絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月6日 ヴェスティア大森林

「この辺りだったかな。ラン、合ってるよね?」

 

12月6日の月曜日、午前6時。アルスター南部の森林地帯。

私達は昨日に精霊の道を介して降り立った、街道の外れに来ていた。

 

アルスターに滞在したのはたったの1日。

だというのに、言いようの無い名残惜しさに苛まれた。ユミルでの湯治場旅行の時と一緒だ。

主要各都市から隔離されたこの地で、内戦の緊迫感は良い意味で薄いのだろう。

 

もう数日間、何も考えずに身を寄せたくなってくる。が、そうは言っていられない。

私が今から向かう外の世界は違う。ここからが本番だ。

 

『問題ない。厳密に同位置である必要はないからな』

「それを早く言ってよ・・・・・・」

 

国境を越えた10月30日。帝国で止まっていた時計の針を、漸く動かすことができる。

目的も行先もハッキリしている分、前に進もうという気力に満ちていた。

 

旅の起点はここだ。行先は南に向かって数百セルジュ。

何の変哲も無いこの場所から、私達の旅は始まる。

 

事の経緯は遡ること、約8時間前―――

 

_______________________________

 

12月5日、午後21時。

お互いに旅路を共にする意志を確かめ合ってから、間もなくのこと。

モリゼーさんから明日の行先を問われた私は、迷いなく答えることができた。

すぐに返答が来るとは思っていなかったのか、モリゼーさんは意外そうな声を上げていた。

 

「ケルディック?」

「はい。まずはケルディックに向かおうと思ってます」

 

町長さんの屋敷を訪ねた時から、ずっと頭の片隅で考え続けていた。

私は明日から何をして、どこに向かうべきなのか。前者はともかく、後者をどうすべきか。

自問自答を始めてから答えに至るまで、さほど時間は掛からなかった。

 

「勿論、私は構わないけど・・・・・・ケルディック、か。何か理由があるのよね?」

 

疑問符を浮かべるモリゼーさんに、私はケルディックに思い至った経緯を一から説明した。

 

この旅の目的は2つで1つ。

モリゼーさんが私の意志を尊重してくれる以上、それは《Ⅶ組》の行方を探すことにある。

一方で、私達の手元にある情報は限られていた。《Ⅶ組》どころの話ではない。

士官学院生はおろか、士官学院そのものの状況すら正確に把握できていない。

 

そんな中で、唯一確かな情報。それがケルディックにおける、モリゼーさんの目撃証言。

少なくとも《Ⅴ組》のベッキーと、他数名の士官学院生がいたことは確かな筈。

今もケルディックに留まってくれていれば、《Ⅶ組》に関する話を聞ける可能性があった。

 

「北上してルーレを目指す道も考えましたけど、ルーレも貴族連合の占領下にあるんですよね」

「うん、そうみたい。・・・・・・そっか。それだけでも、アヤちゃんは選択肢が限られちゃうのか」

 

私は指名手配犯で、領邦軍から追われる身。

それを考えただけでも、私の行先はひどく制限されてしまう。

貴族連合の占領下にある大都市は勿論、検問が張られていそうな主要街道も通れない。

鉄道も各所で臨検が実施されており、迂闊に駅へ近づくことすらままならない。

そもそも鉄道については規制も掛かっているそうで、利用自体が困難な状況にあった。

 

「んー、ちょっと待ってね」

 

モリゼーさんは状況を整理すべく、テーブルに帝国全土の地図を広げ始めた。

アルスターを起点として、主要各都市に鉄道、街道。それぞれにバツ印を1つずつ記していく。

加えて、オスギリアス盆地やアイゼンガルド連邦を始めとした、大自然の砦達。

 

様々な要因が重なり、順調にバツ印が増えていく。

その数が20個を超えたところで―――私は、数えるのを止めた。

 

「・・・・・・バツ印、多いわね」

「・・・・・・わ、分かってはいましたけど。何だか息苦しいですね」

 

こうして改めて見ると、本当にあらゆる面で動き辛いことこの上ない。

移動先も手段も限られている。ケルディック方面が比較的落ち着いていることだけが救いだった。

 

「でもこうなってくると、ここからケルディックを目指すこと自体、難しいわね」

「それが問題ですね。ちなみにモリゼーさんは、どうやって南の街道まで来たんですか?」

「あ、私?」

 

