「――ええと、長谷川さん? 少し良いかしら」
朝、SHRが終わってすぐ。
一時間目の授業の準備をしていた私の耳に、透き通った美しい声が落ちた。
顔を上げればそこにあったのは声に相応しい美貌。副担任のネカネ先生がこちらを見下ろしている所だった。
私は先の歓迎会に参加しておらず録に会話も交わしていないため、距離感をうまく掴みきれていないのだろう。どこか緊張した雰囲気が漂っている。
「……はい、何でしょうか」
「その……昨日の放課後、長谷川さんがアーニャを――アンナを家まで送ってくれた……のよ、ね?」
自信なさげに眉を寄せ、こちらの反応を伺うようにそう訪ねてくる。
……薄々分かってはいたが、やはりアンナとネカネ先生には何らかの関係があるらしい。
血縁にしては顔の作りに結構違いがあるように見えるので、少なくとも家族関係では無いだろう。となれば地元での知り合いか何かかね。
(ま、何でもいいや)別に今考える事でもなし。繋がりがあるという事だけを頭に入れ、素直にその通りですと頷いた。
すると先生はホッとした様子で胸に手を当て、「ああ、人違いじゃなくてよかった」と柔和な笑顔がふわりと浮かぶ。何食ったらそんな清楚な雰囲気出せんの? このクラスに居るとマジで疑問なんだが。
「あの子についていてくれてありがとう、長谷川さん。本当に助かったわ」
「はぁ。と言いましても、たまたま見かけて一緒に帰っただけですけど」
「それでもアーニャにとっては凄くありがたい事だったと思うの。ほら、あの子って強がってるけど脆い所があるから……」
先生は俯き、その先の言葉を濁したが――まぁ言わんとする事は分かる。おそらくアンナの黒色恐怖症の事を言っているんだろう。
……それを把握し心配してるんなら、もうちょい何かしたらどうだ。つーか帰らせた方が良いんじゃないか。そんな事を言いたい所ではあるが、これに関して触れない方が良いんだろうな。
単純に部外者という事もあるが、私程度が考えつく事なんて既に分かっているに決まってる。見る限りデリケートな問題であるようだし、下手な考えなんとやらだ。
「アーニャもお礼を言ってたわ、長谷川さんの事気に入ったみたい」
「……はぁ」
んな可愛げ見せてたっけ。記憶に無い。
「それで、もし良ければなんだけど……これからもアーニャの事、気にかけて貰えないかしら」
「…………」
「あ、勿論無理にって訳じゃないの。あの子今は人の少ない広場の外れで占い師やってるから、たまたま通りがかった時に手を振ってあげるだけでも――」
「や、あの。ダメとかいう事じゃなくて……」
私が少し不機嫌になったのを察したのか、おろおろと狼狽えるネカネ先生の言葉を遮り、うなじの辺りを軽く掻く。
まぁこれに関しては改めて先生に言われなくても、既に対応は決まっているのだ。
さーて何と言ったらいいものか。私は「あー」とか「うー」とか要領を得ない呻きを繰り返した後――興味津々な様子でこちらを伺うクラスメイト達に聞こえないように、呟くように声を捻り出した。
「えーと――もう、約束をしちゃってるんで。……す、よね」
……チラ、と。
恐る恐る目を上げると、きょとんとしたネカネ先生と目が合った。どうやら言葉の意味を測りかねているらしい。
どうせならこのまま分かんないままでもいいぞ。面倒だから、色々と。
しかしそう思ったのがいけなかったのだろう。途端にその意味を把握したのか、それはもう嬉しそうな笑顔が花開いたのであった。
……こういうの、私のキャラじゃねーだろ。先生の居る手前口内で鳴らした舌打ちが、食道の奥へと落ちていった。
*
「うすごす、ぷらむふ、だおろす、あすぐい。来たれ――おお、汝視界のヴェールを払い除け、彼方の実在を見せる者よ……――ちょっとだけ」
「……それ、絶対何か違くね?」
放課後の広場、その外れ。この辺りは大通りから外れているため人が少なく、注目を浴び辛い場所だ。
約束通りに様子を見に来た私は、せっかくだからとアンナの占いを受けてみる事にした。
少ないとはいえ、公の場で年端もいかぬ女の子に占われるというのは中々に恥ずかしい物があったが、それはそれ。間近で見るとその手法は割と本格的な物で、思わず感心してしまう。
(何だ、結構ちゃんとやれてるじゃないか)
目の前に置かれた水晶に手を当て、何やらそれっぽい詠唱を唱え。手相や爪の形、虹彩など細かい所までつぶさに観察し、真剣に占っている。
