Chaos;an onion HEAD   作:変わり身

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助けてそして助けられ 編

――剣の暴走。ふと、そんな言葉が浮かんだ。

 

 

「やだああああぁぁあああああぁああ!! やだぁぁぁぁあああぁぁあぁぁぁぁぁ!!」

 

黒い炎に巻かれ、アンナは更に大きな悲鳴を上げる。

 

否。声量に声帯が耐え切れないのか、掠れしゃがれたそれはもう悲鳴の枠に収まっては居なかった。

あの黒い男達が発したノイズのような、聞き苦しい事この上ない騒音だ。

 

身体を焼かれ苦しんでいるのかと思ったが、彼女の衣服には焦げ目すら付いていない。こちらにも熱風は届いておらず、熱を持たない「異常」な炎である事が伺える。

 

彼女は激しく身体を動かしながら黒い炎を振り払おうと試みているものの、しかし未だ双剣を持っている以上それが離れる訳が無い。

どうやら剣を投げ捨てるという発想が出来ない程に錯乱しきっているようだ。

 

(くそ、近づこうにも!)

 

振り回される刃は鋭く、加えて炎に阻まれ近づく事は出来そうになかった。かと言って呼びかけようにも、私の声はアンナの絶叫にかき消され届かない。

 

出来る事は何一つとして思い浮かばず、戸惑う内にも黒い炎は勢いを増しアンナの身体を包み込んでいく。

そこにはさっきまでの弱々しさは無く、音を立てて燃え盛る。

 

「……見てるしか、無いのか……?」

 

……いや、冷静に考えれば本当は見ている意味さえ無いのかもしれない。

 

アンナが助けたかった私は既に救われ、黒い男達は一人残さず全滅した。

あれが何者だったのかは分からないが、あそこまで徹底的に焼き尽くされればもう現れる事は無いだろう。楽観的な憶測であるが、鮮烈な殲滅風景がそんな確信を与えてくれている。

 

――つまり、私一人が助かるだけなら余計な首を突っ込む必要なんて無い。心の中で、悪魔にも似た何者かが囁いた。

 

(そうだ、何もやれないなら逃げたって、別に……)

 

確かにアンナがここに来た事に関しては、このような状況に陥った私に原因があるのかもしれないさ。

しかし私には今何が起こっているのか全く把握出来ていないんだぞ。何が正しいのか、間違っているのかも分からない。どうしろってんだ、マジで。

 

大体、このままこの場に留まって危険が及ばないとも限らないんだ。だったらアンナには悪いがさっさと逃げた方が身の為であり、彼女の成し遂げたかった事にも沿う筈だろう。

 

……いや、もしかしたらこれも何か意味があるのかもしれないぞ?

例えば……そうだ、あの黒い炎に包まれたらテレポートみたいな感じで家に帰れるとかどうよ。非常識この上ないが、もう何でもあり得るんじゃねーの? 分からんけど。

 

「……っぐ、く」

 

力を込め、壁に縋り付くようにして立ち上がる。

多少時間が経った所為か抜けた腰も半分くらいはハマり直し、震えは止まらないながらも何とか歩ける程度には回復していた。後は家に向かって歩くだけ。

 

帰り道は分からないが――まぁ、夜明けまでには見つかると思いたい。

 

とにかく、もう私を脅かす奴は居ないんだ。これにて私が体験した「異常」は終わりとしようじゃないか。

こんな「異常」だらけの状況なんて放り捨てて、大人しく部屋に帰って寝てしまえ。一晩の悪い夢として忘れちまえ――――それが利口な選択であり、力のない一般人が持つべき「普通」の思考。その筈だ。

 

……その筈、だよな?

