絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月20日 終ノ太刀

大陸各国には、様々な形態の報道機関が存在する。新聞社、通信社、ラジオ局。

帝国で最も有名な報道機関は、やはり100年以上の歴史を持つ帝国時報社だろう。

故郷にはクロスベル通信社。レミフェリアのアーデントプレス、共和国のタイレル通信社。

そして―――リベール王国の、リベール通信社。

 

各社にとって最大の誉れは、フューリッツァー賞と呼ばれる名誉。

年に唯一、最も優れた功績を残したとされる記者へのみ贈られる。

自社の記者が受賞したともなれば、業績に直結する程に有名な称号だ。

 

一昨年には、リベールの異変を追い続けた記者が同賞を得ている。

私も空の軌跡を読み終えた後、当の記事に目を通したことがある。

あの記事に掲載されていた写真。その全てをカメラに収めていた人間が、今目の前にいた。多分。

 

「・・・・・・この人が?」

「・・・・・・本当かしら」

 

リベール通信社に勤める、ドロシー・ハイアットさん。それが私達が保護した女性の名前だった。

フィデリオ先輩に見覚えがあったのは、記事で彼女の顔を見たことがあったからだそうだ。

 

「し、失礼な言動は慎んでくれないか。この人は本物さ。僕が保証するよ」

「あはは、別にいいですよぅ。よく言われるんです、『うっそだー』って」

 

疑いたくはないのだが、ドロシーさんを見ていると「うっそだー」と叫びたくなってしまう。

何と言うか、緩々なのだ。表情や声、口調に雰囲気も。みっしぃ顔負けの緩さだ。

思っていた通り、私達の誰よりも年上の筈なのだが、その差を全く感じさせない。

 

ともあれ、否定したくても事実なのだろうから仕方ない。

フューリッツァー賞がどれ程の名誉なのかは、報道に無縁な人間でも誰だって理解している。

例の9枚の写真も、やはりドロシーさんが撮影した物だった。

フィデリオ先輩の狼狽振りは、ランを神聖視するセリーヌを連想させた。

 

空の軌跡にも天才フォトグラファーが登場した気がするが、おそらく別人だろう。

いくらオリヴァルト殿下でも、性格と性別を真逆にするだなんて悪戯はしない。

 

「でもリベール通信社の方が、どうして帝国に?お仕事の関係ですか?」

「んー。お仕事半分、ですかねぇ」

 

ドロテ先輩の問いに、ドロシーさんがゆっくりとした口調で答え始める。

帝国入りしたのは、アリスさん達と同じく10月の22日。

目的はリベール王国大使館の、写真撮りにあった。

 

リベール通信の記事は、国内に関する報道をメインに作られている。

一方で国外事情や外交問題を取り上げることもあり、今回の帝国入りもその一環だった。

当時はクロスベル問題が本格化し、特に帝国ではテロ騒動も相まって不穏な空気が流れていた頃。

帝都に存在するリベール王国大使館も、対応に追われる日々が続いていた。

 

記事にするなら、タイミングを逃してはならない。

そこで派遣されたのが、ドロシーさんだったという訳だ。

 

「休暇のついでだったんです。記事は何処でも書けるけど、大使館の写真は現地でしか撮れないですから。あ、でもでも、長居は危ないから、すぐに帰るつもりだったんですよ?」

「でも、帰らなかったんですよね?」

「それが・・・・・・」

「それが?」

「・・・・・・お財布を落としちゃったんですぅ」

 

思わずよろけてしまった。

一方のフィデリオ先輩は、目元に溜まった涙をハンカチで拭っていた。

訳が分からない。今のやり取りの中に、涙を流す要素が何処にあった。

 

気を取り直して話の続きに耳を傾けると、その後はアリスさん達と同じ。

財布は無事に大使館へ届けられていた。が、取り戻せたのは落としてから数日後。

内戦の勃発に巻き込まれた後、流れ着いたのがバリアハートだった。

 

事情を聞き終えたところで、今度はポーラが疑問を投げ掛ける。

 

「ということは・・・・・・今までずっとバリアハートに?金銭的に不自由はしなかったんですか?」

「えーと。ほら、キラキラした街区に、可愛い美人さんがたっくさん居るじゃないですかぁ。あの人達をビューティホーに撮ったら、すごく喜ばれたんですよぅ。流石に気が引けましたけど、みんな高値で買い取ってくれたんです」

「「・・・・・・」」

 

当然、理解などできる筈もなく。

肝心な部分が曖昧に表現されてしまい、全く頭に入って来ない。

フィデリオ先輩だけが「成程」と頷いて納得していた。嘘だと言って欲しい。

 

その後もドロシーさん独特の言い回しは続いた。

バリアハートを飛び出したのは、「可愛くない人達」が急増し、居心地が悪くなったから。

先輩の翻訳では、双龍橋とケルディックから撤退した領邦軍の兵士達を指していた。

だから街道を出歩いていた訳か。とりあえずではあるが、経緯は大方理解できたと思う。

 

何の巡り合せか、昨日に引き続いてのリベール人、その4人目。

多少の傷を負わせてはしまったが、どうにか紙一重で救うことはできた。

1つだけ心配なのは、魔獣の爪先に引っ掛かってしまった、あのショルダーバッグ。

黙っていては不義理に当たると思い、私は多少躊躇いながらも、バッグの行方について言った。

 

「あの、ドロシーさん。あなたが肩に下げていた、バッグなんですけど・・・・・・」

「バッグ?バッグならここに・・・・・・あれれ?」

 

ドロシーさんがキョロキョロと周囲を見渡して、目当ての物を探し出す。

当たり前だが、在る筈もない。バッグは魔獣が奪い去ってしまったのだから。

 

