今日は4月2日、入学式まで後2日に差し迫ったその日、僕は誠也が作った入学前の最終試験を受けていた。
この問題は誠也が僕の体を使い、パソコンで書いたものをプリントアウトしたものなので当然僕は内容を把握していない。
最後の科目である社会の最後の見直しをしていると、時間切れを知らせるタイマーが僕の横で鳴り始めた。
『じゃあ丸付けするから少し体借りるぞ』
「うん」
そう言って誠也は僕の全身を使い始める。丸付けくらいは僕がしてもいいとは思うけど、彼はやりたくてやっていると言っていることからただこの事を口上に外に出たかっただけかもしれない。
確かに目や耳などの五感は殆ど共有できているものの、この空間にいるとどうしようもなく閉塞感を感じてしまう。今は彼と入れ替わって僕が僕の中に居るという少し良く分からない事態になっているが、確かにこの場所はずっと居て気分のいい場所ではない。
『終わったぞ』
その言葉と共に僕に体の支配権が返ってくる。解答用紙を見ると、何と国語と数学で100点を取っていることが判明した。社会と理科は87点89点とそこそこ悪くはない点で、英語は最も惜しくスペルミスで1点減点されて満点を逃していた。一番こういうのが悔しくなるんだよね…。
『平均点は95点か。まあ今までの学校での成績表を鑑みれば上出来だ』
「うん、ありがどう…」
何か褒められているような貶されているような微妙な気分だ。
今までの成績表、それは僕にとって黒歴史同然だ。この学校に入学式したときはまだ良かった、だけど中学二年に上がってからというものの中々点数が取れなくなるようになり、結果的に中二最後の期末で全科目の平均50点台というあまりにも悲惨な点の数々になってしまった。
そしてその結末がE組漂流というわけだ。
「そういや誠也は中学校の時どのくらい成績取ってたの?」
『まあ大体いつもは満点だったな。偶に一問ミスる事はあったが、90点以下は取ったことは無いぞ』
やっぱり神田誠也は天才だった。
「…おはよう誠也」
『ああ、早く起きろ渚』
朝の一幕、僕は誠也に朝の挨拶をすると、ベッドから直ぐに起きる。これは以前眠くてベッドで少しうとうとしていたら誠也に殴られたからだ。誠也曰く目覚めの覚醒は10秒以内らしい。…流石にそれは無理だけど。
『ほら、ささっと着替えて外へ行け』
「分かってるって」
ここ最近続けている、と言うか続けさせられている習慣、それがランニングだった。今は大体毎朝5kmを目標に走っている。これも誠也が身体を作らなければ何にもできない出来損ないになる、という少々過激すぎることを言いながら僕に指示したことだった。おかげで始める前より多少は体力がついたような気もする。3km走ったくらいじゃバテなくもなったし。
ランニングが終わると、家へ帰ってシャワーを浴びる。この時まだ6時半、普段の僕からは考えられないような行動だろう。
そして部屋に戻ると今度は勉強、軽く英単語帳を読む。なんか最早高校受験を控えた中学生のルーチンワークになっている気もするが、そこは誠也クオリティなのかもしれない。実際誠也は外部へ受験することも勧めてきているし、これを機にE組から抜け出せなかったら外部でここ以上の高校を受けてみるのもいいかもしれない。誠也が聞いていたら「自惚れるな」とか言いそうだけど。
「にしても明日は学校かー…」
そう、遂に明日E組へ行かなければならないのだ。ENDのE組、その由縁は二学期までにこのクラスから抜け出せないと付属の高校へ上がれない他にもう一つ、隔離校舎にある。
『そうだ。どうやら校舎は山の上らしいから今までのジョギングの成果が出るかもしれんな』
「うん、まあその点は良かったの…かな?」
『何で疑問系なんだ…』
E組の教室は本校舎から離れた山の中層部に位置している…、らしい。一回も下見へは行った事はないから分からないけど、先輩が昨年E組だった同級生から話を聞くとどうやらそこは地獄だそうだ。
