ピクニック隊長と血みどろ特殊部隊   作:ウンバボ族の強襲

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phase09 ほぼ確実に死に至る病

   ◇◆◇

 

 

『そんなに拗ねないで一緒に紅茶でもどうだ?』

「……」

 

 と、いつもどおりスピーカー越しに女の声がするが今回、男は無視を決め込むことにした。長めのダークブラウンの髪が流れて首筋にかかる。

 

『朝の紅茶は我ら(・・)の嗜みではないのか? 紳士が聞いて呆れるな』

「……」

『大方頭痛にまだ悩まされているのだろうが、女の前で強がる演技も出来んのか? 男の意地はどこに行ったのだ?』

 

 どこまでも絡んでくる女の言葉。仕方なく、男は壁を眺めながら応える。

 

「長期休暇に入って故郷に帰った。テメェに会わす面はないそうだ」

『そうか……それは残念だ……。不器用だが根は真っ直ぐな善い奴だったのに』

 

 渾身の皮肉もいとも簡単に流される。

 性別的にも年齢的にも口撃力の桁が違っていた。

 

『まぁいい。お前が心を開いてくれた記念だ。今日は少し正義の話をしよう』

 

 ちなみに心など開いていない。過去は無理矢理聞きだされた。

 そこに至るまでの何があったのかは思い出したくも無い黒歴史どころか暗黒史の一つとして鮮明に脳裏に刻まれ、記憶の奥深くに封印されている。

 

 そんな心境など知ったことか、と言うように女の声は続ける。

 

『さて、とりあえず正義的質問だ。――何故、人は人を殺してはいけないのでしょう?』

 

 単純にしてどこまでも普遍的な質問。ひねくれ者なヤツにしては至極真っ当すぎて逆に困るほど平坦な問だった。だが、男の心臓を刺し貫くだけの破壊力を放っている。

 その痛みをこらえて、皮肉を口にした。

 

「……まるで十四歳の子供だな」

『発想がガキ臭いとでも批評するか? ならば大人として答えろ』

 

 なぜ、人は人を殺してはいけないのか。

 

 女の声はもう一度同じ台詞を口にした。付き合いきれない何かを感じながらも、冷たい壁を見つめて黙考をめぐらせる。それが――胸の中の傷を鈍く抉る。

 

「そうゆうモンだからだろ」

『あぁ、全く凡庸で誰も求めていなかった糞のような回答をありがとう』

 

 平凡すぎてつまらない、と女は吐き捨てた。なら最初から聞かなければいい。

 そして仮にも淑女ならば糞とか汚い言葉を使ってほしくない。

 

『まぁ……お前は間違ってはおらんよ。人が人を殺してはいけない理由なんぞ探してみれば腐るほどある……それら全てを含めてお前は『そうゆうもの』だと断じたのだろう?』

「いや、深い意味は特に無いんだが」

『……』

「おい、なんで黙った」

 

 黙られると不安になる。

 

『失敬、相手が脳まで随意筋で構成されている相手だということをすっかり失念していた。分かっているとも、随意筋だから動かしていないだけなのだよな? エネルギーの節約は大事だ』

「馬鹿って言いたいなら素直にそう言いやがれ本当性格悪りぃなアンタ」

『婉曲表現は、理解が追いつかないか? だが、あえて断らせてもらう。そのほうが面白い』

 

 無駄に遠回しな言い回しがウザったい、と思いつつもこうゆう人種なのだと割り切るしかなかった。

 言葉にしても伝わらない思いは、確かにこの世界に存在する。

 伝えたかった思いや意志は何の意味もなくなり、声はただの音波と化した。

 

『まぁ……諸説あるだろうが、一番単純にして安易……早い話手っ取り早くて外れがないのはコレだろうな。『減りたくない』から』

 

「……減りたくないから?」

 

『だから、簡単さ。減りたくないし、減らしたくないのだよ。人間と呼ぶから分からなくなる。――人間ではなくホモ=サピエンスとして考えるといい』

 