 

「ぁぁぁぁ……ぁぁ、う、ぇ、ああぁぁあぁっ、あ、ぁ……!」

 

「…………」

 

アンナの苦しむ声が、聞こえる。

 

彼女の身体は激しく燃える黒に完全に包まれ、刃の振り方も大分緩慢になっていた。

その姿は見えないものの、僅かに声が聞こえてくる。しかしそれは今にも途切れてしまいそうな程に小さく、儚いものだ。聞き様によっては泣いているようにも感じられる事だろう。

 

「…………」

 

……違う、嘘をついた。聞きようなんて選ぶべくも無く、それは確実に泣き声だった。

 

怖くて不安で、半ば狂いかけながら必死に藻掻き、誰か助けてと泣いている子供の――――。

 

「――…………ッ」

 

――そうだよ。泣いているんだよ。アンナは。

 

ぎり、と。唇を強く噛む。先程噛み切った傷が開き小さくない痛みを発するが、それがどうしたと切り捨てた。

 

(……泣いている子供を見捨てて逃げるのが、『普通』か?)

 

いいや、違うね。

思い出すのはアンナと初めて会った時。私は「普通」だからこそ泣いていたアンナに手を差し出したんだ。

 

(助けて貰った恩を忘れて逃げ出すのが『普通』か?)

 

いーや、それも違うよな。

魔法陣に、そして今。これだけの事をされながら知らんぷりで自分だけ助かろうとするなんざ、とてもじゃないが「普通」とは呼べんだろう。常識的、人道的に考えて。

 

……さて、これらを踏まえて「普通」である私は何をするべきか。

 

「――決まってんだろ。手を差し伸べて、泣き止ませてやるんだよ……!」

 

呆れる程に簡単な自問。鼻で笑って自答すれば、カチリと何かが定まる音がした。

それは覚悟、若しくは決意と呼ぶべきものだろう。少なくとも私の中の戸惑いは消え去り、やるべき事が見えた。気がする。

 

「異常」への恐怖、困惑、嫌悪。それら全ての負の感情を腹の底に封じ込め、力を込めて鍵をかけ。私はアンナの下へと一歩踏み出し、壁伝いにゆっくりと近づいた。

 

「ぁぁああ、ぁぁぁぁっぁぁぁあぁぁ……」

 

既にアンナはすぐ近く。振られる剣の風圧と、それに乗る炎の嫌悪感が鼻先に飛ぶ。

……刃と炎、後者は熱を感じないとはいえ正直どっちも当たりたくは無い。しかし黒い男達にされそうになった事を考えれば、痛い方が幾らかマシだ。

 

私は挫けそうになる心を奮い立たせ、刃の動きを見極めて――――思い切り、壁を押し出し彼女の方角へと倒れ込んだ。

 

「――っ!!」

 

途端、私の身体を黒い炎が包み、衣服と肌を炙る。

この際火傷の一つくらいは覚悟はしていたが、幸いながら身体が焼け爛れるような事は無かった。やはりさっきも感じた通り、熱を持たない「異常」な炎であるようだ。

 

……が。

 

「、っぐ、おぇ」

 

その代わり度を越した嫌悪感が体中を駆け抜け、際限なく嘔吐感が駆け上る。鳩尾の辺りがヒクつき、気を抜いたらカロリーメイトを吐き出しそう。

 

肌では無く意思を焼く、全く持って趣味の悪いこった。アンナはこんなものに巻かれていたのかと腹が立ち、視界が遮られる中を必死になって手を這わせ。赤いローブの端が視界を擽り、咄嗟に掴む。

 

「ぐ……あ、アンナッ!」

 

「――ッ!! ぁぁぁぁぁっぁああああああああああああああ!!」

 

そうして双剣に当たらないよう細心の注意を払い抱きしめれば、アンナは肩を震わせ思いっきり泣き叫ぶ。

おそらく私の事も分からなくなっているんだろう。機敏な動きを取り戻し、必死に私を払い除けようと再び剣を振り回し始めた。

 

「ぐお、まっ、ちょぉい!!」もう私も必死だ。刃が髪の先を削ぎ、耳のすぐ横を掠める度に心臓が縮む。誰か助けて! マジで死ぬ!!

