1
ひしゃげたミネルバの艦首部分を見上げ、タリアは溜息をついた。
先日のダーダネルス海峡海戦は、事実上、オーブ政府軍の勝利と言う形で幕を閉じた。
地球軍は機動兵器に多数の撃墜機を出して後方の拠点まで後退。これにより、一応はザフト軍も、「敵の黒海侵攻を阻止する」という戦略的目標は達した事になる。
ミネルバは現在、マルマラ海にあるポートタルキウスと言う小さな港町に停泊している。
艦体には戦闘で受けた傷がたくさん残っている。特にイリュージョンの攻撃を受けたタンホイザーは砲身が完全に大破し、一から部品を交換しなくてはいけない有様だった。
「資材はすぐに、ディオキア基地の方から回してくれると言う事ですが・・・・・・」
同じように苦い顔をしているマッドが言う。
「タンホイザーの発射寸前でしたからね。艦首の被害はかなりのものですよ。これはちょっと、時間が掛かりますね」
「・・・・・・そうね」
あの攻撃でミネルバはタンホイザーに充填中だった陽電子エネルギーがフィードバックして、砲身、および艦首部分が大破。付近で作業に当たっていた人員に幾許かの死傷者を出している。
勿論、戦争である以上犠牲者が出る事は避けられないが、それでもやるせない気持ちは消えてくれなかった。
「ともかく、できるだけ急いで頼むわ。いつも、こんな事しか言えなくて悪いけど」
「いえ、判っていますよ艦長」
年配の整備長は、そう言って気苦労の多い艦長を労わる。
タリアは今度は、反対側に立っているアスランに目をやった。
「それでアスラン、アレのパイロットには、やはり心当たりは無いの?」
「はい」
タリアの問いかけに、アスランはすまなそうに答える。
タリアの言うアレとは、イリュージョンの事だ。
ダーダネルス海峡海戦では、イリュージョン1機に殆ど両軍の戦線は崩壊に近い損害を受けてしまった。
そのパイロットの存在に、タリアとしても興味があったのだ。
「私が知っているイリュージョンのパイロットは、先の大戦の折に戦死しています。もう1人、サブパイロットの方はまだ生きていますが、とてもあれだけの事ができるとは・・・・・・」
キラは戦死、正確にはMIA認定を受けている為、あの場でイリュージョンに乗って現われるとは考えづらい。エストの方は生きてはいるが、彼女1人であれだけの事ができるとは思えない。
誰か、新しいパイロットを得たのだろうか?
考えられるとすれば、やはりラクスだ。かつてはイリュージョンの兄弟機であるフリーダムのパイロットを務め、キラやアスランに匹敵するほどの技量を見せたラクスなら、イリュージョンをあれだけ操れたとしても不思議ではない。
だが、やはり確証が無かった。
「まあ、良いわ。さっき言った通り、修理までにはまだ時間が掛かるみたいだし、何か思い出したら教えてちょうだい」
「ハッ」
アスランは、タリアに敬礼するとその場を後にした。
足早に艦内に戻りながら、アスランもイリュージョンやそのパイロットの事を考えてみる。
かつてザフトが開発した核動力機の内、表に出た物は都合5機。その内、フリーダム、プロヴィデンス、フォーヴィアはヤキン・ドゥーエ攻防戦で完全喪失。ジャスティスは大破後アスランがザフトに持ち帰り、データのみ抜き取って破棄したが、イリュージョンだけは戦後行方知れずになっていた。
恐らく、クライン派かアスハ家が密かに修復し、ひそかに隠していたのだろう。Nジャマーキャンセラーの軍事転用禁止を謳ったユニウス条約の手前、大っぴらに保有は宣言できないから。
思い出してみれば、あのイリュージョンは極力敵の命を奪おうとしていなかった節がある。勿論、ミネルバの例のように、不可抗力的に失われる命はあったが、モビルスーツを相手にする場合、狙うのは大抵、武装、メインカメラ、手足の何れかだった。
あの戦い方は、確かにかつてのキラに通じる物がある。
だが、キラが生きていたと言う話は、今に至るまで聞いていない。
それにあの動き、何かキラとは違うような気がした。
かつては共に戦うのみならず、砲火まで交えたアスランだからこそ言える事。
感じた違和感は、考えるほどに大きくなる。
いったい、この違和感は何なのか?