モリゼーさんはペンを上唇と鼻で挟み、腕を組みながら話してくれた。

ノルティア本線を走る貨物列車に無理を言って乗せて貰い、馬車と共にルーレの1つ手前の駅へ。

そこから先は聞いての通り。鉄道の使用が大幅に規制されたのは、その直後だった。

 

「鉄道は使えないから、参考にはならないわね。アヤちゃん、どうやってケルディックに向かうつもりでいるの?」

「・・・・・・初めは、ランと一緒に森を抜けようと考えてました」

「森?森って・・・・・・も、もしかしてヴェスティア大森林!?」

 

モリゼーさんが声を荒げると、鼻で挟んでいたペンがテーブルの上へ転がった。

 

アルスターはカラブリア丘陵と呼ばれる、ノルティア東部に広がる丘陵地帯の北部に位置する。

カラブリア丘陵は、オスギリアス盆地とアイゼンガルド連峰の狭間から、やや南側の辺り。

凶暴な魔獣が生息することで有名な地帯だ。当然ながら、一帯に人里は無い。

 

そんな丘陵地帯を越え、帝国一の面積を誇る大森林を突き抜ける。

常人なら考えもしないであろう、決して敵うことのない、道無き道。

それ程までに過酷な大自然の砦さえも―――ランの脚があれば、乗り越えることができる。

 

「でもモリゼーさんや馬車を、ランの背に乗せるわけにはいきませんから。無理、ですよね?」

「わ、私はともかく馬車はちょっと・・・・・・ごめんね、早速足を引っ張っちゃって」

「謝らないで下さい。ある意味でお互い様ですよ」

 

たった2人の身軽な旅のように思えて、現実は違う。

真っ当な移動手段を取れない私と、裏技のようなそれを選べないモリゼーさん。

旅の目的は2つで1つ。どちらが欠けても、この旅は成り立たない。

 

(・・・・・・あれしかない、か)

 

それでも、方法はある。というより、それ以外に思い付かない。

私自身、今日初めて目の当たりにした裏道。身を以って体験した不可思議な現象。

私が切り出すより前に、部屋の隅で聞き耳を立てていたランが、立ち上がりながら言った。

 

『どうやらもう一度、道を拓く必要があるようだな』

 

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―――時は戻り、12月6日の午前6時。

 

悩んだ先に行き着いた手段が、ランを頼ること。

『精霊の道』とやらを拓き、一気に遠地まで転移するという裏技に近い手段。

 

『フム、何を気に病んでいるのか分からぬが。これしか方法が無いのだろう?』

「うん・・・・・・そうなんだけどさ」

 

最近はランの力を頼ることが多かっただけに、これも気が引ける選択ではあった。

それに―――昨晩のヴィータの言葉が、どうしても引っ掛かる。

 

10月28日。

あの日からランは、当然のように私の隣にいた。その力を貸してくれた。

ランは至宝を見守る使命を担う聖獣だ。疑問を抱かなかったと言えば、それは嘘になる。

何かを見落としているような、忘れているような気がしてならなかった。

 

「とりあえずさ。精霊の道を拓いたら、暫く休んでてよ。霊力、大分使っちゃうんでしょ?」

『そのつもりだ。準備が出来次第、声を掛けるがいい』

 

ランの喉元を撫でながら、疑念を頭の片隅に追いやる。

考えるのは後回しだ。答えが無い以上、今はランが言うように残された選択肢を選ぶ他無い。

 

目指すは大森林の南端―――『ルナリア自然公園』。

私とランが初めて出会った、あの森。こんな形で三度訪れることになるとは思ってもいなかった。

 

「確認しておくけど、また見ず知らずの場所に飛んだりはしないよね?」

『案ずるな。前回は選択する術と時間が無かっただけのこと。あの地の霊脈は覚えている』

「そっか。モリゼーさん、準備はいいですか?」

 

私が問うと、モリゼーさんは「オッケー」と軽い口調で返してくる。

もしかしたら、若干半信半疑なところがあるのかもしれない。

変に緊張されるよりはマシか。なら、このまま一気に飛ぶまでだ。

 

「お願い、ラン」

『よかろう。暫し目を瞑るがいい』

 

