絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月11日 クレア・リーヴェルト

「ま、待ってよアヤ。列車砲を撃ったって・・・・・・一体、何のこと?」

 

最初に切り出したのは、ポーラ。

私は視線をそのままに、再度クレア大尉へ問い掛ける。

 

「今言った通りだよ。クレア大尉、答えて下さい」

 

それを最後にして、再び食堂へ静寂が訪れた。

皆が私とクレア大尉を交互に見比べながら、刻々と時間だけが過ぎ去って行く。

 

私の鋭利で容赦のない視線に対し、クレア大尉のそれは微動だにせず、表情も変わらない。

それが答えだと言わんばかりの態度だった。肯定も否定もしない沈黙は、前者へと繋がる。

この人は間違いなく、知る立場にある。正規軍の1人として、事実を把握している筈だ。

 

「大尉さん。ウチの生徒がああ言ってるけど、答えて貰えるのかしら」

「・・・・・・10月24日、午後16時19分の出来事です」

 

サラ教官が促すと、クレア大尉は小さく首を縦に振り、語り始める。

やっと観念したか。黙っていられては何も始まらない。

これは私だけの問題ではないし、問い質したいことは山程ある。

 

「クロスベルの度重なる愚行と、第5機甲師団の壊滅という事態を受け、帝国正規軍は列車砲による報復攻撃に踏み切りました。列車砲の発射は、間違いなく事実です」

 

ランが以前、ガレリア要塞の消滅が午後16時21分の出来事だと言っていた。

砲弾を無力化した後、すぐに要塞はアイオーンの力により消え失せてしまったのだろう。

唐突に飛び出した事実に、私とクレア大尉を除く全員が唖然としていた。

 

「そ、そんな・・・・・・その、クロスベルは・・・・・・クロスベルの、被害は?」

 

アリサが身体を震わせながら、青ざめた表情で私に問い掛けてくる。

 

「砲弾は神機が無力化したよ。言ったでしょ、絶対不可侵の力だって。クロスベルにとっては、もう列車砲さえもが脅威じゃないんだよ」

「そう、なの・・・・・・ごめんなさい。頭が混乱しちゃって・・・・・・言葉が、出ないわ」

 

予想はしていたが、列車砲に関しては誰の知るところでもなかった。

ガレリア要塞は、クロスベルが生み出した新兵器の攻撃により消滅した。

皆が伝聞したのは、たったのそれだけ。私が言わなければ、伏せられたままだったに違いない。

 

「一度は我らの手で食い止めた列車砲が、帝国自身の意志で放たれていた・・・・・・そうせざるを得ぬ事態であったとはいえ、複雑な想いを抱いてしまうな」

「フン。だが街頭演説でああも強く力説しておきながら、その事実に触れもせんとはな。宰相自らが引き金を引いた以上、声明を出す義務があると思うが」

 

ユーシスが腕を組みながら言うと、クレア大尉は首を縦ではなく、横に振った。

 

「正確に言えば、列車砲の発射は閣下によるご決断ではありません」

「・・・・・・何だと?」

「列車砲に関する帝国法は、皆さんもご存じの筈です」

 

クレア大尉は列車砲に纏わる、帝国正規軍法について触れ始める。

実習でガレリア要塞を訪ねた際、講義の中でも取り上げられたことがあった。

 

列車砲はその脅威性から、法による様々な規定がある。

起動には防衛庁長官と共に、最高指揮官である宰相の承認が求められる。

列車砲のスペックを考えれば当然だ。あんな物が縛りなく鎮座していていいわけがない。

 

但し、有事の際にはその限りではない。

帝国領域内の財産及び人命が脅威に曝され、尚且つ承認を得る時間的余裕が無い場合。

特定の環境下においてのみ承認を得ることなく、権限移譲が発生する。

現場監督者は緊急対処要領に従うことで、列車砲の起動は認められてしまうのだ。

 

「当日も現場責任者である第5機甲師団所属、ワルター中将による判断で、列車砲は発射されました。無用な混乱を避けるために、その事実は公表されていません」

 

