絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月18日 依頼人はすぐ傍に

『―――というわけだ。彼らの活躍に期待してくれたまえ。近日中に、私から連絡を入れよう』

「ありがとうございます。此度のご配慮、改めて感謝申し上げます」

『さてと、堅苦しい時間はこれで終わりさ。かつての縁談相手と、キャッキャウフフなトークとでも洒落込もうかな?』

「フフ、遠慮しておきます。それで、今はどちらにいらっしゃるのですか?」

『裏技を使えば、君と密談できる程度の距離にはいるよ。数百セルジュは離れているけどね』

「・・・・・・西部では、大規模な戦闘が続いているとの噂を耳にしましたが」

『心配は不要さ。そちらも慎重に動き方を見極めた方がいい』

「重々理解しています。ちなみにですが、エステルさん達はクロスベル方面で独自に動くつもりのようです」

『ほう。そうなのかい?』

「内戦が始まってから、連絡を取っていないそうですね。心配していましたよ?」

『今はそれぞれの意志に準ずるべきだと思ってね。あの2人にも、やるべきことがある。ただそれだけの話さ』

「はい・・・・・・お互いに」

『ああ、お互いにね。幸運を祈っているよ』

「どうかお気を付けて。風と女神様のお導きを」

『おっと。それは何処で覚えたんだい?』

「9月ぐらいに、手紙でエステルさんから。暫くの間、口癖になっていたそうですよ」

『・・・・・・ありがとう。最後に良い話が聞けたよ』

「フフ、どう致しまして。では改めて―――風と女神様の、お導きを」

 

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ガンシップに乗艦していた者達の身元は、トワ会長がクロウから伝え聞いていた。

貴族連合の人間が雇い入れた、共和国出身の猟兵達。

更に言えばクロイツェン領邦軍。個人名を上げるなら、アルバレア公爵閣下。

ユミルを襲った猟兵と同じくして、公爵閣下が手引きした一団―――の、筈だった。

 

公爵閣下にとっては、使い様はいくらでもあったのだろう。

内戦の混乱に乗じて侵入した、敵対国の一味。言わばテロリストとして利用すれば、その者達が何をしようが罪を被ることにはならない。金で口を塞げば仕舞いだ。

だがガンシップに乗っていたのは猟兵団ではなく、紛れもない本物のテロリスト。

ミラではなく信条、愛国心や敵対心によってのみ動く、過激派の人間達。

当の猟兵団は、もう何日も前に葬られていた。利用されていたのは、公爵閣下自身だった。

テロリストの存在は国内に限らない。帝国解放戦線は、氷山の一角に過ぎなかった。

 

猟兵の皮を被った共和国の過激派達は、丁重に帝国領内へ招き入れられ、事もあろうに皇族の船を襲うという恐ろしい真似を仕出かしてしまった。

勿論貴族連合としても、アルフィン殿下が乗る船を見過ごせる筈がない。

事態の収拾を図るために駆け付けたのが、クロウとオルディーネ。

精霊の道でも使ったのか、状況を察知してからすぐに追い付いたそうだ。

結果としては、皮肉にもクロウから救われた形になってしまっていた。

 

一方の地上班、フィオナさんの救出作戦については、良い方向へ転んでいた。

私達が想定していなかった、鉄道憲兵隊による南部からの横槍。

更にはあのナイトハルト教官率いる分隊が、最良のタイミングで駆け付けてくれていた。

 

複数の追い風により、地上班は予想を遥かに上回る早さでフィオナさんを確保。

正規軍の勢いも止まる事を知らず、連合側は逃げるように双龍橋を放棄。

ケルディックの監視や検問に割かれていた戦力は、その全てがバリアハート方面へと後退した。

私達は1人の犠牲者も出すことなく、当初の目的を果たすことができていた。

 

そして今日、12月18日。

久方振りに訪れた平穏と達成感。ケルディックは、本来の賑わいを取り戻しつつあった。

 

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12月18日、午前11時。

交易街ケルディックの中心地、大市の一画。

 