「無い・・・・・・無い。ど、どうして」

「魔獣が持って行ってしまったんです。その魔獣も、何処かに行ってしまいました」

 

私が言うやいなや、ドロシーさんの顔色が見る見るうちに青褪めていく。

予想はしていた。外国旅行者にしては、今の彼女は余りに身軽過ぎる。

貴重品は勿論、その他の荷物のほとんどが、あのバッグに収められていたのだろう。

 

「嘘・・・・・・嘘、ですよね。そんなのって・・・・・・だ、だってあの中には」

「ど、ドロシーさん?」

 

だがドロシーさんが豹変する様は、私の想像を遥かに超えていた。

彼女は突然立ち上がり、覚束無い足取りで元来た道を歩き出したのだ。

フィデリオ先輩が慌ててその肩を掴み、制止の声を掛け始める。

 

「ま、待って下さい。何が、どうしたんですか?」

「いや、いやぁ!私、なんてことをっ・・・・・・!」

 

大粒の涙が目元に溜まることなく、頬を伝うこともなく、ボロボロと地面に落ちていく。

表情は歪み、先程まであった余裕も、幼ささえもが微塵も残らずに消えていた。

 

私はフィデリオ先輩と2人掛かりで行く手を阻み、ドロシーさんを宥め言い聞かせた。

何度も冷静になるよう呼びかけても、一向に聞く耳を持ってはくれなかった。

やがてドロシーさんは膝から地面を崩れ落ち、嗚咽交じりに、胸の内を吐き出し始める。

 

「私と、せんぱいの、大切、な・・・・・・たいぜつ、なぁ・・・・・・あぁ、わあぁああ」

 

眼前に在るのは、深い悲しみだけ。

焦りや戸惑いではない。唯々純粋で、底知れない哀感がドロシーさんを襲っていた。

事情を察してやれない私達は、ただ立ち尽くすしかなかった。

 

________________________________

 

感情は時に伝番する。種類を問わず、激しい起伏は期せずして周囲を巻き込み、広がっていく。

見知らぬ誰かの涙でさえも、人は本能的に涙を以ってその悲しみを受け止め、分かち合う。

知り合ってからたったの1時間足らず。私達は御多分に漏れず、目元を腫らした。

 

昨日とは打って変わって、時の流れがひどく緩やかに思えた。

ドロシーさんの涙が枯れた頃に、ARCUSの時計は午前11時半を示していた。

 

「フィデリオ君。これからどうしますか?」

「うん・・・・・・一度ケルディックに行こう。もうここへ留まっている理由は無いし、念の為にドロシーさんも専門家に診て貰った方がいいと思う」

「そうですね・・・・・・じゃあ、荷物を纏めておきます」

 

ドロテ先輩が腰を上げて、ベースキャンプの解体へ取り掛かる。

当のドロシーさんは付近の小岩に座りながら、呆然とその様を見詰めていた。

生気が薄れた表情に浮かぶ、虚ろな目。掛けてあげられる言葉なんて、見つかりはしない。

 

それに私自身、同じ類の感情を抱いてしまっていた。

いつも傍らに、背中越しにあった母親の温もりが、今は半分しか感じられなかった。

 

「アヤ。あなたも無理はしないでよ」

「ポーラ・・・・・・」

「お母さんの形見、取り戻したい気持ちは分かるけど・・・・・・ドロシーさんの件もあるし、私達だけじゃどうにもならないわ」

「うん・・・・・・分かってる」

 

魔獣が咥え去っていた、月下美人の片割れ。

常に長巻を二刀背負うというシャンファ流ごと、奪われてしまっていた。

本来なら今すぐにでも、魔獣が飛び去った方角へ走り出したかった。

でもポーラが言ったように、奪い返そうにも危険過ぎる上に、魔獣の行方自体が定かではない。

ドロシーさんのことを考えても、今は堪えるべき時なのだろう。

 

それに―――やっとだ。

正体不明の違和感が、今になって漸く理解できた。

 

「アヤ、どうしたの?」

「何でもないよ。私達も手伝おう」

 

私とポーラは先輩達に手を貸し、手早く荷物を取り纏める。

一式をフィデリオ先輩が背負い、私達はドロシーさんを連れてケルディックを目指し歩き始めた。

ある程度街道を歩いた地点。分かれ道で、私とポーラは足を止めた。

 

「私達は馬を回収して来ます。すぐに追い付くので、先輩達は先に行って下さい」

「分かりました。魔獣には気を付けて下さいね」

 

荷が多い上に、非戦闘員が1人。条件は悪いが、2人なら心配は無いだろう。

私とポーラは分かれ道を進み、魔獣に襲われた地点へ向かった。

 

昼前ということもあり、真上に位置した太陽の光が、冬の寒さを和らげてくれていた。

街道に点在する樹木の木陰に入ると、陽の光が遮られ、肌寒さを覚えた。

私は木陰で一旦立ち止まり、頭上を仰ぎながらポーラに聞いた。

 

「ねえポーラ。あのバッグの中、何が入っていたんだと思う?」

 

ポーラも足を止め、考える素振りを見せてから答えてくれた。

 

「オーバルカメラ、かもしれないわね。写真家にとって大切な物って言ったら、やっぱりカメラだと思うのよ」

「うん・・・・・・私も同じ。きっと当たってるんじゃないかな」

 

背に残された一刀。長巻を鞘からゆっくりと抜き、刀身を見詰める。

剣士が振るう剣は、写真家が愛用するオーバルカメラと同列に並ぶ。

ドロシーさんにとっては、更に特別な想いが込められた大切な宝物が、あの中に入っていた。

放っておける筈がない。今すぐには無理でも、絶対に取り戻さなくてはならない。

 