クレア大尉が言い終えると、フィーとマキアスがそれぞれ疑念を並べ立てていく。

 

「要するに、個人の裁量で列車砲は利用できちゃうってわけか。それっていいの?」

「ぼ、僕達も知ってはいましたし、下手なことを言うつもりはありませんが・・・・・・その判断の是非について、正規軍の中ではどういった結論になっているんですか?」

「軍の中でも、事実を把握している人間は限られています。それに権限移譲と言っても、最高責任を負うのは閣下に他なりません。閣下のご決断は正しかったと、私は捉えています」

 

列車砲に関する法については、制定当初も相当な物議を呼んだらしい。

『特定の環境下』や『時間的余裕』の定義が曖昧で、権限移譲先すら不透明。

露骨にクロスベルを脅かす形で、法案は通ってしまった。

列車砲という存在自体が非人道的だというのに。私には何一つとして理解できない。

 

「無用な混乱、ねえ。あたし達にも知る権利がある筈だけど、そこはどうなのかしら」

「全て帝国法に従った結果ですよ、サラさん」

「ふーん。まあ、ここであんたと兵器論争をしていても仕方ないわね」

 

サラ教官が目を細めながら溜め息を付き、クレア大尉から視線を外した。

 

淡々とした口調で説明する大尉に対し、苛立ちを覚えた。

黙って聞いていれば、次々と言い訳がましい言葉が溢れ出てくる。

どうしてそう簡単に口にで出せる。この人は本気で言っているのだろうか。

 

私は一度深呼吸をしてから、努めて冷静に言葉を選んだ。

 

「よく理解できません。だから全てが許されると言いたいんですか」

「それが法というものです。お気持ちは理解できますが、あの状況下では仕方ないことかと」

「仕方ないってっ・・・・・・もし着弾していたら、どうなっていたと思ってるんですか?」

「被害を最小限に抑えるため、弾道は配慮されていた筈です」

「なっ・・・・・・馬鹿を言わないで下さい!」

 

列車砲はノックス森林の北部に向けて放たれていた。

森林といっても街道は複数通っているし、警察学校のような施設だってある。

もし着弾していたら、過去に例を見ない規模の被害が出ていた。

それに二次的、三次的被害もある。犠牲者の数はクロスベル全土に及んだ筈だ。

 

「それはクロスベルも同じです。国外資産の凍結により、既に帝国を含めた諸外国では大変な被害が生じています。我々は属州の愚行を正そうと行動しただけです」

「さっきも言ったように、その愚行は大統領を含めた複数人の人間によるものです。民間人が犠牲になっていい理由は何処にも無いと思いますけど」

「我々がそれを知る状況になかったことは、アヤさんも理解している筈です。クロスベルが得た力の脅威性についてもです。国民を守るための実力行使に、何か不満がおありですか?」

「だから!どうしてそんな言い方を―――」

「アヤ、座れよ」

 

トヴァルさんに名を呼ばれ振り向くと、今度は私が唖然とした。

 

私だけだった。声を荒げ、敵意をむき出しにしているのは、たったの1人。

これだけの人数が一堂に会していながら、独りぼっちになっていた。

 

「あっ・・・・・・」

 

知らぬ間に立ち上がってしまっていたようで、椅子が後ろへ倒れてしまっていた。

テーブルにはティーカップが転がり、中身がぽたぽたと床へ滴り落ちていた。

足元には、それを拭き取るシャロンさんの姿があった。

全く気付いていなかった。椅子も、お茶が運ばれていたことにさえも。

 

私は言葉を飲み込み、一旦椅子を起こしてから座り直し、シャロンさんに謝罪した。

するとトヴァルさんが眉間に皺を寄せながら、やや低めの声で言った。

 

「お前さんが今、どんな立場から喋ってるのか知らないが・・・・・・協会規約、第3項。言ってみろ」

「で、でもそれは」

「いいから言えよ」

「・・・・・・国家権力に対する不干渉、です」

 

