絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月23日 過去への旅路

12月23日、朝の午前8時。

背後から聞こえたノックの音に、ガイウスは「はい」と一言返事を置いてから腰を上げた。

扉の先には、放課後を共にしてきた同窓、そして教官の姿があった。

 

「朝食を持って来ました。足りなかったら、艦橋に連絡を下さい。食器は後で取りに来ますね」

「ありがとうリンデ、助かる」

 

ガイウスが受け取ったプレートの上には、2人分の食事が用意されていた。

作り立てではあるのだが、どの料理からも湯気は立っておらず、添え物のスープも冷製。

冷めてもできる限り味わえるように。そんな気遣いが込められた献立だった。

 

「サラ教官、みんなはどうしていますか?」

「もう地上へ降りてるわ。話に上がった4つ目の遺跡を探す為に、動き始めている頃でしょうね」

「・・・・・・そうですか」

「ほら、そんな顔しないの」

 

視線を僅かに落としたガイウスの額を、サラの拳がコツンと軽く叩く。

サラとリンデは、敢えて寝室の中へ踏み入ろうとはしなかった。部屋の中を覗こうとも。

 

「見守ってあげなさい。あたし達にできることは無いかもしれないけど・・・・・・それは君にしかできない。負い目を感じる必要は何処にも無いのよ」

「教官・・・・・・ありがとうございます」

「ガイウス君、困ってる事があったら、気軽に言って下さいね」

「ああ。世話を掛けるな」

 

ガイウスは2人に礼を述べた後、踵を返して受け取った食事をテーブルへ置いた。

すぐに手を付けるつもりがなかった分、冷めても味に支障が出ない料理は有難かった。

食欲が無い訳ではなく、体調も悪くはない。

目を離したくなかったからだ。一分一秒でも多くの時を、彼女の傍らで共有したかった。

 

「アヤ」

 

名を呼ばれた少女は、ARCUSを片手に眠っていた。

剥き身だった。生まれたままの姿で、胸の中に小鳥を抱きながら、眠り続けていた。

赤子を抱く母親のように、沢山の愛おしさを余すことなく注ぎながら。

 

ベッドの上ですうすうと寝息を立てるアヤは、青色の光を帯びていた。

ARCUSの戦術リンクが繋がった際に放たれる輝き。アヤとランはリンクで繋がり合っていた。

 

―――ランの全てを知りたい。その為にアヤが取った行動は、夢を見る事。

これまで幾度に渡り垣間見てきた、他者の記憶。唐突に夢の中へ現れる知らない誰か。

リンクが引き起こす不可思議な副次的現象を頼りにして、アヤは夢の世界へ身を投じた。

 

途方も無い時間を要していた。

ランの記憶と想いを理解する事。それは七耀歴を一から振り返る事と同じ規模の旅路だった。

深い睡眠に入ってから、既に丸一日半。その全てを、ガイウスは傍らで見守り続けた。

 

旅路の果てで何を見るのか。

目を覚ました先に、何を想うのか。

アヤはとても穏やかな寝顔を浮かべ、ランを抱いていた。

 

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「ごめんなさい、ツァイト」

 

在る筈のない声が聞こえた。

高位の人格を与えられど、人間ではない。

透き通るような美声であっても、虚ろなる神には性別という概念が無い。

悲哀に満ちた涙声は胸の奥底へと突き刺さり、それでいて美しかった。

 

人の子らによる偶像崇拝の賜物か。

遠い地から見守り続けたツァイトの目には、崩壊していく女性の様が鮮明に映っていた。

全身に亀裂が走り、器が音を立てながら壊れ始めていく。

 

聖獣と至宝は裏と表。ツァイトも虚ろなる神と同じだった。

見守り見届けるという事は、至宝の全てを理解し、受け止めるという事。

自らを消滅させるに至った、溢れんばかりの葛藤に憂い、迷いと悲しみが、ツァイトを襲った。

至宝がそうであったように、聖獣にも情があったのだ。ある意味で、人以上に人らしかった。

 

「お願い。私の代わりに―――彼の地を、最期まで」

 

行く末を見届けるという使命を全うした先に在った、虚無。

古の盟約、身を縛り付ける禁忌から解かれたツァイトは、呆然と立ち尽くした。

 