「……要は人間はサルかゴリラの延長だとでも言いてぇのか?」

 

 進化論的には間違っていない。

 

『その通りだ。ヒトとはそれほどまでに崇高か? そこまで気高く尊いものか? そんな訳があるか、人間など突き詰めてみれば水と炭素の結合体。細胞で構成され、デオキシリボ核酸を持ち、有性生殖を試みる『だけ』の生命体だろう?』

「……」

 

 男は、思わず閉口する。何か難しい言葉が沢山出てきた。

 

 

『思うに、人が人を殺さない理由……お前達に倣って言えば『喰わない』理由。それは人が作り上げた倫理や社会、道徳なんぞよりも、もっとずっと根源的な本能で『偏食』しているから、だとは思わんかね?』

 

 

 

 

   ◇◆◇ 

 

 

 

 

 

  目を覚ました少年が見上げた天井は、白く、清潔だった。

 

 これほどまでにマトモなものを見たのは随分久しかった。部屋の中には薬品や消毒液の独特な臭いが充満している。分厚い窓ガラスの向こうでは白衣を着た人々が忙しなく行き交う。

 そんな中、一人だけどこか貴族めいた服装の若い男が治療を受けていた。消毒液が沁みたらしく造形こそは美しいものの表情は微妙な顔……どうやら大人でも痛いときはああなるらしい。

 

「……」

 

 じゃない、ここ、どこ?

 

 やっとログインしてきた脳ミソで彼は思考を開始。硝子の向こうでは、今度は貴族服の男が看護師らしき中年女性に怒られていた。治療とかそのへんのことはもう終わったらしい。

 看護師が居るという事はもしかして病院かどっか? と少年は当たりをつけてみる。

 

「あ、起きたー」

「おい、ナナあんま大声出すなって……おはよー、少年ー」

「先輩も人の事言えません~十分大声です~」

 

 イキナリ扉が開いて妙ちくりんな格好の人間……ニット帽と猫耳、いや金髪と黒髪の男女が部屋の中に入ってきた。手術用の衣服にも似た格好をしており、しっかりと手袋まで着用済みである。ソレをみて少年は少しだけ安堵した――少なくとも、この人たちに『病気』を感染すことはなさそうだ、と。

 

「こっちのイケてるお兄さんがロミオ。んで、隣の猫から人間に進化し損ねたようなお姉さんがナナだ。宜しくな」

「ちゃおー、空元気印の愛とおでんパンの伝道師! 香月ナナですよ~、大丈夫? どっか痛いところとかない?」

 

 少年は首を横に振って否定を示す。体調はかつてないほどに、良い。『流行病』特有の痛みや僅かの熱っぽさはあるが、別段寒くもなく、熱くもないし、腕には点滴までしてあった。寝台も清潔であり、何と低反発マットレス素材使用。

 ここまで待遇が良くなると、かえって不安になる。

 

「あの……ここって……どこですか……?」

 

 恐る恐る聞いた問いには、金髪の自称イケてるお兄さんが応えてくれた。

 

「フェンリル極致化技術開発局支部……要はデッカくて無駄によく動くスゴイ研究所っぽい何か」

「……フェンリル……」

 

 知らない名ではなかった。

 北欧神話の狼神を冠した現在において実質『世界政府』の役割を果たしている組織――そう思いつくとほぼ同時に彼らの右腕に目を走らせる。

 

「……ゴッド、イーター?」

「まぁ、一応な」

 

 肯定。

 

 その瞬間少年の茶色がかった目が大きく見開かれる。

 

「あの……ゴッドイーターなら、おれの父さん知りませんか!?」

「ちょ……え?」

 

 少年の細い腕がロミオへの縋るように伸ばされ……身体に触れる、寸前で止まった。

 触れることができなかった。

 

 ナナという少女が横でコクビを傾げて、曖昧に笑う。

 

「んー? それは、キミのお父さんがゴッドイーターか、ゴッドイーターに関わる仕事をしている人ってことかな? 整備士とかオペレーターとか――だったら調べられるかもしれないよ?」

