絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月15日 少しずつ、前へ

12月15日水曜日、午前9時半過ぎ。

ノルド高原南西部に位置するゼンダー門付近、約400アージュ上空―――

 

「では皆さん、準備はいいですか?」

「ああ。頼む、委員長」

「分かりました」

 

リィンが答えると、エマはゆっくりと瞼を閉じ、手にしていた導力杖を掲げる。

すると円状の紋様がリィン達『A班』の足元に広がり、紫色の輝きを放ち始めた。

私はリィンの隣に立つガイウスに小さく手を振りながら、声を掛けた。

 

「みんなに宜しくね。また近いうちに会いに行くって伝えておいてよ」

「分かった。アヤ、無理だけはしないでくれ」

「無茶はするかも」

「フフ、風と女神の導きを」

 

やがて光がリィン達を包み込み、一際大きな輝きが放たれた。

思わず目を瞬いた頃には、5人のA班組は艦橋から姿を消していた。

すぐに艦長席に座っていたトワ会長が、通信士のカーチスさんに確認を求める。

 

「カーチスさん、お願いします」

「イエス、マム。シュバルツァー二等兵のARCUSと通信を試みます」

 

直後、頭上のスピーカーからARCUSの呼び出し音が聞こえてきた。

話に聞いていた通り、通信が繋がりさえすれば、この場にいる全員と会話が可能のようだ。

 

ピロロ、ピロロ。ピロロ、ピロロ。

かと思いきや、耳に入って来るのは呼び出し音だけ。

どういうわけか、こちらからの通信へ応じる気配が一向に見られなかった。

次第に皆の表情に不安げな色が浮かび始め、マキアスが眼鏡の位置を直しながら言った。

 

「変だな。エマ君、転移術とやらは成功したのか?」

「そ、その筈ですけど・・・・・・」

 

エマが戸惑いの声で答えた後、聞きなれたボタンの操作音が聞こえた。

漸く繋がったか。ホッと胸を撫で下ろしていると、声の主はリィンではなかった。

 

『こちらフィー。応答宜しく』

「あれ?」

 

トワ会長が首を傾げながら見下ろすと、カーチスさんも同じ仕草を見せる。

通信は繋がった。こちらからの投げ掛けにも、フィーはしっかりと応えてくれた。

だがリィンのARCUSに、どうしてフィーが出るのか。そして何故応答に時間が掛かったのか。

一連の出来事を、フィーは必要最低限の言葉を使って説明してくれた。

 

『着地に失敗して、特別オリエンテーリングの時のリィンとアリサ状態になった。まあ、今回はリィンとラウラだったけど』

「艦長代理、クラウゼル二等兵は何を言っているのですか?」

「私にも分かりません・・・・・・」

 

当たり前だ。分かる筈もないだろう。

やはり首を傾げるばかりのトワ会長らに対し―――

 

「「・・・・・・」」

 

―――私達《Ⅶ組》勢は、要らぬ気苦労を溜め息に変えて、深々と吐き出した。

エマだけが「着地に失敗」という言葉に、再度戸惑いの色を浮かべていた。

 

「ふ、フィーちゃん。ラウラさんと代わって貰えますか」

『ん。ちょっと待って』

 

するとフィーに代わって、当のラウラの声が耳に入って来る。

 

「す、すみませんラウラさん。自分を伴わない転移術には、まだ不慣れなもので」

『ふむ。エマ、今から言うことは、そなたの胸の中に秘めておいてほしい』

「え?はい、何でしょうか」

『そなたに、感謝を』

 

小さくポツリと呟いた声は、艦橋へ確かに響き渡った。

ねえラウラ。残念だけど、通信内容は全員に筒抜けだからね。

心の中で機械音痴の級友を想いながら、私はとりあえずのA班の無事を願っていた。

 

やがて通信は終了し、カレイジャスは再び高度を上げ始める。

トワ会長は艦長帽を被り直し、『B班』の目的地を告げた。

 

「航路は予定通りです。カラブリア丘陵地帯を抜けて、ヴェスティア大森林南部に向かって下さい」

 

_____________________________________

 

