絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月17日 折れた翼

 

どちらも間違ってる。

民間人を人質に取ることは勿論、交渉に応じようとしない父さん達も。

相手はテロリストじゃないんだ。姉さんを犠牲にしていい理由なんて、何処にもない。

 

だから僕達も、同じなのかもしれないね。

胸を張って、僕達が正しいと言える時が来るとするなら。

姉さんを救い出せた後の話だよ。何の犠牲も払わずにね。要は結果論さ。

 

それが、戦争の本質なんじゃないかな。

 

___________________________________

 

12月16日、午後20時半過ぎ。

厨房からは、ニコラス先輩がトントンと包丁で食材を切る音。

加えてコトコトと米が煮える心地良い音が、鮮明に耳へ入って来る。

やはり聴覚が敏感になっている。それにこんな感覚は久しぶりだ。

男共が出払う一方、お義母さんが夕飯の支度をする。そんな日常の一幕を連想させた。

 

「20時半・・・・・・もう1時間が経つのか」

 

ガイウスは現時刻を確認した後、ティーカップの中身を一口啜った。

今朝方にノルドで合流した際、ガイウスは嗜好品の類を艦内へ持ち帰っていた。

ノルドハーブはその1つ。キルテおばさんのチーズも、夕食の際に皆へ振る舞われた。

 

「そろそろ再開したいところだね」

「そうだな。今夜は長くなりそうだ」

 

―――エリオット君のお姉さん、フィオナさんの足取りと行方を掴むことができたんだ。

 

一報がカレイジャスに入ったのは、今から約5時間前。

事の詳細をトワ会長から伝え聞いたのも、その直後。

 

胸を弾ませて歓喜の声で答えたのは、私だけだった。

トワ会長をはじめとした艦内スタッフの誰もが、表情を曇らせていた。

嫌な予感は的中した。《Ⅶ組》を回収してから、取り急ぎの議論の場を設けることになった。

 

フィオナさんが帝都を離れ、双龍橋へ強制連行されたのが今日の昼間。

本人の意思に反しての移動であることは、行先を聞いただけで明らかだった。

正規軍の身内が、東部における貴族連合の主要拠点へ入る理由など、ある筈も無い。

現時点における両軍の戦況を鑑みれば、連行の目的は戦略的な牽制。それしか考えられなかった。

 

戦争という現実を突き付けられた上で、私達はどう動くべきか。当然だが、意見は割れた。

卑劣極まりない違法行為を見過ごせないという声が過半数。

対して、慎重に行動すべきという声も少なくはなく、議論は一時平行線を辿った。

 

ただ、時間が残されていなかった。

今回の一件を抜きにしても、正規軍側は強引な策に打って出る動きを見せていた。

寧ろフィオナさんは引き金だ。そして第4機甲師団は、もう止まらない。

それは身内であるエリオットが認めたこと。クレイグ中将は、決して退きはしない。

たとえ愛娘でも、息子であったとしても、軍人として退くことを知らない。

 

だから、考える時間が欲しい。

そう切り出したのは、エリオット本人と、トワ会長だった。

小休憩という形で議論は一時中断されたが、2人は今も会議室に籠っている。

想像するに容易かった。考えるというより、覚悟を決める時間が欲しかったのだろう。

 

「エリオットの気持ちは分かるかな。ありもしない責任を感じるなって言っても、少し無理があるよ。私だって即断はできないもん」

「トワ会長も、相当な物を背負っているんだろう。生徒会の決め事とは、まるで次元が違っている」

 

準備時間が無い上に、人質を救い出す手立てなど一朝一夕で生まれはしない。

一歩間違えれば、良くて捕らわれの身か―――誰かが、命を落とす。

フィオナさんを貴族連合の手から救い出すとなれば、つまりはそういうことだ。

誰の意志を尊重し、誰が決断を下すのか。それは2人に他ならない。

 

だが正直に言えば、2人のことは時間の問題だ。私は大して心配していない。

今後の流れは目に見えている。意見は割れたが、相反する声というわけではない。

トワ会長の下で、誰もが前を向いている。問題なのは手段と、最終的な判断だ。

 

ピー、ピー。

 

やがて頭上から艦内アナウンスを知らせる機械音が鳴り、エリオットの声がそれに続いた。

 

『大会議室から全艦へ。ミーティングを再開するので、もう一度集合して下さい。繰り返します』

 

肚は決まったか。肉声ではないが、声からは確かな意志が感じられた。

ここからが本番だ。状況を考えれば、明日にでも打って出る必要だってある。

 

「ニコラス先輩、休憩は終わりみたいです」

「僕は少し遅れてから行くよ。長い夜になりそうだしね。みんなにもそう伝えて貰えるかな」

「あはは、分かりました。期待して待ってますね」

 

残り少ない限られた食材で、消化が良く身体が温まる夜食を振る舞う。

ミルク粥という選択は、条件の全てを満たしていた。やはり料理部の人間がいると頼もしい。

戦いは既に始まっている。先輩が言うように、長い夜になりそうだ。

 