 

 お姉さんたちそこまでまだ権限ないけどね~、とあえて軽く付けくわえる。

 そこで少年は少しだけ押し黙った。

 

「あー……とりあえずさ、名前は言える?」

「……如月、健太」

「へぇ、極東系か、ナナと同じだな」

「ですねー」

 

 自称、イケてる兄ちゃんが人好きのする――どこか人を安心させるような笑顔を見せた。

 

「じゃあさ、健太。ゆっくりでいいからさ……話せる?」

 

 

 

 

 

 

 

   ***

 

 

 

 

 

 

 ……どうしよう。

 

 先輩とナナちゃんに完全に先を越されちゃった……。何あの桃色エセ猫耳とオレンジニットの暖色系コンビ。

 とか、他人の事羨んでる場合じゃない。

 私は胸元に『検査済』という印を押されたフライア印のバナナ詰め合わせを抱き寄せる。

 

 第一印象は最悪だったけど、やっぱり心配。

 

 病気の子供の安否確認はしっかりやらないと、寝覚めも寝入りも睡眠も悪い。

 

 しかし、入りずらい。

 

 もう、すっごく入りずらい。

 

「……どうしよう……」

 

 今から何だか少年の口から壮絶な過去が飛び出してきそうな感じなんだけど……。ここに突撃するのはあまりに空気を読めない行為ではあるまいか、と考える。

 

「何だ、どうした入らないのか?」

「だ、だって今……ってうわぁああぁあっ!? ど、どっから生えてきたんですか!?」

 

 神出鬼没。

 先ほどまで看護師さんにメッチャ怒られていたハズのジュリウス隊長がちゃっかり完全装備で私の背後を取っていた。つくづく心臓に悪いお人だ。

 

「人をコクーンメイデンみたいに言わないでほしいな」

 

 あんたのどこが乙女だ。

 

 ……いや、お花畑大好きだったり、趣味ピクニックだったり(曲解して)一途だったりで何気素質がある……?

 ちらっと見た限りでは隊長も何かお見舞いの品をお持ちになっている模様。滅菌パックの中、形からすると何かの本。

 

「ロミオとナナが既に突入している。我々も後続するぞブラッドー03」

「えー……いや、ですけど何か今ー……」

「状況はクリア。何の問題もない。お前が前衛、俺が後衛、あとは一気に制圧するのみ」

「ちょ……待ってください! まだ私、こ、心の準備がぁ!」

「いい加減に覚悟を決めろ」

 

 何か前に聞いたことのあるようなセリフだ。やはりまだ根に持っているらしい。そりゃそうだ。

 

「うぅ……わ、分かりました……じゃ、じゃあ……」

 

 こくり、と頷かれる隊長。そして揺れるバナナ頭。

 扉の前で深呼吸をし、気持ちを無理やり落ち着かせながら入室をする。

 

 

 

 第一印象は最悪だった。だから、もうこれ以上悪くなるコトなんてないハズだ。

 

 マイナス始まりならばあとは加点のみ! というわけで明るく振舞って行こう、頑張れ私。神威唯!

 

 

 

 

 

「おれ、実は……」

「こ、コンニチワー! 差し入れのバナナ持ってきましたっ!」

 

 開けてみては、まぁびっくり。

 神妙な顔つきの男の子、年齢は栄養失調で痩せこけている為よくわからないが多分12か13歳。黒い髪の毛に濃い茶色の目と黄色人種系の肌の色で、恐らくはアジア系。もっと限定するなら恐らくは極東系。まだ幼さの残る表情には真剣な覚悟……そう、今にも何か大切なことを人に伝えようとしている覚悟が確かに存在していた。

 

 していた……。過去形で。

 

「……」

「……」

「……」

 

 だから言ったじゃないですかぁ……!

