絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月13日 変わらない世界

12月13日、午前11時50分。

 

窓際に蹲りながら、ランの尾を指で弄り、刻々と空白の時が過ぎ去って行く。

何かを考えるわけでもなく、思い返すわけでもなく。

髪を弄り爪を噛み、ランの体毛を指でなぞる、空っぽの時間。

 

「・・・・・・ごめんね、ラン」

 

身に覚えのない謝罪に対し、ランは尾で私の頬をくすぐった。

 

慰めの言葉を期待しながら塞ぎ込み、待ち続ける。

これでは唯の子供だ。欲しているのなら、求めれば済む話だろうに。

我ながら狡いと思える分、まだ救いがあるのかもしれない。

途方も無い情けなさが深い溜め息へと変わり、苦笑してしまった。

 

『以前、おぬしの夢を見たことがある』

「私の?」

 

待ち望んでいた言葉は、予想していたどれにも当て嵌まらなかった。

ランには感情がある。が、表情は無い。それでも今は、笑っているように感じられた。

 

ランが見た夢は、私がまだ年端も行かない少女だった頃の記憶。

あの頃はいつも泥塗れになりながら、3人の仲間達と共に、街中を駆け回っていた。

ロイドとウェンディ、オスカー。4人で些細な悪事を沢山働いた。

その度にお母さんが私を叱り、お父さんが宥める。繰り返しの、繰り返し。

 

『2つの深い愛情を感じた。おぬしの人となりが、理解できる程にな』

「うん・・・・・・家族仲は、良かった方だと思うよ」

 

いつしかそれは、お母さんだけの役目に変わった。

お父さんの『星の在り処』は消え、お母さんの『空を見上げて』だけが子守唄になった。

あの頃からウェンディのアパートへ通い、フェイさんに甘える事が多くなった。

お父さんの幻影を追い、大いに困らせた。赤面物の思い出だ。

 

「怒られた事なんて、ほとんど無かったかな。それが普通だと思ってた」

 

A級遊撃士に上り詰め、ラン・シャンファの名を協会に轟かせる。お母さんの夢だった。

たったそれだけの理由で、お父さんはキャロラインの姓を捨てた。

優しい人だった。優しすぎた、と言った方がしっくりくる。

 

(両親譲りの・・・・・・力、か)

 

右手に力を込め、拳を固く握り締める。

サラ教官曰く、気の練り方だけなら学年一。リィンやラウラでも届き得ない。

それすらもが不完全な代物らしい。ヴァルターが私に求める力は、もっと先。

 

もしこれが、本当に先天的な物だとするなら。

両親譲りの宝物だと言うのなら。お父さんが―――何処にも、いない。

 

「・・・・・・ランは、千年以上前から生き続けてるんだよね」

『そうなるな』

「疲れたり、しないの?」

『些少は覚えがある。おぬしの想いも、理解はできる』

 

私の漠然とした問いに、ランは変わらず淡々と答えてくれた。

いつからだろう。ランは私と一緒にいる時に限り、口数が多くなった。

今も気を遣っているのかもしれない。何気ない会話が、憂さを忘れさせてくれる。

 

「私も昨晩、ランの夢を見たんだ。とっても綺麗な女性がいた」

『フム・・・・・・おそらくは、中世の頃の記憶であろう』

「ううん、違うよ。ウルスラさんじゃない。多分、千と二百年ぐらい前だと思う」

 

千と二百年前。

そう口に出した瞬間、ランの表情に明らかな感情が浮かんだ。

それから暫くの間、私とランは口を閉ざしたままだった。

 

半分以上が当てずっぽうだったが、間違いではないらしい。

ランは今、遠い過去の記憶に縛られ、苛まれている。

あの瞬間、ランが何を想ったのか。それは昨夜の夢が教えてくれた。

『至宝の消滅』は、別れの時。見守るべき存在の消失に他ならない。

 

確信は無かったし、伏せておくべきだと考えていた。でも結局私は、触れてしまった。

繋がりが欲しかったのだろう。そうすることで、私自身が楽になりたかった。

何かを共有しさえすれば、痛みが減る。酷く身勝手な想いが起因していた。

自覚している分、尚更質が悪い。こんな形で切り出さなくてもいいだろうに。

 

