絢の軌跡Ⅱ   作:ゆーゆ

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12月10日 再会の果てに

一晩、考えて。

ユーシスへ向けた筈の言葉を、私は文字通り一晩を費やして反芻した。

 

彼が選んだ道が、迷い考え抜いた末の物であるなら、私にできることは何もない。

そうでないことは、ユーシスの目を見れば明白だった。彼は単に、諦めていただけだ。

遅かれ早かれ、彼は選択を迫られていた。それは私の役目というわけでもない。

あの場に《Ⅶ組》の誰かがいれば、私と同じ言葉を突き付けていた筈だ。

 

ただ、ユーシスが背負うであろう物の重みを、他者が推し量ることはできない。

級友と袂を分かち、アルバレア家の責務を果たす。大切な選択肢の1つだ。

戦争という現実と、公爵家としての立場の前では、私達の絆など個人的な感情に過ぎない。

そもそも《Ⅶ組》は今現在、反逆者の一味として追われる身。

一時でも私達と行動を共にしては、ユーシスの今後に関わってくる。

 

一方で、この半年間を唯の想い出として割り切れる程、軽い物だとも思えない。

共に来てくれると言うのなら、私は喜んで受け入れる。ポーラもきっと戻ってくれる。

その後は《Ⅶ組》の皆と合流すべく、旅路を共にすることになるだろう。

 

ユーシスにとってはいずれの道も、苦渋に満ちている。何かを見限り、見放すことに繋がる。

この内戦がどのような結末を迎えるにせよ、今日という決断は根底にある何かに触れる。

ユーシスがこの先歩んでいく、何十年かの人生を左右する程に重々しい、選択の刻。

 

ユーシスが言ったように、私は分かっていなかったのかもしれない。

たったの一晩で選び抜くには、酷な選択だ。余りに時間が少なすぎる。

 

「アヤ君。後悔しているのかね?」

「・・・・・・いえ。そういうわけじゃありません」

 

それでも、後悔はしていない。たまたま私だったというだけだ。

誰かが言わなければ、ユーシスは前に進めない。何も変わりはしない。

 

「漸く、来てくれましたね」

 

日付が変わり、既に太陽は真上に程近い、12月10日の午前11時。

渓谷道の外れでユーシスを待ち続けていた私達の耳に、牧歌的な足音が聞こえてきた。

蹄鉄と地面が奏でる独特の駈歩音。近付くに釣れて、次第に胸の鼓動音も大きくなっていく。

 

やがて姿を見せたのは、銀毛のように美しい輝きを放つ毛並みの白馬だった。

馬が高らかな鳴き声を上げると同時に、足音は止んだ。

代わりに聞こえてきたのは、馬乗者が地に降り立った音。

 

「随分と遅かったね」

 

私が言うと、ユーシスは右手に持っていた写真を器用に投げ付けた。

くるくると回転しながら飛来したそれを、私はしっかりと受け取った。

 

「すまなかったな。久方振りに朝寝坊をした」

「あはは。目の下に隈ができてるよ」

 

あのユーシスが朝寝坊、か。余程眠れない夜を過ごしたのだろう。

私も似たようなものだった。多少の睡眠は取れたが、気を抜くと欠伸が漏れてしまいそうになる。

 

「久しいね、ユーシス君。また会えて嬉しいよ」

「・・・・・・先輩も、壮健そうで何よりです。野盗に襲われたと聞きましたが」

「大事無いさ。マッハ号も取り戻せた。他の馬達も、ケルディックで面倒を見てもらっている」

 

ランベルト先輩が頭を指し示しながら答えると、マッハ号も合わせるように唸り声を上げた。

するとユーシスは私へ視線を戻し、私の目を見ながら無言で問い掛けてきた。

あいつは今、何処にいる。彼の目から汲み取った問いに対し、私も背後に視線を向けて応えた。

背後に停めていた馬車の中。モリゼーさんの膝の上で、ポーラは静かに眠っていた。

 

一瞬だけ、ユーシスの表情が緩んだように思えた。

すぐにそれは元の険しい顔付きに戻り、ユーシスはやや躊躇いがちに言った。

 

「先に言っておく。答えは出ていない」

「・・・・・・そっか」

 

