絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月30日 閃きを信じて

 

12月30日、午後16時過ぎ。

夕焼けと真冬の青が混じり合い、幻想的な紫色の空が広がる時間帯。

私は馬術部の馬達を艦内から降ろすべく、カレイジャスと厩舎の往復を繰り返していた。

 

「ふう」

 

今から2時間半前。士官候補生によるカレル離宮の解放が決まった直後。

艦長代理から下った指示は、『士官学院生としての時間を満喫すること』だった。

時間は今日の午後20時まで。要するに、一時限りの自由行動日。

帝都解放を左右する重要な作戦を前に、少しでも心身を休ませて欲しいという気配りなのだろう。

 

「・・・・・・相変わらずだなぁ」

 

額の汗を手の甲で拭いながら、厩舎前で口論をするユーシスとポーラを見やる。

 

想いは通じているのに、男女の仲ではない。

お互いに好意を示した間柄なのに、依然として進展は無し。

そんな奇妙な関係が成り立ってしまっているのだから、私から言えることは何も無い。

どう転ぶにせよ、自身の感情に嘘は付かないで欲しい。そう願うばかりだ。

 

「アヤ君、そろそろ一息入れるとしようか」

 

声に振り返ると、首にタオルを引っ掛けたランベルト先輩が立っていた。

先輩とはオーロックス峡谷道で別れて以来。変わらずに壮健そうで何よりだった。

 

私達はグラウンドの隅に腰を下ろして、夕焼けに照らされた風景を懐かしんだ。

考えてみれば、冬の士官学院を目にするのは今日が初めてのこと。

見慣れた筈の光景は、そのどれもが新鮮に映っていた。

 

「マッハ号も元気そうですね。安心しました」

「当然だろう。共に士官学院へ戻って以降、世話は欠かさなかったからね」

「そういえば、先輩達は普段何をしていたんですか?報道では休学中って扱いでしたけど」

「皆似たり寄ったりさ。自主学習に励んだり、身体を動かしたり・・・・・・休学中と言えど、2学年生にとっては大切な時期だからね。私も時間は無駄にできなかったよ」

 

言われてみれば、確かに当たり前の行動だ。

ランベルト先輩らは卒業を控えている身。これが最後の冬。

内戦の影響を抜きにして考えれば、あと3ヶ月で士官学院生活は閉幕。

出会いで始まった2年間は、別れで終わる。新春を迎え、それぞれの道を歩んで行く。

 

「進路も変えるつもりはない。今のところは、だがね」

 

ランベルト先輩の進路は、以前ケルディックで耳にした通り。

入隊試験次第とはいえ、ラマール領邦軍きっての精鋭、帝都近衛兵部隊への推薦枠を貰っている。

それだけに止まらず、先輩は帝都近衛騎馬隊への入隊を目指している。

エリート中のエリート、領邦軍の最高峰。多くの人間にとって、憧れの的だ。

 

「ランベルト先輩は、オーレリア・ルグィン将軍を知ってますか?」

「無論、存じているよ。伯爵家当主、ラマール領邦軍の総司令・・・・・・多くの人間にとって、憧憬の対象となる女性だろう。私も例外ではないさ」

「・・・・・・先輩は明日の作戦に、当然参加するんですよね」

「ああ。私もこれからトワ君らのミーティングに加わるつもりだ」

 

学生会館の2階では、明日の解放作戦に向けた協議が進行中だ。

2学年生を主に、トワ会長を中心として作戦の段取りが詰められつつある。

私達も買って出たのだが、《Ⅶ組》は夜の最終確認の段階で参加する手筈となっていた。

 

カレル離宮の解放作戦。相対するは、帝都近郊を防衛する近衛兵部隊。

作戦の内容がどうあれ、少なくとも戦闘行為は避けられない。

ランベルト先輩のような優秀な人間なら、間違いなく前線を担うことになる。

 

(ランベルト先輩・・・・・・)

 

あと数ヶ月で身を置くことになる、部隊との対峙。

気付いているのだろうか。この聡明な男性が、気付かない筈がない。

 

「フム。浮かない顔をしているね」

「へ?」

「何か迷いがあるのだろう。顔にそう書いてあるよ」

 

素直に驚いた。そんなことはないと言いたいのに、声が出ない。

図星なのだろう。事実、私の中のわだかまりは溶けていない。

あれやこれやと先輩の胸中を詮索をしておいて、結局は私自身に向いていたに違いない。

ランベルト先輩は腰を上げて、沈み掛けていた夕陽を眺めながら口を開く。

 

「『迷い悩み、足掻き抜いた先に答えがあると信じて、私達は探し続けるしかない』。君がケルディックで言っていたことを、今でもよく思い出すよ」

「あはは。偉そうなことを言ったと思ってます」

「最近考えるのだよ。あれは正しくもあり、間違いでもあるとね」

「・・・・・・間違いでも、ある?」

 

私が聞き返すと、ランベルト先輩は「ああ」と前置いてから、続けた。

 

「答えがあるとは限らないということさ。問いに対する答えが存在しないという概念は、学問の世界では往々にしてある・・・・・・我々はまだ若い。求める余り、我を見失ってしまっては意味が無い」

「求める余り・・・・・・見失う」

「時には一瞬の『閃き』を信じて、感じるがままに突き進んでもいい。後悔しないという条件付きでね。若者の特権という訳だ」

 

何だろう。ランベルト先輩の言わんとしていることが、見えてこない。

ひどく曖昧で抽象的な言い回しが、余計に私を揺さ振り、掻き乱していく。

考え込んでいると、ランベルト先輩は高らかな笑い声を上げた。

 