再度謝ろうと口を開き掛けたところで、ランが被せるように言った。

 

『フフ、構わぬ。私も悪い気はしない』

「ラン・・・・・・」

『いずれおぬしも、知る刻が来る。私がおぬしの傍らに在り、零の巫女が干渉した理由もな』

「あはは。よく分かんないよ」

『今はそれでよい』

 

言いながら、再びランの尾が私の頬に触れた。

ランの意味深な言動は、いつも理解に及ばない。それでも今は、暖かいと思える。

最近はこんなやり取りも増えつつある。少し甘えすぎているのかもしれない。

 

ガチャリ。

 

ランの頭を撫でていると、突然部屋の扉が開かれた。

その先に立っていた男性は、扉をコンコンとノックしながら、不敵に笑っていた。

頭の中で指を折りながら数える。8月末の実習以来、4ヶ月振りだった。

 

「・・・・・・普通、ノックが先でしょ。女性の部屋を勝手に開けないで」

「そう言うなよ。おら、昼飯を持って来てやったぜ。朝飯も食ってねえんだろ」

 

帝国解放戦線、幹部『V』―――ヴァルカン。

 

ヴァルカンの手には、木製のランチボックスが2つ、握られていた。

彼が言ったように、朝方は紅茶しか飲んでいなかった。

寝不足で体調が悪かったこともあり、何も喉を通る気がしなかった。

 

「俺も飯はまだでな。野暮用もあるし、邪魔するぜ」

「まだ食べるって言ってない。入らないで」

「毒は入ってねえよ。それに、こいつは『C』のお手製だ。有難く頂戴しようや」

「・・・・・・クロウの?」

 

私が聞き返すと、ヴァルカンは頷きながら椅子へ座り、ランチボックスを開けた。

ハンバーガー、だろうか。それにしては、外見と匂いがちぐはぐのように思える。

喉を鳴らしたくなるのを堪え、私は努めて平坦な声で言った。

 

「はぁ・・・・・・食べればいいんでしょ」

「そういうこった。そこの犬っころは何を食うんだ?言ってくれりゃあ用意してやるよ」

「いい。ランは何でも食べるから」

 

溜め息を付きながら、私はヴァルカンの対面に腰を下ろした。

テーブルの上にはハンバーガーの他に、オニオンリングやフライドポテトが並んでいた。

少々重い献立ではあったが、今後の事を考えれば少しでも腹に入れておいた方がいい。

 

私は手渡されたアイスティーを受け取り、一口啜ってからヴァルカンに聞いた。

 

「それで、野暮用って何。一緒にお昼を食べに来たわけじゃないんでしょ」

「ま、そうだけどよ。この際だ、お前も色々聞いときたい事があるんじゃねえのか」

「・・・・・・あるにはあるけど」

 

私は単刀直入に、帝国解放戦線というテロリスト集団の現状を問い質した。

現時点で残存しているメンバーは、幹部3名を含め合計で10名足らず。

皇族の誘拐に、列車砲の強奪。オルキスタワーの襲撃。

あれ程の大事件を引き起こしたテロ集団が、今やたったの10名。

原因は勿論、宰相閣下の死。最終目標が達されたことに起因していた。

 

「俺達の背景は色々あったが、共通点は鉄血の野郎を憎んでいた事だからな。Cが鉄血を片付けた以上、抜けるのも無理はねえだろ」

「でもあんたは、今も貴族連合にっ・・・・・・?」

 

不意に、ヴァルカンの左手に目が止まり、違和感を抱いた。

見間違いかと思い、口の中身を飲み込んでから、再度凝視した。

 

「っ!?」

 

その正体に気付くやいなや、背筋が凍った。

思わず手の力が緩んでしまい、ハンバーガーが絨毯を汚しながら床へと転がった。

 

「おいおい、何してんだよ。勿体無えな」

「そ、その手」

 

ハッキリと覚えている。ガレリア要塞で、ヴァルカンと対峙した時の事だ。

私の頭を鷲掴みにしていた、左手。渾身の力を込めて圧し折った、左の人差し指。

その指が―――無い。どう数えても、4本の指しか見受けられなかった。

 

