絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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第2部
12月14日 紅き翼


12月13日の月曜日、午後21時。

 

二大国に挟まれ、大陸有数の貿易・金融都市として発展を遂げた自治州、クロスベル。

クロスベルが辿って来た70年間の道のりは、熾烈な領土争いの歴史でもあった。

豊富な七耀石資源を抱えていた事もあり、度々支配国が変わっては振り回され、幾星霜。

言い換えるのなら、支配と蹂躙の歴史。それが今、大きな変貌を遂げようとしていた。

 

余りに唐突な変化に、戸惑い狼狽える州民達。

己の正義を掲げ、世界に秩序をもたらそうとする一族。

大切な物を取り戻すため、抗い続ける者達。

そして―――人知れず裏で暗躍する、中立の人間。

 

「よお、お疲れさん。一人呑みか?」

 

クロスベル市の裏通りに佇むジャズバー『ガランテ』。

『close』のボードを吊らす店が大半の中、今日も通常営業を決め込む数少ない飲食店だった。

 

「ええ。気晴らしにね」

 

カウンターでグラスを揺らす女性へ声を掛ける、赤毛の男性がいた。

どちらも州民ではなく、両隣に位置する国々の出。

両者の外見や立場を踏まえ例えるなら、情報畑という同じ穴に住む、狐と狸だった。

 

「それ、何飲んでんだ?」

 

男性が1つ離れた席に座ると、女性はグラスをそっと持ち上げた。

男性は目を閉じながらその香りを味わうと、途端に顔を顰め始める。

 

「あなたもどう?奢るわよ」

「あー。無理無理、それ苦手なんだわ」

「お子様ね」

「言ってろよ」

 

女性が口にしていたのは、米と麹を原料とする、特有の製法で作られた醸造酒だった。

その特徴的な味わいや香りは人を選び、男性のように毛嫌いする人間も少なくはない。

大陸の西では認知度が低い一方で、東方系の移民が多いこの地ではその限りではなかった。

 

男性がオーダーすると、店主のエリックが冷蔵庫から赤色の液体とビールを取り出す。

オーダー品は、にがトマトジュースを用いたレッドアイ。今度は女性が眉間に皺を寄せた。

 

男性は首元のスカーフを緩めながら、陽気な声で女性に話し掛ける。

 

「しっかし、あんたも災難だなぁ。こんな状況じゃ動くに動けねえし、情報筋も限られちまう。酒に逃げたくなる気持ちも、分からなくはねえさ」

「あら、逃げているつもりはないわよ。それに私は、この街をそれなりに気に入っているの。個人的にね」

「クク、そうかよ。まあ『自分探しの旅』の出発点だもんなぁ?思い出にでも浸ってたか?」

 

男性が薄ら笑いを浮かべながら言うと、女性が無言でグラスを空にする。

その白く細長い指がトントンとカウンターを叩き、再びグラスが満たされていく。

 

「自分探しの旅・・・・・・フフ、言い得て妙ね」

「随分と素直だな。酔ってんのか?」

「当たり前でしょう。飲んでるもの」

 

女性と男性は、お互いの全てを知り合っていた。

知っているという事を、理解していた。

 

いつ何処で生まれ育ち、どんな軌跡を辿って来たのか。

何がその人となりを形成し、今この瞬間何を考えているのか。

張り巡らしたネットワークを駆使して、調べ尽くす。

『情報』を軸とする職業柄同士、隠し事など意味を成さない。それを分かっていた。

 

「あれから7年も経っていたのね・・・・・・ついこの間の出来事のように感じるわ」

 

薄らと紅潮した女性の顔に、感傷的な笑みが浮かんだ。

若々しく瑞々しい容姿ながらも、妙齢の女性が纏う歳不相応な魅力が重なり合う。

男性はその美しさに、思わず顔を背けてしまった。

 

7年前。父を失い、想い人を失った事に端を発する、3年間の旅路。

一手に自分を育て上げてくれた父が説く、活人拳。その意味合いを探す流れ旅。

戦いを通して互いを高め合う、その理念自体を問う、自分探しの旅。

 

その答えを求め、女性は大陸中を巡り歩いた。

そしていくつもの争いと暴力を目の当たりにしては、自身の無力さを痛感した。

川を流れる木の葉のように流れ続け、辿り着いた先が、リベール王国の遊撃士協会。

 