そして新たな使命が生まれた瞬間でもあった。

至宝の最期。今わの際に残された願い。彼の地を、最期まで―――どうすればいいのか。

意志は伝わっていた。曖昧な遺言へ込められた想いに、ツァイトは縋り付くしかなかった。

終わりの無い、途方も無く長い長い、道のりの始まり。

 

人々が至宝の消滅に恐れ慄き、混乱の渦中にあった、その一方で。

後にクロスベルと呼ばれることになる地の果てで、神狼の鳴き声が人知れず響き渡っていた。

 

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至宝の消滅と同時に七耀歴が始まり、約700年の時を刻み終えた頃。

クロスベルで人の子らの歩みを見守っていたツァイトは、違和感を抱いていた。

 

与えられた使命と共に、かつてその身を縛り続けていた禁忌。

至宝を巡る万事に関しては、聖獣は行く末を見守る以外の干渉を一切許されていない。

だからこそ、ツァイトは消滅という決断に対し、手出しも口出しもできなかった。

 

それが今、再びツァイトの身を縛り付けていた。

そればかりか―――『至宝への干渉』という身に覚えのない過ちが、ツァイトを蝕み始めていた。

古の盟約に反する行動を取った代償を、知らぬ間に払わされていたのだ。

 

ツァイトはすぐに理解へと至った。

かつて至宝を女神として崇め、繁栄を続けて来た一族は、一時混乱を。

そして狂気を知性に変え、失われた筈の存在を生み出すことに取り憑かれた。

 

人の生み出す執念は、良くも悪くも可能性という奇跡へ変貌する。

錬金術と呼ばれる技術は『無』から『有』を生み、魔導は『核』を生んだ。

数百年に及んだ妄執は、数百年に渡る遠大な計画を生み出した。

全てが虚ろなる神に代わる、同等の存在である『零の至宝』の為に。

 

事の発端、全ての原因は―――虚ろなる神、至宝の消滅に起因していた。

 

ツァイトには分かっていた。

因果を御する至宝の消滅は、後にクロスベル全土を巻き込み、数多の争いと殺戮を生む。

たとえ数百年先の歴史であっても、遅かれ早かれその刻は到来する。暦は止まらない。

至宝の消滅が引き起こした、零の至宝の誕生。因果で結ばれた過去と未来。

その舞台であるクロスベルに身を置く、それ自体が『至宝への干渉』と同列に並んでいた。

生まれる筈の無かった至宝の存在が、クロスベルに留まることを、許してはくれなかった。

 

七耀歴が一年、また一年と重なっていく度に計画は進んだ。

新たな至宝の核が成長するにつれて、ツァイトの身は少しずつ削られていく。

ツァイトは退こうとしなかった。新たなる使命を全うする為に、クロスベルへ留まり続けた。

彼の地を、最期まで。あの言葉を胸に刻み付け、一日一日を懸命に生き続けていた。

 

 

―――碧き御座に、闇の帳は下りて。永劫の静寂に、私はまどろむ。

 

 

そして時は流れ、クロスベルは様々な文化を吸収し、成長を遂げた。

2大国家による干渉を受けながらも、多くの平穏と笑顔で溢れていた。

 

 

―――夢は唐突に現れて。それは私を捉え離さない。

 

 

ツァイトは人里を避け、森の奥底からその様を見守っていた。

身を縛り続ける禁忌は、未だ解かれてはいなかった。

 

 

―――私は望む。その儚き幻の続きを。

 

 

時が近い事を、ツァイトは直感で悟っていた。

裏で蠢き続けて来た一族。暗躍する蛇。

クロスベルが直面するであろう試練は今。七耀歴1204年が、始まりを告げる。

 

 

叶わぬならば―――すべてを『零』へ。

 

 

刹那。体毛の全てが逆立ち、身を引き裂かれるような感覚に陥った。

至宝の暴走。書き換えられた時間軸。改変された世界。

一体何が起きたのか。理解できずとも、因果を御する力の波動が残されていた。

誰一人として気付かない、知り得なかったその刹那、確かに世界は変わっていた。

 

そしてツァイトを蝕む得体の知れない力は一気に膨れ上がり、ツァイトは悲鳴を上げた。

『干渉を禁じられた地』は、『干渉を禁じられた世界』へと変貌を遂げた。

存在その物が禁を犯す愚行となり、生きる事それ自体が干渉へと繋がる。

ツァイトにとっての森羅万象、その一切合切が否定された瞬間だった。

 

