絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月19日 艦長代理の休日

 

12月18日、カレイジャス艦橋。

 

艦長席に座りながら、膝の上へ置いたノート型端末のキーボードを叩く。

端末は直接足の上には置かず、必ずブランケット越しに。

端末が発する熱が、低温火傷に繋がることがあるらしい。ジョルジュ君に注意されたばかりだ。

 

「・・・・・・ふう」

 

少々強めにキーを叩いてから深めに座り直し、背もたれに身体を預ける。

眼前には月明かりに照らされて薄らと映る、雲上の世界。

艦橋にはお馴染みのクルー達。最近は士官候補生と入れ替わることが多くなってきていた。

 

カレイジャスに乗艦してから10日間。

《Ⅶ組》と合流してからは約1週間。私が艦長帽を引き継いだのも、同じ時期。

昨日は予想外の大事に巻き込まれたが、それを除けば様々な点で軌道に乗りつつある。

ケルディックで補給を受けたばかりだし、当面は物資面の心配も無い筈だ。

 

「やっぱりここにいたか」

 

声に振り向くと、首にタオルを掛けたジョルジュ君が立っていた。

普段のツナギではなく、ゆったりとしたジャージ姿。

乾き切っていない髪は見事に逆立っており、シャワーを浴びた直後であろうことが窺えた。

 

「やっぱりって・・・・・・私がここにいるのは、当たり前だよね?」

「そういう意味じゃなくてさ。今日も随分と遅いね。まだ掛かるのかい?」

 

お互いに疑問符を浮かべた後、視線を端末の画面上に移す。

画面右上には、今日の日付と現時刻が数字で表示されていた。今は12月18日、午後21時19分。

 

(あれ?)

 

思わず二度見した。午後21時20分。

ちょうど20分台に乗ったところだが、見間違いではない。

感覚では、まだ午後20時前。1時間半近くも頭と体内時計がズレてしまっていた。

最後に時計を確認したのはいつだったか。それすらもハッキリしない。

 

「少し根詰めすぎだよ。たまには艦長席を離れてもいいと思うけどな」

「ん・・・・・・あはは、私は大丈夫だよ。心配掛けちゃってごめんね」

 

彼の気遣いが、先日の一件から来ていることは容易に想像が付いた。

救出作戦の最中に見舞われた、カレイジャスの危機。

その結末と原因。そして艦を降りてしまった仲間達。

 

多少気落ちはしたが、今は下を向いてはいられない。やらなければいけない事が山積みだ。

私は勿論、乗り合わせている士官候補生だってそう。

地上班である《Ⅶ組》の皆だって、明日に向けて打ち合わせている最中の筈だ。

 

「それに、いつもこの席に座ってるわけじゃないよ?たまには息抜きだってしてるんだから」

 

資料室で読書をすることがあれば、遊戯室で娯楽に興じることだってある。

こういった特異な状況下では、意識的に心身のケアを図る必要があることは理解していた。

そう思い笑顔を向けると、ジョルジュ君は眉間に寄せていた皺の数を増やしてしまった。

 

「だからそういう意味じゃなくて・・・・・・察しが悪いなぁ。トワらしくもない」

「・・・・・・よく分からないよ。もっと分かり易く言って欲しいな」

「残念だけど、お断りだよ。自分で考えるんだね」

「むー。ジョルジュ君の意地悪」

 

ふくれっ面を向けると、ジョルジュ君は笑いながら踵を返した。

すると何かを思い出したかのように足を止め、再び身体を反転させて言った。

 

「そうそう、後で食堂へ行くといい。ニコラスがデザートを作ってたから」

「え、ホントに?」

「にがトマトゼリーだってさ。甘党の僕には合いそうにないから、2人分食べちゃいなよ」

 

心を小躍りさせてお礼を言い、正面へ向き直る。

夜の間食は気が引けるが、ゼリーならまだ言い訳が立つ。

現時刻は21時半。あと30分程頑張って、切りの良いところで今日は休もう。

 

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「ん・・・・・・」

 

瞼を開けると、暗闇の中にいた。

ここは何処だろう。見慣れているようで、光が少なく判断ができない。

そもそも私は今何をしていた。この感覚は完全に寝起きのそれだ。多分、寝入っていたのだろう。

 