 

――だが、決して離すものか。少ない体力を根こそぎ使い腕を押さえつけ、彼女の耳元で呼びかけ続ける。

 

「アンナ! お、落ち着け! 黒はもう居ない――いや、周りは夜だけど! とにかく落ち着け!」

 

「やだぁあぁぁ!! 離して、離してぇ! やだ、やだやだやだやだやだやだぁぁああああ!!」

 

「大丈夫だから! ほ、ほら、私の髪を見ろ! 黒くないから安心し――――ぉわッ!?」

 

ブン、と子供らしからぬ力強さで私は弾き飛ばされ、背中を強く打ち付けた。一瞬息が止まり、目の中に星が散る。

くそ、女の子なんだからもっと非力であってくれよ……! そう毒づきながら、もう一度飛びつこうとすぐに身を起こし、て。

 

(あ、やば)

 

――――目前まで迫った刃の光が瞳を舐め上げ、私は己の迂闊さを呪った。

 

少しの間身を伏せ、様子を見てからにすりゃ良かった――そう思えども後の祭り。咄嗟にかわせる程の反射神経など私にある訳も無く、只々見ている事しか許されない。

 

……ゆっくりと。流れる時が遅くなり、体感時間が引き伸ばされた。

末期の時間と言う奴だろうか。迫り来る刃が嫌にハッキリと認識させられ、音を立てて血の気が引いていく。

 

もし刃と顔の間に腕を差し込めれば、骨で止まってくれるだろうか。そんな淡い期待を込めて腕を動かそうとするが、鉛のように重く動かせない。意識に身体がついて行かないのだ。

 

このままでは防御姿勢を取る暇も無く私の両目に一文字の傷が刻まれる事だろう。いや、あの男達を切り飛ばす鋭さを見る限り、それ以上の事も。

 

(なんで、なんで――)

 

焦りに煽られ思考が散る。無駄にクロック数の上がった脳が助かる道を模索するが、何も出ない。出る訳が無い。

 

まぁ、確かにある意味では現実的な話だ。善意の行動が裏目に出るなんて良くある事だし、ネットを漁れば救いようもない胸糞話は幾らだって転がってる。

「普通」な私にはぴったりな結末といえるだろう。……だけど、だけどもだ。

 

 

――――私は「普通」だ。だからこそアンナを助け、泣き止ませなきゃいけない。なのに、それを成す事も出来ず死ぬだって? 

 

 

おかしいだろう、そんなの。私は「普通」なのに、そうで在る為の行動が取れない等あってたまるか。だとしたら、私は「普通」じゃなくなってしまう。

つまり「異常」だってのか、私は。

 

……違う、そんな事があるものか。「普通」だからこそ今私は殺されようとしているんだ、「異常」である筈が無い――いや、だったらアンナを泣き止ませる事が出来る筈で。

 

(わたし 私は、何で――――)

 

分からない、纏まらない。思考が乖離し、矛盾する。

既に刃は睫毛の先に触れている、もう私の余命は幾ばくかも無いだろう。

 

ああ、嫌だ。死にたくない。アンナを、アンナを助けなきゃ、私は。

心臓の音が嫌に煩い。恐怖、混乱、焦燥。幾つもの荒ぶる波が私を揺さぶり、視界すらもが覚束なくなる。

 

――――刃に映り込む炎の黒が、ぐにゃりと歪んだ。

 

(……私は、『普通』で。だけど今、立場は……!)

 

そうして黒のあった場所に、何かを見た。

 

流線型であると同時に機械的。これまでも度々私の視界を擽って来た、鼠のような幻覚だ。

総勢7匹。無意識下の領域、私の気づかない/気づこうともしない場所に顕現した彼らは皆一様に熱り立ち、何やら慌てた様子でこちらに向かって手を振っていた。

 

……手招いて、いる?