ぶっきら棒に返答すると、トヴァルさんは何も語らなかった。

釈然としない思いはあったが、私もこれ以上列車砲に対して言及することはできなかった。

代わりにクレア大尉が私達に対し、他言を控えるよう釘を刺し始める。

 

「列車砲に関する事実は、今もこの国では伏せられています。今の話は皆さんの中に留めておいて頂ければ幸いです」

 

それから暫くの間、誰も口を開こうとはしなかった。

誰もが考え込む素振りを見せ、部屋には時計の針が刻む音だけが広がっていた。

 

どれぐらいそうしていただろう。20分か、30分程度か。

 

「俺達は・・・・・・認識が甘かったのかもしれないな」

 

シャロンさんが水拭きした床が乾き始めた頃、リィンが静かに切り出した。

 

「これは多分『戦争』なんだ。クロスベルや諸外国、列車砲という存在を巻き込みながら、この国では戦争が起きている。俺達は今、歴史の分岐点に直面していると言っていいと思う」

「ええ、そうね。私も同感よ」

 

リィンに続いて、アリサ。

彼女にとっては、列車砲に関する問題は他人事では済まされない。

ラインフォルトグループの跡を継ぐ可能性がある人間として、思うところがあるのだろう。

アリサの胸中は、表情を見れば想像するに容易かった。

 

「私自身、この内戦をどうにかしたいっていう想いはあるの。でもその前に、私達は覚悟を決めるべきよ。どんな形で干渉するにせよ、相応の責任と犠牲が生じる覚悟が必要だと思うわ」

 

アリサの言葉の一つ一つが、重く圧し掛かってくる。

私もそうなのだろうか。もしかしたら、浮付いていたのかもしれない。

皆と再会を果たしたことに満足し、その先にある道のりを見ていなかった。

今し方目を向けていたのは、列車砲の発射という過去。今考えるべきことではない。

 

それに―――先程怒鳴り声を上げていた私は、もう1人の私。

いつ以来のことだろう。5月末に、フィーを拒絶したのが最後だろうか。

あの時と同じ過ちを、私は性懲りも無く繰り返してしまっていた。

 

「我々もこの内戦を、国際的性質を有する武力紛争、つまり戦争であると認識しています」

 

クレア大尉が改めて戦争の二文字を使うと、皆の表情が険しさを増した。

 

戦争は互いに、対等な力と立場があることが大前提となる。

反逆を目論む自国の反徒に対する武力行使は、唯の鎮圧。戦争とは呼べない。

 

過去にあった例外として、有名な戦争は―――獅子戦役。

今この国は、あの戦争と同等かそれ以上の戦火に包まれている。

クレア大尉が公言した以上、今帝国は戦時下にあると考えていい。

 

「あのー、皆さん。提案なのですが、今日のところはこれぐらいにしませんか。各自時間を掛けて、考える必要があると思うんです」

「俺も委員長と同意見だ。第二の故郷の力になりたいと考えていたんだが・・・・・・事はそう簡単ではないようだな。すぐに答えを出せるとは思えない」

 

エマとガイウスの提案に皆が同意を示し、リィンがそれを取り纏めた。

今日はそれぞれ別行動を取り、今後の動き方について熟考する。

明日の午前に再び集合し、議論を重ねる。この場は一先ずの解散という流れになった。

 

「アヤ。あなたはここに残りなさい」

「・・・・・・はい」

 

部屋を後にする皆へ続こうとすると、サラ教官に呼び止められる。

その隣には、椅子へ座ったままのトヴァルさんもいた。

予感はしていた。2人にとって、私の言動は見過ごせるものではない。

 

「アヤ」

「え?」

 

声に振り向くと、どういうわけかフィーが立っていた。

既に他の《Ⅶ組》の姿は無く、彼女だけが私を見上げていた。

フィーは表情を緩め、小さく笑いながら言った。

 

「アヤの不安や悩みは、私達の物でもある。それに、アヤはアヤだから」

「フィー・・・・・・」

「心配しないで。アヤは何も変わらない」

 

大変な気を遣わせてしまったみたいだ。

やはりフィーも、5月末の出来事を思い出していたのだろう。

4つも年下の女の子が、今だけは私よりも大人びて感じられた。

 