「エリオット、次は何?」

 

私が催促をすると、エリオットが紙束を1枚捲る。

逆さに書かれていたようで、紙束をクルリと1回転させ、エリオットが文字をなぞった。

 

「ちょっと待って、えーと・・・・・・『グラビア雑誌』」

「却下。次」

「『フカフカのベッド』。これも却下だね」

「当たり前でしょ。次は?」

「『暇潰しの遊び道具。できればみんなで遊べる物』」

「・・・・・・まあ、1つや2つなら買ってもいっか。何がいいかな?」

「うーん。遊戯室に無くて、大人数で遊べそうな物・・・・・・シンプルにトランプはどう?」

「あ、安いしいいかも。ブレードだけじゃ飽きちゃうしね」

 

じゃあ決まりだね。エリオットはそう答えると、周囲を見渡してお目当ての品を探し出す。

大市には小物や雑貨を扱う露天も数多い。トランプ程度ならすぐに見つかるだろう。

 

今現在カレイジャスは、東部の開けた街道に停船中だ。

船内にはモリゼーさんが手配してくれていた物資が、続々と運び込まれていた。

その運搬を担うのは、以前ケルディックへ預けていた馬術部の馬達。

 

「いっけー、ガーちゃん!」

 

そして上空を自在に飛び回る、アガートラム。

アガートラムが抱えた木箱を受け取るのは、東門で待機するヴァリマール。

物資の8割方はアガートラムとヴァリマールの手により、効率良く移動されていた。

ケルディックの住民や商人らは、目を点にしながらその様を見詰め呆けていた。

まあ今となっては出し惜しみは無し。使える物は使うのみだ。

 

「でもさー、みんな自由に書きすぎじゃない?探す身にもなって欲しいな」

 

私とエリオットは、カレイジャスの乗員らが欲しがる物品を求め、大市を回っていた。

勿論だが、その全てに応えることはできない。選別も私達2人の大切な仕事だ。

それに予算も限られている。ちなみに軍資金は、今朝方にカレイジャスへの乗艦を決意したベッキーが管理することになっていた。

彼女も彼女で、独自に何か動いているようだ。いずれにせよ無駄遣いはできない。

 

「はは、無理もないよ。まだカレイジャスでの生活に慣れていないのが原因じゃないかな?」

「あ、分かる分かる。結構困り事が多いよね」

 

唐突に訪れた、集団での船内生活。私自身、まだ慣れ切ってはいなかった。

 

寝室は基本的に3人で1部屋。私はアリサ、ミリアムと同部屋だ。

居心地はお世辞にも良いとは言えなかった。3段式のベッドは硬く、無機質極まりない。

男子と女子の生活区画は扉を挟んでいるものの、同じ階層には違いない。

時折響き渡る悲鳴は、決まって男子が不用意な行動をした事が原因だった。

 

リクエストの品々も、そんな環境に沿った物が多かった。

共有の日用品を使いたくないという女子は多いし、男子の要求は自由奔放。

堂々と未成年禁止物を求められても、応えられるわけがない。

百歩譲って、ポケットマネーで買えという話だ。少しは考えて欲しい。

 

「っとと。アヤ、見つけたよ」

 

エリオットが指し示したのは、小物を扱う1つの露天。

トランプが1セットで500ミラ。500ミラで癒しが手に入るのなら、安い買い物だ。

エリオットは500ミラコインを露天商の男性に手渡し、トランプケースを受け取る。

これで最後か。というより、これ以上は私が持てそうにない。既に両手が塞がっていた。

 

「ごめんね、色々と持たせちゃって」

「いいのいいの。そのために私が付き添いで来たんだから。力仕事は任せてよ」

「何か情けなくなってくるなぁ・・・・・・じゃあ、すぐ戻ろうか」

 

私は首を横に振り、周囲を見渡した。

折角だから一通り見て回ろう。私の提案に、エリオットは笑顔で応えてくれた。

 