私の視線に気付いたヴァルカンは、鼻で笑いながら左手を掲げた。

 

「変形治癒、だったか。ひん曲がった状態で骨がくっ付いちまってな。邪魔臭えから、自分で切り落としたんだ。気にすんなや」

 

言葉を失った。

あの時は、ああする他無かった。数秒でも遅かったら、列車砲は止まらなかった。

自分自身で指を捨てたと言われても、私が奪ったも同然だ。

 

この男の罪は重い。数え切れない人間をその手に掛けてきた極悪党だ。

罪を憎むことはできる。だが直接手を下していい道理が無い。

 

「クク、何て顔してんだよ。あの時も戦場のど真ん中で、色々と喚いていやがったな」

「・・・・・・私、何を言ったの?」

「あん?」

 

今度はヴァルカンが呆け顔で、私を見詰める番だった。

そんな顔をされても、記憶が曖昧なのだから仕方ない。

極・月光翼の反動で極限状態まで追い込まれていたし、列車砲の発射が目前に迫っていたのだ。

無我夢中で想うがままに叫んでいた記憶はあるが、その内容までは思い出せない。

 

「覚えてねえのかよ。面白くねえ」

「そう言われても、私の方が気になるよ」

「まあいい。おら、これも食っちまいな」

「へ?」

 

床に転がったハンバーガーを拾っていると、ヴァルカンがランチボックスを差し出してくる。

中にはまだ手を付けていない、ヴァルカンの分のハンバーガーが入っていた。

思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。正直に言って、気味が悪かった。

 

「昔っから女と子供には甘え性分でな。団長やってた頃も『贔屓すんじゃねえ』って、野郎共から散々文句を言われたもんだ」

「・・・・・・ちなみに私は、どっちに見られてるの?」

「クク、そうだな。ギリギリ女じゃねえのか」

 

私は素直にハンバーガーを受け取り、大口で頬張った。

実際に物足りなさは感じていた。ソースの酸味が、失せていた筈の食欲を掻き立ててくれた。

クロウのお手製、と言っていたか。彼は今何処で何をしているのだろう。

 

アイスティーで口の中身を流し込んでいると、ヴァルカンが立ち上がり、扉へと向いた。

 

「そいつを食ったら、部屋を出な」

「え、何?」

「用があるって言っただろうが・・・・・・お前に会わせてえ奴がいる。先に外で待ってるぜ」

 

ヴァルカンはポテトを一つ摘まむと、それを口に入れながら部屋を後にした。

皆目見当が付かなかった。艦内にいる人間は限られている筈だし、まるで心当たりがない。

一体誰の事を指しているのか。考え込みながら、私は空腹を満たしていた。

 

_______________________________

 

ヴァルカンに連れられて向かった先は、貴賓区画の2階下。

通路の左右には扉が並んでおり、それぞれに番号が振られていた。

いくつかの部屋からは、人の気配が感じられた。寝室の類なのだろう。

貴賓区画よりは見劣りするが、それでも上等なホテルの通路を歩いている気分だった。

 

「ねえ、何処に行くの?そろそろ教えてよ」

「もうすぐだ。そう焦るなよ」

 

私が聞いても、ヴァルカンは勿体振って話を逸らすばかり。

会わせたい人間が私の知り合いなのか、それさえもが分からず仕舞いだった。

 

「到着だ」

 

やがて辿り着いた先は、通路の奥手にある扉の前。

ヴァルカンは軽くノックをしてから鍵の束を取り出し、うち1つを鍵穴に差し込み開錠した。

スライド式の扉が左へと開かれ、ヴァルカンは顎で中に入るよう合図を送ってくる。

 

部屋の広さは、私に充てられたそれの半分程度。

ゆっくりと室内へ足を踏み入れると、右奥に置かれたベッドの上。

全く予想だにしない人物がベッドに座りながら、強張った表情でこちらを向いていた。

 

「・・・・・・姉、様?」

「え、エリゼちゃん!?」

 