「うん。私は私だよ。ありがとう、フィー」

「ん」

 

あの時と同じ言葉をフィーに贈り、私は彼女の背中を見送った。

他の皆にも、後で謝っておこう。議論の場を乱してしまったことは事実だ。

 

フィーが扉を閉めた後、私は踵を返し、サラ教官とトヴァルさんの下へ歩み寄る。

トヴァルさんは口を閉ざしたままゆっくりと立ち上がり、私の眼前に立った。

 

遊撃士手帳と、支える籠手のエンブレム。2つの宝物を、取り上げられるかもしれない。

そんな不安が頭を過ぎり、目を瞑っていると―――頭の上に、大きな掌が被さった。

 

「えっ・・・・・・」

「ったく、軍人に喧嘩売ってどうすんだ?心配掛けさせんなよ」

 

わしゃわしゃと頭を力強く撫でられ、髪が乱れてしまった。

戸惑いながら髪型を整えていると、サラ教官が手にしていたティーカップを置いてから言った。

 

「もっと柔軟性を持ちなさい。時には感情を捨てて、己を曲げないといけない時もあるのよ」

「大人の世界ってやつだ。遊撃士として上を目指すつもりなら、必要な物だな」

「まあ、あなたのそういうところは嫌いじゃないけどね」

「ハハ、そいつも同感だ」

 

今度はサラ教官が私の頭をもみくちゃにし、再び髪の毛先が四方八方を向き始める。

予想外に暖かな言葉を並べられ、反応に困ってしまっていた。

 

勘弁してほしい。今優しくされると、情けなさで目頭が熱くなってしまう。

本当に2人の言う通りだ。私は子供の用に、感情的に振る舞ってしまった。

クレア大尉に問い詰めたところで、何も生まれはしないというのに。

 

「と言っても、己を貫くしか能が無い上級遊撃士もいるんだがな」

「・・・・・・それ、エステルのことですか?」

「おっと、よく分かったな。あれを見習うなとは言わないが、苦労するぜ?万年B級コースだ」

「あはは」

 

見習っていたつもりはないが、憧れではあった。

上級遊撃士は総じて思考や振る舞いが成熟している印象を抱いていたが、彼女は良い意味で別だ。

それにもう1人、万年B級と言われていた女性を知っている。私のお母さんだ。

良くも悪くも、段々とお母さんがA級になれなかった理由が分かってきた気がする。

 

ともあれ、やはり私はまだまだ未熟者で、半人前。

私が今すべきことは、確固たる自分を持つこと。

私自身の軸がブレていては、今後のことを考える以前の問題だ。

《Ⅶ組》の一員として皆と意志を共有するためにも、揺れ動くわけにはいかない。

 

「あっ。サラ教官、昨晩はランと一緒にいたんですよね。何を話していたんですか?」

「ああ、彼?声が渋くっていいのよねー。頭の中に響いてくるから余計にいいのよ」

「「・・・・・・」」

「な、何よ。言っておくけど、あたしは声の話をしてるのよ」

 

してはいけない想像をしてしまい、鳥肌が立った。

私とトヴァルさんは、逃げるように食堂を後にした。

 

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食堂を出ると、辺りに懐かしい匂いが漂っていた。

何の匂いかは思い出せないが、私は間違いなく郷愁に近い感情を抱いていた。

私は吸い寄せられるように1階の左手奥、厨房へと歩を進めた。

 

鼻で匂いを堪能しながら扉を開くと、そこには3人の背中があった。

シャロンさんにルシアさん。それにもぐもぐと何かを頬張るモリゼーさんがいた。

 

「あら、アヤちゃん。丁度良かったわ、アヤちゃんも食べる?さっきみんなにも配ったのよ」

「それは・・・・・・ああ、そっか」

 

漸く思い出せた。モリゼーさんが手にしていたのは、小振りの饅頭。

これは小豆を砂糖と水、僅かな塩と共にじっくり煮詰めた時の、あの匂いだ。

忘れていたのも無理はない。最後にこの匂いを嗅いだのは、クロスベルにいた時。

お母さんが時折作ってくれていた。思い出の味だ。

 