今日は物資の補給を除けば、基本的に自由行動が許されていた。

エリオットは掛け替えの無い姉を取り戻すために、敢えて危険な突入班を志願した身だ。

今ぐらいは内戦を忘れて、大市の賑わいを楽しんで貰おう。

 

「それにしても、活気があるね。僕達が潜伏していた時とは大違いだよ」

 

昨日を境にして、ケルディックは姿を変えていた。取り戻した、と言った方がいいか。

何より大市から感じられる熱気が、冬だというのに夏祭りを思い出させてくれる。

エリオット同様、私が12月7日に訪ねた時とは、まるで異なる世界が広がっていた。

 

理由は誰の目にも明らかだ。

素行の悪さが目立っていた領邦軍の姿は、1人も見当たらない。

今ケルディックには第4機甲師団と、鉄道憲兵隊。正規軍の軍人しか詰めていないのだ。

 

「上官の違い?」

「父さんがよく言ってたよ。上官が迷えば、部下も迷う。上官のブレは組織のブレに繋がる。だから確固たる意志と態度が必要なんだってさ。その違いじゃないかなぁ」

 

上官の違い、か。何となくではあるが、的を得ている気がする。

正規軍の規律厳正な行動は、優秀な指揮官による統率があってこその物なのだろう。

 

対するクロイツェン領邦軍。そのトップに位置する、アルバレア公爵閣下の焦り。

おそらくそれが、今し方エリオットが言った『迷い』や『ブレ』。

現場で動く兵士達の規律が乱れてしまっているのも、無理からぬことなのかもしれない。

 

「逆に言えば、正規軍側が悪行を働く可能性もあり得るってことだよね」

「あはは、少なくとも第4機甲師団のみんなや、鉄道・・・けん・・・・・・」

 

突然エリオットの声が尻すぼみになり、足が止まる。

私は首を傾げながら振り返り、エリオットの顔を覗いた。

 

「どしたの?すごい顔になってるけど」

「・・・・・・見間違い、じゃないよね」

「え?」

 

再度振り返り、前方に視線を向ける。

2人の女性が立っていた。見覚えのある、可愛らしい制服を着ていた。

信じられないといった表情を浮かべ、胸の前で両手を握る女性。

方や『信じられへん』と言いたげな顔で、驚き呆けるもう1人。

 

「エリオット・・・・・・!?」

「か、カリンカ?」

「うわ何や、ホンマにエリオットとアヤやん。やっぱり来とったんか」

「・・・・・・嘘?」

 

帝都音楽院に通い、交流会で手を握り合った友人達。

カリンカとはステージ演奏で、共に再々アンコールに応えた。

リリと一緒にクロスベルの復興を願い、故郷への想いを共有した。

再会は―――唐突に訪れた。

 

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私達は場所を風見亭へと移し、お互いの事情を語り合った。

 

居ても立ってもいられなかった、というのが2人の理由だった。

リリにとってはクロスベル。故郷の異変を知り、ジッとしていられなかった。

少しでもクロスベルに近付けば、何か分かるかもしれない。

そうして訪れたのが、ケルディックだった。つい昨日の話らしい。

 

カリンカにとってはエリオット。キッカケは11月末の帝国時報。

謀反罪の疑いで指名手配されていたエリオットの名前を見て、目を疑った。

彼がこの街にいると知っての行動ではなかった。リリと一緒だ。

トリスタの近辺にいるかもしれないという可能性の下、リリへの同行を決めたという訳だ。

 

2人揃ってとんでもない行動力だ。

この状況下で帝都からやって来ること自体、相当な苦労があったに違いない。

 

「大変やったんやでー。列車には乗れへんし、トリスタではよう分からん理由で追い帰されるし、もう散々や。昨日まで生きた心地せんかったわ」

「あ、あはは・・・・・・でもよく無事に来れたね。街道を歩いて来たんでしょ?」

「魔獣はリリが追い払ってくれたの。私だけじゃ、とても無理だったわ」

 