「ポーラ、もう終わりにしよう」

 

だから私は振り返って、後方に立つポーラの首筋に―――長巻の刃を置いた。

意図的に殺気を消していたからだろう。何の苦も無く、剣はポーラの首に届いてくれた。

 

「ひっ・・・・・・な、何それ。何の、つもりよ」

「アンタも片目で生活してみればいい。1週間もすれば、視覚以外の感覚が充たされてくれる。今の私みたいにね」

 

有るか無しかの、極々僅かな不自然。

声色、口調、匂い、足音、歩調。塵も積もれば何とやら。

全てが総動員して、私に訴えかけてくる。この女は―――ポーラじゃない。

 

決定的だったのは月下美人。

この剣がお母さんの形見だなんて話を、ポーラに話した覚えは一切無い。

 

「残念だけど、《Ⅶ組》にも知らない人間はいるんだよ。で、誰から聞いたの?」

 

ポーラの姿をした何者かは、気温に反して額に粒上の汗を浮かべていた。

剣を当てられた恐怖から来る発汗ではないだろうが、汗だけは本物だった。

 

「・・・・・・クックック」

 

初めに化けの皮の中身を曝け出したのは、声。男性の声だった。

 

元々思い当たる人物は1人しかいなかった。

私以外の誰もが気付かないであろう、完璧に肉薄する擬態。

体格や性別を偽装するだなんて、もう変装の領域を超えている。

 

そんな手の込んだ真似をして私に近付こうとする人間がいるとするなら、やはり1人だけだ。

入れ替わったのは、先程カレイジャスと連絡を取る為に、別行動を取った時。

通信が繋がらなかったというのも、どうせ出鱈目だ。

 

「ハッハッハ!素晴らしい慧眼だ。しかも敢えて1人で、影が消える位置に立ちながらこちらの一手を封じている。私に対する理解の深さが窺えるよ。光栄だね」

 

以前の私なら、執行者特有の重圧に当てられ、立っているだけで精一杯だった。

でも今は違う。この男―――ブルブランは今、私が支配している。

 

「御託は結構。さっさと全部吐いて貰いたいんだけど。何処までがアンタの仕業で、何の為にこんな真似をしたの。ポーラは今何処いるの?」

 

ブルブランの手口や流儀は分かっている。ポーラはきっと無事でいる筈だ。

知りたいのはそれ以外。私に近付いた理由と、ドロシーさんに関わる一連の出来事にある。

ブルブランは両手を上げて、ポーラの姿を取ったまま答え始める。

 

「ドロシー・ハイアット嬢については、不運だったと言わざるを得ない。おそらくはオーバルカメラにセットされた感光クオーツが原因だろう」

「それを信じろって言うわけ?」

「願わくば、ね」

 

感光クオーツ、か。そういった傾向がある事実は、知識として知っていた。

 

一部の特異な魔獣は七耀石その物ではなく、加工品であるクオーツを敏感に嗅ぎ付ける。

とりわけオーバルカメラに使用される感光クオーツは、その特性上狙われ易い。

詳しい仕組みは明らかにされていないが、被害件数に大きな偏りがあるのだ。

カメラごと狙われた事例だって少なくない。あの鳥型魔獣もそうだったということだろうか。

 

「なら、ポーラに化けて私に近付いた理由は?」

「言わずもがな『美』。『属さない』という唯一の美を堪能する為さ。君はそろそろ自覚した方がいい。一度は有象無象へ成り下がった身でありながら、よくぞ返り咲いたものだ」

 

刃を引きたくなるのをグッと堪え、目を細めて睨み付ける。

相も変わらず漠然とした物言いと、人を見下すような態度。一々癪に障る。

冷静さは欠きたくないが、物怖じするよりはいい。利は10対0でこちら側にある。

 

「聞こえなかった?私はアンタの目的を聞いてるの」

「同じ台詞をそのままお返ししよう。君は余りに異質だ。周囲に溶け込んでいるように見えて、その実全く馴染んでいない。思い出してみたまえ。一時を境にして、集団から外れる機会が増加した・・・・・・君はそう感じているのではないか?」

「・・・っ・・・・・・」

 

心当たりは―――ある。あるからこそ、余計に苛立ちが募っていく。

ガレリア要塞。入院生活。たった1人の実技テスト。10月28日の別れ。そして、今だってそう。

 

今にして思えば、キッカケはランだ。

ランと行動を共にするようになった頃から、1人でいる時間が、1人で抗う機会が一気に増えた。

―――だから何なのだ。戯れ言に付き合ってしまう私も、どうかしている。

 

「君は本来在るべき場所に立っていない。魔女が描いた第2楽章の譜面上に、聖獣に跨り国境を行き来する少女などいなかった筈なのだよ。では何故なのか?君自身、分からないだろう?」

「もう一度だけ言うよ。私はそんな答えどうだっていい」

「以上が質問に対する答えさ。君は我々の予想を大いに裏切り、期待に応えてくれる・・・・・・間近で眺めているだけで、恍惚に至る想いだよ。獣の聖女殿」

「・・・・・・そう」

 

真面な返答を期待した私が間違っていたのだろう。聞く耳持たぬとは正にこのこと。

たとえ答えの意味合いがどうであれ、私は絶対に見逃さない。

自身の欲望を満たす。この男の頭には、それしか無い。余りに危険な存在だ。

 

「先に謝らせて。今からアンタの足の腱を斬る。悪く思わないでよ」

 

私がそう告げると、ブルブランは口の両端を歪め、笑った。

外見は完全にポーラなのだ。斬りたくはないが、彼女が辱めを受ける方が耐え難い。

 

「私も1つ忠告しておこう。君はドロシー嬢と同じだ。今日は運勢に見放されている」

 

