絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月27日 正義の灯火

12月27日、午前7時早朝。

坑道へ繋がる入り口よりも更に上、鉱山町マインツの頂き。

初めて目にした生まれ故郷の風景に、私の心は躍らない。

 

『そうか・・・・・・ツァイトには、助けられてばかりだったような気がするな』

「その、黙っててごめんね。私は、全部知ってたのに」

『気にしないでくれ。最後に君と一緒に戦えて、ツァイトも本望だったって、そう思えるよ』

 

ロイドと通信を交わす度に、私はいつも不思議な感覚に囚われる。

通信機を介した音声は少なからず感情を遮り、無機質な機械音に変換される。

一方のロイドの声は一切の淀みを感じさせず、直に耳へ入って来るような錯覚を抱いてしまう。

 

「ロイドも、無理はしないでよ」

『俺が、か?』

「ツァイトもパテルマテルも、自分自身の意志で選んだ選択肢だった筈だから。背負わなきゃいけないのは、私達も一緒なんだからね」

 

戦術オーブメント越しに聞こえる微かな吐息と、感情の揺れ。

スピーカーの向こう側から、笑みが零れる音が聞こえたような気がした。

 

木製の手すりに身体を預け、遥か南東にそびえ立つ『彼女』の姿を見詰める。

天に届くか届くまいか。夜空に浮かぶ月明かりの如く、人里離れた湿地帯を照らす、碧の大樹。

視界に入っているだけで、瞬きや呼吸さえもを忘れてしまいそうになる。

 

『帝国には、今日中に戻るのか?』

「・・・・・・ガイウスと一晩中考えたけど、手遅れになる前に、できることはしたいんだ。内戦の真っ只中であんな物が顕現しちゃったら、何が起きたっておかしくないと思う」

 

12月26日、午後13時21分。

クロスベル自治州南東部、保養地ミシュラムから西に約1200アージュ程度、湿地帯の中心部。

長々と続いた縦揺れの地震の直後、件の地点に顕現したのは、蒼々と輝く『樹』。

大陸を地下から貫いたかのような大樹が、天に向かって伸び広がった。

推定2000アージュ上空から射す木漏れ日は、巨大で歪な影を地上に落としていた。

 

「ノーザンブリア異変の時も、こんな感じだったのかな」

『結社の人間は、それを超える奇蹟だって言っていた。俺達には比べようが無いけど・・・・・・アヤの選択は、正しいと思うよ。今はお互いに、やるべきことがある筈だからさ』

 

クロスベル市を覆っていた結界とも、神機アイオーンとも違う。

大陸全土を震撼させた力とは異なる、余りに異質で現実味が感じられない超常現象。

 

碧の大樹が現れてから、もう半日以上が経過していた。

周辺各国では何が起こっているのか。クロスベルの外から、大樹はどう映っているのだろう。

帝国と共和国は、ただでさえ内戦と経済恐慌という混乱の渦中にある。

あのノーザンブリア異変に匹敵する大騒動に繋がっても、不思議ではない。

すなわち、大国を根底から揺るがす、引き金になり得るということ。

 

「うん・・・・・・そうだね。頑張ろう、ロイド」

 

1つの戦いを乗り越えた今、私は何をすべきなのか。

答えは決まり切っている。ただひたすらに、信じる道を行く他ない。

『この子』とも誓いを立てたばかりだ。私には、帝国民である私にしかできないことが、残されているのだから。

 

「じゃあ、そろそろ切るね。エステルとかケビンさん達にも、声を掛けてあげてよ。みんな心配してると思うからさ」

『そうするよ。クロスベルも、キーアのことも・・・・・・あとは俺達に任せてくれ』

「ん。また、会いに来るね。ユイと一緒に」

『ああ、俺も待ってる。キーアと、みんなと一緒にな。約束だ、アヤ』

 

名残惜しさを頭の片隅に押しやり、ARCUSの通信ボタンを押した。

溜め息が白色の吐息に変わり、鉱山町マインツが迎えた冬の朝へと溶け込んでいく。

 