大いなる矛盾を抱えたツァイトは、それでも歩みを止めなかった。

同時に、もう永くはないことを理解していた。弱り切った身体でできることは数少ない。

神狼としての力を揮う事さえままならず、無尽蔵に近かった霊力も限られていた。

 

持ってあと1年。或いはそれ以下か。

それまでに自分ができる事。この地の為にできる事は、何だ。

特務支援課に身を置きながら、ツァイトは悩み、考え続けた。

僅かばかりの助力しか、自分にはできないのだろうか。

答えなどある筈も無く。貴重な一日一日が、日捲りカレンダーと共に消えて行く。

 

「ま、魔獣!?」

「む。ちがうもん!この子はツァイトだよ」

 

そして1204年、7月10日。

出会いは―――唐突に訪れた。

 

「えっと、キーアちゃん?ごめんね、魔獣だなんて言って」

「んーん。ツァイトも気にしないでって言ってるよ」

 

居心地の良さを覚え始めていた建物に、見知らぬ少女が立っていた。

少女はユイと呼ばれていた。年齢はロイドらと同程度。

口振りから察するに、以前はこの地で暮らしていた住民の1人だった。

 

「ねーねー、キーアが作ったパスタも食べてよ。早くしないと冷めちゃうよー」

「あはは、じゃあ頂こうかな」

「大皿ごと持ってくなよ・・・・・・」

 

知らぬ間に、少女の姿を目で追っていた。釘付けになっていた。

ツァイトは聖獣として、至宝を見守る存在としての本能を以って、感じ取った。

 

零の至宝が何を願い、世界の何を改変したのか。それはツァイトでも知り得ない部分ではあった。

ロイド達から滲み出てくる違和感から、おそらく彼らが因果律の中心に居たであろう事は窺えた。

同様の匂いを発する人間が、特務支援課以外に3人いた。そして眼前に―――もう1人。

 

少女の身体から溢れ出てくる、この巨いなる矛盾は何だ。

在る筈のない再会。

叶わなかった筈の生還。

取り戻せなかった筈の絆。

答えは1つ。零の至宝は、彼女にも触れた。そうとしか考えられなかった。

 

翌日に少女はクロスベルを去り、帝国へと帰って行った。

もっと長い間見ていたい。この奇跡には、きっと重要な意味合いが込められている。

その思いでツァイトは分身体を生み出し、帝国へ向かわせた。

 

分身体と本体は、それぞれ独立した意志を持っていた。

分身体はもう1体のツァイトとして国境を越え、少女の後を追った。

 

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まずはこの地を知る必要がある。

分身体のツァイトは少女をすぐには追わず、鳥として帝国中を飛び回った。

帝国と呼ばれる地の歴史を知り、地形を知り、少女が生きる世界を知る。

少女を巻き込んだ改変には、必ず意味があると信じていたからこその行動だった。

 

やがてツァイトはトリスタの街へと辿り着き、少女の姿を探した。

街の外れにある学生寮。その窓際で羽を休め、聞き耳を立てる。

 

「それで、どこまで出掛けるの?行先を聞いていなかったわね」

「ケルディックだよ」

「ケルディック?」

「夏至祭とは別に、この時期には夏のお祭りがあるんだってさ」

 

少女はこの地でアヤと呼ばれていた。

アヤは平穏の日々を過ごしていた。そして想いを重ね合う男性がいた。

漸く見つけたと思いきや、アヤは鉄道で東へと移動してしまう。

羽を休めている暇は無かった。やれやれと溜め息を付いてから、再びツァイトは飛んだ。

 

追い付いた頃、アヤは男性―――ガイウスと共に、森を散策している最中だった。

さて、どう動くべきか。間近からアヤを観察するには、小鳥としての姿は好都合だった。

できる限り自然に、それでいて小鳥としての愛くるしさを忘れずに。

 

「・・・・・・鳥?」

「見慣れない鳥だ。珍しい色をしているな」

 

アヤの肩に止まると、全てが確信へと変わった。

アヤは因果に触れた身。ツァイトには、直接触れるだけで理解できた。

間違いなく零の至宝は、その力を以ってアヤに何かを望み、願いを込めていた。

 

「アヤ。懐かれたんじゃないか?」

「いやおかしいでしょ。私何もしてないのに」

 

同時に肩を介して伝わってくる、戸惑い。

とりあえず、インコらしく何かを喋っておこう。

そう考え、ツァイトは大食らいのアヤにとって、身近な台詞を選ぶことにした。

 