木造校舎にエアコンはなく、クラスの雰囲気は常に死んでいて、その先輩は抜け出すために猛烈な勉強を繰り返して何とか二学期までにE組を抜けられたとのことだった。
『まあともかく、今日1日は休みでいいんじゃないか?昨日の俺のテストでもそれなりに取れていたからな、これは恩赦だ。自由にしろ』
「恩赦って…、まあ良いけどさ」
自由にしていいと言われてから僕は何をしようかと悩む。実際今年の春休みは誠也と会うまでは絶望感で何をする気力も起きず、会ってからも勉強ばかりで大した休息はなかった気がする。休みとは一体何だったのだろう…。
だけどこうして、逆に自由にしろと言われても何をして良いか分からない。思えば僕にはそんな多趣味じゃなければ、気軽に誘えるような友達もいないのだ。だけど明日から学校が始まるこの貴重な休日である1日を無駄にしたくはない。
僕がウンウンと唸っていると、誠也はこんな提案をしてきた。
『…何も思いつかなければダーツなんてどうだ?ここから2駅ほど先にゲームセンターがあったはずだ』
「…それ、誠也がやりたいだけじゃないの?」
『まあ否定はしないがな、結構面白いぞダーツは』
そんな力強い誠也の言葉につい釣られて、朝ごはんを食べ終えると開店時間を待ってゲームセンターへと足を運んだ。
ゲームセンターはまだ朝の開いたばかりとあって、人は全然入っていなかった。案内板を見ればダーツのある場所は4階で、同じエリアにビリヤードなどのあまり僕には馴染みの無い種類のものもそこには置いてあるらしかった。
「…ねえ誠也、ここ本当に中学生が来ても大丈夫なの?」
『当たり前だろう、ダーツは全年齢対象だぞ?それに幾ら渚みたいな童顏で女みたいだからといって入店を拒否られるほどご立派な遊びでもない』
酷い言われようだ。
4階に上がるとやはり人はガラガラで、今この階にいる全員が一人で来ているのが見て取れることから趣味でやっているのであろう。そんな大人の人が数人いるくらいだった。
ダーツコーナーにはダーツをする為の機械が30台ほど鎮座しているが、ダーツの矢はどこにもない。
「…誠也、僕はどうすれば良いの?」
『馬鹿か。カウンターがあるだろう、そこで矢を借りろ』
言われてみれば確かに、カウンターにも[ダーツの矢をお貸しいたします]と書かれている張り紙が貼られている。
「すみません」
「はい、ダーツの矢で御座いますか?」
「あ、そうです」
カウンターの店員の人に声を掛けると手慣れた対応と手つきでダーツの矢が数本入った箱をカウンターから取り出して、僕に渡す。
「では、5番でお願いいたします」
「…分かりました」
5番…。あのダーツの機械って番号が振られてたんだな……。
当然場所も知らない僕はしどろもどろになりながら探し、1分してやっと見つけることができた。
ダーツの機械には100円を入れるところがあったので取り敢えず入れてみる。そうすると上に設置されている液晶にメニュー画面のようなものが表示される。どうやら機械にある4つのボタンで操作するらしい。
「…ていうか説明してよ誠也。何もわかんないんだけど……」
『そういやそうだったな、まあ気にするな』
気にしてるのは僕なんだけど…と言いたい気持ちを抑えて誠也の説明を聞く。
『まず右から二個目のボタンを押せ』
「…これ?」
指示通りそのボタンを押すと、今度は画面に[301][501][701][901]の4つの選択肢が表示された。
『次は好きなもの選べ…と言いたいところだが渚にはどうせ何も分からんだろう、取り敢えず[301]のボタンを押せ』
「あまり納得はいかないけど、分かった」
ボタンを押すと、画面に301と大きく数字が表示され、ブザーのような効果音が鳴る。…これはつまりスタート、ということだろうか?
