絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月28日 盤上の遊戯

 

碧の大樹が顕現してから、2日後の朝。七耀歴1204年が、残り4日間を切った頃。

クロスベル、帝国、共和国。三者を隔てる国境の三叉路からやや北方、クロスベルの南西部。

ユイの翼で国境を越えた私達は陸路を進み、帝国の東端部から西を目指していた。

 

レクター大尉は慎重に慎重を期したルートを取り、私達にも用心を言い聞かせた。

森林地帯を抜けてからは、ユイを小鳥の姿へと戻し、3人揃って徒歩での旅路。

その徹底振りからは、大尉が情報畑の人間だということを改めて思い知らされた。

あらゆる策を以って、誰の目にも映らないまま動く。味方である正規軍側の人間にさえも。

そうする必要があるという一点だけは、大尉の立ち振る舞いから理解できていた。

 

徒歩での移動ということもあり、目的地へ辿り着いたのは、日の出から約1時間後。

現時刻は午前7時過ぎ。私達の眼前には、平野を貫く大陸横断鉄道が、真っ直ぐに横たわっていた。

 

「ふう。やーっと着いたぜ」

「着いたって・・・・・・ここが?」

 

歩きっ放しで疲れが溜まった足を伸ばしながら、周囲を見渡す。

鉄道、木々、風に揺れる草原。何の変哲も無い風景と、冬の朝独特の空気。それだけだった。

着いたと言われても、そもそもが目的地の詳細を知らされていないのだから、ピンと来ない。

上着のポケットの中で眠るユイを起こさないよう、声を抑えて私は聞いた。

 

「ここに、何かあるんですか?」

「そう急かすなよ。まあ見てろって」

 

レクター大尉は背後の小高い丘へと歩を進める。

先にその存在に気付いたのは、遠目が利くガイウスだった。

 

「あれは、扉か?」

「扉?・・・・・・あっ」

 

周囲の風景と同じ色に溶け込んでいた、1つの扉。

よくよく目を凝らさなければ気付かない程の、見事な擬態。

金属製と思われる扉がぽっかりと、地面と垂直にそびえる岩壁の中に、浮かんでいた。

 

私とガイウスはレクター大尉の後を追って、扉の前に立つ。

扉の右側には、数字や記号が記された操作キーと、スピーカーと思われる小型の機器。

大尉は慣れた手付きで数回キーを押して、階級と所属を告げる。

するとすぐにスピーカーから、くぐもった低い声が聞こえてきた。

 

『音声認証を確認・・・・・・驚きました。本物ですね』

「ああ、本物のレクターだ。それと連れが2人、鳥が1羽いる」

『待って下さい。事前通達も無しに民間人を―――』

「固えこと言うなや。有事の時ぐらい融通利かせろ」

 

レクター大尉が扉を叩くと、ガチャリという金属音の後、ピーという導力的な音が聞こえた。

頭上から砂埃を落としながら開かれた扉の先には、1人の男性。

ややくたびれた服装、出で立ちの男性が、驚きに満ちた表情を浮かべていた。

 

「アランドール大尉。いつ戻って来られたのですか」

「話は後だ。暫くの間、使わせて貰うぜ。安心しな、こいつらは臨時の協力者だ」

「・・・・・・了解です。どうぞ中へ」

 

言われるがままに、私とガイウスは開かれた扉を潜った。

恐る恐る中の様子を窺うと、そこには到底理解に及ばない光景が広がっていた。

 

「何だ・・・・・・これは」

「あ、あはは。狭いけど、暖かいね」

 

外から見れば、やはり単なる岩の塊にしか映らない。

だが一度足を踏み入れれば、アパルトメントの一室と同じ規模の空間が在った。

 

間取りは大きく分けて2つ。

手前にはベッドをはじめとした生活家具の数々と、備品が収められたラック棚。

奥側の部屋にはおびただしい数の機器に、ケーブルと繋がれた端末が並んでいた。

物で溢れ返っている分、どちらの部屋からも統一性は感じられない。

更に奥にはまだ扉が有り、見た目以上に広々とした造りになっているようだ。

 

思いも寄らない展開に立ち尽くす私達を尻目に、大尉は端末が並んだ一室へと入っていく。

慌てて後を追い、説明を求めると、大尉は不敵に笑いながら答えてくれた。

 