右肩に佇んでいたユイの眼前にそっと左手を伸ばす。

じゃれ付くように、ユイは小さな嘴で私の指を突き始め、心地良い痛みを感じた。

 

「ねえユイ。あの大樹、一体何なのかな」

『昨日話した通りなの。零の至宝の完成形・・・・・・力の全てを具現化した存在なの。人間の叡智があんな領域に達するなんて、少し信じられないの』

「具体的には、何が起きるの?」

『私にも想像が付かないの。上位属性が司る力は、アヤも知ってる筈なの』

 

七耀の上位属性。時、空、幻。

時は時間の流れ。空は存在や有無。幻は認識と記憶。

その全てに干渉することが可能であるなら、ユイが言ったように私達には想像のしようが無い。

 

時の流れを変え、森羅万象の有無を操り、認識や記憶を掌握する。

極め付けは零の至宝としての、因果律を組み替える術。過去に触れて、今を改変する。

 

『要するに、何だってできちゃうの。不可能なことが見当たらないの』

「全知全能の女神様って言った方がしっくりくるね」

『アヤ、それ笑えないの』

「私も笑えないってば・・・・・・」

 

ロイドらを乗せたメルカバ玖号機は今現在、碧の大樹西部を運航している。

大陸全土を巻き込んだ奇蹟を前にして、それでも彼らは足を止めない。

 

過去の妄執と幻想を打ち払い、今のクロスベルを掴む為に。

本物の家族と言い切った、大切な少女を救い出す為に。

前者は警察官、クロスベル自治州民としての使命感から。

そして後者は、士官学院の奪還に固執する私達と、よく似ている。

 

お互いにそれでいいと思える。私達1人1人ができることは、そう多くない。

この手が届く限りの、大切な物を取り戻す為に足掻けばいい。最良の未来へ繋がると信じながら。

遠くを見据える必要はない。ほんの少しだけ先の未来を掴むところから、始めればいい。

 

だから私は、帰らなくてはならない。

士官候補生として、帝国の遊撃士として。ここからが、私の再スタートだ。

 

「こんな所にいたのか。探したぞ」

 

決意を新たにして意気込んでいると、下方からガイウスの声が聞こえてくる。

 

「あはは、ごめんごめん。導力波が届き易い場所を探してたら、上まで来ちゃった」

 

答えてから、慎重に着地点を狙って、ガイウスの隣に下り立つ。

見れば、ガイウスは紐で縛られた細長い包みを、脇に抱えて立っていた。

 

「みんな、もう起きた?」

「いや、まだ眠っている。レンも大分落ち着いたようだが、もう暫く掛かるだろう」

 

レンは昨日から夜泣きをする赤子のように、魘されては目を腫らすを繰り返している。

エステルとヨシュアも重い瞼を抉じ開け、代わる代わる彼女を抱き留め、宥め続けてきた。

 

「・・・・・・そっか」

 

失ったことがある者にしか理解できない、虚無と悲哀が去来する日々。

今この瞬間の苦しみが永遠に思え、時の流れだけが少しずつ洗い流してくれる。

その永遠は今だけなのだと気付くまでの間、レンは乗り越え続けなければならない。

 

唯一の救いは、目を背けていないという事実。

憔悴し疲弊し切るまで、一晩中涙を流し続けることができる人間は、そういない。

時間は掛かるかもしれない。でも一度落ちてしまえば、あとは這い上がるだけだ。

手を差し伸べてあげることができる人間も、限られている。

それは私達の役目ではない。あの2人なら、レンならきっと掴める筈だ。

 

「それで、その包みは何?」

 

私はガイウスが抱えていた包みを指差して、その中身を聞いた。

 

「昨日エステルに、俺達の得物を預けただろう。これはアヤの剣だ」

「・・・・・・あっ。わ、忘れてた。そうだっけ」

「クロニコ便、だったか。今朝の便で、宿酒場宛てで届いていたようだ」

 