遡る事、約半日前。

オリヴァルト殿下から第3の翼を託された私達が初めに取った行動は、話す事。

今後どう動いて行くのか。明日以降、私達は何をすべきなのか。

漠然とした重責を確かな形に変換し、1人1人の『明日』を明確にする必要があった。

 

トワ会長が掲げた最終目標は、『士官学院の奪還』。

貴族連合の占領下にある士官学院を解放する、という意味合いではなかった。

取り戻すべきは、私達の学院生活。失い奪われてしまった、掛け替えのない毎日その物。

もし叶うとするならば、それは内戦の終結と同列に並ぶことになる。

100を目標にしては、決して100には辿り着けない。

そんなトワ会長の持論と意志の下で、私達は3つの具体的な指針を取り決めた。

 

1つ目は、オリヴァルト殿下から任された東部の治安維持活動。

この点については、殿下は具体的な策を練ってくれていた。

独自のネットワークを使い、各方面から寄せられた声を拾い集めてくれていたのだ。

それらはトワ会長とサラ教官を介し、正式な依頼としてカレイジャスに届けられていた。

目的や形式が明確な分、動き方もすぐに決めることができた。

 

2つ目が、このカレイジャスの運用面について。

時間が限られていたこともあり、艦内には必要最低限のスタッフしか乗艦していない。

今後も効率的にカレイジャスを稼動するためには、やはり人員が求められた。

ジョルジュ先輩は既にある程度の整備面を任されていたが、1人の手に負える筈もない。

全長75アージュの巡洋艦の運用には、人海で当たるしかなかった。

 

そして3つ目が、各地で息を潜めている、士官学院生の行方を追う事。

2つ目の運用面、そして最終目標を達するためには、志を共にする仲間が要る。

と言っても、今現在複数の主要都市が貴族連合の占領下にある。

私達《Ⅶ組》は勿論、他のクラス組やカレイジャス自身も、足を運べる場所は限られていた。

寄せられた情報を基にして、少しずつ集うしかなかった。

 

1、3点目の指針は、私達《Ⅶ組》に一任された。

特別実習の経験と身に付けたノウハウを活かし、各地を巡る。それが当面の任務。

より具体的には、2班編成。A班はリィン、ラウラとミリアム、ガイウスにフィー。

ノルド方面の状況を把握しながら、唐突に出没したとされる大型魔獣の探索を担う事になった。

 

「現在速度2,400CE/h、7分後に目的座標へ到着します」

「分かりました。B班のみんな、そろそろ準備をお願いするね」

 

そしてB班の目的地は、ケルディック方面。

比較的貴族連合が手薄な交易町での、情報収集を任されていた。

メンバーはエリオット、マキアス、ユーシス、エマの士官候補生4人。

 

「よーし、お姉さんも頑張っちゃうんだから。アヤちゃん、期待して待っててね」

「あはは。頼りにしてますよ」

 

加えて行商人モリゼーさんが、B班と同行することになった。

手薄と言っても、ケルディックには今も領邦軍の兵士が巡回している筈だ。

無策では入れないし、カレイジャスもケルディック近辺へ迂闊には近付けない。

 

そこで考え付いたルートが、ヴェスティア大森林。

以前にレイアが教えてくれた道のりを辿り、森林からケルディック方面へ出る。

街中には商人の一行として入る。モリゼーさんとエマの転移術があってこその案だった。

 

「じゃあ、僕達はそろそろ行くね。アヤも頑張ってよ」

「うん。ユーシスも、モリゼーさんを宜しくね」

「言われんでも貴族の義務は果たしてやろう」

「ちなみにモリゼーさん、私より食べるから」

「なん・・・だと・・・・・・?」

 

青ざめたユーシスの背中を押して、私はB班を見送った。

モリゼーさんの馬車は最下層の船倉にある。身分の偽装には必要不可欠だ。

少々心配ではあるが、モリゼーさんは戦術オーブメントの心得もある。

魔獣との戦闘時にも、自分の身を守るぐらいのことはできる筈だ。

 

「さてと。アヤ、私達もそろそろ行きましょう」

 