「んー・・・・・・ふわあぁ」

「お目覚めですか、艦長代理」

「ふぇ?」

 

大きな欠伸をしながら背伸びをしていると、前方から男性の声が聞こえた。

それで漸く気付いた。私は今、艦長席に座っている。ここは艦橋だ。

暗いのは当たり前だ。午後22時以降は、他の階層同様に艦橋も消灯する。

光源はクルー達が操るモニターが発する光と、僅かな月明かりだけ。

 

「く、クロノさん。今何時ですか?」

「ちょうど日付が変わったところです。2時間近くは眠ってましたよ」

 

段々と意識が鮮明になり、眠る直前の自分が思い出されていく。

端末を閉じて、一息付いたところまでは覚えている。なら、その直後に眠ってしまったのか。

 

膝に掛けていた筈のブランケットは、私の小さな身体を綺麗に覆っていた。

誰がそうしてくれたのか。答えは1つしかない。

夜間に夜勤を勤める人間も、当番制で1人だけ。今艦橋には、私とクロノさんしかいないのだ。

 

「・・・・・・その、ありがとうございます」

「はて。何のことか分かりませんが」

 

照れ混じりにお礼を述べると、クロノさんは大袈裟にしらばっくれた。

眠る直前、無意識のうちに首元のボタンを外していたようだ。首元どころか、胸元まで。

まあ、見られたと考えていい。彼の大人な対応が、素直に有難かった。

 

「随分とお疲れのようですね。しっかり休めてますか?」

「睡眠は取れてますよ。それと、今ぐらい敬語は不要です。帽子も脱いじゃってますから」

「そう言われましても・・・・・・」

「じゃあ命令しちゃいます。敬語は止めて下さい」

 

艦長帽を被り指示を下すと、クロノさんはやっと降参してくれた。

カレイジャスのクルー達は厳正規律だ。

正規軍からの協力者は当然だが、民間の運航会社出身の人間達も彼らに倣っている。

普段ならともかく、今ぐらいは同じ目線で話してくれた方がこちらも気が楽になる。

 

「夜勤お疲れ様です。すみません、負担を掛けてしまって」

「これぐらい慣れたものさ。今はヴィヴィちゃんが手伝ってくれてるからな。以前は夜勤から昼までぶっ通しな日もあったぐらいだし、大分楽になったよ」

「あ、あはは・・・・・・っとと、笑えませんね」

 

自動運航の機能を使えば、カレイジャスは必要最低限の人数で運航が可能だ。

不測の事態に陥らない限り、夜は大部分の人間が寝息を立てている。

 

それでも、やはり人手不足は否めない。

クロノさんも当初の予定では、既に艦を降りている筈だったのだ。

増えつつあった士官候補生は今日、先日の一件の影響で8名も減ってしまっていた。

やはりもっと多くの協力者が必要だ。志を共にする、仲間達が。

 

考え込んでいると、クロノさんは肩を揺らしながら小さな笑い声を漏らし始める。

 

「どうしたんですか?」

「いや、また険しい顔をしてるなって思ってさ」

「険しい・・・・・・そう見えますか?」

「見えるよ。意気込み過ぎてるっていうのかな。トワちゃんは生徒会長をやってたんだろ。士官学院でもそんな感じだったのか?」

「・・・・・・いえ。多分、違うと思います」

 

意気込み過ぎてる。カレイジャスに乗ってからそんなことを言われるのは初めてだ。

疲労については何度か聞かれたが、私は今どんな表情を浮かべていたのだろう。

 

「あっ。でも生徒会長になったばかりの頃、同じようなことを言われたことがあります」

「ならそれと一緒だ。たまには肩の力を抜いた方がいいし・・・・・・そうだな。思い切って、明日は艦長代理をお休みってのはどうだ?」

「え・・・・・・お、お休みですか?」

「ああ、お休み。休暇だよ」

 

突飛極まりない提案に、声が裏返ってしまう。

冗談半分かと思いきや、クロノさんの中では本気。微塵も冗談を孕んでいなかった。

 

