絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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第1部
12月4日 新たなる旅立ち


12月4日、土曜日。

メルカバ後方の甲板に出ると、途端に肌寒さに苛まれた。

防風のフィールドが機能しているとはいえ、この時期の夜間なら当然だろう。

知らぬ間に、吐息が白くなる季節に入っていた。

 

『飲んでいるのか』

「ううん、これはノンアル。アッバスさんが作ってくれてさ」

 

隣に佇むランの頭を撫でながら、グラスを傾け中身を空にする。

これが酒なら少しは温まるのだが、ノンアルコールでは叶いそうにない。

気分だけでもと口にしてみたはいいものの、逆に身体が冷えてしまった。

 

床に腰を下ろしながらグラスを置き、頭上を仰ぐ。

空気が澄んでいることもあり、今日は星がよく見えた。

どこまでも果て無く続く故郷の夜空。同じ夜空の下に、私にはあと2つの故郷がある。

 

『フム。浮かない顔をしているな』

「あはは・・・・・・やっぱり、分かるかな」

 

漸く、ここまで来れた。

この6日間で、4人。ワジ君と合流を果たしてから、幼馴染の大切な仲間を取り戻すことができた。

国境を越えてから、クロスベル中をランと共に走り回ったことが功を奏していた。

入念に皆の居場所や情報を仕入れておいたおかげで、予想以上のペースで動けている。

 

残すはあと1人。それで特務支援課は再び、一同に介することになる。

ロイドにとっては、きっと特別な存在。言わずとも、それぐらいは察せられた。

おそらく彼女の奪還が、一番の壁になる。議長共々、軟禁場所が余りに厄介だ。

相手も超一流の猟兵団。入念に作戦を練る必要があるだろう。

もしかしたら、数日の期間を要するかもしれない。ここが正念場だ。

 

着実に前へ進めていることは、素直に嬉しいと思える。

ただ―――同時に寂しさと、得体の知れない不安が募っていく。

2日前から眠りが浅く、夜中に何度も目が覚めてしまっていた。

もっと言うなら、居心地の悪さを覚えた。生まれ故郷なのに、遠く感じてしまう。

 

「アヤさん、ここにいましたか」

 

声に振り向くと、そこにはノエルの姿があった。

今日私達と合流を果たした、4人目の仲間だった。

ノエルは私の隣に腰を下ろし、ランの首元を撫でると、同じように上空を仰いだ。

 

「傷、大丈夫ですか?」

「うん。あれぐらいなら自力で治せるから。ノエルこそ、大丈夫なの?」

「はい。歯ばっかりは、お互いどうにもならないですけどね」

 

苦笑いを浮かべたノエルの左奥歯が1つ、欠けていた。

同様に私も、全く同じ箇所が抜け落ちてしまっていた。

何を隠そう、お互いが右の拳をぶつけ合った結果だった。

私は本気だった。ノエルもきっと、そうだったと思う。本気で人を殴ったのは、いつ以来だろう。

 

―――ノエルは、私のクラスメイトに似てるよ。真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎて・・・・・・そのせいで、不器用で。

 

私は受け止めたかった。

本気でぶつかり合うことで、ノエルの葛藤と迷いを、晴らしてあげたかった。

彼女にとっては、良い方向に働いてくれたと思える。この笑顔が何よりの証だ。

 

でも私は、受け止め切れなかった。

その先に待っていたのは、ひどく重々しい何か。迷いがあったのは、私の方だった。

 

―――帝国軍は、あの『列車砲』を撃ったんですよ。だったらっ・・・・・・だったら仕方ないじゃないですか!!?