「で、探し物は見つかったのか?」

「どうかしら。探し物自体、有って無いような物よ」

「成程ね・・・・・・ログナーの令嬢さんとは、それ以来の付き合いってわけだ」

「彼女、元気にしてた?」

「おう。何なら手紙でも書いてやったらどうだ?俺が士官学院まで届けてやるぜ。まあ、今はそれどころじゃねえけどな」

 

男性が言うと、女性は再び表情を変えた。

男性はその意味合いが分からなかった。分からない、という事に引っ掛かりを覚えた。

女性が歩んできた道のりは、疾うの昔になぞり終えている。知り尽くしている。

しかしだとするなら、この表情は何だ。心当たりがあるとするなら―――7年前。

唯一首を傾げてしまった、とある事実。確かめるために、男性は聞いた。

 

「なあ、1ついいか」

「何かしら」

「あんたが大陸を流れた3年間、その大半がこの『クロスベル』と『帝国』だ。自分探しの旅をするなら、もっといい国があるだろ。両者を行ったり来たりしながら・・・・・・あんたは一体、何をやってたんだ?」

 

パキッ。

女性が片手で落花生を割ると、その中身を口に運び、グラスを傾けた。

女性は熱を帯びた呼気を深々と吐き出し、微笑を浮かべながら答え始める。

 

「人の想いは、表に出さないと形として残らない。その瞬間、何を想い考えていたのか、追う術が無くなってしまう。厄介極まりないわ」

「よーく分かるぜ。その場に居合わせれば話は別だがな」

 

情報畑の人間にとって、いつの世も課題は同じ。

人の感情は目に見えない上に、機会を逃せば追うことも叶わない。

何かしらの形として残らない限り、感情という情報はゼロ秒で立ち消えてしまう。

 

「・・・・・・探し物が、もう1つあった。ただそれだけの話よ」

 

だから―――女性は知らなかった。

『2人』が胸の内に秘め続けた感情の正体も、葛藤も。身内でさえもが知り得なかった、真実。

明かされたのは、やはり7年前。唯一の実父を亡くす、その前夜。

それを知る人間は、今となっては彼女1人だけだった。

 

「へえ。で、『もう1つ』とやらはどうだったんだ?」

「去年漸く見つけたわ。その時に、全部知った・・・・・・今までずっと、伝え聞いてきたの」

 

刻が近い事を、女性は理解していた。

この地が迎えるであろう苦境と、運命の歯車を狂わせる存在を。

そして自分自身、向き合わなければならない事も。もう目を背けてはいられない。

 

遅かれ早かれ、いずれこの男も知る時が来る。

そう思い、自身の意志を確かめるように、女性は言った。

 

「妹がいるのよ。腹違いのね」

 

________________________________________

 

12月14日、午前1時半。

 

こうして日記を書くのは、2ヶ月振りぐらいだと思う。

学生寮に置きっ放しの日記は、多分10月8日ぐらいの日付で止まってる。

クロスベル襲撃事件の前夜以来、書いた覚えが無い。

色々と事が起きすぎて、自分自身整理が付いていない。

いい機会だし、時間があればまたペンを走らせることにした。

 

気付いた時には、私は高速巡洋艦『カレイジャス』に乗っていた。

リィンとヴァリマール、アルフィン殿下も、無事にパンタグリュエルから逃げ果せていた。

私達を救い出してくれたのは、《Ⅶ組》のみんなと、頼りになる4人の年長組。

そしてオリヴァルト殿下に、アルゼイド子爵閣下。驚きの連続だった。

 

カレイジャスはトリスタでの一件以来、密かに帝国各地を回っていた。

トワ会長を始めとした士官学院生とも、この数日の間に合流したらしい。

乗艦している学生は、私達を除いて23名。貴族生徒が・・・・・・何人だっけ。多分5人はいたかな。

帝国を巡る中で、散らばっていた学生の一部を、拾い上げることができたそうだ。

《Ⅶ組》のみんなと合流したのは、13日の早朝の出来事。

ユミルの襲撃と顛末を知った殿下達は、頃合を見計らい、パンタグリュエルへと乗り込んだ。

 

変わり果てた私の姿を見て、みんな声を失っていた。

まあ血だらけでボロッボロだったから無理もないよね。

トワ会長は目を潤ませていたし、ガイウスも声を殺して頭を抱えていた。

我ながら無茶をしたと思う。こうして生き永らえたのは、偶然にすぎない。

大まかにはこんなところかな。話を聞かされてからはずっと眠ってたし、少し記憶が曖昧。

 