リリの右手には、鎖付きの木刀が握られていた。

あれで魔獣とやり合ったのか。どう見ても唯の女性が扱う代物ではない。

先程の『よう分からん理由』の大部分は、その物騒な木刀にあるような気がしてならない。

 

「そうだったんだ・・・・・・カリンカ、心配掛けてごめんね」

「謝らないでよ。こんなに早く会えるだなんて・・・・・・無事でいてくれて、本当にありがとう」

 

目元に薄らと涙を浮かべながら、カリンカが満面の笑みで応える。

彼女が抱く感情には気付いていた。端から見ると、エリオットも満更でないように思える。

リリも普段の言動は鳴りを潜め、茶化すような真似はせず、親友を温かく見守っていた。

 

「それで、その目はどないしたん?ホンマに見えへんの?」

「あはは・・・・・・つい最近ね。平気だよ、もう慣れちゃった」

 

カリンカは敢えて触れないよう気遣っていたようだが、こんなやり取り自体がもう慣れっこだ。

リリぐらい率直に聞いてくれた方が話は早いし、こちらも気が楽になる。

 

「にしてもクロスベルはどないやねん。少しぐらい話聞けるやろーって期待しとったのに、収穫ゼロやで。2人は何か知らんの?」

「ああ、クロスベルのことならある程度知ってるよ。今月の頭まで、私クロスベルにいたから」

「・・・・・・は?え、嘘やろ?」

「いやホントホント」

 

私は詳細を伏せて、クロスベルの現状に関する話をリリへ聞かせた。

と言っても、やはり肝心な部分が明かせない以上、話は要領を得なかった。

私が伝えられるのは結果と現実だけ。『何故』の部分がごっそり抜け落ちてしまっていた。

 

何よりリリが知りたがっていたクロスベル市については、分からないことだらけだ。

彼女の出身地である旧市街が、今どうなっているのか。知る術が無かった。

 

「何やよう知らんけど、またど偉いことになっとるんやな」

「うん・・・・・・クロスベル市のことは、私にも分からないんだ。ごめんね」

「謝らんでええよ。その代わり飯奢ってや。めっちゃ腹減ってんねん」

「うん、分かっ・・・・・・いやいや、おかしくない?」

 

極自然な振りに、思わず応えてしまうところだった。

今の流れの中に、私達が食事を奢る理由が見当たらない。それに今の舌打ちは何だ。

結局エリオットが「御馳走するよ」と応じたことで、私達は風見亭で昼食を取ることになった。

 

カリンカ達は帝都の近況について話を聞かせてくれた。

帝都では様々な噂や憶測が実しやかに流れているものの、特に大きな混乱は生じていない。

寧ろ貴族派一辺倒の報道に対し、少しずつ疑心が溜まってきている。そのような雰囲気らしい。

ちなみに音楽院をはじめとする教育施設は、そのほとんどが授業を見合わせていた。

登校する学生もいるそうだが、自主学習しかやることが無いそうだ。

 

「帝都にある諸外国の大使館からは、連日抗議が相次いでるって噂ね。非協力的な帝国の対応に、業を煮やしてるみたいなの」

「でも新聞にはその辺の話がなーんも載らへんわけや。報道の自由が聞いて呆れるわ。あいつらドローメ以下やで。クソやクソ」

 

またもや引き合いに出されたドローメ。

よく分からないが、彼女達自身この内戦には疑問を感じているようだ。

 

大使館、か。確かに帝都には、近隣諸国の大使館があった筈だ。

内戦ともなれば、帝国に身を置く自国民を保護するために、連日対応に追われているのだろう。

 

「エリオット達についても、反逆罪だなんて・・・・・・完全な濡れ衣じゃない。酷い話だわ」

「仕方ないよ。僕達は僕達で、できることをやるまでさ」

「流石は士官候補生やな。お仲間がウェイトレスやっとんのもその一環なん?」

「あはは。あれはどうなんだろ」

 

店内では可愛らしいエプロン姿のラウラが、忙しそうに歩き回っていた。

カウンターに立つリィン曰く、ルイセさんが戻るまでのお手伝い。

こんな時でも生徒会精神を忘れないリィンには、頭が下がる思いだった。

 

