私達がケルディックを訪ねたのは、あくまで情報収集が目的だった。
だったのだが、結論から言えば―――実際に居た。しかも3人だ。
最も重要視されていた、リベール王国民の女性が3人。
事は思いの外にトントン拍子で進んだ。
オットー元締めをはじめとした協力者に、一時大市で活動中のモリゼーさん。
ケルディック滞在中のロジーヌやカリンカ達の助力もあり、目当ての人物にはすぐに辿り着いた。
3人の女性らも拒むことなく、私達の事情を聞き、すぐに同行へ応じてくれた。
そして今現在、午前11時。
風見亭1階の一画を借りて、私達は件の女性らとテーブルに向い合せで座っていた。
「えーと。では、順番に話を聞かせて下さい」
「あ、その前に1ついいかしら」
事情を聞き出そうとしたところで、向かって右側に座る女性が右手を上げて言った。
頭の左右でお団子にした髪型がとてもよく似合う、可愛らしい女性だった。
「ほとんど同い年みたいだし、そう畏まらなくてもいいんじゃない?」
何のことかと思ったが、私の口調について言っているようだ。
他2名の表情を窺い、次いで隣に座るポーラへ視線を移す。
「そうしたら?」と言いたげな表情のポーラに乗っかり、私は意識して肩の力を抜いた。
「あはは、私も助かるよ。まずは改めて、簡単に身元の確認をさせて貰える?」
「勿論いいわよ。じゃあ、あたしから」
1人目。リベール王国出身のアリスさん。18歳。
商業都市ボースでアパレル業を営む販売員さん。と言っても、まだ駆け出しの身。
普段は小物1つまで拘るお洒落さんなのだそうだが、今はそうも言っていられないらしい。
将来的にはモデル業が夢で、勉強中の身でもある。という割とどうでもいい情報を力説された。
書記係のポーラは完全にペンを止めていた。確かに今は、身元の確認が取れればそれでいい。
「ボースって、あのボースマーケットで有名な都市だよね」
「ええ、そうよ。あなたもリベールに来たことがあるの?」
「ないけど、主要都市なら大体知ってるよ」
リベールに関する知識の大半は、『空の軌跡』経由で頭に入っていた。
大部分が創作の物語小説とはいえ、都市や地域に関する描写は現実に則した物の筈だ。
こんな形で役に立つとは、思いもしなかったのだが。
「あたしはモニカ。ルーアンで運送業をやってる」
2人目が、同じく18歳のモニカさん。
海港都市ルーアンで運送業を始めたばかりの、これまた新人さん。
外見も中身もスポーティで、学生時代にはアーチェリー部に所属していた。
同名の士官候補生がカレイジャスに乗っているが、第一印象はまるで正反対の女性だった。
「パープルよ。職業は小説作家で、今はミステリー系の―――」
「職業は無職だろ」
「無職でしょう」
「ぐぬっ・・・・・・し、小説作家志望のパープルよ!」
ポーラが『職業:無職』と容赦なくペンを走らせる。
3人目のパープルさん。18歳。小説作家志望。
学生の頃から作家になる夢を抱きつつ、未だそれは実現できていない。
鳳翼館に勤める双子姉妹の片割れを連想したが、やはり似ても似つかない。
3人の間に見られる共通点は年齢と在住国。
そして同じ学び舎で衣食住を共にした、良き友人同士という繋がりにあった。
「へえー。3人はみんな『ジェニス王立学園』の卒業生なんだ」
「ああ。3人共学生寮のルームメイトだったんだ。それ以来の付き合いさ」
「卒業してからはずっと会えずじまいだったから、久々に集まろうって話になってね」
「学生の時と違って収入があるわけだし、贅沢して外国旅行にでも―――」
「あんたは収入無いじゃない」
「悲しい嘘だな・・・・・・」
「アルバイトのことよ!2人共知っててわざと言ってるでしょ!?」
腕をぶんぶんと振り回して訴えるパープルさんを宥め、席に着かせる。
とりあえず、この3人が大の仲良しさんであることはよく理解できた。
今はきっとパープルさん弄りが流行中なのだろう。彼女も彼女でノリノリだし。
別に構わないのだが、話が途切れてしまうのだけは如何ともし難い。
痺れを切らしたのか、書記に徹していたポーラがやや棘のある声で言った。
「そ、れ、で。どうしてケルディックに滞在しているのか、詳しい事情を聞かせてくれる?」
「ああ、それがあったわね」
事の発端はパープルさんが言ったように、3人で決めた外国旅行。
ルームメイト同士で集まることができれば、行先は何処でも構わなかったそうだ。
そんな折に格安で手に入った、帝国の帝都巡りツアーチケット。