ランに従い瞼を下ろすと、皆の顔が鮮明に浮かんでくる。

期待と不安、焦燥。逸る気持ちを抑えようとしても、胸の鼓動音が段々と速まっていく。

 

(みんな・・・・・・ガイウス)

 

待ってて。絶対に帰るっていう約束、守ってみせるから。

だからお願い。無事でいて。

 

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落下しているのか、上昇しているのか。涼しいような、温かいような。

ひどく曖昧だった五感が冴え、肌に心地のいい風を感じ始めた時。

 

「っぷはぁ!?」

 

隣からモリゼーさんの苦悶に満ちた声が聞こえ、両目が再び朝陽に照らされる。

がらりと風景が変わった。温度が、風が、匂いが違う。

どうやら転移は成功したようだ。ランはいる。モリゼーさんと馬車も傍らに在った。

 

「はぁ、はぁ。く、苦しかったぁ」

「もしかして、息を止めてたんですか?そんな必要無かったのに」

「な、何となくね・・・・・・でも信じられない。本当に、飛んできちゃったのね」

「あはは、そうですね。成功してくれたみたいです」

 

笑いながら腰に手をやり、辺りを見渡す。

ここは小高い丘になっているようで、周囲を見下ろせる位置にあった。

本当にいい風が吹いている。緑が多いおかげで、呼吸をする度に活力が沸いて―――

 

「あれ?」

「え?」

 

モリゼーさんは素っ頓狂な声を上げると、私に続いて周囲を見渡し始めた。

眉間には、皺が寄っていた。怪訝な目でキョロキョロと。

 

それで漸く私も気付いた。というより、何故気付かなかったんだ。

精霊の道は確かに拓かれた。転移も成功した。だというのに―――これはどういうことだ。

 

「私も、ルナリア自然公園はよく知ってるわ」

「はい。ケルディック出身ですもんね」

「・・・・・・ここ、何処?」

「・・・・・・何処でしょう」

 

見渡す限りの平原。起伏は少なく、西の方角には大きな川が見える。

後方に振り返ると、広大で深い緑が広がっていた。ヴェスティア大森林、だろうか。

しかしだとするなら、位置関係がまるで合わない。ルナリア自然公園は大森林の南端部にある。

少なくとも、これは南の方角からの風景ではない。東か西か、北か。

いずれにせよ―――ここは一体、何処だというんだ。

 

『フム。まずは1つ、言っておくとしよう』

「何かな、ラン」

『私のせいではない』

「ふーん」

『もう一度言うぞ。私は―――』

 

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私とモリゼーさんによる『もっふもふの刑』に処されたランは、丁寧に事情を語った。

 

何の問題も無い筈だった。

ルナリア自然公園に続く霊脈を辿り、支障無く転移を開始してから間も無くのこと。

どういうわけか突然その繋がりが乱れ、断たれてしまった。

止むを得なく、ランは急遽行先を変え、霊脈の繋がりが強かったこの地を選んだ。

そうでもしなければ、私達は地上に降り立つことすら叶わなかったそうだ。

 

『原因は定かではないが・・・・・・幻獣の存在が起因している可能性がある』

「幻獣?それどういう意味?」

『目的地の近辺に居座っている、ということだ。あれ程の乱れだ、可能性は十分に考えられる』

「・・・・・・自然公園に、幻獣がいるって言うの?考えたくもないよ」

 

別に嘘を言っているわけではないだろうが、俄かには信じ難い。

上位属性が働いていた森と、昨日対峙した幻獣。そして今度はルナリア自然公園。

クロスベルはともかく、この国で一体何が起きているというのか。

幻獣のような脅威が各地で出没しているともなれば、内戦どころの話ではない。

 

いずれにせよ、これは予想外の事態だ。

昼前にはケルディックに辿り着ける筈が、見知らぬ地に放り出されたも同然だ。

 

「モリゼーさん、どうですか?」

「んー・・・・・・ちょっと待ってね」

 

2枚の地図を回し重ねながら、周囲の風景と見比べるモリゼーさん。

私では完全にお手上げだった。地図を見ても、ここが何処なのかさっぱり分からない。

 

「うん。やっぱり西に見えるあれ、レグルス河だと思うわ」

「レグルス・・・・・・なら、あの森はヴェスティア大森林なんですか?」

「そうね。だからここは大森林を挟んで、自然公園の反対側よ」

 

