絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月13日 すばらしきこの世界

「―――もしかしたら、別の区画に通じているのかもしれません。確認できるまで、もう暫くお待ち頂けますか。お暇でしたら、ランが相手をしてくれると思います」

『了解しましたわ。どうかお気を付けて。リィンさんにもそうお伝え下さい』

「はい。では、一旦切りますね」

 

耳元に当てていたARCUSを折り畳み、通信を終了する。

一度外の様子を窺ってから、部屋の片隅で手を動かすリィンに声を掛けた。

 

「リィン、そっちはどう?外れそう?」

「もう少し待ってくれ」

 

太刀の柄を握る手に力を込めながら、リィンが答える。

ARCUSのサブディスプレイを見ると、現時刻は午後の14時50分を示していた。

 

―――今から約50分前。

リィンに呼び出され向かった先は、貴賓区画2階の右手にある奥間。

社交会場さながらに上品で広大な一室には、清々しげな表情を浮かべるリィン。

そしてエリゼちゃんと同じくして、全く予想だにしない少女との再会。アルフィン皇女殿下の姿までもがあった。

 

アルフィン殿下が乗艦している理由は、リィンが教えてくれた。

対外的には、旗艦の巡遊に皇族として同乗して貰い、慰問という形で各地を巡る。

言い換えれば、民を騙す傀儡として振る舞わせ、民の意識を掌握する。

虫唾が走った。カイエン公は否定するだろうが、あの男の目的はそこにしか無い。

 

―――アルフィン殿下を連れて、ここから脱出しよう。

 

端っから取るべき道は1つしか無かった。

リィンの決意に、私は首を縦に振って応えた。それが、約50分前の出来事。

 

この境地を抜け出す鍵となるのは、お互いの相棒。

甲板にはヴァリマールが控えているし、艦外に出ればランを縛る呪いも解ける。

まずは人外が集うこの区画から、アルフィン殿下を連れて脱する必要があった。

とは言っても、通路へ繋がる鋼鉄の扉は、全てが固く閉ざされてしまっている。

ヴァルカンを闇討ちして鍵を奪う方法も考えたが、返り討ちにあうのは目に見えていた。

 

そうして辿り着いた先が、リィンに充てられた部屋の一角。

金属製のフレームとフィルターに覆われた通気口から、何者かの声が聞こえた。

耳を澄ませて漸く聞こえる小声が、別区画への繋がりを示唆していた。

 

「よし。何とかなりそうだ」

 

フレームを支えていた4本のボルトのうち1本が、床へと転がった。

リィンは太刀の切っ先を器用に操りながら、2本目のボルトを回し始める。

 

「ねえリィン。甲板までの道、覚えてる?」

「ああ。大体覚えてるよ」

「よかった。私だけだったら、道に迷っちゃってたよ」

「はは・・・・・・道に迷うだけで済むなら、苦労しないさ」

 

甲板に辿り着ければ、可能性はある。だがその道のり自体が問題だ。

止まらずに真っ直ぐ歩いても20分以上掛かる。艦内はそれぐらい広大だ。

誰の目にも止まらないのが理想だが、そう事が上手く運ぶとは思えない。

こちらにはアルフィン殿下もいるし、慎重を喫する必要がある。

 

よしんば切り抜けられたとしても、大きな壁が再度立ちはだかる。

ヴァリマールなら私達を乗せて飛べるだろうが、周囲には中型の追従艦もいる。

それに―――騎神は、ヴァリマール1体だけではない。

 

「多分、一番の障壁になるだろうな。空中戦じゃ、万に一つの勝ち目も無い」

「・・・・・・そっか」

 

2本目のボルトが、コロンと小さな音を鳴らして転がった。

お互いに重々しい沈黙が始まった。堪え切れず、私は取り留めのない話題を振った。

 

「蒼の騎神、かぁ。そういえばさっき、クロウに会ったって言ってたよね」

「ああ。いつも通りのクロウだったよ」

「何を話したの?」

 