そう言われるであろうことは分かっていた。考えて導き出せる問題ではない。

それでいいと思える。私だって、今この国でどう振る舞えばいいのか見当が付かない。

 

だからこそ私は、共に答えを探す仲間が欲しかった。

過ぎ去った日々を取り戻せると信じ合える、彼が欲しかった。

写真が無くとも、彼は来ていた筈だ。答えを伝えるためではなく、見つけ出すために。

 

「迷っているね、ユーシス君。良い顔だ。私もまた、迷う立場にあるのだよ」

「・・・・・・貴族民の1人として、ということですか」

「そのようなところだ。だがこの際、考えても仕方あるまい」

「え?」

 

ランベルト先輩は、背に担いでいた大剣を手に取り、その切っ先をユーシスに向けた。

予想だにしない先輩の行動に、私もユーシスも言葉が出なかった。

 

「答えが出ないのであれば、一勝負しようではないか。良い気分転換になる」

「馬鹿な・・・・・・一体何を」

「ユーシス君、私は本気だ」

 

ランベルト先輩は豪快に大剣を振るうと、どういうわけかそれを『投げ捨てた』。

ガシャンと乾いた音を立てて、大剣が地面に転がった。

怪訝な表情を浮かべるユーシスとは裏腹に、先輩は上着の袖を捲りながら、快活に笑った。

 

「いつも君は波風を立てず、器用に物事をこなそうとする。だが時には馬のように泥だらけになり、もがき苦しむ必要もあるのだよ」

「何を仰りたいのか理解できませんが」

「本来君は、不器用極まりないということさ。ユーシス・アルバレア君」

 

―――さあ、構えたまえ。

ランベルト先輩の言葉に苛立ちを覚えたのか、ユーシスは腰にあった剣を無造作に放り投げた。

同時に、表情が変わった。迷いはあれど、何かを見つけたように、晴れやかだった。

 

止めることはできなかった。私がすべきことは見守り、見届けること。

そう信じて、私は立ち合いの音頭を取った。

 

_________________________________

 

12月4日の、ベルガード門の地下ホーム。

キッカケとなった言葉は、よく覚えていない。

それでも私は帝国人の1人として、仲間としてノエルに応えてあげたかった。

ラウラのように真っ直ぐで、ユーシスのように不器用な彼女は、揺れ動いていた。

ノエルは本気で私を殴った。だから私も、全力で彼女に叩き込んだ。

共にぶつかり合って、初めて分かることがある。私はラウラの言葉を信じるしかなかった。

 

あの時の私達のやり取りを、ユーシスとランベルト先輩は身を以って再現していた。

ランベルト先輩の胸中は、私にとって想像するに容易かった。

本気でぶつかり合うことで、ユーシスの葛藤と迷いを、晴らしてくれようとしていた。

 

どれぐらいそうしていただろう。

殴っては返され、蹴っては地に膝を付く。その繰り返し。

体格差はあったが、完全に互角のぶつかり合い。技の冴えはユーシスに分があった。

 

「はあぁっ!!」

 

ユーシスの上段蹴りが、ランベルト先輩の頭部を襲った。

両腕で防いではいたものの、先輩の身体は衝撃で吹き飛び、再び膝が折れてしまった。

一方のユーシスも肩を上下に揺らし、地に膝を付きながら身体を支えていた。

 

お互いに満身創痍だった。口内を切り、血で溢れ返っているのだろう。

何度も何度も唾と共に吐き出したせいで、周囲の雑草は濃い赤色に染まっていた。

 

「っ・・・・・・参った。ユーシス君、見事だ」

 

ランベルト先輩は笑みを浮かべながら、地面に大の字で寝そべっていた。

対するユーシスも両膝を付き、俯きながら荒々しい呼吸を繰り返すだけ。

 

そろそろ限界に違いない。これ以上は、もう無理だ。

そう考えて、私は馬車の中にいたモリゼーさんに声を掛けた。

 

「モリゼーさん。先輩を看てもらえますか。ユーシスは私が引き受けます」

「分かったわ」

 

モリゼーさんは足早に先輩の下へ駆け寄り、回復系統のアーツを詠唱した。

私もそれに習い、ARCUSを取り出しながらユーシスの傍に歩み寄る。

 