 

(……そうだ、今の全部が『異常』に統一されているのなら。私の言う『普通』とは、つまり)

 

思考が、価値観が裏返り。私が忌避していたものと溶け合っていく。

それはとても不愉快で、気分の悪い現象だった。しかし、私が「普通」で在る為には――アンナの手を取る為に必要な事なのだと、本能に近い部分で理解していた。

 

(……は、は、は)

 

刃が眼球に触れ、粘膜が熱で溶かされ行く中。私は虚ろな意識で嗤い、刃の中の鼠達へと手を伸ばす。

無論、実際に出来る訳が無い。単なる比喩表現であり、そうするのは妄想の中の私自身。言い換えるならば一種の自己肯定、認識作業のようなものだ。

 

それに気付けば「異常」となり、しかし無視したままでは「普通」で居る事を許されない。何と嫌な矛盾だろうか。熱せられた瞳孔が収縮し、泡立つ脳に彼らの虚像を描き出す。

……本当は、ずっと前から知っていた。「普通」を口癖にしたあの日から……一度心が罅割れた時からずっと。彼らが「異常」であったが故に、認識する事を拒み続けていただけ。

 

――でも、今となっては抜かねばならない。掴まなければならない。「普通」の為に振るうべき「異常」を。心に仕舞いこんでいた矛盾の塊を――彼らを。

 

(……わ、私は。私は……)

 

しっかりと、誤魔化しの一つ無く鼠達を見定めろ。

認めるのだ。死にたくなければ宣言し、彼らの事を肯定しろ。アンナの手を取り、「普通」を成したいのならば――早く、速く、疾く!

 

(ああ、ああ。私は……そうだよ、ずっと前から私は――――)

 

 

 

――――「異常」を、その手に携えていたんだ。

 

 

 

……パキン、と。

それを認めた瞬間、私にとって大切な何かが圧し折れて。同時に、時の流れが正された。

 

 

 

 

――甲高い、極めて異質な音が耳元で弾け。私の鼓膜を破壊する。

 

 

「――ッ!?」

 

驚き、僅かに肩が竦んだ。

 

まるで高周波がぶつかり合ったかのような、若しくは共鳴しているかのような。極めて聞き取り辛く、しかし聞くに堪えない嫌な音。

それは一種の圧力を持って私とアンナの身体を強く撃ち、色の無い衝撃がその芯を突き抜ける。吹き飛ばされないのが不思議なくらいの代物だ。

 

その音は……そうだ、私の目前に止まる刃から放たれているようで――――

 

「……! っそ……!!」

 

全身が総毛立つ。今まさに眼球が両断されようとしていた事を思い出し、咄嗟に身体を背後に引く。剣の追撃は無く、身体も動いた。

刃の発する熱が目に伝わったのか、妙な違和感を感じる。

 

失明しかけたか? いや、強い痛みが無いのなら今はそんな事どうだっていい。それよりも……!

 

私は視力の低下を考慮に入れず目を擦り、朧気ながらもその視界を取り戻し――――そして、それを捉えた。

 

 

『うおおおー! ちう様がようやく我等を認め自覚して下さったー!』

 

      『我等妄想精霊郡千人長七部衆、今こそお役立ちの時なりぃー!』

 

         『我等の地味なロビー活動がようやく実を結んだのだぁ!』

 

『でもいきなり結構なピンチであるが!?』

 

    『我等ってば色々と軽いのが売りですのんが!?』

 

       『STR極振りの刃物食い止めるとかマジつらたんなのであるが!?』

 

     『ひぃぃぃちう様早く逃げちくり~~!!』

 

 

「……何だ、こりゃ」

 

――何、と言われても鼠であるとしか言えない。

 

流線型で、機械的。丁度拳程度の大きさだ。羽も無いのに飛行し、人語を解する彼らは余りに「異常」であったが、大体の造形はそう表現できるものだった。

 

おそらく私を助けようとしてくれているのだろう。鼠達は皆紅く発光する尻尾を黒い刃に擦り合わせ、例の甲高い音と小さい火花を散らしながら必死に逃げろと叫び続けている。

錯乱状態のアンナはそれに気づいていないようで、騒音に苦しみながらも剣を押し込み続けていた。危険はまだ、そこにある。

 

(えっと、何だ。何が、なに……?)

