絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月11日 これからの事

12月11日、ユミル東部に佇む『鳳翼館』の一室。

 

ここ数日間、朝の目覚めには違和感が付き纏っていた。

周囲が見慣れない物で溢れ返っていれば、当然かもしれない。

12月5日にアルスターの宿場。次がルナリアの里。

風見亭へ寝泊りした翌日には、モリゼーさんの馬車で野宿。

 

今もそう。起床と共にこの天井が目に入るのは、これが2回目。2ヶ月振りだ。

それでも、違和感は微塵も無い。あるのは安堵と喜び、希望と躍動感。

疲労は感じるが、それ以上の感情が湧き上がってくる。二度寝するには、勿体無い。

 

「ふあぁ・・・・・・くしゅんっ」

 

半身を起こした途端に寒さで身体が震え、小さなクシャミが出てしまった。

屋外に出れば辺り一面が雪景色。しかも今の私はシャツ1枚しか着ていない。

 

(着替え、何処だっけ)

 

ベッドから降り立つと、隣で寝息を立てていたガイウスの瞼が僅かに開き、こちらへ向いた。

ガイウスは右手で両目を擦りながら、呟くように言った。

 

「今、何時だ?」

「まだ5時。もう少し寝てたら?」

「いや・・・・・・ああ。そうする」

 

小声でそう言ってから、ガイウスは再び夢の中へ落ちて行った。

普段ならお互いに起床している時間帯だが、彼はとりわけ疲れが溜まっているのだろう。

昨晩は寝入った時間も遅かった。これもお互い様なのだが、私は既に目が冴えてきていた。

 

窓を遮っていたカーテンをそっと開けると、外は未だ夜の静寂に包まれていた。

日の出まであと1時間程度。暗くて街並みは拝めないが、冬の情緒は感じられた。

 

「ふふっ」

 

自然と笑い声が漏れた。

こうも静かで穏やかな朝を迎えられたのは、いつ以来のことだろう。

もしかしたら、10月28日か。いや、その2日前まで遡るかもしれない。

ランの本身を知り、クロスベルの異変を知ったあの日から―――全てが、変わってしまった。

 

「おはよう、みんな」

 

ガイウスがいて、皆がいる。

一番取り戻したいと願っていた大切な物が、確かにある。

再び同じ屋根の下で、同じ朝を迎える日が訪れてくれた。全部、あの日のまま。

 

今はそれだけで十分だ。この喜びを噛み締めて、想うだけでいい。

昨晩のように、全てを頭の片隅へ追いやり、心から笑っていたい。

前へ進むのは、それからでも遅くはないのだから。

 

______________________________

 

遡ること、約半日。

12月10日、午後17時半。ユミルへ転移してから、約30分後。

 

休眠に入ったヴァリマールに別れを告げた後、私達は渓谷道を下り、ユミルを目指し歩き始めた。

道中には皆が代わる代わるに、この1ヶ月半の出来事を掻い摘んで話してくれた。

猟兵団によるユミル襲撃。アルフィン皇女殿下とエリゼちゃんの行方。

ガレリア要塞跡地での交戦。監視塔の奪還。そして今日、12月10日。

 

それぞれが辿ってきた軌跡を遡ると、やはりそれは11月29日。

リィンがアイゼンガルド連峰の中腹で目を覚ました事に、端を発していた。

奇しくもそれは、ロイドが再び立ち上がったあの日と、同じ日付だった。

何にせよ皆と再会を果たせたのは、やはりリィンの意志と力のおかげに他ならなかった。

 

ユミルのシュバルツァー邸には、リィンが言った『皆』の顔が揃っていた。

アリサにミリアム、マキアスとエリオット。

4人分の『おかえり』を一度に貰った。私は負けじと『ただいま』を声の限り叫んだ。

 

私服姿のクレア大尉には、大いに驚かされた。

トヴァルさんはともかくとして、鉄道憲兵隊の尉官が、何故このユミルに。

聞いてみたい衝動に駆られたが、あの場では気が引けた。

 

「フフ、何だか10月の小旅行を思い出すわね」

「そうですね。お部屋もあの時と同じですから」

 

そして現時刻、18時半。

私は今《Ⅶ組》の女性陣と共に、鳳翼館の一室にいた。

シュバルツァー夫妻の厚意で、私達は鳳翼館に寝泊りすることが許されていた。

アリサとエマが言ったように、部屋やメンバーもあの小旅行の時と同じ。

違いがあるとするなら、ポーラがいるため人数が1人多いくらいだ。

 