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トワ会長が示した大前提は、動くとするならば明日。

鉄道憲兵隊からの情報と合わせ総合的に判断すれば、残り時間はあと僅か。

貴族連合が血迷った行為に走らないうちに、フィオナさんを救い出さなければならない。

言い換えれば、それ程までに追い込まれる寸前が、ベストなタイミングなのだそうだ。

 

「追い込まれる寸前・・・・・・トワ会長、どういう意味ですか?」

「今からそれを説明するね」

 

ジョルジュ先輩がパネルを操作すると、正面のスクリーンが光り出す。

するとそこへ双龍橋を中心とした、四方約400セルジュ程度の地図が映し出された。

 

「貴族連合は、大陸横断鉄道と街道が交差するこの位置に、防衛ラインを張ってるんだ」

 

トワ会長が指し示した位置は、双龍橋から東へ約80セルジュの地点。

東へ繋がる大陸横断鉄道と、北南を貫く街道の交差地点。

その街道に沿う形で、絶対防衛ラインを展開しているのだという。

 

「連合側は防衛ラインを死守するために、激しい抵抗を続けてる。だからこのラインを突破されるような事態になれば、大きく状況が変わる筈なの。大きく分けて、ポイントは3つかな」

 

1点目は、フィオナさんという人質の存在。

防衛ラインを攻略されないためにも、貴族連合は必ず人質を盾に取る。

一方で、正規軍側も退こうとはしない。防衛ラインは、フィオナさんの安否と直結する。

最悪の事態に陥る前に、何ともしても救出しなければならない。

 

2点目が、双龍橋へ残存する兵力。

窮地に追いやられれば、連合側は総力を以って防衛ラインを死守しようと展開する。

言い換えれば、砦が手薄になる。フィオナさんを救出する絶好の機会だ。

トワ会長が言うように、追い込まれる寸前がベストなタイミングだった。

 

そして3点目。それが双龍橋と防衛ラインの『距離』。

双龍橋への侵入が察知されれば、敵の増援部隊が駆け付ける可能性は十分に考えられる。

人質という最後の切り札を確保するために、双龍橋方面へ戦力を戻しかねないのだ。

 

「増援があるとするなら、装甲車を伴う歩兵部隊だと思うんだけど・・・・・・ジョルジュ君、この距離を移動するとしたら、どのぐらい掛かるかな?」

「道の舗装状況によるね。鉄道沿いの道は開発が進んでいないって聞くけど、ざっくり25分は掛かるかなぁ。アリサ君はどう思う?」

「・・・・・・軽装甲車で、最速20分程度だと思います。あくまで最速、ですけれど」

「それでいいよ。希望的観測は控えて、最悪を想定しよう」

 

20分間。それが1つの目安。

少なくともまとまった戦力を後退させるには、その程度の時間は掛かるのだろう。

要するに、双龍橋へ突入してから20分の間に、フィオナさんを確保して退却する。

それが今作戦最大の要。となると、次に考えるべきは―――

 

「じゃあ、ここからが本番だよ」

 

トワ会長の合図でスクリーンの映像が切り替わり、今度は複数枚の屋内地図が映し出される。

相当に広く、構造は3階建て。双龍橋の中央にそびえ立つ、砦の屋内構造を示していた。

それらも協力を惜しまない、鉄道憲兵隊から得られた情報の1つだそうだ。

 

映し出されてからすぐに、サラ教官とフィーが地図を見詰めながら口を開いた。

 

「難易度は高くないけど、相手によるかな。猟兵がいたりしたら話は別」

「人形兵器の可能性も考えた方がいいわ。人質も最奥部と見るべきね」

「ん・・・・・・なら、3班編成。各階層を制圧する形で、最後の1班が人質を奪還する」

「同意見よ。頭数を考慮しながら攻略してみなさい」

「ヤー」

 

フィーは地図を一点に見詰めながら、手指を小刻みに動かし始める。

それは指で手計算をしているような、絵を描いているような、奇妙な動きだった。

既にフィーの頭の中では、救出作戦が進行中なのだろう。随分と器用なことをする。

 

「ふむ。フィー、今どの辺りにいるのだ?」

「2階右翼。さっきエリオットが撃たれた」

「えええ!!?」

「冗談」

 

全く笑えない。冗談にしては黒すぎる。

だが当のフィーの表情は真剣その物。冗談を挟んでいる余裕は感じられない。

トワ会長が言った最悪を想定して、救出成功の可能性を探っているのだろう。

やがて手の動きが止まり、フィーは小さく溜め息を付いて言った。

 

「行けると思う。けど被害を抑えるためにも、人選は吟味した方がいい」

「それも同意見。今回ばかりは、あたしも手を出させて貰うわよ」

「助かります、サラ教官。じゃあ今から、みんなで具体的な作戦を立てようと思うんだけど・・・・・・その前に、一言だけ言っておくね」

 

絶対に、無事に帰って来て。

トワ会長は艦長帽を被り直し、一言だけを私達へ贈った。

 