「ハッハッハ!そう真剣に捉える必要は無いさ。私自身、未だ立ち位置を探している身だ。頭の片隅に留めておく程度に受け取ってくれればいい」

 

言い終えた後、ランベルト先輩は厩舎へ向かった。

その背中がとても大きく、同年代とは思えない程に逞しく映った。

 

結局何が言いたかったのだろう。

今の私には、先輩の真意を察することができなかった。

 

「アヤー!」

「ん・・・・・・ミリアム?」

 

私の名を呼んだのは、遠方から走り寄ってくるミリアムだった。

その右手には、見慣れない棒状の何か。近付くに連れて、それが『クロス』であると分かった。

ラクロスで使用する、先端に網が付いた1.5アージュ程のスティックだった。

 

「ミリアム、どうしたの?」

「アリサがね、みんなでラクロスしようだって」

「ら、ラクロス?」

「うん。ラウラとフィー、エマもいるよ」

 

つまり《Ⅶ組》の女子全員か。随分と唐突な提案だ。

発起人はアリサ。久方振りの自由時間に、ラクロス部として身体を動かしたくなったそうだ。

断る理由は見当たらないが、私にはラクロスの経験なんてない。それは皆も同じ筈だ。

 

「ほらほら、アヤも行こうよ!」

「・・・・・・まあ、たまにはいいかもね」

 

馬達は一通り降ろし終えたところだし、ぐずぐずしていると陽が落ちてしまう。

私はユーシスとポーラに声を掛けた後、ミリアムの手に引かれて、皆の下へ走り始めた。

 

__________________________________

 

ラクロスに興じると言っても、たったの6人でできることは限られている。

私達は間隔を空けて円状に立ち、慣れない手付きでパス回しを続けていた。

 

「とりゃっ」

 

クロスを振って投じたボールが、アリサが握るクロスのポケットへ収まる。

うん、大分コツを掴めてきた気がする。それに何だかんだで楽しい。

アリサのように上手くはいかないが、段々と狙った場所へ飛ぶようになっていた。

 

「いい感じね。アヤ、ラクロス部に転部したら?」

「あはは。私は馬術部のままでいいかな。部員も少ないしね」

 

ラウラとフィーも初めは不慣れだったが、クロスの扱い方が様になってきていた。

ミリアムは天才肌なのだろう。彼女は何だって器用にこなしてしまう。

意外なことに、エマのコントロールが未経験者5人の中では最も秀でていた。

本人曰く、導力杖を振るう感覚がクロスのそれとよく似ているらしい。

 

「私もね、アヤの剣捌きを参考にしたの」

「剣?長巻のこと?」

「そうよ。長巻の握りもそうだし、アヤの柔らかな剣捌きを見て、キャッチやクレードルに取り入れてみたのよ。おかげでクロスの扱い方が広がった気がするわ」

 

アリサはそう言ってから、ミリアムに向けてパスを放った。

クロスと長巻では違いがあり過ぎる気もするが、確かに通じる部分はある。

思わぬところでアリサの手助けになっていたのなら、言うことは無い。

それにしても―――

 

(・・・・・・気を遣って、くれてるんだよね)

 

もしかしなくても、そうなのだろう。皆の好意が何ともむず痒い。

言葉の端々や視線から、私に対する気遣いが垣間見えてくる。

 

「アヤが気に病む必要は無いと思う」

「え?」

 

フィーのパスと言葉が、私へと向いた。

フィーはクロスを肩に背負いながら続ける。

 

「クロスベルが置かれてる状況は、私達だって理解してる。アリサが進言してなかったら、私達の誰かが言ってた。何の負い目も感じなくていい」

 

フィーの真っ直ぐな瞳が、私の中を覗き込んでくる。

降参だ。彼女の前では嘘を付くことも、虚勢を張ることもできない。

 

クロスベルの行く末と、自分の立ち位置を見失い掛けていることは確かなのだろう。

でも私には、もう1つある。いつの間にか、漠然とした不安を抱き始めていた。

 

「・・・・・・それだけじゃないよ」

 

私はクロスを地面を置いてから、上着の中にいる大切な相棒に声を掛けた。

 

「ユイ、起きてる?」

『起きてるの。たくさん寝たから、もう大丈夫なの』

「じゃあ少し飛んできたら?晩御飯の前に、身体を動かした方がいいよ」

『了解なのっ』

 

ユイは勢いよく上着から飛び出ると、パタパタと羽ばたいて上空へ昇っていく。

次第に小さな点となり、夕焼けの中に溶け込んでいった。

私はその様を見詰めながら、複雑な胸の内を明かし始める。

 

「私はユイと約束したんだ。契約って言った方がいいかな」

「契約?」

「そう、契約」

 

ユイの命名と共に、私はユイの申し出を受け入れた。

そして古の盟約に代わる誓いを以って、私はあの子を『縛った』。

 

―――私と一緒に生きて、戦って。

 

ランの意志を継いだユイは、私と共に在り続ける。

私の為に力を揮う。私と縁を持つ人間の為に戦う。

私と関わりのある全てを守る為だけに、ユイはこの地上へ下り立った。

ランとは決定的に、存在意義が異なっているのだ。

 

結果として巨いなる力は、完全に私の下に置かれている。

ユイは底が知れない。ランを遥かに凌駕する力が、私の意思一つで矛先を変える。

とても頼もしいと思える一方で―――怖くも、ある。

 