「そういえばアヤさん。1つ聞いてもいいかしら」

「あ、うん。何?」

「ガイウス君っていったわよね、あなたの義弟さん。彼によく似た女性が―――」

「アヤ!?」

 

叫び声に近い大声で、背後から名を呼ばれた。

振り返ると同時に訪れる、2つ目の再会。2回目の彼女。

 

「れ、レイア!?」

「アヤー!!」

 

両腕を広げながら、レイアは私の胸へと飛び込み―――文字通り、私を押し倒した。

勢いで床に後頭部を打ち、頭上に星を浮かべる私を余所に、レイアは私の匂いを満喫していた。

 

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何の偶然か、巡り合せか。

カリンカ達がケルディック西の街道で魔獣に襲われた際、2人を救ったのが彼女。

ケルディックを訪ねようとしていたレイアが、十字槍を以って魔獣を撃退した。

これもつい先日の話。私達よりも前に、レイアはカリンカ達と出会っていた。

 

レイアが外界へ下り立った理由は、以前ルナリアの里で聞かせてくれた通り。

嗜好品の類を手に入れるのと同時に、レイアにとっては外を知る貴重な機会。

今回も例外ではなく、最近はこうしてケルディックに顔を出すことが多いそうだ。

 

「外の変化を知るために、最近はよく来る。父さんがそうしろって言うからな」

「そっか。まあ実際に変わってるしね」

 

レイアもケルディックの変化を肌で感じ取っていたらしい。

事情は分からずとも、良い方向へ向かっていることは理解できているようだ。

 

ともあれ、10日振りとなる再会だ。

カリンカではないが、こんな所でレイアの顔を見れるだなんて思ってもいなかった。

いなかったのだが―――この姿勢と視線は、如何ともし難い。

 

「ねえレイア。別の椅子に座ったら?」

「あたしはここでいい」

「私がよくないんだけど・・・・・・」

 

子供がそうするように、レイアは私の膝の上に座り、私に背中を預けていた。

18歳の女性がすることではない。それに足が痛い。

流石は森の民。良くも悪くも、レイアは野性的で自由だった。

 

と言っても、原因は私の左目のせいかもしれない。

事情を説明した途端、レイアは雄叫びのような大声を上げて、泣き崩れてしまった。

取り急ぎ抱きながら宥めたのだが、そのままの姿勢で今に至るという訳だ。

 

「それにしても、本当にアヤさんのお知り合いだったのね」

「あはは、すごく懐かれてるね。でもさ、言う程似てるかな?」

 

ガイウスに似ている。カリンカ達の感想に、エリオットはピンと来ていない様子だった。

私もエリオットと同意見だ。肌の色や雰囲気に共通点はあるが、似ているとは思えない。

ノルドの一族を見慣れていない彼女達にとっては、同じ顔に見えてしまうのかもしれない。

 

「レイア、里のみんなは元気にしてる?」

「勿論だ。また森に来るか?」

「んー、それは難しいかな。今日中には、またここを離れなきゃいけないんだ」

 

自由行動を認められてはいるが、夕刻までには戻らなければならない。

それにカレイジャスのエンジンは、整備班が復旧を目指して尽力している最中だ。

昨日に発生したエンジン異常の原因も、未だ特定には至っていない。

外へ出ている時間は無いし、羽目を外しすぎるのも気が引けた。

 

「・・・・・・そうか。残念だ」

「レイアはいつまでケルディックにいるの?」

「暫くはここにいるぞ。外の世界を見極めるために、父さん・・・が・・・・・・」

 

先程のエリオット同様に、レイアの快濶な声が掠れ、消えて行く。

かと思いきや、レイアは即座に身体を反転させ、私の膝へ跨るように座った。

 

「え、ちょ、何?」

 

端から見なくとも、色々と問題がありすぎる姿勢だ。

それに、レイアは私を見ていない。私の身体越しに、背後にある何かを見詰めていた。

 