―――ガラランッ。

 

ブルブランが言い終えた直後、風が止んだ。

同時に背後から聞こえて来る、重々しい何かが地面へ叩きつけられた音。

そして風の切り裂き音と共に、一陣の風が私達を襲った。

 

「っ!?」

 

頭上からの奇襲。2時間前の完全な再現だった。

回避すべく、ブルブランは上へ、私は右前方の岩陰へ。

 

空振りに終わった鳥型魔獣の一撃は、辺り一面に砂埃を巻き上げた。

私は岩陰へ飛び込んだ際に負った擦り傷を押さえ、そっと顔を出して落下物を覗いた。

転がっていたのは月下美人。奪われた筈の長巻と、ドロシーさんのバッグだった。

 

「痛ぅっ・・・・・・も、もっと早く言ってよ!この馬鹿!!」

 

溜まりに溜まった鬱憤と一緒に、理不尽な怒りを頭上へ向けて吐き出す。

コンマ1秒遅れていたら、今頃は上空で魔獣の餌食になっていた頃だ。

 

「ハッハッハッハ!又と無い絶好の機会ではないか。君が秘めるもう1つの『美』・・・・・・未だ知り得ぬ因果と運命に与えられた、その力を!さあ、見せてくれたまえ!!」

「勝手なことをっ・・・・・・!」

 

ブルブランは大木の頂上、足場が無い筈の位置に直立不動で立っていた。

この位置からではスカートの中が丸見えだし、どうして下着の色までポーラなんだ。

想像もしたくないが、もう決めた。あの男は地の果てまでも追い詰めて叩き斬ってやる。

 

その為にも、まずは頭上を飛び回る敵をどうにかしてからだ。

相手は数ヶ月前、数人掛かりでも敵わなかった大型魔獣。戦力差は明白過ぎる。

先程のような気紛れは期待できない。真紅に血走った魔獣の目は、獲物を狩るまで治まらない証。

初撃から全力を以って、交差法で斬る。それしかない。

 

「『終の舞』、絢爛!!」

 

今の私が示せる、最大限の剣技。

絢爛の刃なら、光の刀身は3アージュを超える。間合いは十分だ、絶対に届く。

 

耳を劈くような甲高い声で鳴いた後、魔獣は勢いをそのままに飛来する。

列車を上回る最高速度が一気に距離を縮めていき―――突然、減速を始めた。

 

「え?」

 

急停止の反動と羽ばたきが強風を生み、衝撃が全身を襲う。

続けざまに開かれた魔獣の嘴から、目に見えない『何か』が放たれた。

凝縮された力の塊が前方で爆ぜ、真空の刃と暴風が、私を遥か後方へと吹き飛ばした。

 

まるで紙屑のように、私の身体は宙を舞い、地面を転がった。

同時に無数の刃が四肢を切り刻み、耐え難い痛みが呼吸までもを狂わせていく。

歪んだ視界の先、ブルブランが立つ大木は、数十アージュ先にあった。表情さえ窺えない。

たったの一撃で、随分と遠くへ飛ばされてしまっていた。

 

(また、来る)

 

地に膝を付き、身体を起したところで―――二撃目。

大きく開け放たれた嘴が陰圧を生み出し、返す力で数多の真空刃を飛散させた。

最低限の急所を防ぎつつも、四肢が裂かれては血飛沫が舞い、目が眩むような苦痛がやって来る。

再び地面へ転がると、鮮血に染まった新調仕立ての衣装が、筆のように赤色の跡を描いた。

 

「あぐっ・・・うぅ・・・・・・」

 

何とか仰向けに寝転がり、上空を飛ぶ魔獣を視界に捉える。

魔獣はその外見とは裏腹に、頭上を優雅に舞っていた。

手負いの獲物を前にした、狩る側の余裕か。舌なめずりでもしているのだろう。

 

「あ、あはは」

 

笑うしかない。どうして私は、決まってこんな目に遭うのだろう。

増えたのは孤独の戦いだけではない。流れ出る血の量も一緒。

レグラムで身体を壊し、ランが癒してくれたあの頃から。私は事ある毎にいつも傷だらけだ。

気功術でも消えない一生物の傷は、もう間に合っているというのに。

 

傷痕が増えた後、身体を重ね合わせる度に、ガイウスはいつも悲哀の色を浮かべる。

傷を優しく撫でてから、そっとキスをして。その様が、とても愛おしくて。

 

「・・・・・・だから、ね」

 

だから私は、立つことができる。

きっと私は先々もボロボロになりながら、それでも立ってしまうのだろう。

そもそも私自身が選び取った道だ。それにここ最近の私は、ランを頼り過ぎていた。

 

「すぅ・・・・・・ふう」

 

呼吸と脈拍を整え、前を見据える。

右手に剣は無かった。ずっと前方の地面に落としてしまっていた。

一方、魔獣は先程と同じ軌道を辿り、既にこちらへ向かって高度を下げ始めていた。

 

もう一度真面に受けたら、敗北は必至。

躱さなくていい。受け止めなくてもいい。全て、流してしまえばいい。

真・月光翼。あの日から毎日練り続けてきた。絢爛の光は剣だけではなく、私自身の光でもある。

 

「グエエェッ!!」

 

再度到来した真空刃と暴風が、私を襲った。

衣装は切り裂かれ、流れ出る血が後方へ飛び、眼帯までもが吹き飛ばされていく。

 

本当にそれだけだった。下着姿同然の出で立ちになってしまい、肌寒さだけが厳しさを増した。

思わず笑ってしまった。ああも殺気立っていた魔獣が首を傾げる姿が、可笑しくて堪らなかった。

 

