――カツカツ、と。靴底が擦れる音がする。
「…………」
平日の昼。午後3時を過ぎる少し前。
普段ならば社会人で溢れかえる筈のこの時間帯は、麻帆良という学生達の地において過疎の時間域である。
居るのは精々早退した学生や教師達程度のもので、街は静まり活気は無い。多くの学校が放課後を迎えるまでの限定された静の空間――そんな場所を、彼は歩いていた。
年齢はおそらく10に届くかどうかと言った所だろう。ベージュ色のローブを纏い、目深にまでフードを下ろしたとても小柄な少年だ。
大人よりも大分小さな歩幅を使い、ゆっくりと、ゆっくりと。気怠げに進んでいく。その足取りに覇気という物はあらず、ただ只管に憂鬱な雰囲気だけが漂っていた。
「…………」
信号を無視し、横断歩道を無視し、無断で店の敷地を通り抜け。現代社会における規則を全て無視。しかしそれを咎める者は何も無い。
そうして時間をかけて歩いた先、交差点の角を曲がった先にその店はあった。
そこは取り立てて目立つ所の無い、清潔な雰囲気のインターネットカフェだ。
麻帆良に在籍する学生達の中には個人用のPCを所持していない生徒達も多く、そう言った者達の為に学校側から用意された共同施設である。
放課後以降は賑わう場所であるが、今現在においては利用者は皆無。受付に立つ店員が暇そうに欠伸をしながら、何らかの作業を行っているだけだった。
「…………」
「……あ、いらっしゃいませー」
自動ドアをくぐり、店員から歓迎の言葉が飛ぶ。
しかしその中に疑念の影は何一つとして見受けられず、「平日の昼間に私服の少年が訪れた」という違和感は極自然に受け入れられている。
明らかに異常な事態ではあるものの、やはりそれを指摘する存在は居ない。平然と受付を済ませ、案内された個室に入り――ここに来て、ようやく少年はフードを取った。
赤の目立つ茶髪、同じく赤い色素の混じった虹彩。顔の作りも明らかに日本人の物では無い。
例え海外贔屓を差し引いたとしても、整っていると言って良い容姿だったが――その昏い目付きと、下瞼に引かれた濃い隈が全てを台無しにしていた。
卑屈にして陰鬱。世界自体を斜に捉えているようなその視線。
容姿の良さ、そして子供であるため幾分か和らいでいるものの、大多数の人間は彼を見て多少なりともこう思う事だろう。
――――気持ち悪い、と。
「……あぁ、やっぱり。個室は良い……」
弱々しく、糸のように細い声が室内を反響した。
少年は安堵したかのように大きく深呼吸。ふらふらとPCの設置された机に向かい、ソファへと腰掛け背を預け。疲れた様子で弛緩する。
よくよく見れば足が痙攣を起こしており、道中でそれなりに疲労していたようだ。
「……だ、大体、遠いんだよ。ここ。クソ、あの低スペPCさえ取り替えられれば来なくても良いのに……」
何やらブツブツと独り言を垂れ流しながら身を起こし、PCを起動。店で設定されたIDを打ち込み、デスクトップを表示させる。
おそらく何度か来た事があるのだろう。その手つきには淀み一つ無く、操作に慣れ切っている事が伺えた。
そうして完全に起動した事を確認した後、彼は持っていた鞄から小さなパッケージを取り出し、中身のディスクをPCに挿入する。
それは発売間もないネットゲームの物で、やがてディスプレイに鮮やかなゲーム画面が映し出され、荘厳なファンファーレが鳴り響く。
――現実では味わえない幻想世界での冒険、その扉が口を開けたのだ。
「…………」
しかし、少年は燦然と輝く「ゲームスタート」の項目には目もくれず、ゲームのチャットルームを開きメッセージを送る事無く待機。机の上に顎をのせた。
ズラズラとリアルタイムで更新されていく攻略情報。飛び交う質問、パーティへの誘い、断り……。少年は無言のまま、それら全てをガラス球のような目で眺め続ける。
30分が経ち、一時間が過ぎ。長い間続くそれは酷く空虚な雰囲気を湛え、とても頭に情報が入っているようには見えない。
既に結果が出された、一切の希望の無い惰性。喩えるならば、それ以上の表現は無かった。