 

「っ・・・・・・」

 

あのまま帝国に留まっていれば、知り得なかったであろう事実。

第5機甲師団の侵攻と、列車砲の発射。受け入れるには、重過ぎた。

今でも帝国内では、その事実は伏せられているのだろう。そう考えた方がいい。

 

酔っていないのに、二日酔い特有の吐き気や胸焼けを感じた。

ノエルの言葉は、依然として私の胸の奥に突き刺さっている。

私は何も言えなかった。言える立場にあるとは、到底思えなかった。

 

「アヤさん。抑止力論って、知ってますか」

「抑止・・・・・・うん。これでも帝国の士官候補生だから。もう忘れたの?」

「あはは、そうでしたね」

 

抑止力論。軍事学の教科書にも載っている、近代の軍事理論の1つだ。

お互いが巨大な力を持つことで、その使用が躊躇される状況を作り出し、争いを抑制する。

 

それは銃を突き付け合う様に例えられることが多い。

たった2人の争いなら、どちらかが引き金を引いてもおかしくはない。

だが大国同士のスケールになれば話は別。引いた瞬間に何百人、何千人の命を奪うことに繋がる。

 

どちらか一方が巨大な力を持つ場合にも、同じ抑止力論という言葉が使われる。

力の下で、1つの命も奪うことなく、統治を実現する。

帝国が列車砲を生み出すことができたのは、その理論が背景にあったからだ。

学術的に、巨大な力を持つことが肯定されていたと言える。

 

「机上の空論、だったんでしょうか」

 

経緯はどうあれ、帝国軍は引き金を引いた。

抑止力に過ぎないはずの列車砲は、クロスベルに向けて放たれた。

2つの巨大な力が振るわれた時点で、抑止力論など意味を成さない。

ノエルが言ったように、後付けの理論に過ぎなかったとしか言いようがない。

 

「分かんない。でもそれが・・・・・・戦争、なんだよね」

 

事の発端はクロスベルの独立宣言と、IBCの国外資産凍結だ。

政治的目的を掲げた武力行使である以上、帝国には帝国の正義がある。

戦争の名の下では、クロスベルへの侵攻も、列車砲の行使ですらもが正当化される。

軍事学の授業で、何度も教わってきたことだ。

 

そしてクロスベルにも、正義がある。

独立宣言に至るまで、クロスベルはずっと耐え続けてきた。

一方的に支配され、搾取され続けてきた。表沙汰にはならない、犠牲を払ってきた。

ノエルが取った行動を否定することはできない。軍人としての責務を果たそうとしただけだ。

彼女にとって、クロスベルにとって―――帝国は、不義だ。

この居心地の悪さの原因は、多分そこにある。

 

「そうでしょうか。ある意味で、これは戦争とは呼べないかもしれません」

「え?」

 

ノエルは言いながら立ち上がり、西の方角に視線を移した。

眼前に広がるのは夜の暗闇。昼間なら、ベルガード門方面の風景を見やることができる。

その先には、ガレリア要塞の跡地。クロスベルが手にした、力の爪痕がある。

 

「最近考えるんです。確かにお互い、国家の独立や政治経済といった大義名分があるかもしれません。でもそれは、結果的に行き着いただけであって、根底はまるで異なっています」

「それは・・・・・・多分、そうなんだと思う」

「私は帝国をよく知りません。でもアヤさんの話を聞く限り、帝国も大変に複雑な状況下にあるようですね」

 

私とロイドは、ランから全てを明かされた。

かつて存在した幻の至宝。700年に及ぶ、途方も無く遠大な計画。

クロスベルが置かれた状況の背景には、膨大な時間と複数の意志が、複雑に絡み合っている。

 

帝国も同じなのかもしれない。

少なくとも、裏で暗躍する者達がいる。クロスベルがそうであるように。

身喰らう蛇の存在を考えただけでも、この状況下は意図的に作り上げられた物なのかもしれない。

 

もしそうなら、戦争の2文字は適切な表現ではない。

唯の殺戮であり、第3者の悪意に端を発する争いにすぎない。

『ゼムリア大陸諸国連合』の提唱により、既に大陸全土をも巻き込んだ事態に陥っている。

そこに何者かの意志が介在しているともなれば、どこにも正義など在りはしない。

 

「ならあたしに何ができるんだろうって、何をすべきなんだろうって、ずっと考えていました。軍人として、あたしの選択が正しいとも思えません。でも・・・・・・もう、迷いません。迷うことに、迷わないと決めました。アヤさんのおかげですよ」

「ノエル・・・・・・」

「だからアヤさんも、迷って下さい。あたし以上に、アヤさんは大変かもしれませんけどね」

 

ひどく曖昧なその台詞が、不思議と心地良く感じた。

ノエルには、軍人としての使命感と責務がある。

そして特務支援課の一員としての、何よりノエル・シーカー個人としての想いがある。

 

