「ふぇぇ……や、やっぱり強くなってる……強くなってますよぉぉ……」
「だよな……はぁ……そうなんだよなぁ……。アラガミどんどん固くなってるんだよなぁ~……」
「だよね~……今日だって擦り傷いっぱいできたもんね~……」
「副隊長、ここは私が絆創膏を貼ります!」
今回の任務――簡単な小型種の討伐任務の終了後、私たちはガタゴトと装甲車に揺られていた。
空がヨルムンガンドだらけだったために、ちょっと今日飛ぶのはチャレンジャーかなー……となったのだ。幸いそんな距離が離れている訳でもなく、装甲車なら十分移動ができる範囲だった、ということもある。
だからもうすぐフライアに到着する。
先輩とナナちゃん、シエルちゃんと私は隣り合って座っており、今日の任務について反省――というよりも愚痴り合いをしていた。
「いいよシエルちゃん……こんなの唾つけとけば、治るよ……私なんかに使う絆創膏が勿体ないよ……」
「つ、つつ唾!? 唾液……ということですか!? じゃ、じゃあ……そ、その……私ので……よければ……?」
「シエルちゃん何言ってんの意味分かんな……え? ちょ、だ、駄目だよシエルちゃん!? か、顔近いし……」
「副隊長……動かないでくれますか……?」
「だ、ダメだってば! そ、そこ汚いよ……!?」
「いいんですも副隊長……私……私っ……あなたの為なら……はむっ!?」
「やっ、やだちょっとシエルちゃんってば……っ! むぐっ……」
ちょっとシエルちゃんとの会話が楽し……変な方向に向かおうとしていると、ナナちゃんの腕が伸び、口の中に何カガツッコマレタヨウダ。
目の前にはナナちゃんの満面の笑み。
「ねぇ……時と場所、選ぼーね?」
「もももももももももももももも」
「おでんおでんおでんおでんおでんおでんおでんおでんおでん」
「ナナ……いつも持ち歩いてるんだな……それ」
「準備がいいでしょー? えへへへへへ~~女の子なんだから当然だよー」
しばらく真っ白になった頭の中で幸せになっていると。
……不意に隊長が通信をゲットした。
慌てて私も繋いでみる。
どうも他の隊員には繋がっていないっぽい、と確認。
となると。
恐らくは隊長職レベルにだけ通信がつながる仕様の特別通信である可能性がある。
じゃあ私もイケるはずだ。腐っても副隊長なんだし。
……もしかしたら駄目かもしれないけど。
「こちらブラッド-01、フライア。追加任務か? ………………何……だと……?」
「え、追加任務? キツいなそれ……」
「まずい……副隊長! 通信をき――」
「…………」
「」(ヤベェ遅かったか……)
聞いてた。
そこからはいつものフランさんじゃない……多分、オペレーターですらない、あまり聞いたことのない女性の声が聞こえてきた。
かなり取り乱しているらしく、息が荒い……ついでに、何を伝えればいいのか順番もメチャクチャで普段の戦闘だったら使い物にならないオペレーションだと眉間にシワを寄せていただろう。
でも、分かってしまった。言葉の端々からでも、推測できてしまった。
もしかしたら勘違いかもしれない、何か間違えて受け取っているのかもしれない……。
……そう思いたかった。
だが、少し遅れて外を熱心に見ていたギルさんが、何かに気が付く。
「……おい、アレは……何だ……?」
「何だよギル。…………というか双眼鏡ナシで良く見えるな……どうゆう視力してんだ……」
「はいロミオ先輩ー、じゃーん! 小型双眼鏡~コレで見てーー……あ、あれ? ……ねぇ隊長、ひょっとして今の通信……コレと関係ある!?」
「……」
シエルちゃんが首尾良く手渡してきた双眼鏡をのぞき込みながら……。
私は、その光景から目を離すことができなかった。
フライアに、無数のアラガミが集っていた。
しかもそのほとんどは……小型種だ。一体倒すのにも時間がかかる中型、大型が居ないのはせめてもの幸いなのかもしれないが、その分、数が多い。
何よりも不安なのは、ここから見えるだけでもかなりのアラガミの数が確認できる……だからこそ。
一体、『中』には何体居るのか全然分からないということだった。
「……なに……これ……?」
アラガミ装甲壁はちゃんと在ったはずだ。
……アラガミは嫌う『偏食』を練り込んだ装甲壁は……ちゃんと在った、ハズだ。
……なのに、なんでこんなことになってるの……?