「小旅行の話はアヤから聞いてたけど・・・・・・こんな大きくて立派な施設を貸切で使えるだなんて、ちょっと贅沢ね」

「あはは。まあこんな状況だし、利用客もほとんど―――」

「とりゃー!!」

 

荷物を下ろしながらポーラに答えていると、突然右方からタックルをかまされた。

私の身体はそのままベッドへと押し倒され、小さな体躯が馬乗りとなり、私を見下ろしていた。

 

「痛たた・・・・・・こらミリアム、不意打ちにも程があるでしょ」

「アヤが悪いんだよ。ボクがどれだけ心配したと思ってるのさ」

「・・・・・・よいしょっと」

 

無理やり上半身を起こし、膝の上にミリアムを乗せる。

抱き締めたい衝動に駆られ、私は即座に実行へ移し、ミリアムの嬉しげな呻き声を聞いた。

 

学生寮の自室で、ミリアムの寝顔を見守りながら朝を迎える。習慣の1つとなっていた。

純粋無垢な彼女の笑顔は、今も私に元気を与えてくれる。これも1ヶ月半振りだ。

 

「ただいま、ミリアム。それとありがとう。ノルド高原で、色々頑張ってくれたんだよね」

「まあねー。でもトーマにシーダも、みーんなアヤのことを心配してたんだよ?」

「そっか。機会があったら、会いに行くよ。私も久しぶりに顔を見たいしね」

 

ミリアムの頭をポンポンと叩いてから、周囲を見回す。

ここに来てやっと実感が湧いてきた。誰もがそう言いたげな表情を浮かべていた。

初めに心境を語り始めたのは、フィーとラウラだった。

 

「女子はやっと揃ったね。長かったけど、何だかあっという間だった気もする」

「ああ、そうだな。昨日のように・・・・・・柄にもなく、目頭が熱くなってきてしまっている」

 

ラウラが言うと、フィーが私を真似るように、ラウラの頭を優しく撫で始める。

思わず笑ってしまった。この2人のやり取りも、何もかもが懐かしく暖かい。

言葉には出さずとも、全員が同じ想いを抱いているに違いない。

 

知らぬ間に、全てが変わってしまっていた。

当たり前に続くと思い込んでいた何もかもが、いつの間にか散り散りになっていた。

取り戻せる物がある一方で―――失ってしまった物も、ある。

後者は何処かで見限り、受け入れなければならない時がいずれやって来る。

前者はただひたすらに、拾い集めるしかない。

 

だから私達は、今ここにいる。

こうして再び会える日が来ると信じて、諦めずに歩み続けてきた。

今だけはその足を止めて、感情に身を任せてしまえばいい。

 

目元を指で拭っていると、ポーラが私の背中を叩いてから言った。

 

「《Ⅶ組》って、やっぱりすごいわね。私まで泣けてきちゃうわ」

「・・・・・・ねえ、ポーラ」

「気にしないでよ。おかげでクラスメイトの話も色々聞けたし、安心したわ」

 

ケルディックのロジーヌやベッキーに加えて、レックスにムンク。

他数名の《Ⅴ組》生徒についても、ノルドやレグラム方面に散らばっていた皆のおかげで、安否を確認することができていた。

 

話を聞く限り、ロジーヌの推測通り、大部分の生徒が東部へと落ち延びていたようだ。

当たり前だが、ポーラもポーラで級友達のことが気になっているのだろう。

 

「さてと。夕食まで、結構時間があるわね」

 

壁に掛けられた時計を見ながら、アリサが言った。

それぞれ割り当てられた部屋に向かう前に、リィンが今後について簡単に纏めてくれていた。

 

今は午後18時40分。19時半には全員で食堂に集まり、夕食を取る。

今晩から明日の午前にかけては、一先ず旅の疲れを癒すことに専念する。

午後以降の行動については、夕食後に皆で話し合う。

急ぎ過ぎず焦らずに、且つ今後のためにも明確に。リィンの提案に、誰も異論を挟まなかった。

 

「じゃあ、私は露天風呂に行くよ。丁度修繕が終わったって話だしね」

 

入浴は2日前に風見亭の浴場を借りたのが最後。

私はそれ程気にならないが、皆と行動を共にするとなれば話は別だ。

習慣とは怖いもので、慣れてしまえば入浴さえ至極どうでもいいことのように思えてしまう。

放浪していた3年間はそんな余裕が無かったし、ノルドには入浴という習慣自体が無い。

 

今はすぐにでも湯に浸かりたい。ユミルに来てから、一段と肌寒さを感じていた。

ラウラとエマも寒暖差に悩まされていたようで、私と一緒に汗を流すことになった。

50分もあれば、十分に温まることができるだろう。

 