「内戦に介入する訳にはいかないって、リィンがカレイジャスで言った時、少し詰まってたでしょ?多分だけど、似たような心境なんだと思う」

 

私達は衝突し合う2つの勢力から離れ、第3の道を行くと決めた。

だが結果的には、カレイジャスは何度も貴族連合軍を退け、東部の状勢に変化を及ぼしてきた。

ヴァリマールとランがいたからだ。いつだって中心には、2つの力があった。

それだけの力を、リィンと私は握っている。持て余してしまって当然だ。

 

「今更だけど、今日機甲兵とやり合って実感したよ。何だか、遠いところまで来ちゃったなぁって。情けない話だけど、やっぱり―――ちょ、あ、アリサ?」

 

顔を上げると、眼前にアリサの顔面が迫っていた。

右手には、先程地面に置いた私のクロスが握られていた。

アリサは有無を言わさぬといった様子で、私にクロスを差し出してくる。

 

「口だけじゃなくて、手も動かしたら?」

「で、でも」

「いいからほら」

「・・・・・・はい」

 

珍しく強引なアリサに、抗う術は無かった。

私のパスをキャッチしたアリサは満足気に頷いた後、パス相手のミリアムへ向き直る。

アリサはクロスを縦に振ってから、視線をそのままにして言った。

 

「4月の特別実習を思い出すわ。あの時もアヤは、そんな顔をしていたわね」

「実習・・・・・・ごめん、それいつの話?」

 

首を傾げる私を余所に、今度は対面に立っていたラウラが言った。

 

「風見亭での夕食のことだろう。そなたが出身や生い立ちを明かした際のことだ」

「そうそう。知り合ってまだ間もなかったけど、あなた急に語り出すんだもの。驚いちゃった」

 

随分と前のやり取りだ。思い出すのに時間が掛かってしまった。

あれからもう半年以上が経つ。何だか何年も昔のことのように思えてくる。

 

「ねえアヤ。私ね、あなたのことをすごいなぁって思うの」

「な、何それ」

「誰よりも率先して動くし、みんなが言い辛いことを先に言ってくれるし・・・・・・リィンが《Ⅶ組》の中心なら、アヤは先頭ってところかしら」

「ユーシスさんとマキアスさんの衝突にも、初日から割って入っていましたね」

「フィー、我らも耳が痛くて仕方ないな」

「そだね。帝都で射線上に割って入られた時は血の気が引いたけど。ぶっちゃけトラウマ」

「ボクにも部屋を半分貸してくれたしねー」

「あ、あれはクジ引きで決めたようなもので・・・・・・ていうか何、みんなどうしたの?」

 

何だ。急に何が始まった。

熱を帯びた顔を左手で煽いでいると、フィーのパスが私―――を通り越して、アリサへ向いた。

フィー、何故私を飛ばした。次のパス相手は私だろう。

 

「今思えば、アヤさんはいつだって私達のお姉さん役でしたね。少しだけ、世話が焼けますけど」

「ふむ。確かに世話は焼ける」

「そろそろ寝癖直しぐらい覚えて欲しいわ」

「ガイウスとくっ付いた頃からは余計に疲れる。たまにウザい」

「喧嘩してた時だっけ。ボクが起こさないとベッドから出てこなかったよね」

「いきなりディスんないでよぉ!?」

 

強引にフィーとアリサの間に割って入り、パスカットを試みる。

ボールは見事私が伸ばしたクロスのポケットに収まり、漸く皆の輪の中に入ることができた。

ドヤ顔をアリサへ向けると、アリサは小さく苦笑してから、言った。

 

「アヤ。どれだけ状況が変わっても、私達は特科クラス《Ⅶ組》よ。それだけは、何があっても揺るがない。私はそう思ってる」

「アリサ・・・・・・」

「士官学院を卒業して、お互いに別々の道を歩むことになったとしても・・・・・・私はみんなと過ごした時間を忘れない。ずっと私の根底に在り続ける気がするわ。みんなもそうでしょう?」

 

「当然です」

 

エマ。

 

「無論だ」

 

ラウラ。

 

「ボクもボクも!」

 

ミリアム。

 

「だね」

 

フィー。

 

皆の顔を見渡してから、アリサ。

 

「アヤは、違う?」

 

首を傾げて問い掛けてくるアリサの笑顔が、眩しく映る。

その笑顔を照らす夕焼けに、自然と視線が向いた。

 

西の空に浮かぶ夕陽が、神々しい輝きを放っていた。

夕陽は山脈の向こう側へゆっくりとした速さで落ちていき、閃く。

日没の直前にだけ拝むことができる、一際強い輝き。ただ一度切りの―――『一瞬の閃き』。

 

(あ―――)

 

次第に五感が冴え渡り、夢から覚めたかのような感覚にとらわれていく。

クロスを握る手に、力が入る。身体の奥底から、何かが沸き上がってくる。

私はその衝動に身を任せ、クロスを大きく振りかぶった。

 

「っ・・・・・・とおりゃああぁっ!!!」

 

私の全力投球は、明後日の方向に飛んだ。

ボールは大きな弧を描いて、夕焼けの中に吸い込まれていく。

我ながら随分と飛ばしたものだ。アリサが言うように、結構向いているかもしれない。

 

皆は私の行動に触れようともせず、苦笑交じりの笑顔を浮かべていた。

私が日没した西空へ目を向けると、皆もそれに続いた。

横並びになって、同じ景色を共有した。同じ場所に立っていた。皆と、同じ場所に。

 

「この冬一番の夕焼けだったな」

 