格安だった理由は言わずもがな。チケットを購入した時期は、9月末。
あの頃は帝国解放戦線が壊滅したと発表されたばかりの時期だった筈だ。
観光客は帝国入りを控えていたし、ツアーチケットの相場が下落していたのも頷ける。
結局3人は休日を合わせ、キャンセルが相次いだツアーへ参加。
その初日が10月22日。事もあろうに、クロスベルが国家独立宣言を表明した、あの日だった。
「な、何て不運な・・・・・・よりによって10月22日?」
「そうなんだ。2日後には何たら要塞が消滅したとかで、大騒ぎになるし」
「ツアーも当初は9日間の予定だったけど、途中で中止になったのよ。でもキャンセル料は掛からないし、ホテルにも期間一杯滞在していいって言われたの」
「のんびりしてからリベールに帰ろうって思ってたら、街頭演説が始まったのよね。あれを見物してたら、宰相さんが撃たれちゃって。後は知っての通りよ」
「・・・・・・ごめん。やっぱり自業自得だと思う」
頭が痛くなってくる。ポーラも頭を抱えていた。
不運が重なったことは認めるが、ツアーが中止になった時点で帰国すればよかっただけだろうに。
その後の経緯は想像の範疇に収まってくれた。
帝都から脱出した3人は、追われるように東部へ落ち延び、ケルディックへ行き着いた。
事情を聞いた街の住民らは、代わる代わる彼女達を受け入れてくれた。
3人も世話になりっ放しになる訳にもいかず、家事や商業を手伝うことで助け合った。
街道に点在する農家にも通い、積極的に働いては精を出し、今に至る。
最近は農家の方にお世話になることが多く、街には顔を出していなかったそうだ。
度々ケルディックに足を運んでいた私達とは、見ない顔同士。初対面も同然だった。
聞き取りはこんなところか。ともあれ、無事でいてくれて何よりだ。
皆元気そうに見えて、やはり表情の裏には暗い影が落ちていた。
「よしっと。みんなが無事でいることは、リベール王国の関係者に伝わる筈だよ」
「えっ。ほ、本当に?」
「家族や職場のみんなにも、元気だって伝えて貰えるの?」
「うん。その為に私達は来たんだから」
およそ2ヶ月分の緊張が解れ、大きな大きな溜め息へと繋がる。
その3人分が全く同じタイミングで重なり合い、風となって私達の前髪を揺らした。
見知らぬ地での不慣れな毎日。ずっと耐えて、耐え忍んできたのだろう。
そしてお互いに支え合ってきた。『3』はいつの時代も安定と調和の数字とされる。
ARCUSがあったら、この3人はきっと強いリンクで繋がる筈だ。
喜びを分かち合う姿を見守っていると、次第に彼女らは私達へ興味を示し始める。
「トールズ士官学院、だっけ。2人はその学院の生徒なんだろ?」
「そうだよ。西にあるトリスタっていう街にあるんだ」
「さっきの話じゃよく分からなかったけど・・・・・・えーと、要はどういうことなんだ?」
これまた答え辛い質問だった。
私達の事情を説明するには、立場が複雑すぎる。リベール出身の人間にとっては尚更だ。
モニカの疑問については、ポーラが掻い摘んで説明してくれた。
一言で言えば、私達は士官候補生としての自主的な治安維持活動中の身。
その一環として、彼女らのような境遇にある人間を探し求めている。
ついでに私は遊撃士として、と付け加えると、3人共「成程」と言って頷いてくれた。
「とういうわけで、何か困っていることはあるかな?本当はすぐにでもリベールへ帰してあげたいんだけど、そういう訳にもいかないしね」
「困ってることねぇ・・・・・・モニカ、何かある?」
「んー。どうだろうな」
当然無理難題を言われるだろうと身構えていたのだが、様子が違った。
3人は時間をたっぷりと使い考え込んだ後、「特に無い」という驚きの返答を告げた。
当初は戸惑いや疲労に苛まれていたものの、何だかんだで今の生活に慣れてしまったらしい。
ケルディック民の親切心と人当たりの良さが、今は寧ろ心地良く感じているようだ。
とはいえ、3人の順応力が極めて高いからこその話だろう。随分と肝が据わっている。
「・・・・・・トールズ?ポーラさん、さっきトールズって言ったわよね?」
「言ったわね。トールズ士官学院。それがどうかした?」
パープルさんはハッとした表情を浮かべた後、士官学院の名を口にした。
彼女は以前資料集めの為に、大陸の主立った教育施設を一通り調べたことがあるそうだ。