魔獣は戸惑いながらも高度を上げ、上空を旋回し始める。

機を窺っているのだろう。同じ手が二度三度通用するとは思えない。

それに真・月光翼は未完成の領域にある。長続きはしない。持ってあと十数秒程度だろうか。

 

攻勢に転じなければ、状況は打開できない。だが肝心の剣が無い。

今の私にできること。あの魔獣に届く技。無意識の内に―――私は、背にあった鞘を握っていた。

 

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9月24日、金曜日。

ギムナジウム1階の練武場。

 

「まあ、こんな物かな」

「・・・・・・改めて見ると、とんでもない技ですよね」

 

台の上に置かれていた筈の、四方約30リジュ程の煉瓦。

アンゼリカ先輩が放った右拳は、煉瓦を文字通り粉々に粉砕してしまった。

そう、粉々なのだ。単に煉瓦を砕くだけなら、膂力さえあれば誰にだってできる。

 

「泰斗流無手の奥義。その1つがこの『寸勁』だね。『零勁』なんて呼ばれたりもするかな」

 

広い意味で言うなら、寸勁は突きの一種。零距離から放たれる打拳は、全て寸勁と呼ばれる。

そして狭義では泰斗流の奥義。流派独自の必殺拳にのみ、寸勁の名が許される。

 

両足と片手、3点から発生させた勁力を体内で増幅し、全く同じタイミングで拳面に乗せる。

同じ要領で身体を巡る気力を拳の一点に集め、瞬時に炸裂させる。

打拳の型は突きであり『徹し』。内外の両面から対象を破壊する妙技。

3つの呼吸が寸分違わず重なり合った時、万物を破壊する必殺の打拳へと昇華する。

 

「そんな物を零距離からノーモーションで打たれれば、無事でいられる道理は無いさ」

「理屈は分かるんですけど・・・・・・難しいなぁ」

「ハッハッハ、それはそうだろう。だから奥義なんだ。前にも言ったけど、私だって本当の意味で成功したことは一度も無いよ。寸勁の名を語ったこともね」

 

この技に欠点があるとするなら、途方も無い練度が求められる点に尽きるだろう。

超が付く程の高等技術、その3つを重ね合わせなければ、本来の威力は大きく削がれてしまう。

それに実戦ともなれば、相手は煉瓦のように鎮座して待ってはくれない。

 

アンゼリカ先輩曰く、本当の意味で使いこなせる人間は、大陸でも片手で数えられる程度。

先輩程の使い手でも、未だ掴めない領域の技。正に奥義なのだ。

先輩が源流の技名を語らないのは、我流混じりだからではない。一番の理由はそこにある。

 

「しかし君には度々驚かされるね。この調子だと、近いうちに追い抜かれてしまいそうだよ」

「あはは、私はまだまだですよ」

 

利き腕だけなら、3回に1回はアンゼリカ先輩の域に達することができる。

謙遜する気はないし、より鍛錬を積めば、実戦でも役立つ程度にまで練り上げる自信はある。

問題はその先だ。あと一歩のようでいて、その一歩先がひどく遠くに感じてしまう。

 

「先輩が師事したっていう女性も、その本物の使い手の1人なんですよね」

「ああ。あの人は得物を使った型まで修めていたよ」

「得物・・・・・・そっか。泰斗流って、無手以外の型もあるんでしたっけ」

「主軸となる技術体系は、無手のそれだけどね。君の本分も剣術にある。上手く組み合わせて、戦術の幅を広げるといい」

 

これまた難しい宿題だが、今後の課題として頭に留めておこう。

アンゼリカ先輩の教えは、私に確かな力を与えてくれる。

それに―――

 

「でもこの技・・・・・・もしかしたら、使えるかもしれません」

「おっと。随分と強気に出たね」

「いえ、そういう意味じゃないんです。何ていうか、その・・・・・・あはは、やっぱりいいです」

「ふうん?」

 

強くなろう。私はもっと強くなりたい。ガイウスも今頃は棒術の鍛錬を積んでいる最中だ。

お互いの夢を叶えるために、強くなる必要がある。

それぞれの想いを胸に、明日からもまた、懸命に。

 

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たとえ奥義と言えども、技の相性がある。届かなければ用を成さない。打撃技では駄目だ。

だから思い出せ、あの時の感覚を。垣間見た一筋の光と、確かな可能性を。

剣が無いなら、剣でなくていい。今の私なら、剣の形を成した何かで十分だ。

 

「ふうぅ」

 

鉄拵えの鞘を握った途端、体内を巡っていた気の流れが一気に乱れ始める。

先の先を行く剣技。後の先を取る静の気功術。

相反する2つが矛盾を生み、矛盾は苦痛となり私の身体を蝕んでいく。極・月光翼と同じだった。

 

(違う、そうじゃない)

 

分かっていた。2つの力が悪さをしている訳ではない。

問題があるとするなら、器である私自身。今更になって、それがよく理解できた。

 

体術家は四肢を刃と化し、剣客は剣を四肢として振るう。両者と一緒だ。

いい加減学べ。言い訳を並べる前に、自分自身が変わったらどうなんだ。

全身を得物ごと弛緩させ、全てを絢爛の輝きに変え、巻き込んでしまえばいい。

 

「お母さんっ・・・お父・・・・・・さん」

 

私に授けられた2つの力。両者に繋がりがあるというのなら。

本当に血の繋がりがあるというのなら、きっとできる。

私が揮うべき力と技は、私の中にしかない、私にしかできない―――今は亡き両親への、贈り物。

 

魔獣は真っ直ぐにこちらへ向かって飛んで来ている。

先程のように止まりはしない。速度はあっても直線的。先手を取れればそれで仕舞いだ。

 

「―――泰斗流長巻術」

 