 

 責めるように(というか実際責めてる)背後の隊長を睨むと、我関せずを装い目を逸らしやがった。酷いよ隊長そりゃないよ。

 ロミオ先輩とナナちゃんが漂白されたどこか人間味のない笑みを貼り付けている。少年に至ってはびっくり、といった感じで一時停止中。

 

「すっげータイミングだよ……奇跡的な間の悪さだ……お前才能あるよ、唯」

「何の!?」

「今から、健太少年に秘められた過去が明かされようとしていたのに……ミゴトに空気がクラッシャー……」

「ご、ごめんなさいぃ……!」

 

 ああ、もう。覚悟決めた瞬間にコレだよ……。

 

 

 

 

   ***

 

 

「改めて紹介すると、こっちのバナナ頭の兄さんがジュリウスって言ってオレ達の隊長」

「……怒られてた人だ……」

 

 少年は言った。但し主語が無い。一体彼が誰に怒られていたのかそこんとこ詳しく。

 

 そこでロミオ先輩に続いたナナちゃんがにゃは、と邪気ありげに微笑。

 

「で、こっちのお姉さんがね~!……キミを撃っちゃいそうになった怖い怖いお姉さんだよ~」

「っ!」

 

 何かさらっと怖い台詞をはいた。

 少年……確か健太君とかいう子は弾かれたように、私を見つめる。

 

「あ……あの時の……!」

「ま、待って……! 話を聞いて!」

 

 しかし、健太氏の目には衝撃、そしてみるみるうちにソレは恐怖へと移り変わっていくではありませんか。やばい、この流れはまずい。もう完全に私を見る目にはこう刻まれている……恐怖!トリガーハッピー暴発女。

 

「ち、違うよ! 違うからね! そう、そうだよ、アレは事故……事故だから!」

 

 だってアラガミかと思ったんだもん……。そう、私は断じて子供を狙撃しようとしたわけじゃない。

 

 ……けど、事実として緊張だの何だのでロクな標準もあわせず引き金を引いてしまったのは事実だ。ナナちゃんが機転を利かせてくれなかったらもしかすると、という事も否めない。

 だとすると、言い訳をすべきではないのかもしれない。

 だけど、それでも、だ。

 

「オラクル弾を人間にブチ込もうとする怖い怖いお姉さんだからね~怒らせると、人モノアラガミのべつまくなしに強襲銃をぶっ放すよ~」

「ちょ、ちょっとナナちゃんってば! 真に受けちゃったらどうすんの!」

「えへへへへー」

 

 健太少年の顔はどんどん色を失っていく。

 真に受けちゃってるじゃないですか。

 

「……こわい」

「そうだよ、気をつけてね」

「こらナナ、いい加減にしなさい」

 

 ありがとう先輩。貴方は本当にブラッドのストッパーだ。そして、出来ればもう少し早く止めてくれると嬉しかった。

 

「大丈夫、心配ない」

 

 まるで慈父のような優しい声だった。

 

「いざとなったら、さっぱり介錯だ」

「ちょ!」

「ブラッドアーツでな」

 

 何それ怖い……思い出すのは粉々になった神様たちの図。あんなの喰らったら即死だってば。爆弾発言をかました隊長は私の持ってきたバナナの包装を勝手に開封し、健太少年へと手渡す。バナナヘアーがバナナ引っさげているという奇跡の光景に……健太君は絶句していた。

 

「今のは冗談だ」

「やめてください、心筋に悪いです」

 

 冗談だ、とおっしゃるのならば、どうして目が笑っていないのでしょうか。ちょっと小一時間問い詰めたい。ストレス性の心室細動も時間の問題ではないかと思えてくる。私が胃痛を感じている間、健太君はバナナを剥き剥きしてパクパクと口に運んでいた。

 あらやだ、この子意外と元気みたい。

 

「……旨っ!」

「え? そ、そうかな? 良かったぁ……」

 

 流石フライア印の高級バナナ。あの値段は伊達じゃない。コクシェ病だかコクシャ病だか知らないが、甘いものを食べておいしい、って言える内はまだ何とかなりそう……な気がする。

 

 他人のことはあまり悪いほうには考えたくない。自分のことならいくらでも悪く考えられるのに。

 