『おなかへった』

 

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ツァイトの分身体は『ラン』と名付けられ、目論み通り小鳥として飼われる事になった。

ランは鳥小屋を度々脱走しては、アヤの胸元へ潜り込み、周囲を困らせた。

全てはアヤを知る為だった。少しでも多くの時間を共有したかった。

生活を共にするにつれて、ランはアヤの人となりを少しずつ理解していった。

 

トリスタの街には、ランの何たるかを察した人間が数名いた。

大きな丸眼鏡を掛けた教師。教会で身を粉にして働く少女。魔女の眷属と、その使い魔。

そして使用人が1人。ランは効率良く行動できるよう、自らの意志で正体を明かしていた。

 

「さあラン様。私の胸の中に身を潜めて頂けますか」

『その必要はあるのか?』

「鳥小屋を持って列車には乗れませんわ。レグラムまで我慢して頂ければ幸いです。空の旅路では、羽が疲れてしまいます」

『むぅ・・・・・・仕方あるまい』

 

ランにとっての気掛かりは、アヤの向こう見ずな性分にあった。

己を省みず、傷を負う事さえ躊躇わずに行動する様は、時折目に余る物があった。

余計な干渉はしないと心に決めてはいたのだが、居ても立っても居られなかった。

 

シャロンと共にレグラムへ向かったランは、愕然とした。

アヤの身体は壊れていた。肉は裂け、骨は軋み、衣服は鮮血に塗れていた。

ランは迷わずに己の霊力を使い、アヤの身体を癒した。

エマとセリーヌの手を借りたこともあり、幸いにも大事には至らなかった。

 

「―――も、もしかして、だけど。ツァイト、なの?」

『分身のようなものだ。既に意識は離れ、独立した存在となっている』

 

そして先々の事を考え、ランはツァイトの分身体であることを明かした。

いずれ話す必要があった事もあるが、何よりアヤの身を案じての告白でもあった。

知らせてしまえば、常に傍らに在り続けても訝しまれる事は無くなる。

 

案の定、アヤは翌日になって限界を超えた。

ランの霊力を以ってしても届かない程に傷付いたアヤは、療養生活を余儀なくされた。

向こう見ずにも程がある。そう思う一方で、それがアヤという人間なのだと、ランは受け取っていた。

 

「ちょっとエステル。まずは事情を説明しないと」

「いいのいいの。まずは彼女にサプライズをあげなくっちゃ」

 

アヤが療養に徹している最中、彼女にとって新たな出会いがあった。

特務支援課が育んだ絆の1つ。当たり前のように、アヤはその輪へ加わった。

その様に、ランは何かを思わずにはいられなかった。

 

「うふふ、面白そうな鳥さんね。ねえ、この子と外で遊んできてもいいかしら?」

「あ、うん・・・・・・構わないけど。看護士さんに見つからないようにね」

 

そして1人の少女が、ランに声を掛けた。

スミレ色の細髪をなびかせる少女はレンと名乗った。

レンは人並み外れた慧眼と嗅覚で、ランが唯の小鳥ではない事を瞬時にして見抜いていた。

 

「ふうん。あなたがあの狼さん?流石に驚いちゃったわ」

 

お互いに初見という訳ではなかった。

レンは以前エステルら、特務支援課と共に教団事件の解決に貢献した人間の1人。

事件の発覚前からツァイトの存在は把握しており、ランもまた彼女のことを覚えていた。

 

当たり前だが、レンはツァイトを警察犬としては見ていなかった。

全てを見通してはいなかったものの、表面に浮かぶ徒ならぬ事情を察してはいた。

 

「全てはクロスベルの為に、かぁ。でもツァイト・・・・・・じゃなくって、ラン?あなたがあのお姉さんに執着する理由は何?レンにはよく分からないわ」

『私にも理解できてはおらぬ。だがアヤは、彼の地が迎えるであろう試練と苦難に対する鍵。鍵となる存在だ。それだけは確かなのであろうな。聖獣としての本能が、そう言っている』

「やっぱり分からないけど、そうね。教団事件は氷山の一角に過ぎないし、近いうちにクロスベルで何かが起きるだろうって、考えてはいたの。この間の市長の宣言も、その一端なのかしら」

『おそらくは、な』

「・・・・・・あなたやあのお姉さんとは、また会うことになるかもしれないわ。何処の誰かは知らないけど、あの人達が暮らす地で、勝手な真似はさせたくないの。その時は、宜しくお願いするわね」