始点は両足。水と化した身体は勁力の流れを促し倍増させる。

満ち溢れた気力と共に全身を介して刀身へ。

全身を撓らせた反動を上段に構えた剣技に上乗せする。

幾多の方角へ暴れ回る力の矛先は、太刀筋となって一閃へ圧縮された。

 

私が持ち得る全てを、絢爛に輝く刃に込めて。

与えられた何もかもを噛み締め、受け入れながら―――捻り斬る。

 

「うあああぁぁあっ!!!」

 

刹那。両手で握っていた鞘が、粉々に砕け散ってしまう感触を覚えた。

叩き込まれていた殺気も消え、脅威が去ったことも。

落雷のような斬撃音の余韻が消えた頃、私は地面に腰を下ろし、何かを想っていた。

 

__________________________________

 

私は蹲りながら、泣いていた。

涙の意味は分からなかった。

悲しみなのか、嬉し涙なのか。それさえも分からずに。

嗚咽交じりに、涙を流し続けた。

 

ずっと意識は繋がっていた。

気を失った訳でも、眠っていた訳でもなかった。

起きていても、時は私を置き去りにして流れて行く。

生まれて初めて抱いた感情の名前が、分からなかったのだ。

 

涙が収まってくれた頃に、私は重い腰を上げた。

全身を襲う痛みを堪え歩を進めると、大木の根本に、親友の姿があった。

とても穏やかな寝息を立てていた。衣服の乱れ1つ無く、熟睡してしまっていた。

 

「はぁ。いつの間にか消えてるし・・・・・・訳分かんない」

「アヤさん!?」

「え・・・・・・ドロテ、先輩?」

 

振り返ると、今にも泣き出しそうな表情のドロテ先輩が立っていた。

その後方には、こちらに背中を向けて立つ、フィデリオ先輩の姿もあった。

 

「そ、そんな。何て酷い傷っ・・・・・・!」

「あはは・・・・・・その、ごめんなさい」

 

謝るしかなかった。考えてみれば、すぐに追い付くと言っておいてこの有り様だ。

フィデリオ先輩が背中を向けているのも、私が肌のほとんどを露出してしまっているから。

付近には真っ二つに斬られた巨大な鳥型魔獣の亡骸。地面に刻まれた巨大な亀裂。

私は全身傷だらけで下着姿。説明も弁明も不要、というより不可能だ。

 

先輩らはオーバルアーツと治療薬を駆使し、取り急ぎの手当てを施してくれた。

上着はドロテ先輩の制服を借りて、腰には荷物にあったタオルを巻いた。

念の為にとポーラも診て貰ったが、本当に深い眠りに付いているだけだった。

 

2人は一向に追い付いて来ない私達の身を案じ、元来た道を辿り駆け付けてくれていた。

ドロシーさんはと言えば、今は街道沿いの農家で待機中。

以前から先輩達と度々付き合いがあったそうで、今回も快く引き受けてくれたらしい。

 

「そうだったのか・・・・・・不甲斐無いね。僕達がもっと早く駆け付けていれば、こんな事には」

「いえ、不慮の事故みたいなものですよ。気にしないで下さい」

 

黙っているのも悪いと思い、私もブルブランの存在を伏せて、事情を説明した。

馬を回収した直後に大型魔獣に襲われ、ポーラは魔獣が発した気体を吸わされて眠ってしまった。

何とか私1人で撃退したものの、負傷してしまい身動きが取れないでいた。ことにした。

 

私の苦しい説明に対し、2人は深く追求しようとはしなかった。

それ以上に、私が負傷してしまった事実に、心を痛めてしまっていた。

全部私の勝手が招いた結果だ。2人の苦しみも、私が背負うべき物なのだろう。

 

「あっ。そ、そうだ。ドロシーさんのバッグ!」

「バッグ?」

 

今の今まで、すっかり忘れていた。

月下美人と共に地面に落下してきた、ショルダーバッグ。

ドロシーさんの宝物が入っていたバッグは、あの時確かに私の背後にあった筈だ。

 

「もしかして、あれですか?」

 

目当ての物はすぐに見つかった。

ドロテ先輩が指し示した場所へ、フィデリオ先輩が走り出す。

付近で激しい攻防があった分、一瞬ヒヤリとしたが、変わらずに地面に横たわっていた。

 

「フィデリオ、君?」

 

ホッと胸を撫で下ろしていると、ドロテ先輩が小声で名を呼んだ。

視線を上げると、フィデリオ先輩は地面に置かれたバッグを見下ろしていた。

私はドロテ先輩と顔を見合わせ、先輩の手を借り、一緒に歩を進めた。

近付くに従って、胸のざわめきが増していき―――現実を、突き付けられた。

 

「あっ・・・・・・」

 

革製のバッグには文字通り、魔獣の爪痕が残されていた。

フィデリオ先輩が恐る恐る留め金を外し、バッグを開けると、中身も同じだった。

予想も当たっていた。辛うじて原型を留めてはいるが、爪先が直接当たってしまったのだろう。

オーバルカメラは、大破していた。見るも無残な有り様だった。

 

ぬか喜びは束の間、悲しみと気まずさに満ちた静寂が訪れる。

こんな状態のままで渡せる筈がない。あの人の笑顔は、もう取り戻せないのだろうか。

 

「・・・・・・直そう」

 

するとフィデリオ先輩は部品の1つ1つを拾い上げ、それらを凝視しながら、力強く言った。

 

「な、直すって・・・・・・これを、ですか?」

「結晶回路の基板は生きてるよ。深度計も無傷だし、レンズ一式は替えが利く。完全な修復は無理でも・・・・・・器具と設備さえあれば、何とかなると思う」

 