私達が多くを語る必要は無い。既にオリヴァルト殿下の前で、意志は示した。

だからこれは、トワ会長の覚悟。誰一人として犠牲者を出さないという決意。

応えることができるのは、私達自身だけ。それなら、やるべきことは1つだ。

 

「よし。みんな、絶対に俺達の手で―――」

「んー、燃えて来たわね!!」

 

リィンの勇ましい声が、エミリー先輩の猛々しいそれに掻き消される。

先輩は立ち上がりながら袖の裾を捲り上げ、宙に拳を打ちながら言った。

 

「みんな、燃えるのよ!ここで燃えなきゃ男じゃないわ!!」

 

女性陣が苦笑いを浮かべ、男性陣は先輩の姿に圧倒されていた。

だが胸の内は同じだ。同じ方向を向いて、カレイジャスに込められた意志に則ろうとしている。

そして私自身、支える籠手の紋章に応えるためにも。決戦は明日だ。

 

それぞれの想いを胸に秘め、戦いの前夜は賑やかに過ぎて行った。

 

_______________________________

 

双龍橋東部の状況は、ミリアムとアガートラムが上空から監視。

ARCUSを介して、雲の中に潜むカレイジャスへ戦況を逐一報告する。

 

頃合を見計らい、アルフィン殿下が人質の奪還を宣言。

大義名分を通し、即座にリィンとヴァリマールが双龍橋西部から侵入。

残存する機甲兵部隊を撃破した後、控えていた3班がそれに続く。

 

一連の動きは分単位で綿密に練られ、突入班も少数精鋭に絞られた。

エミリー先輩率いる『炎のC班』は1階で陽動を行い、退路と侵入ルートの確保。

《Ⅶ組》はB班が同じ要領でA班を援護し、最奥部へA班が突入。フィオナさんを救出する。

 

作戦会議は疲れを残さない程度に、深夜遅くまで続いた。

全てはフィオナさんを、そして皆が無事に生還するため。

時間はあっという間に過ぎて行き―――今日。12月17日、午前11時50分。

 

『えーと。機甲兵が1、2・・・・・・4体、装甲車が3台。今ポイントDを通過したから、あと10分ぐらいで前線の部隊と合流しそうだよ。相当焦ってるみたいだね』

「了解しました。ミリアムちゃんは予定通り、そのままA班と合流してね。くれぐれも見つからないように」

『はーい!』

「カーチスさん、ヴァリマールに繋いで下さい」

 

トワ会長の声に、カーチスさんは迷わずに端末を操作した。

クレア大尉の手により、ヴァリマールには外部との通信機能が備え付けられていた。

距離に制限はあるが、ARCUSを介した通信も可能らしい。ユミルでの出来事だそうだ。

 

『はい、こちらリィンです。状況はどうですか?』

「大体予定通りだよ。第一声は11時59分。あと10分ぐらいだから、いつでも出られるよう準備をお願いするね」

『了解です。指示を待ってます』

 

通信が終了すると、トワ会長が針路を西に、高度も下げるよう指示を下す。

作戦の決行はもう目前。既に突入班は、双龍橋付近の所定の位置で待機。

リィンとセリーヌを乗せたヴァリマールも、前方甲板で出撃準備済み。

一方で、未だ艦橋には《Ⅶ組》の人間が私を含め3人、控えていた。

 

「よし。みんな、いよいよだよ」

「ええ・・・・・・流石に緊張するわね」

 

私とアリサ、エマ。3人は4班目の『D班』。

D班の役目は双龍橋西部の防衛、そして退路の確保にあった。

 

東部は勿論、西部のケルディック方面にも、貴族連合の戦力が割かれている。

検問や詰所の存在を考えると、距離的には東部の防衛ラインよりも双龍橋に近い。

西側からの増援を食い止めるための防壁。私とランが、その力を担うことになった。

 

アリサ達は突入班との連絡や、私達のサポート係。

特にエマの転移術は、カレイジャスと地上を即座に繋げる重要な術であり、退路でもある。

臨機応変に対応するため、エマと状況判断に優れたアリサが、D班へ回っていた。

 

「ねえアヤ。もう一度確認しておくけど、時間さえ稼げればいいのよ。深追いは禁物だし、正面からやり合う必要は無いんだからね」

「分かってるってば。大丈夫、もう無茶はしないから」

 

トントンと左眼部を叩きながら、アリサに答える。

アリサは私が無茶な真似をしないよう、監視する役目も担っていた。

尤も、今回の主役はランだ。機甲兵が出張ってくるなら、私もサポートしかできそうにない。

 

「アルフィン殿下、そろそろ準備をお願いできますか?」

 

トワ会長がアルフィン殿下へ声を掛ける。

艦橋の端末で会話を交わしていた殿下は、首を縦に振ってから再度端末へ向いた。

 

「了解しましたわ。お兄様、どうやらお時間のようです」

『ああ。アルノール家を代表して、バシッと言ってやりたまえ』

「フフ、お任せ下さい」

 

