潮田渚は二重人格である   作:Mr,嶺上開花

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やっちゃった


1時間目 贖罪の時間

3年E組。それは椚ヶ丘中学校において成績不良、素行不良などの様々な理由から問題があると教師に判断された生徒が流れ着く、通称落ちこぼれクラス。そこに落ちたら人生詰むとさえ言われることもある。

 

 

そんなクラスに僕は入る予定だ。

 

 

と言ってもその理由はシンプルだ。この偏差値71の進学校の授業についていけなくなっただけ、そんな誰にでも分かる理由。

しかしこの学校ではそれすらも許されない。

 

このE組は学校全体で蔑まれる対象として存在している。自分もああなりたくはない、と他のクラスの人間の学習意欲を促させるためにあるようなものなのだ。

 

 

 

 

『…おい、聞いてるのか?聞いていたら良い聞いてなかったら一発殴る』

 

目の前の英語の問題を僕の左手で指差しながら、彼は言う。

 

「ご、ごめん。少しぼうっとしてブグッ⁉︎」

 

殴られた。自分の左手に。これ程シュールな絵面はないだろう。

 

『よし、じゃあ続きをやるぞ』

 

「…う、うん」

 

 

 

 

…そしてE組行きが決定して春休みに入ったある日、何もやる気が湧かずその代わりに無限に心の底から湧いてくる自分への失意と絶望に耐えきれなくなり、遂には僕は自殺するため近くの断崖絶壁の岩場がある海岸へと身投げすることを決意した。

その時の僕はきっと狂気に呑まれていたんだと今は思う。

 

財布一つで家を飛び出した僕は、海岸への最寄駅へ行くため電車を利用した。あの時のガタンゴトンと揺れる電車での心情は今でも覚えている。恐怖と絶望と狂気と…そんなカオスな感情が入り混ざって頭では何を考えているのかさっぱり分からなかった。

でも僕の周りは全て真っ黒で、闇に包まれていて、ただ僕のすべきは死ぬ事なんだ、という義務感のようなものは何も見えない暗闇を見るたび何回でも再認識できた。

 

 

そして、事が起きたのは目的の駅の一つ前のことだった。

電車が最もスピード出していた直線部分で脱線、そのままカーブに差し掛かって曲がり切れずに電車が横倒れに転がり始めたのだ。

 

その時僕はこれで死ねるんだ、と思いながら脱線して傾いた車内で乾いた笑いを漏らしていたと思う。

でも、車体が横倒れに数回転しても僕は死ななかった。いいや、死ねなかった。守られたんだ。

 

 

横倒れになる直前、僕の隣に座っていた見ず知らずの大学生くらいの男の人が僕を抱き締めたんだ。黒い髪で、スーツを着込んでいて、厳格そうな雰囲気を醸し出していたけれど、整った顔つきの中に幼さのようなものが残っていたから僕はそう感じた。そして、僕が彼に質問をする前に車体は倒れ、勢いよく車内はさながら洗濯機の中のように回り始めたんだ。

その時の車内には人は多くはなかったけどそれでも20人くらいは居たし、つまりその分の荷物もこの車内には存在していた。中には旅人のような人もいて、大きなハードケースカバンを持っていた。

 

僕が何が言いたいかというと、僕を抱き締めて庇ってくれた人の頭や胴体に旅行鞄を始めとする色々なものが降りかかってきた。

それを彼は耐え、それでも僕を守ったんだ。

 

 

回転が収まると、僕は一番に僕を庇ってくれた人の脈を調べ、瞳孔を調べ、呼吸を調べた。死んでいた。そしてしばらく僕はそこから動けなかった。

 

それからと言えば直ぐに救急隊が駆けつけて僕を庇ってくれた人を含め、車内に乗っていた重症者を次々と救急車に運び出して、僕のような軽症者は横転した電車の直ぐそばに作られたテントで事故について隊員の人に質問されたり身元を確認されたりしながらも怪我を診てもらった。