モリゼーさんは大まかな現在地を、地図上にペンで書き示してくれた。

ヴェスティア大森林の北東端部付近にある、森と平原の狭間。

近辺に人里は無く、お互いに初めて降り立った地域だった。

国境を越えて帝国入りした際、ランと一緒に駆け抜けたルートが最も近いかもしれない。

 

「何枚かの地図を見たけど、間違ってはないと思うわよ」

「そうですか・・・・・・でも困りましたね」

 

お互いの顔が険しくなる。現在地が分かっても、この先どう動くべきかの判断が難しい。

 

もう後戻りは無理だ。霊力を大いに消費する以上、立て続けに同じ道を拓くことはできない。

ここからケルディックを目指すにしても、当初の問題に行き当ってしまう。

大森林を迂回するか、最短距離を突っ切るルートを取るか。いずれも異なる危険性を孕んでいる。

それに1日で辿り着ける距離ではない。少なくとも日は跨いでしまうだろう。

 

「うーん。このままケルディックへ向かうべきだとは思うんですけど、どうしますか?」

「それには同意よ。まずはこのまま森林との境界線を辿って、南に下るしかないわね」

 

モリゼーさんが言うように、森には立ち入らないのが安全策だ。

どこに検問が設置されているかも分からない以上、街道にも近寄りたくはない。

ここから真っ直ぐに南下して、まずは大森林の南東端部付近に出る。

 

問題は2つだ。オスギリアス盆地から続くレグルス河を、どうやって越えるか。

平時なら双龍橋を通過すればいい話だが、今となってはお互いにそれは叶わない。

民間人の通行も規制されている上に、私は立場上近付くことすらままならないのだ。

 

「結局は一度大森林に入って、森の南部を西に抜けるしかないと思うんですけど・・・・・・河を越えられるかどうか。ラン、行けるかな?」

『問題なかろう。1ヶ月前、おぬしと共に越えた道のりだ』

「でもあの時みたいに、背に乗せて飛び越えるなんて真似はできないよ?馬もいるんだから」

「ええ!?む、無理よそんなの!」

『・・・・・・当たり前だ。河を越えるだけでよいのだろう。やりようはある』

 

それもそうか。ランの脚で跳躍すれば、馬車やモリゼーさんが無事では済まない。

流れが緩やかな場所を探して、慎重に渡れば何とかなるかもしれない。

考えてもいても仕方ないし、日が暮れてしまう。ここまで来たら行動あるのみだ。

 

「そうと決まれば、早速出発ね。地図を読み取るのは得意だから、道案内は私に任せてよ」

「分かりました。ラン、さっきはごめんね。もう休んでいいよ」

 

傍らにいたランに言うと、ランは小鳥へと身を縮め、私の右肩に止まった。

 

「ランちゃーん。私の所に来てもいいのよー?」

 

モリゼーさんが自身の右肩をぽんぽんと叩く。

当のランは知らん振りを決め込み、首筋を伝って私の左肩に移動した。

断る、と言いたいのだろうか。何かしら答えてあげればいいのに。

 

「あ、やっぱりアヤちゃんがいいんだ。かーわいいー」

『アヤ、出発するのではなかったのか』

「分かってるってば。モリゼーさん、馬車に乗って下さい」

 

モリゼーさんが馬車に乗ったのを確認してから、馬の背に跨る。

森の中には魔獣もいるし、立ち入ったら終始気を払う必要もある。

予定が大いに狂ってしまったが、きっと何とかなる。まだまだ旅は始まったばかりだ。

 

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大森林の東部に沿いながら、南へ約5時間。現時刻は午後の13時過ぎ。

魔獣や慣れない地形に阻まれながらも、私達は少しずつ順調に歩を進めていた。

 

「アヤちゃーん、お水飲む?」

「あ、貰います。こっちに投げて下さい」

 

乾いていた喉を潤し、ホッと一息を付く。

馬に跨っているだけでも、少しずつ体力は奪われていく。

乗馬に縁がない人間には楽に見えるだろうが、乗り慣れない馬なら尚更だ。

 

この5時間の間に、いくつか分かってきたことがある。

まずモリゼーさんは、考えていた以上に旅慣れしているということ。

行商に身を転じる以前から、彼女は各地を出歩くことが多かったのだそうだ。

道中で夜を過ごすことになるかもしれないが、精神面では何の問題もないだろう。

 