明日からは《Ⅶ組》の皆が地上での行動を再開。

それ以外のメンバーについては作業の割り振りを終えているし、確かに区切りは付いている。

イレギュラーさえ発生しなければ、私が艦長席にいなくとも、何とかなってしまうだろう。

 

だからと言って、休暇か。流石に気が引けるというのが正直なところだ。

でも椅子の上で熟睡してしまうなんて、確かに今の私は普通じゃないのかもしれない。

 

「うーん・・・・・・どうしよっかなぁ」

「そう固く考えなくていい。強要はしないけど、誰にだって休みは必要だしな。ともあれ、寝るなら艦長席じゃなくてベッドをお薦めするよ」

「あはは、そうします」

 

クロノさんの言う通りだ。まずは汗を流してから考えよう。

私はクロノさんにおやすみの挨拶をしてから、艦橋を後にした。

 

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12月19日、午前9時過ぎ。

既に《Ⅶ組》は地上へと降り立ち、各面々もそれぞれの作業に当たっていた。

私はカレイジャス3階の通路をゆっくりと歩き、後方の甲板へ繋がる扉を目指していた。

 

結局私は皆に背中を押される形で、1日だけの休暇を取ることにした。

誰に相談しても、「そうした方がいい」と口を揃えて言われては、従うしかなかった。

甲板へ向かっている理由は特に見当たらない。散歩気分で、艦内を歩き回っていた。

 

甲板に出ると、見渡す限りの青空が一気に広がる。

雲の海を眼下に、カレイジャスはフライトプラン通りのルートを辿っていた。

 

「あれ?」

 

周囲を見渡すと、甲板には私よりも先に、2人の女性がいた。

ヴィヴィさんとフィーさん。園芸部に所属する1年生コンビだった。

 

確かヴィヴィさんは、そろそろ夜勤明けのクロノさんと交替予定。

一方のフィーさんは、今朝方に得物の双剣銃が不具合を起こしたとかで、今現在メンテナンス中。

終わり次第、彼女も地上へ降りる手筈となっていた。

 

「2人共、何を見ているの?」

「ん、これ」

 

2人は屈みながら、甲板の端に置かれていたプランターを指し示す。

プランターの土からは、緑色の双葉が5リジュ程度の間隔を置いて生えていた。

 

「二十日大根?」

「フィーちゃんがユミルで育てていた物を、カレイジャスに持ち込んだんです。どれもいい感じに育ってますね」

「へえ・・・・・・初めて見たよ」

 

名前は知っていたが、実際に見るのは初めて。

確か寒気に強く、その名の通り1ヶ月も経たないうちに収穫が可能な野菜だ。

それにしても随分と多い。10を超えるプランターに双葉が生茂っている。

2人が言うには、カレイジャスの食糧問題を解決する秘策なのだそうだ。

 

「食べてみる?」

「え、もう食べれるの?」

「さっき洗ったのがある。そのまま齧ってみて」

 

フィーさんが差し出した双葉を受け取る。

先っぽには赤紫色の、丸々っとした大根が生っていた。

これをそのまま齧ればいいのだろうか。少しはしたないが、ここはフィーさんに従おう。

 

ガリッ。

 

大根ならではの、しっかりとした歯応え。

途端に口内へ広がる青々しい風味と、癖になる渋み。

うん、これはお手軽に食べられる良い食材だ。これなら―――

 

「あれ・・・・・・か、辛い?ふ、ふぇぇ、かかか、辛い!?」

 

全てをその辛味が上書きしていく。

口を半開きにして地団駄を踏む私を余所に、2人は至って冷静にその様を見詰めていた。

 

「変だね。冬の大根って甘い筈なのに。何か間違えた?」

「育て方の問題かしら。エーデル先輩の意見が欲しいところだわ」

「ふえぇぇ」

 

知らぬ間に実験台扱いされていた。

私の休暇は、そんなやり取りから始まった。

 

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午前10時。場所を移して、2階の食堂。

 

「フフ、二十日大根か。たまに辛いのが採れるけど、それは度を越してるね」

「うー。どんな育て方をしたらああなるの・・・・・・」

 