私もそうだ。クロスベルも帝国も、私にとって大切な故郷。

遊撃士見習いとして、私には成すべきことがある。

そしてアヤ・ウォーゼルとして―――トールズ士官学院《Ⅶ》組の一員としての、立場がある。

 

「・・・・・・みんな」

 

忘れていた感情が、一気に胸を締め付けてくる。

考えないようにしていた。必死に胸の奥底に追いやり、蓋をしてきた。

 

私が国境を越えた、10月30日。

あの日を境にして、帝国では貴族派と革新派の内戦が勃発した。

オズボーン宰相がテロリストの銃弾に倒れたという報道は、この地でも広まりつつある。

ベルガード門の監視班は昨日の12月3日、ガレリア要塞跡地で発生した交戦を目撃していた。

内戦が勃発したという情報は確かなようだ。1ヶ月が経過した今でも、それは治まっていない。

 

それだけだ。私が把握しているのは、そこまで。

内戦下で、皆が今何をしているのか。トリスタは、士官学院は今どうなっているのか。

分からないことだらけだ。目と鼻の先にある国境の先が、見えてこない。

 

会いたい。会って話がしたい。一刻も早く、皆の顔が見たい。

寂しさだけが理由じゃない。私は、私達はいつだってそうだった。

皆で壁を乗り越えて、皆で真実を見極めて、行先を共有し合ってきた。

分からないなら、迷いがあるなら皆と分かち合えばいいい。

たった1人でできることなど、そう多くはない。私はそんなに、強い人間じゃない。

 

「ガイウスっ・・・・・・」

 

名を呼んだ瞬間、感情と共に涙腺から涙が溢れ出てくる。

袖口でそれを拭い始めると同時に、艦内へ続く扉が開いた。

 

「ロイド・・・・・・みんなも」

「すまない。本当はもっと早く、俺から切り出すべきだったんだ」

「やれやれ、美人が台無しだよ」

 

言いながら、ワジ君が胸ポケットからハンカチーフを取り出し、差し出してくる。

使え、ということだろうか。見るからに高級そうなだけに、気が引けた。

続くように、ランディさんが後頭部を掻きながら口を開いた。

 

「ま、色々と世話になりっ放しだったけどよ。そろそろアヤちゃんも、自分のために動いていい頃合いじゃねーのか」

「私のために・・・・・・」

 

ランディさんの言葉に、ティオちゃんが頷きながら膝を曲げ、腰を落とす。

その右手は、ランの首元を優しく撫で始めていた。

 

「ツァイト。予定より少し早いですが、アヤさんの力になってあげて下さい」

『フム。おぬしらが再び一同に介するまで、助力するつもりだったのだがな』

「少し寂しくなりますけど・・・・・・私達は、もう大丈夫です。エリィさんのことは任せて下さい」

 

立て続けに、背中を押された。

もしかしたら、ノエルとのやり取りを全部聞かれていたのかもしれない。

いずれにせよ遅かれ早かれ、再び選択を迫られる時が来るとは考えていた。

 

「君のおかげで、俺はもう一度立ち上がることができた。改めて、お礼を言わせてくれ」

「・・・・・・それは、ロイドの力だよ」

 

あの時のロイドの言葉を、今でもよく覚えている。

大切な人達を取り戻すために。自分自身の目で、真実を見極めるために。

絶対に―――絶対に、諦めたりしない。

 

思えばあれが、本当の意味での出会い。

皆が慕う、特務支援課のリーダーとしての、ロイド・バニングスとの出会いだった。

私が知るロイドは、11歳の頃の彼で止まっていたのかもしれない。

勇気付けられたのは、こちらの方だ。私も、応えるしかない。

 

「こっちこそ、ありがとう。私も・・・・・・絶対に諦めないから」

「ああ。クロスベルのことは、俺達に任せてくれ。キーアもきっと、救い出して見せるよ」

 

私も見極めよう。帝国の地で、今何が起きているのか。

何が正しくて、何が間違っているのか。私はどう振る舞えばいいのか。

判断するのは、それからでも遅くはない。

 