カラランッ。

 

ドアベルが鳴った直後に、レイアは更に表情を変えた。

目を輝かせ頬は紅潮し、口は半開き。恍惚とした笑み。艶めかしく瑞々しい様。

 

「あ、ガイウスだ。いいところに来たね」

「エリオットか。何のことだ?」

 

途方も無く嫌な予感がした。突然の再会に、油断し切っていた。

衣服越しに伝わってくる、レイアの体温と汗。激しい鼓動に息遣い。

そして嗅覚ではない第6感が、雌の匂いを感じ取っていた。

 

どうして忘れていたのだろう。レイアはあの時からそうだった。

今の彼女は獣だ。人として、雌としての本能に身を任せ―――発情している。

 

「アヤ。腕と足を離せ。動けない」

「行かせない」

「いいから離せ、我慢できない」

「やらせない」

「離せ!!」

「絶対にイヤ!!」

 

私が両腕両足でレイアの身体を拘束していると、彼女はそれを上回る力を以って応えた。

自由になった両手を私の肩に置き、勢いを付けて私の身体を飛び越える。

反動で椅子と共に傾いた私の身体は、またもや後頭部から床へ叩きつけられた。

同じ部位を二度打ってしまったことで、視覚と聴覚が一時機能不全に陥ってしまう。

 

「え?」

「きゃっ」

「へ?」

「な!?」

「わわっ」

 

リィン、カリンカ、リリ、ラウラ、エリオット。

聞きたくも無い5人の上擦った声が、最悪の何かを思わせた。

頭を擦りながら起き上がり―――その後のことは、よく覚えていない。

 

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同日、午後16時。

エンジンの復旧作業は無事に終了し、紅き翼は再び上空100セルジュの世界を飛んでいた。

士官候補生は運航業務に当たる人間を除き、カレイジャス4階の大会議室へ集っていた。

 

「ねえガイウス、どうしたの?体調良くないの?」

「いや、その・・・・・・すまない」

「だから、何で謝るの?」

「・・・・・・平気だ」

「ふーん。変なの」

 

ガイウスはどういうわけか、風見亭で昼食を取った頃から様子がおかしかった。

具合でも悪いのだろうか。今のうちの体調を整えておかないと、明日に響いてしまう。

少々心配ではあるが、今日1日休めば何とかなるだろう。丈夫な身体は彼の取り柄だ。

 

何かを忘れている気もするが、きっと気のせい。

あのトマス教官が艦橋にいて、ランと意味深な会話をしていたのも、突然の出来事。

昼前後、1時間程度の記憶が曖昧なのだが、今は考えないようにしよう。うん。

皆が声を潜めてよく分からない視線を送ってくるのにも、多分理由は無い。うんうん。

ユーシスは無言で肩に手を置いてきたので、とりあえず蹴りを入れた。何かムカついた。

 

「じ、じゃあ昨日のエンジン異常に関する話から始めよっか」

「そうだね。それは僕から報告させて貰おうかな」

 

ジョルジュ先輩がテーブルの先頭に立つと、緩み掛けていた空気が一気に張り詰める。

最新鋭の飛行エンジン、その半数以上が機能を停止した原因。

再発を未然に防ぐためにも、特定はカレイジャス再稼働の必須条件だった。

 

「エンジン異常の原因は、これだよ」

 

ジョルジュ先輩は言いながら、テーブルの上へ金属製の何かを置いた。

元は円状の物体だったであろうことが窺えるが、もう原型を留めてはいない。

全体が真っ黒に焦げ切っており、形が大いに歪んでしまっていた。

アリサはそれを一目見た後、大きな溜め息を付いた。すぐに原因へ思い至ったのだろう。

 

「・・・・・・成程。私達も、もっと注意すべきでしたね」

「同感だよ。型番の違いなんて、慣れていない人間には判別し辛いからね」

 

事の経緯は、私達のような素人でも理解し易い程に単純な物だった。

カレイジャスの飛翔機関を支えているのは、艦内に搭載された20基のエンジン。

リベール王国より提供された最新鋭の飛行エンジンが生み出す、膨大で純粋な導力がそれだった。

 