そう考えて歩いている時だった。
ボフッ
「あうッ!?」
前から歩いて来た誰かとぶつかってしまった。
「あ、す、すまないッ」
「も~ 何なの~?」
相手はぶつけた鼻を押さえながら顔を上げて来る。
相手はアリスだった。
「あ、何だ、アスランか・・・・・・」
「すまない、考え事をしていたから、前を見てなかった」
そう言って、その場を立ち去ろうとするアスラン。
しかし、
「ちょっと待って、アスラン」
背後からアリスに呼び止められ、アスランは振り返った。
「何だ?」
「あの・・・・・・さ・・・・・・」
呼び止めておいて言い淀むアリス。
何か、言い難い事なのかもしれない。
暫く待っていると、やがて意を決したようにアリスは口を開いた。
「あのさ、この間のイリュージョンの事なんだけど・・・・・・」
少し驚いたように、アスランは目を開く。今まさに、自分が考えていた事だからだ。
「あのパイロット、もしかしたら、シンかも・・・・・・」
「シンって・・・・・・シン・アスカか!?」
勢い込んで尋ねるアスランに、アリスは躊躇いがちに頷きを返す。
アーモリーワンからオーブまで、このミネルバに同乗した少年の名は、勿論アスランも知っている。
そしてアスランにとっては、かつてL4同盟軍で共に戦った仲間でもある。
「確かなのか?」
「たぶん。あの時、声も聞いたし・・・・・・」
《アリス、ごめん!!》
友達の声を聞き間違えるはずがない。あの時、ああ言ったパイロットの声は、間違いなくシンのものだった。
「そうか、シンが・・・・・・」
アスランも、茫然と呟く。
迂闊だった。考えてみれば、その可能性は大いにあったのだ。
シンは2年前の戦争の時、14歳というL4同盟軍ではエストと並んで最年少のパイロットだった。しかしエストは、元々特殊部隊員として高度な軍事訓練を受けていたのに対し、シンはついこの間まで民間人という立場だった。
にも拘らずシンは、当時すでにエース級に匹敵する実力を示していた。しかも、戦いの中で急速な成長を示し、終盤にはキラやアスランにすら迫る戦闘技術を身に着けていたのだ。
シンは戦後もオーブ軍のパイロットとして戦い続けている。もし、あの時のままの成長速度を維持し続けていたとしたら、今やアスランですら敵わない実力者に成長している可能性すらある。
「・・・・・・アリス、シンは手ごわいぞ」
アスランは、正面からアリスを見つめて言う。
「おそらく、俺や君よりも実力は上かもしれない。もし、シンがまた出てくるような事になったら、必ず2人で掛るぞ」
「2人でって、そんな・・・・・・」
シンは友達だ。
いや、それを差し引いても、1人の相手に2人で掛るという行為が、アリスには卑怯な事のように思えて気が引けるのだった。
だがアスランは、断固たる口調で言った。
「これは、俺の、フェイスとしての判断と受け取ってもらって構わない。俺達が1対1でシンと戦うのは危険すぎる」
まっすぐに視線を向けてくるアスラン。
それに対しアリスは、反論の言葉を発する事が出来ずなかった。
「・・・・・・わ、判った」
躊躇いがちに頷く。
だが、やはり、友達を自分の手で撃たなくてはならない、という事態は、16歳の少女には割り切れない物があった。
2
ダーダネルス海峡海戦の後、アークエンジェルは旧イタリア沖の海底に身を潜めてた。
先の大戦の後、アークエンジェルは改装を施され、潜水艦としての機能を追加されている。その為、ザフト軍と地球軍が争う最前線付近であっても、堂々と潜伏していることが可能なのだ。
前大戦時、アフリカからアラスカまで殆ど敵中央突破に近い行軍を強いられた身としては、雲泥の差であると言えた。
アークエンジェルはオーブ出航に際し、かつてのクルーの多くを招集していた。
アーノルド・ノイマン、ロメロ・パル、ダリダ・ローラハ・チャンドラ2世、コジロー・マードック。勿論、連絡がつかず、招集できなかった仲間も多いが、彼らは皆、この艦が最も苦しかった時期を支えた歴戦のクルー達である。