「アヤさん、これを受け取って下さい」

「あ、うん・・・・・・リーシャ、これは?」

「髪留めです。戦闘中、頻りに背後を気になさっていましたから」

「あー。確かに、ここまで伸ばしたのは久しぶりかな。ありがとう、使わせてもらうね」

 

リーシャとお揃いの髪留めで髪を結いながら、西の方角を見据える。

今はまだ、何も見えない。でも夜明けはきっと来る。私の帰るべき場所がある。

彼らを信じよう。そう思い振る返ると、ノエルが右手を差し出しながら、言った。

 

「アヤさん、どうかお元気で。願わくば、また・・・・・・『仲間』として、お会いしたいです」

「うん。きっとまた、私は帰って来る。約束するよ」

 

12月4日、土曜日。

時計の針が午後20時半を指し示した時、私は再び帝国の地に降り立つ決意を固めた。

 

___________________________________

 

12月5日、日曜日。午前10時20分。

 

ベルガード門から北に約300セルジュ、国境が東へと折れる最北西地点。

人が立ち入ることさえ敵わない、険峻な山岳地帯が広がる地域。

それらに沿う形で国境が敷かれたのも当然だ。正に天然の砦である。

 

10月30日、私は山岳地帯のど真ん中を貫き、クロスベル入りを果たした。

必然的に、帰路も同じ道を選んだ。

内戦下ということもあり、国境沿いの警備網が心配だったが、特に支障無く越えることができた。

逆に国内へ気が向いている分、寧ろ手薄になっているのかもしれない。

 

山岳を駆け下りた勢いをそのままにして、さらに300セルジュ北西へ。

森林地帯に入った辺りで、ランは大地を駆けるその足を、徐々に緩めていった。

ランがいればこその強引な―――『私とラン』だからこそ、可能な移動手段だった。

 

『そろそろ頃合いか』

「うん。誰にも気付かれていないはずだし、もう大丈夫だと思う」

『よかろう』

 

完全に足を止めたランの身体が輝き、跨っていたはずの背が光となり、消える。

地面に着地し、確かめるように帝国の地を踏みしめる私の頭上に、一羽の小鳥が舞っていた。

 

「お疲れ様、ラン。もう休んでもいいよ」

『そのつもりだ。暫しの間、休眠を取る』

 

ピィピィと泣きながら、私の胸元にもぞもぞと潜り込んでくるラン。

もう何も言うまい。何故そこで眠ると問い質したところで、答えが返ってくるわけでもない。

 

ただ―――やはり1つだけ、どうしても引っ掛かる。ずっと気にはなっていた。

今までは敢えて触れようとしなかったが、再びこうして二人三脚の立場になった。

この際だ。駄目元で聞いてみてもいいかもしれない。

 

「ねえラン。ずっと気になってたんだけど・・・・・・聞いていもいい?」

『何だ』

「ランは聖獣で、さっきの大きい神狼の状態が、本来の姿なんだよね?」

 

かつて空の女神が遣わした、至宝を見守るという使命を与えられた聖獣。

それがラン。ヨシュアが言っていた『古竜』もまた、同じ使命を担っていた同胞だそうだ。

俄かには信じ難い話だったが、私はもう幾度となく、その力の恩恵に与っている。

こうして会話を交わすことも、本来ならあり得ないことだ。慣れとは本当に怖い。

 

「なら、どうして本来の姿へ戻るのに・・・・・・霊力、だっけ。力が必要になるの?その理由が、今一理解できないんだよね」

『・・・・・・フム』

 

ずっとそうだった。

ランの力は、時と場所を選ぶ。そこには私とランの意志が介在する。

そして聖獣としての力を示した後、ランは決まって霊力とやらを回復させるため、休眠に入る。

あるべき姿に戻ることに、何故そうも力が必要になるのか。それが分からなかった。

 

それに、もう1つだけ。確信は無いが、違和感を抱いていた。

力を振るう時間。その後、休眠に入るまでの時間。その幅が―――狭まっている気がする。

大きな違いはない。が、1ヶ月前はもっと長時間、神狼の状態を維持できていたように思える。

 

気にするなと言われれば、それまで。そういうものだと言われれば、納得できなくもない。

だというのに―――ランは、黙ってしまった。たっぷり3分間、沈黙してしまった。

そこまで深い意味合いを込めたつもりはない。気軽に投げかけた、些細な問いだ。

本当に何か、事情があるのだろうか。考え込んでいると、ランは静かに語り始めた。

 