『じゃあまず今選んだ[301]の基本ルールについて説明してやろう。これはダーツをダーツボード、つまりダーツを刺すところに投げて刺さったところの点数を301から引いていって0にするゲームだ』
「…まあ、それは分かるけど。例えば点数をつける基準はどうなの?」
そう聞くと誠也は僕の右手を操りダーツボードの中心を指差す。
『この一番中心の赤いところがあるだろ?これがダブルブル、あるいはインナーブルと呼ばれていて50点の場所だ。そしてその一個外側の円、これはシングルブル、またはアウターブルと言って今回の場合は25点だ。それでだ、次にダーツの外周に沿って細い枠があるだろう?あれがダブルと言ってその外側に書かれている点数の2倍になる、そしてあの内側のダブルと同じような細い円がトリプルだ。こちらも文字通り、外側に書かれた点数の3倍になる。つまりダーツにおいて最高得点はど真ん中ではなくて…』
「ごめん誠也、全く理解が追いつかない」
そんな知らないゲームの知識を延々と話されて直ぐに脳には入ってくる人間は極僅かだと思う。
『だろうな、流石の俺も思った』
「分かってるなら察してよ…」
誠也は僕の左手を動かして右手にダーツを持たせる。なんか最近突然操られても全く動じなくなってしまったのが少し心残りだったりする。
『じゃあ俺が手本を一回見せてやるから体借りるぞ』
「う、うん」
そう言うと僕の意識はどこか別の場所へと飛ばされる。身体を動かそうとしてもどこの部位も僕の命令に反応しない。ただ五感だけは共有しているのが伝わってくる。初めは正直少し気味が悪かったが、今じゃ不思議な空間程度で済ます事ができてしまう。これもやはり慣れなのだろう。
そうして代わりに誠也が表に出る。
誠也はダーツを右手に持ったダーツを軽く、紙飛行機を投げるかのように真っ直ぐ投擲する。
ダーツはそのまま弧を描いてダーツボードに刺さり、液晶に表示された得点が301から241へと減少する。
「今刺さったところがあるだろう、あれがトリプルだ」
ダーツが刺さったのは内側の細い円だった。外側に20点と書かれていて、あれがトリプルということは得点は三倍の60点となる。…なるほど、だから得点は301から241に変化したのか。
「じゃあ変わるからやってみろ」
『うん』
瞬間、現実感が戻ってくる。
僕は箱に入っているダーツを一本掴んで、ダーツボードに向かって構える。
そして、気持ち軽く投げる。
ダーツはダーツボードに向かって直線に飛んでいきーーー
『…これは0点だな』
ーーーダーツボードの上に設置された液晶部分にダーツが当たり、こちらに跳ね返ってきた。我ながらこれはないと思う。
『おい、もう一度変われ』
そう言って僕は再び誠也に体を貸す。誠也はダーツを一本取り、素早くそのまま投げる。素早いけど決して雑なわけではない、むしろ洗練されているといえる。
そして刺さった場所はど真ん中、確かダブルブル…だったはずだ。
『…本当、ダーツ上手いね』
「まあこれが唯一の趣味みたいなもんだったしな。ほれ、お前も早くやれ」
身体を返してもらった僕はダーツを取り、どう投げればどこに刺さるのか頭の中でシミュレーションする。あまり意味はないかもしれないけど、やらないようは多分ましだと思うからだ。多分。
そして狙いを決めて、投擲。
…何とか一番外側の大きな円の中にに当たる。
『やっと入ったか。これはシングルだな、点数的には4点だ』
4点…。全くパッとしない結果だね…。
「おい、そこの君」
誠也がバンバンと難しい位置を当てる中で、全くダーツの矢が上手く当たらず微妙な気分に浸っていると突然後ろから男の人に声を掛けられた。振り返るとスーツを着た、少し厳しい表情をしている男の人が居た。
…僕、何かしたっけ?