3人で入浴の準備をしていると、アリサがエマに向かって言った。

 

「ねえエマ。セリーヌも一緒に連れていってあげたら?」

「セリーヌ、ですか?」

「掛け湯ぐらいなら大丈夫みたいよ。この間も、身体を洗ってあげたしね」

 

エマの足元にいたセリーヌへ、皆の視線が注がれた。

素っ気無い態度を取りながらも、分かり易過ぎて笑いが込み上げてくる。

二言三言漏らしてはいるが、「連れていって」と言っているようなものだった。

 

流石は鳳翼館。飼い猫も同行が許される温泉が、他にあるかどうか。

それなら、私も遠慮はいらない。汗を流してあげたい存在が、私の身近にもいる。

 

「ランも一緒に来ない?今日はたくさん助けられたし、身体を洗ってあげるよ」

 

口にした瞬間、皆の目が大きく見開いた。

私は首を傾げながら、再び部屋の片隅にいたランと視線を重ねた。

ランは初め鳳翼館の裏庭にいたのだが、外は寒いだろうと思い、私が部屋へと連れ込んでいた。

 

「あれ、駄目だった?貸切状態だって話だし、問題は無いと思ったんだけど」

「ふむ。それ以前に、聞きたいことがあるのだが」

「ランって、ぶっちゃけ何者?」

 

当然と言えば当然の疑問を、フィーが率直に投げてくる。

積もる話は後でと言っておきながらも、ランという存在は別問題のようだ。

 

これはどう応えるべきなのだろう。

ランについて説明するには、まずクロスベルに関する話から始める必要がある。

それは明日の午後にする予定だった上に、ランについては私でさえ全てを理解できてはいない。

 

腕を組みながら考え込んでいると、代わりにランが口を開いた。

 

『私がこの場にいるのは、アヤに助力するために他ならぬ。それ以上でも以下でもない。多くは語れぬが、敵意が無いことは約束しよう』

「あはは!アヤに懐いてるのは小鳥の時と一緒だね!」

「それは少し違うと思うけど・・・・・・」

 

いずれにせよ、ここで話していても仕方ない。

詳細は明日に話す。皆にそう伝えてから、借りた着替えを脇に抱え、ランの顎下を撫でた。

 

「見た目は狼だけど、ランはランだよ。一緒に入っても構わないよね?」

「ま、待ちなさいよ。それは流石に不味いと思うわ」

 

被せるように、戸惑いの色を浮かべたアリサが言った。

再び首を傾げてしまった。掛け湯程度なら問題ないと言ったのは自分だろうに。

 

「ねえ、何が不味いの?セリーヌがいいなら、ランも大丈夫の筈でしょ」

「それは・・・・・・ううん、やっぱりランが女湯に入るのはどうかと思うわよ」

「は?」

 

皆がうんうんと頷きながら、アリサへ賛同の意を示し出す。

エマと彼女の膝の上に座るセリーヌだけが、違った反応を見せていた。

何となくだが、漸く理解できた気がする。多分、とんでもない誤解が生じている。

 

「あのさ。ランに性別とか無いからね。恥ずかしいなんて感じる必要全く無いから」

「でも言動や声が完全にオスじゃない。セリーヌはメスだからいいのよ」

「違うってば。私だってクロスベルにいた頃は、ランと一緒に川で水浴びとかしてたからね」

「「っ!?」」

「その反応おかしくない!?何でそんな目で見るの!?」

 

案の定、皆の認識が盛大に誤っていた。

確かに声や口調は男性のそれだが、聖獣という存在に雌雄など無い。ランが言っていたことだ。

それぐらいは私でも分かるし、今度は私に対する大変な誤解が生まれようとしていた。

 

「だからさ、ランにはオスもメスもないの。それは分かってよ」

「でもガイウスとセリーヌが一緒にお風呂に入るって言われたら、アヤも嫌でしょう?」

「別に何とも思わないけど」

「アヤさん、それは聞き捨てなりません。セリーヌを何だと思っているんですか」

「そうじゃなくってっ・・・・・・ああもう!」

 

結局私達は下らないやり取りに時間を費やし、夕食の時間を迎えることになった。

そして私の知らないところで、セリーヌとランとの間で会話が交わされていた。

 

『その、皆を代表して謝罪します。申し訳ございません、ラン様』

『・・・・・・よい。おぬしもそう畏まるな』

 

夕食後、セリーヌによる説教が始まった。

 

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時は戻り、12月11日の午前5時過ぎ。

鳳翼館の1階に下りると、洗濯籠を運ぶメイプルさんの姿があった。

 