 

だが、私の頭は疑問ばかりが次々と湧き出て、うまく思考する事が出来ない。ええとつまり、何がどうなってんだこりゃ。

理解不能にして意味不明。私は混乱した頭のまま、無意識の内にそこから逃げるように後退り――――

 

「ぅ……ぁぁああああッ……!!」

 

「――うオぉっ!?」

 

ブン、と。音に耐え切れなくなったアンナが強引に身を捻り、鍔迫り合いを振り切った。

目の前を刃が掠り、弾き飛ばされた鼠達が私の身体にぶち当たり。堪らずもんどり打って倒れて込む。今日一日でもう何度身体を強打しただろう、一個二個の痣で済んだら御の字だ。

 

『やっぱ力押しはダメですたーー!!』『ぎゃー、ちう様に当たったー!!』『ごめんなさーーい!』『でもちょっと幸せー!!』

 

「っぐ、うるせ、どけっ!」

 

私の身体の上で騒ぐ正体不明の鼠を押しのけ、ほんの少しだけ身体を起こす。そうだあいつは、アンナはどうしてる。

 

「……ぉ、え……ぁ、……」

 

――そうしてぼやけた視界の先に、未だ苦しむ彼女の姿を見た。

 

黒に塗れて泣き叫び、吐瀉物を零し、恐怖に悶え。同じ女としては見ていられない程に、汚い惨状。

 

……ああ、さっきの衝撃で少しは頭がハッキリした。どんな「異常」が現れようと、私は何も成していない。事態はこれっぽっちも変わっていない。

「……っ」私は奥歯を噛みしめるとアンナから目を逸らし。鼠の形を取った「異常」達へと目を向けた。この場を何とか出来る可能性があるのなら、刃と拮抗できていたこいつらしか居ない。

 

疑問だ何だ、そんな事に思考を割くくらいなら、「普通」を成す事だけを考えろ……!

 

「……ね、鼠。お前らは、何が――」

 

『――あいや、皆まで言わずとも伝わっておりますとも』『我等はちう様の一部であり』『自衛する為の剣』『ちう様の望む事ならば』『何だって叶えてみせまするー!』

 

お前らは何だ、何が出来る。そんな端的な問いかけを遮り、彼らは自信満々に手を挙げる。

 

そんなアバウトな返しをされても何一つ伝わらねぇよ――……普段の私ならばそんなツッコミの一つも入れているのだろうが、この時の私は奇妙な確信を感じていた。

多分、色々起こりすぎて麻痺していたのだろう。鼠達の言葉全てを疑わず、額面通りに受け取って。アンナを助けられると、「普通」であれると。そう思ったのだ。

 

「…………」

 

私は鼠達に頷きを一つ返すと、徐ろに立ち上がった。

途中の動作なんて最早必要無い、私がそうであると願い/妄想したのであれば、それは須らく事実となり得る。震える二本足で地面を踏みしめ、アンナを見据えるのだ。

 

 

『逆に、我等自身の事も伝わっている筈です』『自己愛と、讃美』『それらは矛盾しないのです』『つまりはこれは自問自答』『我等の答えを、ちう様は全て知っている』

 

――妄想する。

 

鼠達が離す言葉の意味は、全く理解できていない。しかし心とも言うべき場所にストンと落ち、驚く程簡単にその全容を把握した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