艦橋へ残された《Ⅶ組》勢は、私とアリサの2人だけ。

アリサはジョルジュ先輩に倣い、艦の運航や設備に関する知識を習得する事になっていた。

万全を期すためにも、いざという時に動ける万能な人間は1人でも多い方がいい。

専門的な知識や技術についてなら、アリサはジョルジュ先輩に次いで適役と言えた。

アリサは自分自身の意志で別行動を取り、整備士用のツナギに着替えていた。

 

「B班が降りた後は、昨晩お話した巡航ルートを辿ります。貴族連合の警戒網に触れないよう、十分に注意して下さい」

「イエス、マム。・・・・・・艦長代理、随分と眠そうですね?」

「あはは。覚えることが多くって、少し夜更かししてしまいました」

「無理はしないで下さいよ。艦内の生活にも、まだ慣れていないでしょうから」

 

トワ会長もトワ会長で、多忙な日々が続くだろう。

アルゼイド子爵閣下から託された艦長帽は、生徒会長という立場以上に重々しい。

艦長に求められる全ては、一朝一夕で身に付くものではない筈だ。

 

既に他の士官候補生らも、艦の運航に携わり始めていた。

誰もが自分のすべき事を受け止め、それぞれの役割を全うするために動いていた。

そして、私自身も。1日でも早く、私はこの世界の狭さを自分の物にする必要がある。

 

(よしっ)

 

右耳に『セルリアンハーツ』を装着しながら、私はアリサと艦橋を後にした。

 

_________________________________

 

カレイジャス4階、訓練区画。

その一室である剣術訓練室の扉が開かれると、目的の人物の背中が目に入った。

 

「サラ教官、お待たせしました」

 

サラ教官に声を掛けると、何故か反応が見られない。

背中を向けたまま、教官は微動だにしなかった。

 

「・・・・・・あのー、サラ教官?」

 

背後に立ち、再度サラ教官の名を呼んだ。

それでも教官は、応えてくれなかった。一体どうしたというのだろう。

訝しんでいると、サラ教官は唐突に振り返り、そっと頭を抱かれた。

 

「な、何ですか?」

「ごめんなさい。守るって・・・・・・支えるって、あの時誓ったのに」

 

サラ教官の小さな呟きが、くすぐるように耳へ入り込んでくる。

『あの時』がいつで、『誓い』とやがら何なのか、私には皆目見当が付かなかった。

本当に―――どうして私の周りの人間達は、こうも自責の念に苛まれようとするのだろう。

クレア大尉もそうだった。私は多分、恵まれすぎている。そんな立派な人間ではないというのに。

 

「教官が気に病む必要は無いですよ。これは私自身の問題ですから」

 

私は頭をサラ教官の胸に預け、その温もりを受け取った。

支えてくれると言うのなら、ここからだ。この左目は、私自身が招いた結果。

そして私という人間は、きっとあの男から逃れられない。

この身に宿す力の正体も、因果も因縁も。しっかりと受け入れ、向き合う必要がある。

 

「だから教えて下さい。私は、何をすればいいんですか?」

「・・・・・・やれやれ。あなたは相変わらずね」

 

やがてサラ教官は私の身体を解き、腰に手をやりながら溜め息を付いた。

直後、教官の目が私の耳元に向いた。視線の先には、すぐに思い至った。

 

「クレア大尉からの贈り物ですよ。おかげ様で右目が大分楽になりました」

「・・・・・・ふーん」

 

私はセルリアンハーツを右手で弄りながら、サラ教官に答える。

すると教官は目を細め、表情を変えた。突如として、不機嫌なオーラが滲み出ていた。

全く意味が分からない。今のやり取りに、何か気に障るところがあったのだろうか。

 

「ねえアヤ。『頼りになるお姉さんは誰?』って聞かれたら、何て答える?」

「サラ教官ですよ。だから今もこうしてっ・・・・・・ちょ、何なんですか!?」

 

再度、抱かれた。痛みを覚える程に締められた。

加えて頬擦りまでされた。引き剥がそうにも、やはり紫電の力の前では無力だった。

 

たっぷりと堪能された後、漸く私は解放された。

サラ教官は上機嫌な様子で懐から何かを取り出し、それを私の右手に預けた。

 