カレイジャスは減速と共に、高度も既に艦橋から地上を見渡せる程度へ落としていた。

今はガレリア要塞と双龍橋の中間地点からやや西側。防衛ラインに程近い上空の筈だ。

 

「カーチスさん、お願いします。音量は最大にして下さいね」

「イエスマム。艦外スピーカー、音量最大・・・・・・殿下、お願いします」

 

さあ、決行の時だ。

固唾を飲んで見守っていると、マイクを握るアルフィン殿下の声が、艦橋へ響き渡った。

 

『クロイツェンの兵達よ、恥を知りなさい!!』

 

キーン。艦内にいても分かる程に鋭い声が、外界へと流れ出る。

肩を竦めたトワ会長が、小声で甲板にいる人間へ確認を求めた。

 

「リィン君、聞こえてる?」

『み、耳が痛いぐらいですよ。殿下、その調子です』

「あはは・・・・・・微速前進からホバリングへ移行して下さい。アルフィン殿下、続きをお願いします」

 

トワ会長に促され、アルフィン殿下が続けた。

誰もが晴れやかな表情で、捲し立てられた言葉の数々へ耳を傾けていた。

ここまで言われては、貴族連合側は面目丸潰れでは済まされない。

何というか、気持ちがいい。まるで自分自身が喋っているかのような感覚だった。

 

アルフィン殿下が宣言を終えると、艦橋に拍手喝采が沸き起こる。

殿下は律儀に四方へカーテシーを行い、皆の声に応えてくれた。

 

「フフ、流石は皇女殿下ですね。何と言いますか、スカッとしました」

「みんな同じだよ。でも、これでもう後戻りはできないね」

「・・・・・・はい」

 

私の言葉に、アリサとエマの表情が変わる。

大義名分は通された。ここからは私達の役目。戦いの火蓋は今、切って落とされた。

 

「士官候補生団、これより人質奪還作戦を開始します。リィン君、お願い」

『了解ですっ・・・・・・行くぞ、ヴァリマール!!』

 

ヴァリマールが前方甲板から地上へと飛び、双龍橋の西端に降り立った。

リィンの突入は、作戦開始の合図。待機していた突入班も、動き始めている筈だ。

 

私達D班は、皆が双龍橋へ侵入したのを確認後、エマの転移術を以って地上へと移動。

予定外の事態に陥った場合にのみ、柔軟に対応する。現時点では、全て予定通り―――

 

「ん?」

「あれれ?」

 

―――機関士席に座る2人。

《Ⅲ組》のミントとポイジャーさんが、突然声を上げた。

皆の視線が、2人へと一手に注がれる。

 

「どうしたんですか?」

「対空レーダーに感あり。これは・・・・・・民間の飛行船ではありません」

「んーと。方位215、距離41、速度760、高度低域。カレイジャスに真っ直ぐ接近中だね」

 

民間の飛行船ではない。カレイジャスに接近中。

2人の報告に、漠然とした不安が脳裏を過ぎる。

アリサとエマも、表情を曇らせながら代わる代わる顔を見合わせていた。

 

「・・・・・・確か、データベースと照合すれば、機種を特定できるんですよね」

「はい。登録があればの話ですが」

「分かりました。すぐに照合をお願いします」

 

一方のトワ会長は、淡々とした声で次々と指示を下していく。

 

「念の為、予定を変更して対応します。高度を上げて進路は30、照合結果を待ちます。それと各班のリーダーのARCUSと繋いで下さい。D班の3人も、一旦待機して貰えるかな?」

 

私達は無言で頷き、事態の成り行きを見守った。

すぐに頭上からトワ会長の声が鳴り、乗員へ予定変更の旨が告げられる。

ミントの背中越しに対空レーダーを見ると、点滅する光点が1つ。

 

「ね、ねえアリサ。嫌な予感がするんだけど、気のせいかな」

「落ち着きなさいよ。トワ会長も念の為って言ったでしょう」

 

そう言いながらも、既にアリサの額には粒状の汗が浮かんでいた。

この嫌な感じは、以前にもあった。それも、つい最近だ。一体いつのことだろう。

記憶の海を漁っていると、照合結果がポイジャーさんの口から告げられた。

 

「照合結果が出ました。共和国ヴェルヌ社製、VE19A。お、大型の高速機動艇・・・・・・共和国のガンシップです!」

 

―――未確認飛行船、共和国製の可能性が濃厚。

 

思い出した。つい最近どころか、昨日の朝だ。

B班が見せてくれた新聞にあった、未確認飛行船。

艦橋が、騒然とした。

 

「導力機関全開、全速前進で離脱して下さい」

「イエスマム、機関全開!」

 

ジャーニーさんの声と同時に、カレイジャスが見る見るうちに速度を上げて行く。

多少の揺れや反動すら感じないのは、飛翔機関の副作用だったか。

後方へ流れて行く雲だけが、加速の幅を教えてくれていた。

 

「ガンシップの位置と状況はどうですか?」

「たった今双龍橋を通過しました。進路は変わらず、後を追って来ています」

「地上班との通信は?」

「駄目です。一時は繋がりましたが、既にARCUSの通信範囲から外れています」

「・・・・・・分かりました」

 