 

家へ帰えると、両親はテレビを見ていた。どうやら僕が事故に遭ったことには気付いてなかったようだった。

そのまま部屋に戻ると、ある程度抑えられていた絶望感がまた噴き出してきた。冷たい床にそのまま倒れて、死にたい、死ななきゃ、生きてはダメだ、そんな事ばかりが脳裏に浮かんでいた。でも死ねなかった。多分この時の僕は僕を庇ってくれた人に大して無意識のうちに罪悪感が沸いていたのだと思う。

 

そして次の日、僕の家へと電話が来た。

 

 

「あの、もしもし…」

 

『君が渚くん?』

 

「そ、そうですけど…あなたは?」

 

『私はね、神田友美って言うの。…君を庇ったバカ息子の母親よ』

 

その時、正直言ってしまえば恐怖した。僕が庇われなければ彼は死んでいないかったかも知れない。その事を追及されて糾弾されると思ったからだ。

 

でも、友美さんはそんな自己保全しか考えていなかった僕に優しくこう言った。

 

『…私は渚くん、貴方のことは恨んでないわ。あの息子の突拍子の無い行動は何時もの事だもの。口を開けば偉そうな発言と厳しい言葉しか出ないけど、根はとても優しい良い子だったの…』

 

そうして僕の方から頼んで友美さんの息子、誠也さんのお葬式へ行く事になった。それに驚いたことに、誠也さんはあの大人びた風貌なのにやだ高校生らしい。来月には高校2年になるらしかった。

 

 

数日後、誠也さんのお葬式が行われた。両親にも事情を話し、泣かれながらも礼服を借りることができた。両親は本当に僕が事故に遭ったことをずっと知らなかったのだ。

 

葬式会場では多くの人が来ている中、友美さんと会えた。今年で54歳と自分では言っていたが、見た目だけだとまだ30代前半でも通じそうな美貌を兼ね備えていた。来てくれてありがとう、友美さんはそう言ってくれたが僕の内心では未だ深く根付く自殺願望に申し訳無ささを感じていた。

誠也さんへの手向けを終え、その日は僕は帰宅した。このまま火葬場で誠也さんの体を燃やして、遺骨をお墓に埋めるらしい。なので誠也さんの家族ではない僕は立ち入る事が出来ないのだ。その代わりに、二日後友美さんを含めた誠也さんの両親と話すことになった。

 

時間はすぐに過ぎ、春休みの2日は簡単に流れ去った。

覚悟を決めて高そうな喫茶店へと制服を着て入ると、入り口の近くの席で手招きしてこちらを誘っている友美さんと、もう一人の男の人の姿があった。この男の人は友美の夫の神田和一さんと友美さんに紹介された。あまり話さない事からどうやら無口のようだった。

 

 

何でも、2人は当時の状況を知りたいらしい。救急隊員から話を聞いてある程度は把握しているけど詳細はあまり知らず、そこで救急隊員が誠也さんに庇ってもらった僕のことを話して僕の事を知ったらしい。確かに、だから僕の家の電話番号を知っていたのかとあまり深く考えられなかった当時の僕は合点がいった。

 

そして僕は2対1で当時の状況を詳しく全て話した。そこには僕が自殺しようとしたことも含まれていた。

 

僕はこれで恨まれると思った。まさか死のうとしていた相手を守って死ぬとは友美さんも和一さんも思わなかったはずだ。だからそんな、生きる価値のない僕を守って死んでしまった誠也さんを嘆いて僕は非難されると思った。

しかし、現実は違った。

 

 

 

「…気に病むな。

渚君、君の視界は確かに今もまだ濁っているのかもしれない。しかし、君には死の色は見えない」

 

「…そうね。渚くん、確かに貴方は未だその事に絶望しているのかもしれない。でもそれが死んでいい理由にはならないわ。それだったら私たちも手伝ってあげるから……」

 