「何ですか、これ」

「軍事医療用の眼帯よ。抗菌性と耐久性に優れているから、それを使いなさい」

 

見覚えのある、革製の眼帯だった。

記憶違いでなければ、帝国解放戦線のスカーレットが使用していた物と同型の筈だ。

よくよく見ると、表面には青色の何かが複数埋め込まれていた。おそらく七耀石だろう。

セルリアンハーツと同じく、水属性の力が作用する代物といったところか。

私は一度鉢がねを外し、眼帯を付けながらサラ教官の声に耳を傾けた。

 

「見た感じ、心は大丈夫みたいね。日常生活の方はどう?」

「・・・・・・不便すぎて、疲れます」

 

左側から来た人間にぶつかる。頭痛と肩こりに悩まされる。階段を踏み外す。苛々する。

たったの2日間で、小さな危険には何度も遭った。先々の事を考える時間も増えた。

それ以上に、自分が置いて行かれてしまいそうになる感覚が、嫌で仕方なかった。

焦りが何も生み出さないことは理解していた。が、今は少しでも前に進みたかった。

 

「視力や聴力に、腕や足。左右一対のいずれかを失う事は、戦場では珍しくないのよ」

「・・・・・・サラ教官は、経験があるんですか?」

「似たような覚えはあるわね。アヤ、あなたには今から『見えない』なりの立ち振る舞いを教えるわ。物にできれば、普段の生活もずっと楽になる筈よ」

 

サラ教官は言いながら、もう1つの眼帯を取り出し、装着した。

私が失ったのと同じ左目を覆い、同じ世界を共有してくれた。

その身を以って、叩き込んでくれるようだ。有難いことこの上ない。

 

「ちなみにだけど。あなたが揮ったっていう『力』、一度見せてみなさい」

「え?」

「見ておきたいのよ。この目で直にね」

「・・・・・・分かりました」

 

私は深呼吸を1つ置いてから、全身を弛緩させた。

この力に『力』は不要だ。あらゆる力みは不純物であり、気の流れを妨げる。

イメージは、やはり水。剛ではなく柔、動ではなく静。

 

「ふう」

 

少しずつ、あの時の感覚が思い出された。

やがてそれは絢爛の輝きへと変わり、全身が光で満たされていく。

大分時間が掛かってしまったが、どうやら夢ではなかったようだ。

 

「お見事。気の練り方だけは、誰よりも先を行っているわね」

「あの・・・・・・サラ教官」

「分かってるわよ。一歩も動けないってところかしら」

「・・・・・・はい」

 

サラ教官の言う通り、微動だにできなかった。剣を振るうどころの話ではない。

少しでも四肢を動かせば、光が四散してしまうことが目に見えていた。

ヴァルターと対峙した際、この力を維持できていただなんて、自分でも信じられない。

気を緩めた瞬間、案の定絢爛の光は立ち消えていった。

 

「うーん。あの時は確かにコントロールできたんだけどなぁ」

「精神状態にも左右されるみたいね。焦る必要はないし、ゆっくりと自分の物にしなさい」

「・・・・・・自在に操れるようになったら、褒めてくれますか?」

「一緒に蛇と喧嘩してあげるわ。ともあれ、今はその隻眼に慣れることね」

 

サラ教官は拳と首を鳴らし、独特の構えを取った。

まずは無手からか。元A級遊撃士が一対一での指南だなんて、贅沢が過ぎる。

だが今は素直に受け取ろう。いつまでも皆の足手纏いではいられない。

覚悟を決め、私は床を力強く蹴った。

 

___________________________________

 

午後13時。

カレイジャス2階の多目的区画、食堂。

 

「・・・・・・アヤ、目が死んでるわよ」

「・・・・・・ポーラこそ。人の事言えないってば」

 

私とポーラはテーブルに突っ伏し、重々しい疲労感に襲われていた。

念願の食事の直後だというのに、今は指1本動かしたくはなかった。

 