「牡丹餅?それは餡を使った料理なのですか?」

「お母さんがよく作ってくれたんです。この国では珍しいかもしれませんね」

 

私は牡丹餅の作り方を、簡単にルシアさんへ説明した。

帝国では小豆自体が一般的とは言えない食材だ。知っている人間は極僅かだろう。

今煮詰めている小豆も、雑貨屋のカミラさんから譲って貰った物だそうだ。

 

ちなみにシュバルツァー夫妻からは、名前で呼んで欲しいと以前に言い包められていた。

娘が姉様と慕っているのだから、というのが理由だった。断る理由も見当たらなかった。

本当に、貴族らしからぬ気さくな夫婦だと思う。皆から慕われるのも当然だ。

 

「牡丹餅なら私も存じております。では、残りはそちらに使うとしましょう」

 

シャロンさんはいつものシャロンさんだった。万能っぷりに磨きが掛かった気がする。

この人は本当に身食らう蛇の執行者なのだろうか。本気で疑いたくなってくる。

 

「あれ?モリゼーさん、二日酔いはもう大丈夫なんですか?」

「このメイドさんが煎じた薬を飲んだら、すっかり良くなったわ。おかげ様でお饅頭が美味しくて美味しくて」

 

シャロンさんはやっぱりシャロンさんだった。

それにしても、随分な量が仕込まれているように思える。

譲って貰ったにしては、大振りの鍋が小豆で溢れ返ってしまっていた。

 

「それ私が売り込んだのよ。以前小豆が安く手に入ってね。全部言い値で売れたわ」

「・・・・・・言われてみれば、馬車の中に色々な包みがありますよね」

「不動在庫もあるけどねー。でも今日は本当にたっくさん売れたの。カスタネットとか、カキ氷製造機とか」

 

この人は何処からそんな物を仕入れて来るんだ。

それに買う方も買う方だ。雑貨屋『千鳥』の方向性が全く理解できない。

 

「アヤさん、1つお願い事を頼まれて貰えますか」

「あ、はい。何ですか?」

 

口に運ぼうとしていた饅頭を置き、背後に立っていたルシアさんへと振り返る。

手元には茶色の紙袋があった。受け取ると、中身にはすぐに思い至った。

今し方口にしようとしていた饅頭が複数個、料理紙に包まれて入っていた。

まだ出来立てのようで若干袋が湿っており、袋越しにその温かみを感じることができた。

 

「まだ召し上がっていない方に、それを届けて欲しいのです」

「分かりました。それで、誰に渡せばいいんですか?」

「クレアさんにお願いします」

 

親しみ深く優しい笑みを浮かべながら、ルシアさんが言った。

 

分かって言っているのか、それとも唯の偶然なのか。

おそらくは前者なのだろうが、この人の笑顔からは何も窺えない。

唯々純粋に、笑っていた。それがルシア・シュバルツァーという女性なのだろう。

紙袋から感じる温度の如く、暖かいキッカケを私に与えてくれていた。

 

「・・・・・・ありがとうございます。早速届けて来ます」

「あら、あなたにお礼を言われる覚えはありませんよ。私はお饅頭を渡しただけですから」

 

私はもう一度ありがとうを言ってから、紙袋を抱えてクレア大尉の下へ向かった。

 

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鳳翼館2階、年長組の女性陣に充てられた一室の扉前。

 

「開いています。どうぞ」

「失礼します」

 

一度深呼吸をしてから、ドアノブに手を掛ける。

扉の先には返答の主、クレア大尉がベッドの傍らに立っていた。

 

「えっ・・・・・・」

「こんな恰好で申し訳ないです。丁度今着替えたところでして」

 

目に飛び込んできたのは、白色の寝間着で身を包んだ、クレア大尉。

ふんわりとゆとりのある、着心地の良さそうなハーフオープン型のワンピースだった。

思わず立ち尽くし、見惚れていた。同性だというのに、生唾を呑み込んでしまった。

髪と寝間着、青と白のコントラストが、空に浮かぶ雲を連想させた。

 