昨日食べそびれたニコラス君特製のゼリーを口に運ぶ。

ほんのり苦く、そして甘酸っぱい。絶妙な酸味が口の中を癒してくれる。

 

食堂ではニコラス君の指示系統の下、数人が昼食の準備に勤しんでいた。

手伝おうかと申し出たが、休暇中なら任せて欲しいとニコラス君に断られてしまっていた。

 

「それでニコラス君、何か困ってることはあるかな?」

「今は特に。人手不足以外は事足りてるよ」

「やっぱりそうだよね・・・・・・」

 

厨房に目をやると、鼻歌を歌いながら大鍋へ材料を投入するアルフィン殿下の姿があった。

自らの意志で包丁を握っているとはいえ、やはり心苦しい物がある。

 

「フンフーン、フフフーン♪」

 

それにしても、今日も一段と殿下は上機嫌に見える。

というか、一時から雰囲気が変わった気がする。良くも悪くも。

 

―――私がその辛味を薄めて差し上げましょうか?

そう言いながら顎を引かれた時は、どう反応すればいいのか全く分からなかった。

うん、忘れよう。何やら訳ありのように思えるが、楽しんでくれているのなら言うことは無い。

 

2人分のにがトマトゼリーを平らげたところで、後方の扉が開かれる。

包みを右手にぶら下げた1年生。《Ⅳ》組所属のカスパル君が立っていた。

 

「あ、トワ会長。フィーを見ませんでしたか?」

「フィーさん?フィーさんなら、後方の甲板にいると思うよ」

「ああ、甲板か。通りで見つからない訳だ」

 

ありがとうございますを言った後、カスパル君は食堂を後にした。

初めは何のことかと思ったが、あの包みの中にはフィーちゃんの得物が入っているのだろう。

 

カスパル君はレグラムにある、アルゼイド流の道場に身を置いていた。

その際に様々な武具の取扱いを教わり、その技術が今では大変役立っている。

流石に導力銃は専門外でも、刃物の研ぎや簡単な手入れを任せられる程度の腕はあるそうだ。

 

改めて考えなくとも、このカレイジャスには沢山の士官候補生が乗っている。

皆が得意分野を活かす一方で、意外な一面を見せる人間もいる。

それがとても頼もしく、そして楽しいとさえ思える。新鮮味に溢れているのだ。

 

「さてと。ニコラス君、ご馳走様」

「お粗末様でした。今日はゆっくりするといいよ」

「うん、そうさせて貰うね」

 

さあ、次は何処へ行こうか。

特に目的地も無く、私は階段を下ることにした。

 

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午後10時半。最下層の船倉。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「ん・・・・・・」

「ん?」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

同じ2学年生、《Ⅲ》組の美術部部長、クララさん。

今の彼女にとって、私は置物。空気も同然の存在なのだろう。

声を掛ければ答えてくれるが、一度独自の世界に入ってしまえば、暫くは戻って来ない。

 

「それにしても凄いなぁ。たまに技術部の工房に来てたのは知ってたけど、ペイトンさんも驚いてたよ。『プロの職人か』ってね」

 

クララさん曰く、「モノ作りはモノ作りだろう」。

素材が土や石、そして金属であろうが、彼女の手に掛かれば何だって生み出してしまう。

工房に置かれている機材を器用に使っては、度々周囲を驚かせる。

エンジンを復旧させる際にも、彼女が作り出した部品の数々が活躍したらしい。

 

「それで、今は何を作ってるのかな?」

「・・・・・・今は言えん」

「え。ど、どうして?」

「可能かどうかが分からんからだ。だが成功すれば・・・・・・フフ。待っていろ、灰の騎神」

『任セヨウ。我ガ《工匠》ヨ』

「ふえ?」

 

無機質で頭の中に響いてくる声。

見上げると、船倉に立っているヴァリマールの両目に光が宿り、青白い輝きを放っていた。

 

工匠。今工匠と言ったか。

クララさんが鋭意製作中の何かが、このヴァリマールに関係しているのだろうか。

当然、理解などできる筈もなかった。同じ士官候補生の領域を超えている気がする。

 

「ええっと・・・・・・が、頑張ってねクララさん」

「トワ」

 