彼等がいたからこそ、アークエンジェルは「不沈艦」足りえていたのだ。
そのアークエンジェルは現在、海底に身を潜めながら、情報収集にあたっていた。
大画面のモニターでは、様々なニュースが流されている。海面に伸ばしたケーブルアンテナで、複数のニュース情報を同時に受信しているのだ。
その多くが、始まった大戦に関するものばかりだが、芳しいものは殆どない。
「どうにも、殺伐としたニュースばかりだね。もっと景気のいいニュースは無いのかな?」
自前のコーヒーを口に運びながら、バルトフェルドは艦長席に座るマリューに話しかけた。
アークエンジェルが出港する際、マリューは当初、バルトフェルドに艦長を引き受けてもらい、自分は副長として彼を補佐するつもりでいた。バルトフェルドは元々ザフト軍の指揮官であり、立場的に言えばマリューよりも格上である。加えて戦艦エターナルを指揮した経験もある事から、艦の指揮にはまさに適任であると思われた。
しかし、その案は当のバルトフェルドから却下された。
この艦を長く指揮してきたのはマリューであり、彼女以上にアークエンジェルを上手く扱える人間は存在しない。加えてバルトフェルドは、状況によってはモビルスーツに乗って出撃しなくてはならない、というのが理由であった。
そこで、前大戦同様にアークエンジェルの指揮はマリューが引き継いでいた。
「『水族館でシロイルカの赤ちゃんが生まれた』とか?」
「いや、流石にそこまでは言わんが」
冗談めかしたマリューの言葉に、バルトフェルドは苦笑で応じた。
「プラントはプラントで、こんな感じですしね」
映し出されたモニターを見ながら、ラクスが言った。
ラクスも、当初はオーブに残ってはどうかと勧められたが、彼女の希望でアークエンジェルへ同行していた。
確かに、ラクスはプラント政府からも狙われている身である。戦力的に乏しい政府軍とともにいるよりも、いっそ、隠密行動ができ、神出鬼没に活動できるアークエンジェルとともにいた方が安全であると思われる。さらに、もしシンの身に何かあった場合、イリュージョンのサブパイロットとしても期待できた。
そのラクスの視線の先では、『ラクス・クラインの慰問コンサート』の様子が映し出されていた。
《勇敢なるザフトのみなさぁーん!! 平和のために私たちも頑張りまあす!! 皆さんも気を付けてぇー!!》
その声にこたえるように、大歓声が聞こえてくる。誰も、あれが本物の『ラクス・クライン』であると、疑っていない様子だ。
本物のラクスなら、決してあのような低俗なパフォーマンスはしないはずなのだが。
「みなさん、元気で楽しそうですわね」
ラクスがにこやかに言う。
だが、その目は決して笑ってはいなかった。
『ちょ、ラクス、何か機嫌悪そうなんだけど?』
『お兄ちゃん、何かしたの?』
『な、何で俺に振るんだよ?』
『いえ、きっと、お腹がすいているんだと思います』
ラクスの様子を見て、リリア、マユ、シン、エストが顔を寄せ合い、ヒソヒソと話し合っている。
そんな彼らに、ラクスがにこやかに振り返る。
「何か?」
「「「「いえ、何でもないです」」」」
揃って首を振る一同。
触らぬ
ある意味、この戦いは今後を占う上で重要な戦いになるであろう事は、全将兵が認識する所であった。
宇宙ステーション「アシハラ」
オーブが戦後になって完成させた大型宇宙ステーションは、軍民兼用の宇宙港であり、民間線も含めると、日に100隻以上のシャトルや宇宙船が往来する場所でもある。
デブリ帯の中に建造されている為、地形的にも防御に優れており、各宙域に無人の警戒施設を配置する事で、鉄壁の防衛ラインを構築していた。
そのアシハラから、大小20隻近い艦艇が次々と出港していく。
見る者に勇壮な印象を与えるこの艦隊こそが、アスハ家に忠誠を誓い、この内戦においても揺るがぬ忠義を貫き続けている艦隊。