知識に乏しい私には、判断できる材料が無い。

でも先輩の目は本気だった。知識ではなく、そうしたいと願う意志と想いが込められた選択肢。

それなら私と一緒だ。可能性が残されている以上、諦めたくはない。

 

「急いでカレイジャスと合流しましょう。船倉には工房があるし、ジョルジュ先輩もきっと力を貸してくれる筈です」

「そう、ですね。フィデリオ君、私にも手伝わせて下さい」

 

バッグの底へ転がった感光クオーツは、しっかりと虹色の輝きを放っていた。

私達の目には、それが希望の光のように映っていた。

 

__________________________________

 

カレイジャスへ帰艦した私達は、事の経緯をトワ会長へ説明した。

私達の提案に理解を示してくれたトワ会長は、明日までという期限付きの猶予を与えてくれた。

ポーラも無事に目を覚ましてくれていた。記憶が曖昧なのは、私としても好都合だった。

ドロシーさんは今現在ケルディックに滞在中。ポーラが付き添いを願い出てくれた。

泣き疲れもあったのだろう。ポーラからの連絡では、食事後にすぐ寝入ってしまったそうだ。

 

そして今現在。

日付が変わり、12月21日の深夜午前2時。カレイジャス最下層の工房。

私は4つのスープカップが乗ったトレーを片手で持ち替え、パネルを押して扉を開けた。

 

「お待たせしましたー。ニコラス先輩からの差し入れです」

 

工房のテーブルには、3人のクラブ部長。

フィデリオ先輩、ドロテ先輩、クララ部長の3名が席に着き、手を動かしていた。

 

「わあ。とても良い香りですね」

「かぼちゃ仕立てのパン粥です。これを作るために、今まで起きてくれていたみたいですよ」

 

ドロテ先輩が目を輝かせるのも無理はない。

工房へ来るまでの間、我慢し続けられた自分を褒めてあげたい。

私は作業場の邪魔にならないようトレーを机に乗せ、「それにしても」と前置いて言った。

 

「部長同士って、みんな仲が良いんですね。私は普段の皆さんを知らないから、少し新鮮です」

「悪くはないと思いますよ。毎月会議で顔を合わせてる間柄ですし」

 

日付が変わる前にはジョルジュ先輩とエミリー先輩もいたし、ニコラス先輩は言わずもがな。

今も3人の部長が手を取り合い、オーバルカメラの修復に励んでいた。

もしランベルト部長がいたら、きっとこの輪の中に溶け込むのだろう。

あの人は今、何処で何をしているのだろう。答えは見つけられたのだろうか。

 

「フィデリオ、待たせたな」

「おっと。もう終わったのかい?すごい早さだね」

 

クララ先輩が差し出した金属製のプレートを、フィデリオ先輩が受け取る。

目当ての品はプレートではなく、その上に置かれた極薄で小型のパーツ。

 

フィデリオ先輩は目盛付きルーペを右手に持ち、レンズ越しにパーツ見詰め始める。

たっぷり3分間確認した後、フィデリオ先輩は感嘆の声を上げた。

 

「こんな繊細なメーカー品を目測で・・・・・・クララ、君は技術職の方が向いているんじゃないか?」

「下らんことを抜かすな。それで事足りそうか?」

「ああ、十分過ぎるよ。本当にありがとう」

「ふう・・・・・・今ので最後の筈だ。もう私は寝るぞ」

 

クララ先輩は小さな欠伸を置いた後、工房の出口へと向かった。

すると扉の前で立ち止まり、背中をこちらに向けたままの状態で言った。

 

「一応、聞いておきたいんだが。オーバルカメラを夜通しで修復する理由は何なんだ?」

 

クララ先輩の問いに対し、フィデリオ先輩はさも当然のように答える。

 

「大切な人がこん睡状態にあったら、1秒でも早く目が覚めて欲しいって思うだろう。このカメラは、きっとそういうカメラなんだ。答えになってるかな?」

「・・・・・・まあいい。何かあれば起こしに来い。部屋番は521号室だ」

「ハハ、そうならないように頑張るよ。というか無茶を言わないでくれ」

 

フィデリオ先輩の突っ込みに意を介すことなく、クララ先輩は工房を後にした。

残された面子はフィデリオ先輩とドロテ先輩、そして私。

 

「フフ。フィデリオ君って、たまに臆面も無く言いますよね。今みたいな台詞を」

「茶化さないで貰えるかな・・・・・・さてと。2人共、少し休憩にしようか」

「そうですね。これを食べて一息付きましょう」

 

私達がオーバルカメラの修復を開始したのは夕刻前。

以降は工房へ籠りっ切り。食事も持ち込みで済ませてしまっていた。

 

修復は困難を極めた。原型を留めていても、各所には改良が加えられた形跡がいくつもあった。

元通りにするには、まず改良後の姿と設定を把握して、再現しなければならない。

この点については、フィデリオ先輩の知識と感性を頼るしか手立てが無かった。

 

「アヤさん、傷の具合はどうですか?」

「大分落ち着きました。その、裏技で」

「・・・・・・敢えて聞きませんけど、無理はしないで下さいね。怪我に響いてしまいます」

 

エマとセリーヌには頭が下がりっ放しだ。

力を使い果たし満身創痍の私に、軟気功を使う気力は残されていなかった。

パンタグリュエルから帰艦した時のように、結局エマ達の治癒術を頼る他なかった。

短期間に複数回の術を受けると効果が薄れる上に、副作用のような症状を引き起こす危険性があるそうで、セリーヌからは「次は無いわよ」と釘を刺されてしまっていた。

 

「そういえば、今日も会議室で何かの打ち合わせがあったみたいだね」

「あ、私も聞きました」

 