額に汗を浮かべてその場を去ろうとすると、クララさんが私の名を呼んだ。

振り返ると、クララさんは手掛けている何かを見詰めながら言った。

 

「それでいい」

「え?」

「お前はそれでいい、と言っている。それだけだ」

 

呼び止めて悪かったな。そう言って、クララさんは再び手を動かし始める。

何を言わんとしているのか、やっぱり理解などできる筈もなく。

 

それでいて、不思議と悪い気はしなかった。

寡黙な彼女の方から話し掛けられたのは、いつ以来のことだろう。

クラブ部長同士が集う定期会議でも、口を閉ざしたままがほとんどだというのに。

 

「・・・・・・うん。ありがとう、クララさん」

 

クララさんと、ついでにヴァリマールに手を振ってから、私は階段を目指した。

エレベーターではなく、士官学院でそうするように、階段を使いたかった。

 

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資料室の扉を開くと、テーブルには書物が山積みにされていた。

その向こう側では、食い入るように本棚を見詰めるトマス教官。

背中を見るだけで、教官の目が輝いているであろうことが窺えた。

 

部屋の片隅には、大きな狼が蹲っていた。

初めは目にする度に驚かされたが、今では可愛らしいとさえ思える。マスコット的な存在だった。

 

「そっか。ランちゃんは今回アヤさんと一緒じゃないんだよね」

 

ランちゃんの前に腰を下ろし、そっと頭の上に右手を乗せる。

ピクリと両耳が動いたが、嫌がっている気配は感じられない。

 

「ありがとう、ランちゃん。私達に協力してくれて」

『私はアヤに助力しているに過ぎん。礼を言われる憶えはない』

「あはは。ランちゃんはいつもアヤさんのことを話すね。そんなに好き?」

 

冗談めかした問いに対し、ランちゃんは表情を変えた。

思わず息を飲んだ。全ての音が止み、紅色の瞳に吸い込まれそうになる。

 

『刻が来るまで、私はあやつの傍にいる。それだけの話だ』

「・・・・・・それって、どういう意味かな」

『分からんでもよい』

 

それを最後に、ランちゃんは口を閉ざしてしまった。

アヤさんも言っていた。私だって、全てを知っている訳ではないと。

 

人語を話し、理解する聖なる獣。

奇異な目で見たくはないが、そんな存在が傍らにいるという時点で、アヤさんも普通ではない。

ヴァリマールとリィン君もそうだ。

2つの関係はよく似ている。想像を絶する何かが、2人にはある。

 

もし内戦が収束に向かい、それでも2つの『力』が、変わらずに在り続けるとするなら。

その時点で、第3の力ではなくなる。終戦は終わりではなく、始まりだ。

学生という立場、国境すらもを越えて、2人は必ず『選択』を迫られる。

 

(リィン君、アヤさん・・・・・・)

 

その事実に、本人達は気付いているのだろうか。

一体何人の人間が、彼らの行く末を思っているのだろうか。

 

いずれにせよ、2人は同じような道を歩むことになる。そんな漠然とした予感がある。

それでいて、全く別の方向に進むことになる。そんな言い知れない不安もある。

今は見守るしかない。先輩として、《Ⅶ組》の前身だった人間しても。

そして絶対に守ってみせる。2人の為に私ができることが、きっとある筈だ。

 

「トワ会長?」

「わわわっ」

「え、あ、その」

 

突然声を掛けられて驚く一方、掛けた側も同じ反応を見せてしまった。

両腕を振りながら慌てふためいていたのは、1年生のモニカさん。

彼女は初めから資料室にいたそうだが、山積みの本の影になっていて気付かなかったのだろう。

 

「モニカさんは何をしていたの?読書?」

「いえ、食事の献立を考えていたんです。そのために調べ物を」

「献立?」

「はい。ニコラス先輩は調理で手一杯で、献立を考えている余裕が無さそうでしたので」

 

モニカさんは第3機甲師団と共に、演習場に潜伏していた。

元々手先が器用なこともあり、演習場では食事の用意を手伝うことが多かったそうだ。

カレイジャスでもその腕は活かされ、今はレシピ本を漁り、夕食の献立を考えていたらしい。

モニカさんもカスパル君と一緒だ。潜伏中に得た技能は、私達の糧になってくれていた。

 