「情報局の間じゃ、『隠れ家』って呼んでる。鉄道沿いに設けられた、一種のセーフハウスみたいなもんさ。軍事学の授業に出てこなかったか?」

「・・・・・・聞いたことはありますけど」

「用途は色々あるぜ。臨時の拠点に要人の保護・・・・・・そいつはここの管理人って訳だな。俺もちょいちょい世話になってんだ」

 

管理人と呼ばれた男性は、ベッドの上に座り、煙草を吸い始めていた。

察するに、この隠れ家は男性が生活する場でもあるのだろう。

 

大尉が言ったように、セーフハウスについては一度だけ授業で取り上げられたことがあった。

大掛かりな施設もあれば、人目を避ける為の潜伏場所の類もある。

だが実物を見るのは初めてのことだ。しかも専属の管理人までいる。

私達が教わった軍事拠点としてのセーフハウスとは、余りにも掛け離れていた。

 

「驚いたな。こんな所が・・・・・・ここ以外にも、隠れ家が?」

「まあな。情報局の人間は勿論だが、一部の人間にしかお目に掛かれない場所なんだぜ。どうだ、貴重な体験だろ」

 

大尉は言いながらキャスター付きの椅子へ腰を下ろし、端末のキーボードを叩き始める。

すぐにディスプレイ上に光が灯り、文字や数字の羅列が次々に流れていく。

まるで目が追い付かない速度だった。大尉には、理解できているのだろうか。

 

「それ、何ですか?」

「各駅から送信されてくる、『業務日誌』ってところかね」

「・・・・・・分かるように説明して下さいよ」

「クク、だから焦るなって」

 

レクター大尉は多少勿体振った後、説明を始めた。

今現在大尉が目を通しているのは、各主要駅から送られてきたデータの一部。

暗号化された有線による通信には、導力波を文書として変換、送受信する技術がある。

小容量のデータに限って言えば、無線通信でもやり取りをすることが可能だ。

 

それ自体には、特に驚きも無い。カレイジャスも利用していた一般的な通信手法だ。

オリヴァルト殿下の依頼やレンの招待状も、暗号化を介して私達の下に届けられていた。

 

「『業務日誌』ってのは、俺が勝手にそう呼んでるだけなんだがな」

 

注目すべきは、駅から送信されてくる、情報の海。

列車運行、貨物、乗客。発着時間、積荷の内訳、乗客の人数。

あらゆる情報が駅内の専用機器に蓄積し、それらは更に、駅同士間で交換がなされる。

そして鉄道沿いに設けられた隠れ家も、通信網で繋がれた拠点の1つだという点にあった。

 

「外部からの無線傍受を防ぐ為に、全ての情報は高度に暗号化される。しかも送受信は全自動だ。裏技を使えば、個人の足取りも追えちまう。便利な世の中だねぇ」

「お、俺には何が何だか。それに、裏技とは何ですか?」

「富裕層は運賃のカード払いが進んでるからな。覗いて下さいって言ってるのと同じだろ」

「・・・・・・アヤ、そうなのか?」

「違うから。絶対に違う」

 

何が裏技だ。プライバシーの侵害以外の何物でもない。

しかしそれを抜きにしても―――これが、情報局のやり方なのか。

 

「・・・・・・今は、何を調べているんですか」

「言ったところで分かりゃしねえよ」

 

私達にとっては、何の有益性も感じられない情報の数々。

でもレクター大尉の目にはおそらく、全く異なる形で映っている。

しかもそれらの情報は帝国中から吸い上げられ、私達の知らない場所へ、常に流れ続けている。

 

その事実に気付いている人間が、この国に何人存在しているのだろう。

常軌を逸した通信網。常軌を逸した個の力。組織力と人。

両者が重なり合った瞬間に何が起きるのか。2ヶ月以上も前に、私は身を以って知らされている。

 

「それにしても、アヤ。何か思い付かないか?」

「はい?」

「ヒントは『クロスベル市』、それと『鉄道網』だ。両者の共通点をよーく考えろ。お前さんなら、きっと辿り着ける」

 

前触れ無しに求められる答え。無茶を言わないで欲しい。

クロスベル市と、鉄道網。関連性をすぐには見い出せない。

 

「そう言われても・・・・・・」

「さっきまでの会話を思い出してみろよ。ヒントは散々出尽くしている筈だぜ」

 

無線通信による情報のやり取り。駅を拠点とした通信網。

駅同士を繋ぐのは、やはり鉄道。帝国の主要都市は、全て鉄路で繋がっている。

鉄の網は延長の一途を辿り、鉄道事業が占める国家予算の割合は、帝国の大きな特徴でもある。

その強引過ぎる宰相の手法に、疑問の声を上げる人間もいるらしい。

以前ユーシスが漏らしていた事実だ。一体何が目的で―――いや、待て。

 

(え?)