そんなこんなで、変な時間帯に目が覚めてしまった。

夜中だっていうのに、休憩室でこうして日記を書いている。

たまに整備士の人が通るぐらいで、みんなは5階の生活区画で眠ってる筈。

そういえば、ペイトンさんはまだこの艦に乗っているらしい。またエステルの話でも聞こう。

 

エマとセリーヌ、ランが頑張ってくれたおかげで、傷は癒えた。

肩に違和感はあるけど、痛みも無い。魔女の力ってすごい。そもそも魔女って何なんだろ。

でも、やっぱり世界は半分。痛みは引いても、私の左目は元に戻らなかった。

 

綺麗な物を、沢山見せてくれた。

独りぼっちになってから、3年間涙を堪えてくれた。

サラ教官の胸で泣いてからは、涙腺が緩々だった。

今までお疲れ様。それに、ありがとう。

 

ともあれ、私はこの現実を受け入れる必要がある。

慣れるまで、大分時間が掛かりそう。慣れるのかな、これ。

こうして書いている今も右目がすごく疲れるし、頭が痛くなってくる。

少なくとも暫くの間は、みんなと行動を共にはできない。今の私は、唯の足手まとい。

誰に相談すればいいだろ。やっぱり、サラ教官かな。

ゼクス中将とも話をしてみたい。隻眼でも、中将は達人と呼べる域にいる。

 

言い方はあれだけど、ガイウスって大変だなって思う。

入院した時もそうだったけど、いつもいつも無茶をして、気苦労ばっか掛けて。

でも・・・・・・何でだろ。ガイウスには、また辛い思いをさせちゃうような予感がする。

漠然とした不安みたいなものが、頭の中にある。その正体は分からない。

言葉では表現し辛いし、今は考えないようにしよう。

 

 

 

・・・・・・驚いた。

これを書いている最中、クレア大尉が休憩室に来た。

大尉はできる限りの情報を把握するために、まだ起きていたみたい。

こんな状況だし、理解はできるけど、少し働きすぎじゃないかなって思う。

 

クレア大尉は「申し訳ございませんでした」って、私に謝ってきた。

もっと早く駆け付けていたら、大事に至らずに済んでいたかもって、責任を感じているみたい。

 

「私の責任です」って宥めていたら、クレア大尉は右耳のピアスを外した。

『セルリアンハーツ』っていう、水属性の七耀石を結いたノンホールピアスだった。

目の疲れを癒す効能があるらしく、デスクワークには欠かせないお供らしい。

 

大尉が今の階級に着任した際、宰相閣下から贈られた宝物。

そんな大切な物の片割れを、私の右耳に付けてくれた。

勿論初めは拒んだけど、クレア大尉は頑として引かなかった。

結局私は、有難く受け取った。大切に大切に使おう。

 

 

 

カレイジャスは今どの辺りを飛んでるのかな。

甲板に出ても真っ暗だろうし、位置までは分からない。

それに、明日からの事も、少し想像が付かない。

ユミルでお互いの意志を確かめ合ったけど、状況が一気に変わった。

明日の朝一番に、オリヴァルト殿下が「話がある」って言っていた。

今後の事は、そこで話し合うことになりそう。

 

このピアス、すごいかもしれない。

こんな短時間で、右目が大分楽になってきた。

視力そのものが向上している感覚がある。ありがとうございます、クレア大尉!

 

右目が元気を取り戻した一方で、頭の中は整理が付いていない。

本当に・・・・・・どうして、私は今ここにいるんだろう。

何故自分がこんな状態でこの場にいるのか、分からなくなる。

多分、誰でも一度は経験がある感覚だと思う。やっぱり言葉では表現できない。

 

ロイドと一緒にメルカバへ乗った時も、同じ感覚を抱いた。

つい先月まで帝国にいた筈が、どうしてクロスベルの上空にいるのか、分からなくなった。

ロイドは「既視感みたいな感覚か?」って首を傾げていた。

ワジ君は「どちらかと言えば未視感さ」って言っていた。どっちも違うと思う。

 

駄目だ。頭の中がごちゃごちゃしてる。

お父さんの事、左目の事、ヴァルターに、新しい力。明日からの私達。

書き出すと、悪い意味でペンが止まらない。少し頭を冷やそう。

 

________________________________

 

「あれ?」

 

前方甲板へ続く扉が開くと、眼前に見知った背中が映った。

月明かりの下で腕を組みながら、眼下に浮かぶ雲々見下ろす男性がいた。

 