「あら、おはようアヤさん。随分と早いわね」

「おはようございます。メイプルさんこそ、朝から忙しそうですね」

 

もう冬の季節だというのに、メイプルさんの額には薄らと汗が浮かんでいた。

広々として充実した施設の割には、仕えている従業員の数が若干少な目のように感じてしまう。

少数精鋭と言ってしまえばそれまでだが、引く手数多というのが正直なところなのだろう。

 

「フフ。私が用意したお部屋、使ってくれたみたいね?」

「あーはいはい、それはもう。ありがとうございました」

 

とりあえずのお礼を言いながら、視線を斜め上へ外した。

 

昨晩、私達に充てられた部屋は3つ。

トヴァルさんを含めた男性陣。《Ⅶ組》の女性陣とポーラ。年長組の女性陣。

そしてどういうわけか、もう1部屋。メイプルさん曰く、私とガイウス専用。

 

当然のようにアリサ達と同じ部屋で眠ろうとした矢先、半ば強引に追い出された。

立ち尽くしていると、反対側の部屋からガイウスが押し出されてきた。

その後は流れと勢いに乗っただけだった。まあ、そういうこともある。

 

「メイプルさん、露天風呂って朝も入れますか?」

「さっきパープル姉さんが清掃を終えたところよ。一応6時までは混浴だけど、構わない?」

「はい、大丈夫です」

 

昨晩は揉め事の末、ランは自ら入浴を辞退していた。

この時間なら誰もいない筈だ。気兼ねなく朝風呂を満喫することができる。

 

メイプルさんにお礼を言いロビーへ向かうと、2人の女性がテーブルへ突っ伏していた。

テーブルには食べ残しと思われる料理や、酒瓶の数々が散乱していた。

 

「あっ」

 

モリゼーさんとサラ教官だった。

察するに、ここで酒盛りをしていた流れで、そのまま寝入ってしまったようだ。

背に掛けられた毛布は、従業員の誰かが持ってきてくれたのだろう。

 

意外なことに、モリゼーさんとサラ教官は面識があった。

考えてみれば、マゴットさんとサラ教官も付き合いが長いと聞いていた。

お互いほぼ同年代なこともあり、ケルディックでは良い飲み仲間だったそうだ。

 

「・・・・・・また随分飲んだなぁ」

 

片されていないということは、相当遅くまで飲んでいたと見える。酒瓶の数も相当だ。

教官が負った傷もエマの治癒術が施されたとはいえ、完治してはいないだろうに。

 

テーブルに転がっていた酒瓶を立て、毛布を被せ直す。

するとテーブルの下で、もぞもぞと何かが動き始めた。

 

「あれ、ラン?こんな所にいたの?」

 

私の声に、ランの耳が小刻みに動き反応した。

部屋にいなかったので探してはいたが、ここにいたのか。

 

『この者らに付き合わされてな。愚痴の聞き役に徹する羽目になった』

「あはは、そうだったんだ。結構大変だったでしょ?ごめんね、付き合わせちゃって」

『おぬしが気にせんでもよい・・・・・・ゆっくりと休めたようだな。表情が晴れている』

「そっか。ねえラン、今からお風呂に入らない?」

 

再びランの耳がぴくぴくと動き出す。

最近になって、やっとランの感情を読み取れるようになってきた。

昨晩はああ言ったが、性別はなくともランには感情があり、人格がある。私達と同じだ。

全てを理解できなくとも、思考を察し、嗜好を把握できつつあった。

 

『よかろう。案内するがいい』

「決まりだね。じゃあついて来てよ」

 

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見渡す限り、白色に光り輝く雪景色。

頭に雪を乗せたアイゼンガルド連邦が厳かに立ち並ぶ様は、言葉では表現のしようがない。

以前の小旅行の際に、ユミルの観光ガイドを目に通したことがある。

『一目見ただけで、人生観が変わる』。そんな謳い文句が掲載されていた。

大袈裟とは思えなかった。セントアークの石灰棚に負けず劣らずの絶景だ。

 

それに湯加減も申し分ない。独特の香りは、天然の恵みである証拠。

身体中から疲れが染み出ていくような気分だった。思っていた以上に疲労も溜まっていたようだ。

ランも同じ風景を眺めながら、打たせ湯を満喫していた。

 

(今後、どう動くべきか・・・・・・難しいなぁ)

 

今日の午後に皆で一堂に会し、まずは情報を共有し合う。

その後は私達が置かれた立場と状況を改めて整理し、今後の方向性について議論を重ねる。

夕食の際、《Ⅶ組》の皆と簡単に協議した結果、そのような流れになっていた。

 

相当な時間を費やすことになるだろう。私自身、明確な考えがあるわけでもない。

それでも私達は、一度話し合うべきなのだと思う。全てはそれからだ。

 

ちなみに午前中は、モリゼーさんを連れてユミルを案内する約束となっていた。

モリゼーさんにとって、ユミルを訪れるは今回が初。

一方の私は二度目な上に、里の住民の多くは既に顔見知りの身だ。

皆に挨拶へ回りながら、モリゼーさんの案内役に徹する予定だった。

・・・・・・かなり飲んでいたようだが、大丈夫だろうか。今も深い眠りについているに違いない。

 

ガラガラッ。

 

(誰か、来た?)