 

…慰められた。しかも間接的にとは言え、殺してしまった息子の親に。

 

僕は混乱しつつも失礼しますとだけ言い、席を立って泣きながら走った。僕は世界で一番情けない、意気地なしなんだと思いながら。

 

家へと帰り、心配して声を掛けてきた母さんの声も無視して部屋へと閉じこもり、鍵を掛けた。もはや死ぬことも許されない僕は何を為して、何を果たせばいいのか分からなくなっていた。

 

 

そんな時だった、僕の中でもう一つの声が聞こえたのは。

 

 

 

 

『おい、聞こえるか?』

 

「……………誰?」

 

『端的に言うならな、俺が神田誠也だ』

 

神田誠也、そう言われて思い出すのはまず事故の起きたあの日のこと。咄嗟に僕を庇う彼の表情と、死んだ時の安らかな表情を思い出す。

次にお葬式の時、彼は真顔で写真に写っていた。その後に友美さんからも個人的に写真を見せてもらい、まだ生きたかったのに死んでしまったのだと友美さん曰く誠也さんの珍しい笑う顔の写真を見て改めてそう思った。

 

そんな彼が、僕の中にいる?

どんな冗談なのだろうかそれは。

 

 

『それはこっちのセリフだ。庇った相手が自殺願望者で、況してやその精神の中に俺は何故か居るときたもんだ。こっちだって訳が判らん』

 

そんな彼に、僕が言えることは一つだけだった。

 

「あの………」

 

『何だ?』

 

「本当に、巻き込んで殺してしまって本当にごめんなさい!」

 

僕はそう言いながら頭を下げた。もし僕の精神内に彼が居るのだとしたらこの僕の行動は把握できるだろう、そんな思いが僕にはあった。

 

そして、彼からこう返事が返ってきた。

 

 

『そうだな、許さない』

 

「………はい」

 

予想はできていた。自殺願望を持った相手を庇って死ぬ、それは幾ら何でも死に方としてはあんまりだ。ここで呪い殺されても彼にはその権利があるとも僕は思った。

 

しかし、彼はこう言葉を続けた。

 

『ああ、許さない。だから俺の名を背負え』

 

「………え?」

 

『如何なる時も俺の名を忘れるな。もしお前が何かミスをしでかした時、それは俺の面汚しになると思え。それが唯一お前のできる俺に対する贖罪の方法、いや言い方が悪いな。

…こうしよう。それがお前の俺にできる感謝の仕方だ。だから死ぬな。納得いったか?』

 

 

今思えばその言葉にとても救われたと思う。何時の間にか死にたい、と思う気持ちも無くなっていた。庇われたのにも関わらず更に助けられてしまったのだ。

 

 

「……はい!」

 

そんな自身を情けなく思いながら、そう力強く僕は答えた。必ずこの恩は返そう、そう思いながら。

誠也さんはそれにそうか、と答えるのみだった。

 

 

 

 

『後一つ、お前に聞きたい事があるんだが』

 

「はい、何ですか誠也さん?」

 

『そうだ、俺に対しては敬語は要らん。さん付けも結構だ。あまり慣れてないからな』

 

「はい…うん。じゃあ誠也、どうかしたの?」

 

『ああ、…俺は何時までお前の中に居れば良いんだ?』

 

 

 

そうして、唐突に僕と誠也との奇妙な同居生活が始まったのだった。

 

 

 

 

『おい!聞いてるのか渚!』

 

「あ、ごめん誠也。誠也と会ってから色んなことがあったなって考えてて…」

 

それから一週間と半分が経った。友美さんと和一さんには再び電話して直接あの時勝手に飛び出した事を謝った。二人とも特に気にしたことはなく、簡単に許してもらえた。そして何故か2人と電話帳を交換した。友美さん曰く僕を気に入ったとのこと。少し微妙な表情になってしまったのは致し方ないと思う。

 

 