「それにしても、アヤちゃんって本当に強いのね。魔獣の方が気の毒になるわよ」

「私なんてまだまだですよ。それに、モリゼーさんのサポートもありますから」

 

それ以上に驚かされたのは、モリゼーさんが魔獣と対峙する術を持っていた点だ。

型番が記されていない、一世代前の戦術オーブメント。いくつかの属性クオーツ。

後者はともかく、前者をどうやってどんなルートから手に入れたのか。

どう見ても一般人に過ぎないモリゼーさんが所持していること自体、問題大有りだった。

 

状況が状況なだけに、敢えて問い質しはしなかった。

それに流し物であるせいか、扱いが不得手な私にすら及ばない。

初めて出会った時のように、モリゼーさん1人で魔獣を退けることは困難だった。

 

モリゼーさんも、道中に私へ色々な質問を投げかけてきた。

地図と睨めっこをするだけでは気が滅入るだろうし、私も何かを話していた方が気が楽だった。

 

「ねえねえ、本当にこのガイウスっていう子がアヤちゃんの義弟で、彼氏なの?」

「えへへ・・・・・・格好良くって、優しくて、いい匂いで、それでいて―――」

「聞いてない、誰も聞いてないから」

 

手にしていた新聞がひらひらと煽がれ、モリゼーさんの声が揺らいだ。

 

「ノルド高原かー。アヤちゃんは共和国生まれだって思い込んでたから、驚いたわ」

 

モリゼーさんが最も意外な反応を示したのは、私の出身についてだった。

私の外見から判断すれば、モリゼーさんのように共和国出身と思う人間が大半だろう。

実際には帝国人と共和国人のハーフ。生まれはクロスベル。行き着いた先がノルド高原。

我ながら複雑な生い立ちだとは感じているし、驚かれても不快感は無かった。

 

「よく言われます。お母さんの家系は純粋な共和国人なんですよ」

「でもお父さんだって純粋な帝国人なんでしょ?」

「そうですけど・・・・・・私はお母さん似みたいなんです。だから勘違いする人が多いんだと思います」

「ふーん」

 

黒髪に琥珀色の瞳。

大陸の東では、私と同じ特徴を持つ人間がほとんどだと聞いている。

だからといって、皆が皆そうであるわけではないのだろう。その逆も然りだ。

・・・・・・私の外見については、生前のお父さんの悩みだったとも聞いていた。

自分の娘が「お前と似ていない」と何度も言われれば、誰だって気を悪くする。

 

「それで、モリゼーさんはどうなんですか?」

「・・・・・・ん。私は生まれも育ちもケルディックよ」

 

若干の間を置いてから、モリゼーさんが言った。

少しだけ声色が変わった気がする。それに、空気も変わった。

 

「・・・・・・まだ、森沿いに進めばいいですか?」

「あ、そうね。この先も同じ地形が続くと思うわ」

 

多分私は今、モリゼーさんの何かに触れた。

私がそうであるように、彼女も何かを抱えているのかもしれない。

出会ってからまだ1日半。何も焦る必要はない。

お互いのことは、少しずつ知っていけばいい。そう思い、私は話題を変えた。

 

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午後15時過ぎ。ヴェスティア大森林の南西部。

約1時間前、切り立った崖に行く手を阻まれた私達は、崖を迂回するルートを取った。

 

思っていた通り、馬車を引きながら森に入った途端、ペースが一気に落ちた。

徒歩ならともかく、馬車を進めるには細かな地形の変化にも慎重に対応する必要がある。

森林の地図はあっても詳細は読み取れないし、正確性に欠ける。こればかりはどうしようもなかった。

 

「モリゼーさん、大丈夫ですか?」

「平気よ。思ってたよりも魔獣は少ないし、虫も寄ってこないしね」

「ランのおかげだと思います。周囲に気を張ってくれているみたいです」

「え、そうだったの?ありがとう、ランちゃん」

 

もふもふとランの体毛を弄るモリゼーさんを横目に、ARCUSで現時刻を確認する。

午後15時過ぎ。この分だと、河に辿り着く頃には陽が落ちてしまうかもしれない。

 