その際に彼女の目に留まったのが、本校舎の裏地にひっそりとそびえる、旧校舎だった。
「そう、そうよ。確かジェニ学と一緒で、裏地に古びた旧校舎があったわよね?」
「ええ、あるにはあるわよ。それが?」
「うんうん。なら、きっとあるのよね?」
「・・・・・・だから、何が?」
「ほら、あれよ。開かない筈の扉が開いていたり、壊れた筈のピアノが鳴ったり・・・・・・いえ、そんなんじゃ生温いわね。朽ち果てた壁から白骨遺体が、とかっ。雨の日に時計台から流れ出る真っ赤な液体とか!そういう血生臭い噂やエピソードよ!!」
もの凄い勢いで話が斜め上の方向へ向かい、ポーラが私の肩をポンと叩いた。
「任せたわ」という諦めの言葉と一緒に。勝手に振らないで欲しい。
「ええっと・・・・・・これ、何?」
訳の分からない言葉を垂れ流すパープルさんを指差し、他2名に問い掛ける。
するとアリスさんがクスリと笑い、モニカさんも彼女に続いた。
「フフ。あの頃のパープルも、ホラー物にハマっていたっけ」
「そうだな。もう2年以上も前になるのか」
今度は思いっ切り無視をされた。何なんだこの人達は。
2人も2人で、自分達だけの世界に入ってしまっていた。
「はぁ。疲れるなあ、もう」
「放って置きなさいよ。それに楽しそうだし・・・・・・まあ、いいんじゃない?」
「・・・・・・うん、そうだね」
振り回される一方で、悪い気はしなかった。羨ましい、と言った方がいいかもしれない。
アリスさんとモニカさんはとても穏やかで、優しさに満ち溢れた色を浮かべていた。
おそらくは2年前。学生時代に在ったであろう、彼女達が過ごした日々。
人は誰だって、記憶が時の流れと共に消えていく事実を、経験則で知っている。
しかし一方で、色褪せない思い出の存在を願っている。
愛情や友情と一緒だ。想い願えば、きっと生涯に渡り根底に在り続ける。
「ねえアヤさん。さっきの返事、撤回させて貰えるかしら。1つお願いがあるの」
「・・・・・・嫌な予感しかしないんだけど」
このタイミングでの依頼。内容は容易に想像が付いた。
小説熱とやらのスイッチが入ったパープルさんの、相手をしてあげること。
当の本人は興奮の余り鼻から血を流し、ポーラから受け取ったティッシュで鼻を拭いていた。
「卒業してからは、ネタに行き詰ったりして、スランプ気味だったらしいんだ。あんな風に熱を上げることも、久し振りなんじゃないかな」
「適当に話を聞かせてくれるだけでいいの。怪談話の類って何処にでもあるでしょう?それにパープルの場合、勝手に解釈してネタを作り上げちゃうのよ」
「うーん・・・・・・」
士官学院の旧校舎の場合、怪談話というよりかは余りに奇々怪々な現実だ。
勝手に構造を変える。旧時代の化物。幾多の試しの先にあった、灰色の騎士人形。
アリスさんが言ったように在りのままを話す必要はないだろうが、これはそれ以前の問題だ。
「ねえポーラ、どうしよっか」
「ん・・・・・・私が駄目って言ったらどうするわけ?」
「困る」
「なら初めから聞かないでよ」
時間は有限だ。日常生活に不自由していない彼女らに、余計な時間を割く必要は無い。
そして断る理由も見当たらない。私にだって譲れない物がある。
遊撃士としての究極は、困っている人々に手を差し伸べる事。規約には無い根底の理念がある。
「その依頼、引き受けるよ」
ポーラが背中を押す形で、私はパープルさん達に付き合うことを決めた。
まさか丸一日の時間を要する羽目になるだなんて、この時は想像もしていなかった。
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午後21時半過ぎ。風見亭2階の宿泊室。
「あー、しんどい・・・・・・」
背伸びをして身体を解してから、皺一つ無いシーツが敷かれたベッドへ無造作に倒れ込む。
喋り疲れるなんて感覚はいつ以来か。時計の短針が回る速度を疑いたくなる1日だった。
「お疲れ様。どうだった?」
寝間着姿のポーラが、髪に櫛を入れながら聞いてくる。
髪を下ろした彼女を見るのも久しぶりだ。それだけでも印象ががらりと変わって映る。
髪を上げている普段よりも、綺麗や美人といった方向の魅力が際立って見えた。
「ちょっと、聞いてるの?」
「聞いてる聞いてる。大満足して帰ってったよ。良い作品が書けそうだってさ」
「そう。良かったじゃない」
結局私は事実のほとんどを、パープルさんに一から聞かせた。