どうして、どうして、と脳裏は反響して繰り返すだけで、明確な回答など何一つ提示することはなかった。対策はしていたハズなのに、こうならない様にしていたハズなのに……と。
だが、本当に私の心の中にあったのは。
……もっと、もっと……子供じみた思考だった。
「……お兄ちゃ……」
と、言いかけて口を閉じる。
違う。
違う……駄目なんだ。そんなことを気にしている場合じゃないんだ。
本当なら……本当ならここで、フライアのこととか、内部で働いている研究員さん達だとか、レア博士やクジョウ博士、ラケル先生や局長のことを……考えないといけないハズだ。
あとついでに神機兵も。
アレを食い荒らされる訳にはいかないんだ。
神機兵は希望だって……フライアが開発すべきものであって、これからの世界に間違えなく必要となるものだって……皆、言ってたんだから。
そうやって理性で感情を押し殺して、何とかマトモな判断が出来るようにと、冷静さを被せようとする。
……けど、無理だった。
怖かった。
……自分の……たった一人の……兄を失ってしまうんじゃないか、という恐れが頭から離れなかった。
……いや、そうじゃない。
もっと最悪の可能性がよぎる。
……ひょっとしたら……もう……手遅れになってるのかも……。
混乱しそうどころか、既に混乱している頭を抱えたまま、装甲車が停止する。
皆何をすべきかを理解している様で――次々に、収納された神機を取って、出撃していく。
「シエル、血の力『知覚』を使って索敵、それをデータ送信で全員に転送してくれ!」
「了解!」
「全員薄々分かっているとは思うが……フライアにアラガミの侵入を許した。今フライアはA~Dブロックを封鎖して凌いでいる! これよりブラッドは内部に侵入したアラガミの駆除に当たる!!
今回は閉所、かつ救助活動を含めた戦闘になる。シエル、ナナ以外は銃の使用を極力控えろ」
「了解ー!」
「分かった!」
「了解した」
「敵情報送信します!」
「……」
「……ロミオと副隊長はココに残って外側の敵を排除しろ」
「……な……!?」
一瞬だけ、バナナ頭をカチ割ろうかと思った。
だが、冷静極まりない灰色の目で凝視されるとこちらも引き下がりざるを得ない。
……よく考えたら体格とキャリア、訓練期間の差で体術でこの人に勝てる訳がない。
「ロミオの神機――バスターとブラストは閉所での戦闘に適していない。だからココで後続のアラガミたちを抑えろ。副隊長にはブラッドアーツがある。それだけの火力があれば仮に中型種や感応種が現れたとしても対応できる」
「……」
「――あー、了解。分かったよ。ここでアラガミを止めるぞ、唯」
「……だ……だけど……」
「大丈夫だって、ジュリウス達を信じろよ」
「……」
……迷いは、一瞬だけだった。
「……了解……。……ロミオ先輩! 行きましょう!!」
「よっし! 片付けるぞー!」
「ブラッド、これより戦闘状況に入る!!」
「「「「了解!!」」」」
遠くなっていく足音と、神機を変形させる音が、反響していくつも重なって聞こえてくる。
状況は最悪。
一体何がどうなっているのかも――見当も、つかない。
だけど。
信じるって決めた。
皆を信じるって、決めた。
……だから……。
「大丈夫だって」
「……」
「ヒロキさんなら多分平気だよ。殺したって死ななさそーじゃん? あの人。
だってお前のお兄ちゃんなんだからさ」
「……」
ロミオ先輩は、とても優しそうな笑顔でそう言った。
……。
とにかく……今ここでグダグダやっていても何も解決しない。
ただ、やることを殺るまでだ。
そうして、目の前のザイゴード目がけて、銃を引いた――――。
▼▼▼
「しぬかとおもったー」
「ホントにホントにヤバいかとおもったー」
「……」
「アラガミなんて……毎日見てますけどー実際ー近くてぐわーってなるとー怖いですねーあっはははは」
「俺こんな間近で死にかけたの3年振りだぜー」
「マジですかーヒロキさーん。それ、ヤバいっすねー」
「ヤバいヤバいーマジでヤバいー」
「…………」
「ビックリですね~まさか……アレだけ被害が大きくて……死亡者ゼロなんて!!」
「衝撃ですけども?」
「……すまない、我々がもっと早くに帰還していれば……」
「………………」
「謝ることはありませんよー隊長さーん。今回誰も死ななかったんだから良かったじゃないですかー。あ、香月さんありがとうございます……おでんおでんおでんおでんおでんおでんおでんおでんおでんおでんでででででででで」