「トワ会長、何か食べたい物はありますか?」

「え、私の?」

「折角ですから、リクエストに応えますよ」

「んー、そうだなぁ。あっ・・・・・・でも、うーん・・・・・・んー」

「そ、そんなに悩まなくても。好きな物でも構いませんから」

 

そう言われてしまうと、益々答え辛い。

周囲からよく言われるのが、私の舌は身長と同じで、お子様舌。

ハンバーグやオムライスといった、幼い子供が好む料理が好きなのだ。

リクエストに応えてくれるのは嬉しいが、食事は全員共通。

皆を巻き込んでしまうのだから、好きな物をと言われても気が引けてしまう。

 

「いいと思いますよ、ハンバーグ。それなら、添え物をいくつか用意しておいて、好きに選んで貰うというのはどうですか?」

「ハンバーグの添え物・・・・・・チーズとか?」

「はい。あとは半熟卵とか、東風料理っぽく野菜おろし、なんかもいいですね」

「あ、それ知ってる。そういえば、ヴィヴィさん達が二十日大根を育ててたっけ」

 

それもいいですね、とモニカさんが声を弾ませる。

少々辛めの大根でも、ハンバーグの添え物としてなら十分に合いそうだ。

 

「ありがとうございます。早速ニコラス先輩にお願いしてみます」

「こちらこそ。楽しみにしてるね、モニカさん」

 

早足でモニカさんが資料室を去って行く。

献立決め、か。考えるだけでも一苦労のようだし、今度皆にも声を掛けておこう。

 

壁に掛けられた時計を見やると、午後の14時を過ぎていた。

今日は良い意味で、時間の流れが早く感じる。知らぬ間に、身体が軽くなっていた。

 

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寝室の扉を開いたら、汗だくの美少女が腕立て伏せをしていた。

私という人生において、これが最初で最後の経験になるかもしれない。まあ、どうでもいいか。

 

「121・・・122っ・・・・・・あら、トワ?」

 

私に気付いたエミリーさんが、深々と腕を曲げてから、その反動で勢いよく立ち上がる。

彼女は私と同じ寝室を共にする、カレイジャスにおけるルームメイトだった。

エミリーさんは額の汗をタオルで拭い、椅子に座りながら言った。

 

「珍しいわね、この時間にトワが部屋に来るだなんて。何か忘れ物?」

「ううん、別に用はないんだけど・・・・・・こんな所でトレーニングしていたの?」

「仮眠を取ろうと思ったんだけど、中々寝付けなくってね。身体を動かしてたら火が点いちゃって、止まらなくなったのよ」

 

何てエミリーさんらしい。熱過ぎる。

思えば彼女は入学当初からそうだった。確かクラス分け直後、皆で自己紹介をしていた時だ。

「炎の女、エミリーです!」と大声で名乗る女性も、生涯で彼女だけだと自信を持って言える。

 

私が今日1日休暇中である旨を伝えると、突然両手で肩を掴まれた。

そのまま椅子へと座らされ、背後に回り込んだと思いきや、再度肩に手を置かれた。

 

「え、な、何かな?」

「この間から思ってたのよ。あなた肩が凝りまくってるでしょう。見ていて痛々しかったわ」

「ひっ」

 

首元を指でなぞられ、小さな悲鳴が漏れる。

その後は自分でも間抜けな声を堪えるので一杯一杯だった。

肩と首元からじんわりと広がっていく、痛みの一歩手前。気持ちいい、としか形容できない。

肩凝りなんて意識したことがない。肩揉みが気持ちいいという感覚も、今日が初体験だった。

 

「ほえぇ・・・・・・エミリーさん、上手だね」

「テレジアの肩で慣れてるからかしら。あの子はいつも『痛い』しか言わないけどね」

「えー、こんなに気持ちいいのになぁ」

 

面と向かっていなくとも分かる、僅かな変化。

テレジアさんの名を口にした瞬間だけ、彼女の手付きが変わった。

 