「ん・・・・・・アヤ?どうしたんだ、こんな時間に」

「あはは、ガイウスこそ。もう夜中だよ?」

「考え事、なんだろうな。君は?」

「そっか。多分、同じだと思う」

 

ガイウスは振り向き、多少の驚きを表情に浮かべて答える。

私は彼の隣へと歩を進め、頭上に浮かぶ大きな月を仰いだ。

 

甲板への扉は、特殊な力場が展開している際にのみ開くことができる。

装置が作動していなかったら、百セルジュ上空で私達は生きていられない。

 

「それで、身体の調子はどうなんだ?」

「見ての通り。エマ達のおかげで、大分良くなった」

「・・・・・・そうか」

 

私が笑みを浮かべながら言うと、ガイウスはそっと、私の肩に右手を置いた。

私の返答に対し、ガイウスも小さく笑いながら応えてくれた。

気丈に振る舞っている事は、よく理解できた。肩に置かれた手が、小刻みに震えていた。

 

やがて右手は私の左頬に触れ、壊れ物を扱うように優しく、髪を掻き上げる。

布製の眼帯に覆われた私の左眼部が露わになり、ガイウスの手が止まった。

悲しみと言うよりかは、惨めや情けなさと言った方がいいのだろう。

身体の一部をもぎ取られたような痛みは今、私ではなく彼にあった。

 

ガイウスは私の身体を引き寄せ―――眼帯にそっと、彼の唇が触れた。

その仕草が可笑しくて、申し訳ないが思わず笑ってしまった。

 

「あはは。何それ」

「いや・・・・・・何となく、だ」

「何となくで目にキスしないでよ」

 

戸惑うばかりのガイウスが面白く、悪戯な笑みを浮かべる。

ただ正直に言って、彼の行動は『何となく』理解できた。

 

だから私はガイウスの身体に身を預け、額を彼の胸に当てた。

そして全てを語った。パンタグリュエルで見聞きした全部を、ガイウスと共有した。

ガイウスの知らない私が、いて欲しくなかった。

依存していると分かっていても、そうせずにはいられなかった。

 

ガイウスは私を抱き、相槌を打ちながら耳を傾けていた。

やがて私が語り終えると、ガイウスは静かに口を開いた。

 

「アヤは・・・・・・またあの男と、対峙することになるかもしれないな」

「ふーん。また『何となく』?」

「ああ。何となくだが、そんな不安がある」

 

日記にも書いた、漠然とした不安。

それをガイウスも、抱えつつあるようだ。

 

またヴァルターとやり合おうだとか、そんな無謀なことを考えているわけではない。

仮に次があるとするなら、今度こそ命は無い。力量差はこの身体が物語っている。

 

でも、不思議とその光景が想像できてしまう。

私は再びその身を焦がしながら、立ちはだかる壁を乗り越えようとする。

そんな予感と悪寒がしてならない。多分、そう遠くない未来に。

 

「『女神はサイコロを振らない』、だったか」

「え?」

「アヤが以前に貸してくれた本だ。あの言葉を思い出してしまった」

 

私達の大先輩、テンペランス・アレイ教授が執筆した、1冊の教養本。

植物生理学や構造学を追求し、幾度となく繰り返した実験の末に行き着いた、1つの結論。

森羅万象に偶然は無く、有るのは必然。あらゆる物事と事象には、必ず意味と因果がある。

 

極論めいた教えに倣うのなら、12月13日には意味がある。

肩を壊され、左目を抉られ、こうして生き永らえた現実は、未来の何かに繋がっている。

そもそもの発端は7年前まで遡る。昨日の出来事は、その1つにすぎないのかもしれない。

 

「まあ、その時はその時だよ。今あれこれ考えても仕方ないしね」

「そうだな。それに、アヤは独りじゃない。アヤが望むなら、俺が君の左目になる」

「気持ちだけ受け取っておくよ。でも・・・・・・たまにキスしてくれると助かるかな」

「キスだけでいいのか?」

「馬鹿。らしくないこと言わないで」

 

ガイウスの側頭部を小突くと、彼は再び頭上の月を見上げた。

私も隣に立ち、同じ光景を共有した。この高度からの月は10日振りだ。

 

今は皆と一緒に、前へ進むしかない。

私個人の思惑がどうあれ、《Ⅶ組》としての意志は固まりつつある。

取り戻したい物がある。必ず救い出すと約束した少女がいる。

下を向いてはいられない。己の道を信じて、進んで行くのみだ。

 

__________________________________

 