僅かな不純物でも混入してしまえば、飛翔機関は本来の性能を発揮できない。

それを防ぐために、エンジンから供給される導力は、複数の工程で精製される。

そのうちの1つ。第1段階で異物を除去する筈の、金属製メッシュ。

今回のエンジン異常は、ここで使用されるパーツの取り違いにあった。

 

「本来使用するべきパーツは、高い耐熱性を持つ専用のフィルターよ。でも見ての通り、熱で完全に変形してしまってるわ。これは非耐熱性、全く別のパーツなのよ」

「一部は溶解してしまっているね。これ自体が異物になり、詰まりを引き起こして導力の流れを妨げた。まあエンジンはオーバーヒートを起こしただけだったから、復旧は難しくなかったよ」

 

メンテナンスの一環で新品と交換する際、担当した士官候補生が起こしてしまったミス。

要するに、単なる人災。ヒューマンエラーだった。

最後の引き金となったのは、ガンシップを振り切るために、エンジンをフル稼働した時。

最悪のタイミングで偶然と必然が重なり、起こるべくして起こったという訳だ。

 

原因は分かったが、問題はもっと根本的な部分にある。

そもそもアリサやジョルジュ先輩とは違い、艦の運航に携わる士官候補生は素人も同然。

部品1つの間違いが、取り返しのつかない事態を招きかねない。

再発防止のためにも、より入念なチェック体制を整えようという流れになり―――もう1つ。

ここに来て直面した大きな課題について、トワ会長が表情を曇らせながら触れた。

 

「部品を間違えちゃった男子生徒は・・・・・・彼の意志で、カレイジャスを降りたんだ」

 

学生、生徒、士官学院生。

学ぶ立場という甘えを捨てるため、乗艦してから極力使わないようにしていた言葉。

トワ会長が『生徒』という呼称を使った理由は、聞くまでもなかった。

 

「僕も説得はしたけど、こればっかりは本人の問題だからね」

「彼の他にも、男子生徒が2人、女子生徒が5人・・・・・・無理強いはできなかったよ」

 

着々と増えつつあった、志を共にする仲間達。

それが今になって、合計で8名の人間が艦を降りてしまっていた。

 

「降りてしまった方々の気持ちは分かります。私も、本当に怖かったですから」

「モニカ、そなた・・・・・・」

 

当たり前の感情だ。一歩踏み外していたら、カレイジャスは間違いなく沈んでいた。

唐突に突き付けられた、明確な死。私だって、一時は諦め掛けていた。

アルフィン殿下が乗艦している以上、今後貴族連合が直接手を下すとは考えにくい。

だがある程度の覚悟は必要だ。何が起ころうとも、決して逃げはしないという、確固な意志。

 

「でも今は、信じて待つしかないんだと思います」

 

意外にもその決意を初めに示したのは、モニカ本人だった。

 

「きっとまた帰って来てくれるって、そう信じながら、私達にできることをやり続けるしか・・・・・・私には、それしか思い付きません」

「・・・・・・やれやれ、モニカに先を越されるとはなぁ。俺も降りるつもりは毛頭無いぜ。私情だけど、実家のことも心配だしな」

「私だって、リンデをこの船に乗せるまで諦めないわよ。ベッキーもそうでしょ?」

「今日乗ったばっかで何で降りなあかんねん。アホなこと聞かんといてや、笑えへんで」

 

モニカ、カスパル、ヴィヴィ、ベッキー。

次々に改めて胸の内を明かす同窓達に、私達《Ⅶ組》も続いた。

何も変わってはいない。士官学院の奪還という目標を達するために、やるべきことは1つ。

去ってしまった仲間については、モニカが言うように信じて待つしか術が無い。

 

(トワ会長・・・・・・)

 