さて、どうする。予想だにしないこの事態に、私達はどう対応すればいい。

私が辛うじて平静を保てているのは、トワ会長の極めて冷静な声のおかげだろう。

私は深呼吸をしてから、トワ会長へ切り出した。

 

「共和国のガンシップなんかが、どうして帝国領内に・・・・・・分からないことだらけですね。これからどうしますか?」

「針路から考えて、十中八九こちらに何か用があるみたいだね。物騒そうだし、応えるわけにはいかないかな。問題は救出作戦をどうするか・・・・・みんなはどう思う?」

 

トワ会長は前方を向いたままの姿勢で、私達に問い掛けてくる。

難しい判断だ。地上の状況が分からない上に、後ろには敵対国の船。

正直なところ、まるで対応が思い付かない。判断材料が少なすぎだ。

 

「最高速度を維持したまま迂回して、双龍橋へ戻りましょう」

 

3人の中で初めにトワ会長へ答えたのは、アリサだった。

 

「ヴァリマールが降りた時点で、もう戦闘は始まっていると考えた方がいいと思います。もう後には退けません。それにカレイジャスの速度なら追い付かれる心配はないですし、間に合う筈です」

「ガンシップを振り切りながら、作戦続行ってことだね。エマさんは?」

「アリサさんと同意見です。私達の役目は西部の防壁ですから、まだ時間には余裕があります。敵艦・・・・・・と敢えて呼びますが、救出作戦を優先するなら、双龍橋へ戻ることが先決です」

「うん、私も賛成だよ。アルフィン殿下、それで宜しいですか?」

「勿論ですわ。判断は全てお任せします」

 

2人の意見を受け、トワ会長が救出作戦続行の判断を下した。

敵艦の位置から航路を決め、必要時間を割り出し、舵が切られる。

トワ会長を中心とした連携には一切の無駄が無く、思わず感嘆の声を漏らしてしまった。

何というか、私が入り込む余地がない。緊急事態なのに、できることがない。

 

「すごいなぁ。みんな良く頭が回るね」

「適材適所でしょう。あなたにもすぐに出番が来るんだから、頼りにしてるわよ」

「あはは、了解リーダー」

 

膝を曲げて屈伸運動をしながら、ランの顎下を撫でる。

計算が正しければ、7分後に私達は地上へと降り立つ。

早ければ直後に戦闘開始だ。この事態に取り乱している場合ではない。

 

ガタンッ。

 

「わわっ・・・・・・な、何?」

 

すると突然、大きな揺れを感じた。

すぐにおかしいと思った。飛行中に揺れを感じるのは、離陸の前後の時ぐらい。

雲の中でも安定して飛べるというのに、今の振動は何なのだろう。

 

―――ガタタンッ!!

 

「「っ!?」」

 

首を傾げていると、一際大きな揺れが艦を襲った。

直後に艦橋へ響き渡るアラート音。耳を塞ぎたくなる、不快な音。

緊急事態を報せることが目的な以上、心地の良い音などが採用される筈もなかった。

 

「こ、この揺れは何ですか?」

「エンジン異常です。右舷第2、第3、第4エンジンが停止っ・・・・・・左舷第16から第19のエンジンも稼動を停止しています。おいカーチス、船倉地下へ繋げ!」

「もう繋いでる!」

 

エンジンが停止。一気に血の気が引いた。

艦長席に掴まり踏ん張っていると、通信を介したやり取りが耳に入って来る。

 

「ペイトン、ジョルジュ、一体何がどうなってる!?エンジンが7基も停止したぞ!」

『わ、分かりません。急に各エンジンからの導力供給が低下してっ・・・・・・今対応に当たっています。もう少し時間を下さい』

「早くしてくれ、第5から第8も止まった・・・・・・っ!」

 

余命宣告を受けている気分だった。

確かカレイジャスには、最新鋭のオーバルエンジンが20基。

初めて乗艦した際、シャロンさんが教えてくれた記憶がある。

その半分以上が動いていない。知識が無い私でも、これが異常事態であることは理解できた。

 

「分かり易く説明して下さい。ジャーニーさん、半分のエンジンでも飛行は可能なんですか?」

「可能ではありますが、とても今の速度と高度を保てません。飛翔機関を安定させるためにも、不要な他系統への導力供給をカットした方がいいと考えます」

「ポイジャーさん、すぐにそうして下さい。私の指示を待たずに判断して貰って結構です」

「イエスマム。兵装システムを一時ダウンします。おいミント、不要な系統を片っ端から落としちまえ」

「はーい。空調とか照明も切っちゃっていいかな?」

「ああ、片っ端にだ。乗員には後で報せればいい」

 

機関士席に座る2人が端末を操作すると、変化はすぐに訪れた。

頭上の照明が消え、肌に感じていた微風が止んだ。

僅かに聞こえていた導力の駆動音らしき音も、次々と消えて行く。

 