「にしても本当にいつから僕の体を動かせるようになったの?」

 

『覚えてないな。ただその時やろうと思ったらできたというのだけは覚えている。』

 

 

そして誠也は何故か僕の体をある程度自由に動かせるようになっていた。と言っても手や腕、足などの極一部分だけど。

少し前、というか昨日に全身を乗っ取ることができるかとうかも誠也に聞いてみた。だがどうやらそれは絶対にできないらしい。何でも僕の心が邪魔で入ることができないとのことだ。だけど、もしも僕自身が無防備、あるいは乗っ取られることを許容する体制に成っていたらもしかしたら…とのことだった。

まあ腕を動かせるだけでも脅威ではあるけど。さっきも左手を勝手に使って殴られたし。

 

 

「あと、この勉強何時まで続けるの?」

 

『そうだな、この単元が完全に理解できるまでだ。安心しろ渚、俺がいる限りはこのくらい教えてやれる』

 

「だけどこれ後40ページ以上はあるよ⁉︎」

 

『そんな些細なこと気にするな』

 

 

全然些細じゃないよ…。

そう心の中で愚痴りながら問題を解いていく。

このような過酷な勉強をするようになったのは誠也が来てからだった。誠也は高校でも常に学年トップだったらしく、彼自身大学手前の内容まで既に既習済みと豪語している。

しかもどうやらそれは虚言ではないらしく、どんな内容の問題でもすぐに解いてしまう。これはいわゆる天才脳というやつなのだろう。

 

僕が勉強に追いつけなくなった事を彼は知ると、直ぐにそのそれを挽回させようと幾つもの問題集を僕は買わされた。それらは当然自腹、今月はもう何も買えない…。

そして、誠也は現れた日から直ぐに僕へ勉強を叩き込んできた。何か用がない限り1日10時間、かなりハードな内容で、それを今のところは11日間持続できている。慣れとは恐ろしいものだと思った瞬間だ。

 

そのおかげか既に僕は復習は終わり、予習段階へと入っていた。誠也は天才だが教えるのも恐ろしいまでに上手く、解法のプロセスを一から順に説明して、分からないところは理路整然と説明してくれるのだ。こんな授業をできるのなら大手予備校で人気教師として教鞭を振るうことも出来るのではないだろうか。

そう言ったら興味ないと一蹴されてしまった。確かに誠也はそんな性格じゃないだろう。

 

 

また、勉強の他にも現在僕は朝のジョギングも強制でやらされている。

当然走り慣れてない僕は3km程走っただけで息が切れてくる。そこに喝を入れてくる存在が誠也だ。正直やめて欲しい。

現在は毎朝5kmで走ってはいるが、こればかりは慣れるのに時間がかかりそうだ。

 

 

 

「…ふぅ、これで良いよね誠也?」

 

『そうだな、取り敢えず合格点はくれてやろう』

 

「よし…!」

 

英語の演習問題を丸つけし終わり、何とか誠也に言われていた目標である9割を超えることができた。因みに9割取れなかったらまた次の分野へ進むと脅かされていたために本気で頑張った。それが功を奏したようだった。

 

 

『だがこのスペルミスは正直無い。この点を白紙に戻してもいいくらいだ』

 

勝手にシャーペンを握ってない左手が動き出し、僕の回答のある部分を指す。そこには[poor]を[pool]と間違えて書いてしまった英訳問題があった。

 

『まあ、次やったらスペル書き取り100回な』

 

「…絶対ミスッちゃダメだ……!」

 

書き取り100回、それはきっと誠也のことだ、少なくなった唯一の休み時間にやらされるのだろう。それだけは何が何でも勘弁してほしい。

 

「それはそうと誠也」

 

『何だ急に』

 

「…これから、期間は分からないけど宜しく」

 

『…ああ、面倒はきっちり見てやる』

 

 

そう言う誠也の声は穏やかだった。

 

 




お次はダーツの時間となりそうです。
では次回。

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