旧校舎での出来事は他言無用ではあるのだが、部外者からすれば荒唐無稽な作り話。
特に支障は無いだろうと考え、洗いざらい話してしまった。
話は頻繁に脇道へ逸れては、本筋に戻るの繰り返しだった。
何せ全貌を把握して貰うには、特科クラス《Ⅶ組》という存在から説明しなければならない。
相手は帝国の事情にさえ詳しくないパープルさん。時間が掛かって当然だ。
「ねえ、それホラー小説と何の関係があるの?」
「無いと思うよ。結局ホラー系は止めるって言ってたし。帝国の学生達が絆を深め合いながら壁を乗り越える、青春活劇。題名は・・・・・・何だっけ。空の軌跡、じゃなくて。そんな感じのやつ」
「原型がないわね・・・・・・」
まあ満足してくれたのだから、今回はよしとしよう。
初日に3名のリベール人の身元を確認できただけでも、十分な成果と言える筈だ。
トワ会長もきっと―――
「あっ。わ、忘れてた。定時連絡が―――」
「私が入れておいたわよ。全部トワ会長に伝えておいたから、安心しなさい」
一瞬ヒヤリとしたが、ポーラが代わって定時連絡を入れてくれていたらしい。
カレイジャスからも、今日1日の進捗状況が届いていた。
他の地上班も順調に各依頼をこなしていっているようで、特に大きな問題は発生していない。
ポーラ曰く、変わった点があるとするなら、トワ会長の声色にあった。
「声?トワ会長の?」
「何か良いことでもあったのかしら。声が弾んでいたっていうか・・・・・・元気そう?」
「ふーん」
素直に受け取るなら、喜ばしいことだ。
最近はずっと張り詰めた表情と雰囲気が続いていただけに、気に掛かっていた。
ポーラが言ったように、何かしらの変化があったのだと信じたい。
「あ、そうそう。それとトワ会長が教えてくれたんだけど、北クロイツェン街道付近で、学生の目撃情報があったらしいのよ。男女2名のね」
「北クロイツェン・・・・・・ここから真南の街道だね」
目撃情報の出処は、リィン達A班からの定時連絡。
行商人の1人が北クロイツェン街道上で、士官学院の制服を着た若者とすれ違ったのだという。
2週間以上前の出来事だそうだが、信憑性は高いし可能性もある。
「じゃあ、明日はバリアハート方面に行こっか」
「そうね。都市部には近付かない方が無難だし、街道の周辺を回りましょう」
街道上には農家が点在しているし、外れには小さな集落もある。
目撃証言を確かめると同時に、外国人滞在者の情報を集める手筈となった。
ポーラもそのつもりだったようで、トワ会長らにその旨を既に伝えてあるとのことだった。
「ふわあぁ・・・・・・ふう。今日はもう寝るだけだね」
「こらこら。あなたまだお風呂に入ってないでしょう」
「・・・・・・眠い」
「いいからほら、起きなさいよ」
強引にベッドから起こされ、軽く頭を小突かれる。
ポーラとのこんなやり取りも初めてのこと。やはり新鮮だ。
「ねえポーラ。アリスさん達みたいに・・・・・・卒業してからも、連絡取り合おうね」
「たまに手紙を書くぐらいなら、私からもってこら!起きなさいってば!」
先程よりも力強く頭を叩かれ、眠気が追い出される。
学び舎を去ってからも、変わらずに在り続ける物がある。私達の間にも、きっと。
先走った想いを胸に秘め、私はふら付いた足取りで浴場へ向かった。
________________________________
12月20日、午前10時。
交易街ケルディックから南へ100セルジュ程下った街道上。
私とポーラは昨日同様、馬の脚を借りて南の方角、バリアハート方面へと向かっていた。
やはり単に下ればいいという訳にはいかず、各所に設けられた検問を迂回する必要があった。
その分時間を浪費してしまうのだが、捕らわれの身になるよりかは遥かにマシだ。
「今日は一段と冷えるわね」
「うー、上着を持って来ればよかったかな・・・・・・」
ポーラは制服の上から薄手のジャケットを羽織っていた。
私は変わらずにお母さんの戦闘衣装。身軽に動ける分、この季節はそれが仇となってしまう。
「目撃情報によれば、この辺りの筈よ」
ポーラが馬を止め、取り出した地図上へ視線を落とす。
私達と合流してくれた士官候補生の中には、街道沿いに潜伏していた人間がいた。
だが証言はすれ違った地点がこの近辺だというだけで、それ以外に目立った情報は無い。
周辺に学生が潜伏していると睨むには、気が早すぎた。
「どうだろ。もう大穀倉地帯は抜けてて、魔獣除けの数も減ってきてるし・・・・・・この街道付近に身を潜めるとしたら、そう遠くない場所しか選べないと思うな」