「お、本当だウメェこれ」

「うんうん、口の中で蕩けるほのかな甘み~」

 

 何であんた等まで食ってんだ。

 

 いや、別にいいけど。ゴッドイーターは食べるコトだって仕事だし。とりあえず、食べることも誰かのために生きることもどんな形であっても多分、贔屓目に見て知らないどっかの誰かと繋がっているはずだから。

 

 隊長は果物を食す部下と病人を満足気に見た後、ちょっと大型で厚めの本を取り出した。

 この人のことだから、何か難しそうな本なのかな、と単なる好奇心が喚起され表題に目を走らせてみる。多分、子供向けの科学冊子か学術系の図説。

 

 

 

 

「……『世界のヒラメ図鑑』!?」

 

 現実は予想の斜め上から更にライジングエッジする。

 

 

「あぁ、子供の頃よく部屋の隅で膝を抱えてひとりでよく読んでいたものだ。面白いから推薦させてもらおう」

「……あ、ありがとうございます……」

 

 どこから突っ込めばいいんだろう。

 

「何ですかヒラメ図鑑って!?」

「何って……世界のヒラメの図鑑だが?」

「え、えっと……そんなにヒラメって多いんですかね?」

 

 ああ、と隊長は無駄に輝くどこまでも清らかな光を湛えた眼差しを、こちらへ向ける。やめて、そんな目で見ないで。じわじわ精神に来る……。

 

「ヒラメ、それはかつて熱帯から温帯にかけて生息した底魚の一種、カレイ目カレイ亜目ヒラメ科。その数約200種類」

 

 すごい生物の多様性を感じる。

 

「学名Paralichthys olivaceus」

「知りませんし、聞いてません」

 

 本の裏側にはしっかりと出版社の刻印がされている。『フォーゲルワイデ出版』らしい。何でこんな赤字確定のもの発行したんだろう。誰が何を思って書いた本なのかは、恐らく永遠に謎だし知りたくもない。

 

「残念ながら、天然のヒラメはアラガミのせいで中々見ることができない。だが、コレを通してかつての世界を思い浮かべることができるんだ……そう、かつて存在した太平洋西部の様子が」

「そんな海底思い浮かべてどうするんです」

「新しい世界を開拓できるとは思わないか?」

 

 同意を求められたって困る。そんな世界知りたくないし、拓かないでほしい。

 というかこの選択が謎だった。そしてキラキラした目で隊長とセカヒラ図鑑(仮名称)を見つめる健太君もちょっとどうなんだろう、と何処からとも無く込み上げてくる……得体のしれない不安感。とにかく今、もしかしたら少年期における情操教育という観点で確実に間違った一歩を切り拓いてしまっただろう。

 

「新しい……世界……」

 

 もう汚染が始まっている。

 

「父さんも、同じこと言ってた……」

「……ん?」

 

 え、戻るの? ここで、お父さん話に戻るの? 隣からロミオ先輩とナナちゃんによる熱い視線が送られてくるのを肌でひりひり、と感じた。邪魔すんなよ、今度こそ絶対邪魔すんなよ、と声にならない言葉が聞こえてくる。

 まさか……これが感応現象なのか。

 

「おれの父さん、ゴッドイーターだった。フェンリルの東アジア区で活動してた。だから、おれは母さんと二人で外部居住区に住んでた」

 

 ぽつり、ぽつりと零すように健太君の独白は始まる。

 

「だけど、ある日父さんは帰ってこなくなった……何が起こったのか全然わからなくて、母さんが何度も、何度も問い合わせをした。だけど……何も教えてもらえなかった。だから、多分死んじゃったんだろう、って思って、だったらせめて遺骨だけでも返してくれ、って母さんは泣きながら頼んでた」

 

 聞いていて息が詰まった。

 

 この子の言う通りだ。ゴッドイーターの殉職。もっと言うとKIA(戦死)かMIA(戦闘時行方不明)。それは嫌というほど耳にする話だ。フェンリルの公共通信であるテレビ番組や新聞などでも偶に報道されている……勿論、そんなもの氷山の一角なのだろうが。

