非常に拙(まず)い気がした。
何が拙いって。
いや、ナニが。
冗談はさておき、ホリが部屋を満足気な表情で退室した後、私は言い表す事の出来ない悪寒を感じた。
このままでは、拙い…と。
いや、何が何だか分からないが、一体彼女達はどうしたのだ、と。
願掛けらしいが、キスである。
それも深い方の。
そう考えると、途端に顔が火照ってしまう。
おかしい。
明らかに、おかしい。
彼女達の、私に対する態度は。
一体どうしたのだと言うのだろう。
あの戦闘後、彼女達の態度は軟化したなとは理解していた。
していたが……。
何故だろう…『軟化』と言う表現は、果たして正しいのか分からなくなって来た。
彼女達の変化は、軟化と言う言葉では言い表せない気がする。
もっと、こう、ドロドロした様な……。
ベッドでもんどり打って唸っている内に、コンコンと、聞き慣れたノックの音が耳に届いた。
思わず、びくりと体を震わせてしまう。
反射的に声を上げそうになり、それを寸で堪えた。
悪寒がしたからだ。
私は、このノックの後に、必ず何かしらのアクションを起こされている。
一番最初のトクは問題無かった。
チハも……まぁ多少問題があったが、許容範囲。
だがホリはダメだ、流石にあれは、私が照れる。
そして、順番的に考えて、次に来るのはハクである。
私の勘によると、何故か彼女達の私に対する行為は、段々とエスカレートして行っている様に思える。
ましてや、次はハクである。
私はつい数時間前にハクと交わした約束、そしてあの真っ黒な瞳を思い出して、一人震えた。
隠れよう。
確信の無い、勘と言う何とも根拠足りえないモノではあるが…。
私はもし此処でハクと会話を交わし、何かしらのアクションを起こしてしまったら、取り返しの付かない何かが起きる気がした。
報告書確認から、「あ~ん」を模した願掛け、もとい口の中に指を突っ込む行為、そして最後は深い方の……。
では、次は何か。
少なくとも一線を超えてしまいかけるような『何か』がある気がする。
被害妄想も甚だしい、ただの妄言に等しい思考だ。
だが、私の中にある、あのハクの瞳が背筋を冷たく撫でる。
楽観は出来ない、それが私の下した決断。
私はベッドから静かに降りると、いそいそとベッドの下に潜った。
大の大人が、しかも女の子相手に隠れ、縮こまってベッドの下に潜る様は、全くもって情けない。
私とて涙が出そうになった。
コンコン、コンコンと、扉が叩かれる。
そして向こう側から「笹津大尉? 笹津大尉?」とくぐもった声が聞こえてきた。
それが何度か続き、少しして、痺れを切らしたのだろう、ゆっくりとドアノブが回された。
「……笹津、大尉? 寝ているの……?」
そう言いながら、姿を現したのはハク。
私の予想は当たっていた。
「あれ…大尉?」
ハクがとてとてと軽快な音を立てて、部屋の中に入ってくる。
そして、もぬけの殻となったベッドを発見する。
今の私の視界からは、ハクの足元しか見えない。
故に、彼女が今どんな表情をしているのかは分からないが、ハクは私が居ないと見るや否や、踵を返して部屋を飛び出した。
ドタドタと足音が遠ざかっていくのを聞く。
それから、十秒、二十秒待って、戻ってくる様子が無いことを確かめてからベッドの下から這い出した。
「痛つっ……あぁ、何だこの気持ちは、罪悪感と情けない気持ちで一杯だ……」
服に付着した僅かな埃を払い、ため息を吐き出す。
ハクがベッドの下まで掃除してくれていて良かったと、心底思った。
後はどうするか、この部屋に留まるのは危険だろう、恐らくその内また戻って来る筈だ。
ドクターストップを掛けられていたが、この際それは捨て置く。
別に全力疾走や戦闘行為を行う訳では無いのだ。
ちょっとした散歩程度。
そう思えば良い。
自分でも訳の分からぬ逃避行だが、私はよたよたと部屋を後にした。
個室から、執務室を出て廊下を歩く。
幸い誰とも遭遇する事なく、三階まで上がり、屋上付近までやって来た。
しかし、今回屋上は通過(スルー)する。
前回、ハクに見つけられたスポットを二度使用する程、私は間抜けでは無い。