ピタリと、リィンの手が止まった。

一瞬だけだった。リィンは何事も無かったように作業を再開してから、言った。

 

「面白くも何ともない、ただの昔話さ」

「ふーん」

「アヤは会わなかったのか?」

「うん。一発殴ってやりたかったけど、逃げられたみたい」

 

拳を固く握りしめると、リィンは乾いた笑い声を上げた。

ヴァルカンが言ったように、それだけが理由ではないのだろう。私には、知る由も無い。

 

―――学院生クロウ・アームブラストは、ただの偽物さ。

 

ヴィータから与えられた、裏切りと別離の記憶。

あの場に居合わせなかった私でも、想いは一緒だ。

エマが言っていた。記憶や現象を操る術技は、あの女の得意とするところらしい。

 

「クロウは・・・・・・嘘が、下手だよね」

「俺もそう思うよ。それに、あいつは馬鹿だ」

 

もっと嘘が上手かったら。

もっと嫌な人間で、クラスから孤立していたら。

お人好し揃いの《Ⅶ組》でも受け入れ難いぐらい、どうしようもない男だったらよかったのに。

アンゼリカ先輩達からも嫌われる、ロクでもない男だったら、こんな思いをせずに済んだのに。

 

失ってしまった多くの中で、取り戻すことが叶わない物。

絶対に返っては来ない、掛け替えのない大切な時間。

どうしてそれが、残虐非道なテロリストと同列になる。

 

「だから俺は、あいつを取り戻してみせる」

「取り戻す?」

「ああ」

 

取り戻す。私はその言葉の真意を、図りかねていた。

リィンは3つ目のボルトに回しながら、自分に言い聞かせるように続けた。

 

「何年掛かってもいい。首根っこを掴んで、みんなの前に引き摺り出してやるまでさ」

「それ、何年じゃきかないと思うけど」

「何十年でも構わない。俺は絶対に・・・・・・絶対に、諦めたりしない」

 

やがて3つの支えを失ったフレームの一角が床を叩き、金属音が鳴り響いた。

リィンは額の汗を手の甲で拭いながら、視線を私に向けた。

 

「我ながら、呆れるぐらい甘いと思うよ。アヤも、そう思わないか?」

「・・・・・・あはは、そうかもね」

 

―――たとえ足を圧し折られても、立ち上がって見せる。

リィンの背後に、もう1人の男性。遠い地で抗い続ける、幼馴染の幻影が映った。

 

リィンが言ったように、甘いにも程がある。現実はそう簡単に応えてはくれない。

でも彼は、それを強さに変える。私達の中心には、いつだって彼がいた。

今は、彼について行けばいい。現実を見据えるのは、それからでも遅くはない。

 

「行こう、リィン。そろそろみんなも心配してる頃だろうしね」

「はは、そうだな。帰ったら、一緒に謝るとするか」

 

そう心に決め、私はリーシャがくれた髪留めで、後ろ髪を締め直した。

 

___________________________________

 

願いは通じた。

通気口は隣り合わせの連絡通路に繋っており、私達は貴賓区画を脱することができた。

それからが本番だった。周囲の巡回兵に気付かれることなく、甲板を目指す。

その手段を考え抜いた末―――私達は、正面からの突破を決断した。

勿論、馬鹿正直にではない。クロスベルで手に入れた、裏技があってこその手段だった。

 

(アヤ、大丈夫か?)

(話しかけないで。気が散る)

(わ、悪い)

 

ホロウスフィア。

アルバレア邸でも使用した、不完全な回避型オーバルアーツ。

周囲の風景に溶け込むとはいえ、未だ改良の余地が残されている未完成型。

それが今、リンクを介してランの霊力を借りることで、完成形を成しつつあった。

 

よくよく見れば、そこに『何か』があることは分かってしまうだろう。

それでも、遠目からなら十分に敵の目を欺くことができた。

ヴィータがこの艦を去ったことで、ランを縛る呪いも多少は緩みつつあるようだ。

 

(フフ、まるで流行りのスパイ小説みたいですね)

 