やがて訪れたのは、静寂。

危機的状況に似つかわしくない静けさに包まれ、振動も治まってくれた。

私と同じく艦長席に掴まっていたエマが、顔の汗を拭いながら大きく息を吐いた。

 

「ふう。少しだけ、落ち着いたみたいですね」

「飛ぶだけなら、半分のエンジンでも可能よ。でも・・・・・・不味いことになったわ」

「え?」

 

アリサが触れた『不味いこと』は、カレイジャスの速度。

9基のエンジンでも飛行は可能なものの、本来の性能は到底引き出すことができない。

最高速度3,000CE/hには、とても届かない。高度を保つだけで精一杯だった。

 

「・・・・・・追い付かれるってこと?」

 

私が小さく呟くと、アリサが頷き、トワ会長へ無言で語り掛ける。

唐突に事が起きすぎて、最早救出作戦どころの話ではない。

かなりの確率で敵と考えられる脅威が、背後から迫っている。逃げ道なんて、空には無い。

 

「照合結果をもう一度教えて下さい。敵艦の兵装は分かりますか?」

「はい。機銃が2門に、6連式の高射砲。勿論ですが、高射砲には追尾能があります」

「・・・・・・兵装システムをダウンさせていましたが、立ち上げることはできますか?」

「止めておいた方がいいと思います。残りのエンジンで、何とか飛翔機関が稼動している状況です。これ以上は通常飛行に支障が出る恐れがあります」

「空中発射デコイだけでも、用意しておきたいのですが・・・・・・」

「兵装システムは一括で管理されています。導力の供給を断っている以上、デコイだけを作動させることはできません」

 

無い無い尽くしの返答に、トワ会長の表情に険しさが増した。

私も頭が痛くなってきた。足りない頭でも思い至る、行き止まり。

 

策があるとするなら、エンジンの復旧を待つしか術がない。

だが時間が無い。対空レーダーの光点は既に―――中心へ程近い位置まで、迫っていた。

 

「艦内マイクを繋げて下さい。みんなに状況を説明します。救出作戦は、地上班に任せるしかありません。それと・・・・・・皆さんの知恵を貸して下さい。何とか打開策を捻り出しましょう」

「「イエスマムっ」」

 

トワ会長の言葉に皆が声を揃え、士気の高まりを肌で感じた。

多分この人は、そういう星の下に生まれてきたのだろう。

小さなその背中が今はとても大きく、頼もしく映った。本当に、凄い女性だ。

 

「エマ、アヤ、私達も船倉へ行きましょう。もう時間が無いわ」

「分かりました。私にできることがあるといいのですが・・・・・・」

「力仕事なら私に任せてよ。ランも一緒に来て」

『よかろう。案内するがいい』

 

私達も、こうして突っ立っている場合ではない。

何かできることがある筈だ。トワ会長に背中を押され、私達は船倉へと向かった。

 

____________________________________

 

エレベーターは当然のように沈黙しており、移動は階段を使った。

道中に何人かの人間と出くわしたが、誰もが取り乱すことなく、落ち着いて行動していた。

頭上からスピーカー越しに聞こえてくる、トワ会長の声のおかげだろう。

 

「きゃあっ!?」

「足元に注意して。焦らずにね」

 

光源は非常用の導力灯だけ。

視界が悪く、気を払っていないとエマのように階段を踏み外しそうになる。

それに空調機が止まっている影響が、今になって感じられてきた。

階段を下りているだけだというのに、暑苦しさで全身から汗が噴き出していた。

 

ガタタンッ!!

 

再び大きな揺れが艦内を襲い、足を止められてしまった。

勘弁してほしい。現時点では、振動は不吉な予感しか呼び起こさない。

 

「あ、アリサ。もしかして、だけど」

「またエンジンが停止したのかもしれないわね・・・・・・飛翔機関が不安定なせいで、重力に反発するフィールドも弱まっているのかも」

「私にも分かるように言ってよ」

「列車や車と同じよ。減速や方向転換に注意しないと、危険かも―――」

 

アリサの声に、突然アラート音が重なった。

トワ会長の声も止まり、スピーカーからは心地悪い音だけが鳴り響いてくる。

先程のアラート音とは違う。これは何を報せる音だ。

考えていると、6つの重々しい音が、何処からか発せられた。

 

『みんな、何かに掴まって!!』

「「っ!?」」

 

するとトワ会長の叫び声と同時に、床が一気に傾いた。

見えない力で身体が圧され、私達3人とランが壁へと叩きつけられる。

四方八方から悲鳴が上がり、耳鳴りと痛みで意識が遠のくような感覚に苛まれていく。

 

(―――撃た、れた?)