今回私が狙うのは、穴場。
普段誰も使用しない様な、素敵スポットだ。
そして、そんな素敵スポットに私は心当たりがあった。
「……よし」
誰も居ない事を確認して、扉を開く。
鉄製の扉に寄りかかるようにして押し開けると、眩しい日光が周囲を覆った。
「おぉ……暖かい」
快晴、本日は晴天なり。
三階、建物端に設置された剥き出しの非常階段、その最上階。
錆びた鉄で覆われたこの場所は、誰も寄り付かない素敵スポット。
グラウンドからも反対側に位置し、外側から発見される事もなければ、人目を気にする事も無い、ちょっとした穴場になって居た。
何故こんな場所を知っているかと言えば、資料で偶然見つけたからである。
着任初日に目を通した地図が、ここで活きる形になった。
階段に腰掛け、ひと時の自由を謳歌する。
「……………ぁー………」
ぼけっと。
日向ぼっこでもする様に、太陽の光とそよ風を享受する。
屋上の時は途中でハクに妨害されたし、こんな贅沢な時間は怪我でもしなければ取れないだろう。
次はいつ休めるか、分かったものではないのだ。
そう考えると、ベッドでただ寝転がっているだけの時間は、非常に惜しく思えた。
「ぁー……………溶ける」
何かこう、自分が液体状か何かに融解しているのでは無いかと言う錯覚に陥る。
清々しいと言う気持ちは、こういう気持ちか。
いや、多分違うだろうけど。
階段に座ったまま、ぼけっとした時間を過ごして十分、二十分。
いやはや、贅沢な時間を過ごしているなぁ…としみじみ実感していると、またしても乱入者が現れた。
自分のすぐ傍の扉が開き、思わずビクリと肩を跳ねさせた。
「っぉぅ!?」
まさか、ハクか!?
見つかったッ!?
そう思って振り向けば、扉を開いたまま私を見下ろす、トクが居た。
「……大尉、何をしているんですか?」
眼鏡越しの視線は冷たいが、私はハクで無い事に安堵の息を漏らす。
「なぁんだ、トクか…」なんて言ったら失礼だろうが、私はついつい気が緩んで、そう口にしてしまった。
トクは私を見下ろしながら、溜息を吐き出す。
「…ハクが探していましたよ、必死で、涙目になりながら」
その言葉がグサリと、胸に突き刺さる。
罪悪感に苛まれるが、苦い顔のまま「いや…うん、まぁ、ね」と返事をあやふやに誤魔化した。
きっと誤魔化しきれては無いだろうが。
歯切れの悪い返事に、彼女も何か思う所があったのだろうか。
「……後で、一応会っておいて下さいね」と釘を刺すだけに留まった。
それに曖昧に頷くと、彼女は溜息をもう一つ。
それから、彼女は私の元へとやって来て、突然両手で顔を掴んだ。
突然の事に驚き、思わず目を見開いてしまう。
何だ何だと思っていたら、彼女はニコリと笑って言った。
「さて、大尉、先程上に報告書を提出して来たのですが………私、言いませんでしたっけ?」
トクの義足がカンッ! と地面を甲高く鳴らし、思わず肩が跳ねた。
恐る恐る、「え、えっと……何て言ったっけ」と問うと、彼女の眉間に皺が寄って、明らかに怒っていた。
同時に、私の顔を掴む手にも力が入る。
頭蓋骨がキシリと音を鳴らした。
彼女もまた、例外に漏れる事無く、戦車の遺伝を受け継いでいた。
そしてニコリと、華が咲くように笑って、口にする。
「……『怪我人は怪我人らしくベッドで大人しく寝ていて下さい』でないと『片足もぎ取りますよ?』 って」
「………言っていました」
その台詞は聞いた。
言い回しは若干違ったけれど。
彼女の手は離れる様子が無く、自分の中からミシミシ音が聞こえた。
「ぇ…トク、冗談なんだろう?」
私が震えながらそう言うと、正面からまっすぐ見えた瞳が、全く笑っていなくて。
微笑んだ口元とは対照的に、真っ黒に染まる様な色をしていた。
「私、冗談を言うタイプに、見えますか?」
その言葉に、素直に答えを返した。
「いえ、全く」
そうして私は、トクの城へと連行される事となる。
まだまだ(ヒロイン達の)ターンは終了しないですぜ!(`・ω・´)
ヤンデレ成分が足りなァーい!(´・ω・`)