翌朝の午前9時。

オリヴァルト殿下らに呼び出された私達は、最下層にある船倉に集っていた。

私達《Ⅶ組》が11人と、トワ会長とジョルジュ先輩を含めた23人の士官学院生。

アルフィン殿下や一部の艦内スタッフ、モリゼーさんにサラ教官達の姿もあった。

 

壁際に悠然と佇む騎神を目の当たりにした人間達は、改めて目を奪われていた。

とりわけリィンと一言二言の会話を交わす様は、やはり信じ難い光景だったようだ。

 

私も私で、立場を忘れていた。

身体の調子について声を掛けてきたランに答えるやいなや、多くの人間が騒然とした。

何をどう説明すればいいか分からず、私は取り急ぎの知らん振りを決め込むことにした。

ただ、いずれ話すべき時が来るであろうことは、理解していた。

その際には、どんな言葉を選べばいいか。考えていたところで―――思考が止まった。

 

「か、艦を預けるとはっ・・・・・・父上、何を仰っているのですか?」

「フフ、そのままの意味だ。カレイジャスの運用は、今後そなた達の一任する」

 

私達学生と向き合う形で前方に立ち、艦長帽を被るアルゼイド子爵閣下。

そしてオリヴァルト皇子殿下が切り出した提案に、私達は耳を疑うしかなかった。

 

驚き呆ける私達に対し、殿下が無理もないといった表情で経緯を説き始める。

 

「伊達や酔狂で言っているわけではない。この国の情勢と戦局に鑑みて、艦長と毎晩協議しながら辿り着いた結論さ」

 

殿下が語った経緯は、大きく分けて2点。

1点目は、帝国西部における大規模な武力抗争にあった。

 

戦いの火蓋が切って落とされたのは、12月6日の正午。

帝国正規軍の残存勢力と、貴族連合随一の精鋭部隊が、正面から衝突した。

機甲兵部隊にオルディーネという脅威が重なり、戦況は正規軍側が劣勢。

その戦火は今も尚広がりを見せつつあり、一部の街や民間人をも巻き込みつつあった。

 

殿下達はこれ以上の犠牲を食い止めるため、艦を降りるつもりなのだという。

第7機甲師団や中立勢力と連携を図り、西部の情勢を打開する計画を組んでいるそうだ。

この点について疑問を投げかけたのは、ユーシスだった。

 

「自分も西部の状況はある程度把握しています。伝え聞いた話では、戦域も相当拡大しているようですが・・・・・・殿下は艦を降りた後、どうなさるおつもりなのですか?」

「考えはいくつかある。勿論、私個人の力でどうこうできる情勢には無いからね。名付けて『自由への風』大作戦さ!」

 

ポロロンッ。

何処からともなく取り出したリュートが、唐突に旋律を奏で出し、

スパンッ。

何処からともなく取り出されたハリセンが、殿下の後頭部を打った。

 

2名の皇族による、僅か2、3秒程度のやり取りだった。

 

(・・・・・・何、今の)

 

『自由への風』が一体何なのか、それさえもがどうでもいいと思えてしまった。

置いてけぼりを食らった私達の中で、辛うじてエマが口を開いてくれた。

 

「じ、事情は分かりました。それで、私達は何をすればよいのですか?」

「痛たた・・・・・・コホン、それは簡単さ。君達は既に、ユミルで意志表示をしてくれたそうだね」

「ユミルで?」

「サラ教官から聞いているよ。君達が導き出した答えは、正に私が期待していた物と同じだったというわけだ。君達には、帝国東部における治安維持に努めて貰いたい」

 

学生という立場を捨て、いずれの勢力にも与することなく、正義を貫く。

法や人道に背く行為、秩序を乱す人間を見逃さず、戦への介入を厭わない。

そして遊撃士協会規約に則り、地域の平和と民間人の保護を優先する。

それが私達《Ⅶ組》が導き出した結論だった。

 

「そして君達はトールズ士官学院に通う、士官候補生だ。そんな君達にこそ、私はこの艦を預けたいと考えているのだよ」

 

さらに殿下は、士官候補生という立場の意味合いについて触れた。

私達の大部分は、将来軍人という道を選び取る。言い換えれば、正規軍や領邦軍の卵。

皇族の船を操る2大勢力の卵達が、争いを続ける両者の間に割って入る。

人々はその様に、何かを想わずにはいられなくなる。

軍人に民間人、貴族と平民。立場は違えど、きっと響く物がある。

 

そして人々に心理的な衝動を与えるであろう、もう2つの存在。

第3の勢力として、この戦争に横槍を入れるための矛先になり得る、『巨いなる力』。

それが灰の騎神と、碧き聖獣。ヴァリマールとランだった。

 