「いずれにせよ、虱潰しに探すしか―――」
ザザザッ。
南の方角からやって来た風が、周囲の木々を揺らす。
何の変哲も無い風のようでいて、僅かな不自然が胸の奥をざわつかせる。
―――何か、来る。五感よりも先に、直感がそう告げた。
私より数秒遅れて、ポーラもその気配を感じ取り、馬の背から飛び降りた。
「・・・・・・魔獣、よね?」
「うん。それに大きい」
ポーラと背中を合わせ、四方八方に気を払う。
この威圧感。間違いなく近付いている。しかも速い。
だが肝心のその出処が感じ取れない。人形兵器だって、独特の殺気を放つというのに。
ポーラもそれに気付いているようで、得物の鉄鞭を握り締め、前方に絞って注意を向けていた。
武術教練の授業では、様々な武器術を学ぶことができる。
数ある術の中からポーラが選んだのは、鞭術。
理由は聞くまでもないし、間合いなら私よりも彼女だ。
「変ね・・・・・・何かしら、この感覚」
「わ、分かんない。でも近いよ、構えてっ」
察知はしている。なのに、何処からも魔獣の姿が窺えない。
もうかなり接近している筈だ。この感覚は―――
「―――ポーラ、上!!」
私の声を合図にして、弾かれたようにお互いに距離を取った。
激しい風と共に、つい今し方まで立っていた地面へ、鋭い爪が突き立てられる。
飛来する風と砂埃で目を閉じそうになるのを堪え、降り立った魔獣の全貌を見据えた。
「クエエェッ!!」
巨大な鳥型魔獣。かなり大きい。全長は4アージュ程度。
紫色の羽根色が毒々しく禍々しい。黒光りする嘴は何だって貫いてしまいそうだ。
見覚えがあった。5月度の特別実習で列車を襲った、あの鳥型魔獣。その同種族。
目が眩むような重圧が、あの時の恐怖を呼び起こしてくれていた。
「不味いなぁ。以前実習で相手取った魔獣だけど、凄く厄介だよ」
「何でそんな魔獣が、街道のど真ん中に・・・・・・って、それは結論が出たんだっけ」
「幻獣、だろうね。縄張りを追い出されたか、ド突かれたかってところじゃない?」
私とポーラは得物を構えながらも、手を出せないでいた。
敵意は明らかに私達へ向いている。だが下手に打って出れば無事では済まない。
すると魔獣は咆哮と共に羽ばたき、再び上空へと飛び上がる。
目測で50アージュ程度高度を上げた後、魔獣は弧を描いて飛び始めた。
「それで、以前やり合った時はどうしたのよ?」
「5人掛かりで時間稼ぎが精一杯だったよ。駆け付けてくれた鉄道憲兵隊の精鋭達が、でっかい狙撃用ライフルで撃ち落とした。10発目以降は数えてない」
「・・・・・・尻尾を巻いて逃げるに1票」
大賛成。そう答えはしたが、退却手段とルートが問題だ。
北へ行くにつれて平坦で広大な地形に変わる。逃げるなら起伏が激しい南だ。
馬は使えそうだが、既にかなり距離がある。この状況で無防備に背中を向けたくはない。
焦るな。判断を間違えたら終わりだ。そう考えていると―――突然、身が軽くなった。
(あれ?)
どういうわけか、上空から叩きつけられていた殺気が消え、息苦しさが無くなる。
頭上には変わらずに、魔獣の姿があった。どうしてだろう、私達に興味が無くなったのだろうか。
「あ、アヤ!」
「え?」
ポーラの声に視線を地上へ戻すと、その理由に思い至った。
殺気が消えた訳ではなかった。その矛先が、別の対象へ向いただけ。
街道の先。こちらへ向かって歩いて来る女性がいた。
完全に無防備だった。あの様子では、こちらの状況を理解していない。
無慈悲にも、魔獣は既に女性へ向かって高度を下げ始めていた。
「ふ、伏せて!!」
「ほえぇ?」
力の限り大声で叫ぶ。私の声に、女性は歩を止めただけだった。
魔獣は容赦無く鋭い爪を地上を向けながら、地上を掠めた。
(あ―――)
思わず目を逸らしそうになったが、下唇を噛んで踏み止まり、全てを見届けた。
深々と爪が突き刺さった対象は―――女性が肩からぶら下げていた、ショルダーバッグ。
目を切らなかったおかげで、女性の身体が無事なのは把握できていた。
魔獣が高度を上げ始めると、女性はバッグの紐に引っ掛かる形で、魔獣と共に浮かび上がる。
「ほええぇぇぇええ!!?」
見る見るうちに、魔獣と一緒に女性が地上から離れていく。
迷っている時間は無かった。躊躇いが最悪を招くのなら、犠牲が伴う英断を選び取れ。
私は意を決して長巻を大きく振りかぶり、投擲した。