言われてみれば、私とガイウスは損傷してしまったお互いの得物を、エステルに託していた。

エステル曰く、折れてしまった私の剣共々、修復してくれる人物に心当たりがあったそうだ。

正直なところ半信半疑だったし、たったの一晩で刀身を鍛え直せるとは思えなかった。

 

包みを受け取り、中から二刀の月下美人を取り出す。

うち一刀の鞘を払った途端、刀身に吸い込まれそうになる感覚を抱いた。

 

「何・・・・・・何だろ、この感じ。重いのに、軽い?」

「やはりそうか。俺の十字槍も同じだった」

 

右手が感じるずしりとした重みは、以前と変わらない。長物の利点だ。

なのに軽い。模擬戦で使われる模造刀の如く、軽い。

長物の重量感を、まるで羽根を操るかのように、変幻自在に振るうことができた。

 

『それは多分、あの人形に使われていた合金鋼なの』

「えっ・・・・・・そ、それってパテルマテルのこと?」

『そうなの。剣から彼と同じ匂いがするの』

 

特殊合金『クルダレゴン』。確か、そんな名前だ。

俄かには信じ難いが、この刀身が普通でないことは確かなのだろう。

信頼できる人間に預けたとは聞いていたが、予想を遥かに上回る仕上がり具合だ。

 

一体誰が。気にはなるが、いずれにせよユイの言葉が事実なら、この剣は形見でもある。

共に戦い散っていった彼の想いに応える為にも、私はこの月下美人を振るわなければならない。

 

「・・・・・・大切に、使わないとね」

「ああ。短い間だったが―――」

 

―――プルル、プルル。

ガイウスの声に、ARCUSの着信音が重なる。

音は私の腰、専用のホルダーの中から流れ出ていた。

 

「こんな時間に・・・・・・誰だろ」

 

私のARCUSの番号を知る人間は限られている。クロスベルなら尚更だ。

右手に取ったARCUSのディスプレイには、見慣れない番号が表示されていた。

 

「はい、アヤです」

『よお、久し振り。最後に会ったのは、ヘイムダル中央駅だったか?』

 

先の先の先回りをされて掛けられた、飄々とした声。

驚愕の余り、言葉が出なかった。代わりに吐き出されたのは、大きな溜め息。

私が肩を落とす様を訝しんで見ていたガイウスが、首を傾げてから小声で囁いてくる。

 

(アヤ、誰からだ?)

(今日私達が会いに行こうって話してた、あの人だよ)

(・・・・・・嘘だろう)

(嘘を言ってどうすんの)

 

気を取り直して、ARCSUを持ち替える。

詮索は用を成さないだろう。この際だ、余計な手間が省けたと考えた方がいい。

 

『話は聞いてるぜ。ご活躍だったらしいな』

「私達も、ロイドから聞いてます。会って話がしたいと思っていました。今はどちらに?」

『クク、物分かりが早いねぇ』

 

音声以外の物音はほとんど聞こえて来ない。屋内にいるのだろうか。

 

『そうだな・・・・・・なら、ホテルミレニアムに併設されたレストランで待っといてやるよ。時間はいつでもいい。優しいお兄さんが奢ってやるぜ』

 

ホテルミレニアム、レストラン、奢り。

重要なキーワードを記憶の海へ刻み、手早く要件を済ませる。

通信はほんの1分間足らずで終了した。何処からか覗かれているようで、気分が悪かった。

 

「はぁ。相っ変わらず突拍子が無いっていうか、虚を突かれるというか」

「だが探す手間が省けたのも事実だろう。待ち合わせ場所は何処にあるんだ?」

「クロスベル市の歓楽街・・・・・・そっか、ガイウスは初めてなんだっけ」

 

考えてみれば、ガイウスにとってはクロスベル自体が初なのだ。

まさかこんな形で生まれ故郷を案内することになるだなんて、考えてもいなかった。

 

「それで、どうしよっか。いつでもいいって言ってたけど、待たせる訳にはいかないよね」

「そうだな。まずはヨシュアとエステルに事情を話そう。その後に向かうとするか」

『それがいいの!私お腹減ったの!』

 

