがあるとすると【合流しない】のではなく、【合流できない】というのが正しいのではないだろうか」
高野のこの予想は奇しくも正しかった。
月虹艦隊が海軍側の艦娘と同じように保護されようとしなかったのは、彼女達の記憶にある艦娘と記憶にない艦娘が保護された艦娘の中に存在していたからであった。そのまま合流していれば、会話に大きな食い違いが起きるのは時間の問題であった。建御雷はそれを見越して海軍側の艦娘に対する月虹艦隊の秘匿を要求したのである。
「まあ、この事は今は気に留めておく程度でいいだろう。……現状は、劣勢状況の打開が最優先事項だ」
話は再び要求を飲むか飲まないかについての議論へと切り替わる。
仮に要求を飲まなかった場合、日本海軍は保護した艦娘とこれから建造などで呼び出す事になる艦娘の力のみで周辺海域の攻略に臨むことになるが、そのペースは非常に緩やかなものとなるだろう。練度を高めるのに割く時間、装備を整えるのに要する時間など時間はロスしていく一方である。
それは即ち、制海権奪還による物資輸送の再開が遅れることを示しており、逆にジリ貧なことになりかねない事を意味していた。
ところが、要求を飲んだ場合、月虹艦隊が日本海軍よりも先行して海域攻略を開始することから制海権奪還の速度が早まり、早期の物資輸送の再開の目処がつくことになるだろう。さらに、技術提供を行うという点から、海軍所属の艦娘が強力な装備を整えるのに割く時間が大幅に短縮され、速やかな周辺海域の攻略が可能になるのである。
加えて、トラック島が事実上の前線攻略基地となるため、南方海域の攻略が可能になった時、鎮守府を往復しての海域攻略を行う必要がなくなるのであった。
「……月虹艦隊の代表が航空母艦、つまり空母であることを踏まえれば、少なくとも相手は航空戦力を有していることになる」
「我が国の敵機動部隊による空襲に対する備えは万全とは言えません。今後、こちらに空母の艦娘が加わり、すぐに迎撃を指示したとしても完全に阻止することは困難でしょう」
「対空火器装備の開発も容易ではありません。何から何まで初めてな事だらけなのです……確立している技術が月虹艦隊の手中にあるのならば、頭を下げてでも提供してもらうべきです」
「しかし、特定の国に属さない一艦隊に対し国が頭を下げるというのは如何なものか……」
「プライドで飯が食えるのなら、今頃国民は裕福な暮らしをしていることでしょう!」
議論は白熱し、時折罵声が入り混じった声が右へ左に飛び交いあった。
そんな中、一人車いすに腰掛けた幹部が挙手し高野が発言を許す。眼鏡を掛けた初老の男は幹部の中でも一、二を争う力の持ち主である海軍大将の菊池であった。途端に他の幹部らは騒ぐのを止めて静まりかえる。
「―――諸君、事は冷静に考えるべきだ。月虹艦隊なる艦娘の集団は本来ならば日本以外と接触していてもおかしくはないのだ。なのに、わざわざ我々と同盟を組みたいと願い出ている……この意味がわかるか?」
トラック島の位置的に、日本ではなくオーストラリアなどの国家に対し交渉することも可能であったはずである。それなのに、日本が選ばれたということは月虹艦隊にはどうしても交渉相手が日本でなければならなかった理由があるのでは……と菊池はそう考えていた。
「月虹艦隊に限らず、吹雪君達に我々は試されているのだ。彼女らの世界の海軍がどうであったかは知らんが、我々に信頼が置けないのであれば今頃大淀君や明石君は潜入調査などせず、何処か遠い国で軍に関わらず暮らしていたかもしれない。吹雪君達もこの世界に呼ばれることなどなかったかもしれんのだ」
だが、彼女達は日本海軍の下に集い、日本を、いや世界を深海棲艦の魔の手から救うために戦おうとしていた。
それは彼女達の中に「信じたい」という思いがあったからこそなされた奇跡にほかならない。奇跡はそう何度も起こり得るものではない。
「―――閣下、我々は『我々を信じている』彼女達の思いを無駄にすべきではないと思います。信頼に報いることができるよう動かなければなりません」
どうかご決断を、と言葉を続け、菊池は高野を射抜くような力強い視線で見つめた。高野もまた同様に視線を交わし両者の間には閃光が走った。そうして彼は一旦目を閉じた後に、息を吐くように返答する。
「……最終的な判断は小高(おだか)総理と話し合って決めるが、海軍としては要求を受け入れようと思う」
―――後日、政府の合意の下で月虹艦隊が提示した要求は受理されることになり、国に属さない彼女達との間に同盟関係が成立することとなった。
この知らせは紺碧艦隊から月虹艦隊に対しその日のうちにもたらされ、建御雷の下には一通の書面が届けられた。そして、そこには………
「直接会談、か――――面白い」
彼女の本土への出頭を要求する一文が書かれていた。
海軍内に名前がなんか似ている人がいますけど赤の他人です。
なお、菊池大将のモデルはトマホークのあの人です(おい