『1つ言っておく。今後はおぬしの力添えに専念しよう。以前にも言った通りだ』

「うん」

『だが私の使命は本来、至宝に関わる全てを見守ることにある。それを努々忘れぬことだ』

「うん」

『そして―――もう1つ。私はおぬしに、伝えていないことがある』

「う、うん」

『・・・・・・』

「・・・・・・」

『・・・・・・』

「・・・・・・え、終わり?そこで終わるの?」

 

肝心のその内容を、話してくれなかった。

勘弁してほしい。それなら聞かない方がまだマシだった。

これでは気に掛かって仕方ない。どうせ問い詰めても話してはくれないだろうに。

 

「まあ、いっか。話したくなったら話してよ。無理を言うつもりはないしね」

『心得た。それで、これからどうするつもりだ』

「うん、それなんだけどさ」

 

荷袋の中から帝国の地図を取り出し、ランにも見えるように胸の前に広げる。

現在地はガレリア要塞から北に約400セルジュ、西に約250セルジュの森林地帯。

国境を越えた途端、もし戦火に巻き込まれたら。そう危惧していたが、杞憂だったようだ。

内戦下にあるとはいえ、全土で軍事的衝突が起きているわけではないと見える。

 

私がすべきことは、知ることだ。

この国が置かれた実状。この1ヶ月間で起きた、全てを知る必要がある。

そして、皆と再会すること。それにはまず、トリスタへ帰らなければならない。

 

「やっぱり、トリスタに行こう。必ず帰るって、みんなに約束したからね。話はそれからだよ」

『ならば鉄路を使うつもりか』

「ううん。このまま西に向かって街道に出れば、足が見つかるかも」

 

こんな状況下で、鉄道網が機能しているとは到底思えない。

1ヶ月前も軍事用の車両を除いて、大陸横断鉄道を走る車両は全て運行を見合わせていた。

まずは帝国東部側の北南を結ぶ街道に出て、早急に南へ向かう。

その後東西を繋げる街道沿いに、西へ向かう。鉄道を使わないなら、街道を通るしかない。

 

「街道が交差する付近に、小さな町があったはずだよ。今日はそこを目指そう」

『ならばそれまでには、霊力も回復させておくとしよう』

 

立ち止まらずに歩けば、陽が暮れる頃に辿り着けるだろう。

街道なら、道行く人々とも会える。少しぐらいは話も聞けるはずだ。

 

(みんな・・・・・・待ってて)

 

およそ1ヶ月振りとなる、エレボニア帝国。

やっと帰って来た。もう少しで、皆に会える。ガイウスに触れることができる。

逸る思いを抑えながら、私は街道に向かって歩を進め始めた。

 

________________________________

 

西に向かい始めてから、約2時間後。

森林地帯を抜けると、100アージュ程先に広がる街道が目に飛び込んできた。

 

「ふう。やっと森を・・・・・・へ?」

『どうした?』

 

眼前の街道から、南部へ更に100アージュ程下った先。

人の姿があった。この国に帰って来てから、初めて遭遇した人間。

軍服の色合いから察するに、クロイツェン州の領邦軍だろう。検問の類だろうか。

数名の軍人と、3台の装甲車。2台の輸送車両。そして―――

 

「―――何、あれ?」

 

一目見た瞬間、あの『神機』が連想された。全長は7~8アージュぐらいだろうか。

肝が冷えたが、神機であるはずがない。あれは今クロスベルの防衛を担っているはずだ。

 

「結社の人形兵器・・・・・・とは、違うかな。ラン、何か感じる?」

『霊力は感じぬ。人形を模した、鋼鉄の絡繰りであろう』

「導力兵器ってことかな。でもあんなの、初めて見たよ。一体何が―――」

 

私の声を遮るように、後方から車両の走行音が耳に入ってくる。

振り返ると、街道の北部から向かってくる装甲車が2台、確認できた。

 

2台のうち1台は、そのまま私の横を通り過ぎ、検問に合流した。

うち1台は私の傍らに停車し、そのドアが開かれた。

中から現れたのは、やはりクロイツェン領邦軍の軍服に身を包んだ軍人だった。

 