 

背後から聞こえてきた音に振り返ると、女性がいた。

身に着けていたピンク色の湯着が、アクアブルーの細髪を際立たせていた。

 

「あら・・・・・・フフ、アヤさんでしたか」

「クレア大尉。おはようござ―――」

 

立ち上がりながら、朝の挨拶を口にしようとした矢先に、言葉が詰まった。

途端に、胸の奥から黒々とした負の感情が込み上げてくる。

 

怒り、憎しみ、恨み。

何故あんなことを。私の大切な人達を、この人は。

 

(―――え?)

 

冷風に肌寒さを感じたところで、我に返る。

何だ、今のは。訳が分からない。私は今何を考えた。

 

「アヤさん?」

 

この人は鉄道憲兵隊所属の、クレア大尉。

これまで何度もお世話になってきた、尊敬に値する私達の先輩。味方だ。

だというのに、私は今この人に対し、嫌悪感のような何かを抱いてしまった。

 

「・・・・・・いえ。少しだけ、のぼせてしまったみたいです」

 

自分でもまるで理解できない感情を抑え、平静を装う。

きっと、疲れていただけだ。頭の中でそう言い聞かせながら、私は一旦湯から上がった。

 

一度冷水で顔を洗った後、湯を囲う岩に腰を下ろし、私達は改めて朝の挨拶を交わした。

クレア大尉は昨晩から夜通しで、通信機器の機能拡張を図っていたそうだ。

こんな時間に露天風呂へ来たのは、その疲れを癒すためだった。

 

理由は勿論、貴族連合の動きをより正確に、迅速に把握することにあった。

これまでリィン達は何度も貴族連合と対峙しては、機甲兵部隊を退けてきた。

その上に昨日、バリアハートでの一件だ。これには私やランも大いに関わっている。

私達はアルバレア邸に侵入した挙句、渓谷道で機甲兵を大破させたのだ。

ユーシスが言っていたように、とりわけ私やリィンは徹底的に追われる身になりつつある。

万が一の事態に陥った際に先手を打って動くためにも、鉄道憲兵隊と連携を取りながら、情報を逐一収集する必要があった。

 

「この数日間で一通りの策は講じましたが、できる限りのことはしておきたいですから。今後のことを考えれば、万全を期して無駄になることはないでしょう」

「・・・・・・その、ありがとうございます。私が言うのも何ですけど、大変助かります」

「お礼なんていいですよ。トヴァルさんにも手を貸して頂いてますから」

 

鉄血の子供が1人、氷の乙女。

味方にいてくれるだけで、これ程頼もしいと思える人間が何人いるだろう。

サラ教官もクレア大尉という存在のおかげで、あんな風に羽目を外すことができたに違いない。

 

だからこそ―――余計に、疑念が浮かび上がってくる。

それは昨日も考えたこと。聞いてみてもいいものだろうか。

 

「フフ。どうぞ遠慮なく、気になることは聞いて頂いて結構ですよ」

「あ・・・・・・すみません」

 

表情に出てしまっていたのだろう。

この人に隠し事は無駄のようだし、何をやっても敵いそうにない。

それに華奢なように見えて、身体も相当鍛え込んでいるように見受けられる。

引き締まった身体付きからは、フィー以上の俊敏性を窺わせた。

 

ともあれ、こればっかりは本人に直接聞くしかない。

私は単刀直入に、抱いていた疑問を投げかけた。

 

「どうして、ユミルに来てくれたんですか?クレア大尉にも、大尉という立場がある筈ですよね」

「個人的な感情が働いているのだと思います。軍人失格だという自覚もありますよ」

「・・・っ・・・・・・個人的な感情、というのは?」

「勿論、私があなた達後輩を慕っているというのが理由の1つです。それ以上は言えません」

 

普段通りの透き通るような声で、クレア大尉は即座に答えをくれた。

余りに早すぎた返答に、聞いたこちらが動揺を隠せなかった。

 