ユイがパタパタと翼を動かし始める。

音声は彼女の耳にも入っていたか。ランと一緒で、耳や鼻が利くようだ。

 

昨日から共に過ごしてきた中で、分かったことが1つある。ユイは、私に似ている。

事ある毎にユイは空腹を訴え、食事を催促してくる。小鳥の姿とは裏腹に、よく食べる。

少なからず、私という存在を反映しているらしい。突然舞い降りた妹のように思えてくる。

 

ともあれ、私達にとっては重要な会合となる筈だ。

帝国正規軍情報局、レクター・アランドール大尉。

再び帝国の地へ下り立つ前に、私達はクロスベルの中心地、クロスベル市へ向かった。

 

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クロスベル市歓楽街、ホテル『ミレニアム』。

60年の歴史を持つ同施設は、外国人観光客のリピーターに根強い人気がある。

外観や内部の装飾はレトロモダンの美で溢れ、度々各メディアで取沙汰されることがある。

『アルカンシェル』が名を馳せるに連れ、年々客足は伸び続けているそうだ。

 

そんなミレニアム内に併設されたレストランは、ホテル客でなくとも利用が可能だ。

幼少の頃、一度だけ家族3人で食事を取った思い出がある。

こんな状況下でも営業を続ける姿勢からは、市民への気遣いとプロの意地が垣間見えた。

 

「アヤ、入らないのか?」

「うーん・・・・・・」

 

店内へ足を運ぶ直前で、自分達の身なりに気付かされる。

今更ドレスコードという概念を気にしても仕方ないが、流石に気後れはしてしまう。

そもそも小鳥を連れて入っていいものなのだろうか。

 

「うん。行こ、ガイウス」

 

全部を「どうでもいい」に変換し、半ばやけ気味に店内へ続く回転扉を潜り抜けた。

店内は暖房が効いており、肌寒さが和らぐと同時に、食欲をそそる匂いが鼻に入って来る。

すると店内のスタッフと思われる女性が一礼をしてから、私達に声を掛けてくれた。

 

「お持ちしておりました。アヤ様に、ガイウス様でございますね」

「へ?」

「所持品は携帯されたままで結構です。すぐにご案内致します」

 

装備品は預けた方がいいのか。目当ての男性は何処にいるのか。ユイの同行は。

聞きたいことの全てを置き去りにされ、私達は女性に導かれるがままに歩を進めた。

身構えていた自分が馬鹿らしくなってくる。そろそろ彼の手の内を覚えろ、私。

 

店内には人気が少なく、私達を除いて4人の客の姿しか見当たらなかった。

やがて案内されたのは、入り口から見て奥側に位置していた、大きな丸テーブルの席。

レクター大尉は水が入ったグラスを右手で掲げ、私達を迎えてくれた。

 

「やーっと来たか。待ちくたびれちまったぜ」

「いつでもいいって言ったのはレクター大尉ですよ」

 

努めて平静を心掛けながら、テーブルの上に視線を向ける。

水が入ったグラスに、予め用意されていた食器の類。それらが『2組』ずつ。

ガイウスもそれに気付いたようで、席に着く前に、レクター大尉へ言った。

 

「これは・・・・・・誰かと同席していたんですか?」

「ああ、それか。クク、あれだよあれ」

 

レクター大尉は笑いを堪え切れない様子で、とある方向を指差した。

その先には、歓楽街を見渡せるガラス張りの窓と―――カーテン。

美しい装飾が施されたカーテンの向こう側に、『何者か』がいた。

 

「漸く出し抜くことができたぜ。ざまあみやがれだ、女狐さんよぉ」

 

ミノムシごっこ、というごっこ遊びがある。

至って単純な戯れだ。カーテンの端からくるくると身体を包み、ミノムシの気分を味わう。

勢いを付け過ぎると、カーテンがレールから外れてしまい、よくお母さんに怒られたっけ。

誰だって一度は身に覚えがある筈だ。そのミノムシが、視線の先にいた。

 