エリゼ・シュバルツァー。

同男爵家の長女であり、リィンにとって唯一の存在。

一時から私を姉様と呼び、慕ってくれる少女が、ベッドの上に座っていた。

 

「エリゼちゃん、どうして・・・・・・な、何でここにいるの?」

「姉様っ・・・・・・アヤ姉様!」

「わわっ」

 

エリゼちゃんは瞳を潤ませながら、私の腰元へ飛び込んで来る。

間違いなく彼女だ。信じられないといった表情で、私を見上げていた。

私も同じ色を浮かべている筈だ。こんな場所で再会できるだなんて、思ってもいなかった。

 

「小僧への切り札だったんだろうよ。使わずに済んじまったがな」

 

エリゼちゃんが乗艦している経緯は、ヴァルカンが掻い摘んで話してくれた。

彼が言ったように、エリゼちゃんはリィンに対する奥の手。

乗艦を拒まれた際、リィンを釣る餌として利用するつもりだったそうだ。

 

ともあれ、結局リィンは自らの意志で艦内に乗り込んだ。

目的を果たせた今となっては、エリゼちゃんがこの場にいる事実は返って逆効果。

リィンを刺激しないためにも、気付かれないうちに万全を期して艦から降ろす必要がある。

 

「輸送艦が発つまで、あと30分はある。それまでの間、好きにしな」

「ヴァルカン・・・・・・その、どうして?」

「言っただろ。戦場の外にいる時は、女子供に甘え男なんだよ。損な性分だぜ」

 

ヴァルカンは笑いながら扉を閉めると、ガチャリと施錠の音が聞こえた。

扉の内側には鍵穴や内鍵が無く、外側からしか開錠できないようだ。

閉じ込められたも同然の状況ではあるが、今は彼を信用していいのかもしれない。

 

私は確かめるようにエリゼちゃんの小柄な体躯を抱き、そっと黒髪を撫でた。

 

「さてと。エリゼちゃん、怪我とかは無い?」

「はい。少々寝不足気味ですが、身体は健康そのものです」

「あはは。私も同じかな」

 

目に見えて疲労は感じられたが、髪は相変わらず柔らかく、身なりも整っていた。

普段通りの彼女だった。ずっと身を案じていたが、無事でいてくれて何よりだ。

 

再会の喜びを分かち合いたいところではあるが、許された時間はたったの30分。

今は僅かでも無駄にはできない。私達はベッドに座り、お互いが直面してきた事情を交換した。

 

エリゼちゃんを安心させるためにも、まずは聞き役に徹して貰った。

ユミルの状況とテオさんの容体。《Ⅶ組》の再集結に、昨日の出来事。

テオさんが順調に回復しつつある点については、とりわけ目を輝かせていた。

 

「そうでしたか・・・・・・では、兄様もこの戦艦に乗っているのですね」

「うん。何とか会わせてあげたいけど・・・・・・ごめんね。ちょっと難しいかも」

「気になさらないで下さい。こうして姉様に会えただけでも、夢のように嬉しいです」

 

そう言って貰えると、こちらも大分気が楽になる。

虚勢を張っていることは分かっていたが、今は大分落ち着いてくれているようだ。

 

(あと20分、か)

 

まだ時間はある。可能な限りの事を把握しておきたい。

ここでエリゼちゃんと出会えた事は、こちらとしても大きな収穫に繋がる筈だ。

 

「それで、エリゼちゃんは今まで何処にいたの?ずっとこの戦艦に乗ってたってわけじゃないんだよね?」

「それは・・・・・・」

 

私が問うと、エリゼちゃんは表情を曇らせながら、視線を外した。

その先には、出入り口。エリゼちゃんは閉ざされた扉を見詰めながら、言葉を詰まらせていた。

 

「・・・・・・成程ね。そう上手くはいかないか」

 

『保護』という名目で捕らわれの身でいるのは、エリゼちゃんだけではない。

皇族の方々に、レーグニッツ知事を始めとした革新派の主要人物。

身分や立場、重要性から考えても、エリゼちゃんが同じ場所に幽閉されていた可能性が高い。

 