いつからだろう。

ずっと忘れてしまっていた気がする。

 

「もう暗いね。どうする?」

 

アリサが、皆が何を伝えようとしたかは分からない。

多分皆も、明確な意図があった訳じゃない。

 

「まだ夕飯には早いですね」

 

クロスベルの状況は変わらない。

ユイとの契約を、私は生涯背負わなければならない。

 

「ねえねえアヤ、久し振りに学生寮の部屋に行かない?」

 

でも、信じられるものがある。

理屈を抜きにして、信じることができる。

この3ヶ月の間、目を逸らし続けてきた物。心の軸が漸く、定まってくれた気がする。

 

賭けてみよう、一瞬の閃きに。

この閃きの先にある未来を信じて。

 

「ねえアヤ、アヤってば・・・・・・どうしたの?」

「何でもない。みんな、もう少し続けよう」

「続けるって言っても、大分暗くなってきたわよ?」

「いいからいいから。ボール、取って来るね!」

 

夕陽に代わり、白い月が1つ浮かぶ空の下で、私は走る。

全力で駆け抜けた。前だけを見て、力の限り足を動かして走った。

汗と涙を置き去りにしながら、私は走り続けていた。

 

_____________________________________

 

―――約10分前。

 

「女子共は何をしているんだ」

 

厩舎での一仕事を終えたユーシスが、グラウンドに続く階段に座りながら呟く。

彼の周囲には、女子と同じくして《Ⅶ組》の男性陣が一堂に会していた。

特に示し合わせた訳ではなかったが、極自然に5人が勢揃いしていた。

 

「何をって、ラクロスだろう」

「阿呆が。何故こんな時間にと言っている」

「あはは。まあ楽しそうだからいいんじゃない?」

 

既に日は暮れ掛けているというのに、《Ⅶ組》女子は活気付いてクロスを振るう。

少々危なっかしいと感じつつも、かつての日常を思わせる光景は、皆の心へ確かに響いていた。

見守っていたうちの1人、ガイウスが腕を組みながら口を開く。

 

「ラクロスか。俺には馴染みが無いが、どういった競技なんだ?」

「うーん、僕も詳しくは知らないよ。みんなはどう?」

「ラクロスなら、以前にラウラから教わったことがあるよ」

「ラウラに?」

「ああ。ラウラはアリサから聞いたって・・・・・・な、何だよ?」

「何も言っていないが」

「今更弄る気も起きんな」

 

リィンは咳払いした後、ラクロスのルールについて簡潔に語り始める。

 

女子ラクロスは1チーム12人。

大まかに分類すると、攻撃陣と守備陣が3人ずつ。中盤に5人と、自陣ゴール前に1人。

クロスと呼ばれるスティックを使い、ボールを相手陣のゴールへ入れて競う球技である。

 

「12人か。思っていたより大人数だな」

「ポジションも事前に決めておくんだ。確か、こんな感じだったかな」

 

リィンが木の枝を使い、地面にフィールドと各ポジションの位置取りを書いていく。

向かって左側から攻撃陣、中盤、守備陣、そして自陣ゴールを守るゴーリー。

するとマキアスが何かを思い付いた表情で言った。

 

「12人か・・・・・・《Ⅶ組》と同じ人数だ」

「あ、本当だ。ちょうどいいや、《Ⅶ組》で説明してみてよ」

「《Ⅶ組》で、ポジションをか?」

「フン、なら話は早い。お前はここだ」

 

ユーシスがリィンの右手から枝を奪い、中央の点の下に『リィン』の名を記す。

センターは攻守の要、全体の流れをコントロールする中心的な役割を担う。

《Ⅶ組》の重心であり中心でもあるリィンに相応しいポジションだった。

 

センターが決まった後、枝は再びリィンの手に握られる。

次に名が記されたのは、自陣ゴール前。ゴーリーだった。

 

「ガイウスの安定感と信頼感は、ゴーリー向きだと思うな。安心して任せられるよ」

「守備の砦か。俺は前衛だと思っていたんだが」

「細かいことはいいんじゃないか。俺もセンターだし、感覚的の話だろ」

 

続いて攻撃陣。

攻撃の起点となるサードホームがフィー。右翼のセカンドホームにアヤ。

そしてポイントゲッターのファーストホームにラウラが選ばれる。

 

「攻撃陣が女子で埋まっちゃったね」

「仕方あるまい。文句は言えん」

「それで、僕はどのポジションになるんだ?」

「そうだな・・・・・・マキアスとユーシスは中盤だ、2人をディフェンスウィングにしよう」

「おい」

「待て」

 

不服そうな声を意に介さず、リィンがディフェンスウィングに2人の名を書き込む。

守備陣はエリオット、アリサ、エマ。中盤の残り、アタックウィングにミリアム。

律儀にフィールドサイドにベンチを作り、サラがコーチ。そして―――

 

「・・・・・・右サイドのアタックウィングは、あいつだ」

 

―――クロウ・アームブラスト。

リィンはクロウの名を地面に刻み、枝を置いた。

 

暫しの間、静寂が流れる。

誰も口を開こうとはせず、クロウの名を見詰めていた。

 

その後5人は階段へ座り直した後、薄暗いグラウンドで駆け回る女子に視線を戻す。

同じ《Ⅶ組》とはいえ、男女間では僅かな感情の違いが生まれる。

かつて衣食住を共にした同性に対し、女子とは異なる、特別な想い入れがあった。

 

「僕らもそろそろ、覚悟を決めた方がいいんじゃないか」

 