「……、……」小さく、しかししっかりと。少年が何かを呟いた瞬間、幾つもの赤い光が室内を反射する。しかし光源となるものは部屋の中には視認できず、ただ少年がマウスを動かす姿があるだけだ。
……こう、こう。まるで心臓のように、脈動する赤が斑模様を作り出す。
「……そろそろ、だよな」
チラリ、と。少年は軽く時刻を確認すると、静かに目を瞑り何かに集中した様子を見せた。それは今までとは違い、確かな想いの篭ったものだ。
このネットカフェに来た意味の殆どは、今のためにあると言っていい。誰にも見られないこの場所ならば、少しは罪の意識を誤魔化せる。……見られていないと、安心できる。
「また、最低野郎だ。……い、いや。今回は違うし」
そう呟いて、苦々しい表情を浮かべ。
不安、心配、不信――類似する感情を胸裏に湛え、少年は第三の眼を開く。意識が思考に溶け込み、ここではないどこかへと流れ、重なる。
部屋を照らす赤い光が、より一層輝きを強めた――――
*
「……っ」
ちり、と。後頭部に妙な違和感を感じた。
まるで誰かに見られているような、精神を圧迫する感覚。以前も感じた、陰鬱な空気を伴った視線だ。
咄嗟に振り向いてみるが、やはりそこには何もない。こちらを見ている人も居らず、街路樹が静かに並んでいる。
……気のせいならぬ木のせい、ってか。ああ下らね。
「? どうしたの、チサメ」
「……いや、何でもない」
最早日課となったアンナとの時間。
占い屋としての活動を終え、セットを片付けながらこちらを見る彼女に私は何でもないと手を振った。
いや実際何でもないんだよ。ただの錯覚っぽいし、実害がある訳でもないし。ホント意味分かんねー。
自意識過剰? 被害妄想? ストレスでも溜まってんのかな、私。
「――さてと、これでおしまい!」
そうして周囲を見回している私を他所に、片付けを終えたらしいアンナが終了宣言を放つ。
と言っても土台にかけていた白い布をたたみ、分解した土台と看板と一緒に付近のベンチの下に突っ込んだだけであり、果たしてそれを片付けと呼んでいいのか疑問だ。
まぁアンナ曰くこの場所の管理人からの許可は得ているという話なので、問題は無いのだろう、多分。
「さ、一緒に帰りましょ!」
「……へいへい」
とりあえず視線の事は気にしても仕方ない。私は最後にもう一度だけ背後を振り向き異常が無い事を確認し、先を進むアンナの後を追った。
その際ボリュームのある髪が左右に揺れ、周囲に赤い粒子を振り巻く姿が目に映る。
……せっかくだ。気分転換に前々から気になっていた事を聞いてみよう。アンナの隣に立ち、その髪に手を這わせながら問いかける。
「お前、羨ましいくらい髪の毛サラッサラだよな。普段どんなケアしてるんだ?」
「え? そ、そう……?」
私の言葉に照れた様子を見せ、もじもじと毛先を弄くる。
誇張でも何でも無く彼女の髪は絹糸の様に滑らかであり、キューティクルも完璧。指通りも良いなんてもんじゃ無く、殆ど抵抗なく滑り抜けるのだ。
肌も白いわスベスベだわ、幾ら子供+西洋人補正がかかっているにしてもちょっと綺麗すぎやしねーか。私だって結構な気を使ってるっつーのに。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……私自身は別に何もしてないわ。殆どお姉ちゃんがやってくれてるもの」
「お姉ちゃん……っつーと、ネカネ先生か。あの人もおかしいくらい綺麗だよなぁ」
「でしょう? なんたって私の憧れなんだから!」
ネカネ先生が手入れしてるんならこの質も当たり前か。理由も無いのに思わず納得してしまった私の横で、アンナが無い胸を張る。
……発育的には私の勝ちだな。そこをガキと張り合って悲しくならんのかって? なってるに決まってんだろ馬鹿が。んな事は良いんだよ。
「優しいし、綺麗だし、強いし。私も将来あんな風になれたらイイなぁ……」
「……前2つは分かるけど、強い? 松葉杖突いてんのに?」
華奢で儚げな先生のイメージにそぐわないのだが、精神的にとかそういう話だろうか。
思わず疑問の声を上げると、アンナは今までの表情から一転。ビクリと肩を震わせ暗い雰囲気を滲ませる。ヤベ、地雷踏んだか?