クレア大尉は鉄道憲兵隊の中核を担う、重要な正規軍人の1人だ。

こんな状況下で、彼女がユミルの防衛を担わなければならない理由は何処にも無い。

私達やユミルは大助かりだが、正規軍側としては重大な損失のように思えてならない。

 

クレア大尉は今、どんな立ち位置から私達に手を貸してくれているのだろう。

鉄道憲兵隊、鉄血の子供、士官学院の先輩。それ以外の、個人的な何かか。

いずれにせよ、これ以上を聞いても無駄だということは理解できていた。

 

「その、変なことを聞いてしまってすみません」

「当然の疑問でしょうから。トヴァルさんやサラさんからも、似たようなことを言われましたよ」

「あの2人が・・・・・・あはは、益々聞いたのが馬鹿らしくなってきました」

 

どうやら今更感満載の質問だったようだ。

少なくとも、クレア大尉は自らの意志でユミルに滞在してくれている。

その想い自体には微塵も疑う余地が無いし、私にとやかく言う権利も無い。

信頼に値する女性だ。今は素直に、彼女の助力に感謝さえすればいい。

 

「それにしても・・・・・・アヤさん、湯着はいいのですか?」

「え?」

 

クレア大尉が交互に私と自身の身体を見比べながら、湯着について触れた。

私は今生まれたままの姿。脱衣所に湯着があるのは知っていたが、身に着けてはいない。

 

「窮屈だし、湯着って苦手なんです」

「でも早朝とはいえ、今は混浴の時間ですよ?」

「あはは、大丈夫ですよ。そろそろ上がろうと思ってま―――」

 

ガラガラッ。

 

タオルを肩に掛け、鼻歌を口ずさみながら扉を開けた男性が1人。

振り返った私を見た途端、その表情が凍り付いた。

 

「あん?」

 

―――ごめんなさい、トヴァルさん。

私は心の中で土下座をしながら、手元にあった桶を全力で投擲した。

 

_______________________________

 

案の定、モリゼーさんは見事に二日酔いでダウンしていた。

だというのに、同じ量を飲んだとされるサラ教官は平然としていた。

胃の大きさならモリゼーさんなのだろうが、教官は胃が分厚いとしか思えなかった。

 

結局モリゼーさんのユミル案内と挨拶回りは、後日へずらすことにした。

私は今ガイウスと一緒に、宿酒場『木霊亭』に向かっていた。

 

「ねえゼオ。私達、これからどうすべきだと思う?」

『ピュイッ、ピュイイィ!』

「あはは、全然分かんない」

 

ケーブルカー駅の屋根で羽を休める鷹へ、手を振りながら語り掛ける。

私の隣では、ガイウスが苦笑いを浮かべていた。

 

ガイウスとゼオの付き合いは長い。

私がノルドに腰を据えるより前から、ゼオはガイウスの頭上を飛び回っていた。

驚いたことに、ゼオはガイウスを追って遥々ノルド高原から飛んで来たのだそうだ。

私はてっきり、精霊の道を辿って一緒に来たとばかり思っていた。

 

「流石に俺も驚かされた。ゼオもゼオで、俺を探し回っていたようだな」

「・・・・・・ゼオって実は言葉が喋れて、大きくなったりしないよね」

「アヤ、何を言っている」

 

どういうわけか、ランという特異な存在が脳裏をかすめた。

あるわけないか。もしそうなら、ランが何か言ってくる筈だ。

 

私達は再び飛び立ったゼオを見送り、木霊亭へと足を運んだ。

店内には午前中から酒盛りをするモリッツさんと、それに付き合うジェラルドさん。

それに店の手伝いに励むキキちゃんの姿もあった。

 

「久し振りだね、キキちゃん。私のこと覚えてる?」

「おじーちゃん、大変なの。また大食いのおねーさんが来た、の」

「ハッハッハ。何言ってんだキキ、こんな嬢ちゃんは知らねえな」

「現実逃避はダメなの。またパンケーキの材料が無くなっちゃう、の」

 

2ヶ月振りの第一声にしてはひどい言われようだったが、まあ前科があるのだから仕方ない。

私達は控え目に4人分のパンケーキと飲み物を頼み、テーブル席に座った。

 

「それで、どこまで話したっけ?」

「ガライという男性の話じゃなかったか」

「あ、そうそう。あの人、もしかしたらお義父さんより強いかもしれないよ」

 

私はヴェスティア大森林で出会った一族について、一通りの話をガイウスへ聞かせていた。

勿論、レイアのことは伏せておいた。彼女には悪いが、今後も触れることはないだろう。

会わせるわけにもいかない。レイアなら強引に―――やめよう。考えたくもない。

 