寧ろ私が気に掛かるのは、艦長帽を被るトワ会長。

代理とはいえ、艦長席に座る以上、彼女はその責務を一手に担おうとしている。

負い目を感じる必要は無いというのに、肩に圧し掛かっている物がハッキリと目に見えてくる。

昨日の一件も相当な重圧だった筈だ。たったの4日間で、疲労し切っているようにも思える。

私なんかが心配する立場にないのは分かるが、本当に大丈夫だろうか。

 

「アヤさん、どうかしたの?」

「え?あ、いえいえ、何でもないです。少しボーっとしちゃって」

「気の毒に・・・・・・」

「ショックだったんだな・・・・・・」

「・・・・・・ねえみんな、さっきから何?何でそんな目で見るの?」

 

皆の生暖かい視線は置いといて。

トワ会長が私達を大会議室へ集めた理由は2つ。

 

1つ目は現状の説明と、運航業務における役割分担を決め直すため。

8名の人間が去ってしまった以上、改めて割り振りを行う必要がある。

事情が事情なだけに、観測士のクロノさんと、機関士のポイジャーさん。

本日付で艦を去る筈だったスタッフ達も、未だカレイジャスへ留まってくれていた。

 

2つ目が、オリヴァルト殿下からの依頼確認。これは私達《Ⅶ組》の仕事だ。

既に複数件の依頼が来ているようで、私達は明日から動き始めなければならない。

依頼内容はテーブルに置かれたノート型の端末に取り込んであり、この場で確認することができた。

 

「じゃあ早速確認しましょう。スクリーンに映像を出すわよ」

 

アリサが慣れた手付きで端末のキーを叩き、スクリーンへ各依頼の内容が映し出される。

 

主立った依頼は3件。1件目は双龍橋に滞在する、ナイトハルト教官からの物だった。

大まかには、機甲兵の隊長機『シュピーゲル』に関する、データ取りへの協力依頼。

砦へ放棄されていた機甲兵を試運転することで、敵機の性能を把握したいという内容だった。

 

「依頼先はリィン宛てになってるね。ヴァリマールに立ち合って貰いたいってことかな?」

「・・・・・・ヴァリマール、か」

「リィン?」

「いや・・・・・・みんな。この依頼については、少し考えさせてくれないか」

 

リィンはスクリーンの依頼内容を見詰めながら、考え込むような仕草を見せる。

迷っているのだろうか。確かにあの騎神が絡むともなれば、安請け合いはできない。

 

「とりあえず、次の案件を見てみよう。他に優先すべき依頼があるかもしれないしな」

「ええ、分かったわ。次は・・・・・・『外国人訪問者の保護』ね」

「依頼主はオリヴァルト殿下と、クロイツェン州アルバレア公爵家・・・・・・アルバレア!?」

 

マキアスが声を荒げると、皆の視線がスクリーンへ釘付けになる。

確かにそう記してある。クロイツェン州アルバレア公爵家―――次男、ユーシス・アルバレア。

 

「ば、馬鹿な。あのアルバレア公爵家の次男坊が、僕達に・・・・・・って、君じゃないか!?」

 

スパンッ!

 

マキアスのノリ突っ込みがユーシスの頭を叩き、気持ちのいい音が響き渡る。

間髪入れず、ユーシスがマキアスの胸倉を右手で掴み上げた。

 

「何の真似だ、言ってみるがいい」

「い、勢いでつい・・・・・・あ、謝るから君も事情を説明したまえ」

 

ユーシスはスクリーンの前に立つと、コホンと一度咳払いをしてから、表情を変えた。

士官候補生としてではない、もう1つの顔。貴族として、公爵家の一員としての立場。

2つの立ち位置から、ユーシスは改まった声で依頼内容を告げた。

 

「クロイツェンを管理する公爵家の人間として、協力を要請する。今現在帝国の東部で身動きが取れないでいる、観光及び商業目的の外国人訪問者。その捜索と保護を依頼したい」

 

―――これはリベール王国からの、非公式な依頼も含んでいる。

ユーシスの説明に、私とガイウスは顔を見合わせ、2人の遊撃士の名前を思い出していた。

 

 


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