マキアスの言葉が、眼前の日常が仮初に過ぎないという現実感を駆り立てる。

ずっと続くと思っていた、掛け替えのない日々。育んできた多くの絆。

取り戻せたものがある一方で―――決して叶うことがない、願いがある。

 

マキアスに続いて、ユーシスが重い口を開く。

 

「明日の作戦がどう転ぶにせよ、間違いなくこの内戦は動く・・・・・・現実を見据えるべき時は近い」

「・・・・・・パンタグリュエルで、アヤとも話したよ」

 

クロウが立っている居場所へ辿り着く。

大き過ぎる目標は時として混乱を招き、意味を成さない。

しかしリィンらはそれを力に変え、歩み続けたことで今この場に立っている。

 

だが理想は理想。それ以上でも以下でもない。

クロウ・アームブラストは変わらない。

狂気に走り、多くの命を奪い、踏みにじったテロリストとしての過去は消えない。

内戦がどうあれ、目を背ける訳にはいかない現実がある。

 

もし仮に、再びクロウと対峙する時が来たら。

どうすればいい。何と声を掛けて、どう振る舞えばいい。

理想を掲げ続けたからこその欠如感。それが今、津波のようにリィンらの胸に押し寄せていた。

 

「水霊窟でのことは、ガイウスにも話したよな」

「『蒼の深淵』・・・・・・ヴィータ・クロチルダが語ったことか」

 

遥か250年前。語り継がれることはなかった、獅子戦役の『裏』。

巨いなる力の欠片は、運命に引き合わされ、争う宿命。

幾度となく同じ衝突が繰り返されてきた、騎神同士の衝突。

 

「ヴァリマールとオルディーネ。お互い騎神に見定められた時から、俺は・・・・・・俺達は、相容れない運命だったのかもしれない」

「リィン・・・・・・」

「なんて、クロウは考えているんだろうな」

 

リィンは右手の掌を見詰め、立ち上がる。

すると西の街道上、帝都方面に睨みを利かすヴァリマールの方角を見やりながら、言った。

 

「とりあえず、1発ぶん殴る」

 

リィンの言葉に、4人の口が半開きになり、再びの静寂。

いち早く我に返った我に返ったユーシスが、重い腰を上げた。

 

「それで、殴った後はどうするんだ」

「考えていないさ」

 

半ば投げやりな返答に、ユーシスの声に怒気が帯び始める。

 

「戯れ言も大概にしろ。聞いていなかったのか、現実を見ろと言っている」

「ユーシスも同じだろ。なら聞くけど、ユーシスは後先のことを考えて俺達と合流したのか?」

「そ、それは」

「立場的に許されない真似をしてまでしてカレイジャスに乗ったのは、ユーシスが《Ⅶ組》だからだろ。俺だってそうさ。だからヴァリマールに乗った。それだけの筈だったんだ」

「・・・・・・リィン?」

「必要だったから、俺は乗ったんだ」

 

ユーシスに呼応して、リィンの語気が強まる。

それはすぐに鳴りを潜め、打って変わって弱々しい声に変わっていく。

 

「フン、話が逸れているぞ」

「・・・・・・すまない。本当は、怖いんだと思う。クロウの件、だけじゃない」

 

迷いと恐怖。その対象は1つではなかった。

獅子戦役。巨いなる力の欠片。起動者としての宿命。繰り返される歴史。

そのどれもが、リィンにとってはひどく煩わしかった。受け入れたくはなかった。

 

取り戻したかっただけだ。クロウが立つ居場所へ、届きたかっただけだった。

だからヴァリマールに乗った。戸惑いながらも、歯を食いしばって騎神と共に在り続けてきた。

しかしリィンの肩には、知らぬ間に重々しい何かが圧し掛かっている。

知りたくもなかった真実と過去に苛まれ、それは水霊窟での一件を境にして、頂点に達した。

 

在った筈の日常を、元通りにしたいだけなのに。

それすらもを否定してしまったら。

 

もう、何も残らない。

あるのは騎神という力と、起動者としての、もう1人の自分だけだ。

 

「ハハ、情けない話さ。俺は―――んごっ!?」

 

口を開き掛けた直後。リィンの後頭部に何かがぶつかった。

その何かは地面に落ち、ころころと4人の前に転がってくる。

 

「これって・・・・・・ラクロスのボールだよね」

 

皆の視線の先には、こちらに異様な速度で走り寄ってくる、アヤの姿があった。

競技用のボールと言えど、ラクロス用のボールはそれなりの強度がある。

頭を抱えて蹲るリィンは、大変な痛みに襲われていた。

 

「成程な、アヤの仕業か。しかしよく飛んだな」

「ま、待ってくれ。どうしてこの距離で届くんだ?」

「あはは。100アージュ近くあるよ、きっと」

 

その100アージュという長距離を、アヤの脚力は見る見るうちに縮めていく。

男子の下に辿り着いたアヤの額には大粒の汗が浮かび、荒々しい呼吸で肩が弾んでいた。

アヤは慌てた様子でリィンに歩み寄り、顔を覗き込む。

 

「ご、ごめんね。怪我してない?」

「いや、気にしないでくれ。大丈夫じゃないけど、大丈夫だ」

 

リィンはよろめきながら立ち上がり、アヤに笑顔を向けた。

大事無いことを確認したアヤは再度頭を下げ、ボールを受け取ってから踵を返して走り出す。

 

「アヤ、待ってくれ」

「え?」

 