 予想できることだが多くのゴッドイーターの死は悲惨そのものであるらしい。病室の寝台の上で仲間や家族に看取られながら逝けるのは『まだ』幸せな方だろう、多くの死者は任務中の死亡である。

 だから、きっと死体は……

 

「……でも何も教えてくれなかった。何日も何日もそんなことしている間に……赤い雨が降ってきて……誰も知らなくって、いつもの酸性雨とかだと思っていたんだ。黒っぽい雨なんかも偶に降るからそんな感じだろう、って皆油断していたんだ」

「……」

「一週間ぐらいして、皆倒れて、ゴロゴロ死んでいっちゃって。朝には元気だった人も夕方にはもう息していない、なんて状態ザラで……ただの風邪じゃない、って気づいたときにはもう、皆黒い痣が浮かんでた。死んでる人を調べたら、やっぱり黒い痣があって……後になってやっと分かったんだ。コレが『黒蛛病』だって」

 

 話だけならば聞いている。そうだ、黒蛛病。

『赤い雨』に触れることにより高確率で発病する病。接触感染を起こすとされ、触れることで人から人へとうつっていく病だ。不幸中の幸いにも、飛沫や空気による感染は起こらないらしい。

 今のところは。

 

「それで、おれ達の住んでいた区画は……『無事』な人間だけ、残して閉鎖された」

「……え?」

 

 一瞬、耳を疑った。

 閉鎖? それっていったいどうゆう事? 

 

「閉鎖って……」

「閉鎖されたんだ。食糧や物……水とか薬とか毛布とか、そういったものの配給が無くなったんだ。配給に使っていた道が大きな壁とかで遮られて、もう配給車も来なくなって。みんなパニックになって……」

 

 少年の細い手がぎゅっ、と強く握りこぶしを作った。

 話は分かる、言葉も意味も確かに聞こえる。それでも、脳が理解することを拒否していた。

 

 『配給』というのはフェンリルが行っている人類保護の活動の一つだ。人間が生きていくには必要なものがある。食糧や水、生活必需品、最低限の燃料や電気。たまには嗜好品なんかも。そういったものは2074年現在、すべてフェンリルの管理統制下において配給といった形で分配されている。

 外部居住区に入っている人間たちは、その恩恵に預かれることができる。自分の遺伝子情報やバイタルデータを提出する、という非常に簡単な対価だけで。

 そして、殆どのゴッドイーターはそういった人間から選出されていく。私だってそんな感じで選ばれた一人だ。

 そうやって人間を保護しているはずのフェンリルが、病人で溢れた町をひとつ見捨てるはずがない……そう思いたい。

 

「そんなこと……」

「唯、悪りぃけど今はそこ突っ込まないで、な?」

 

 いつも通りな明るい声のロミオ先輩に諭される。どこかもやもやしたものを残したまま、健太少年の独白は続いていく。

 

「ドサクサに紛れて母さんと一緒に逃げ出したんだけど……行く場所なんかどこにも無くて……でも、それでも母さんは、帰ろうとしてたんだ……父さんも、一緒に」

 

 なぜか、過去形だった。

 

「……だから、色々やって父さんが『最後』に居た支部まで来たんだけど……」

 

 そこで健太君の声が湿る。

 

「全然、分かんなくて……母さんも……」

 

 話の流れからすると、多分同じく病に冒されいた母親が努力の甲斐もなく、という感じだった。男の子にありがちな強がりの限界だったのだろう、そこで健太君は泣き出してしまった。せめてもの意地で、ヒラメ図鑑で自分の泣き顔を隠している。かみ殺すような嗚咽の間で、それでも意志を伝えようと言葉を紡ぐ。

 

「お願いします……助けてください……父さんを、探してください……!」

 

 細い背中が小刻みに震えていた。

 黒蛛病は接触感染を起こすとされている……そのため、ライセンスを持っている人間ではないと、接触することは禁止されている。ましてや、私たちは半人前と言えど最新鋭のゴッドイーターだ。