オーブ軍宇宙艦隊の雄姿であった。
オーブ宇宙軍は現在、所属全艦が戦闘態勢を整え、アシハラの正面宙域に布陣しようとしていた。
その中で武蔵もまた、宇宙艦隊の1隻として戦列に参加している。
「セイラン艦隊、B宙域、ブルー20デルタより接近中!!」
「艦艇数、約30。その他、機動兵器多数を確認!!」
「第4監視システム、通信途絶。敵の攻撃で破壊された模様!!」
「旗艦クサナギより入電、『全艦、第1戦闘配備。合戦準備』!!」
オペレーターの報告を聞きながら、ユウキは帽子を目深にかぶりなおした。
次々と齎される報告は、セイラン艦隊の接近を告げている。
「やっぱり、セイラン軍は宇宙戦力も持っていたわね」
「予想していたことだよ」
傍らに立ったライアの言葉に、ユウキは肩を竦めて返す。
現在、セイラン艦隊は、アシハラ制圧を目指してデブリ帯を進撃してきている。オーブ軍宇宙艦隊は、これを迎え撃つべく全艦隊を出撃させていた。
公式には、セイラン軍は宇宙戦力を持っていない。だが間違いなく、今アシハラに向けて進撃しているのは、セイラン軍の宇宙艦隊だった。
セイランは資金に物を言わせて、自分たちの私設軍を所有している。つまり、今接近してきているセイラン艦隊も、その類であるというわけだ。
「まったく、そのお金を国庫の方に回していれば、オーブはいくらでも強くなれただろうに」
「むしろ、こうなる事を見越していたんだろうね。ある意味では、先見の明があるって言えるんじゃないかな?」
ライアの言葉に、ユウキは軽く応じる。
宇宙軍に対抗するための戦力を、セイランが用意していたということはすなわち、元から宇宙軍を警戒して備えていた事を意味している。
つまりセイランは、初めからアスハ派が事を起こす可能性を予見して、それに備えていたのだ。
そうしているうちにも、セイラン艦隊は徐々に接近してくる。
それを迎え撃つべく、政府軍艦隊も布陣を終えようとしていた。
「じゃあ、あたしも行くわ」
ライアはそう言って踵を返そうとする。
ライアは今回も、武蔵所属のモビルスーツ隊指揮官として出撃することになる。
と、
「ライア」
その背中から、ユウキが声をかける。
ライアが振り返ると、ユウキはにこやかな笑みを彼女へと向けている。
そのユウキの顔を見て、ライアははにかみながら頬を赤くすると、甘えるようにそっと身を寄せて顔を近づける。
唇を重ねる、ユウキとライア。
戦後になって付き合い始めた2人だが、年齢差11歳にもかかわらず、周囲もうらやむような熱愛ぶりを見せていた。
顔を放す、ユウキとライア。
ユウキは優しげに、ライアは恥ずかしそうに微笑みを交わす。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん、気を付けて」
言葉を交わすと、ライアはユウキに背を向けてブリッジを出て行った。
キョウ・カリヤは機体を立ち上げ、出撃準備を進めていく。
彼の駆るストライクAは、基礎設計においてキョウ自身のアイディアを多く取り込んで完成していた。
姿は旧来のストライク、あるいは連合で新たに開発されたストライクEと似通っている部分がある。しかし、機動力を極限まで高めたエンジンや、独自のストライカーパック、それらを統合するOSは、完全に別物と言って良かった。
機体を立ち上げ、武装を選択する。
選んだのは、高機動型のイエーガー。キョウに与えられた今回の任務は向かってくる敵機の排除であるため、攻撃力よりも機動力を選んだのだ。
機体を立ち上げる途中、傍らに駐機してあるライアのオオツキガタが動き出すのを見て、キョウは通信機のスイッチを入れた。
「ずいぶん、早い到着だね」
《まあね》
皮肉を利かせたつもりだったが、あっさりとした返事が返され、キョウは却って苦笑してしまった。
ライアとユウキが付き合っている事は知っている為、キョウとしてはこれ以上言うことはない。