「あのー、大尉。分かるように説明して下さい」

「恥ずかしがり屋なんだろ。お前さんの顔を見た途端、逃げちまってな。腹筋崩壊もんだ」

「少しも分かりません」

「フフ、ククク」

 

偉業を成し遂げたかのような物言いと、恍惚な笑みを浮かべるレクター大尉。

剥き身だった。心底嬉々としてはしゃぐ姿は、まるで子供のよう。

当のミノムシは、店員から「お客様、困ります」と声を掛けられても微動だにしない。

 

『アヤ、早く何か食べたいの』

「ああもう・・・・・・大尉、いいですか?」

「ん?ああ、約束通り奢ってやるよ。礼も兼ねてな」

 

私が促すと、レクター大尉は右手をひらひらと振って答える。

今は午前11時。朝からバタバタしていたせいで、朝食も食べずじまいになっていた。

ここは大尉の厚意に甘えるとしよう。話が進まなそうなので、ミノムシは放置でいい。

 

「それにしても時間を食ったな。相棒の翼は使わなかったのか?」

「っ・・・・・・はい。臨時で出ていたバスを使いました」

 

椅子を引いて席に座ると、レクター大尉は私の肩を指差して言った。

ユイの何たるかも把握済みか。今更驚きはしないし、耳に挟んでいても不思議ではない。

昨日に私達を乗せてマインツへ下り立ったユイの姿は、多くの人間の目に映った筈だ。

 

余り目立ちたくはなかったこともあり、ここへ向かう際には導力バスを利用していた。

ユイは『折角の出番なのに』と拗ねていたが、食事を餌にして煙を巻いた。

 

「さて、食いながら話すとしようぜ。聞きたいことが色々あるだろうしな」

 

食事が運ばれてきたところで、レクター大尉が普段の雰囲気を纏い直してから言った。

いち早く鶏肉の香草焼きを口へ運んだ私に代わり、ガイウスが切り出す。

 

「大尉は、いつからクロスベルに?」

「10月末からだよ。ギリアスのオッサンの指示で、それ以来はずっとこっちにいた。この地で何が起きているのか、見極める為にな」

 

10月末。クロスベルの独立宣言を端に発した騒動の数々。

レクター大尉はその全てを、現地であるクロスベルで見聞きしていたらしい。

予想はしていたが、私がランと共に一時クロスベルで動いていた事実も、把握していた。

 

「じゃあ、帝国の情勢はどの程度掴んでいるんですか?」

「大体の動きは全部頭に入ってるぜ。そもそもがこの一連の騒動、オッサンにとっては想定していた範囲内の出来事だろうからな。シナリオ通りってやつだ」

 

当たり前に並べられた言葉が、すぐには頭の中に入って来ない。

戸惑いを隠し切れない様子のガイウスが、額に汗を浮かべながら疑問を投げ掛ける。

 

「それは・・・・・・どういう意味ですか」

「どうも何も、そのまんまの意味だよ」

 

ディーター大統領一派が至宝の力を利用して、大陸全土の支配を目論んでいたこと。

街頭演説中に、オズボーン宰相自身の胸を撃ち抜かれたこと。

混乱の最中に貴族派が帝都を武力制圧し、内戦が勃発したこと。

神機と結界という不可侵の壁が働き、共和国の侵攻を食い止められていたこと。

 

文字通り、全部。

10月末から立て続けに発生した事象の全てが、宰相が想定していた局面の一部に過ぎない。

レクター大尉は平然とした物言いで、私達に向けて言い切った。

 

「だからオッサンも案外、しぶとく生き残ってるのかもしれないぜ。オッサンに関しては、俺も追いようが無いんだけどな。何が起きたって不思議じゃない。今更驚きもしねえさ」

 

理解が追い付く筈も無く、私とガイウスは唯々呆然としていた。

唐突に思い出されたのは、ユミルでの会話。クレア大尉の言葉だった。

 

『私に居場所を与えて下さった閣下のご恩に、報いることです。お亡くなりになられた今でも、それが私の原点ですよ』

 