 

レンの予感は当たっていた。

この日から約1ヶ月後、10月8日。核は零の至宝としての力を発現させるに至った。

ランは帝国に身を置きながらも、力の波動を肌で感じ取っていた。

 

ランは考えた。考えた末に、一時アヤの下を離れる決意を固めた。

全てを直接その目で確かめ、アヤへ伝える為に、ランは再び彼の地へと飛び立った。

 

クロスベルへ降り立ったランは、初めに特務支援課のビルへ向かった。

分身体としてのランは、本身であるツァイトと融合し、記憶と意志を重ねた。

あくまで本体は、特務支援課と共にクロスベルで過ごして来たツァイト。

それが今、変わった。分身体の確固たる意志は本体を飲み込み、ツァイトはランでもあった。

 

零の巫女の覚醒。特務支援課の敗北。要塞の消滅。3体の神機。

ランは目の当たりにした激動の1日をアヤに伝え、選択を迫った。

選び取るであろう道は、目に見えていた。選択を付き付ける必要も無かった。

 

「行こう、ラン」

 

三度、ランはアヤと共に彼の地へ赴き―――覚悟を、決めた。

クロスベルは中心地。ランを蝕む力は一際巨大化し、遂には『核』自体に牙を向いた。

神狼としての力を揮える時間は徐々に縮まり、霊力が底を打つ頻度も次第に増していく。

 

それでもランは、アヤの傍らに在り続けると誓った。

1年先か、2年先か、或いはもっと遠くに在る未来。クロスベルには、必ずアヤが必要になる。

聖獣としての使命の為、至宝との約束を守る為に。何より―――自分自身の想いの為に。

 

いつからだろう。片時も目が離せなくなっていた。

いつからなのだろう。胸元の温もりが心地良く、時の流れに苛立ちを覚えていた。

 

「ねえラン。ランは、いつも私の傍にいてくれるね。どうして?」

 

不条理や理不尽に満ちた世界の中で、沢山の幸せを拾い集める。

別れと悲しみに満ちた人生を歩みながら、それ以上の出会いと喜びを両腕で抱き締める。

至宝へ与えられた人格とはまるで正反対だった。

片側の世界を失いながらも浮かぶ満面の笑みは、ウルスラを思わせた。

 

「あはは。私も大好きだよ」

 

唯一の心残りは、彼女の最期を看取る事が叶わないという事実。

いつも見届ける側に立っていた。千年以上、心を許した人間の最期を見続けてきた。

 

それはきっと、自分の役目ではないのだろう。

千年以上の歩みの果てに在った出会いと、輝きに溢れていたこの数ヶ月間。

願わくば―――笑顔で、最期を。彼女が行く先に、光があらんことを。

 

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「んん」

 

胸に感じるくすぐったさに、痒みを覚える。

瞼を開けると、胸の中でもぞもぞと動く小鳥がいた。

 

「ラン・・・・・・起きてる?」

『フム。幾分か気分は優れぬが、支障無い』

「そっか。よいしょっと」

 

上半身を起こすと、温かい上着が私の背を覆った。

ガイウスは無言で頷き、ベッドの傍らにあった丸椅子へと腰を下ろす。

 

「ガイウス、今何時?」

「ちょうど昼時だ。23日のな」

「うわぁ・・・・・・」

 

膨大な時間を夢の中で過ごした感覚はあったが、これは予想外だ。

ランを抱いてベッドに入ったのが、一昨日の晩。2日間近く眠り続けていたのだろう。

 

私は胡坐をかいた姿勢に座り直し、両手の上にランを乗せた。

また一回り身体が縮んでしまったように見受けられるが、傷は消えていた。

回りくどい真似は止めにしよう。私は率直にランへ聞いた。

 

「ねえ、あとどれぐらい時間は残ってるのかな」

『数日間は起きていられる。年は越せぬであろうな』

「じゃあ、力を揮うこともできない?」

『それは可能だ。だが上限がこれまで以上に狭まっている上に、代償を払うことになる』

 

代償が残された時間を意味していることは、聞くまでもない。

私は小声で「そっか」と返事をした後、肩の上へランを置いた。

爪が肌を刺激し、くすぐったさと痛みが混じり合い、そして懐かしさを覚えた。

あの頃もこうやって、いつも私の肩と首筋を行ったり来たりしていたか。

 