「アヤさん?」

「あっ。す、すみません。何でもないです」

 

私はテーブルに紙袋を置き、クレア大尉に促され、椅子へと腰を下ろした。

 

話を聞くと、クレア大尉は今から仮眠を取るつもりだったようだ。

大尉は露天風呂で話していたように、昨晩は一睡もしていなかった。

今日の午前中も周囲の警備に当たっていたし、昼からは私達と共にいた。

休める時に休んでおかないと、体調を崩しかねない。そう考えての仮眠だった。

 

「それで、話というのは?」

「・・・・・・やっぱり、後にします。今はゆっくり休んで下さい」

「構いませんよ。私もアヤさんに、改めて謝りたかったんです」

「へ?」

「アヤさん。あんな態度を取ってしまい、申し訳ございませんでした」

 

私は先の一件について、謝ろうと思っていた。

紙袋を手渡すのと同時に、非礼を詫びようとしていた。

 

だというのに、立場が完全に逆転していた。

先に深々と頭を下げたのは、クレア大尉だった。

予想だにしない大尉の謝罪に、私は言葉を詰まらせてしまっていた。

 

「ま、待って下さい。どうしてクレア大尉が謝るんですか?」

 

クレア大尉は謝罪へ思い至った経緯について、神妙な顔付きで語り始めた。

 

帝国軍が列車砲の引き金を引いたことは、確かな事実。

だが1つとして言い訳などしようものなら、帝国の正義そのものを否定することになってしまう。

『撃たれた側』の人間のためにも、それは絶対にしてはいけないこと。

それにあの場には、私以外の人間も複数人居合わせていたのだから、尚更だった。

 

そう考え、クレア大尉は私の問いを真摯に受け止め対応すべく、あのような態度を取った。

あくまで軍人として民間人に対し、正当性を淡々と述べる道を選んでいた。

 

「ですからこれは、クレア・リーヴェルト個人の言葉として受け取って下さい。立場上、知られるわけにもいかないので、他言も控えて頂けると助かります」

「じ、事情は分かりましたから。クレア大尉、頭を上げて下さい」

「『大尉』も不要ですよ。クレアで結構です。今の私は軍人ではありませんし、あくまで個人として頭を下げているに過ぎませんから」

 

頭が痛くなってきた。まるで別人と話しているようだ。

でもそれは―――多分、私のせいだ。私が彼女に、そうさせていると言ってもいい。

 

「止めて下さい。間違っていたのは私です。私なんかのために、自分を曲げないで下さい」

 

軍人が安易に軍帽を脱いではならない。

「軍人ではなく個人として」などという都合のいい言葉が、認められるわけがない。

サラ教官が言っていたのは、正にこの姿だ。今のクレア大尉は己を曲げている。

憤る私へ謝罪の意を示すために、軍人としての立場を捨ててしまっている。

 

本来あってはならないことだ。でもそれは、私が強要していると言わざるを得ない。

私なんかのために、この女性が苦しむ必要は何処にも見当たらない。

情けない限りだ。自分がどれ程独善的な人間なのかを、思い知らされた。

 

「私は・・・・・・私も分かっていたんです。でも認めたくなくて、誰かに、ぶつけたくて・・・・・・上手く言えませんけど、謝ります。すみませんでした」

「では、お互い水に流すとしましょう。でも、そうですね・・・・・・折角ですから、軍帽を脱いだままの私に、少しだけ付き合って頂けますか」

「付き合う?」

「アヤさんとは一度、落ち着いて話をしてみたかったんです」

 

クレア大尉の意外な提案に、私は目を丸くした。

彼女の興味を引く何かが、私にあるようには思えない。

 

「ある意味で、私達は似ているのだと思います。複数の立ち位置の間で、揺れ動く自分・・・・・・身に覚えがあるのではありませんか?」

「それは・・・・・・確かに覚えはありますけど、私と同じって、どういう意味ですか?」

「朝にも話しましたよね。私がここにいる理由を」

 