サラ教官との地力の差を、改めて思い知らされた。

何故あんな動きが可能なのか、全く理解に及ばなかった。

同じ視界を共有している筈なのに、教官はそのハンデを全く感じさせなかった。

教官曰く、視覚以外の四感を総動員し、先の先、その更に先を読む。

そうすれば、見えていようが見えていまいが同じ。言うは易く、行うは難しだ。

セルリアンハーツが無かったら、今頃は右目も限界を超えている筈だ。

 

今日の食事当番を担ったポーラも、疲弊し切っていた。

3人掛かりとはいえ、士官候補生と艦内スタッフを含め、40名超の人数分だ。

それ程の量の食事を作った経験などあるわけがない。

この後は夕飯の支度も控えているし、ポーラも大分参ってしまっていた。

 

「まあ、貴重な経験ではあるわ。まさか皇女殿下と一緒にカレーを作る日が来るだなんてね」

「あはは。それは言えてるかも」

 

厨房では今も、皿にカレーを盛り付けるアルフィン殿下の姿があった。

大変に畏れ多い光景だった。殿下自らともなれば、味そのものが変わって感じられる。

 

それ以上に、誰もが勇気付けられ、心を動かされていた。

同じ視線に立ち、直向きに振る舞うその姿は、皇族の在り方を象徴していた。

考え有りの行動ではないのだろう。殿下はどこまでも自然体に、エプロンを汚していた。

 

「それにしても、全身アザだらけじゃない。本当に大丈夫なの?」

「平気。明日になれば大体治ってるよ」

「・・・・・・時々アヤを遠くに感じるわ」

「えー。これでも普通の女の子なんだけどなぁ」

「残念だけど、そうは見ていない人間の方が多いと思うわよ。委員長さん以上にね」

 

相変わらず、歯に衣着せぬ物言いをする。

自覚はしているし、彼女のそんな態度が有難く感じられた。

 

エマはセリーヌ、私はランという存在により、相当に奇異な目で見られていた。

とりわけ私は、今こうして座っているだけでも、左目が周囲の視線を集めていた。

敢えて触れようとしない人間がいれば、戸惑いながらも気遣ってくれる人間もいた。

多分、それが普通の反応だ。その分、親友の自然体が際立っていた。

 

「ありがとう、ポーラ」

「何よ急に。気味が悪いわね」

「あはは。ランもありがとう」

 

テーブルの下に蹲るランに声を掛け、顎下を撫でた。

ランは必要に迫られない限り、2人っきりの時にしか言葉を発しなくなった。

ランなりの気遣いなのだろう。少しだけ寂しくもあった。

 

ただ、一緒にいる時間は増えた。艦内にいる間、ランは常に私の傍にいた。

皆は「仲が良いんだね」程度に受け取っていた。

「愛人か」と呟いたユーシスには蹴りを入れた。

ランの行動も、変わらずに意図が汲み取れない。まあ、悪い気はしなかった。

 

「今度は何?考え事?」

「ううん、何でもない・・・・・・あっ」

 

ハッとして顔を上げると、こちらへ向かってくる2人の女子が目に入った。

艦長帽を被るトワ会長と、ツナギ姿のアリサだった。

トワ会長はテーブルに皿を置き、私達に労いの言葉を送ってくれた。

 

「2人とも、お疲れ様・・・・・・あはは、本当に疲れてるみたいだね」

「トワ会長こそお疲れ様です。アリサも面白いぐらい汚れてるね」

「ペイトンさんのメンテに付き合ったのよ。久方振りに油塗れになったわ」

 

アリサのツナギは黒色の油汚れで染まっていた。

髪が薄らと濡れているのは、一度シャワーを浴びてきたからだろう。

 

トワ会長は皿の隣へ数枚の書類を置き、それに目を通しながらカレーを頬張り始めた。

食事の時ぐらい、帽子を置いてもいいだろうに。そう言い掛けて、言葉を飲み込んだ。

この人にはどう言い聞かせたところで、全てが無駄に終わる。以前からそうだった。

 

「それ、何を読んでるんですか?」

「カレイジャスの兵装について、かな」

「兵装?」

 

私の問いに対し、トワ会長とアリサが2人掛かりで返答をくれた。

 