こういった森で夜を過ごすともなれば、今のうちから準備を進めておく必要がある。

陽が落ちてからでは手遅れだ。その辺りも視野に入れながら歩を進めるべきだろう。

ただ、馬車には商品の他に様々な物資があるし、ランもいる。

それだけでも話は大分違ってくる。魔獣の襲撃にさえ備えれば、事はそう難しくはない。

 

「あれ?」

「ん。どうかしたの、アヤちゃん?」

 

手綱を引いて馬の脚を止め、目を凝らして前方を見やる。

変わり映えのしない森の風景の中、突然目に入ってきた異質な様。

ぽっかりと、開けた空間があった。一目見ただけで―――確信があった。

 

(―――人が、いる?)

 

茶色の布に覆われた、テントのような何か。ざっと数えただけでも10以上ある。

明らかに人の気配があった。それに、中央からは焚き火の物と思われる煙が上がっていた。

 

「モリゼーさん。この森って、人が住んでるんですか?」

「そんな話聞いたことないけど・・・・・・そう、見えるわね」

 

生活の匂いは感じられるが、近代のそれではない。一言で表すなら、ノルド高原の集落だ。

導力革命から取り残された、古より伝わる原始的な生活を今も続ける故郷。

共通点は大して見受けられないが、根本はそうなのだろう。導力式の生活用具は何も無い。

あるのはテントのような住居と、石や金属性の道具だけだった。

 

(何でだろ・・・・・・どうして、こんな)

 

一歩一歩近付くにつれて、郷愁に誘われた。懐かしさを覚えた。

夕焼けの色に染まる、故郷の集落。陽が落ちる時間帯に狩りから戻る、あの時の感覚。

当然ここはノルドではない。眼前に原始的な営みがあるというだけだ。

 

なのに、何故こうも胸が締め付けられるのだろう。これでは6月の実習の時と同じだ。

帰郷前に感じた高揚感。降り立った時に溢れ出た涙と感傷。

五感がそうだと―――ここはお前の故郷だと、囁いてくる。

 

「何者だ」

「っ!?」

 

突然、背後から聞き覚えのない声が聞こえた。

馬の背から降りると同時に、右手を剣の柄にやりながら振り返る。

人の気配など微塵も感じなかった。前方に気を取られていたとはいえ、気付かない筈がないのに。

 

(―――え?)

 

馬車の右方に、1人の男性が立っていた。

茶色の布で身を包み、目元には黒色の何かで彩色が施されていた。

髪色は黒。2アージュに届きそうな程に長身で、屈強な身体付き。褐色の肌。

そして―――似ていた。余りにも似ていた。

 

「っ・・・・・・お義父、さん?」

 

思わずそう呟いていた。背後から感じられた物と一緒だった。

外見は大して似ていない。が、男性が纏う雰囲気も、そして右手に握られていた十字槍も。

ラカン・ウォーゼルが持つそれと同じ物が、眼前の男性から発せられていた。

 

「何を言っている。お前は誰だ」

「あっ・・・・・・ま、待って下さい」

 

突き付けられた槍の矛先を見て、我に返る。当然の反応だろう。

この状況下で、どんな言葉を選ぶべきか。少なくとも敵意は無いことを示す必要がある。

慌てて剣から手を離し、両手を上げると―――

 

『グオオォォォッッ!!!』

「「っ!?」」

 

―――突然、身の毛がよだつ程の咆哮が、遥か後方から鳴り響いた。

 

「今の咆哮はっ・・・・・・どけ!!」

 

思わず身を屈めていると、男性は私に構うことなく、声の方角へ走り出した。

すると馬車の中で身を潜めていたモリゼーさんが、脅えた表情で飛び出してきた。

 

「だ、大丈夫アヤちゃん?そ、それに今のって」

「私は平気です。それより・・・・・・嫌な予感がします」

 

先程の咆哮に、聞き覚えがあった。

もう半年前だというのに、鮮明に思い起こされる。この森にいたからだろう。

気付いた時には、振動を感じ取っていた。ドシンドシンと、巨大な何者かが駆け寄ってくる足音。

 

「やっぱりっ・・・・・・モリゼーさん、ここにいて!」

 

耳を塞ぎたくなる程に鋭い雄叫び。一定の間隔で鳴り響く地響き。

異常な速さでその振動が増していき、やがて私の目はその正体を捉えていた。

 