―――個人的な感情が働いているのだと思います。

 

クレア大尉は、確かにそう言った。あれは多分、先程と同じだ。

さらりと息を吐くように言い放ったあの言葉には、重々しい意味合いが込められている。

 

軍人としての言動に対し、一個人の感情を挟む余地は無い。

でもクレア大尉は、ここにいる。私達に力を貸してくれている。

鉄道憲兵隊の尉官、その最上級と同等か、それ以上に優先される立場。

鉄血の子供、士官学院の先輩、それ以外の個人的な何かか。

 

「ともあれ、今はアヤさんの話を聞かせて下さい。私なんかでよければ、相談に乗りますよ」

「・・・・・・じゃあ、お言葉に甘えます。少し自分が分からなくなってきました」

 

私は胸の内を、ありのままにクレア大尉へ打ち明けた。

 

時折我を忘れて感情的になり、自分が自分でいられなくなる瞬間がある。

今日の一件についても、クロスベルを想う余り、帝国正規軍を敵視してしまっていた。

 

それに今後のことを考えようとすると、複数人の私が声を上げ始める。

士官学院生。準遊撃士見習い。帝国市民。ノルドの遊牧民。元クロスベル市民。

そのどれもが私なのに、収集が付かなくなる時がある。

 

「よく分かります。ですがそれは私を含め、皆さんも同じなのだと思いますよ」

「同じ?」

「はい。そういった時は、原点に立ち返ってみては如何でしょう」

 

クレア大尉は頭上を仰ぎ、彼女以外の大人達を引き合いに出し始めた。

 

大尉自身に、サラ教官。トヴァルさんにシャロンさんも。

誰もが沢山の何かを想いつつも、何処かで折り合いを付けながら行動している。

時には自分を誤魔化し、自分に嘘を付きながら生きていかなければならない。

それは何も今に限ったことではない。この先何十年と続く人生は、綺麗事では済まされない。

 

その道のり中で―――絶対に、譲ってはならない物。

決断を迫られた際に物差しとなる、自身の根底にある大切な物。

決して忘れてはならない、唯一がある。それがクレア大尉が言った、原点。

 

「原点に、立ち返る・・・・・・」

「それは不変というわけではありません。生きていく中で訪れた転機によっては、変わり得る物だと思います」

「結婚、とかですか?」

「フフ、そうですね。今のアヤさんにとっての原点・・・・・・一番大切な物は、何ですか?」

 

一番大切な物、か。

それぞれの立ち位置にいる私に対し、順位を付けるという意味合いではないのだろう。

もっと根底にある物だ。クレア大尉は忘れがちなその原点を、今一度思い出せと言っている。

 

(原点・・・・・・私にとっての、原点)

 

目を閉じ、自分自身に語り掛ける。

すぐには浮かんでこない。そう簡単に見い出せるのなら、こうも悩んだりはしない。

 

―――なさい。

 

それでも、何かが聞こえた。垣間見た気がした。

今は分からないが、導き出せる気がする。クレア大尉の本意は、きっとそこにある。

 

「うーん・・・・・・まだ時間が掛かりそうですけど、何となく理解できた気がします。ありがとうございます、クレア大尉」

「『大尉』は不要です」

「あはは。じゃあ、クレアさん」

 

その後も私達は、様々な話で花を咲かせた。

聞き上手、なのだと思う。間に挟まれる言葉の一つ一つが促すように、話題を寄せ集める。

時が経つのを忘れ、途切れることなく私は喋り続けた。

クレア大尉が欠伸を堪える仕草を見せたところで―――漸く、思い出した。

 

「す、すみません。仮眠を取るって言ってましたよね」

「気にしないで下さい。話をしたいと願い出たのは私の方でしたから」

「でも・・・・・・って、ああっ!?」

 

会話と言っても、私が一方的に喋っていただけだ。クレア大尉は聞き役に徹してくれていた。

そして絶句した。ルシアさんから手渡された紙袋の中身が、無い。全部私が食べてしまっていた。

1つだけ、もう1つだけと頬張り続けた結果、全て私の胃袋の中に収まっていた。

 