「・・・・・・だろう」

「え?」

 

するとユーシスは俯いたままの状態で、何かを漏らし始めた。

足を止めて聞き耳を立てていると、もう一度。今度はハッキリと聞き取ることができた。

 

「忘れるわけないだろう」

 

何を。聞き返すまでもなかった。掛ける言葉も見つからない。

私はどうすることもできず、その様を見守り続けていた。

 

「ふざけているのはお前の方だ。捨てられるわけがないだろう」

「・・・・・・ユーシス」

「言われなくとも分かっているっ・・・・・・何が大切な写真だ!お前だけの物だと思っていたのか!?」

 

膝を付いたままの姿勢から、ユーシスの右拳が地面に叩きつけられた。

思わず顔を背けたくなったが、私は彼の姿をしっかりと見据えた。

 

「嘘なわけがないだろう!?全てお前が言った通りだ!お前達といる間は、俺は俺でいられた!!共に馬と戯れている時の、俺は・・・・・・俺、は」

 

何度も何度も地に打ち付けていた拳打が止み、声が尻すぼみに小さくなっていく。

身体を震わせながら、自分自身に問い掛けるように、ユーシスは声を漏らし続けた。

 

「どうしてっ・・・・・・俺はいつも、こうなんだ」

 

選び取るのは、彼自身にしかできない。

示してあげられる答えを、持ち合わせてはいない。

私達にできることは、そっと手を差し伸べることだけだ。

 

だというのに、身体が動かない。足が言うことを聞いてくれない。

ユーシスの曖昧な言葉の1つ1つが、胸の奥に重く圧し掛かってくる。

案の定、私は見誤っていた。彼が背負うものの重さは、私達の誰よりも重い。

彼にどんな言葉を並べたところで、気休めにしかならない。私には、選べない。

 

「―――本当に、不器用なんだから」

 

(え・・・・・・?)

 

不意に、背後から声が聞こえた。

聞き間違いかと思い振り返ると、既に彼女の姿は無かった。

入れ違うように、彼女は一歩一歩、ゆっくりとユーシスの下に歩み寄る。

私に見えるのは背中だけ。その背中が、とても暖かく感じられた。

 

「ユーシス」

「・・・・・・っ!」

 

彼女―――ポーラが名を呼ぶと、俯いていたユーシスの顔が上がった。

ユーシスはポーラの顔を見るや否や、大きく目を見開き、その表情が消えた。

かと思いきや、ユーシスは再び顔を下げてしまった。

 

この場にいた全員が、すぐにその理由に思い至った。

ランベルト先輩も、モリゼーさんも。ランさえもが、笑っていた。

『顔向けができない』というのは、正に今のユーシスのためにある言い回しなのだろう。

 

「・・・・・・バカ。どうしてあんたが泣くのよ」

 

ポーラは腰を下ろし、ユーシスと同じ視線に座り―――そっと、彼の頭を抱いた。

壊れ物を扱うように、ひどく弱々しく身体を震わせる彼を、暖かく包み込んでいた。

 

ユーシスの言う通りだ。昨晩、あんな真似をするまでもなかった。

彼が忘れられるわけがない。私がそうであるように、捨てられるわけがない。

公爵家の一員として背負い続けてきた使命感と責務は、彼を彼として形作る物の1つ。

《Ⅶ組》として、馬術部として過ごしてきた日々も同じだ。時の長さは関係無い。

 

「ユーシス」

 

私は2人の下に歩を進め、そっと右手を差し伸べた。

続くようにポーラも立ち上がり、左手をユーシスの前に。

 

「一緒に行こう。昨日はあんなことを言っちゃったけど・・・・・・こんな状況だし、ユーシスがどうすべきかだなんて、無責任なことを私は言えない。でもだからこそ、一緒に考えよう」

「・・・・・・フン」

 

ユーシスは袖口で目元を拭った後、私達の手を取り、立ち上がった。

その表情に、迷いや戸惑いはあった。でも諦めは一切見受けられない。

私が知るユーシス・アルバレア。いつも堂々として立ち振る舞う彼が立っていた。

 