するとリィンが頭を擦りながら、アヤを呼び止める。

リィンは多少躊躇うような仕草を見せた後、アヤに言った。

 

「君はユイと一緒に、何処へ向かっているんだ?」

「明日っ!!」

「は?」

 

曖昧な問い掛けに対する、曖昧な返答。

異なるのは、お互いの表情。アヤは満面の笑みで返した後、止まっていた足を動かす。

少しの迷いも見受けられないアヤの背中に、リィンの目は釘付けになっていた。

 

「アヤ君らしい返答だな。調子も戻ったんじゃないか」

「少し心配だったけど、あれなら大丈夫そうだね」

「単純な女だからな。大方っ・・・・・・待て、違う。褒め言葉だ、落ち着け!」

 

ガイウスの豹変ぶりにユーシスが狼狽える一方で、リィンはアヤが向かった先を見詰めていた。

 

一時離れたアヤが、再び皆の輪へ加わる。

アリサ、ミリアム、エマ、ラウラ、フィー。そしてアヤ。

ボールは地面に落ちることなく、面白いようにパスが繋がる。

お互いを結ぶ、見えない何かに沿うように、ボールは円を描いて回っていく。

 

リィンの右手は、自然にARCUSへと伸びていた。

ボタンを操作し、通信先を選択する。通信はすぐに繋がった。

 

『無線通信ノ受信ヲ確認。交信開始』

「ヴァリマール、お疲れ。そっちは変わりないか?」

『西方ニ動キハ見ラレナイガ、客人ガ来テイル』

「客人?」

『ユイ。アヤガ従エル聖獣ダ』

 

ヴァリマールの返答に、リィンが驚いた様子でARCUSを持ち替える。

ユイはアヤの言い付け通りに上空を駆け回り、西に向かって飛んでいた。

その道すがら、ユイは目に止まったヴァリマールに関心を示し、彼の肩で羽休めをしていた。

 

「そうだったのか。意外な組み合わせだな」

『立場上、互イニ通ジル物ガアルノダロウ。会話ハ弾ンデイル』

「ハハ、もっと意外だ。何を話していたんだ?」

『ソナタハ節操ガ無イトイウ話ニ始マリ、イイ加減今宵ニデモ―――』

 

ARCUSが耳元から離れ、リィンとヴァリマールの通信が終了する。

意外どころか、下手をすれば大変な事態に繋がりかねない組み合わせだった。

 

「リィン、誰と話してたの?」

「聞かないでくれ」

 

エリオットに返したリィンが、4人へと向き直る。

不思議と晴れやかな心境だった。肩が軽く感じられ、視界が広がったような感覚だった。

リィンは先程までとは打って変わって、透き通った声で言った。

 

「なあみんな。もしかして、俺って単純なのか?」

「フン、頭を打って我にでも返ったか」

「いい風が吹いたようだな」

「アヤ君にボールをぶつけられただけだろう・・・・・・」

「リィンは単純っていうより、純粋なんだと思うよ」

 

女子に倣って、5人は円状に立つ。

この場へ集った時のように、言葉は不要。蛇足に過ぎなかった。

 

「話を戻そう。クロウだって同じ《Ⅶ組》だ。可能性がゼロじゃない限り、たとえゼロに近いとしても、俺は諦めるつもりはないけど・・・・・・今はただ、あいつを殴り飛ばすことしか思い付かない」

 

リィンを除く4人がお互いの顔を見合わせ、リィンの視線と重なる。

するとガイウスが右拳で左の掌を叩いてから、リィンに続いた。

 

「同感だ。1発殴るという案についてもな。アヤも殴らないと気が済まないと言っていた」

「僕も振り回されっ放しは御免だ。エリオット、君も殴ってやれ」

「あはは。でもそれだと、クロウは何発も殴られちゃうね」

 

3人がリィンに賛同の意を示すと、ユーシスがやれやれと大きな溜め息を付く。

ユーシスは地面に置かれていた枝を拾い上げ、枝先を足元に向けた。

その先には、先程リィンが書いたラクロスのフィールドと、《Ⅶ組》の名前があった。

 

「いいだろう。ならば場所決めだ。このポジショニング通りの箇所を、それぞれ殴ればいい」

 

ユーシスが大雑把に、図の上から人を模した絵を描いた。

攻撃陣を頭部にして、それぞれが打つ場所が決められていく。

 

「女子が顔面か。アヤ君は流石に不味くないか?威力があり過ぎる」

「ハハ、首がもげるかもしれないな。俺はセンターだから、鳩尾辺りか?」

「僕達守備陣は下腹部辺りかなぁ」

「待ってくれ、俺のゴーリーの位置が大変な箇所と重なっている」

 

ガイウスが言うやいなや、大きな笑い声が上がった。

皆が笑い、ユーシスが柄にもなく笑い、腹を抱えて笑った。笑い続けた。

 

お互いに意識して剥き出した感情は1つとなり、夜空へと昇っていく。

この声が、遠い地に立つ仲間へ届くように。誰もがそう願って止まなかった。

 

「何をしてるのかしら、うちの男子達」

「な、何だか異様な光景ですね」

「特にユーシスがキモい」

「でもすっごく楽しそうだねー」

「ほらラウラ、早く声を掛けてきなよ。チャンスチャンス」

「わ、分かっている。ええい、押すな!」

 

仮初の日常はそれでも瑞々しく、以前よりも光に充ちていた。

 

____________________________________

 

午後20時過ぎ。士官学院本校舎、教官室。

 