昨日と同様に牽引用のハーネスを取り外し、手綱を握る。

事は一刻を争う。もしあそこに人が住んでいるなら、大変なことになる。

 

『フム、大きいな』

「ランはモリゼーさんをお願い!」

『よかろう。心して掛かるがいい』

 

モリゼーさんとランを置き去りにして、馬の脚を限界まで引き出す。

あの咆哮と巨体。目と耳が覚えている。同一の個体でなくとも、あれは脅威だ。

 

近づくつれて、それは確信へと変わった。

異常なまでに興奮した巨大なヒヒ。はち切れんばかりに浮かび上がる血管。尋常ではない圧力。

間違いない。4月の実習、ルナリア自然公園で対峙した、あいつだ。

 

『グオオォォォッッ!!!』

 

大型魔獣―――グルノージャ。

私が駆け付けるより前に、グルノージャの剛腕がテントの1つを薙ぎ払った。

 

「っ・・・・・・!」

 

手綱を片手で握りながら背中の剣へ腕を伸ばすと、前方から複数の気配を感じた。

茶色の衣装を身に纏った、数人の男性。その手には、やはり見覚えのある十字槍。

ガイウスやお義父さんが操る得物と同じ。思うところはあるが、後回しだ。

 

後方では各テントから一斉に、同じ色の衣装を着た人間が飛び出していた。

ここには人が住んでいて、今大型魔獣の襲撃にあっている。

剣を振るう理由としては十分だ。今は何も考えず、目の前の脅威に立ち向かうしかない。

 

ギリギリの距離で馬の脚を止めて地上に降り立つと、再び咆哮が上がった。

4月に対峙した個体じゃない。あれとは比較にならない程強大な力を肌で感じた。

 

「皆の者、下がっていろ。お前達の手には負えん」

 

見れば、前方に立っていた男性陣の1人の矛先が、グルノージャに向いていた。

先程会話を交わした男性だった。目が眩むような圧力に屈することなく、悠然と立ちはだかっていた。

 

『グオオォォォッッ!!!』

「はああぁぁっ!!」

 

身の丈を超える寸法の十字槍を巧みに操り、巨体を突いては、薙ぎ払う。

当たれば即死に繋がるであろう一撃を、紙一重で流れるように受け流す。

非常事態だというのに、思わず見惚れてしまった。見入ってしまっていた。

 

(す、すごい・・・・・・それに、あの槍術って)

 

余計なことは考えるな。そう言い聞かせても、頭が言うことを聞いてくれない。

力強く豪快、且つ繊細な独特の槍術。大型魔獣をも退ける力。

立ち振る舞いの何もかもがそっくりだ。夢でも見ているのだろうか。

 

「っ・・・・・・一の舞、『飛燕』!」

 

それでも今は、眼前の魔獣のことだけを考えろ。

邪念を追い出すように放った私の斬撃は、グルノージャの顔面を捉えていた。

 

その巨体が揺らいだ隙に、男性の隣へと駆け寄る。

途端に沸き上がるどよめき。突如として前線に躍り出たことで、複数の視線が私に向いていた。

 

「む。お前は先程の・・・・・・」

「話は後で。私が仕掛けます。その隙を突いて下さい」

 

脅威ではあるが、以前同一の種と対峙したことがある。攻略法も同じ筈だ。

それに―――この男性となら、きっと簡単に息を重ね合える。

ガイウスやお義父さんとそうしてきたように、先手は私。決め手は十字槍の一撃だ。

 

「二の舞、『円月』!!」

 

グルノージャが立ち直るより前に、その股下に潜り込み、円上の斬撃を放つ。

両足の膝を的確に斬り裂いたことで、再び巨体が大きく傾いた。

勢いをそのままに背後へと回り込み、下段からの『月槌』でグルノージャの背中を斬った。

傷は浅いし、致命傷にはなり得ない。それでも、完全に気は私へと向いた。全て狙い通りだ。

 

「今っ!」

「はあぁぁっ!!」

 

頭上を見上げた頃には、男性の身体はグルノージャを見下ろす位置にまで跳躍していた。

振り下ろすように男性が投擲した槍は、周囲に旋風を巻き起こしながら、巨体の頭部を貫いた。

槍はその勢いを殺すことなく、私の足元、地中深くへと突き立った。

 