……ゆっくりと右手を掲げ、彼らの内の一匹を掴む。

鼠は私の指の感触に擽ったそうな様子を浮かべていたが――すぐにその身体を変化させ、鼠の形を捨て棒状の物となる。ガラスとも陶器とも付かない質感のそれは驚く程に手に馴染み、自然と強く握り込んだ。

 

「――――」

 

――妄想する。

 

言葉は無く、仕草もない。

しかし鼠達は私の意を正確に汲み取り、一斉に右手の先へと集っていく。そうしてそれぞれが個別の形状に変化し、組み合わさり。一振りの剣を形作るのだ。

 

……剣。そう、剣だ。アンナの持つそれと同じ、美しくも醜悪な「異常」の権化。

「普通」の私には致命的な程に似合わない、唾棄すべきそれを――――抜き、放つ。

 

「…………ッ!!」

 

不可視のガラスが音を立てて割れる。0と1の燐光が飛び散り、一種幻想的な光景を作り出し。私の掌にその存在を主張する。

 

 

――それは、剣と呼ぶには有機的に過ぎ。過度な虚飾に塗れると同時、絶対なる普遍さを湛えていた。

 

虚数の波を刃紋に刻み。魂すらをも偽るかのような、無垢な陶酔と。慈愛を感じさせるかのような然光を持ち合わせていた。

 

 

「…………」

 

その異様な雰囲気に私は思わず目を見張り――そして、すぐに眉を寄せる。

 

確かに纏う空気は異様なもので、目を奪われる程のものだ。しかし陳腐な飾り付けが全体に渡り施されており、どこか魔法少女のステッキを思い起こさせる。「ちう」の格好とも合わせて、まるでコスプレ小道具だ。

雰囲気と存在の矛盾。浮かされかけた思考に水を差され、イマイチ雰囲気に乗りきれない。

 

(……って、そんなのは良いんだよ)

 

頭を振って、意識を正す。

 

ともかくとして、私はこれで何をする。アンナを切るか? それとも彼女が持つ剣を? その気になれば成せるような気はするが、さっきの様子から言って下手に手を出せばやられるのはこっちだろう。

 

鼠は何も言わないまま、剣の姿でじっと沈黙しているだけ。何が正しいのか、何をするべきなのか、答えは誰も教えてくれない。

 

――だから、私は私の知る唯一の方法を取る事にする。

 

(言葉は届かない、多分喧嘩しても負ける。なら、手っ取り早い方法は)

 

――――妄想、するんだ……!

 

私はしっかりと地面を踏みしめ、構えた剣を下げつつ限界まで身を捻る。

破れた服から乳房が露出し揺れるが、どうせ見ている奴なんて誰も居ないんだ。好き勝手を思い切りやらせて貰う。

 

(さっき鼠達は、私の望む事を何だって叶えてくれると言っていた)

 

ならば、何だって出来る筈だ。どんな馬鹿げた事でも、きっと。頭の中の私が嗤うが、すっこんでろと蹴っ飛ばす。

今更「普通」ぶるんじゃねぇぞ。「異常」なら「異常」らしく、どんな荒唐無稽でも受け入れてみせろ――!

 

「う、ぉぉぉっおおおおおおあああああああああッ!!」

 

胸に燻る様々な火種を絶叫という形で開放し。下から上に、力の限り剣を振り上げ――そのまま空へとぶん投げた。

 

剣の用途としては明らかに間違っているんだろうが、私が知るかよそんな事。そうして投げ捨てられた剣は、非力な女子中学生の成した事とは思えない程に空高くへと飛んで行く。

物理法則も何もあったもんじゃない。世の理を無視した軌道で回転し、月の光を反射して。雲を裂き、高く高くへ舞い上がり。

 

「――いけッ!!」

 

――そして、弾けた。

 

私の声を合図として剣その物が分解し、無数の青い光となって花火のように宙に散る。

 