「じゃあ、私はこれで失礼します」

「ご苦労様。トワ、今日は早めに休むのよ。昨晩も大して眠れていないでしょう」

「サラ教官こそ、お酒は程々にしなきゃ駄目ですよ?」

「はいはい」

 

右手を振って退室を促し、トワの背中を見送る。

言われるまでもない。今日は酒の量も控えて、明日に備える必要がある。

 

「ふう」

 

座椅子に深く座り直し、小さな溜め息を吐き出す。

手元には文字と図形混じりの、数枚のレポート用紙。

トワらが取り纏めた、明日のカレル離宮解放作戦の段取りが記された物だった。

 

「・・・・・・見事な手腕ね」

 

ざっと目を通しただけでも、完成度の高さに唸ってしまう。

今日という日までカレイジャスが経験してきた、全ての集大成といったところか。

とても学生が短時間で立案した物とは―――いや、違うか。

士官学院生が一丸となり、数多の試練を乗り越えてきたからこそだ。

 

武術教練の成績順位。ARCUS適正値とオーバルアーツの熟練度。

導力銃や対銃器戦の経験、カレイジャス乗艦日数、身体能力に性格。

あらゆる情報を天秤に掛けた人選と、これまでの経験を活かした作戦行動。

気になる点はいくつか見受けられるが、どれも微修正に過ぎないだろう。

 

地上での実動班の中心には、言わずもがな《Ⅶ組》がいた。

私の教え子達は、こういったミッションに精通している。

『経験』の度合いが群を抜いているのだ。士官学院全体で見ても頭一つ飛び抜けている。

ガレリア要塞襲撃事件をはじめとして、本物の戦場に身を置いた回数が違う。

 

(手放しには、喜べないわね)

 

だからこそ怖くもあり、気が気でならない自分がいた。

銃口を向けられても物怖じしない。兵を無力化する手段を躊躇わずに選び取る。

血を流し、流させる覚悟の程は、軍人の域に達しているかもしれない。

 

危険と隣り合わせの日々。付き纏う不安。

特別実習の中止が理事会議で上がった時のことを思い出してしまう。

 

「複雑な思いだわ・・・・・・あら」

 

天井を見上げていると、机の上からARCUSの着信音が聞こえた。

手に取り番号を確認する。見覚えのある番号だが、明確には思い出せない。

 

「はい、サラです」

『ナイトハルトだ。バレスタイン教官か』

「ナイトハルト教官?・・・・・・じゃない、少佐」

 

通信相手は、かつての同僚だった。

予想だにしない声に、慣れ親しんだ方の肩書を口にしてしまっていた。

 

「どうしたんですか、こんな時間に」

『上官から指示を頂いてな。明日の作戦について、事前に数点確認しておきたい』

 

すぐに事情は察せられた。

明日のカレル離宮解放作戦は、正規軍との共同戦線と言っても過言ではない。

決行の機を合わせる必要があるし、直前まで密に連携を取り合わなければならない。

一時教官として身を置いていたナイトハルト少佐が、その役割を与えられたのだろう。

 

「詳細は明日の朝、8:00にカレイジャスから報告します。それでいいですか?」

『ああ、了解した。それで、疲れているのか?』

「は?」

『声に覇気が感じられん。作戦は明日だ、そんな調子では士官候補生の士気に影響しかねんぞ』

「あ、あなたねぇ・・・・・・はぁ」

 

また溜め息が出てしまった。もっと違う言い方があるだろうに。

それにあの見るからに鈍そうな男性に見透かされたような気がして、気分が滅入ってしまう。

 

「別に、疲れてはいませんよ」

 

私は背もたれに身体を預け、頭上を仰ぎながら適当に言葉を選び出す。

何かを期待した訳ではなかったが、今は自分の弱い部分を身体から吐き出したかった。

少佐は終始無言だった。顔が見えない分、聞いているのか怪しく思えてしまう。

一通り話し終えると、漸く少佐の声が返ってくる。

 

『フム。理解はできるが、随分と今更な弱音だな』

「弱音とは違います。それに分かって貰おうとは思っていません」

『理解はできると言っているだろう』

「気休めは結構です。あたしは―――」

『俺の部下も先日、銃撃戦の末に頭部へ被弾した』

 

思わず息が止まった。

 

「ま、待って。何の話ですか?」

『幸い後遺症は残らなかったが、左の眼部を撃たれてな。視力は戻らないらしい』

 

左眼を失明。アヤと、同じ。

変わり果てたあの子の姿を目の当たりにした時の恐怖が、脳裏をよぎる。

あんな思いは、もう二度としたくない。

 

『軍人は常に無制限の責任を負う使命がある。頭では分かっていても、慣れないものだな』

「っ・・・・・・」

 

そうだ。ナイトハルト少佐にも、直属の部下がいる。

少佐と関わりのある人間で言うなら、帝国中に存在している。

それに一時とはいえ、少佐も士官学院で教官として教鞭を執っていた身だ。

理解できない筈がない。寧ろ同じ立場にあると言っていい。

 

「・・・・・・ごめんなさい。軽率な物言いだったわ」

『構わん。バレスタイン教官の苦悩は、確かに俺の比ではないのだろう』

 

少佐が言った無制限の責任を、軍人は受け止めなければならない。

生命の危機を賭してでも任務を遂行する使命。軍人とそれ以外を二分する、根本の違い。

 

あの子達は軍人ではない。無限の可能性を秘めた若者だ。

本来なら止めるべきなのかもしれない。でも、その可能性に賭けたいという思いもある。

相反する2つの感情に挟まれっ放しだ。もう乗り越えたとばかり思っていたのに。

 