「いいだろう。元よりこの内戦には疑念を抱いていた身だ。俺自身が歩むべき道を見極めるためにも、お前達と行動を共にすると約束しよう」

「目を真っ赤にしながら偉そうに言われても恰好がつかないわよ」

 

同行の意を示したユーシスに、ポーラが間髪入れずに突っ掛かった。

思わず笑ってしまった。見慣れた日常風景だというのに、とても懐かしく思えてくる。

 

「ねえポーラ、その・・・・・もう大丈夫なの?」

「そうね。まだ頭がボーっとしてるけど、全部覚えてるわ。今更だけど、お礼を言わせてよ。ありがとう、アヤ」

「ハッハッハ!どうやら話は纏まったようだね」

 

声に振り替えると、ランベルト先輩とモリゼーさんが立っていた。

先輩の方はまだふら付いているが、先程の立ち合いの傷は多少癒えたようだ。

 

「フフ、青春ってやつかしら。アヤちゃん、良かったわね」

「はい。おかげ様で漸くここまで来れました」

 

ポーラの心は戻ってくれた。ユーシスも、一緒に来ると言ってくれた。

いつも精力的にクラブ活動へ尽くしていた4人が今、笑い合いながら立っている。

 

(ロイド。私もやっと、前に進めたよ)

 

頭上を仰ぎながら、同じ空の下、国境の先にいる幼馴染に語り掛ける。

彼はどうだろう。もう1人の大切な仲間は、彼の隣にいるだろうか。

私は取り戻しつつある。知らぬ間に失いかけていた物が、ここにある。

次に目指すは級友の皆。《Ⅶ組》との合流を果たすためにも、立ち止まってはいられない。

 

「おい、この女性は誰だ」

「あっ。言ってなかったっけ」

 

ユーシスは怪訝そうな表情で、モリゼーさんを見ながら言った。

考えてみれば、モリゼーさんのことはユーシスに話していなかった。

昨晩は時間が限られていたこともあり、必要最低限の話しかできていない。

今はお互いに知っていることを共有し合う必要がある。今後の動き方についてもそう。

まずは話をしよう。そう私が切り出そうとした―――その時。

 

「ユーシス、まずは私達の―――」

「そうは問屋が卸しませんわ!」

 

遥か後方から投げられた言葉で、私の声は遮られた。

聞き覚えのない、女性の声。皆が顔を見合わせ、辺りを見回した。

 

すると唐突に後方から光が放たれ、眩しさの余り顔を背けてしまった。

やがて光は消え、私は何度か目を瞬いてから、その方角に視線を向けた。

 

(―――え?)

 

3人、いた。

白銀色に輝く甲冑に身を包み、大振りの剣と盾を両手に携えた女性が1人。

燃え盛る様な紅色のコートと、エメラルドグリーンの長髪が目に留まる男性が1人。

そして―――もう1人。忘れることのできない、7年前の過去。野生的な気当たり。

 

「クク、知らねえ顔もいるが・・・・・・アヤ・ウォーゼル。雪山以来だな」

 

10月3日。ユミルの雪山で思いも寄らない再会を果たしてしまった、狼。

身食らう蛇、№Ⅷの肩書を持つ男性が、薄ら笑いを浮かべながら、私を見つめていた。

 

「ユーシス!」

「分かっている!」

 

お互い即座にポーラとランベルト先輩の腕を取り、3人と距離を取る。

ランもモリゼーさんとの間に入り、唸り声を上げながら威嚇を始めていた。

 

(慌てるな。慌てるな、私)

 

取り乱すな。気をしっかりと持て。そう自分に言い聞かせながら、下唇を噛んだ。

たとえ唐突に窮地へ陥ったとしても、前触れなく眼前に脅威を突き付けられたとしても。

ここで判断を間違えれば、命は無い。頼りにできるのは、過去の経験と知識。

もう何度も人外と呼べる存在と対峙してきた。こいつらは、そういう連中だ。

ユーシスもそれを理解しているようで、すぐに戦術リンクを繋げてくれていた。

 

「感動の再会といったところでしょうが、水を差させていただきますわ。トールズ―――」

「さっさと押っ始めようぜ。全員まとめて相手をしてやるよ」

「って、ああもう!どうしてあなたはいつもそうなんです!?」

 