それは幾百幾千もの鼠達だ。剣になれたのならその逆も出来ない訳も無し、彼らは私の命に従い上空より周囲一帯に拡散。近隣の建物に、信号機に、自転車に。それこそ雨のように降り注ぐ。

 

見てくれだけなら美しいと表現できなくもないが、常識的に考えれば非常に不穏な光景だ。あのように高い場所から鼠が落ちて、惨い有様を晒さない筈が無いのだから。

しかし彼らはコンクリートや建物に叩きつけられる事は無く、溶け込むかのようにしてその中へと消えていく……。

 

「……ウンザリなんだよ、こんな『異常』。私だって泣きてーよ……!」

 

6つ、5つ、4つ、3、2、1――そして0。全ての青が地上へと落ち、後には静寂が残る。

後は合図を送るだけ。私は蹲るアンナに視線を戻し「だから」と一拍、大きく大きく手を広げ。様々な感情が迸るまま、思い切り柏手を打ち鳴らす――!

 

 

「――いい加減もう帰るぞ、アンナッ!!」

 

 

――――ズドン!

私の小さな掌が発する音を掻き消して、周囲に凄まじい炸裂音が響き渡った。

 

「ぁ――ぅ、きゃっ!?」

 

雷の様に、或いは爆発のように。とてつもない轟音が響き、腹の底を激しく揺らす。

流石にアンナの耳にも届いたらしく、随分と可愛らしい悲鳴が上がった。焦点がずれ瞳孔の開いていた瞳が締り、盛る黒炎が幾分かは散らされる。どうやら少しは我を取り戻したらしい。

 

「……ぇ、ぅ。なに、が……?」

 

そうしてふらふらと周囲に目をやり、再び暗闇を見て錯乱する――――何て事は、許さない。こちとら一体何の為に「異常」を自覚したと思ってやがる。

 

「――あ……」

 

 

――アンナの目に光が映る。それは道端に放置されていた自転車のライトだ。

 

 

――アンナの顔を光が照らす。それは電力が切れ置物と化していた外灯のもの。

 

 

――アンナの身体を光が包む。それは立ち並ぶ建物から漏れる電球の光。

 

 

その他にもテレビやPCの画面、電子レンジ、ゲーム機に暖房器具にペンライト。周囲に存在する光るもの全てが限界を無視して稼働し、溢れんばかりに発光する。

 

光、光、光、光光光――光。無数の灯りが彼女の全てを包み込み、纏わり付いた黒を祓っていくのだ。

 

……はぁ停電中。ほぅ動力が何だって? 

全ッ然聞こえないし知らないね、それはアンナを泣きやませるという「普通」に必要な理屈じゃないんだ。出来たんだから良いんだよこれで。

 

まぁあちらこちらから生徒達の騒ぐ悲鳴のような声が聞こえてくるが……幼気な少女の心を救う為、ちょっとばかし我慢してもらおう。私を助けてくれなかった報いとも言う。

 

「……あ、明るい……よ……!」

 

そうして光を認識したアンナの目から、一筋の涙が溢れる。

既に顔は色んな液体でグチャグチャになっていたから分かり辛かったが、光の反射でそれに気付いた。

 

周囲が明るくなった事で、完全とまでは言わずともある程度精神が安定したのだろう。彼女は呆然としたように光を見つめ、僅かに笑みを浮かべ。ふっと全身の力が抜けたように弛緩し、握りしめていた剣を取り落とす。

それはまるでミルクに溶いたチョコレートの一欠片のように空に溶け、光に紛れ消滅した。……穏やかな、表情だ。

 

「…………ハ」

 

私は溜息と笑みが混ざったような吐息を一つ。ともすれば崩れそうになる足を強引に押し出し、前に進む。

振り回される刃も行く手を阻む黒炎も無く、驚く程に何事も無くアンナの傍へと近づけた。あんなに苦労してたのが嘘みたい。泣けるわ。

 

「…………」

 