居場所だけでも知れたらと考えていたが、先回りをして口を封じられているようだ。

話したら最後、何者かの命は無い、といったところだろうか。想像するに容易かった。

こんな状況だ。空に浮かぶ監獄の中では、私達は後手に回らざるを得ない。

 

「無理に話さなくてもいいよ。怖いおじさんが見張ってるしね」

「すみません・・・・・・力になれず」

「謝らなくてもいいってば」

 

筆談という手段も残されてはいるが、得策とは思えない。

何処に監視の目があるのか分からない上に、下手をすればエリゼちゃんの身に返って来る。

時間にはまだ余裕があるが、今は彼女の事を優先すべきだ。

 

「じゃあ、何を話そっか。聞きたい事があったら、何でも聞いてよ」

「それでしたら、姉様の話を聞かせて下さい。何があったのですか?」

「・・・・・・ごめん、何の事?」

 

―――どうして、そんな悲しげな顔をされているのですか。

 

エリゼちゃんは真っ直ぐに、私の目を見詰めながら言った。

思わず顔を背け、頭上を仰ぎ、1つだけ深呼吸を置いた。

一体何の事を言っているのか。そう口にしようとしたところで、無駄だと分かった。

表情や仕草に出ていたわけではないのだろう。勘が鋭い女の子だ。

 

「えーと、その・・・・・・ああもう。よっこらせっと」

「え、え、あのっ」

 

ブーツを脱いでベッドに上がり、背中を壁に預けながら座る。

エリゼちゃんの身体を後ろ向きに抱き寄せ、両足の間に置き、背後から包むように。

お互いの表情は分からないが、体温は伝わってくるし、何より深い安堵を覚えた。

 

「ふう。これ、あの時と一緒だね」

「・・・・・・フフ、そうですね」

 

状況も姿勢も、何もかもが7月末の再現だった。

帝都地下に生き埋めになった際、エリゼちゃんと語り合ったあの時間。

絶望の中にあった静寂と、僅かな希望。違いがあるとするなら、それは私自身の中にある。

 

「先に言っておくけどさ。姉様って呼ばれる程、私は立派な人間じゃないよ。そんな資格なんて、私には無いんだと思う」

「面白いことを仰いますね。私にとって、姉様は姉様です」

「・・・・・・そっか」

 

20分後も、エリゼちゃんは私を姉様と呼び、慕ってくれるだろうか。

そう感じながらも、私は一連の出来事を話し聞かせることにした。

そうでもしなければ、私の心は壊れてしまいそうな程に、弱り切っていた。

 

「私のお父さん、お父さんじゃなかったのかもしれないんだ」

「・・・っ・・・・・・続けて下さい」

 

可能性を探しては否定し、泥沼に足を取られる。その繰り返しだった。

思考が堂々巡りに陥り、出口の無い迷路で路頭に迷ってしまっていた。

たった30分足らずの出来事が、私の過去を掻き乱し、書き換えていく。

 

このまま俯いているつもりはない。私は再び立ち上がり、前に進む。その意志はある。

半人前ながらも、私は今までずっとそうしてきた。

誰かに支えられ、励まされて、何度も壁を乗り越えてきた。

 

「怖い、のかな。上手く言えないけどさ。多分、怖いんだと思う」

 

でも私はあと何回、徒に振り回されることになるのだろう。

今度は何に翻弄され、裏切られ、こんな思いをする羽目になるのだろう。

何故私という人生は、こうも理不尽と不条理に、満ちているのだろう。

 

私は聖人じゃない。聖女でもない。人の心は有限だ。

だというのに、どうしていつもいつも―――私は、こうなんだ。

 

答えが無いことは理解している。それでも今は、誰かにぶつけたかった。

4歳も年下の少女へ縋り付きたくなる程に混乱し、言い知れない恐怖に脅えていた。

 

「あはは・・・・・・ごめんね、変な話を聞かせちゃって。こんなの、卑怯だよね」

 

取り留めのない私の話に、エリゼちゃんは身を固めながら耳を傾けていた。

顔が見えない分、表情は窺えない。返答に困っているのか、それとも呆れているのか。

 