私とリィンは顔を見合わせ、視線を重ねた。

自覚はしていたが、知らぬ間に重責を担っていた事に改めて気付かされる。

ルーファスさんが言ったように、私達に力を貸してくれる存在は余りにも大きい。

 

リィンは一度頭上を仰いだ後、左隣に立っていたトワ会長の方へ向いた。

 

「会長達は、知っていたんですね。殿下の提案と、カレイジャスの事を」

「・・・・・・バレちゃったか。実は先日、話だけは聞いていたの。返答は保留しているんだけどね」

 

私もおかしいとは感じていた。殿下の言葉に驚愕の色を浮かべていたのは、私達《Ⅶ組》だけ。

《Ⅶ組》を除いた23名は、既に今回の件について把握していたようだ。

ポーラの様子を窺うと、彼女は舌を出して応えてくれた。彼女も知っていたか。

 

トワ会長は改まった口調で、私達《Ⅶ組》に向けて言った。

 

「リィン君、みんな。私達も、ずっと考えていたんだけど・・・・・・もう、答えは決まってるんだ」

「あなた達のように、正しいと思える事がしたいのよ」

 

すると唐突に、1人の貴族生徒が言った。

女子生徒は胸に手を当てながら、《Ⅶ組》へ語り掛けてくる。

 

「こんな状況だからこそ・・・・・・正しいって、そう信じる事ができる道を選びたいの」

「流石に気が引けたけど、もう肚を括るしかないと思うんだ」

「文字通り、乗り掛かった船だからな」

 

学年や性別、身分に関係無く、思い思いの言葉が並べられていく。

最後にポーラが、私達《Ⅶ組》を見回しながら言った。

 

「そのためにも、アヤ。それにリィン君。あなた達と《Ⅶ組》の力が必要よ」

「ポーラ・・・・・・」

 

今となっては、言葉は不要。《Ⅶ組》の答えは、既に決まっている。

お互いの意志は既に確かめ合っている。この期に及んで議論を交わす必要も無い。

 

「諸君、改めて言わせて貰おう。このカレイジャスを預ける、その意味を知りたまえ」

 

殿下の言葉に、私達は再度耳を傾けた。

 

3ヶ国間で締結された『不戦条約』。争い無き平和への出発点。

その折にリベールより贈呈された、最新鋭の飛行エンジン技術。

そして平和的に利用して欲しいという、アリシア女王陛下の願いの上に、私達は今立っている。

アルセイユ2番艦、高速巡洋艦カレイジャスの根幹には、国境を越えた想いが込められていた。

 

「君達がその理念に則ると言うのなら、私は喜んでこの翼を任せよう。それと、アルフィン」

「は、はい」

「できれば君には、この艦に残って貰いたい。カレイジャスはアルノール家が所有する船だ。私の代わりに、彼らの意志を汲んでくれないかい?」

「私が・・・・・・」

 

アルフィン殿下は瞼を閉じ、暫く考え込むような素振りを見せた。

やがて意を決したように、オリヴァルト殿下と私達の間に立ち、問い掛けてくる。

 

「兄に代わりお聞きします。士官学院の皆様は、これからどうなさるおつもりですか?」

 

自然と、視線は一手に集まった。誰もが見下ろしていた。

最も背の低い、少女のようなあどけなさを感じさせる女性に、私達は全てを託した。

 

「みんな、これが最後の確認だよ。踏み出したら後戻りはできないし・・・・・・もう、学生でもいられなくなる。覚悟はいい?」

 

33人が首を縦に振り、その意志を示す。

するとどういうわけか、トワ会長の視線が私へ向いた。

 

「アヤさんも、それでいいの?」

 

何故私個人にだけ、名指しで答えを求められるのか。

その理由には、すぐに思い至った。だから私は剣を取り、皆と共に進む決意を表明した。

 

「左目を奪われても、前を向くことはできるし、剣は振るえますから」

「・・・・・・そっか。うん、分かったよ」

 

トワ会長は僅かに戸惑いの色を浮かべながらも、私の意志を汲んでくれた。

そしてコホンと喉を鳴らしながら振り返り、堂々とアルフィン殿下に応えてくれた。

 

「トールズ士官学院、士官候補生総勢34名。高速巡洋艦カレイジャス、謹んでお預かりします」

 

12月14日、火曜日。午前9時42分。

大きな変化が、訪れようとしていた。

 

 


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