このカレイジャスには、必要最低限度の兵装しか備え付けられていない。

それでも、装甲車や戦車の類とは比較にならない程の導力兵器が搭載されていた。

左舷と右舷の主砲と副砲に、機体下部には2連装機銃が2門。

自己防衛機能としては、自由運動型らしき空中発射デコイが備わっていた。

 

「アリサ、この自由運動型って何のこと?」

「自律的に行動できる無人デコイよ。軍事学で習ったでしょう」

「習ってない。絶対に習ってない」

 

時折アリサは、自身の知識と授業で得たそれを混同することがある。

まあ今に始まったことではないし、カレイジャスの戦力の程は何となく理解できた。

艦長代理としては、兵装の全てを把握しておく必要があるのだろう。

その戦力を揮う事態には陥らないよう、願うばかりだ。

 

心の中で空の女神様に祈っていると、隣に座るアリサの表情に目が止まった。

アリサは皿の上でスプーンをくるくると回しながら、考え込むような仕草を見せていた。

 

「どうしたの、アリサ?」

「ん・・・・・・何でもないわ。ただ、ちょっと心配になっただけよ」

「・・・・・・そっか」

 

《Ⅶ組》の皆、ではないのだろう。

故郷であるルーレにランフォルト社、イリーナさん。

アリサが抱える物の多くは、未だ詳細が掴めていない。

それに―――シャロンさんについても。

 

シャロンさんはクレア大尉やトヴァルさんと同じく、今朝方に艦を降りていた。

イリーナさんから任された様々な依頼を担うべく、独自に動くつもりなのだそうだ。

 

身食らう蛇の執行者という事実が明かされた今でも、アリサの態度は変わらない。

ラインフォルト家のメイドであり、掛け替えのない姉のような存在でもある。

別れ際のアリサの言葉は、彼女が思い悩んだ末の答えだったのだろう。

 

「・・・・・・ねえ、アリサ」

「大丈夫よ。それに今は、この子に専念しないとね」

「この子?」

「カレイジャスのことよ。言わなくても分かるでしょう」

「分かんない。絶対に分かんない」

 

アリサは当たり前だと言いたげな表情だった。

この艦の製造にはラインフォルトも大いに関わっている分、思い入れがあるのかもしれない。

 

アリサが漸くカレーに手を付け始めたところで、ポーラが険しい表情で切り出した。

 

「そういえば、トワ会長。備蓄してある食材、あと4~5日程度で底を突きそうですよ。補充する当てはあるんですか?」

「うん。それなんだけど・・・・・・設備面でも、同じ悩みを抱えてるんだ」

 

アリサによれば、設備的な部分でも、今後の稼動に支障を来たす恐れがあるらしい。

最低限度の予備やストックはあっても、消耗品の類は必ず減少の一途を辿る。

すぐにとは言わないまでも、先々は何処かで補給を受ける必要があった。

 

それ以上に問題なのが、日常生活に関わる物資だ。

ポーラが調べた限り、食材はあと数日で底を打ってしまう。

今後の事を考えても、今のうちから手を打っておかなければならない。

オリヴァルト殿下らは独自のルートを活用していたようだが、今は頼りにできない。

そういった部分も含めて、私達に艦を預けたのだろう。

 

「あっ。それなら、B班にお願いすればいいんじゃないですか?」

「B班に?」

 

設備面はともかく、日用品についてなら心当たりがあった。

あの人なら、きっと答えをくれる筈だ。

 

「モリゼーさんですよ。色々な流通ルートを知ってますし、あの人ならまとまった物資を仕入れることができるんじゃないですか?」

 

モリゼーさんは生粋の商売人だ。

ケルディックには彼女の知り合いが数多くいるし、周囲からの信頼も厚い。

正に打って付けの人間だ。こういった時にはプロに任せるのが一番だろう。

 

「成程ね。商人なら、ほっくりポテトを掻き集めることも簡単かもしれないわね」

「ねえポーラ、何でポテトに限定したの?」

 

ほっくりポテトは置いといて。

私の提案に、トワ会長はすぐに乗ってくれた。

地上組とは、定時連絡を取るよう約束してある。

それまでの間に、必要な物資をポーラ達がまとめておく手筈となった。

 