残された時間に構うことなく、私達はお互いに沈黙を続けた。

迎賓区画と違い、僅かな導力式の駆動音だけが耳に入って来る。

やがてエリゼちゃんを抱く私の腕に、そっと彼女の手が触れ、沈黙は破られた。

 

「私は・・・・・・とある女性のおかげで、ここにいます。尊敬に値するお方です」

「へえ。どんな人?」

「私を帝都地下から救い出して下さった女性ですよ。姉様もよくご存じの筈では?」

「・・・・・・うん。よく知ってる」

 

知ってはいるが、尊敬に値するかどうかは甚だ疑問だ。

名前を伏せてくれたのには、理由があるのだろう。その気遣いが大変に有難かった。

 

「素敵な女性でした。強くて、私に無い物を沢山持っていて・・・・・・私を諭して下さったあの日から、私はその女性のように、強くあろうと努めてきたんです」

「耳が痛いよ・・・・・・」

 

一体誰の事を指して言っているのか、本気で分からなくなってくる。

回り回って我が身に返ってくるとは、正にこのような事を言うのだろう。

 

後悔や未練、どうにもならない全てを受け止め、目の前の現実と幸せを見据える。

そう説いた張本人が、下を向いて今にも現実から逃げ出そうとしている。

滑稽で仕方ない。穴があったら入りたい気分だった。

 

「頭では理解していても、やはり難しい物なのですね。どうやっても私は、女性の教えに倣うことができませんでした。兄様から・・・・・・離れることが、できませんでした」

 

エリゼちゃんが秘める想いについては、私は勿論の事、皆の知るところでもある。

周囲の人間で気付いていないのは、想い先であるリィンぐらいだろう。

 

義妹として、リィンを見てきた1人の女性として。

両者の間で揺れ動き、前者を拒絶しそうになるのを堪え、行ったり来たりを繰り返す。

リィンが私達と共に笑い合う瞬間を、心から嬉しく想う反面―――嫉妬や寂しさに、苛まれる。

 

「ですが今し方、その女性は私と同じように思い悩み、弱っている事実を知りました。少々、おかしな話です。姉様はどうしてだと思いますか?」

「簡単だよ。その人は強くない。本当は弱い人間なんじゃないかな」

「フフ、そうかもしれません。私は少し、誤解していたみたいです」

 

荒れ果てた心に、更なる重苦しさを感じた。

縋り付き抱き留めるように、エリゼちゃんを抱いていた両腕へ力が入る。

彼女は息を詰まらせながらも、私の手を優しく握りながら、言った。

 

「たとえ弱い人間であっても、強く正しくあろうとする意志は、誰よりも強くて気高い・・・・・・それが、その女性の魅力なのだと思います」

「え・・・・・・」

「漸く理解できました。私が追い求める背中も、歩もうと決めた道が、誤りではないことも。私は胸を張って、また前に進むことができます」

 

エリゼちゃんは私に預けていた身体を起こし、振り返る。

敬慕の色を顔一杯に輝かせながら、多少の勢いを付けて、肩を抱かれた。

 

困惑する私を余所に、エリゼちゃんは私の胸元に顔を埋め始める。

視線を合わせようとしない彼女の優しさが、身体中から溢れ出ていた。

 

「顔を上げて下さい、アヤ姉様。たとえ過去がどうであろうと、この先何が待ち構えていようとも、姉様はきっと大丈夫です。私が想い憧れる姉様は、姉様ですから」

「あはは。ねえ、それ本当に私?」

「勿論、姉様お一人だけの話ではありません。私に説いて下さった教えを、あの瞬間姉様が何を思っていたのかを、今一度ご自身で思い返して下さい・・・・・・姉様は、独りでしたか?」

 

少女に背中を押され、励まされて。返す言葉が見つからない。

下らない自尊心がそうさせているのか、不思議と涙も出ない。

 

ただ、世界が変わった。

陽の光が当たる角度が真逆になったかのように、目に見える風景の色が違った。

この部屋は、こんなにも広かっただろうか。

目の前の少女は、こんなにも大きかっただろうか。

私の手は、こうも小さかっただろうか―――多分、見間違えていたのだろう。

 

「疲れるなぁ・・・・・・本当に」

「え?」

「ううん、何でもないよ」

 