 

クロスベル市の情報インフラ。帝国中に張り巡らされた鉄道網。

帝国に有って、クロスベル市に無い物。クロスベル市に有って、帝国に無い物。

クロスベル市には鉄道網が無い。代わりに有るのは―――導力ケーブル。

試験導入中の革新的な試みは、莫大な情報のやり取りを可能にした。

 

「ま、まさか・・・・・・導力ネットワーク構想、ですか!?」

「大当ったりぃ。勿論、実現までに時間は掛かるだろうがな。色々と課題が多過ぎだ」

「待って、待って下さい。そんな話、聞いたことがないですよ」

「当たり前だろ。極秘裏に進められてる非公式な計画だ。表沙汰になるのは、もっともっと先の話だろうぜ」

 

ツァイス中央工房とエプスタイン財団が生み出した、導力ネットワーク構想。

1190年代に産声を上げた概念は、約5年前から形となり、クロスベル市へ試験的に導入された。

 

クロスベル市が選ばれた理由は単純だ。

資金提供元であるIBCの本拠地、クロスベル市が、モデルとして適役だったからに他ならない。

比較的小規模の都市内という条件下においては、着実に成果を上げていたと聞いている。

 

だがクロスベル市と帝国では、規模が比較にならない。桁が違い過ぎる。

導力ケーブルで拠点同士を繋ぐには、帝国の国土は余りに広大だ。

でも―――主要駅と、鉄道。足場には打って付けの物が、帝国には在る。

既に帝国には、土台となるネットワークが存在している。

 

「そんな・・・・・・でも、それなら」

 

一度繋がりを見い出せれば、全てが1つの答えに収束していく。

強引に推し進められた鉄道の延長。駅に蓄積していく莫大な情報。鉄道憲兵隊に情報局。隠れ家。

そしてクロスベルへの侵攻も。導力ネットワークのノウハウは、クロスベルにある。

 

勿論それぞれの目的は、元を辿ればてんでんばらばら。ばらばらの筈だ。

なのに、別々の方角を向いていた策略の数々が、もし目的地に到達したとするなら。

片手間の如く、私達の知らぬ間に―――この国へ、情報革命をもたらしてしまう。

今し方大尉が語った通信網すら不要。全く異なる領域のそれへと変貌を遂げる。

 

しかもその恩恵に与るのは、間違いなく革新派。

鉄道というネットワークを管理する側の人間達が、圧倒的優位に立つ。

 

「言ったよな。ギリアスのオッサンにとっちゃ、遊戯盤で駒を操るようなものなんだよ。駒を1つ奪われても、痛くも痒くもない。ちょいと駒を動かせば、何だって手に入る・・・・・・その様子じゃ、漸く理解できたみたいだな。遅過ぎだ」

 

何もかもを超越した世界を目の当たりにしたせいで、眩暈を覚えた。

膝が笑い立っていられなくなり、背後のガイウスに背中を預けてしまう。

 

「大丈夫か、アヤ」

「・・・・・・ごめん。少し、疲れちゃって」

 

両足に力を込めて、しっかりと身体を支える。

疲れが溜まっているのは本当だった。欠伸を噛み殺したのは、一度や二度ではない。

昨日は少しの仮眠を取った後、夜通し徒歩での移動だったのだから、2人も同じだろう。

 

(何、これ)

 

もし今の話が、事実であるとするなら。

全ての事象が、盤上で躍らされた結果に過ぎないというのなら。

オズボーン宰相にとって、クロスベルは駒の1つに過ぎなかったのだろうか。

士官学院は、カレイジャスはどうなんだ。この内戦は、裏で暗躍する人間達は。

宰相が存命であるという可能性だって、一気に現実味を帯びてくる。

 