「ありがとうアヤさん。こっちでも色々考えておくね」

「いえいえ。人一倍食べるんで、少しは役に立たないと―――」

「みなさーん。まだ残りがあるので、おかわりが必要な方は申し出て下さーい」

「はい!はいはーい!!」

 

アルフィン殿下の声に、私は嬉々として答えた。

もし食材が底を突いたら、戦犯として扱われそうだ。

 

_____________________________________

 

午後17時過ぎ。

ノルド高原北部、ラクリマ湖畔付近の上空。

 

『―――A班からの報告は以上になります』

 

ガイウス達A班の定時連絡は、ARCUSを介して行われた。

ノルド高原に出没した大型魔獣は、以前話に聞いていた『魔煌兵』なる存在だった。

暗黒時代に造られたとされる、魔導の力で動く巨大なゴーレム。

謎が多いことに加えて、ノルド高原に現れた原因も、定かではなかった。

 

一方で、嬉しいニュースもあった。

A班は《Ⅲ組》のミントをはじめとした士官学院生3名と、再会を果たしていた。

カレイジャスへの乗艦にも応じてくれたそうで、晴れてメンバーが増える結果となった。

 

A班はノルド高原で夜を過ごし、明日の朝8時にゼンダー門で先程の3名と共に合流。

次なる目的地は、湖畔の街レグラムに決まっていた。

 

「リィン君、お疲れ様。じゃあ、明日の朝8時にお願いね」

『了解です。それと、そこにアヤはいますか?』

「え、私?うん、艦橋にいるよ」

 

リィンが突然、トワ会長の背後に立つ私の名を呼んだ。

定時連絡の時間は把握していたし、内容も直に聞いておきたかった。

首を傾げていると、頭上から懐かしく幼い声が響き渡った。

 

『アヤおねーちゃーん、聞こえるー?』

「え・・・・・・り、リリ?リリなの?」

『あー!ホントに聞こえた!』

 

リィンの傍にいると思われる、妹の声だった。

考えてみれば当然だ。リィン達は今、ラクリマ湖畔に住まいを移した家族達といるのだ。

 

リリにシーダ、トーマ。そしてガイウスも。

大切な弟と妹達の声を、ARCUSを通じて代わる代わる聞くことができた。

トーマは学院祭の時に顔を合わせていたが、リリとシーダは実に半年振りだった。

声を弾ませて会話を交わしていると、今度は壮年の男性の声が、私の名を呼んだ。

 

『アヤ、暫く振りだな』

「お義父さん・・・・・・はい、お久し振りです」

 

父という存在について考える日々が続いたせいか、涙腺が緩みそうになった。

私は涙を堪えながら、お義父さんの話に耳を傾けた。

 

今現在皆がラクリマ湖畔で生活しているのは、内戦の戦火から逃れるため。

ここ数日は落ち着きを取り戻したこともあり、近日中に元の集落へ戻る予定だそうだ。

 

「そうだったんですか。人手が必要だったら、言って下さい」

『構わん。お前達にはやるべき事があるのだろう。ガイウスから話は聞いている』

「・・・・・・左目についても、ですか?」

 

私が失った左目について触れると、僅かに間が空いた。

コホンと咳払いが聞こえた後、お義父さんは私の問いを肯定した。

 

『ああ。気休めな言葉しか贈れないが・・・・・・残された光で、しっかりと前を向け。俺に言えることは、それだけだ』

「分かっています。嘆いていても、何も変わりませんから」

『そうか。それでこそ俺達の娘だ』

 

お義父さんはいつだって、多くを語らない。

厳しく言葉足らずの裏には、お義父さんなりの愛情と優しさがある。

私はお義父さんの娘だ。それらを感じ取る事ぐらいは、会話を交わす間に訳も無くできる。

 

『それでだな。1つ、質問なんだが』

「はい、何ですか?」

『・・・・・・とは』

「え?」

『ガイウスとは、上手くやれているのか?』

 

話の内容が、唐突に方向転換した。

言われてみれば、ガイウスとの関係について、お義父さんとは話したことがなかった。

これはどう言えばいいのだろう。素直に答えるべきなのだろうか。

 