「おいお前、こんなところで何をしている。名前と身分、現住所を言え」

「・・・・・・えーと」

 

人形の導力兵器に気を取られていたせいで、不意を突かれてしまった。

落ち着け。対応はあらかじめ決めてある。貴族派と革新派の内戦下で、下手な真似はできない。

 

素直に答えるしかない。身分を偽装する手段がない以上、それ以外の選択肢は無い。

平民の士官候補生とはいえ、学生という身分なら大事に至ることはないはずだ。

得物を所持していることについては、いくらでも誤魔化しが利く。

 

「トールズ士官学院のアヤ・ウォーゼルといいます。一身上の都合で、休学中の身ですが」

「士官学院だと?」

「はい。お問い合わせ頂ければ、確認が取れると思いますよ」

 

平静を装い、淡々とした声で答える。

すると軍人は一旦車両に戻り、バインダーに閉じられた書類をペラペラと捲り始めた。

何をしているのだろう。本当に士官学院に問い合わせるつもりなのだろうか。

 

「・・・・・・士官学院《Ⅶ組》のアヤ・ウォーゼルに、間違いないな」

「はい、そうでっ・・・・・・え?」

 

―――《Ⅶ組》?

何故私が所属するクラスを。口を開きかけた、その時。銃口が向いた。

黒く光る銃口が私の喉元に突き付けられて、漸く事態を理解するに至った。

 

「な、何ですか。い、一体何を」

「黙れ!謀反罪の疑いで、貴様の身柄を拘束する。大人しくしていろ!」

「謀反罪っ・・・・・・!?」

 

軍人が腕を上げ、合図を送る。

すると検問所に立っていた複数の軍人らが、駆け足でこちらへ向かってくる姿が目に入った。

 

「・・・・・・っ!」

 

考えるより先に、身体が動いていた。

足の力を抜き、右腕を引きながら腰を下ろし、正面に拳打を叩き込む。

その身体が崩れ落ちるのを待たずして、私は走り出した。

分からない。何も理解できないが、ここで拘束されるわけにはいかない。

迷っては駄目だ。一瞬でも躊躇したら、大変なことになってしまう。そんな予感がした。

 

『どうする。再度我が足を使うか。ある程度霊力は戻っている』

「駄目!ここで出たら、後々厄介。このまま森に―――」

 

―――背後から、風を感じた。

風の間を縫うように、横っ飛びで右側面に回避する。

身体を転がしながら再び立ち上がると、巨大な人形が私を見下ろしていた。

気付いた時には、背後からも無機質な殺気を感じた。

 

「ぐっ・・・・・・何なの、こいつら」

 

信じられなかった。完全に不意を突いたと思ったのに、回り込まれていた。

鋼鉄の塊のくせに、まるで人間のような機動力だ。やはり結社の人形兵器を思わせる。

 

2体の人形に挟まれ身動きが取れないでいると、軍人らも包囲網に加わった。

一体何がどうなっている。思わず手を出してしまったが、領邦軍に追われる覚えなど皆無だ。

 

「が、ガキの分際でよくもっ・・・・・・」

 

複数の銃口が、私を捉えていた。

完全に囲まれていた。もう逃げ場はない。

 

「よ、よく分からないけどっ・・・・・・私だって、ここで捕まるわけにはいかない!」

 

背に携えていた剣に手を伸ばすと、胸元に温かみを感じた。

衣服から光が漏れていた。呼応するように、地面からも円状の輝きが放たれていた。

今度は何だ。こんな光、今まで見たことがない。

 

「ら、ラン?何をする気?」

『致し方あるまい。アヤ、これより精霊の道を拓く。暫し目を瞑るがいい』

「え―――」

 

周囲に光が溢れ、視界が歪む。

胸元の温かみが全身を包み込んだ時、身体がふわりと宙に浮く感覚を覚えた。

それが、最後だった。

 

______________________________

 

深呼吸を繰り返しながら、身体の隅々まで空気を送り込む。

緑に囲まれていることもあり、その度に頭が冴え、冷静さが取り戻されていく。

大分落ち着いてきた。今ならある程度、ランの声に耳を傾けることができる。

 