それが何の意味を齎すのかは素人の私には分からんものの、「ああ、占われている」という雰囲気だけは如実に感じる事が出来た。多分単純な人間ならころっと騙されるのではなかろうか。いやそれは語感が悪すぎるな。
とにかく、その姿には昨日の様な取り乱し様は見受けられず、少なくとも私が訪れる以前に問題は起きなかったと見てもよかろう。朝から感じていた胸の引っかかりが、少しだけ取れた気がした。
「――と、結果が出たわよ」
「! へぇ、どんな感じだ?」
そんな感じで何となく穏やかな気分のまま占いをぼんやり眺めていると、自信あり気ま声が聞こえた。
サービスしてくれると言っていたし、きっと日本で言う吉に相当する結果を出してくれて居るのだろう。
今までくじ引きでいい結果を引いた事なんて無かったからなぁ。私はちょっぴり浮かれ気分でいそいそと身を乗り出し――
「……とりあえず、魔除けとして以下の事を」
「受難か凶か、それとも不幸か? 出たのはどれだ。あ?」
どうやら碌でもない結果が出たようだ。軽く青筋を立て、気まずげに目を逸らしているアンナに詰め寄り「むにゅょえっ」その柔らかなほっぺを押し潰す。
勿論本気な訳がなく、ぷにゅぷにゅと。もにもにと。クソ、子供は何もしなくても綺麗な肌でいられるから楽でいいわなぁ。
半ば八つ当たりのままにもちもちやっていると、流石に怒ったのか強引に手を振り解かれた。
「何すんのよ! しょうがないじゃない、占いの結果でそう出ちゃったんだから!」
「サービスしてくれるって言ってたじゃねーか、だったらいい結果引き当ててくれよ」
「占いはジャパニーズ・オミクジじゃないの! ありのままの運命をありのままに視る物なのよ!」
ビシリ。何かが矜持を刺激したのか、ぷんすか怒りながら私の鼻先を指さしてくる。
ありのままの運命とか言われてもなぁ。胡乱な視線を水晶に向けじっくり観察するが、そこには私の顔が逆さまに映っていただけだ。特別なものは何も無い。
……やはりイマイチ腑に落ちん。まぁ私があんまり占いを信じていない所為なのかもしれんけど。
「……ま、いいさ。悪い結果なら信じなきゃ良いだけだしな。何も変わりゃしないか」
「その辺りが日本人の悪い所よね。悪い結果こそ受け入れていれば注意できるのに」
溜息と共に呟かれた私の言葉を聞き拾ったのか、アンナは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「朝に見た人達も皆そうよ。いい結果だと信じて喜んで、悪い結果だと信じないで忘れようとするの。腹立たしいったらありゃしない!」
「そりゃそうだろ。『普通』の人は大体そんなもんだ」
特に朝の星座占いや血液型占いが顕著な例だろう。あれは見てる人の殆どがそんな感覚の筈だ――
そう伝えればアンナは更に髪を逆立て、むーむーと唸り始め。占いは軽いものじゃないだの占星術の観点が云々だの、面倒極まりない事を語り始めた。いや知らんがな。
一体何が彼女をそうさせるのか。元々占い自体好きだったとかかね。私は水晶の前に頬杖をつき、ぼんやりとアンナの言葉を聞き流す。
……悪い結果こそ受け入れて注意しろ、ね。
「……なぁ、アンナ」
「だから――……ん、何よ。話聞いてる?」
「さっきお前が言いかけてた魔除けって何なんだ? そこまで言うんならとりあえずやっとくから、やっぱ教えてくれよ」
まぁ、そこまでの情熱があるなら無下にするのも収まりが悪いしな。
きまり悪げな気分を隠し何でもないような風にそう問いかけると、アンナは一瞬驚いたような表情を浮かべた後、ニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。ヤな顔。
「えー、どうしよっかぬぁー。チサメって占い信じてないみたいだすぃー、教えても意味ないんじゃぁ――」
「そっか、なら良いや。占いサンキュな私はこれで」
「わー! ウソウソ! チューリップ! チューリップが魔除けになるって出てたわ! ホントに!」
顔といい言葉といいあんまりにもムカついたんで席を立つ振りをすれば、アンナは慌てた様子で押し留めてくる。
そうそう、ガキは素直が一番だ。根性ひん曲がりすぎると私みたいになるぞ。うるせぇ。
まぁそれはさておきチューリップか、また変わったもんが出てきたな。花言葉は何だっけ?