これが、大尉が言った―――帝国の『裏側』なのか。

 

「大尉。今の話を俺達に聞かせた理由を教えて下さい。何が目的ですか」

「俺を帝国へ運んでくれたお礼・・・・・・て言っても、納得行かないって顔だな」

 

ガイウスは当たり前の疑問を、レクター大尉へ真っ直ぐにぶつけた。

すると端末を叩いていた大尉の手が止まり、私達に背を向けたまま、答えが返ってくる。

 

「さあな。でもまあ、俺は駒じゃなければ飼い犬でもない。盤上で踊らされるのは御免だ」

「・・・・・・答えになっていませんが」

「『利害が一致する』とも言ったよな。俺にもそれなりのプロ意識がある。職場には可愛い後輩と同僚もいるし、務めは果たすつもりだ。お前さん達にも手伝って貰うぜ」

 

レクター大尉が強めにキーを叩くと、向かって右側の導力機器が音を立てて動き出す。

端末とケーブルで繋がれた印刷機のようで、次々と用紙を吐き出していく。

 

「まずは情報の収集と整理から片付けるとするか。3人掛かりなら、半日もあれば終わるだろ」

「半日・・・・・・は、半日!?」

「そっから先は俺の仕事って訳だ。ま、それまでの辛抱だな」

 

今から半日も掛かるなら、丸一日とそう大差無い。

そんな話は聞いていないと文句を垂れても、退いてくれはしないだろう。

 

大きく肩を落としながら、私は駄目元の質問を大尉へ投げ掛ける。

 

「ちなみにですけど、カレイジャスと連絡を取りたいって言ったら?」

「バカ、駄目に決まってるだろ。何度も言わせんな」

 

やはりそう来るか。四の五の言っても始まらない。

というより、もう逃げられない。否が応にも手伝わされるのは目に見えていた。

 

結局私とガイウスは指示されるがままに、単調作業の繰り返しに身を投じた。

徹夜明けの睡魔との戦いは、日が暮れ始めた時間帯に、漸く終わりを告げた。

 

__________________________________

 

夢から覚めた途端、刺すような痛みが喉に走り、一気に目が冴えていく。

眼前にはコンクリート製の天井板。周囲には塵混じりの乾燥し切った空気。

暖房は効いていても、加湿器の類は無い。喉の痛みはそれが原因だろう。

 

「・・・・・・はあ」

 

少しずつ思考を平常稼動へ戻し、ベッドに入る前の記憶を呼び覚ます。

与えられた集計作業を終えた私とガイウスは、仮眠を取る為に奥の部屋へと案内された。

室内にはベッドが1つと、最低限度の備品しか置かれていなかった。

内戦が始まって以降は補給線が途絶えてしまい、質素な生活を余儀なくされているらしい。

 

「起きたのか」

「っ!?」

 

突然の声に、身体がビクリと反射的に震えた。

顔を横に倒すと、身体をこちらに向けて私を見詰める、ガイウスの顔があった。

照明は落とされていても、表情を窺える程度に目は慣れていた。

 

「お、驚かさないでよ」

「そんなつもりは無かったんだがな。俺もついさっき目が覚めた」

 

ガイウスによれば、現時刻は午後20時過ぎ。仮眠に入ってから約2時間が経過していた。

僅か2時間の睡眠でも、有るのと無しでは大違い。大分疲れも解消できた気がする。

 

「でも慣れないなぁ。昨日から昼と夜が逆転しちゃってるもん」

「ああ、そうだな」

「みんな、今頃何してるのかな」

「ああ、そうだな・・・・・・アヤ」

「え?あ―――」

 

布が掠れ合う音と共にガイウスの身体が動き、私の唇は塞がれた。

少しの容赦も無く、油断し切った口内をむさぼるように、彼の舌の侵入を許してしまう。

荒々しく前歯をなぞられたところで息苦しさを覚え、逃げるように顔を背けた。

 

「んっ・・・・・・ま、待って」

 

待ってくれる筈も無く、再び重ねられた唇越しに、体温と息遣いが伝わってくる。

触れ合ったことがある異性は、私も彼も唯一人しかいない。

だから私達は、お互いの喜ばせ方しか知らない。知り尽くしていた。

 