嘘偽りの一切を感じさせない、クレア大尉が示してくれた揺るぎない忠誠心。

同じ立場、鉄血の子供と呼ばれるレクター大尉には、それが『無い』。

宰相の生も、死も、どちらも信じていないとしか思えない口振りだった。

 

大尉は何の為に動いているのだろう。それが一向に見えてこない。

宰相直属の人間として、或いは情報局の軍人としてなのか、それとも愛国心か。

目の前の男性を突き動かす物が一体何なのか、私には理解できなかった。

 

「それについ最近、アルバレア公が拘束されたことも知ってる」

「えっ・・・・・・ほ、本当ですか?」

「何だ、知らなかったのかよ?ほれ」

 

レクター大尉はテーブル下から数枚の紙束を取り出し、私達に差し出してくる。

驚いたことに、紙束は26日付けの帝国時報、最新号の新聞だった。

私とガイウスは一面の見出しに続いて、記事の詳細に目を通していく。

 

「州行政は事実上凍結、公都バリアハートでは戸惑いの声が広がっている・・・・・・アヤ、これは」

「うん。ユーシス達だよ、きっと」

 

自分自身の手で、父であるアルバレア公を拘束する。

ユーシスの言葉に、嘘は無かった。並々ならぬ決意を以って、成し遂げてくれていた。

 

およそ3日振りとなる帝国に関する貴重な情報のおかげで、皆を身近に感じた。

レクター大尉が帝国時報をどうやって手に入れたのか、やはり今は重要とは思えなかった。

 

「ま、予想はしていたし、寧ろ時間が掛かった方だと思うけどな・・・・・・さーて、そろそろこっちからも質問だ」

「え?」

「俺だって何でも知ってる訳じゃない。とりわけアヤ、ガイウス。お前さん達が今回の解放作戦に参戦するなんて可能性は、俺の中じゃ限りなくゼロだったんだぜ。一体何があったんだ?」

 

レクター大尉は椅子の背にもたれ掛かりながら、右手で輪を作ってゼロを表現した。

完全にゼロではなかっただけでも、背筋が凍る思いだった。

 

私とガイウスは、この4日間の出来事を理解し易いよう、噛み砕いて説明した。

ランに残されていた時間が、もう長くはなかったこと。

エステルらが私達を訪ね、解放作戦について教えてくれたこと。

結果として私達には、ユイという存在が託されたこと。

 

「なーるほど・・・・・・聖獣の仔ねぇ。獣の聖女様は、今もご健在って訳だ」

「その呼び方、止めて下さい。好きじゃないんです」

『アヤ、あのお魚も食べたいの。取って欲しいの』

「・・・・・・はいはい」

 

ガイウスが頼んでいた魚料理を小皿に取り分け、ほぐした身を左手に乗せる。

それを啄むユイの姿を見詰めながら、レクター大尉は僅かに棘のある声で言った。

 

「しっかし、呑気なもんだな。今のこの状況、分かってんのかよ」

「状況?」

「もう無くなっちまったんだぜ。結界も神機も、ぜーんぶ消えちまった。誰のせいだ?」

 

チクリと、ユイの嘴が私の指を突き、痛みが走った。

同時に突き付けられる現実。レクター大尉が言ったように、消えてしまった物がある。

 

クロスベル市を覆っていた結界と、神機アイオーン。

絶対不可侵の力として機能していた両者は、もう存在しない。

今回の解放作戦に関わった私達自身の手によって―――クロスベルは、抗う術を失った。

防衛力は皆無。政治基盤は崩壊したまま。言ってしまえば、完全な無防備状態にある。

 

「貴族派と革新派、どちらに軍配が上がろうが、クロスベルの運命は変わらないと思うけどなぁ?共和国側だって、いつまでも黙ってないさ。あの大樹に気を取られてる場合かよ」

 

帝国と共和国は、お互いに内戦と経済恐慌という混乱の渦中にある。

それにあの大樹がある以上、おいそれと手を出すことはできない筈だ。

 