「それで、作戦は?」
《いつも通りよ。あんたは単独で行動。できるだけ、敵を引っ掻き回して。あたしたちは適宜、あんたの援護に入るって感じで》
キョウの実力は、宇宙軍の中でも傑出している。
その為、あえて彼の下には独自の部隊を置かず、単独で行動させて敵を攪乱、必要に応じて他の部隊から援護が入る、という戦術が取られることが多かった。
そうしているうちに、発信準備が整ったことを示すシグナルがともる。
「さて、それじゃあ、行くとしますか」
《お互い、死なない程度にね》
軽口を言い合いながら、機体をカタパルトデッキへと進ませる。
進路クリア。
リニアカタパルトに灯が入り、発信準備が整う。
「キョウ・カリヤ、ストライクイエーガー行きます!!」
打ち出されると同時に、スラスターを点火。同時にVPS装甲に灯が入り、機体を青と白に染める。
その向かう先には、セイラン軍の大艦隊が迫ろうとしていた。
3
気晴らしになるのかは判らなかった、とにかく今は、艦にいたくなかった。
半舷上陸を許可されたアリスは、バイクを駆って海岸沿いを走っていた。
ミネルバの修理は、ディオキア基地から資材が届き、ようやく開始されたところである。その作業には、もう暫く掛かる見通しだった。
だが、艦にいればどうしても、この間の戦闘の事を思い出してしまう。
その為アリスは、バイクを駆ってポートタルキウスの街に繰り出したのだ。
風に任せてバイクを操り、市街地を抜けると、やがて切り立った崖のある海岸線へと出た。
そこで、バイクを止めて降りると、ヘルメットを取って大きく伸びをした。
「ん~~~~~~」
風が心地よく、体を撫でていく。
『もし、シンがまた出てくるような事になったら、必ず2人で掛るぞ』
アスランの言葉が、思い出される。
シンは強い。
それはアリスにもわかる。
あの時対峙したのは、ほんの一瞬。しかしイリュージョンは、そのほんの一瞬のうちに、インパルスを戦闘不能に陥れたのだから。
1対1で勝利を得るのは、確かに難しいかもしれない。
だが、しかし・・・・・・
よってたかって友達を撃つ事には、どうしても躊躇いを覚えざるを得なかった。
ふと、視線を横に向ける。
視線の先、岬の突端付近に、誰かがいることに気付いたのだ。
女の子だ。たぶん町の子なのだろう。何やら、クルクルと回って踊っているのが見えた。
楽しそうだな。
そう思った一瞬の地の事だった。
突如、瞬きしたと思った次の瞬間、それまでいたはずの少女の姿が、崖の上からこつ然といなくなっていたのだ。
「て、手品? いや、まさか、神隠し!?」
驚愕するアリス。
急いで、その場所へと駆け寄って崖下を見る。
すると、遥か下の海面で、もがくように手をばたつかせている少女の姿があった。
どうやら手品でも神隠しでもなく、足を滑らせて崖から落ちた、というのが真相であるらしい。
だが、今問題にすべきは、そんな事じゃない。
「もしかして、泳げないの!?」
見ているうちにも、少女の姿は徐々に水の中へと沈んでいく。このままでは、完全に沈没するのも時間の問題だった。
「世話が焼けるなァ もうッ!!」
言うが早いか、アリスは躊躇うことなく、崖下へと身を躍らせた。
崖は20メートルほど。かなり切り立ってはいたが、どうにか飛びこめない高さではない。
幸か不幸か、水深もそれなりに深かった。
水柱を上げて飛びこむと、アリスは既に沈みかけている少女の方へ、必死に泳ぎ寄る。
少女の腰に手をまわして、どうにか浮かびあがろうとするが、少女は水に慣れていないのか、必死に手足を振りまわして暴れる。
「ちょ、ちょっと、暴れないで!! 沈む沈む!!」
必死になって声を掛けるが、少女はまるで聞こえていないかのように暴れている。
それでもどうにか、少女の体を引っ張って浅瀬の方に連れてくる事に成功したアリスは、一息つくとともに、苛立ちをぶつけるように少女をにらんで叫んだ。