 

 だから、その背中を擦ってあげることはできない。撫でてあげることも、抱きしめて慰めることも許されない。

 

「おれは、……帰りたい。父さんと一緒に……帰りたい」

 

 

 

 

「ああ、探すよ。必ず、見つける」

 

 隊長の言葉に、ロミオ先輩が頷いた。ナナちゃんは……なんだか、微妙な顔。多分、私も似たような表情を浮かべているのだと思う。

 

「見つけてみせる」

 

 この子の話通りならば、お父さんの見つかる可能性は限りなく低い。何らかの原因で生存している可能性はもとより死体の一部でさえ見つけだせるかどうかも分からない。……第一、何か『フェンリル』が意図的に隠しているかのような嫌な予感が匂う。できれば関わりたくない。

 だけど、そんなことはとても口になんか出せなかった。隊長の言葉を聞いた途端、堰を切ったように健太君は泣き出してしまった。必死に歯を食いしばって堪えていた慟哭があふれ出す。

 ずっと、押し殺し続けてきた涙と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたたち……何をしているのです?」

「ぁ」

 

 音もなく自動扉が開いて看護師さんたちが仁王立ちしていた。何故かさっと血の気が引いていく隊長のカンバセ。

 

「えっと……」

「いい年した最新鋭のゴッドイーターが四人も集まって……何、子供泣かせている訳?」

 

 そう映ったとしてもおかしくない状況。いや、っていうか隊長の一言で泣き出した訳だからある意味正解。

 

「……あの、その……ちょっと誤解が……」

 

 隊長、貴方からも何か言ってください! 何か言わないとダメです! と目で必死に信号を送るがやはり逸らされた。頼みの綱であるロミオ先輩は……ナナちゃんと離脱を図っていやがる。

 

「特にジュリウス・ヴィスコンティ大尉。貴方も怪我人なんだから安静にしていろって……私言いませんでしたっけ?」

 

 矛先がこっち来たぁ! ここぞとばかりに逃げていく似非猫耳少女とニット帽。いくらなんでも、それは少し酷くないでしょうか先輩。ねぇ、ロミオ先輩。

 

 

「ちょっと外、出なさい!」

「ひぃ! ご、ごめんなさい……! ごめんなさいぃ! あとで何でもしますから命だけは! 命だけはぁ!」

 

 なぜ敵だけじゃなく、味方(のハズの人)にまで命乞いが板についてきたのだろう、私……。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ***

 

 

 

 

 会議室には普段、フライアを徘徊して回っているお巡りさん、こと警備の皆さんが大集合していた。これだけ大勢で並ぶとかなりの壮観。

 そんな中で間違えなくアウェーな私と隊長。先ほどの看護師さんに受けた説教のせいで心の傷が治ってない。隊長に至っては腕の傷も治ってない。

 

 そこで、パシャ、という警戒なカメラのシャッター音。

 誰だ空気の読めない奴は、とゴッドイーター特有の強化神経で首を振り、音の発生源を特定。恨みを込めて思いっきり三白眼でにらみつける。

 

「うわあ、びっくりしたぁ」

「あ、すんません」

 

 なんだ。ただの富田健次郎さんじゃないか。それにしても人の好さそうな顔、四角いフレームの眼鏡、鍛え上げられた筋肉、体躯に相応しく太い首筋から分厚い胸板にかかるカメラがよくお似合いだ。

 

「ははっ、何かね、この世の終わりみたいな顔してるジュリウス君が懐かしくってね! つい、思わず撮っちゃったよ」

「縁起でもない事言わないでください」

 

 確かにこの間からうちの隊長はロクな目に合っていないけど。歌姫とかオウガテイルに腕齧られたりとか。

 

「嫌な……事件だったね」

 

 天啓。

 脳裏にひらめく一筋の光、それに呼応し私の中の何かが告げている。

 

 もしかして、この人、コレを言う為だけに出てきたんじゃないか、と。

 