「スカット一本!」
「もう突っ込まねぇぞ……オレはもう突っ込まねぇ……!」
「……………………」
「あー……ゆーいーちゃーん……? どうしたんだマイシスター? ほらお兄ちゃんは空元気だぞーー? 傷ひとつないよー? ビンビンしてるよー? 見てくれこの腹筋……おわぁ!? も、モノを投げるのは良くないよイモウトよーー!」
「……うっさい…………」
「死線から帰還したのにあまりなお言葉ですマイシスター……だが、それがいい」
「…………ウザぁい!……」
やっぱり、くたばっとけば良かったのにクソ兄貴が……。
結論から言うと。
今回フライアは外部装甲も含めてA~Dブロックが大変なことになっている。よく見て中破と言うべきか。
具体的に言えば、外部装甲は齧られたり壊されたりでほぼ壊滅。内部の通路や精密機械などでも気に入った所は壊して食っていったらしくかなり荒れている。
私自身『内側育ち』なものだから、壁を破ってくるアラガミも、壁の修復作業というものも見たことが無い。
……が、そう言ったものを見てきたらしいギルさんや、隊長が言うには……非常に『軽微』なものであるらしく、フライアであれば4,5日もあれば修復することが可能になるとか何とか。
で、肝心な人的損害だけど。
……良かった、というべきなのか、死亡者はまさかのゼロだったのだ。
ただ、大怪我がした人や……ひょっとしたら現在の再生医療を用いても完治させることが難しくなっているかもしれない人が数名居て、今医療班――特にイワン先生は大騒ぎになっているらしい。
そんな訳もあり、私たちだって暇をしているわけもなく……応急手当や後片付けにかけずり回されている。
「だけどさー……まぁ今回だけは、まさか『アレ』が役に立つなんて思わなかったよね~……」
「そうそう香月さん!! 全く不本意だったけど!! 今回ばかりは命を救われちゃったよーお兄さんー!」
「アレもう一種の才能かもだよな……」
「あぁ。実は俺も薄ら感じていた……ひょっとしたら、アレが……そうなんじゃないか……と……。そう、アレこそが……奴に宿る『血のちかr「ジュリウス、ソレ絶対違う! 違うから!!」……そうなのか?」
「そーだねぇ~アレが『血の力』なんだとしたら…………(そんな力この世に存在しちゃいけないよ)ね?」
「な、ナナ……? いま何か心の声が聞こえたような気がするんだけど……」
「えー? 気のせいだよー? ロミオ先輩ったらーっ!」
と言う流れるような殺意の中。
……隊長はフッと涼やかに笑ってその人だかりを見た。
「何にせよ……今回は、皆救われたということだな。
……ギル、に」
「ありがとうギルさん、ありがとうギルさん!!」
「イノチノオンジン カンシャ 永久ニー」
「俺もゴリラになります!! 俺も!! ゴリラに!!」
「味覚結合崩壊野郎とか言ってマジスンマセンでしたぁああああ!!」
「おでんパン」
「お、おう……」
ギルさんは一人だけ困惑していた。
何が起こっているのか良く分かっていないようだった。恐らく彼が今、人から感謝され、頭を下げられ、ジャパニーズDO☆GE☆ZAされ、そして拝み倒されている理由を理解することはないだろう。
多分、一生ね。
簡単に言うと。
アラガミがいよいよ侵入して来て、もうコレは死ぬかもしれねぇ超ヤベェとなったまさにその瞬間、神の奇跡か悪戯か或はその両方であるのか、偶々ソレが目に入ったと言うのだ。
その――黒光りする、空を見上げる――パイが。
尚、製作者は「つい、カッとなってやった。反省はしていない。作り過ぎたから沢山の人に食べてもらおうと思って持ってきた」などと意味不明な供述をしている模様。今現在全く反省の色は見えていない。
ソレを見つけた兄は言ったそうだ。
これだ――と。
ソレをアラガミに向かってぶちまけると、何ということでしょう。
アレほど元気に「人狩り行こうぜ!」とばかりにヒャハーしていた小型アラガミたちが、みるみるうちに、全身から体液を吹き出し、青黒くなってグズグズに溶けていくではアリマセンか。何も無かったハズの空間に苦しみもがいた末に地獄を味わって事切れたアラガミたちが積み上がっています。
住み慣れた我が家に無理やり押し入ってきた元気なアラガミ様たちに、匠からのプレゼントです。
これでもう、フライアの平和を脅かすものは居なくなったでしょう。本当に、本当に、なんということをしてくれたのでしょう。
心配した甲斐が全くなかった!