「何考えてるの、泳げないくせにあんな所で!! 死んじゃったらどうする訳!?」
「死ぬ・・・・・・」
アリスの言葉を聞いた瞬間、
少女は大きく目を見開き、口をゆがめて絶叫した。
「イヤァァァァァァァァァァァァ!!」
強引にアリスの手を振りほどき、再び深みの方へと走り出す。
「死ぬのは嫌!! 死ぬのは嫌!!」
「ちょ、だから、何でそっちに行くの!?」
少女を必死に追いかけて、捕まえるアリス。
しかし少女は、先ほどよりも激しく暴れて、アリスを振りほどこうとする。
「嫌ッ イヤァァァァァァ!!」
「ちょ、ちょっと、落ち着いて!!」
アリスは渾身の力を込めて、少女の体を抱きしめた。
「大丈夫ッ ボクが守るから!! だから、君は死なないよ!!」
叫んだ瞬間、
少女の動きは、ピタリと止まった。
「まも・・・・・・る?」
まるで、始めて聞いた言葉であるように、少女はアリスの言葉を反芻する。
それまで暴れていたのが嘘のように、少女はおとなしくなり、アリスに抱きしめられたまま身を任せる。
「まもる、から・・・・・・死なない?」
「うん、だから、安心して」
優しく、少女を抱きしめるアリス。
それにより少女は、すべてを委ねるように安心しきった表情を浮かべた。
その場所は、ちょうど波で削られて、1か所だけ崖上から隔離されたような半洞窟状の空間になっていた。上からは死角になる場所であり、偶発的な発見は期待できそうになかったが、取りあえず海水で濡れた服を乾かすのには適していた。
アリスと少女は服を全部脱ぐと、互いにパンツ一枚になり、即席で火をおこして暖をとっていた。
ほとんど全裸に近い格好だが、女の子同士なので恥ずかしくなかった。
どういう子なんだろう?
少女を見ながら、アリスは訝る。
見たところ同年代のようにも見えるが、言動を見るに、年下のようにも見える。今もアリスに背を向けて、足もとの砂を弄って遊んでいる。
意を決して、声を掛けてみた。
「ねえ、君、お名前は? うちはどこ?」
「名前、ステラ・・・・・・うち知らない・・・・・・」
声を掛けるアリスに、少女は振り返らずに答える。
「ステラって言うんだ。良い名前だね。ボクはアリス。よろしくね」
「アリス・・・・・・」
「うん」
少女の髪を撫でてやりながら、アリスはほほ笑む。
どうやら、名前がステラというらしい事は判った。が、それ以外の事は、どうにも要領を得ない。というか、会話らしい会話が成立しない。
途方に暮れるアリス。
このままでは埒が明かなかった。
この場所は陸から隔離された場所にあり、更に周囲は切り立った崖に囲まれている事から、脱出は事実上不可能。
アリス1人なら最悪、泳いで岸まで行けるかもしれないが、
チラッとステラに目をやる。この子をここに置いて1人で行くのは、あまりにも気が引けた。
洞窟の外は暗くなっている。もしまた海に入られでもしたら、今度こそ少女は助からない。
「・・・・・・仕方ないな」
アリスは乾かしている最中の服のポケットを探り、中に入れておいた物を取り出す。
それは緊急用の救難信号を発するチップである。戦闘中、敵中で孤立したりした場合はこれを割り、信号を発するのだ。
だが、今は戦闘中ではない。使用するのは躊躇われるが、しかし・・・・・・
「ま、いっか」
つぶやくと、あっさりと割ってしまった。
どの道、自力では帰れないのだから、戦闘中であろうが無かろうが、大差は無かった。
信号を発してから暫くすると、軽快なエンジン音が聞こえてきた。
「来た」
駆けだすアリス。
救命艇のエンジン音だ。どうやら信号を検知し、ミネルバから救援が来たのだ。
エンジン音がさらに大きくなり、救命艇が近付いて来るのが分かる。
やがて、サーチライトの光が見えてきた。
「まったく、どうやったら戦闘中でもないのに、遭難できるんだ君は?」
呆れ気味に発せられたのはアスランだ。どうやら、責任者と言う事で同乗してきたらしい。