アルフィン殿下が小声で言うと、リィンの小さな笑い声が聞こえた。

小説のように上手く事が運べばいいのだが、一時の油断も許されない。

 

やがて通路は一本道になり、数アージュ先に扉が見えた。

道順は一区画挟んだ通路上にある階段を上り、右手に大きく開いた連絡通路を真っ直ぐ。

リィンの記憶が正しいなら、その先が甲板。この調子だと、あと10分程度の辛抱だ。

 

(よし、一気に駆け抜けよう。殿下、傍を離れないで下さい)

(はいっ)

 

私達はリィンの合図で足早に駆け出した。

すると突然、眼前の扉が開き、2人の兵士の姿が目に飛び込んできた。

 

「「っ!?」」

 

私達は声を潜め、足を止めた。

通路の両端にそれぞれ背中を合わせ、ランは私の足元に。

瞬時にして全身から冷や汗が吹き出し、胸の鼓動音が早まっていく。

気付かれないで。そう願いながら、私は目を閉じた。

 

「やれやれ。尋常ではない客人ばかりで、流石に緊張するな」

「だな。せめてアルフィン殿下に一目お目に掛かりたいんだが・・・・・・ん?」

 

うち1人の兵士の声が止まり、足音もそれに続いた。

恐る恐る瞼を開くと、視線が重なった。口から心臓が飛び出してしまいそうな感覚だった。

 

「おい、どうしたんだ?」

「いや・・・・・・え?何だ、これ」

 

首を傾げながら、兵士がゆっくりと近付いて来る。

私は視線を外し、リィンへ向けた。彼の影は、頷きで応えてくれた。

―――やるしかない。そう考えた直後、艦内にけたたましいサイレン音が鳴り響いた。

 

「な、何だ?」

 

続いて、兵士が腰元に携えていた通信機が鳴った。

2人の視線が通信機へ向いた瞬間、先手を取るために、私はアーツを解いた。

 

「あっ」

「えっ」

「「はあぁっ!!」」

 

リィンが抜刀を挟まず兵士の首筋を叩き、私が放った掌底がもう1人の顎を揺らした。

両者共々一撃で意識を飛ばされ、ずるずると力無く床へ崩れ落ちる。

我ながら見事な手際だったが、事態は急展開を迎えてしまった。

沈んだ兵士の腰からは、通信機を介して応答を求める声が漏れていた。

 

『繰り返す。アルフィン皇女殿下、及び幽閉していた学生2名が逃走した模様。繰り返す・・・・・・おい、聞こえてるのか?』

 

リィンが舌打ちをしながら、通信機の電源を切る。

時間の問題ではあったが、思っていた以上に早々と逃走がバレてしまっていた。

もうホロウスフィアは用を成さない。ぐずぐずしていたら他の兵士と鉢合わせてしまう。

 

『フム、前後から来るぞ』

 

ランの声に、ハッとした。

前方の扉の先、そして後方の通路から、複数の足音が耳に入って来る。

もう迷ってはいられない。秒単位の判断の遅れが、状況を左右する。

 

「リィン、殿下を連れて先に行って。後ろは私が見る」

「ま、待ってくれ。1人だけじゃ―――」

「いいから行って!すぐに追い付くからっ・・・・・・ラン、殿下を守ってあげて」

 

ランの顎下を撫で、長巻の鞘を払う。

いつだって私は《Ⅶ組》の先陣だった。殿を務めるのも、私の役目だ。

 

リィンは戸惑いの色を浮かべながらも、殿下の腕を引いて応えてくれた。

これでいい。殿下を無事に救い出すためには、私という戦力の居場所はここしかない。

 

私は元来た道を引き返し、扉を見据えながら通路上で剣を上段に構える。

扉がスライドしたのと同時に、一の舞『飛燕』の斬撃を放った。

先頭に立っていた兵士は、背後にいた2人を巻き込みながら、後方に倒れ込んだ。

3人を挟んで両脇にいた2人の兵士は、すぐさま小銃で反撃を始めた。

 

「っとと」

 