単に身体が弱いから杖突いてるとかそんな理由だと思ってたんだが、見当違いだったようだ。
慌てて話を逸そうと頭を回転させるが、彼女はそれ程取り乱した様子は無く――そっと私の服の裾を握る。
……その手が震えていたため地雷を踏んだ事は確かだろうが、ある程度心の整理は付いていたようだ。不幸中の幸いなのかもしれんが、何処に爆発物があるか分かんねーよコイツ。
「……昔、事件があってね。沢山の悪……悪漢に襲われた事があったんだけど」
「悪漢てお前」
言葉のチョイス渋くね。いや海外の治安って悪い所は悪いって言うし、悪漢が出る場所もあるかもしれんけど。
「とにかく、その時にお姉ちゃん達が凄い頑張って戦って、私達の事を守ってくれたのよ。……それで、ちょっと無茶しちゃったの」
「へ、へぇ」
「私は震えてるだけだった。でもお姉ちゃんは傷だらけになってもへっちゃらで、クルクル回ったかと思えば敵の頭をグリンってやって。皆殴って、蹴っ飛ばして……」
「……ほ、ほぉう……」
……これは、どうなんだ?
真偽の程はさておいて、言葉尻を聞いてると色々と洒落にならない気配がプンプンするんだが、このまま進めても大丈夫なんだろうか。
多分反応からしてアンナの黒色恐怖症の件にも関わってくるっぽいし、余り話させない方が良い気がする。つーか絶対そうだよ。
私は努めて呆れた表情をすると、強くアンナの髪を掻き回し。敢えて大きな溜息をつくと見下すような口調で彼女の話を遮った。
「分かった分かった、綺麗で強いお姉ちゃんが凄いのは分かりました。いいから服を離せ、歩きにくいんだよ」
「むぐっ……あ、信じてないでしょ!?」
「信じてる信じてる、クルクルでグリンな。それより早く帰ろう、な」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! んもー!」
裾を摘んだ手を振り払い早足で進むと、怒ったアンナが追いかけてくる。
その怒り顔には先程までの顔色の悪さは無く、どうやら気が紛れたようだ。私は悟られないようホッと息を吐いた。
(……こりゃあんまネカネ先生の話はしない方がいいかな)
お姉ちゃんは凄い、綺麗だ。……そんな話だけだったらいいが、どうも先生はアンナの憧れと同時、トラウマらしきものと密接に繋がっている恐れがある。
向こうが話題として振って来ない限りは話に出さず、例え出たとしても余計な質問はせず深入りしない方が良いだろう。
……何でわざわざガキ一人と話すのにこんな気を使わなきゃならんのだ。そう思わなくもないのだが、初日のアンナの様子を思い出すとにんともかんとも。
(にしても、今の話はマジなのかね)
大量の悪漢相手に大立ち回り、後遺症を負いつつもアンナを守り切ったネカネ先生。幾らかの誇張が入っているとしても、全くもって画が浮かばん。
あの美貌の下には金剛羅刹が隠れているのか、それとも窮地に陥った際の火事場の何とやらか。どちらにしろ今後先生を見る目が変わりそうだ。
挨拶代わりに押忍とか言ってみたりしたら意外としっくり来ちゃったり? そりゃねーか。
「まぁ、いずれにしろアレだな」
――アンナに施しているという髪と肌の手入れ法。『趣味』の為にも、それだけは何としても聞き出さねばなるまい。
「ホントよ、ホントなんだからー!」背中にポカポカと降る拳の雨から退散しつつ、私はそう決意したのである。
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アニメの「ネギま!?」のタカミチって何であんなおかしくなってたんだろうね。