正直、ここまで行けば才能なんじゃないかと思えてきた私。
だが、問題なのは本人はその才能に一切気づいて居ないということだ。
そして、タチの悪いことに人間、アラガミの区別なくギルさんの料理は容赦しない。
「神機使いを引退したら是非こっちに来てくださいギルさぁん!」
「アイテム部門はいつでも貴方を歓迎します!!」
「錬金術師と呼んでもかまいませんか!?」
「食撃の救世主と呼んでいいでしょうか!?」
「…………え?」
「おでんパン」
「アンタが居てくれて良かった!!」
「貴官はフライアの全乗組員の命を救ったんだぁあああ!!」
「……い、いや……そうなのか……?」
奴が自分の犯した罪と遂げた功績を自覚してはいないらしい。
……というかきっと死んでも無理だろうね。奴が今の状況を理解するためには取りあえず一回死んで輪廻転生して来世でちゃんと人間に生まれてくればワンチャンあるだろう。
いずれにせよ無自覚なことが良い事なのか、悪いことなのかは分からない。
ただ。
今回は、皆ソレで助かった。
それだけは……いや、それだけが。
まぎれもない、事実なんだと思う。
「ゆーいーちゃん? あれ? ……もしかして泣いてるのーー!?」
「…………泣いてない……」
「安心しちゃったー? あっははははー良かったねー!」
「泣いてない……泣いてないんだからぁ……うぅ……」
「心配だったんでしょー? 分かってるって。はい、泣くとお腹すいちゃうよねー……だーかーらー! はいどうぞ! おで」
「さっさとソレ寄越せぇえええええ!」
「えぇええええ!? ちょ、唯ちゃんそんな急に食べたら詰まっちゃうよ~~!? というか今人間の顔してなかったよ!?」
「……う、うるさいぃ……うぅっ…………」
ナナちゃんからおでんパンをむしり取る。
何だろうが関係ない、思いっきり串ごと……かぶりつく。
……口に入ってくるのは、相変わらず混沌とした味と、微妙にしんなりしたパンの食感。
それは喉の奥まで詰まったから……息がつまって、苦しくて。
おまけにパンも具も冷めちゃってて、ちっとも美味しくなんかなくって……。
…………少し、しょっぱかった。
……今回の襲撃で分かったことがある。
ひょっとしたら……私たちは、トンデモない場所に来てしまったのかもしれない……と、いう事だった。
どうやら、アラガミ――小型種ばかり引き寄せたのは、今回は装甲壁の設計ミスであったらしく、極東のアラガミ達は我々の想像を遥かに超えて、偏食域が広かった、という考察が得られた。
つまり、舐めていたのだ。
この『人類の最前線』とも呼ばれる……極東地区という場所を。
アラガミが硬くなった、とか強くなった、とか増えたとばかり――表面的な所ばかり見ていて、本当に怖いその膨大なまでの偏食域の広さを見落としていたのだ。
だから、私たちは今回の一件で突き付けられることになった。
『極東』という場所の異質さを。
これから向かう場所に対する恐怖を。
だが、この時の私たちは……それでも、まだ、気づいていなかったのだ。
コレはまだ、地獄の窯の蓋を開けただけだった――――ということに。
本当の悪夢は……この先にあるのだ……ということに。