一度退いてから曲がり角に身を潜め、壁に刻まれていく弾痕を見詰める。

ヴァルカンの重ガトリング砲や教官のトリッキーな弾道に比べれば、大した事はない。

捌き切れる筈だ。そう思い飛び出すと―――予想だにしない存在が、目に入った。

 

「っ!?」

 

人形兵器だった。

二足歩行型の人形兵器が、その銃口を私に向けていた。

銃弾が飛来するよりも前に、私は再度身を翻し、一際鋭い銃声を聞いた。

 

(勘弁してよ、もう)

 

考えてみれば、この戦艦は貴族連合の旗艦。

結社の後ろ盾がある以上、人形兵器を配備していても不思議ではない。

だが通常時ならともかく、こんな狭い通路上ではこちらが不利だ。地の利は敵側にある。

 

私は一旦後方に退き、扉を挟んだ先にある別の区画まで移動した。

通路の中心部は吹き抜けに近い構造になっており、中央には太い鉄柱があった。

ここなら幾分はマシだ。私は鉄柱の背に身を隠し、敵陣の到来を待った。

あの一隊を相手取ってからでも、リィン達には十分追い付ける筈だ。

 

すぐに複数の足音と、人形兵器の駆動音が近付いて来る。

剣を握り待ち構えていると―――突然、兵士の物と思われる悲鳴が、扉越しに聞こえた。

 

(え?)

 

1人、また1人と、男性の呻き声や叫び声が、次々に扉の向こう側から響いてくる。

続けざまに、金属が拉げる重々しい音が耳に入り、小さな爆発音が鳴った。

 

訝しみ顔を覗かせると、扉が開いた。

2人の兵士が、床に腰を落とした状態のまま、後ずさりをしていた。

 

「ひぃっ・・・・・・!」

 

何かに脅えているのか、兵士は酷く動揺していた。

一体何が起きている。そう考えていると―――再び、扉がスライドした。

男が立っていた。その右拳からは、他者の物と思われる赤い液体が、ポタポタと滴っていた。

 

「た、助けてっ」

 

兵士の1人が取り乱しながら、私を見上げていた。腰が抜けているのだろう。

余程残虐な光景を目の当たりにしたに違いない。味方である筈の人間に、何て酷い真似を。

私は身体を震わせる兵士の頬をそっと触り、言い聞かせた。

 

「大丈夫。元来た道を戻って、ここに近付かないよう、あなたの仲間に伝えて」

「な、何を言って―――」

「大丈夫だから。ほら、行って」

 

私が微笑むと、兵士は多少の落ち着きを取り戻したようで、震える腰を上げた。

もう1人の兵士の腕を取り、逃げるように早足で部屋を去って行く。

残されたのは、私達2人。7年前に生まれた、奇妙な因縁が繋ぐ、2人だけ。

 

男は、何も言わなかった。

私も、何も言えなかった。

何かを聞きたいような、何も聞きたくないような。

 

やがて男は1本の煙草を取り出し、火を点け、深々と吸った。

辺り一面に紫煙を吐き出しながら、やはり口を閉ざしたままだった。

 

この期に及んで躊躇っている自分に、嫌気が差した。

私は苦笑混じりに、男へ聞いた。

 

「あんたは・・・・・・私のお父さんを、知ってるの?」

「ああ。よーく知ってるぜ」

「そう。今何処にいるの?」

「もういねえよ。くたばっちまったからな」

 

不思議と驚きは少なかった。

どうしてかは分からない。でも、心の何処かでそんな気がしていた。

男は一際深々と煙草を吸った後、頭上に紫煙を吐き出して言った。

 

「俺が殺した」

 

涙の代わりに、溜め息が出た。

普通泣くか、怒り狂う場面だろうに。

唐突過ぎるせいなのか、現実味が無いからか。

 

「それ、いつの話?」

「7年前だ。手前と会う、ひと月ぐらい前じゃねえか」

「・・・・・・そっか」

 