背を壁から離し、エリゼちゃんを抱いたままベッド上へ寝そべる。

目に入るのは、無機質な金属製の天井と照明。面白味の欠片も無い。

だが視線の遥か先には、雲の上に広がる深青の世界。思い描くだけで、心が躍った。

 

「・・・・・・姉様?」

 

隣には、きょとんとした表情を浮かべる少女。大変に愛おしい少女がいた。

彼女は彼女のままでいい。私は笑みを浮かべながら、そっと彼女の頭を抱いた。

とても穏やかな心境だった。荒れていた筈の胸に、波紋一つ立っていない。

 

「エリゼちゃん、少し寝よっか」

「ね、眠る、ですか?」

「うん。駄目?」

「・・・・・・フフ。姉様に、お任せします」

 

お互いが抱える物に答えは無く、先に待ち構えるは無慈悲な現実と痛み。

私達を取り巻く世界は、変わらずに理不尽で不条理だ。嘆いても、やはりその答えは無い。

でもそれは、きっと私達次第。少しだけ視点を変えれば、世界は姿を変える。

 

変わらない物もある。

私が誰で、何処から来たのか。切れ端に過ぎない私がどうであれ、世界は何も変わらない。

私を姉様と呼ぶ少女は、変わらずに私を慕ってくれる。今はそれで、いいと思える。

 

「私達・・・・・・どうしてこんな所で、寝てるんだろうね」

「私がお聞きしたいです・・・・・・」

 

もしかしたら、答えはあるのかもしれない。

複雑な問題の答えは―――いつだって、単純だ。

 

________________________________

 

午後13時半過ぎ。

ガラガラと扉をスライドさせる音の直後に、ヴァルカンの声が耳に入って来る。

 

「おう、時間だぜ」

「ん・・・・・・ちょっと、勝手に開けないでって言ってるでしょ」

「もう時間がねえんだよ。何だ、寝てやがったのか?」

 

驚いたことに、私もエリゼちゃんも、本当に寝入ってしまっていた。

あと5分間は一緒にいられる。そう確かめ合い、瞼を閉じたところまでは覚えている。

ARCUSの時計が、キッカリ5分間の睡眠を示していた。

 

ともあれ、もうタイムリミットだ。

立場上、ここで駄々を捏ねてもどうにもならない。名残惜しいが、別れの時だ。

 

「エリゼちゃん、そろそろお別れみたい」

「そう、みたいですね」

 

ベッドから降り立ち、壁に立て掛けていた剣を背負いながらブーツを履く。

平静を装う私とは逆に、エリゼちゃんは別れを惜しむ恋人のように、悲哀の色を浮かべていた。

 

私は出入り口へと進み、扉を開け、背中を向けたままの状態で立ち止まる。

私なんかの背中に、彼女が何かを感じ入るというのなら、このままでいい。

 

「リィンと一緒に、必ず助けに行くよ。だから、それまで待ってて」

「姉様・・・・・・はい、お待ちしております」

「じゃあ、またね。それに・・・・・・ありがとう」

「フフ、どう致しまして。いつの日か、また」

 

それを最後にして、扉は閉ざされた。

別れは一時だ。絶対に救い出してみせる。リィンのためにも、私自身のためにも。

 

すると前方から、2人の兵士が私達の方向に歩いてくる姿が目に入った。

すぐに状況は察した。私は平然とした様で、ヴァルカンと共に歩を進めた。

兵士達は怪訝そうな顔で私を見詰めながらも、特に支障無くすれ違い、事無きを得た。

 

「やれやれ。言っておくが、他言は無用だぜ。特に小僧にはな」

「どっちだって同じでしょ」

 

その約束を守る義理は無い。

それにリィンがどう感じようが、彼が選ぶであろう道は私と同じく、決まり切っている。

 

「でも、会えて良かったよ。ありが―――」

「礼なんざいらねえよ」

 

一応の謝意を示そうとすると、ヴァルカンは笑いながら階段を上り始める。

 