『そう難しく考える必要はないと思うがな』

「え?」

『教え子を守るのが師の務めだ。士官候補生は勿論、バレスタイン教官も軍人ではない。上官のように後方で指示を下す必要も無い。身を挺して守り抜けばいい。違うか?』

 

言ってくれる。言われずとも端からそのつもりだ。

―――いや。もしかしたら、そうなのかもしれない。

ただ単に、誰かに背中を押して欲しかった。待ち望んでいた言葉があった。

 

とんだ茶番だ。我ながら呆れて物が言えない。

元から私にできることは、1つだけ。この身を犠牲にしてでも、絶対に。

 

「当たり前よ。明日はあたしも前線に出る。何の問題も無いわ」

『それでいい。前途ある士官候補生に何かあっては困るからな。武運を祈っているぞ』

「ええ、お互いにね」

『では明日の報告を待っている。ヴァンダイク学院長にも宜しく頼む』

「あ、待って」

『何だ?』

「・・・・・・ありがとう。オーバー」

 

返答を待たずして通信を切る。

知らぬ間に敬語を使っていなかった。同じようなことが、今年の夏にもあった。

あれはキルシェでの酒の席。アヤの進路について、お互いに熱弁を振るった時のことだ。

 

(行き当たりばったりの、即席教官か)

 

今にして思えば言い得て妙だ。

私はそれでいい。私は私らしくあろう。

戦うことしか能が無い自分に、できることがある。今はそれで十分だ。

 

________________________________________

 

―――同時刻。

貴族連合軍旗艦『パンタグリュエル』、貴賓区画。

 

ヴァルターが後ろ手に部屋の扉を閉めると、彼の視線が正面を向く。

通路を挟んで向かい側。デュバリィが腕を組み、ヴァルターと同じく扉の前に立っていた。

 

「何か言いたげだな」

「止めるつもりはありませんわ。ですがもう少々、節度を守って頂きたいものですわね」

「あん?」

「ぐぬっ・・・・・・こ、声が漏れていると言っているのです!しかも最近は毎晩のように!」

 

デュバリィが声を荒げると、ヴァルターは小さく溜め息を付いてから「クク」と笑った。

 

単純な話だ。ヴァルターは私室で娼婦を抱いていた。

今に始まった話ではない。望めば何だって手に入る。

彼は欲望に素直だった。が、デュバリィが言ったように、少々事情が違った。

 

12月13日を境にして、ヴァルターは憑り付かれたように、戦場へ身を置き続けた。

暇さえあれば身体を動かし、鍛錬と称して何かを破壊しては、女を抱く。

肉を喰らい女を貪り、睡眠欲という本能さえ捨て去る日々。

 

抜け落ちた何かを埋め合わせるように。

狂った獣の如く、ヴァルターは喰らい続けていた。

 

「何なら相手してくれや。生娘って訳でもねえだろ。お前なら大歓迎だぜ」

「っ・・・・・・!!」

 

デュバリィの右手が、腰に携えていた大剣へ伸びる。

剣が抜かれることはなかった。構える前に、デュバリィは身を縛られたように、硬直した。

 

サングラス越しでも分かる、底抜けに深い感情を帯びた両眼。

屍のように冷たい眼から発せられる冴え冴えとした眼光が、全身を射抜いてくる。

デュバリィは膨れ上がった筈の怒りが、急速に冷え込んでいくのを感じていた。

 

「おう、話はそれだけか」

「・・・・・・1つ訊きますが。あなた、いつから眠っていませんの?」

「さあな。3日前ぐらいじゃねえか」

 

ヴァルターは首を鳴らしながら返すと、ゆっくりとした足取りでその場を去って行く。

デュバリィは物悲しげな背中を見詰めながら、男の行く末を考える。

 

執行者は誰もが何かしらの闇を抱えている。

その闇が今、ヴァルターの中で急速に広がりを見せつつある。デュバリィはそう感じていた。

 

「どう足掻いても・・・・・・あれはもう、戻れませんわね」

 

闇を抱え切れず、光に走った者は複数人いた。

だがヴァルターはもう、戻れない。光は彼の身を焦がし、燃やし尽くす。

闇の全て力に変えて、本能の赴くままに戦い続ける。

 

救いは死と同義。

狂気の生か、救いの死か。

ヴァルターは少しずつ、歩み始めていた。

 

______________________________________

 

示し合わせたように、動き出す者達がいた。

 

「またこの場所に戻って来るとは思わなかったな・・・・・・エステル、どうしたの?」

「な、慣れないわね。無人の要塞って、夜は特に雰囲気があるっていうか」

「今日中に街道へ出ましょう。先を急ぐわよ」

「ああ、待ってよキリカさん!」

 

12月31日。七耀歴1204年が、最後の時を刻み始める。

 

「聞こえなかったか、准将。私は隻眼を引き摺り出すと言っている」

「自分が知る人間の中に、隻眼は2人います。どちらのことで?」

「決まっているだろう。あのような獣を野放しにはできん」

「私の前では本音を語って欲しいものですがね」

「フフ、言うようになったではないか」

 

終わりの始まりは、刻一刻と歩み寄ってくる。

 

「どうしたんだい、レイアちゃん。もうお腹一杯かい?」

「・・・・・・寒気がする」

「寒気?ありゃ、風邪でも引いちゃったのかもしれないね」

「違う。巨いなる災いが、再び降り注ぐ刻・・・・・・予感がする」

 

運命の歯車は―――もう、止まらない。

 

 


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