 

6つの音。6連式の高射砲。

無意識のうちに目を閉じながら、隣にいたエマの手を握り締めていた。

 

特に意味や目的も無く、頭の中で秒数を刻んでいく。

1、2、3。心臓の鼓動を聞きながら10秒を数え終えた後、閉じていた瞼を恐る恐る開いた。

 

「・・・っ・・・・・・どう、なったの?」

 

既に傾いていた壁や床は元通りになり、アラート音も消えていた。

3人の荒々しい呼吸音が次第に落ち着きを取り戻し、耳鳴りも治まっていく。

 

「・・・・・・回避できたみたいね。今のは多分、ロックオンアラート。敵艦に捕捉されたのよ」

「で、ですがそれでは」

「また撃ってくるかもしれないわ。さっきみたいに躱せる保証は、何処にも無い」

「そんな・・・・・・嘘でしょ」

 

皆も状況を理解してきたのか、再び周囲から悲鳴が到来した。

生きている心地が全くしない。首筋に刃を当てられているも同然だ。

 

兵装が使用できない以上、反撃はできない。囮も使えない。

飛んでいるのがやっとの状態で撃たれっ放しだ。もう、手立ては無いのか。

 

(・・・・・・落ち着け、私)

 

そう、落ち着け。取り乱しても始まらない。何も生まれない。

自慢にはならないが、絶体絶命の危機ならもう何度も乗り越えてきた。

何かある筈だ。無い無い尽くしの中で、私にできることは何だ。

呼吸を整えて悩み抜いた末に―――ランと、視線が重なった。

 

『やれやれ。おぬしの好きなようにするがいい』

「そっか・・・・・・そうだよ、まだ方法はある」

 

その場凌ぎの手ではあるが、可能性はゼロではない。

やるしかない。考えている時間は無いし、1秒でも早く辿り着く必要がある。

 

「あ、アヤさん?何処に行くんですか?」

「走りながら話すよ、アリサも来て!」

 

腰を上げて踵を返し、下っていた階段を駆け上る。

アリサとエマは困惑しながらも、私の後に続いてくれていた。

私は足を動かしながら、後ろを走るアリサに聞いた。

 

「アリサ、後方の甲板に出ることは可能?」

「甲板って・・・・・・あ、あなたまさか!?」

 

そのまさかだ。長距離射程の反撃方法なら、こちらにもある。

ランのクラウ・ソラリオンは、膨大な霊力を収束させた一撃。

敵艦に届かなくてもいい。躱せないなら―――撃ち落とすまでだ。

私の提案に、アリサは呆れた表情を浮かべながら答えてくれた。

 

「む、難しいわね。飛翔機関は不安定だし・・・・・・甲板に出ること自体が危険だわ」

「だから分かるように言ってよ!」

「最悪の場合、扉を開いた直後に空へ放り出されるって言ってるの!」

 

3階に上り、向かって右側へ走り出す。

アリサの予感が的中したら、扉を開いた時点で私達は無事ではいられない。

他に手立ては無いが、それだけは回避願いたい。

 

「それでしたら、私に任せて下さい!」

 

甲板へ続く扉の前に到着したところで、エマが声が上げた。

 

「前方へ小さな障壁を張る術を使います。擬似的なフィールドとして作用するので、甲板でも艦内と同じ空間が生まれる筈です・・・・・・その、多分」

「多分は要らない!」

「は、はい!やって見せます!」

 

私が声を荒げると、再度頭上からアラート音が鳴り始めた。

ロックオンアラート。回避に伴い艦内が大きく傾き、足を取られてしまう。

もう迷いは不要だ。撃たれる前に、まずは1つ目の壁を乗り越えなければならない。

 

「3秒後に開けるわよ!2人共、準備はいい!?」

「はい!」

「ラン、何とか踏ん張って!」

 

ランとリンクを繋げてから、扉の開放を待つ。

3、2、1。きっかり3秒後、アリサの手により扉は開かれた。

 

「っとと」

 

途端に追い風のような力に身体が押されたが、何てことはない。これならいける。

だが体勢が悪い。甲板に出たら、そのまま空の下へ転がり落ちそうだ。

甲板の手前、この位置から狙いを定めて撃つしかないが、余りにも難易度が高すぎる。

 

『フム。タイミングは取るが、照準はおぬしに任せるぞ』

「ええ!?わ、私が!?」

『何のためのリンクだ。おぬしの目を貸すがいい』

「アヤ、できれば50アージュ以上手前で迎撃して!」

「ぐっ・・・・・・り、了解!」

 

射程は十分だ。ランのクラウ・ソラリオンなら、100アージュ先に届く。

しかし本当にできるのか。こんな不安定な状態で、6発も。

 

ダダダダダダン。

 

無情にも、敵艦の高射砲が容赦無く火を噴いた。

頭上に撃ち出された、計6発の弾頭。落下は既に始まっていた。

その軌道を見ただけで、先程のように躱せないことは明らかだった。

 

目は重なっていた。ランの視界は私のそれ。

タイミングはランが合わせてくれる。私の役目は、照準。

点を捉える必要は無い。複数の点は弧を描きながら飛んでいる。

サラ教官が教えてくれたことを思い出せ。見えていようがいまいが同じ。

先の先の先を読み、右目を凝らして左側の世界を思い描く―――それと一緒だ。

 

(―――あれ?)