なら、丁度お母さんと同じ時期だ。

この男の言葉を信じるなら。与り知らないところで、私はもう1人のお父さんを失っていた。

7年前、大切な全てを奪われたと思い込んでいた。まだ、足りていなかったらしい。

 

本当に、何故なのだろう。

私という人生は、どうしてこうも波乱に満ちている。

誰も答えを与えてはくれないし―――今となっては、『どうでもいい』。

 

「クク、何て顔してんだよ。親の仇が眼前にいるんだぜ」

 

自分でも驚くぐらいに、心が澄み切っていた。

恨み辛みが無いわけではない。それでも今は、真実を知り得た喜びを噛み締めたい。

視点を変えるだけで、私を取り巻く世界は変わる。変えることができる。

 

(ありがとう・・・・・・エリゼちゃん)

 

この男との邂逅が、12年で終わっていた筈の人生を変えてくれた。

5人の両親に恵まれた人間が、私以外に存在するだろうか。

少女が想い憧れると言うのだから、私は薄倖ではないのだろう。

 

―――いきなさい。

 

今わの際に、お母さんが残した最期の言葉。

行きなさいなのか、生きなさいなのか。

後者と信じた、たったそれだけの事が、私に繋がった。

気紛れで名付けたアヤという人生は、あれから始まった。

 

あの言葉に、もう1人の意志が込められているとするなら。

名も知らぬ男性が、私を愛してくれていたとするのなら。

与えられた人生を、私は嬉々として生きていく―――ただ、それだけのことだ。

 

「・・・・・・うん、成程ね」

「あ?」

 

頭上を仰いで独白していると、唐突に理解した。

私に受け継がれた物の本質と、その正体。私は、勘違いをしていたようだ。

 

だから私は、お母さんの剣を置いた。

アンゼリカ先輩の手甲と、鉢がねを外した。

ブーツを脱ぎ、リーシャの髪留めを緩め、後ろ髪を解いた。

上着も脱いだ。胸部に巻いた布地だけでは、肌寒さを感じた。

 

視線をちらりと外した男の態度に、思わず笑ってしまった。

 

「一応、聞いておくけどさ。このまま見逃してって言ったらどうするの」

「できねえ相談だ。それに手前は、見てるだけで苛ついてくる」

「それ、私が誰かに似てるから?マクバーンが言ってたよ」

「クク、どうだろうな」

 

男は煙草を床に捨て、ゆっくりと歩を進め始める。

やがて私の眼前で立ち止まり、サングラス越しに私を見下ろした。

 

あの時と同じだった。

遠くを見るような目付きで私を見た後、その右拳が、私を襲った。

私は両手で包み込むように、しっかりと受け止めた。

打拳の衝撃は私の身体を貫通し―――背後の鉄柱が、音を立てて曲がった。

 

「っ!?」

 

静と動に、男と女。マクバーンが言っていた通りだ。

お母さんが授けてくれた剣技は、先の先を取る『動』の技。

でもこの力は違う。後の先を行く『静』の技だ。

 

通りで身体が壊れてしまうわけだ。相反する気質は、1つにはなり得ない。

鋼が流動性を持たないように、水が鋼を穿つことが敵わないように。

お母さんが―――お父さんと、離れてしまったように。

 

いずれかを選び取るのは、気が引けた。

なら私の手で、1つにしてしまえばいい。だが今の私には無理だ。

後々の課題にしておこう。今この瞬間だけ、私は水になる。

 

「7年前・・・・・・来てくれてありがとう。あんたがいなかったら、私は殺されてたんだと思う」

 

刀身にしか宿らなかった、絢爛の輝き。

全身から光が溢れ、揮うべき力が漲っていく。

苦痛の欠片も無い、何の代償も必要としない、私だけの色。

 

「でも許さない。身食らう蛇も、あんたもっ・・・・・・私はこれからみんなの所へ戻るの、邪魔をしないでっ!!」

 

私が放った寸勁は、ヴァルターの腹部を貫いた。

後方に吹き飛ばされた体躯が背中から壁を叩き、衝撃が音へと変わる。

導力車のタイヤを殴ったような感覚だった。

 