「ラン。一応言っておくけど、全部見たよ。ぜーんぶ見た。世界の改変も、キーアちゃんが背負う物も・・・・・・私のこともね」

『知っている。全てを覗かれた感覚が残っているからな』

「人聞き悪いなぁ」

 

思い当たる節々は複数あった。その全てから、私は目を背け続けてきた。

やっと気付いた頃には、もう手遅れ。今更後悔しても遅い。

いや。後悔などという言葉を使ってしまえば、ランの何もかもを否定してしまうことになる。

 

切実な願いが込められていた。

クロスベルの行く末を見届けるという誓い。至宝との約束。

命の灯を懸命に燃やし続けながら、ランは私の傍にいてくれた。

 

涙は出なかった。涙腺は言う事を聞いてくれていた。

胸の奥底から込み上げて来る愛おしさが、他の一切の感情を飲み込み、涙を奪っていく。

もし、この小鳥が人間の男性だったら。私は恋人の目さえもを憚らず、唇を重ねてしまうかもしれない。

 

涙は別れの時まで温存しておこう。

私は必ず泣き喚いて、周囲の人間を大いに困らせるに違いない。だから、その時まで。

 

「でも、分かんないよ。大事なことが分からなかった」

 

唯一の引っ掛かりは、ランが私と共にいる理由。結局分からず仕舞いだった

以前にレグラムで見た悪夢。あの夢が、私が歩むべきだったもう1つの未来なのだとしたら。

零の巫女―――キーアちゃんが私に触れた理由は、理解できる。

 

だがランはそれ以上の物を、私に期待している。

明確な裏付けは何処にも無いというのに、クロスベルには私が必要だと本気で信じている。

 

「ラン、私は・・・・・・私は何なの。ランが私に望む物が、理解できなかったよ」

『思うがままに、感じるがままに動けばよい。これまでと同じだ、何も変わりはせん』

「あはは、台詞が予想通り過ぎるってば。本当にそれでいいの?」

『二度とは言わぬ』

 

やはりそう来たか。ランとの会話は、大半が押し問答に変わる。

私はランの小さな体躯を額に当てて、その体温を肌で受け取った。

熱いと感じるのは、私以上の温度があるということ。生きている証だ。

 

「うん。でも私だって、ランの為なら何だってする。それだけは忘れないでよ」

『心得ている。だがおぬしは1つ、勘違いをしている』

「勘違い?」

『残された時間は少ない。が、私は在るべき姿へ変わるだけだ。幾百年程前から、私の中に宿りつつあったが・・・・・・今になって、明確な姿を取り始めている』

「・・・・・・ああもう、相っ変わらず遠回しな表現が好きだよね。それどういう意味?」

 

はい、せーの。

 

「『いずれ知る刻が来る』」

 

私とランの声が見事に重なり、ガイウスが声を上げて笑った。

してやったりのドヤ顔をランへ向けると、ランは羽をバサバサと羽ばたかせて応えた。

もう半年に近い時間を共に過ごして来たのだ。剣と一緒で、先の先を取ることぐらい造作も無い。

 

「あはは・・・・・・頑張って、ロイド」

 

うりうりとランの頭を指で弄りながら、国境の向こう側で抗い続ける仲間達を想う。

あの少女は大変な物を背負っている。余りに無慈悲な現実と壁を、乗り越える必要がある。

おそらくはランでさえもが知り得ない、何かがある。

―――それでも、ロイドなら。ロイド達なら、きっと。

一介の人間に届き得る領域を超えているというのに、不思議と彼らを信じることができた。

 

そして幸運にも、私には機会が与えられた。複雑な想いではあるが、受け止めるしかない。

私は私だ。私はアヤ・ウォーゼル。私は道を踏み外すことなく、今ここに立っている。

ランが言ったように、何も変わりはしない。正しいと信じる道を行く、それだけだ。

 

胸の中で決意を固めていると―――突然、頭上からけたたましい音が鳴り始める。

 

「えっ・・・・・・な、何?」

 

耳が痛くなる程の高音。アラート音だった。

以前耳にしたロックオンアラートと同種の、危険を報せる為の不快な音域。

かと思いきや、音はすぐに止んだ。数秒だけ鳴り続いたアラート音が消え、再び静寂が訪れる。

 