一瞬だけ、静寂が生まれた。

完全に意識の外だったのだろう。何が起きたのかを理解するより前に、その命は絶たれた。

音を立てて崩れ去ったグルノージャの巨体は、やがて光となり、風と共に消え去って行った。

 

「よ、よかった・・・・・・」

 

脅威が去ったことで、周囲から歓声が上がった。

もう魔獣の気配はない。グルノージャ単体による襲撃だったようだ。

 

私が見た限り、被害はテントが1張り。人的被害もない。

偶然通り掛かって良かった。男性1人でも対処できたかもしれないが、これで―――

 

「レイアっ!?」

「え?」

 

剣を鞘に納めていると、男性が悲痛な叫び声を上げながら走り出していた。

その先には、複数人の人だかり。誰もが表情を歪めながら、地面を見下ろしていた。

 

(ま、まさか)

 

最悪の可能性が、脳裏をよぎった。

口元を手で押さえながら、私はゆっくりと歩を進めた。

グルノージャの手に掛かったのは、テントだけの筈だ。

そうではないとしたら。もしあの中に、人がいたとしたら。

 

「―――っ!」

 

人だかりの中心地に、女性が力無く、横たわっていた。

年齢は私と同じぐらい。髪の長さも同程度。その髪が、鮮血に染まっていた。

男性は真っ赤に染まった布で患部を押さえながら、女性の名を呼び続けていた。

 

「布をありったけ持って来い!それと湯を沸かせ、早くしろ!」

 

男性が叫ぶと、集まっていた人々が弾かれたように散開した。

入れ違うように、モリゼーさんとランの姿が目に入った。

魔獣の脅威が去ったことで、駆け付けて来たのだろう。

 

「あ、アヤちゃん。一体何がっ・・・・・・え?」

「モリゼーさん、手を貸して下さい」

 

考えている暇は無い。

この人達のことは、この女性が誰かは今考慮しなくていい。

まだ息はある。出血はひどいが、手の施しようは残されている筈だ。

 

「待て、何をする気だ。お前は一体―――」

「いいからそのまま止血を。絶対に悪いようにはしません」

 

患部は左肩と右の上腕部。とりわけ腕の出血が重い。

重要な血管を切ったのか、男性が圧迫しても、止めどなく血が流れ続けていた。

 

「モリゼーさん!」

「わ、分かったわ」

 

モリゼーさんと共に回復系のアーツを詠唱し、ありったけの力を込めて患部に注ぎ始める。

外傷は肩と腕にしか見当たらない。なら、出血さえ止まればいい。

 

「っ・・・・・・アヤちゃん、このままだと」

「分かってますっ・・・・・・!」

 

間もなくして、それが焼石に水だということが目に見えて理解できた。

2人掛かりとはいえ、私とモリゼーさんでは届かない。傷が深すぎる。

そもそもオーバルアーツは外傷に対して即効性が低い。このままでは駄目だ。

 

「れ、レイアっ・・・・・・!」

 

その顔立ちと態度から、想像するに容易かった。男性と女性、この2人は親子だ。

それに―――おそらくこの人達には、同じ血が流れている。

私の大切な家族達と繋がっている。知る由が無いが、きっとそうに違いない。

見過ごせない。この女性を救う手立てはある。絶対にある。

 

「ふぅ・・・・・・はああぁっ!!」

「あ、アヤちゃん?」

 

軟気功。他者に施せる域に達したとはいえ、効果は薄い。

熟練者ならまだしも、私にできることは掠り傷を癒せる程度だ。

なら、その上限を取っ払えばいい。月光翼と同じように、この術にも限界を超えた先がある筈だ。

 

「ラン。先に言っておくけど、私今から相当無理をするから」

『やれやれ・・・・・・手を貸そう。私の霊力を送る、存分に使うがいい』

「ありがとう。さあ、いくよっ!」

 

術を行使し始めた途端、ひどい眩暈と吐き気を覚えた。

生気を吸い取られ、身体が干乾びていくかのような感覚。

 

それでも意識を繋ぎ止められていたのは、やはりランのおかげだったのだろう。

ARCUSを介して流れ込んでくるランの力と、感情。確かな感情があった。

―――こう見えて、色々なことを考えてるんだ。普段は素っ気無いくせに。


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