「・・・・・クックック」

 

よろめき項垂れていたヴァルターは不敵に笑い、顔を上げた。

表現し難い表情だった。全ての感情を狂気に変え、闘争に身を捧げる。

何が彼をそうさせているのか。私には理解できなかった。

 

___________________________________

 

打拳に蹴撃。抜き手、手刀。膝と肘。

技が入れば1を数え、技を食らえば1を引く。

先の先を取られ、後の先を取る繰り返し。

何度も何度も、幾層にも重ねられる痛みと疲労。

 

「がぁああぁっ!!」

「せぃあぁっ!!」

 

お互いの上段蹴りが頭部を襲い、耳鳴りが走る。

弾かれたようにお互いの身体が吹き飛び、脳が揺れた。

気付いた時には、膝が折れていた。前方を見やると、ヴァルターも同じだった。

 

「はぁ、っはぁ・・・・・・げほっ」

 

口内に溜まった血と唾を吐き出し、口を拭った。

周囲の壁や柱は、見るも無残な姿へと変わっていた。

鉄柱は今にも崩れ落ちそうな程にひん曲がり、耳障りな音を立てて歪んでいた。

 

足しては引いてを繰り返した結果、ゼロに戻っていた。

数で見るなら、互角と言えるのかもしれない。事実、ヴァルターも疲弊していた。

ただ―――手を合わせ始めてから、ずっと違和感を抱いていた。

 

「わ、訳分かんない・・・・・・何がしたいの?」

 

私は痛みを堪えながら、ゆっくりと両の足で身体を支え、顔を上げた。

既にヴァルターは立ち上がっていた。肩で息をしてはいるが、見るからに平然としていた。

 

ヴァルターは再びシガーケースを取り出し、煙草を咥え、火を点ける。

私の問いに答えようともせず、味わうように紫煙を吐き散らしていた。

 

互角の戦いなら、隙を見て逃げ出すことはできた。

そうしなかったのは、できなかったから。

見ての通りだ。この男は―――始めから、手を抜いていた。

 

「・・・・・・クソが。手前、いい女だな。苛つくったらありゃしねえ」

「あはは、それはどうも」

「笑っていられんのも今のうちだぜ。気が変わった。一応聞いといてやるが・・・・・・覚悟はできてんだろうな」

 

ヴァルターが捨てた筈の感情。感情があった。

私に何を想っているのかは定かでないが、その感情が、何かを塞き止めていた。

 

今、それが消えた。

唯々純粋な欲求と狂気しか、ヴァルターからは感じ取れない。

おそらくこれが、本来の彼。執行者№Ⅷ『痩せ狼』の本性と、本分。

 

「手前が悪いんだぜ。クソッタレが」

 

ヴァルターが呟いた途端、その体躯が巨大化したかのような錯覚を抱いた。

目が眩む程の威圧感と殺気。瞬時にして間合いが広がり、私を飲み込んだ。

目を瞬いた間に、5アージュ以上あった筈の距離が、小数点以下に変わっていた。

 

「え―――」

 

人中、水月、伏兎、光利。

捌き切れない連撃が、全身の急所を的確に打ち、突いてくる。

理合いに裏打ちされた狂気が、四方八方から私を蝕み始めていた。

 

「あぐっ!?」

 

おびただしい連撃のうち1つが、私の左肩を打った。

不気味で乾いた音が聞こえた。やがて到来した痛みで、肩が外れた音だと分かった。

まるで相手にならなかった。これ程の差がありながら、気付かなかったのか。

唇を噛み、痛みを堪えながら、脳裏には『死』が過ぎっていた。

 

ヴァルターは手を止めなかった。

肩が外れた左側部を、再び無慈悲な連打が襲った。

 

最低限の急所を抑えようにも、腕が動かない。

動け。そう言い聞かせていると、手刀の型を取ったヴァルターの右手が、眼前にあった。

直後、左眼へ鈍い痛みが走った。またもや、気味の悪い音が聞こえた。

 

(あ―――)

 