ヴァルターの狂気染みた欲求と力は、もう7年も前に肌で味わっている。

甲冑の女性も、立ち振る舞いから腕前の程が容易に窺えた。私などが敵う相手とは到底思えない。

紅色のコートの男性のみ、どういうわけかその力量を推し量れなかった。この感覚は何だろう。

いずれにせよ、他の2人と同等の力を持っていると考えるべきだ。

 

(ユーシス、知ってることがあったら教えて)

 

視線を3人から外さずに、私は小声でユーシスに語り掛けた。

ユーシスも拾い上げた両刃剣を構えながら、同様に返してくれた。

 

(貴族連合に、得体の知れない者達が協力しているとは聞いていた)

(こいつらがそうってわけか。最悪の展開だね)

(ああ・・・・・・これ以上、無い程にな)

 

貴族派に結社の息が掛かっていることは、私達の知るところでもあった。

だがこうして直接牙を向けてくるだなんて、思ってもいなかった。一体何故、このタイミングで。

私の疑問に答える様に、ヴァルターと会話を交わしていた甲冑の女性が言った。

 

「コホン。アルバレア公に対する義理などはありませんが・・・・・・ユーシス・アルバレア。あなたの勝手を見過ごすわけにはいきませんわ。それにアヤ・ウォーゼル。あなたの身柄も押さえさせていただきますわよ」

「結局一戦交えんだろ。俺と変わらねえじゃねえか」

「その前に言うべきことがありますでしょう!?」

 

狙いは私とユーシスか。やり取りから察するに、ヴァルター以外の2人も結社の一味。

この3人が貴族連合の協力者であるというのも事実なのだろう。

 

本当に―――本当にこの上無く、最悪の展開だ。

貴族連合から追われる身であることは自覚していた。

だが身食らう蛇の執行者が直接出張ってくるだなんて、一体誰が想像できる。

 

こんなところで捕まるわけにはいかない。やっとの思いでここまで来れたんだ。

何とかしてこの場を打開しなければ、先が無い。その方法を考えていると―――

 

「フム。どうやらこの2人をひっ捕らえるために参上した、というわけのようだね」

「そうは問屋が卸さないわよ」

 

―――ランベルト先輩とポーラが、私達の一歩前に立ちはだかった。

先輩は大剣を両手に、ポーラはARCUSを右手で逆手に構えていた。

甲冑の女性はポーラの言葉が癇に障ったのか、不機嫌な声で言い放った。

 

「気に入りませんわね。私の台詞を真似しないでいただけます?」

「ただの慣用句でしょ。真似も何も無いと思うわよ」

「それぐらい知っているに決まってますでしょう!あなた私を馬鹿にしていますの!?」

 

随分と口数の多い女性だ。死と隣合わせと言ってもいいこの状況下で、思わず笑みが零れた。

おかげ様で、腹は決まった。この場を切り抜けるには、方法は1つしかない。

 

(ユーシス、一旦退こう)

 

私は視線と戦術リンクを介して、ユーシスへ『撤退』の意を示した。

ユーシスは頷きでそれに応えてくれた。彼も同じ考えだったようだ。

 

この3人と真面にやりあって、無事で済む筈がない。待っているのは敗北だけだ。

ランベルト先輩とポーラも、肌で脅威を感じ取っているのだろう。額に大粒の汗が浮かんでいた。

こちらにはモリゼーさんもいる。私とユーシスはともかく、巻き込むわけにはいかない。

誰にも文句は言わせない。皆を守り抜くためには、他に手立てが見当たらない。

 

(ランっ)

 

戦術リンクの繋ぎ先を、モリゼーさんの傍らにいたランへと切り替える。

鍵を握るのはランだ。ランの脚を使えば、逃げ果せることができるかもしれない。

重要なのはタイミング。下手を踏めば背中を叩き斬られる羽目になる。

こちらから仕掛けるか、何とか持ち堪えながら機を窺うか。

 

「おいおい。そいつは無しだろ」

「え?」

 

突然、今まで沈黙を守っていたコートの男性が呟き、私の目を覗き込んでくる。

視線を重ねた途端―――表現のしようが無い、途方も無く巨大な殺気を叩き込まれた。

 