 

その瞬間、腰元のARCUSが光り輝き、世界が止まった。

正確に言えば、時間軸が変わった。落下してくる弾頭が、ひどくスローモーションに映った。

これをランと一緒に撃ち落とせばいいのだろうか。だとするなら造作も無い。

6つの点を指でゆっくりとなぞり、やはり弧を描くだけ。それで仕舞いだ。

 

大きく開かれたランの口から、光の槍が放たれる。

寸分違わず、光は6つの弾頭を撃ち抜き―――時計の針が、再び動き出した。

 

「っ!?」

 

数十アージュ先で起きた爆発の光と熱が到来し、思わず顔を背ける。

私が戸惑いを覚える一方で、アリサとエマは歓喜の声を上げていた。

 

「や、やったっ・・・・・・アヤ、その調子よ!」

「あ、あはは・・・・・・何だろ、今の」

 

気にはなるが、考えている暇は無い。次弾が来る可能性は十分にある。

というより、次が問題だ。先程の現象は普通じゃない。

同じように迎撃できる自信が沸いてこない。できることなら、今のが撃ち止めであって欲しい。

 

ヒュンッ。

 

「へ?」

 

それは突然の出来事だった。

視界の端に『青色』の何かを捉えた、次の瞬間。

後方の敵艦が、耳をつんざくような音と光を放ちながら、火の手に包まれた。

 

「うわぁっ!?」

「きゃあぁ!?」

 

巨大な炎の塊と化したガンシップが、力無く眼下へと落ちて行く。

私達は呆然としながら、一連の様を見届けていた。

 

こちらが反撃した様子はなかった筈だ。クラウ・ソラリオンが届いたわけでもない。

それなのに、どうして。到底理解に及ばなかった。

 

「わ、訳分かんない。一体何が起きたの?」

「・・・・・・おそらく、彼の仕業だと思います」

「彼?」

 

エマが指差した方角に目をやると、こちらへ向かって飛来する、人型が1体。

合点がいった。先程目に映った青色の何かは、見間違いではなかったようだ。

 

「とにかく、一度艦橋へ戻りましょう」

 

エマに従い、甲板へ繋がる扉を閉じ、私達は艦橋へ向かった。

複雑な想いだった。突然複数人の命が消えたことも。あの男が現れたことも。

 

________________________________

 

艦橋へ戻ると、既に無線通信を介したやり取りが行われていた。

スピーカーから聞こえてくるのは、5日振りとなる彼の声。

クロウ・アームブラスト。敵艦を撃墜したオルディーネの搭乗者だった。

 

「トワ会長、今戻りました」

「みんな・・・・・・ありがとう、助かったよ」

 

私達の姿を確認するやいなや、私を含めた3人は称賛の的になった。

モニターやスピーカー越しに、私達の行動は皆に伝わっていたようだ。

それも束の間の出来事。すぐに艦橋は重苦しい雰囲気に包まれていく。

 

『よう。高射砲を撃ち落とすなんて、とんでもねえ奴らだな』

「クロウ・・・・・・どうして、あんな真似を」

『おっと、詳しい話はトワに聞いてくれ。二度手間は御免だ』

 

トワ会長に視線を向けると、話とやらの触りだけを一言で教えてくれた。

エンジン異常を含めた今回の一件について、直接的には貴族連合と無関係。

直接的という表現にやや引っ掛かりを覚えたが、詳細は後回しにした。

既にやり取りのほとんどを済ませているらしく、トワ会長は小さな溜め息を付いていた。

 

「クロウ君。お礼は言わないからね」

『素直に言っとけよ。俺はヴィータの指示で動いただけだが、あのままじゃマジでヤバかったんだぜ。分かってんだろ?』

「それでも、だよ。それと、一言だけ言わせてくれるかな」

 

艦外マイクをオンにして下さい。音量は最大で。

トワ会長が小声で言うと、カーチスさんは訝しみながらその指示に従った。

通信中だというのに、何故艦外マイクを。

考えるより前に、トワ会長は大きく息を吸い込んだ。

 

『クロウ君の、バカ!!バァーカッ!!!』

 

アルフィン殿下の宣言とは比較にならない、大音声による大音量。

艦橋と数千アージュ上空へ、トワ会長の罵声が轟いた。

 

『おいこら。今のは二言だろ。一言って言わなかったか』

「そっちこそ。1年前、最後の実習の後に4人で交わした約束、忘れてる癖に」

『人聞き悪いな。忘れてはねえぜ』

「・・・・・・バカ」

 

それが最後だった。

トワ会長は艦長帽を前へずらし目元を隠した後、深めに席へ座り、針路の変更を告げた。

カレイジャスは指示に従い、オルディーネを置き去りにして、双龍橋へと向かった。

 

誰も声を掛けることさえできなかった。

4人で交わした約束。それはきっと、もう守る事が叶わない絆の証。

目元を遮っていても、頬を伝う物までは隠せていない。

 

今はそれでいいと思う。少しの間なら、学生に戻っても文句は言われない。

他人のためじゃない自分のための涙は、いつだって強さをくれる。私の持論だ。

 

 


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