「まぁ、そういうわけで宜しく頼むよ。二人とも」

「あ、あぁ……はい……」

 

 何だろう、何か先行きに不安しか感じない。

 とか思っているとグレム局長とレア博士が入ってきた。会議はこれから始まるっぽい。

 

「よし、揃ったな。それではこれよりブリーフィングを開始する」

 

 グレム局長の重い声が響く。隣に居たレア博士が概要の説明を始めた。

 

「今回は極東支部からの依頼になります。この近辺……サテライト拠点建設『候補』地であるフェンリルの保護外にある集落周辺の視察団の派遣。皆さんにはその護衛を頼みます」

 

 何か聞きなれない語句が登場した。ちょっと横のバナナ小突いて小声で聞いてみる。

「サテライト拠点建設候補地……って何でしょう?」

「居住区は知っているな?」

 

 同じく小声で返してくれる。

 

「はい。フェンリル支部内外の居住区のことですよね?」

 

 まさしく、私だってそこに住んでいた。親がたまたまフェンリル勤務だったので内部居住区に家で住んでいたのだ。兄は途中から技術職を目指すらしく本部の方へ単身赴任していったがどうせヤツのことだからどこへ行ったって必要以上にうまくやっているに違いない。

 

「そうだ。フェンリルの支部周辺は生産と消費活動が完全に自己完結している『環境完全都市』と言われる」

「えぇ……」

 

 言葉位ならば義務教育の一環で聞いたことがある。社会科の教科書なんかで無駄に褒め称えられていた。

 

「だが、収容人数が限られているため、限界が来る」

「……は?」

「簡単に言うと、人口の増加だ」

 

 一瞬、何を言われたのかちょっと分からず思考停止。そしてすぐさまその意味合いに気づく。

 確かアーコロジーを成功させるためには完全なプロファイルが必要不可欠なのだ。氏名や年齢、住所さらには身体情報まで求めてくるあたり、その辺の潔癖さはうかがえる。

 人口の完全なる統制なしでは消費、生産も管理できない。その人口が増えているという事は……色々な要因はあるだろうが、まずは死者、つまり『減る数』の減少。または外部居住区への難民の流入。あとは……出生率の向上だと思う。

 何か言っててちょっと気恥ずかしい、出生率向上って。

 

「その増えすぎた人口を移住させるためのミニアーコロジー。フェンリル支部外の居住地区のこと……それがサテライトだと聞いている」 

 

 実際目にしたことはないが、と隊長は付け加えた。

 一方の私はというと信じられなすぎて理解が追いついていかない。

 

「フェンリルの庇護外で人間が暮らせるって言うんですか?」

 

 にわかには信じ難い。というか無理じゃないのそれ。

 

「実際そのような地区は既に存在しているらしいな。極東の『女神の森』は有名だ」

「……ネモス・ディアナ?」

 

 何だろう、どっかで聞いたことがあるような気が。

 

「それ以上の質問は禁止する」

「はぁ……」

 

「今回の視察はどうも人間が住む集落の調査、だ。そこで『万が一』の事態に備え多数の警備と神機使い二名の同伴の下で行うことになった。……まぁ、まさか奴らも天下のフェンリルに逆らう心算など無いとは思うがな」

 

 局長が笑うと、警備の皆様もつられて笑いうの渦を作り出す。しかし、私だけが笑えなかった。

 

 警備って……何したらいいんですか!?

 

 真っ白になっていると富田警備が横から耳打ち。

「大丈夫、君はグレム局長のアクセサリーになっていればいいから」

「え? なんだそんなことですか……?」

 

 それなら私にでもできそうだ。そっか、そうだよな。新米ゴッドイーターなんて人間相手には戦力外もいいところ。そして、一般人からしたら超人扱いだから、居るだけでちょっとした威圧になる、というところだろう。

 

「ただ、相手も相手だからねェ……ちょっと一筋縄じゃいかん連中かもしれないよ」

「はい……?」

 

 

「喰神教……って知ってるかな?」

 

 

 


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