「っ!?」

 

背筋に悪寒が走ると同時に、全身が焔に包まれたかのような錯覚に陥った。

肺と喉が焼け呼吸が止まり、握っていた長巻が手から離れ、地面に転がった。

連想されたのは、旧校舎の地下で臨んだ試練。あの黒い影の威圧感を越える、最大級の気当たり。

 

「アヤ!」

 

気付いた時には、私は喉を押さえながら座り込んでいた。

ユーシスが名を呼んでくれたおかげで、何とか失いかけた意識を繋ぎ止めることができていた。

喉は焼けていないし、身体も燃えてはいない。呼吸もできている。あるのは絶望的な現実だけだった。

 

「折角来てやったんだ。少しぐらい楽しませろよ」

 

漸く理解できた。私程度では、あの男の力を推し量ることは叶わない。

撤退などできるわけがない。背中を見せたら最期、私達は間違いなく燃やし尽くされる。

ランの力を借りたとしても無駄に終わるだけだ。何か根本が、次元が違っているとしか思えなかった。

 

『フム。異能の持ち主か。厄介極まりないな』

 

覚悟を決めるしかない。皆には悪いが、全滅よりかは現実を選び取るしか方法がない。

たとえ全員が無事で済まなくとも、誰かが犠牲になれば、可能性は捻り出せる。

 

「・・・・・・ラン。私のことはいいから、みんなを逃がしてって言ったらどうする?」

『聞けぬ相談だ。それに―――』

 

―――援軍だ。

ランは言いながら、執行者達の背後に目を向けていた。

ランの視線の先を見やると同時に、3人の背後から、力強い声と剣気を感じた。

 

「地裂斬っ!!」

「あん?」

 

声と共に放たれた斬撃が地面を抉り、地を這いながら襲来した。

執行者達が振り返ったところで技は直撃し、辺り一帯に砂埃が巻き起こる。

 

(い、今の技って)

 

早鐘を打つが如く、一気に胸の鼓動音が速さを増した。

急に耳が遠くなり、場違いな想い出達が次々と脳裏をよぎり出す。

まるで水の中にいるかのように周囲の風景がぼやけ、その動きがひどく緩やかに感じられた。

 

「みんな、無事か!?」

「何とか間に合ったようだ」

 

リィンにラウラ。

久しぶりに声を聞いた気がするが、現実なわけがない。

 

「敵勢力を確認。多分効いてない」

「そのようですね。セリーヌ、下がっていて」

 

フィーとエマ。

また幻聴か。どうかしている。

 

「死線のクルーガーさん。あたしと2人掛かりなら、№Ⅰのアレをどうにかできると思う?」

「百万が一にも、勝ち目は無いかと」

 

サラ教官、シャロンさん。

2人がいれば百人力だが、やはり幻に違いない。

 

「アヤ」

 

それと―――彼。

大好きで大好きで、一時たりとも忘れることのできなかった、彼。

 

絶望の余り、私は幻想を見始めている。そう思っていた。

私は今日、想い出の欠片を取り戻しただけだ。こんなにたくさんを、拾い上げた記憶は無い。

しかしだとするなら、この光景は何だ。どうしてユーシス達まで、そんな表情を浮かべている。

五感は冴えている。既に耳鳴りも止んでいる。声が鮮明に聞こえてくる。

視界にもハッキリと、周囲から飛び出してきた皆の姿が映っていた。

 

「・・・・・・ガイ、ウス?」

 

背後に立っていた彼の幻想に語りかけると、その手が私の頬に触れた。

10月28日の出来事が、鮮明に思い出された。あの時も彼は、私の顔に体温をくれた。

 

「本音を言えば、行かせたくはない。あの日、俺はそう言ったな」

「うん。言った」

「離れたくもない。ずっと君に触れていたい。確か、そうも言った」

「うん。言った」

「なら俺がこれから何を言うか、分かっているな」

「・・・・・・うん」

 

―――おかえり、アヤ。

幻想が言うと同時に、それは現実となった。

吸い寄せられるように私達は身体を重ね、唇を重ねた。

忘れかけていた匂い、感触。幻想にしては、余りに生々しく、暖かい。

確かめるように、何度も何度も。息が続く限り、重ね合った。

 