アヤさんのおかげで、テレジアさんの所在は掴めている。彼女は今バリアハートにいる筈だ。

分かっていながらも、現時点では手立てが無い。あの都市に近付く訳にはいかない。

2人が固い絆で繋がっているのは、皆の知るところでもある。

 

今だけは文字通り、彼女の肩代わりになろう。

きっと再会はそう遠くない。その時はおめでとうと一緒に―――『ありがとう』を言おう。

 

(エミリーさん・・・・・・ありがとう)

 

気持ち良さと一緒に込み上げてくる情けなさが、涙腺を緩ませてしまう。

いつの間に忘れてしまっていたのだろう。自惚れるのもいい加減にしろ、私。

小さな私1人が担げる物なんて、そう多くないというのに。肩の凝りがその証拠だ。

 

艦長代理である以前に、私は生徒会長だ。何も変わりはしない。

今までと同じように、これからも。皆に支えて貰いながら、皆で歩いて行こう。

ジョルジュ君が言いたかったことが、今更になって理解できた気がする。

 

「さてと、準備運動はこんなところね。本番、行くわよ」

「え?な、何を―――」

 

次の瞬間、私の悲鳴に驚いた人間達が、部屋に雪崩れ込んで来ることになる。

ねえテレジアさん。ちゃんと言った方がいいよ。これは駄目。痛いとかじゃないから。

 

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午後18時。カレイジャス最上層、艦橋。

地上班との通信連絡は、以前に比べて遥かに効率が向上していた。

ジョルジュ君が作製し《Ⅶ組》に持たせた端末は、通信機としても機能する。

ARCUSの通信範囲は3倍程度に広がり、長距離での通信が可能になっていた。

 

『―――というわけで、以上3名の身元が確認できました』

「了解だよ。でも驚いちゃった。こんなに早く見つかるなんて、思ってなかったよ」

『フフ、私も驚いてます。まあ偶然ですけどね』

 

通信相手は、ケルディックから定時連絡中のポーラさん。

外国人滞在者の捜索に当たっていたポーラさん達は、早速3名の該当者を見つけ出していた。

しかも重要視されていた、リベール王国からの観光客。

話によれば、ケルディックを訪ねて早々、3名の行先に辿り着いたらしい。

 

「ジェニス王立学園出身、かぁ。同い年ってことは、同年の卒業生なのかな?」

『はい。3人共、学生寮のルームメイトだったそうですよ』

 

掻い摘んで言えば、その仲良し3人組が帝都巡りの最中に、事が起きてしまった。

流れ着いた先がケルディック方面。最近は農家を転々としていたとのことだった。

ともあれ、初日から収穫有りは幸先が良い。順調に事が運びそうで何よりだ。

 

「ありがとう、早速オリヴァルト殿下に報告しておくね。アヤさんもそこにいるの?」

『いえ、アヤは今パープルに捕まってます』

「パープル?報告にあった、パープルさん?」

『その、小説ネタとかで、士官学院の旧校舎の話をさせられて・・・・・・アヤったら、律儀にずーっと付き合ってるんです。おかげで今日は帰れそうにありません』

「あはは。よく分からないけど、アヤさんらしいね」

 

私の言葉に、ポーラさんも笑いながら同意した。

事情は察せられないが、アヤさんのことだ。無茶振りに付き合ってあげているのだろう。

 

『それで・・・・・・その、ユーシスは戻ってますか?』

「ユーシス君?ううん、彼も今日は下で過ごすみたいだから、カレイジャスにはいないよ」

『そう、ですか』

「あれあれ。今露骨に残念そうな声が聞こえたよ?」

『な、何でもありません。詳細は追って連絡します』

 

プツン。多少強引に、定時連絡は終了した。

少し悪戯が過ぎたか。今度謝っておこう。

 

「ふう」

 

溜め息を付きながら、今し方の報告内容を書き記した書類へ目を落とす。

 

アリスさん。リベール王国ボース在住。18歳。

モニカさん。リベール王国ルーアン在住。18歳。

パープルさん。リベール王国王都グランセル在住。18歳。

 

共通しているのは年齢と出身校。全員がリベール王国の名門校、その卒業生だった。

今回の帝都巡りとやらは、卒業後に離れ離れなっていた同窓らの再会といったところか。

随分と悪い時期に帝国入りしたものだ。そう思う一方で、羨ましいと感じてしまう。

 