そうなのだ。

今日も《Ⅶ組》が主導となって、会議室では何らかの議論が交わされていた。

いたのだが、私はそのメンバーに加わることなく、修復班として働いていた。

当然それは私自身の意志での選択なのだが、それにしても隠さなくたっていいだろうに。

 

「内容ぐらい聞かせてくれもいいと思いませんか?別に減る物じゃないし」

「ハハ、気遣ってくれているのさ。君がこちらに集中できるようにね」

「それは分かってますけど・・・・・・単に気になるってだけの話です」

 

さり気無く手を付けたクララ先輩分のパン粥を平らげ、スプーンを置いた。

するとドロテ先輩が大きな欠伸を両手で隠し、フィデリオ先輩は目元を指で擦った。

あと2時間もすれば、修復に着手してから半日が過ぎる。疲れていて当然だ。

私自身傷は塞がっても、体力が戻った訳ではない。寧ろ疲労はピークに達しつつある。

 

「よし、作業を再開しよう。もうひと頑張りだ」

「フィデリオ君。ひと頑張りで足りるんですか、これ」

「・・・・・・」

「「黙らないで下さい」」

 

見事に声が重なり、3人の笑い声がそれに続いた。

ドロシーさんの宝物―――『ポチ君』の修復作業を終えたのは、皆が朝食を食べ終えた頃だった。

 

__________________________________

 

微睡みの世界と現実を行ったり来たりしながら、上半身を起こす。

途轍もなく瞼が重い。頭も重い。身体全体が気怠くて仕方ない。

 

「んー・・・・・・ふわああぁ」

 

今日は何日だっけ。確か12月20日で、ポーラと一緒に・・・・・・違う。それは昨日だよ。

昨日は確か、そうそう。ドロシーさん。4人目のリベール人を見つけた。

 

フィデリオ先輩とドロテ先輩がいて、ブルブラン・・・・・・ブルブラン?

あー、本当に出ちゃったんだっけ。一昨日の晩にあんな話するからだよ。

でっかい鳥も出てきて、ぶった斬って。あれはすごかったなー。

そういえば技名考えてないや。まあ一か八かの危険な技だし、今度考えよう。

 

そう、ポチ君だよ。あれを直すために、先輩達と・・・・・・あれ。それ昨日だっけ?昨日か。

でも1日がやけに長すぎない?本当に昨日?昨日・・・・・・あ、そっか。日を跨いだんだ。

そうだよ。朝方に修復が終わって、でも私は体力の限界が来て。

確か、ドロシーさんのことは先輩達に任せたんだよ。その後、私はそのまま寝室に―――

 

「―――あ、ああぁ!!?」

 

__________________________________

 

12月21日、午後14時半過ぎ。カレイジャス艦橋。

 

「あっ、アヤさんおはよう。よく眠れた?」

「おはようじゃないですよ!どうして誰も起こしてくれなかったんですか!?」

 

普段通りの笑みを浮かべるトワ会長へ、捲し立てるように言った。

もう午後の14時半だ。1日の半分以上が終了している。

ロクに睡眠を取っていなかったとはいえ、余りにも無駄な時間を浪費してしまっていた。

 

「そうかな?徹夜明けだったみたいだし、これぐらいがちょうどいいと思うけど。しっかり休まないと、傷の治りが遅くなっちゃうよ?」

「そ、それを言われると・・・・・・」

 

返す言葉が見当たらない。無駄な時間だったと、私の口からは言える筈がない。

私の人並み外れた回復力は、体力が低下すると鳴りを潜めてしまうのだ。

多少の違和感はあるし完治にはまだ遠いが、傷は良い具合に癒えてくれていた。

 

「ハッハッハ!君は相変わらず無茶をしたがる性分のようだね」

「別にしたくてしてる訳じゃないです。まあ、昨日については言い訳できませんけど」

「思っていた以上に元気そうで何よりだ。でも流石に、胸が痛む思いだよ」

「元気だけが取り柄の人間ですから。胸が痛むって、なに・・・・・・へ?」

 

顔を上げるよりも前に、抱かれた。

優しく、それでいて力強く。衣服越しに伝わってくる体温と、この匂い。

何て懐かしい匂いだろう。込み上げてくる愛おしさが、何もかもが温かかった。

 

「・・・・・・せん、ぱい?」

「乗り越えた今となっては、下手な台詞は蛇足となってしまうだろうけど・・・・・・可愛い後輩のために、今更涙ぐむ先輩がいてもいい」

「先輩・・・アンゼリカ先輩っ・・・・・・!!」

「おっと。フフ、君の方から抱き付いてくるなんて、医療棟の屋上以来だったかな」

 

負けじと、私も力の限り抱いた。

夢なんかじゃない。力を込めれば込めるだけ、それ以上の力で抱かれる、この感触。

軽薄な言動の裏にある優しさと気遣い。心の支え。拠り所。

先輩から託された鉢がねと手甲は、いつも一緒に戦ってくれていた。先輩が、傍にいてくれた。

 

「あはは、本当にアンゼリカ先輩だ・・・・・・でも驚きましたよ。いつからカレイジャスにいたんですか?もしかして、昨日から?」

「乗艦したのはついさっきさ。君が爆睡していた最中にね。君の唇は柔らくて瑞々しかった」

「殴ってもいいですか?」

「ハハ、冗談だよ。詳しい経緯は後で話すとして・・・・・・出会って早々で申し訳ないんだが、あまり時間が無いんでね。端的に言うよ」

 

―――君と、君の足元に座る狼君の、力を借りたい。

アンゼリカ先輩は私の頭を優しく撫でつつも、声には全く別の意志が込められていた。

 

 




合間合間のネタは短編行きとなりました。
短編で書けばいいよね、みたいな悪い癖が付いて来てる気がします・・・。

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