どうも調子が狂う。まるで別人と話しているようだ。

私が知るヴァルカンは、戦場で目を真紅に染めながら滾る彼。

本来なら即刻捕縛して、罪を償わせるべき大量殺人犯に他ならない。

戦場を離れるだけで、こうも人が変わるものだろうか。

 

「それに、こいつは『C』の指示なんだぜ。礼ならあいつに言いな」

「クロウ?」

「ああ。俺は頼まれただけだよ」

 

またクロウか。

昼食の件といい、随分と回りくどい真似をする。

 

「ねえ、クロウは何処にいるの?彼にも会わせて」

「そいつはできねえ相談だな。お前とは顔を合わせたくないんだとよ」

「何、それ・・・・・・クロウが言ったの?」

「『どうせぶん殴られるだけだ』とか言ってたが、何か理由があるんだろうよ。意味深な顔だったしな」

 

殴られるだけ、か。何て言い草だ。釈然としない。

一度面と向かって問い質したい思いはあったが、やはり無理強いなどできるわけがない。

 

やがて迎賓区画に辿り着くと、ツナギを着た技師と思われる男性が1人、手を動かしていた。

ヴァルターが破壊した扉を取り付けているようだ。あの男も、今何処で何をしているのだろう。

そう考えていると、ヴァルカンは振り返り、腕を組みながら私に言った。

 

「それで、お前はこれからどうするつもりなんだ」

「決まり切った事を聞かないで貰えるかな。ここを出て、みんなと合流する」

「クク、そうかよ。やれるもんならやってみやがれ。こっちは丸腰だ、今なら勝ち目があるかもしれねえぜ?」

「っ!?」

 

突如として、巨大な殺気を叩き込まれた。

私は即座に長巻の鞘を払い、一歩退いて切っ先をヴァルカンの喉元に向けた。

 

全てが1秒にも満たない一瞬の出来事だった。

技師が床に工具を落とした音だけが、1階ホールに響き渡る。

当のヴァルカンは、微動だにしなかった。変わらず薄ら笑いを浮かべ、私を見詰めていた。

 

(・・・・・・え?)

 

どういうわけか、あった筈の殺気が感じられなかった。

代わりに目に入ったのは、表現し難いヴァルカンの両目。

眼光は鋭く、且つ虚無的で遠方を見やるような、寒々しい目だった。

 

多少の戸惑いを覚えながらも、私は敵意を込めて言い放った。

 

「今は無理でも、私は絶対にあんた達を許さない。多くの命を奪ったテロリストとしてね」

「甘すぎだ、今やっちまえばいいだろ。邪魔する奴は何処にもいねえしな」

「勘違いしないで。私は罪を償わせるって言ってるの」

「償い切れると思ってんのかよ。そこいらの軽犯罪者とは訳が違うんだぜ」

「だったら生涯を捧げればいいでしょ。あんた達には、その道しか残されてない」

 

切っ先を更に首へ近付けると、ヴァルカンは声を上げて笑った。

何が可笑しい。内戦以前に、こいつらは数多の人生を奪い去ってきた。

見過ごすわけにはいかない。ヴァルカンも、スカーレットも―――クロウでさえも。

 

すると突然、腰元のARCUSが着信音を奏で始めた。

私は長巻を握りながら、左手でARCUSを取り、通話ボタンを押して応じた。

 

「はい」

『リィンだ。アヤ、今何処にいるんだ?』

「迎賓区画の1階ホールだよ。リィンは?」

『2階の奥間さ。話があるんだ、今から来れないか?』

「分かった。2階だね」

 

手短に通信を済ませ、片手でARCUSを折り畳む。

2階の奥間か。この区画の2階にも、部屋があったようだ。

ちらりと階上へ視線を向けると、ヴァルカンは右の親指で目的地を指し示してくれた。

 

「やる気がねえんなら、さっさと消えちまいな。次は殺し合いだ」

「・・・・・・そう」

 

私は剣を向けたまま数アージュ距離を取り、納刀した。

踵を返し、階段へ向かって走り出そうとしたところで、私は足を止めて言った。

 

「会わせてくれてありがとう。クロウにも、そう伝えて」

 

そう言い残してから、私は再び駆け出した。

背中に突き刺さる視線の正体は、分からず仕舞いだった。

 

 


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