「父さんより、か。ウォレス准将もそうだが、上には上がいるんだな」

「准将も有名だしね。私は会ったことないけど」

 

通称『黒旋風』。

ノルドの血を引くとされる、領邦軍きっての英雄と噂される若き豪傑。

こと槍術においては、右に出る者無しとまで言われる使い手だ。

ガイウスは一昨日の昼間、レグラムを訪れていたウォレス准将を扉越しに見ていた。

曰く、准将もお義父さんの更に上。一目見ただけで、確信を抱いたそうだ。

 

本当に、上には上がいる。

サラ教官もそうだが、所謂達人と呼ばれる存在は到底理解に及ばないし、同じ人間とも思えない。

私が彼らの域に達する日は来るのだろうか。あるとするなら、あとどれぐらい掛かるのだろう。

 

「そういえば、ノルドで父さんに稽古をつけてもらっていた時の話なんだが」

「うん」

「漸く一本取ることができた」

「うんうん・・・・・って、ええ!?う、嘘!?」

 

思わず驚嘆の声を上げてしまった。

その声に驚いてしまったのか、注文の品を運んでいたキキちゃんが頬を膨らませながら立っていた。

 

「おねーさん、大声を出さないでほしい、の」

「ご、ごめんごめん。でもガイウス、それ本当?」

「ああ。一本だけだがな」

 

一本だろうが二本だろうが変わりは無い。相手がお義父さんなら、まぐれや偶然もあり得ない。

素直に驚いた。私も幾度となく立ち合ったことはあるが、剣が届いたことは一度も無かった。

 

9月頃から飛躍的に腕を上げたとは思っていたが、私はその幅を見誤っていたのかもしれない。

少なくとも私が考えていた以上に、ガイウスの槍術は化けつつあるに違いない。

 

「やはりエステルのおかげだろう。彼女のおかげで、新しい型を身に付けることができたからな」

「色々教えて貰ってたしね。今度私とも立ち合ってよ」

「勝てる気がしないぞ」

「負ける気は無いもん」

 

右拳を握りながらパンケーキを頬張り、今し方ガイウスが呼んだ女性の名を反芻する。

エステル、か。エステル達は今頃、何処で何をしているのだろう。

そもそも帝国が分裂したことで、諸外国がどのような状況になっているのかが分からない。

知ろうにも知る術が無いのだ。メディアが掌握されている以上、発信される情報は当てにできない。

 

「今後の事を考えるなら、外の状況も知っておきたいんだけど・・・・・・どうなんだろ」

「だがアヤは数日前まで、クロスベルにいたんだろう?それだけでも貴重な話を聞けそうだ。みんなも気になっているんじゃないか」

「・・・・・・うん」

 

クロスベルというキーワードが出た途端、奇妙な感覚を抱いた。

クレア大尉の顔を見た時と同様、身に覚えのない感情が込み上げてくる。

 

(何か、変な感じ)

 

今この場にいる私は、ガイウスらと同じ《Ⅶ組》のクラスメイトとしての私。

ロイド達と共にいた私は、故郷を想う気持ちを分かち合う私。

どちらも私なのに、どうしてだろう。水と油のように、お互いが反発し合っていた。

 

__________________________________

 

午後13時。シュバルツァー男爵家、中央食堂の間。

広々とした間取りの部屋に、20名超は座れるだろう木製の長テーブル。

壁際にはワインセラーや、見るからに高級そうな食器が飾られた棚が並んでいた。

 

「よし、全員揃ったな」

 

私達はテーブルを囲い、集まったメンバーを確認し合っていた。

クロウを除いた《Ⅶ組》にポーラ。サラ教官とトヴァルさん、シャロンさんにクレア大尉。

誰もが神妙な面持ちだった。私も私で、険しい色を浮かべているのは自覚していた。

 

「昨晩話した通り、まずは俺達が置かれた状況を確認しよう。話はそれからだと思う」

「そうね。焦っても仕方ないし、今後の動き方を決めるには必要なことだわ」

 

リィンとアリサが、議論のテーマと大前提を並べていく。

 

状況が状況なだけに、私達はユミルへ長居するわけにはいかない。

ここへ長期間留まっていれば、いずれ貴族連合に居場所を突き止められると考えた方がいい。

遅くとも、明日中。明日までに、私達自身で何らかの答えを導き出す。

そのためにも、今日のうちにその下地を築いておく必要があった。

 

「そうだな・・・・・・まずはアヤ、君の話を聞かせてくれないか」

「え、私?」

 