感情と言葉が追い付いてきたのは、その後。

ゆっくりと離れた彼の顔を見つめながら、私は全てが現実であることを知った。

夢でも幻想でもない。待ちわびた再会が今、目の前にある。

 

「約束を、守ってくれたな。ずっとこうしたいと毎日願っていた」

「ガイウスっ・・・・・・ガイウス!」

「ああもう!!どうして敵前でそのような破廉恥な真似ができるのです!?」

 

声に振り返ると、もう1つの現実を突き付けられた。

そうだ。私達はつい今し方まで、絶望の中にいた。

辺りを見回すと、誰もが複雑な表情を浮かべていた。

甲冑の女性だけが顔を背け、地団駄を踏みながら剣を片手で振り回していた。

 

「アヤ。イチャつきたい気持ちは分かるけど、後にして」

 

いつの間にか隣にいたフィーが、双銃剣の柄で私の腰を突いてくる。

全てが突然すぎて、思考が正常に働いてくれない。それでも分かることがある。

目の前の脅威は去っていない。それは今も変わっていない。

 

「よ、よく分からないけど・・・・・・ガイウス、続きは後でね」

「ああ。まずは目の前の敵を見据えよう」

 

だがこちらには希望がある。皆がいる、ガイウスがいる。

気を張っていないと、自然と顔が緩んできてしまう。

今なら何だってできそうな気分だ。背中に翼が生えたかのように、身体が軽い。

 

「積もる話も後よ。あんた達、よく聞きなさい」

 

サラ教官の声で、皆の得物が敵に向いた。

皆がどうしてこの場にいるのか、聞きたいことは山程あるが、今は後回しだ。

3対11、加えてラン。数の利は完全にこちらにある。この窮地を脱するには、総力戦しかない。

 

「コートの男はあたし達が引き受けるわ。あんた達は他の2人を押さえなさい」

「どちらも達人クラスの使い手です。皆様、どうかお気を付けて」

 

誰かが割り振ったわけでもなく、自然と相手取る対象は絞られた。

サラ教官とシャロンさんは、あの異次元に住む男。ガイウス達は、甲冑の女性。

そして私達4人、馬術部組はヴァルター。それぞれが得物を構え、覚悟を決めた。

こうなったら、全力で立ち向かうまでだ。

 

「何とかなるかもしれない。ランはモリゼーさんをお願い」

『よかろう。無理はするな、いざとなれば手を貸す』

「よ、よく分からないけど頑張って、アヤちゃん」

 

誰か1人でも無力化できれば、一気にこちらが優勢になる。

相手はあの身食らう蛇の執行者。どう見ても地力はあちらが一枚も二枚も上だ。

たとえそうだとしても、この壁を乗り越えないと、前には進めない。

 

「トールズ士官学院《Ⅶ組》。全員でクロウのいる場所へ辿り着くためにも、やるしかない!みんな、全力で行くぞ!!」

 

リィンの号令で、ガイウス達の交戦が始まった。

こちらも睨み合っていては仕方ない。持てる力の全てを、この男にぶつける。

 

「先輩、繋ぎます」

「任せたまえ。前衛は我々が引き受けよう」

「私達もよ、ユーシス」

「フン、いいだろう」

 

私とランベルト先輩、ユーシスとポーラのARCUSが、戦術リンクで繋がった。

初めてにしては上出来だ。特に違和感も無く、自然とお互いの意思疎通を図ることができた。

 

「何でもいい、さっさと来やがれ。早々にくたばってくれるなよ」

「・・・・・・何でだろ、随分と不機嫌そうに見えるけど」

「クク、気のせいだろ」

 

ヴァルターが拳を鳴らした途端、その体躯が一気に膨れ上がったかのような錯覚に陥る。

目が眩んでしまいそうになる程に、巨大な気当たり。少しでも気を緩めたらそこで終わりだ。

 

「トールズ士官学院馬術部諸君、ここが正念場である!心してかかれ!!」

「「おう!!」」

 

もうすぐだ。もう少しで私達は、取り戻せる。

その先にきっと答えがあると信じて、私は地面を蹴った。


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