だが、その後。動乱が収束した後の展開だ。

両国がどのような結末を迎えようが、クロスベルには何ら関わりが無い。

在るのは『報復』だ。全ての大元を辿れば、事を仕掛けたのはいつだってクロスベル側だった。

独立宣言、国外資産の凍結、クロスベルを盟主とする連合の提唱。

『力』を背景にして展開された外交戦略は、今となっては唯の愚行に過ぎない。

大義名分はクロスベルを挟む二大国。帝国と共和国側に、否定のしようが無い正義がある。

 

なら、私達は何の為に戦ったのか。守る為の戦いだった筈だ。

後悔なんて―――無い。今になって悔いる必要なんて、無い。

 

「俺は、故郷を愛している。ノルドを誇りに思っている」

 

私よりも先んじて口火を切ったのは、ガイウスだった。

 

「今回立ち上がった者達も、大切な何かを取り戻せた筈だ。間違っていたとは、俺には思えない」

「・・・・・・私も、同じ思いです。それに私達にも、まだできることがあります」

 

伝えること。この地で起きた全ての『真実』を、伝えること。

結果的にクロスベルは、取り返しの付かない領域に踏み込んでしまった。

でも私は知っている。真の黒幕の存在と、裏で暗躍し続けてきた結社の存在を。

一握りの人間しか掴んでいない真実を、帝国民である私達が伝え、広めるしかない。

 

「おい。馬鹿なのか、お前。もう少し利口な奴だと思っていたんだけどな」

「無茶を言ってるのは分かってます。でも―――」

「でもも何もねえんだよ。一個人の声が介入できるレベルの話だと思ってんのか?馬鹿も休み休み言え。もう一度言うぜ。遅かれ早かれ、クロスベルは『終わる』んだ」

「だからって、私は何もしない訳にはいかないっ!!」

 

私は立ち上がり、長巻をレクター大尉の眼前に差し出した。

戦い散っていった者がいる。大切な家族を想い、戦った少女がいる。

幾百年クロスベルを見守り続けたランの忘れ形見と、私は共に在り続けると誓った。

 

私にできることは限られているのかもしれない。それでも―――私は。

私は1つでも多くの、1人でも多くの人間の想いへ応える為に、抗い続ける。

帝国の未来はその1つ。そしてこのクロスベルの未来だって同じだ。

 

「この手が動く限り、届く限りの物を守る為に、私は『彼』の形見である剣を振るい、ユイと一緒に戦います。それが今回の戦いの果てに見い出した、私の決意と正義です」

 

場所を弁えない私の言動に、レクター大尉は苦笑した。

すると突然、何処からともなく、掠れ声が聞こえ始める。

 

「うっ・・・うぅ、ぅ・・・・・・」

「へ?」

 

声は、ミノムシの中から漏れ出ていた。

嗚咽交じりの、涙を堪えるかのような鳴き声。女性の声だった。

 

正直に言って、壮絶に気味が悪かった。

プルプルと震えながらカーテンを揺らすミノムシは、唯々泣いていた。

 

「大尉。あれ、誰なんですか?」

「放っとけ。妹の立派な姿に、感動してんじゃねえのか」

「は?妹?」

「何だっていいだろ。ほれ、いいから座れよ」

「・・・・・・はぁ」

 

レクター大尉に促され、椅子へ座り直す。

勢い余って啖呵を切ってしまったが、別に敵意を向けられた訳でも、私が向けた訳でもない。

大尉の言い分は尤もなのだ。たった1人の人間がどうこうできる範囲の話ではない。

 

それでも―――いや、今は止めておこう。堂々巡りをしても始まらない。

私に代わってユイへ餌付けしていたガイウスが、改めて大尉に聞いた。

 

「それで、大尉はこれからどうするんですか?」

「お前さん達と一緒さ。あの大樹のことも気掛かりだが、そろそろ帝国で本業を再開しようと思ってな。それで、だ。1つ提案がある」

「提案、ですか」

「おう。そのチビすけ、足代わりなんだろ」

『私はユイなの。足でもチビすけでもないの』

 