たったの十数秒に過ぎない濃密な時間が終わり、ゆっくりと顔が離れていく。

瞼を開けて視線が重なった途端、思わず両手で顔を覆ってしまった。

 

「アヤ、こっちを見てくれ」

「だ、だって。こういうの・・・・・・久し振り、だから」

 

我ながら似合わない反応だと思う。有無を言わさず殴り飛ばす方が私らしい。

それができなかったのは、普段とは違う、特別な環境下に身を置いてるからかもしれない。

 

恥じらいを隠せないでいる私に構わず、ガイウスは私の胸元へ顔を埋めた。

再び身体が反応してしまい、声が漏れないよう、顔を覆ていた両手で口元を押さえる。

 

「こ、これ以上は駄目だってば。だっ・・・・・・た、大尉もいるんだから」

「違う、そうじゃない」

 

それ以上先に、ガイウスは進もうとしなかった。

荒々しい呼吸は鳴りを潜め、私の胸元は穏やかな吐息で満たされていく。

私よりも一回り大きな彼の体躯が、シーダやリリのように小さく映ってしまう。

 

「アヤ。俺達は、俺達の意志で動いている。大尉が言ったように、誰かの駒じゃない。だから俺達はここにいるんだ。それを忘れないでくれ」

「ガイウス・・・・・・」

「それに俺は・・・・・・俺は」

「・・・・・・ガイウス?」

 

顔を覗きこもうとして身体を動かすと、ガイウスは一層の力を込めて私を抱いた。

何かを隠すように、私の胸から顔を離そうとはしなかった。

小刻みに身体が震えているのは、寒さが原因ではないのだろう。

 

「すまない。今だけは、勘弁してくれないか」

 

その震えの意味は、私には分からない。多分彼自身も、理解できてはいない。

けれど、漠然とした不安に苛まれているであろうことは、容易に想像が付いた。

応えるように、彼の頭部を抱き締めた私の胸中も、複雑に絡み合っていた。

 

「・・・・・・怖いよ。私も、怖い」

 

彼と2人で皆の下から離れ、歩き続けたこの5日間。

余りに多くがあり過ぎた。私達の世界観は、根底から覆されてしまった。

初めての経験という訳ではない。常識から外れた事象は、もう幾度となく目の当たりにしてきた。

 

ただ、違った。碧の大樹も、帝国の裏側も、ユイとの出会いだってそう。

何かが違う。喜びに満ちた出会いさえもが、異質な何かに思えてくる。

一挙に押し寄せた波が私達を飲み込み、形容のしようがない恐怖に駆られていく。

それらは私達の耳元で、そっと囁くのだ。これは『前触れ』だと。

 

1204年が、残り僅かな時を刻むに連れて。ヒタヒタと、ヒタヒタと。

私達の後ろから追い迫ってくる者の正体が、分からない。

 

それでも―――私達はもう、後には退けない場所に立っている。

 

「でもガイウスって、時々甘えん坊になるよね。何か子供みたい」

「言っている意味が分からない」

「無理しちゃって」

「していない」

「・・・・・・そっか」

 

無理をしているのは私だって同じ。ガイウスが抱いてくれなかったら、私がそうしていた。

良くも悪くも、彼は変わった。私も以前の私ではない。

彼と想いが通じ合う前、この感情は依存ではないのかと、自問自答を繰り返したことがある。

でも依存と信頼の境界線なんて、有って無いような物なのだと、私は思う。

狂おしい程に欲し合うこの感情を依存と呼ぶのなら、線引きなんて、やはり不毛な行為だ。

 

私達はこれからもきっと、行ったり来たりを繰り返す。

少々考え物だが、今はそれでよしとしよう。

 

「アヤ」

「何?」

「・・・・・・その」

「こら。駄目って言ってるでしょ」

 

コツンと額を小突くと、重なった身体の間から、幼い声が聞こえた。

 

『ああもう、うるさいの。ゆっくり眠れないの』

 

____________________________________

 

「んんっ・・・・・・ふうぅ」

 

レクター・アランドールは伸びをした後、大きな溜め息を付いた。

睡眠時間を削っての分析と考察。思考の数だけ、結論は導き出される。

情報化が進んだとされる現代においても、要となるのは人の力。

知恵と経験に裏打ちされた洞察力が、何より求められる。

 