「五の舞、『投月』!!」
月下美人の片割れが回転しながら、魔獣の頭部目掛けて飛来する。
魔獣は投擲術に臆することなく、鈍重な音を立てて、巨大な嘴を以って長巻を受け止めた。
「嘘!?」
一瞬羽ばたきが止まり高度は落ちたが、未だ魔獣は女性を吊り下げたまま。
呆気に取られていると、間髪入れずにポーラの鉄鞭が唸りを上げた。
「せえぇいあ!!」
強靭な鞭先は、高度が落ちた魔獣の足元を裂き、乾いた破裂音が響き渡った。
ポーラの一撃は、見事正確にバッグの紐を捉えていた。
引っ掛かりから解放された女性は、そのまま重力に逆らうことなく、自由落下を始める。
「ひゃあああぁぁあ!!?」
「アヤ!」
「分かってる!」
全力で地面を蹴り、初速から限界を引き出す。
間に合え。そう願いながら走りつつも、届かないことは目に見えていた。
最悪の可能性が脳裏を過ぎったが、幸運にも落下地点には適度に育った樹木がそびえていた。
女性はその枝々に引っ掛かりながら、地上へと落下した。
急いで女性に駆け寄り、もう一刀の長巻を構えて頭上へ気を向ける。
肩で息をしながら身構えていても、魔獣が襲ってくる気配は無い。
胸の鼓動を30回聞き終えたところで、私達の下へ走ってくるポーラの姿が映った。
「ポーラ、魔獣は?」
「大分離れたわ。理由は分からないけど・・・・・・もう大丈夫だと思う。そっちは?」
「待って。診てみる」
剣を地面に置き、急いで女性の安否を確認する。
息はある。呼吸は乱れていない。額と頬を切ってはいるが、外傷は浅い。
見たところ大事無いように思える一方、衝撃が和らいだとはいえ受け身無しで落下したのだ。
頭も打ってしまったのだろう。既に意識は無く、身体が弛緩し切っていた。
「目立った外傷は見当たらないけど・・・・・・意識が無いし何ともってところかな」
頭を打っている以上、下手に判断はできない。
それに脅威が去ったとはいえ、また魔獣が来襲する可能性も考慮した方がいい。
まずはこの場を離れることが先決だが、私とポーラの2人だけでは心許無い。
どう判断すべきか。考え込んでいると、後方から声が聞こえた。
「大丈夫ですか?何かありましたか?」
男性の声だった。振り返ると―――見慣れた制服が、目に映った。
上下純白の制服と、緑色の上着。貴族生徒とそれ以外を表す、士官学院生の証。
私よりも先に、ポーラが驚きに満ちた声を上げた。
「ふ、フィデリオ先輩!?それに、ドロテ先輩ですか!?」
「あなた達は、馬術部の1年生のっ・・・・・・?」
お互いに接点はそう多くない。だが名前と顔は当然一致した。
写真部と文芸部。両者の部長を勤める、2学年の先輩達。
2人は戸惑いの色を浮かべながら、私とポーラ、力無く横たわる女性の様を見詰めていた。
「どうして君達がこんな所に・・・・・・い、一体何があったんだ?その女性は?」
「あ、アヤさん。その眼帯は」
「事情は後で説明します。この人を連れて、急いで安全な場所へ避難したいんです」
今は疑問符を浮かべている場合ではない。女性を含めた全員の安全が最優先だ。
私は大雑把に事の経緯を説明した。信頼に値する相手なだけに、余計な情報は全て排除した。
私達の様相と女性の状態に、先輩達も穏やかではない事態をすぐに把握してくれた。
「なら、僕達のベースキャンプへ行こう。手を貸すよ。ドロテ、先導してくれないか」
「分かりました。私について来て下さい」
フィデリオ先輩と2人掛かりで女性の身体を支え、立ち上がらせる。
ベースキャンプとやらは街道の先。ここからそう遠くない場所に設置してあるそうだ。
「ありがとうございます。ポーラ、行こう」
「私が後ろを見るわ。馬達は後で回収しましょう」
歩を進め始めると、女性が僅かに声を漏らした。
目が覚めたのかと思ったが、未だ意識は頭の外。
女性は小さな小さな声で「せんぱい」と一言だけ呟いた後、再び口を閉ざしてしまった。
_________________________________
「・・・・・・そうか。カレイジャスには、やっぱり士官学院生が乗っていたんだね」
「やっぱりって、気付いていたんですか?」
私の問いに対し、フィデリオ先輩の代わりにドロテ先輩が答える。
「運用している人間の中には、手配中の学生がいる可能性が高いって、帝国時報にありましたから。情報収集の為に、新聞は毎号手に入れてるんです」
「あ、そっか」
言われてみれば、確かにそうだ。