(わ、笑えない)

 

どこまで私は子供なんだ。

クレア大尉の大人な対応が、より一層私の幼稚さを際立たせてくる。

取り急ぎ、大尉にはすぐにでも休んで貰う必要がある。このままでは体調を崩してしまう。

 

「フフ。変なことを聞きますが、アヤさんにはお兄さんかお姉さんがいるのですか?」

「へ?」

 

唐突に、兄姉の存在を問われた。

義理ではあるがウォーゼル家の長女だし、そもそも血の繋がった兄弟の類はいない。

 

「そうでしたか。いえ、深い意味はありません。そんな気がしただけですから」

「あ、あはは・・・・・・」

 

要するに、手の掛かる妹のように見られていたということだろう。

長女が聞いて呆れる。以前はガイウスにも、姉として見られていない節があった。

 

「まあ、私もお兄ちゃんやお姉ちゃんが欲しかったなって、考えたことはありますよ」

 

初めにそう考えたのは、多分クロスベルにいた頃だ。

ロイドにはガイさんという立派なお兄さんがいたし、セシルさんもいた。

一人っ子だった私は、甘える存在がいたロイドを嫉妬していたのかもしれない。

 

願っても仕方ないが、どちらかと言えば姉が欲しかった。

もし同性で心を許せる存在がいたら、私はきっと違う私になっていたに違いない。

 

お姉ちゃん、か。

アルスターでも思ったことだが、どういうわけかしっくりくる。

サラ教官やアンゼリカ先輩のように、面倒見のいい女性が周りにいるからだろうか。

 

「それよりも、ほら。早く休んで下さい」

 

クレア大尉がベッドに入るまでの間、私は何度も頭を下げた。

そして、1つだけ。どうしても聞いておきたいことがあった。

きっとそれはクレア大尉にとっても、改めて口にしておきたいこと。

だから大尉は、私という話し相手を求めた。今ならそれぐらいは察せられた。

 

「クレアさん。あなたにとっての一番は、何ですか?」

「閣下です」

 

露天風呂でそうしたように、クレア大尉は間髪入れずに答えをくれた。

 

「私に居場所を与えて下さった閣下のご恩に、報いることです。お亡くなりになられた今でも、それが私の原点ですよ」

 

―――聞いてくれて、ありがとうございます。

布団を被り瞼を閉じながら、優しい声でクレア大尉は言った。

その後すぐに、クレア大尉は静かに寝息を立て始めた。相当疲れが溜まっていたのだろう。

何はともあれ、求めていた言葉を汲み取ることができて、本当に良かった。

 

クレア大尉の寝顔を見詰めていると、背後の扉が開かれた。

振り返ると、サラ教官の姿があった。

 

「あら、アヤじゃない。ここで何をしていたの?」

「静かに。クレアさんが起きちゃいます」

「・・・・・・クレア、さん?」

 

口元に人差し指を当て、物音を立てないようサラ教官へ注意を促す。

 

「私、この人を少し誤解していました。とってもいい人ですね」

 

私がクレア・リーヴェルトという人間について知ることはそう多くない。

彼女が言った複数の立場についても、聞けてはいない。

確かなことは、やはりこの人は信頼に値する女性で、敬うべき存在ということ。

自身の弱さと矛盾を認めながらも、直向きになすべき事をなそうとしている。

今の私は、まだその域に達していない。比べる方が失礼だ。

 

「ねえアヤ。あなたも色々と思うところがあるでしょう?悩みならあたしが聞いてあげるわよ」

「いえ、大丈夫です。クレアさんが相談に乗ってくれましたから」

「・・・・・・ま、待ちなさい。ほら、お姉さんの胸に飛び込んで来なさいな」

「だから平気ですってば。それに大きな声を出さないで―――むぐっ!?」

 

強引に抱かれ、私の身体はサラ教官の両腕に包まれた。

私の寸勁さえもを跳ね返す胆力の前では、身動き一つ取れなかった。

 

 


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