「えーと。はい、やれていると思います」

『そうか。その、ご隠居から聞いたんだが』

「・・・・・・ご隠居?」

『ああ。その・・・・・・コホン。随分と仲が進んでいるようだな』

 

ご隠居。アリサの祖父であり、元ラインフォルト社の元会長。

そして集落にとっては外の世界を教えてくれる、信頼に値する知識人。

なのだが、ハッキリ言って今だけは嫌な予感しかしなかった。

 

「お義父さん。言っておきますけど、この会話はこの場にいる全員が聞いてますからね」

『・・・・・・何だと?』

 

クロノさんがクスクスと声を漏らし、トワ会長は苦笑を浮かべた。

ポイジャーさんは「ヒュー♪」と口笛を鳴らした。全員、楽しげだった。

 

「カーチスさん、通信を切って下さい」

「了解。音量最大、録音を開始します」

「・・・・・・カーチスさん」

「ハハ、冗談ですよ」

 

それから一言二言の挨拶を交し、通信は終了した。

お義父さんはまだ何かを聞きたかったようだが、これ以上はただの罰ゲームだ。

 

トワ会長が次なる目的地を告げると、ジャーニーさんが復唱後に舵を切った。

同時に背後の扉が開かれ、その先には3人の姿があった。

アリサにジョルジュ先輩、そしてアルフィン殿下だった。

 

「みなさん、お疲れ様です。今はどの辺りを飛んでいるのですか?」

 

アルフィン殿下の問いには、観測士のクロノさんが答えた。

今は午前中と同様、ノルド高原上空からケルディック方面へ向かっている最中だ。

B班の定時連絡は午後の18時。あと1時間程の余裕があった。

 

「トワ、一旦区切りを付けたらどうだい?」

「区切り?」

「そろそろ今日のお勤めも終了って時間帯だからね。艦長代理として、みんなに声を掛けてあげたらどうかな」

 

ジョルジュ先輩の提案に対し、トワ会長は首を縦に振って応えた。

すぐにカーチスさんがマイクをオンに切り替え、艦内へトワ会長の声が響き渡った。

 

『みなさん、お疲れ様です。艦長代理のトワです。士官候補生のみんなは、本当にお疲れ様』

 

トワ会長は優しい声で、ゆっくりと語り始めた。

 

オリヴァルト殿下からカレイジャスを託されてから、早一日。

専門のスタッフがいる以上当然だが、特に支障無く、12月15日が終えようとしていた。

 

一日中食事の用意に勤しんだ。

溜まりに溜まった洗濯物を片した。

油に汚れながら、設備に触れ続けた。

専門書を読み耽り、知識を習得した。

 

それぞれに与えられた業務は、その大半が取るに足らない生活の一部。

そして失った物を取り戻すための、大きな大きな一歩目。

無駄なんて一切無い。皆で掲げた最終目標へ、私達は少しずつ近付けている。

今は目の前の事に専念しよう。それがきっと、明日に繋がる筈だから。

 

トワ会長の言葉に対し、各区画からの返答が続々と返って来た。

その内容に、意味は無いのだろう。何かを返したくて仕方ないといった想いが窺えた。

 

『こちら船倉。艦長代理、もう少し冷房効かせませんか。暑くて堪りません』

『うーん。消費導力量と相談しながら検討してみるね』

『こちら食堂です。《Ⅶ組》へ調理部の人間を集めるようお願いして下さい。人手不足ですよ』

『深刻な問題だね。難しいけど、相談してみるよ』

『こちら生活区画よ。トワ、夕飯はまだかって男子がうるさいの。何時ぐらいになるか分かる?』

『あはは、ちょっと待ってね』

 

トワ会長は笑い声を上げた後、振り返る。

視線の先には、エプロン姿の少女。この艦を象徴する存在が立っていた。

少女もトワ会長に微笑みで返した後、マイクへ向かって言った。

 

『本日のメインディッシュはチーズオムレツです。既に用意はできていますので、業務を終えた方からいらして下さい』

 

12月15日、水曜日。午後17時10分。

私達は、大きな一歩目を踏み出していた。

 

 


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