公式に謀反が疑われている《Ⅶ組》勢と、今ドロテ先輩が触れた報道記事。
その2つを繋げば、少なくとも《Ⅶ組》が乗り合わせている可能性には容易に辿り着ける。
フィデリオ先輩に、ドロテ先輩。
2人は話に聞いていた、レジスタンス活動を続ける学生として動き続けていた。
街道で出くわしたのは、魔獣の咆哮と女性の悲鳴が、2人の耳にも届いていたからだった。
「漸く合点がいったよ。それに、決心も付いた」
「え。そ、それじゃあ」
「ああ。僕もカレイジャスに乗せてくれないかな。自分が正しいと思えることをやりたいんだ」
「私もフィデリオ君と同じですよ。それにエマさんのことも、ずっと心配だったんです」
私はカレイジャスが託された経緯について、全てを伝えた。
すると2人は迷うことなく、トワ会長をはじめとした私達の意志に賛同の意を示してくれた。
とりわけフィデリオ先輩は、貴族生徒でありながらも、この内戦に疑念を抱いていた身。
貴族派の強引な姿勢に抵抗があるからこそ、積極的にレジスタンス活動を続けていたそうだ。
「ありがとうございます。トワ会長も、きっと喜んでくれる筈です」
「力になれるよう頑張るよ。さて、問題は―――」
―――この女性ですね。
ドロテ先輩はそう呟きながら、巻き終えた包帯を鋏で切り、治療用のテープで固定した。
次いで先輩は女性の顔や腕についた土汚れを丁寧に拭き取り、一瞥してから言った。
「外傷は大したことありませんが、軽い脳震盪を起こしているみたいです」
「脳震盪、ですか」
「はい。そのうち目を覚ましてくれると思いますよ」
どうやら私の見立て通り、大事には至っていないらしい。
放っておけば近日中に傷も塞がるだろうが、軽度な物は軟気功で癒しておくとしよう。
それにしても―――意外というか、とても新鮮な感覚だった。
「あれ。どうかしましたか?」
「いえ、その・・・・・・流石は先輩方だなぁと。そう思っただけです」
包帯の巻きには僅かなズレも無く、応急処置の手際は見事の一言に尽きた。
私達を先導し、ベースキャンプを目指す道中でもそうだった。
オーバルアーツで小型魔獣を蹴散らして進む姿は、士官候補生に相応しく、勇ましく映った。
失礼極まりない感想なのだが、私は放課後のドロテ先輩しか知らなかった。
私にとっての表は、裏だった。頼りになる先輩としての顔が、実のところ表だったのだろう。
「腐っても士官候補生ですから。こう見えて、実技の成績は中の上ぐらいなんですよ」
「あはは。すみません、失礼なことを言ってしまって」
「ちなみに今の『腐っても』には2つの意味があるんです。2つで1つは乙女の理です」
「・・・・・・」
裏表は保留だ。尊敬と感心が台無しになる前に、話を元に戻そう。
現時点で考えるべきは、未だ目が覚めていないこの女性。
フィデリオ先輩が顔を接近させてまじまじと見詰める、名も知らない―――え?
「ぶほっ!?」
私が手を出すよりも前に、ドロテ先輩が脇腹へ手痛い突っ込みを入れた。
何故かガイウスが連想されたが、気のせいだろう。私はそんな真似をしたことがない。
フィデリオ先輩は首を左右に振り、呼吸を整えて弁明を始めた。
「ち、違う、誤解だよ。この人、何処かで見た顔だなって思ってさ」
「フィデリオ君、嘘だったら軽蔑しますからね」
必死に首を振って否定する姿から考えても、嘘は言っていないように思える。
見覚えがあるけど思い出せない。もし事実なら、どう受け止めるべきだろうか。
「この人、南の方から歩いて来たみたいなんです。そこに偶然、私とポーラと、それと魔獣が」
「南か。あの場所から南には目立った集落は無いし、農家の人間には見えないね」
「じゃあ、バリアハートから来た女性なのでしょうか」
髪色は明るめのブラウン。後ろには髪をまとめた黄色のリボン。
童顔と丸眼鏡が幼さを際立てているが、年齢はおそらく20代前半程度。
私やドロテ先輩に心当たりが無いことから考えて、有名人の類とは思えない。
3人で声を交していると、端末を抱えたポーラがキャンプへ戻ってくる姿が目に入った。
ポーラはカレイジャスと連絡を取る為、周辺で端末を使い通信を試みていた。
「ポーラ、どうだった?」
「駄目ね。この辺は導力波が届き易い筈だけど、繋がらないわ。きっと範囲外を飛んでるのよ」
収穫無し、か。期待が大きかった分、落胆も一際だ。
カレイジャスと連絡が付けば動き方も変わってくるが、今は無い物強請りしても仕方ない。