続いて、よく聞きなれた声も聞こえてきた。
「アリス、大丈夫? 怪我とか無い?」
「ルナ!!」
ルナマリアの声を聞き、笑顔を浮かべるアリス。
そのまま外へと駆けだす。
「アスラン!! ルナ!!」
救命艇の前に飛び出すアリス。
「アリ・・・・・・ス・・・・・・」
名前を呼び掛け、アスランが思わず言葉を止める。その顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。
何事だろう、と訝るアリスを見て、ルナマリアも慌てたように顔を出してくる。
「馬鹿、アリス!! 前ッ 前ッ 前、隠しなさい!!」
「・・・・・・へ?」
ゆっくりと、自分の体を見るアリス。
ほっそりしたバランスの良い身体を覆っているのは、ピンク色のパンツ1枚だけ。
パイロットにしては華奢な手足も、白い肌も宵闇に眩しく映えている。
そして、胸には年齢相応に育った双丘がツンと張って自己主張し、その頂ではピンク色の突起が備えられている。
自分が置かれた状況を理解するアリス。
ノロノロと顔を上げる。
その顔は、情けないくらい真っ赤に染められ、目にはいっぱい涙が浮かべられている。
次の瞬間、
「キャァァァァァァァァァァァァ!!」
悲鳴と共に、胸を隠すアリス。
殆どとっさに手近な石を掴むと、渾身の力で投げつけた。
投げられた石はまっすぐに飛翔し、そして、
ガインッ
「あがッ!?」
見事に、アスランの額にクリティカルヒットした。
~それから暫く~
「すいませんでしたー!!」
アリスは、アスランに向かって土下座していた。取りあえず、服は着ている。
そのアスランは額に包帯を巻き、仏頂面で腕組みして岩に腰かけていた。
何やら、口の端をヒクヒクと震わせている。額に青筋が立っているように見えるのは、是非とも見間違いであってほしかった。
「いーや、別にかまわんぞ。俺も迂闊だったからな。もっとも、気分的には3日くらい営巣に入っていてほしいんだが」
「ごめんなさァい・・・・・・」
今にも泣きそうな声のアリス。
そのアリスの背後で、ステラがキョトンとした顔で成り行きを見ている。
「ま、まあまあ・・・・・・」
そんな様子を、ルナマリアが苦笑気味に取り成す。流石に、裸を見られた上に説教を食らって、最悪、営巣入りにでもなったら、親友として可哀そうだった。
それを見て、アスランもため息交じりに振り返った。
「それで・・・・・・」
その視線の先には、不安げな瞳でこちらを見ているステラの姿があった。
「彼女は?」
「・・・・・・それが」
アリスは顔を上げて経緯を説明した。
海に落ちた彼女を助けた事。尋ねても名前以外の事は判らない事、等。
その説明を聞き、アスランも難しい顔を作った。
「それでは、どうにもならないな」
「ですよねー」
思案する2人。ともかく、手掛かりが名前だけでは、どうしようもなかった。
ステラの家族なり知人なりが、今頃、必死になって探しているだろうが。
「じゃあ、取りあえず艦に戻って、それで町の役所に照会してもらったらどうです?」
ルナマリアが提案する。
どうやら、それ以外に道はなさそうだ。
そう思った時だった。
「おおーい、ステラァ!!」
「どこだ、お馬鹿ァ!!」
「返事して、ステラ!!」
崖の上の方から、呼ぶ声が聞こえてくる。
どうやら、いなくなったステラを探して知り合いが迎えに来たらしい。
アリスとアスランは、頷き合う。
「こっちからは廻り込めない。いったん、艦に戻ってから出直そう」
「はい」
頷くとアリスは、ステラの手を引いて救命艇へ乗り込んだ。
ラキヤ、スティング、アウルの3人は、必死になってステラの姿を探していた。
ダーダネルス海峡海戦の後、ネオはエクステンデット3人に特別休暇を与えていた。
これは本来珍しい事である。エクステンデットに休暇を与えるなど、今までには無かった。しかし、先の戦いで地球軍は大損害を被り、カオス、アビス、ガイアの3機も損傷を負ってしまった。