チビすけ呼ばわりされたユイが、ムッとした声で即座に横槍を入れた。

また話がややこしくなりそうな気がしたので、私は首を縦に振った。

 

「まあ、そうですね。行きと同じで、帰りはユイの翼を使って空から帰ろうと思ってます」

「なら話は早い。俺も帰り道には困ってたんだ。つーわけで、俺もおチビちゃんに乗せてくれよ」

『アヤ!こいつムカつくの!絶対に乗せてあげないの!』

 

ぎゃあぎゃあと騒ぐユイを宥め、レクター大尉の目を見据える。

何か考えがあるのだろう。そろそろ大尉との探り合いにも慣れてきた気がする。

 

「断る理由はありませんけど、隠し事は無しですよ」

「クク、中々に察しが良くなってきたじゃねえか」

 

レクター大尉は右手の人差し指、中指、薬指。

計3本の指を立て、1つずつ順を追って説明を始めた。

 

まず1つ目。足を探していたのは事実であること。

ガレリア要塞が消滅してしまって以降、クロスベルは帝国と鉄路で繋がってはいない。

帝国へ戻るのであれば、私達と帰路を共にするのが一番と考えていたそうだ。

 

2つ目。これから大尉は、情報局の人間として行動する。

詳細は今すぐに明かせないものの、私達と利害が一致する行動を取るつもりらしい。

隠し事は無しと言っておきながらの秘め事に、いい気分はしなかった。

 

「そんで3つ目だ。お前さん達には、帝国の裏側を見せてやるよ」

「・・・・・・それも、詳細は伏せたままなんですか?」

「焦るなって。帝国に戻ったらすぐに分かるさ。悪い話じゃないと思うぜぇ?」

 

レクター大尉は最後の人差し指を曲げて、私達に投げかけてくる。

さて、どうしたものか。私達は大尉に背を向け、声を潜めて協議を開始した。

 

(ねえ、どうしよっか)

(いいんじゃないか。大尉にはノルドを救って貰った恩もある。悪い人間とは思えない)

(私達、あの人がキッカケで大喧嘩したことがあるけど。忘れたの?)

(・・・・・・あれは例外だろう)

(私は反対なの。あいつ嫌いなのっ)

 

最終的に、2対1。多数決という民主的な決定法を以って、レクター大尉の同行が決まった。

少数意見の抑圧という問題点については、ユイの個人的な感情として処理された。

いずれにせよ、大尉に何らかの企みがあるのは確かなのだろう。

クレア大尉と同じ立場にある人間として見るのなら、確かに利害が一致するようにも思える。

 

「おーし、決まりだな。1つ断っておくが、動くのは今日の夜だぜ」

「夜・・・・・・どうして夜に?」

「言っただろ、考えがあるって。その為にも、誰にも気付かれないまま国境を越えたいんだよ。夜の闇にまぎれて帝国入りって寸法だ」

 

私はガイウスと視線で会話を交え、レクター大尉の案を受けることにした。

今日中に戻れればいいと考えていたし、この際考えても仕方ない。

大尉の『考え』とやらにとことん付き合ってやるまでだ。

 

私達は冷めてしまった料理の数々を胃袋に収め、今後の予定を取り決め合った。

集合場所はベルガード門前、時刻は午後の21時。

目的地は帝国入りを果たしてから、大尉の口から告げられる手筈となった。

 

「ふう。ご馳走様です、大尉」

「ったく、食い過ぎだっつーの。支払いはしておくから、しっかり準備しとけよ」

 

言い終えた後、どういう訳かレクター大尉の表情に、悲壮感が浮かんだ。

視線の先には、ミノムシ。静かに佇む女性と思われる人物に、目が向いていた。

 

「・・・・・・もし約束の時刻になっても俺が現れなかったら、待たなくていいぜ」

「は?」

「生きて帰れんのかなぁ、俺」

 

この日の夜。レクター大尉は21時ピッタリに、集合場所へ来てくれた。

顔面はボッコボコで、衣服もボロ雑巾のように変わり果てていた。

 

 


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