リィンが私を名指しすると、皆の視線が私へと向いた。

するとマキアスとエリオットが頷きながら、リィンに続いた。

 

「僕も同意見だ。帝国もそうだが、諸外国やクロスベルの状況も知れるだけ知っておきたい」

「僕達は実際にクロスベルを見たんだよね。遠目にだけど・・・・・・あの青白い光の正体を、アヤは知ってるの?」

 

覚悟はしていた。ユーシスはともかく、私は最後に皆と合流した身。

しかも数日前までクロスベルにいたのだ。聞きたいことは1つ2つに留まらないだろう。

 

午前中からずっと考えていた。

客観的に見て、事の発端は10月22日のクロスベルの国家独立宣言。

そして全ての元凶は―――七耀歴が時を刻み始めた直後にまで、遡る。

 

「クロスベルは・・・・・・クロスベルの独立宣言と、国外資産の凍結。国防軍の設立に、ゼムリア大陸諸国連合の提唱。その全てが、大統領一族の独断だったって言ったら、どう思う?」

 

全員の表情が消えた。

教官にトヴァルさん。執行者であるシャロンさんさえもが、言葉を失っていた。

正確に言うなら、クロイス家の独断という表現は間違っているかもしれない。

だが当たらずとも遠からずといったところだろう。理解して貰うには、的確な表現の筈だ。

 

皆が沈黙する中、初めに切り出したのはミリアムだった。

 

「んー。ボクもクロスベル方面のことは余り知らされてないけど、話は複雑そうだね。クレアはどう?」

「いえ、私もそこまでのことは・・・・・・アヤさん、続けて下さい」

「分かりました」

 

この際、幾百年に及ぶ遠大な計画は問題ではない。

重要なことは、クロスベルは帝国と似た状況にあるということだ。

 

まず身食らう蛇という協力者の存在は、両者で共通している。

国防軍という独自の軍隊を利用し、国家独立へ異を唱える存在を掌握するクロスベル。

帝国もそうだ。機甲兵部隊を展開し、メディアを味方に付け、革新派を徹底的に追い込む。

反徒とする人間の安否など意に介さない。民間人の生活さえもが取るに足らない。

 

「当たり前だけど、大統領のやり方に反発する人間もいたよ。罪も無く囚われたり、大切な物を奪われたり・・・・・・私の幼馴染が、その1人だったんだ」

「そいつが例の特務支援課ってわけだろ、アヤ」

「はい。クロスベルのことは、ランが教えてくれました。ランも特務支援課の一員だったんです」

「成程ね。やーっと断片的な情報が繋がってきたぜ」

 

言葉を選びながら話しているためか、皆も何とか理解してくれてはいるようだ。

帝国と共通点が多いことも影響しているのだろう。

 

「アヤ、1つ聞いてもいいかな?」

 

控え目に右手を上げながら、エリオットが言った。

 

「トヴァルさんが、クロスベルは新たな『力』を手に入れたって言ってたけど・・・・・・ガレリア要塞が消滅しちゃったのも、それと何か関係があるの?」

 

尤もな質問だ。私も丁度、その件について触れようと思っていたところだった。

零の巫女というキーワードは、やはり伏せたままでいい。

騎神という非常識な力が霞んでしまう程に、絶対不可侵な力。その正体についてだ。

 

「『神機アイオーン』。確か、そんな名前だったと思う」

 

帝国の第5機甲師団に、共和国の空挺機甲師団。

両者をたったの30分間足らずで壊滅させ、あのガレリア要塞を文字通り消滅させた。

神機の脅威を伝えるには、その事実だけで十分だった。

 

「ふむ。俄かには信じ難いが、帝国時報に掲載されていた写真通りだったというわけか」

「うん。私も要塞の跡地は見たけど、列車砲ごとっ・・・・・・?」

 

突然、言葉が詰まった。

急に黙り込んでしまった私に、ラウラが訝しむような視線を向けてくる。

 

「む。どうしたのだ、アヤ?」

 

―――そうか。私はそうだったんだ。

今更になって、漸く思い至った。

私がクレア大尉に抱いた感情の正体と、その根底にある事実。

忘れていたわけではない。無意識のうちに、抑え込んでしまっていたのだろう。

 

「・・・・・・クレア大尉」

 

彼女に問い質したところで、意味は無いのかもしれない。

理解していても、沸々と込み上げてくる感情が言うことを聞かない。

《Ⅶ組》の一員である筈の私が鳴りを潜め、もう1人の私が声を荒げ始める。

止めることはできなかった。私は怒気を孕んだ声で、蔑むように言った。

 

「どうして帝国正規軍は、列車砲を撃ったんですか?」

 


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