……路地の入口で惚けたままの彼女は、私が直ぐ隣に立っているのに気づかないようだ。

一心不乱に光を見つめ、ポロポロと涙を流し続けており――――

 

「おら」

 

「っ、きゃ」

 

コツン、と軽く拳骨を落とし、注意を引く。

 

アンナに助けられたとは言え、その後の事を鑑みればこれくらいやってもバチは当たらんだろう。

ともあれ、彼女はびっくりした様子で頭を抑えこちらを向くが……改めて見ると本当にひどい顔だ。土砂降りというか洪水というか、可愛らしい顔が台無し。

 

ハンカチ持ってなかったっけ。ポケットを探りかけ――だから今の私は「ちう」の格好してるんだって何度思い出せばさぁ。

……まぁどうせこの服私のじゃないし、破かれてズタズタだし、こっちでも良いか。私はあっさりとそう思い直し、ぶっきらぼうに手を差し出した。

 

「ぇ……チ、サメ?」

 

「ん」

 

「…………」

 

いきなり無言で差し出された手にアンナは戸惑った様子だったが、やがておずおずとその手を取り――――「わぷっ」思い切り彼女を引き寄せ、抱きしめる。

ちょうど腹の部分。布の破れていない場所に顔を押し付け、ゴシゴシと乱雑に体液を拭ってやった。ああ、ヘソに湿った感触が。

 

「むぐ、ちょっ……! なにすっ……、ぅ…………」

 

最初こそ藻掻き拘束から逃れようとしていたようだが、途中から大人しくなりされるがまま。むしろゆっくりと私の背に手を回し、強く抱き締め返してきた。

……私も私で彼女の背中をポンポンと叩き、その呼吸を整えてやる。

 

「……助けてくれて、ありがとうな」

 

「…………う、ん。……ご……ごめん、なさい……」

 

「何で謝んだよ。つーか泣くなって」

 

「……うん、うん……!」

 

せっかく色々捨てて頑張ったのに結局これかい。半ばウンザリしながらも、しかし悪い気分がしないのが困りモノだ。

……まぁいいや、しばらく好きにさせとこう。つーかそれよりも、今は。

 

(こっから、どうやって帰ろうかなぁ)

 

ここがどこだかも分からず、服は「ちう」だしヤバイ感じに事後状態。しかもこんな騒ぎを起こしてしまったとなれば、次第に外に人が出てくるだろう。

誰にも見られず帰り道を見つけて帰るなんて無理ゲーも良いところで、それに付随し起こるだろう騒ぎを考えるだけで憂鬱な事この上ない。

 

……だけども、まぁ、うん。

 

「ぅ、っく……ち、チサ、メぇ……!」

 

「ああはいはい、思う存分くっついとけ」

 

とりあえず今は良いか。そんな事。私は待ち受ける面倒事に関する思考を放棄し、アンナを宥める事に神経を注ぐと決めた。

だってそうだろう? 泣いている子供を泣き止ませる――私の目指した結果なのだから。

 

「……はぁ」

 

……疲労感に溜息が漏れる。

目を焼く程に強い光に包まれ、腕に少しばかりの力を込めて。私は万感の思いを持って、何時もの言葉を呟いた。

 

 

――やっと、「普通」だ。

 







白薔薇男爵「!! 私の愛する者達に危険が迫っていた気がする!!」
タカミチ(帰ってラーメン作ろう)

色々と思う所はあるかもしれませんが、本編はこれでおしまい。後はエピローグだけ。
バレバレとは思いますが、千雨のディソードは原作のアーティファクトをなぞってます。まぁカオへ原則の花モチーフじゃなくなったけど、まぁ二次創作ということで。

ついでに活動報告でも書きましたが、投稿した挿絵は俺の作者ページの左側にある画像一覧から纏めて見られますので、本文からのリンク発掘が面倒な方はそちらからどうぞー。

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