レクターが漁った情報は、極めて単純な物だった。

誰がいつ、どの駅の改札を通ったのか。貨物には何が積まれていたのか。

蓄積した1ヶ月分のデータを収集し、その全てに目を通していく。

たったのそれだけでも、彼にとっては手に取ったかのように、見えてくる物があった。

 

一方で、決め手に欠けている事実も否めない。

機会は一度。空振りしてしまえば、致命傷になりかねない。

均衡が崩れ掛かっている今だからこそ、乾坤一擲の一打には慎重を期する必要がある。

 

「それにしても・・・・・・おい管理人。一体何がどうなってんだ?」

 

管理人と呼ばれた男性は、咥えていた煙草を灰皿に押し付け、火種を消した。

閉塞的な空間での生活を余儀なくされる以上、喫煙等ある程度の自由は認められていた。

 

「見ての通りです。各地の隠れ家は今も健在で、データも欠かさず送信されています」

「見りゃ分かるっての。だから聞いてんだよ」

「そう言われましても・・・・・・私にも、分からないんです」

 

レクターは吐き捨てるように答える。

掴み掛けている重要な可能性は別として、彼にはどうしても腑に落ちない物があった。

 

各駅に収められたデータは自動的に暗号化され、有線と無線通信を介して各拠点へ送信される。

隠れ家もその1つ。だからこそレクターは、東端の隠れ家であるこの場所を訪ねていた。

 

分からないのは、通信網が平常稼動しているという事実。

内戦が勃発して以降、鉄道は貴族連合が我が物顔で牛耳っていた。

列車運航を担う管理システムも、連合の息が掛かった人間が管理していると考えていい。

 

なら、どうして自動送信が生きている。何故業務日誌が、毎日欠かさず送られてくる。

実際に管理する人間が元々の従業員だとしても、気付く方が当たり前だ。

それにデータの送信先を紐解きさえすれば、『隠れ家の所在地』だって探ることが可能なのだ。

 

なのに、手が加えられた形跡は何処にも見当たらない。

半ば駄目元で訪ねた隠れ家も、補給が断たれたとはいえしっかりと機能している。

調べた限りでは、十数ヶ所に点在する隠れ家も同様だった。

 

おかしい。何かが捻じ曲げられている。

好都合では済まされない、何かがある筈だ。

 

(・・・・・・誰だ?)

 

導き出される選択肢の中で、最も可能性が高いのは、やはり人。

貴族派の傘下で暗躍していた諜報員は、複数人存在した。

中には情報局に所属する、選りすぐりの精鋭も潜り込んでいた。

内部からの隠蔽工作。考えられなくもないが、可能性は限りなく低い。

 

内戦が始まった以上、彼らに与えられた選択肢は2つ。

身元が割れる前に命を絶つか、割れた後に断つかだ。

そもそも駅は帝国中に存在している。1人や2人でできる芸当ではない。

というより、危険を冒してまでして工作を図るなら、もっと他にやるべきことがあるだろうに。

 

「まさか・・・・・・いや」

「はい?」

「何でもねえよ。忘れろ」

 

レクターは再び大きな溜め息を置いてから、天井を仰いだ。

いずれにせよ今考えるべきは、もう1つの可能性にある。

この状況を打開する鍵となり得る人間が、今現在何処に幽閉されているのか。

可能性を確信へ昇華させる為には、椅子に座っていては始まらない。

 

『うわあぁ!?』

 

突如として扉の向こう側から聞こえてくる悲鳴。

予想よりも早い起床に、レクターは笑みを浮かべた。

 

碧の大樹は今も健在。夜になれば、地上からでも青々とした輝きを目にすることができる。

最も最良のタイミングは、クロスベル方面の異変が治まった直後。

帝国と共和国を遮断する壁が消えた時、駒は一斉に動き始める。

 

「さーて。管理人、世話になったな」

「え・・・・・・もう行かれるのですか?」

 

自分は駒ではない。いつだって遊戯盤を見下ろすプレイヤーの1人だ。

あの2人と1羽には、精々駒として動いて貰おう。

 

目指すは緋の帝都。決行は明日の夜。

3人と1羽による『ヘイムダル潜入作戦』が、始まりを告げた。

 

 


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