精霊の道。

七曜脈の繋がりを利用し、瞬時にして遠地の行き来を可能にする、古の移動手段。

うん、まるで分からない。唯でさえ分からないことだらけなのに、増やさないでほしい。

 

「まあ、とりあえずありがとう。助かったよ」

『あの場に霊的な繋がりがあっただけのこと。いつでも行使できるとは思わぬことだ』

「分かってるよ。大分霊力も使っちゃうみたいだしね」

 

何はともあれ、私とランは領邦軍の包囲網から脱することができた。

その事実だけはありがたい。あのままでは間違いなく、私の身柄は拘束されていたに違いない。

精霊の道とやらも、頭の片隅に留めるだけにしておこう。

多分あれは、最後の手段の一種だ。ランにもこれ以上、負担を掛けるわけにはいかない。

 

「それで?ここは一体どこなの?」

『分からぬ』

「あはは。もう一度聞くよ。ここはどこ?」

『分からぬ』

「・・・・・・えええ!?」

 

霊力を使い切ったせいか、ランはぶっきらぼうな声で答えるばかり。

曰く、咄嗟に最寄りの移動可能な場に繋げたせいで、正確な位置は把握できていないそうだ。

これはこれで困ったことになった。どこかの森林のようだが、見覚えなどあるはずもない。

 

「うーん・・・・・・どうしよう。お腹減ったなぁ」

 

もう1つの割と深刻な問題。そろそろ昼食を取らないと、ガス欠になりそうだ。

ノエルが持たせてくれた炒飯おむすびは、6個全て朝食と化していた。

どうも事が上手く運ばない。一刻も早く皆と再会したいというのに。

 

身動きが取れないでいると、一陣の風が頬を撫でた。

その風に乗って―――遥か遠方から、声が聞こえた。

 

「っ・・・・・・ラン、聞こえた?」

『フム。どうやら悲鳴のようだったが』

「行こう。誰かが襲われてるのかも」

『やれやれ・・・・・・落ち着かぬな』

 

空腹を一時堪え、私は声の方角に駆け出した。

誰かが危険に晒されているとなれば、放っておけない。

 

それに、誰かと話がしたい。この際だ、相手は誰だっていい。

謀反罪という、身に覚えのない罪状。人形の導力兵器。

内戦という2文字だけでは表せない何かが、この国で起きているはずだ。

 

木々をすり抜けながら、駆けること約5分。

次第に視界が晴れ、森林を抜けた先の細道に、目的地があった。

 

(いたっ!)

 

女性がいた。馬車もある。察するに、あれは女性の所有物だろう。

2、3―――4体。中級の飛行昆虫型魔獣。問題ない、一閃にして斬り伏せる。

森林を抜けると同時に、飛び上がりながら鞘を払い、女性の前に降り立つ。

 

「えっ・・・・・・その」

「じっとしてて!二の舞―――『円月』!!」

 

私が放った円状の斬撃波は、魔獣の群れを真っ二つに斬り裂いた。

周囲に残心を払いながら、数秒の間を置く。

既に魔獣の気配はなく、追撃の心配もなさそうだった。

 

「ふう・・・・・・怪我はありませんか?」

 

剣を鞘に収めながら振り返り、右手を差し伸べる。

可愛らしいオレンジ色の衣服に身を包んだ女性が、地べたに座り込んでいた。

年齢は私よりも上、おそらくサラ教官と同年代ぐらい。栗毛色の髪は、ドリーさんを思わせた。

目元に浮かんだ涙を両手でゴシゴシと拭うと、女性は私の右手を掴み、腰を上げた。

 

「あ、ありがとう。もう駄目かと思ったわ」

「あはは。間に合って良かったです」

 

笑いながら答えると、女性が突然、両腕で下っ腹を抱えた。

その表情は、苦悶に満ちていた。まさか、今の魔獣に―――

 

「―――お、お腹減った」

「・・・・・・」

 

どうしてだろう。この人からは、私と同じ匂いがする。

この人とは、きっといい関係を築き合える。そんな気がした。

 

12月5日、日曜日。13時5分。

再び降り立った帝国の地での、新たなる出会い。

私と彼女―――行商人モリゼーさんとの、賑やかな旅の始まりだった。


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