「止まっちゃった。ガイウス、何だろう今の」

「分からない・・・・・・だが何かがあったんだろう。艦橋へ行ってみるか?」

「そうだね。誤作動って訳でもないと思うよ」

「そうであって欲しいものだがな。待てアヤ、服を着てくれ」

「えっ?」

 

扉から2歩手前で、今現在の出で立ちを思い出す。

私は急いで衣服を着てから寝室を後にし、ガイウスと共に艦橋へと向かった。

 

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艦橋は異様な雰囲気に包まれていた。

誰からも混乱や焦りといった感情は窺えず、一方で誰もが首を傾げてしまっている。

そこやかしこに、いくつもの疑問符が浮かび上がっていた。

 

サラ教官とトワ会長へ声を掛けると、2人は心配そうな表情で私の顔を覗いた。

無理もない。健康な人間は2日間も眠り続けたりはしないし、ランの件もある。

 

「意外に平気そうね。それで、あたし達は事情を訊いていいものなのかしら」

「それは・・・・・・その」

「フフ、無理はしなくていいわよ。頭の整理が付いて、話したくなったら聞いてあげるわ」

「・・・・・・分かりました。それで、さっきのアラート音は何ですか?何かあったんですか?」

 

サラ教官に代わって、トワ会長が答え始める。

 

アラート音は当然誤作動ではなく本物。未確認の飛行船が接近したことを報せる音だった。

導力波レーダーが飛行船を捉えたのはつい先程、アラート音が鳴った時。

こんな状況下ではそれだけでも息を飲む事態ではあるのだが、とりわけ今回は事情が違った。

 

「突然現れた?」

「うん・・・・・・しかも、普通の飛行船じゃないんだ。レーダーが機影を捉えてはいるんだけど・・・・・・過去にあるデータ上で一番近い物が、『騎神』なの」

「き、騎神って。も、もしかして」

「ううん、オルディーネとも違うみたい。ミントさん、そうだよね?」

 

導力波レーダーと睨めっこをするミントが、肯定の返答をくれた。

方角は東南。ヴェスティア大森林の上空、低域の高度に浮かぶ、正体不明の飛行物体。

突然現れたという事実もさることながら、騎神とよく似た機影データが示す意味合いは何か。

 

成程、皆が首を傾げてしまうのも頷ける。何が何だかさっぱり分からない。

オルディーネでなければヴァリマールでもない。一体どういうことだ。

まさかとは思うが、第3の騎神が現れたとでも―――流石にそれはないか。

 

考え込んでいると、別の席に座る士官候補生の1人が、上擦った声を上げた。

 

「と、トワ会長。たった今カレイジャスに通信が入りました」

「通信・・・・・・何処からかな?もしかして、その飛行船から?」

「分かりません。高度に暗号化されていて・・・・・・それに音声通信ではなくて、導力波パターンで情報をやり取りする類の物ですね。今から文面に起こします」

 

リンデが慣れた手付きで端末を叩き始める。

彼女は通信技術の実技において、トップクラスの成績を修めた実績がある。

ガイウスが以前聞かせてくれたことだし、今の様子を見るにその腕前は確かなのだろう。

 

「変換が終わりました。今スクリーンに出します」

 

リンデの声と同時に、いくつかの文字列がスクリーン上へ映し出される。

文字数は少なく、内容は至って単純な物だった。

 

『午後のお茶会への招待状』

『子猫《キティ》より―――ウォーゼル姉弟と狼さんへ』

『追伸:モチのロン、参加よね?』

 

艦橋にどよめきが起こると同時に、私とガイウスは顔を見合わせた。

まるで意味不明な文章に、おそらくはランと私達を名指した、得体の知れない招待状。

―――のように、皆の目には映っているのだろう。

 

「アヤ。これは・・・・・・まさかとは、思うが」

「あはは。多分、そのまさかだよ」

 

上の二行だけだったら、私達も理解できなかった筈だ。

追伸の一言が、その謎めいた雰囲気を物の見事に壊してしまっている。

 

「ねえリンデ。その通信って、返事を出すことはできるのかな?」

「そうですね。暗号化を解かなくても、返信自体は可能ですよ」

 

なら話は早い。早速返事を送って差し上げよう。

どうやって潜り込んだのか。レーダーに映り込んだ謎の飛行物体。

分からない事だらけの中にある、たった1つの確信。全ては再会を果たしてからだ。

 

「本文は『姉弟と狼共々、喜んで参加させて貰います』。宛名は―――『ブライト一家』へ。リンデ、お願い」

 

 


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