『…俺は少し格闘技やってたから分かるが、こいつ出来るぞ』
何でそんな突然ジャンプの決闘シーンみたいな発言してるのさ……。
そんな事を考えていると、男の人は自分のダーツを持ちながらこう言ってきた。
「君、中学生くらいだな?ダーツ初心者か?」
「は、はい。僕はそうです」
その言葉に少し怪訝な表情をする男の人。まあそれもそうか、それに僕の心の中にもう一人いると言っても信じてはくれないだろうし。
『俺は超上級者だこんなへっぽこナギ太朗と一緒にすんな堅物野郎』
そして誠也は煽らない煽らない、あとその言葉僕にしか聞こえてないから…!
「先ほどから少し気になって観察させてもらってはいたが、中々ムラがあるようだな。難しいところに当てたと思えば簡単なミスをする、投げるフォームもまるで別人のようだ」
「…は、はい…」
バレかけている…のか?
確かに僕が投げれば簡単な場所に当たるか外すかで誠也が投げると点の高い場所ばかり当たる。やっぱり側から見ているとその光景は落差が激しいのかもしれない。
しかしそんな僕の考えは杞憂のようで、何でもないように男の人は話を続ける。
「まあそれは別にいい。それでなんだが良かったらダーツについて教えてやろうか?」
突然の知らない人からの誘い。普段なら怪しさ十分で断るのだろう。
だけど僕はこの提案に何故か乗り気でいた。
『まあ俺以外の人間から教わるのもまた一考だろう。ただこいつが上手いかどうかによるが』
誠也も何だかんだで乗り気ではあるようだ。何よりの証拠に普段なら嫌なことは速攻で拒否する意見を放つのだが、今日はそれが全くない。
「…じゃあお願いします。あ、あと僕の名前は潮田渚です」
「俺は烏間唯臣だ。今日まで自衛隊所属だったが教師に転向する事になった」
どうやら男の人は教師らしい。だけど自衛隊から教師になるって言うことは相当な訳ありなのだろう。
そうして僕は烏間さんからダーツの投げ方をさらに詳しく教わった。また、烏間さんと様々な世間話をすることもできた。
どうやら烏間さんの次の職場は今までのそれと全く異色な場所になるらしく、そこに様々な思いがあったらしい。そんな中今日は久々に休暇を貰えたから偶にはと言うことでダーツをしに来たとのことだった。
僕自身も多少自分の事を話したが、椚ヶ丘中学生でE組に入ることになってしまった事を自重気味に言うと、そうか君が…と少し意味深な事を呟いていた。…もしかしたら勘違いかもしれないけど。
そうして烏間さんに基礎を教えてもらいゲームに挑んだのだが、烏間さんは誠也に劣らずかなりの上手さだ。五回に一回はダブルブルに当ててくる。僕は3回ほど301で挑んだのだが全く手も足も出なかった。それを待っていたとばかり気が抜けた僕の身体を乗っ取った誠也が勝負を仕掛けていたが、お互いが残り10以下になる接戦になりながらも最終的には烏間さんが勝っていた。誠也がその後すぐ引っ込んでしまったせいで急に上手くなった言い訳に少し苦労はしたが、結果的に楽しい時間を過ごすことができた。
そうして1時間半ほど投げ続け、10プレイくらいした後僕と誠也は帰ることに決めた。烏間さんはもう少し投げていくらしい。
「じゃあ、今日はありがとうございました」
「ああ、明日はちゃんと学校行けよな」
「それじゃまるで僕が不登校みたいじゃないですか…」
そんな軽い会話をし、特に電話帳も交換する事なくゲームセンターの自動ドアを開く。流れ込んできた春の風は、僕を外へ誘うが如く朗らかでどこか包容力があった。それに逆らわず、僕は風に身を任せて一歩、また一歩と足を上げる。明日はE組への登校日だ。E組には絶望しかない。
だけど、今の僕ならばE組だろうとどこだろうと望む場所どこにでも行けるような気がした。
まあなんの面白みも無いですね…
あと一言、作者は原作を持っていないのでアニメのみでこの作品は構成されています。
なので原作と異なる設定があった場合、オリジナル設定としてご容赦下さい