地球軍が体勢を立て直すまでの間、彼らにはする事は無い。という事で、ネオは3人に休暇を与えたのだ。
その際、ラキヤはお目付け役として同行していた。彼等だけで行動させて、万が一の事があってはいけないと思っての措置だったが、同時にラキヤはもう一つ任務を負っていた。
ミネルバが補修の為にポートタルキウスへ入港したという情報を掴んだネオは、ディオキアの時と同様、ラキヤを情報収集にあたらせていたのだ。
その際、ステラは海が見たいと言うので海岸に残してきたのだが、戻ってきてみれば朝いた場所にいなかったため、3人で慌てて探していたわけである。
「まさか、海に落ちたんじゃ・・・・・・」
「馬鹿ッ 縁起でもない事言うなよ!!」
不安を口にするアウルを、スティングが強い口調でたしなめる。
こんなところでステラを失ったとあっては、悔むに悔めなかった。
「とにかく、もう一回、手分けして探そう。スティングは町の方を、アウルは海岸線を探してみて!!」
ラキヤがそう言った時、1台のジープが横を通り過ぎて行った。
思わず、ラキヤは目を剥いた。
走り抜けようとしたジープの後部座席に、よく見なれた金髪少女の姿があったのだ。
「ステラ!!」
とっさに大声で叫ぶラキヤ。
その声に反応したのだろう。ジープは暫く行ったところで停車し、中からステラと数人の男女が下りてきた。
「ラキヤッ スティングッ アウルッ」
毛布にくるまったステラが、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「って、あれ、ザフトの車じゃん!!」
アウルが緊張した声を上げる。
だが、ラキヤが見たところ、ステラが拷問や尋問を受けた様子は無い。もしかしたら、何か不都合が起きて保護されたのではないだろうか?
ステラの方も、どうやら自分が敵の世話になっているという認識はないようだ。あの子は3人の中で一番精神的にも幼いので、無理のない話である。
だが、その背後から近づいてくる人物。その人物が着ている軍服を見て、思わず警戒した。
「おいおい、赤服だぜ」
「シッ 黙っていればばれないと思う。ここはやり過ごそう」
やがて裸足で走ってきたステラは、ラキヤに飛びついた。
「ラキヤ!!」
「おっと」
ステラからは、強い潮の匂いがした。もしかしたら、海に落ちたのかもしれなかった。
そこへ、赤服を着た男が歩いてきた。なぜか頭には包帯を巻いている。もしかしたら彼も、先日の戦いで負傷したのかもしれなかった。
「実はその子、海に落ちたらしく、たまたまオフで居合わせた、うちの兵士が救出しました」
「そうですか、それはわざわざありがとうございます」
そう言って笑顔を浮かべ、頭を下げるラキヤ。
その目が、もう1人の赤服に向けられた時、
気付いた。
その少女が、驚愕に満ちた目で自分を見ている事に。
「ルナマリア、どうした?」
怪訝な面持でアスランが声を掛けるも、ルナマリアはそれに答えず、震えた目をラキヤに向けている。
「ルナマリアって・・・・・・」
ラキヤもまた、驚いた様子でルナマリアを見る。
そこでルナマリアは、信じられない物を見たような口調で口を開いた。
「そんな・・・・・・まさか・・・・・・」
ラキヤもまた、驚いて口を開けないでいる。
「まさか・・・・・・お兄ちゃん、なの?」
「る・・・ルナ?」
驚愕の顔で、互いを見つめ合うラキヤとルナマリア。
そして、
「・・・・・・・・・・・・先輩?」
聞こえる、もう一人の少女の声。
目を向けるラキヤ。
そこに立つ、少女もまた、目を見開いてラキヤを見ている。
「・・・・・・生きてたんですか・・・・・・先輩?」
その声にラキヤは、かすれるように声を発した。
「・・・・・・・・・・・・アリス」
ゆっくりと、サングラスを外すラキヤ。
そこには、深い青色をした双眸が、優しげに輝いていた。
PHASE-22「クロス・ロード」 終わり