「チューリップ……家の周りには咲いてないか。かと言ってこの年でわざわざ買うのも恥ずいしなぁ……」
「……!」
種ならなんとも思わないんだけども。言わせておいて悪いがこれは保留かな――そう呟いていると、アンナが何故かソワソワとしているのが目に付いた。
今度は何だ。私が尋ねるよりも早く身を乗り出し、どこか期待に満ちた顔を近づけてくる。
「ねぇ、良ければ私が代わりに買ってきてあげましょうか。チューリップ」
「……あん?」
何を言っているんだお前は。
半眼になってそう問うと、アンナは何故か焦った様子で身を引き視線だけをこちらへよこす。
「だから、私が買ってチサメに渡せば恥ずかしく無いでしょ?」
「いや。そりゃそうかもしれんが」
「まぁ私はもう少し占いやらなきゃだから、ちょっと待って貰わないといけなくなるけど……」
チラッチラッ。そんな擬音が聞こえてきそうな仕草を見て、気付いた。
コイツ単純に私を自分の近くから離したくないだけだ。チューリップの話をダシに、少しでも時間を稼ぐつもりなのだ。
多分一種の安定剤というか、支え的な物にされかかっているのだろう。全くもって傍迷惑な話である。
正直私としてはさっさと帰って『趣味』に興じたい所ではあるのだが――――
「……だ……ダメ……?」
(これだもんなぁ)
不安を帯びた目を潤ませての上目遣い。そんな顔をされちゃ断りづらい事この上無し。
はいはい分かった、分かりましたよ。
私は諦めたように手を振り占い屋のセットから離れると、向かいのベンチにどっしりと腰掛けた。ある程度は待ってやるというポーズだ。
「……!」
アンナはその様子に嬉しそうな顔をすると、張り切って客の呼び込みを始めた。とは言っても水晶に手を掲げて何やら神秘っぽい雰囲気を撒き散らすだけだが。
しかし放課後という時間帯もある所為か、ミーハーな女子学生を釣る事は出来るようだ。決して盛況とまでは行かないもののポツリポツリと客が来る。
まぁその殆どはアンナの容姿――「外国人の小さな女の子が占ってくれる」という部分に惹かれてるんだろうな。カワイーカワイーと連呼する奴らのまぁ煩いこと煩いこと。
すると今現在占われている黒髪の女子学生が身を乗り出し、怯んだアンナがこちらに助けを求める視線を送って来た。
無視するのもアレなのでチロチロと指を振って返しておくと、何やら裏切られたような表情を浮かべる。いや一人で頑張れやそれくらい。
私は溜息を吐くとそれから目線を外し、PCを取り出し立ち上げる。アンナを待っている間の暇つぶしだ。
「さて……」
麻帆良の各所にはLANケーブルの差し込み口が用意されている。最近では徐々に公衆無線LANスポットに取って代わられているようだが、この辺りはまだ有線規格のようだ。
ベンチの端に置かれている缶ジュースのゴミに擬態した差し込み口(何でこんなアホな形にしたんだ? マジで狂ってんのか)にPCのケーブルを繋ぎ、適当なサイトへとアクセスする――――
「――……っ」
……ふと、背後から視線を感じた気がした。
酷く湿った、陰鬱な物だ。それは確かな存在感を持って後頭部を抉り、不快な寒気が背筋を走る。
しかし振り向いてもそこには誰も居らず、ただ街路樹が並ぶのみだ。通り過ぎる人間も獣も、誰も居ない。
「……気のせい、か?」
実際、既に視線は感じない。あるのは不快な感覚の残滓だけ。
……気持ち悪い、気持ち悪い。
私は寒気を追い払うように首筋を擦り、温め。正面へと顔を戻す。
「……ん?」すると一瞬だけアンナが私を……というより後方を眺めていたように見えた。
客の対応に追われ、すぐに視線を外してしまった為その表情は把握できなかったが――――何かが、あった? 何かを見ていた?
「…………」
もう一度だけ、背後を向く。けれどやはりそこに気を引くものは無く、街路樹に下がる茨が風に揺れているだけで。
……心の中に不安の種が撒かれ、根を張った。そんな、気配がした。
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根っこがにょっきり。