突然の出来事だった。

世界が、半分消えた。真っ暗になっていた。

半分の光が消失し―――何処かへ、行ってしまった。

 

「・・・う・・・ぁっ・・・・・・」

 

もう、身体がピクリとも動かなかった。

私は壁に背を預け、座りながら微動だにできずにいた。

光と同じくして、意識も消え掛かっていた。

 

やがてヴァルターは片手で私の首を掴み、身体を持ち上げた。

呼吸が止まり、抗おうにも、一片の力も湧いてこない。

飛び掛かっていた意識が、急速に頭の外へと追い出されていく。

 

ここで、終わりなのか。

終わってしまうのだろうか。

まだやる事が、沢山残っているのに。

帰らなきゃ、いけないのに。

 

―――俺の死に場所を、奪ってくれるなや。

 

朦朧とする意識の中で、別の男性の声が聞こえた。

視界の端に、4本の足が見えた。ヴァルターの他にもう1人、いる。

誰の物だろう。思い至る前に、私は深い闇の中へ落ちて行った。

 

_____________________________________

 

左頬に、温度を感じた。

暖かい。全身を襲う痛みの中にある、僅かな癒し。

 

「ん・・・・・・」

 

ゆっくりと瞼を開くと、世界は変わらずに半分しか無かった。

どうでもいいと思えた。私はまだ、ここにいる。まだ生きている。

両親との約束を―――果たすことができる。

 

「ラン・・・・・・来て、くれたんだ」

 

左眼部から流れ出る液体を、ランは懸命に舐め取ってくれていた。

いつもいつも、出会ってからはいつだってそう。ランは無言で、私を支えてくれる。

ランがここにいるということは、リィン達は無事に甲板へ辿り着けたのだろうか。

こうしてはいられない。私も、みんなの所に帰る。そのために戦ったんだ。

 

ランが傷を癒してくれていたおかげか、僅かに体力が戻っていた。

私は呻き声を上げながら立ち上がり、床に横たわっていた剣を拾った。

それ以外の装備は、拾い上げる力が残っていなかった。

 

「ラン、持てる?」

 

ランは神狼の姿を取り、大きな口で装備品を咥えてくれた。

神狼の割には、随分と体高が低かった。魔女の呪いが残っているせいかもしれない。

だが今は好都合だ。これなら一緒に歩くことができる。

 

私は通路を進み、階段を上り始めた。

道中、何度も転び、左肩へ激痛が走った。

左足を踏み外し続けたせいか、左膝も繰り返し打ってしまっていた。

 

「あはは・・・・・・大丈夫。自分で、歩く、から」

 

ランは転倒する度に、私の前に座り、背に乗るよう促してきた。

私はそれを拒んでいた。自分の足で、歩きたかった。

転んだら起き上がればいい。至極当然の事だ。

 

階段を上り切った所で、一度吐いた。

どうにも気分が優れない。光が半分というのは、中々に堪える。

 

甲板へ繋がる開けた通路に入ると、数人の兵士がいた。

兵士達は困惑しながらも、私を通してくれた。

ランが睨みを利かせてくれているおかげだろう。余計な邪魔は入らないようだ。

 

一歩ずつ、一歩ずつ。

赤と透明の液体で左頬を染めながら、私は歩を進めた。

知らぬ間に、右眼からも止めどなく、何かが溢れていた。

 

「私は・・・・・・私、は」

 

誰が何と言おうとも。

この世界が、不条理に満ちていても。

至宝が嘆き、自ら身を滅ぼす程に薄汚れたこの世界は、変えることができる。

 

信じればいい。

幸せだと思えばいい。

前を向いていればいい。

見える世界が半分なら、左を向けばいい。

 

「アヤっ!?」

「あはは・・・・・・ほら」

 

そうすれば、ほら。

私が行く先は、光に溢れている。

大切な男性と、大切な仲間達が、光の方角から私を迎えに来てくれる。

 

想い願えば、私を取り巻く世界は表情を変える。

こんな風に、キラキラと。そうだよね、お母さん―――お父さん。

 

 


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