学び舎から飛び立ち、散り散りになった今でも、変わらない物。

決して色褪せる事のない思い出と絆。私には―――

 

「トワ、休暇は終わりかい?」

「・・・・・・うん。ジョルジュ君は?」

「僕は今日夜勤なんだ。さっき起きたところだよ」

 

私が築いてきた、大切な3つの絆。絶対の自信があった。

不確かで分からないことだらけの未来の中に、必ず在り続けると信じ切っていた。

 

でも違った。うち1つは、手の届かない場所に。繋がっているけど、遠くに感じる。

もう1つが―――もっともっと、遠くに。もう繋がってもいないかもしれない。

 

あんな男の為に涙を流す自分が、嫌で嫌で仕方なかった。

自分に嘘をつこうとする自分は、もっと嫌いだ。

どれが本当の自分なのか。今でも分からなくなる。

一昨日の上空。唐突に現れたあの男に罵声を浴びせた自分は、どちらの私だったのだろう。

この期に及んでそんな事を考える私は―――やっぱり馬鹿だ。人の事が言えないじゃないか。

 

「ねえジョルジュ君。卒業する前に、みんなで卒業旅行へ行かない?」

「卒業・・・・・・うん、いいと思うよ。でもそんな時間があるのかい?トワが一番難しそうだけど」

「それは何とかするよ。行先もね、もう決めてるんだ」

「気が早いなぁ。一応聞いておくけど、場所は?」

「ブリオニア島!」

 

一度は行ってみたいと、ずっと考えていた。

《Ⅶ組》の前身である筈の私達が、唯一足を運んでいない特別実習地。

ノルド高原と同じくして、導力革命から取り残された西果ての島。想像するだけで心が躍る。

 

それにみんなで行くのだから、当然4人分。

全てを4人分、確保する必要がある。まずはそれからだ。

 

「4人分、か。4人揃うのは・・・・・・難しそうだね」

「揃わなくていいの。3人でも、私達2人だけだって構わないよ」

 

もし3人しか揃わなかったら、4人分満喫すればいい。

4人分の座席に座れば、列車の長旅も大分楽になる。

4人分の食事なんて、3人いればあっという間に平らげてしまうだろう。

4人分の釣竿を使っても、3人で見張れば何とかなるに違いない。

 

十分じゃないか。3人で4人分だ。

欠けている1人を想いながら、最後の旅を楽しんでもいい。

取り返しのつかない悪事に手を染めた大馬鹿者を―――たとえ、許してあげられなくても。

 

私達は約束した。最後の課外実習で、私達は同じ空の下で誓い合った。

あの日交わした口約束は、今も生き続けている。彼も忘れてはいないと言ってくれた。

 

だからその時まで。私は、私らしく在り続けよう。

馬鹿正直。お人好し。頑固者。生真面目。苦労人。努力家。お子様。頑張り屋。

目を閉じれば、ほら。彼が私をそう呼ぶ声を、鮮明に思い出すことができるのだから。

 

「調子、戻ったみたいだね。やっぱりトワはそうでなくっちゃ」

「うん。いい休日だったよ」

 

小さめの帽子を被り、艦長席に座り直す。

身体が嘘のように軽い。それもこれも、全部皆のおかげなのだろう。

休暇は終わりだ。今この瞬間から、私はまた艦長の代理を務める使命がある。

 

「針路反転、双龍橋へ向かって第3機甲師団と連絡を取りたいと思います。皆さん、夕食はそれからにしましょう」

「「イエス、マム」」

 

気負わずに多少の無理をしながら、精一杯に今を生きる。

今まで通りのトワ・ハーシェルを、一生懸命に明日からも。

 

私は忘れない。偽物に溢れたあの日々を。

私達が描いた軌跡は―――本物だった筈なのだから。

 

 




短編のつもりで書いていた話が、本編になってました。
アヤ達の12月19日も、当たり前ですが本編にて描きます。
見計らったようなタイミングで、『リベール王国スナップショット2』が発売されて驚きました。
ジェニ学3人組と、ついでに天才カメラマンさんの出番は近いです。

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