ポーラは端末をバッグへ仕舞い、それをキャンプ内のシート上に置いた。
その一連の動作に―――どういうわけか、違和感に似た引っ掛かりを覚えた。
「え・・・・・・ポーラ?」
「何?」
「・・・・・・あ、ううん。何でもない」
「どうしたのよ。変な顔しちゃって」
「あはは。ごめんごめん、何でもないから」
首を傾げて見詰めてくるポーラ。
引っ掛かりの正体は分からないが、どうせ些末な事だ。今はどうだっていい。
私は座り直して、フィデリオ先輩へ今後の動き方について聞いてみた。
「フィデリオ先輩、これからどうしますか?」
「うーん。この人を抱えて移動はできても、流石に遠出はできないし・・・・・・下手に動くよりかは、目が覚めるのを待った方がいいと思う」
「そうですね。私も賛成です」
概ね同意だ。ドロテ先輩とポーラも、首を縦に振った。
再び横たわる女性へ視線を落とすと―――腰元のポーチに、目が止まった。
見れば、小さなサイズの茶封筒が、蓋が開いたポーチの中に収まっていた。
私の様子に気付いたドロテ先輩が、そっと封筒をポケットから取り出す。
「それ、何ですか?」
「この感触は・・・・・・多分、写真だと思います。何か数字が書いてありますね」
封筒の裏面には、数桁の数字が記されていた。
『15』の横に、『28944~28952』。見慣れない数字の羅列だった。
「・・・・・・中身を見てしまっても、いいものでしょうか」
見ず知らずの他人の所持品を覗くなんて真似は、当然だが気が引ける。
が、今は状況が状況なだけに、そうも言っていられない。
様々な万が一を考えて、この人が何者なのかを把握しておきたいところではある。
ドロテ先輩が封筒の中身を取り出すと、予想通り数枚の写真が取り出された。
それらを私達にも見えるように、ドロテ先輩がゆっくりと1枚1枚確かめていく。
「これは・・・・・・壁?いや、違いますね。何でしょう、これ」
どの写真にも、石造りの壁らしき物や扉、窓等が写されていた。
加えてタイル張りの床。噴水。ベンチ。木々に花壇。
ピントは合っているし、ハッキリと視認はできるのだが、どうも要領を得ない。
「んんー・・・・・・?」
撮影した対象物が分からないのだ。分かるけど分からない、というか。
何を写したくて撮ったのかが、今一ピンと来ない。無作為に撮っているようにも見えてしまう。
するとポーラが「あっ」と声を漏らし、ある1枚の写真を指差して言った。
「それ、聖女像じゃないですか?」
「聖女像?」
「ほら、バリアハート大聖堂の前にある石像ですよ。以前に雑誌で見たことがあります」
バリアハートというキーワードで、私も思い出した。
あの聖女像なら、数年前に帝国を流れる道中で私も見たことがある。
ということは、これらの写真はバリアハートの風景を写した物ということだろうか。
「ま、待ってくれないか。まさかとは、思うけど・・・・・・こ、これって」
すると何かに気付いた様子のフィデリオ先輩が、シートの上に写真を並べ始める。
聖女像の写真は中央。それを囲うように、他の写真を周囲へ置いて行く。
1枚、また1枚と置かれていき―――9枚の写真達が、唐突に繋がりを示し始めた。
9枚が1枚となり、その上にバリアハート大聖堂の全景が現れたのだ。
「・・・・・・フィデリオ君」
「聞かないでくれ・・・・・・参ったな、信じられない」
日差しの具合や影。何から何まで、全てが重なっていた。
本当に全部が繋がっているのだ。こうして並べてしまうと、切れ目が何処にも見当たらない。
素人でも理解できてしまう程に、あり得ない芸当。正に神の呼吸だ。
「裏面に印字された数字も連番だよ。この9枚は、9枚だけで撮られた1枚になっているんだ」
「こ、この人がこれを撮ったってことですか?」
「俄かには信じ難いけど、多分そうな・・・ん・・・・・・って、ああぁ!?」
突然の大声に、女性陣3人分の肩がビクついた。
当のフィデリオ先輩は、口を閉じたり開いたりを繰り返しながら、驚愕の表情を浮かべていた。
すると先輩の声に反応したのか、眠っていた女性に変化があった。
両手で目元を擦った後、ひどくゆっくりとした動きで半身を起こす。
完全に寝起きの顔だった。眼鏡を気にせずに目元を触ったせいで、丸眼鏡は膝に落ちていた。
この人、眼鏡無い方が可愛いかも。
そんな場違い極まりない感想を抱いていると、女性は欠伸を1つ置いてから、口を開いた。
「はぁ・・・・・・あのー、どちら様ですかぁ?」